1 Ekio 2021/11/4 19:46 六本木ヒルズの「スカイデッキ」からの東京タワーです。室内の展望台からですとガラスの影響で青味がかかってクールな印象になります。一方、吹きっさらしの「スカイデッキ(雨風などで安全が確保出来ない時は閉鎖)」はウォームな印象です。前に来たときはそれほど違いに気付きませんでした(光線の加減?)。右下に増上寺を臨む構図、日本らしい風景が好きです。◎Pana-LEICA DG VARIO ELMARIT50-200mm/F2.8-4 ASPH.
六本木ヒルズの「スカイデッキ」からの東京タワーです。室内の展望台からですとガラスの影響で青味がかかってクールな印象になります。一方、吹きっさらしの「スカイデッキ(雨風などで安全が確保出来ない時は閉鎖)」はウォームな印象です。前に来たときはそれほど違いに気付きませんでした(光線の加減?)。右下に増上寺を臨む構図、日本らしい風景が好きです。◎Pana-LEICA DG VARIO ELMARIT50-200mm/F2.8-4 ASPH.
2 Booth-K 2021/11/4 23:44 やはり形的にも、ライトアップした時の映えも東京タワーのほうが個人的には綺麗と思います。タイトルに納得です。
やはり形的にも、ライトアップした時の映えも東京タワーのほうが個人的には綺麗と思います。タイトルに納得です。
3 エゾメバル 2021/11/5 15:14 ここまで引いて撮ると、ゴジラがやってくる前の映画のセットを思い浮かべましたが、このレンズのビル群の解像度には感嘆します。
ここまで引いて撮ると、ゴジラがやってくる前の映画のセットを思い浮かべましたが、このレンズのビル群の解像度には感嘆します。
4 CAPA 2021/11/5 20:25 大都会の中にそびえ立つ東京タワー、端整で美しいですね。ビル群をこうして見ると、高低・姿形が様々で、描写が緻密なのでそれぞれが精巧な模型に見えます。そんな中、存在感を出す増上寺、徳川将軍”家の菩提寺だそうですね。
大都会の中にそびえ立つ東京タワー、端整で美しいですね。ビル群をこうして見ると、高低・姿形が様々で、描写が緻密なのでそれぞれが精巧な模型に見えます。そんな中、存在感を出す増上寺、徳川将軍”家の菩提寺だそうですね。
5 Ekio 2021/11/6 05:54 Booth-Kさん、ありがとうございます。やはりスカイツリーとは別次元の美しさですよね。エゾメバルさん、ありがとうございます。>ゴジラがやってくる前の映画のセットを思い浮かべましたが・・・壊されると困るのですが自分も思いました。CAPAさん、ありがとうございます。すっかりビル群に囲まれてしまった東京タワーですが、存在感は薄れませんね。
Booth-Kさん、ありがとうございます。やはりスカイツリーとは別次元の美しさですよね。エゾメバルさん、ありがとうございます。>ゴジラがやってくる前の映画のセットを思い浮かべましたが・・・壊されると困るのですが自分も思いました。CAPAさん、ありがとうございます。すっかりビル群に囲まれてしまった東京タワーですが、存在感は薄れませんね。
6 masa 2021/11/6 16:00 小学生の頃、目黒区の高台にある八幡様の境内から、東京タワーが少しづつ伸びていくのを毎日眺めていました。「三丁目の夕日」の時代でした。東京スカイツリーも素晴らしいけれど、東京の「タワー」はやっぱりこれです!
小学生の頃、目黒区の高台にある八幡様の境内から、東京タワーが少しづつ伸びていくのを毎日眺めていました。「三丁目の夕日」の時代でした。東京スカイツリーも素晴らしいけれど、東京の「タワー」はやっぱりこれです!
7 Ekio 2021/11/6 19:28 masaさん、こんばんは。東京タワーが建てられるところを見られたのですか!凄いです。鉄骨を組み上げて行く過程は、当時の右肩登りの日本経済の象徴だった事でしょうね。
masaさん、こんばんは。東京タワーが建てられるところを見られたのですか!凄いです。鉄骨を組み上げて行く過程は、当時の右肩登りの日本経済の象徴だった事でしょうね。
8 masa 2021/11/9 09:41 東京タワーの着工は1957年、完成が1958年ですから、私が小学校4〜5年生の頃でした。太平洋戦争終結後の日本を占領統治していた連合国進駐軍が、サンフランシスコ講和条約の締結に伴って撤収したのが1952年ですから、その僅か5年後でした。私の幼い記憶では、「進駐軍の兵隊さん」の姿を町で見かけなくなったなあと思った頃始まったのが東京タワー建設でした。大人たちは日本復興のシンボルと言っていたようですが、私たち子供はパリのエッフェル塔より高い塔が建つというので、ただ「スゲエなあ」と言いながら眺めていたように記憶しています。
東京タワーの着工は1957年、完成が1958年ですから、私が小学校4〜5年生の頃でした。太平洋戦争終結後の日本を占領統治していた連合国進駐軍が、サンフランシスコ講和条約の締結に伴って撤収したのが1952年ですから、その僅か5年後でした。私の幼い記憶では、「進駐軍の兵隊さん」の姿を町で見かけなくなったなあと思った頃始まったのが東京タワー建設でした。大人たちは日本復興のシンボルと言っていたようですが、私たち子供はパリのエッフェル塔より高い塔が建つというので、ただ「スゲエなあ」と言いながら眺めていたように記憶しています。
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