メーカー名 | OLYMPUS IMAGING CORP. |
機種名 | E-M1 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 14mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x1500 (2.2MB) |
撮影日時 | 2014-01-29 11:44:27 +0900 |
⑲
最近は神社を撮影することが多いのですが、この日本の神社なるものは、おそらく古代のイスラエル
の民の遺産というか、彼らの風習が日本に残ったものだと考えるようになりました。
神社の広い境内は本来狭い日本の風土とは別物の感覚ですし、直線基調のレイアウトもそうです。
そういうのは砂漠の民のユダヤ教と深い関わりがあったんではないですか。
古代イスラエルの民の末裔は秦氏と関わりがあるようです。かなり高度な技術を持った集団だったよう
ですが、秦氏が日本の政体に何か影響を及ぼしたということが見られません。また日本語にも日本の
風習にも多くの影響を及ぼしているようですが、日本人の政治や宗教に影響を与えたということが見ら
れません。ただその形だけが不思議に継承されているようですね。日本神道の神社もそのひとつのよ
うですし。
ユダヤ教は一神教ですが日本は多神教です。その多神教のシンボルである神社が古代イスラエルの
形を真似ている。なんとも摩訶不思議なことですが、ただ結果としてみると仏教伝来の時代への、もう
ひとつの対抗勢力となったのは事実のようです。
仏教、すなわち古代中国の影響だけでは片手落ちとなり、それを防いだという役割があったのではな
いでしょうか。
学識的には神道は日本古来の自然宗教から発したものだと言われています。私もそういう考え方が
正しいと思いますが、それだけではなかったのではないでしょうか。自然宗教は本来は建築物を持ち
ませんね。しかし仏教に対抗するには何らかの権威付けが必要です。それに秦氏の古代イスラエルの
風習なり技術が使われたのではありますまいか。
日本に稲作が伝わり、田圃というのは耕作地だけでなく、用水や溜池という大規模なインフラが必要で
自然を大きく破壊します。これは自然宗教としては耐え難いことであり、それへの申し開きとして神社と
いうものが自然発生したのではないでしょうか。
それで神社には必ず鎮守の杜(自然林)が付随していますね。
特に香川では溜池には必ず神社、池の宮があるんです。溜池ほど自然を改変、破壊する程ものはなく
て、それで失われた自然を祭る神社は必須だったのだろうと思います。
それなのに不思議に、神社には広い何もない地面の丸出しの境内というものがあります。自然宗教に
なってないじゃん。と言いたいところですが、そこは権威付けとして古代イスラエルの風習の形を真似
たと考えれば納得がいきます。
そういえば門(鳥居)からストレートに奥社に配置されるレイアウトも自然破壊を伴ってますし。
何やかやで矛盾がいっぱいの神社ですが、私はこの神社空間が好きです。神社の魅力はひとつは
自然な森と、そして砂漠の民的な人為的空間です。
とにかく神社は面白い。そう思います。矛盾がいっぱいだけど、そこが日本の良さというか強さだという
気がするんですね。なんでもかんでも取り込んで図太く生き延びる。これからも日本はそうでありたいと
願っています。