メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 180mm |
焦点距離 | 180mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1579sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3000x2000 (4,205KB) |
撮影日時 | 2020-01-05 23:40:55 +0900 |
・・・よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。
「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」
「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸ちょっとお前に遭いに来たよ。」
「兄さん。行っちゃいけませんよ。はちすずめもあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」
「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないでくれ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにしてくれ。ね、さよなら。」
「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」
「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」
宮沢賢治「よだかの星」より
「やまなし」では、水生生物にとって恐ろしい捕食者として描かれているかわせみが、「よだかの星」では美しい小鳥、そして主人公よだかの弟として描かれています。
なお、よだか、かわせみ、はちすずめを兄弟と設定したことは、分類学上、まずまず正しいという意味のことが、ウイキペディア解説に書かれていました。宮沢賢治は教師でもあったせいか、当時の科学(特に天文学、地学)に、劇中で言及するシーンが見られます。なお、同じ作者による「銀河鉄道の夜」はまぎれもなく死後の世界、臨死体験を文章化した物語であり、松本零士氏も「銀河鉄道999」でその要素は踏襲した面が見受けられます。
「やまなし」は、水中から見た水面の光彩の美しさが、「よだかの星」では、終盤の、よだかが命を燃やし尽くす飛翔のスピード感と夜空(星空)の美しさが特筆のもので、こういう美しい文章表現ができる才能は、ひとつの言語につき数世紀に一人でも出れば上出来ではないかと思うところです。つまり宮沢賢治のあと日本語ではまだ出現していない。(元ネタは略)
「よだかの星」終盤の、よだかが命を燃やして飛翔するシーンは、おそらくは漫画「レース鳩0777(あらし)」の、一羽の優秀なレース鳩の落命シーンにオマージュ引用されていると思われます。こちらは漫画表現の中で、無類のスピードを誇ったレース鳩が、最初は飼い主と自身の名誉のために、次に疲労と激痛を忘れるために、最後には飛ぶという、鳥の本能にだけ従って、肉体の限界を超えて飛び続け、津軽海峡に命を散らせます。
「レース鳩~」はたいへんよく整った漫画ではあるのですが、劇中ではおびただしい数のレース鳩が落命するため、読後感はけっして爽やかではないですね。現状は電子書籍化されており、一部、当時の演出で現代にそぐわないものをマスキングした状態で読むことが可能。
この物語にはカワセミは登場しません。
こんばんは
カワセミ君が飛び立った瞬間を見事にゲットされましたね。
ナイスタイミングですね(^_-)-☆
カワセミ飛び、岩肌白飛びセーブお見事!動体予測抜群だね!!
カワセミと玉ボケの写真を初めて見ました。
凄いですね(⌒-⌒)
こんばんは。
ダイブの瞬間を見事にとらえてナイスです。
反射神経が良くないと被写体が画角から逃げちゃいますね。(;^_^A
宮沢賢治 「よだかの星」・・・絵本動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=x7zQ07dKUyQ
朗読「やまなし」宮沢賢治
https://www.youtube.com/watch?v=swA7tJlb9Eg
宮沢賢治・百年の光芒~農民・賢治の願い~一耕人
https://www.youtube.com/watch?v=L5QTf-i4yU4
皆様こんばんは。コメントありがとうございます(*^^*)
>一耕人さん
フォーカスは追いつかなかったのですが、飛翔前からファインダーにとらえていたので、なんとか画角の中におさめることはできました。玉ボケの下を飛んでくれたことに感謝(^_-)-☆
>GGさん
動体予測は難しいですが、露出は、この岩に留まってくれている間に合わせる余裕がありました。岩の一部に、カワセミ独特の糞痕がありまして、先週日曜日にこの岩を裏から眺めたとき、この糞痕が増えていたので、この岩はカワセミ君のお気に入りの場所みたいです。
>yamaさん
本当は「私も玉ボケの大群をば」のときの玉ボケとともに、このカワセミ君を撮りたかったのですが、なかなかそうもいかないです。
縮景園で前撮りしている、壮麗な衣装の方々とからめて撮りたいのですが、ほんとにそういうときに都合よくは出現しないものです、あははは。
>kusanagiさん
やまなし、よだかの星ともに、挿絵や朗読の名手による作品も実に素晴らしいのですが、私は、まずは活字本で読んでみて、脳裏にその人なりの情景を浮かべてみることをお勧めします。
私はほんもののカワセミ(図鑑含めて)を見るよりも、この短編を読んだほうが先だったので、カワセミをもっと大型の、尾羽の長い、インコに近い姿を想像していた記憶があります。初めてカワセミを生で見たとき、その青さが目に焼き付いたことは、およそ半世紀たった今でもよく覚えています。
>裏街道さん
桂川PAはお気に入りですか。ときどきお休みになっているのを見かけますね。
反射神経はいいほうじゃないので、なかなか難しいですね。おそらく機械のタイムラグより、人間のタイムラグのほうが問題になると思います。観察を続けていると、わかることがあるのかもしれません。
最近になって、おなかいっぱいのときは消化に精いっぱいで、なかなか動かないのだという情報を得ました。糞をする、ペリットを吐き出す、という仕草があれば、そろそろ次の食事のために出撃する兆候、ということなのでしょう。
よだかの星のエッセンスといいますか、その宗教的な感覚は全ての人類が持っているものかも
知れませんね。まずキリスト教の根本原義がそれですし、最近では人工知能が人類を凌駕して
(生身の肉体から離脱して)宇宙に飛び出していくという未来の発展史観もそうです。人工知能
は全知全能を目指すのですがそれは神の概念そのものではないですかね。
人工知能関連の本を読んでいて印象に残った言葉があって、それは人類の一生は人の一生と
同じである、というものでした。
これはどういうことかと言うと、人工知能が人類を凌駕した時、人類の発展は止まるということ
かも知れませんし、もしくは人類が人工知能という子どもを出産したとも受けとれますね。
人工知能はすでに一部、ゲームの世界では実現されていて囲碁や将棋では、もはや人はAIに
勝てません。しかしそれで名人達がくさっているかと言えばそうでもなくて新しいゲームの世界観
に啓発を受けていたりします。しかし本当の人工知能は人間の全ての領域に勝るという事態に
なってしまうので、おそらく人類は人工知能に反発をいだきそれを潰そうとする人達や、または
人工知能に打ちひしがれてより良く生きようとする意欲を失っていく人達も出てくるでしょう。しかし
そのどちらにも人類の未来はありません。
こんばんは。宮沢賢治は、どうも読者に自由な解釈をゆだねるために、無定義な言葉や概念を多数、物語に盛り込んでいるので、どう受け止めて、どう膨らませるかはは読者の自由であり、その結果がその人の感性をあらわすものです。
だから今回は私はコメントしない。むふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁ。