伝言板
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 SIGMA dp0 Quattro
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.5.4
レンズ 14mm F4
焦点距離 14mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1352x904 (943KB)
撮影日時 2019-05-04 02:33:00 +0900

1   kusanagi   20/01/10 23:42

この写真、ダウンロードゲットしました。私が人様の写真を下ろすのは滅多にないことなのです。
しかし良い写真は積極的にやってます。
まず、これがキヤノンだっていう典型的なキヤノンのセンサーを活かした画質になってます。つまり
淡くてモノクロ的で東洋画の雰囲気の画質であり写風ですかね。
ソニーもニコンも良いんですけど、それらは輝度が高くて(栄養価が高い)確かに基本としては優れ
ているんですけどそれと好感度とは別の話です。ソニーが一般向けの画質とすればキヤノンは
玄人受けする画質(伝統的日本食かな)なんですね。
これちょっとアンバーに振ってますけどその塩梅がとてもいいです。これも玄人受けだということ。
風景写真というのは、記憶、人間の長記憶に留める方向に向くと非常に威力を発揮するんですね。
少なくとも私はそう考えているのですが、こういう写真はたぶん地方の田舎育ちの人間でないと
撮れないし気がつかない写真だと思ってます。
この写真の醍醐味は空間だと思います。人が住んでいる山里の愛おしい空間。空間とは土地の
広さとそして立体的な空気感です。その空気の感覚は自然だけでなく人間の営みの匂いが漂って
いる感覚でもあるんですね。こういう大自然と人間の生活の融合というのは都会育ちの人には分か
らないだろうと思いますよ。都会育ちの人の写真は綺麗かも知れないけどどこか冷たいです。
ここには富士も写っていないし何も目を引くものも驚かすものもありません。何かを撮っているという
ものではなくてしかし絶対的な自分自身の中にある何かを強烈に表現して、そして心に長く留める
長記憶としての記録をしているとも言えるんです。

次にボケのことを書いてみたいと思います。ボケというのはあの極端なボケではありません。ごく
自然な連なりのある微妙なグラデーションのことです。私がいうところのボケとはこういうボケ具合
のことなのですがそれは意味のあるボケですね。ここではボケと言わず霞(かすみ)と言うのが
相応しいでしょう。それが立体感を生んでいますしまた山里の空間を表現する要ともなっています。
このレンズのミリ数が35ミリというのも示唆的です。
私は本当の人間感覚の表現ができるのがいわゆる標準レンズ領域であり、35ミリから60ミリという
領域だろうと最近気がついてきているのですが、そしてその標準ミリ数こそが、現在の最大の難題で
ある超高画素高画質のカメラに立ち向かえる最大の武器になるんではないかとも思考しています。
しかしこのレンズミリ数とは要するに、鑑賞者のモニターの大きさと深く関係していることでもあるん
ですね。ですから正確に言えば絶対標準レンズというものはないのです。とは言え巨大なモニター
で広角レンズ撮影した写真を大伸ばしして鑑賞することは一般的ではありません。やはり普通のモニ
ターで普通に写してそれで違和感がなく見れるというのが標準レンズであるというのかも知れません。
しかし、それだけでなく標準レンズミリ領域は、ピントのシャープさとボケグラデーションが絶妙に配置
されるというのも標準レンズを推する大きな理由です。ボケが深く広すぎるのも、ピントばかりでグラ
デーションがないという写真というのも片手落ちなのです。

人はなぜ写真を撮るのですか?この問いには回答者によって千差万別であろうかと思いますが、
やはりそのひとつに自らのアイデンティティの確認というのもあるんじゃないでしょうか。とくにこういう
心象的な風景写真はそうでしょう。おそらく撮影者はこういう山里の光景で実際に幼年期を過ごした
ことのある人に違いありません。この写真はよそ行きの写真ではないですね。しかしハレとケという
ことではあくまでもハレの写真です。そして人様に大向うを張って見せている写真でもありません。
あくまでも自分の中の静かな晴れ舞台の写真なのです。
都会育ちである北井一夫氏が若き日の成田闘争を契機として、自然に囲まれた村々の写真に没入
していく有様を写真雑誌で追っていた遠い記憶があるのですが、都会育ちの人でもこういう山里の
写真を理解できないというのではないでしょう。理解をしようとするか、俺はしないと意地を張るかの
選択でしかないと思います。
第1回木村伊兵衛写真賞を受賞した北井一夫は言わばドロップアウトした人間ですね。そういう人間
が持つ独特の雰囲気というか優しさがありました。だからこそ田舎育ちの人以上にこの世界の真の
姿というものを見ることができたのだと私は思ってます。

写真をする人は意地っ張りの人が多そうですが、それはこの世界の真の姿を見ることには大いに
妨げとなっているものなのです。人生の最後の最後まで意地を貫き通してしまうのか。それともせめて
最後ぐらいは意地を引いてみよう、ドロップアウトをしてもいいじゃないかと考えるのかはその人次第
です。しかし歳をとってからも成長したいということでは積極的に自己変革をおすめしたいです。
裏街道さんにも表の顔と裏の顔というものがあるでしょう。それを言えばこの写真は本当の裏の真の
裏街道さんの姿を表す写真となっています。表の顔を押し出さなければこの世の中では生きていけ
ないというのがあるのですが、そればかりでは人は疲れ果てていきます。意地を張るというのはそうい
う表の顔であるわけですが、せめて趣味の写真くらいは本当の自分の顔をさらけ出してリラックスして
行きたいと思いますね。

写真趣味は一種の宗教行為であるとS9000さんとも語ったのですが、その宗教にも自分を貫き通して
やまない攻撃的な原理主義的なものから、そうじゃなくて心底落ち着けるこころの落ち着きどころとして
の優しい宗教もあるわけです。
こうも言ってもいいのかな。この写真は涅槃(ニルバーナ)の写真でもあるのです。ひとつの形としての
自分の宗教写真ですか。山里に素朴に生まれ育ち成長するにつれ力が付き平野や街に出で自分の
力を試したいと願う。伴侶を得て子宝にも恵まれそして次第に歳をとっていく。そういう人生の心模様
があるとして、やがて人は気づくようになるのですね。自分のアイデンティティとはなんであるのかと。
宗教心とはなんであったのかと。実はもしかずはれ本当の自分自身の人生とはこれから始まるのでは
ないのかと。今まで自分の人生と思っていたのは単なる表の顔。そうあれかしと親や世間から言われ
続けてきただけのものじゃなかったのかと。では本当の自分はどこにいるのか。
それを探す旅がこの写真を撮ることによって始まったと言えるのではないでしょうか。写真というのは
恐ろしく精神世界のものだと考えています。人間が人を超ええるのはこの精神世界があったればこそ
ですね。

2   裏街道《瀬戸内》    20/01/11 07:26

おはようございます。
私が写真を撮るのは配送先へ向かう道中や荷下ろしが終わって
次の積み地へ向かう工程中という事が多いです。
したがって必然的にチャチャっと撮影が多くなります。
ハーフND等を駆使してジックリ撮った写真と私の様に
ソフトで仕上げる写真とでは明らかに価値が違いますね。
それでも今の私はそれで十分と考えており楽しめてもおります。
このに美しい風景の中にも人様の暮らしがあり私の様なよそ者が考える
何十倍もの努力や苦労が存在すると思いますけどね。

て、ちょこっと仮眠をとります。

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