1 kusanagi 2021/3/23 20:46 少し前に撮った、私のさくら。(^^ゞ 西行庵と言って、むかし西行が讃岐に来て住んでいた時の庵跡です。今は小さな神社風になっていて、その灯篭の間に生けられていた桜華。
少し前に撮った、私のさくら。(^^ゞ 西行庵と言って、むかし西行が讃岐に来て住んでいた時の庵跡です。今は小さな神社風になっていて、その灯篭の間に生けられていた桜華。
2 コウタロウ 2021/3/24 16:56 kusanagiさん こんにちは西行が住んでいた庵跡、時代が過ぎても、このように桜花を手向ける方がいらっしゃる・・・・実に素晴らしいことですね!そこにレンズを向けたkusanagiさんも、実にナイスです~^^
kusanagiさん こんにちは西行が住んでいた庵跡、時代が過ぎても、このように桜花を手向ける方がいらっしゃる・・・・実に素晴らしいことですね!そこにレンズを向けたkusanagiさんも、実にナイスです~^^
3 kusanagi 2021/3/24 21:44 コウタロウさんコメントありがとうございます。私は地蔵さんなんかをよく撮るんですが、感心するに常に花が添えられていて涎掛けなんかもきれいにされていることです。そういう献花などをなされている方が陰に多くいらっしゃるということで、そういう庶民の信仰心というのは嬉しいなといつも感じています。私は写真を撮るだけで花は添えませんけど気持ちとしては同じでありたいなあと思ってます。西行の句がひとつ石碑に彫られていて、句面は忘れましたが、「月明かりの夜、お腹がすいて水茎の根を掘って腹を満たした」、という句だったかと思います。今の世の中、食にひもじいということはありませんが、本来、人とはすきっ腹というのが通常であるわけで、飽食の時代に生きているのが本当に幸せなのかどうか、少し考えるところもありますね。(^^ゞ
コウタロウさんコメントありがとうございます。私は地蔵さんなんかをよく撮るんですが、感心するに常に花が添えられていて涎掛けなんかもきれいにされていることです。そういう献花などをなされている方が陰に多くいらっしゃるということで、そういう庶民の信仰心というのは嬉しいなといつも感じています。私は写真を撮るだけで花は添えませんけど気持ちとしては同じでありたいなあと思ってます。西行の句がひとつ石碑に彫られていて、句面は忘れましたが、「月明かりの夜、お腹がすいて水茎の根を掘って腹を満たした」、という句だったかと思います。今の世の中、食にひもじいということはありませんが、本来、人とはすきっ腹というのが通常であるわけで、飽食の時代に生きているのが本当に幸せなのかどうか、少し考えるところもありますね。(^^ゞ
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