メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | TAMRON SP 150-600mm F/5-6.3 Di VC USD G2 A022 |
焦点距離 | 300mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1579sec. |
絞り値 | F5.7 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2037x1528 (2.26MB) |
撮影日時 | 2022-06-04 16:53:57 +0900 |
といって写っているチュンバメ君は、広島での撮影ですが(爆)
私にとって農作業は、レンズ・カメラを通さず肉眼で野鳥撮影するよい機会で、ツバメの飛翔も、写し止めではなく連続した動き、その軌道を観察できました。そして、飛ぶことのできる鳥はすべてホバリングができる、ということで、スズメもセキレイもツバメも、水田上でホバリング捕食を行う様子が印象的でした。
それらはもちろん撮影していないのですが、ちょうど愛知県の明治用水における漏水事故で、用水のことが話題になっているので実家周辺の用水系統と畦畔(京阪にあらず)を撮影してきました。
実家の水田は、ため池系統と吉井川由来の農業用水路系統の二つの用水系統で灌漑(感慨にあらず)しています。どちらの用水も、基幹水路が枝別れして、その沿線の水田に水を供給し、また余水を回収しながら再び幹線水路に合流し、最寄りの河川に流れこんで、最終的には海に至る、の図。
至るところでせきとめして、吸水口(水口=みなくち、という)を通じて水田に水を入れる仕組みですが、我が家の場合で、大きくわけて7グループの農業者が給水に関して当番制を引き、ため池の幹線排水口を操作するとともに、各用水の分水板を操作して、必要な箇所に水が届くようにしています。
話し合って決めたスケジュールに沿って代掻き・田植えを澄まさなければならず、また代掻きと田植えの間には、除草の都合で一昼夜を置くため、私は日曜日と火曜日に手伝う運びとなりました。
左上と右上の写真は水路のせきあげの様子で、左上は土嚢袋(肥料土の空袋を転用)を使い、右上は堰板を使っている様子。
話題の愛知県明治用水は、パイプライン式の配水が導入されているので、端末まで加圧された、上水道のようなイメージなので、田んぼの中のバルブをあけると水が噴き出す、便利なスタイル。インフラとしてはコストがかかる方式ですが、水資源としては無駄が少ないかも。
そして開水路ではないため、降雨時に水路の溢水を心配する必要がないかもしれません。どんなシステムも完璧ということはありえないので、今回の一件はたいへんだったと思います。
一部の地域で、ため池が人のいたずらで水を抜かれてしまう事件が発生しています。刑法には水利妨害罪も規定されているので、いたずらではすまされません。
備前地方では幹線用水の監視のために番小屋と呼ばれる監視者の詰め所も設置されています。農業用水に関してトラブルは多々発生しますが、ある意味では一番強固に成立している相互扶助組織でもあるわけです。
時間切れ。続きはまた今度。
こんにちは
田んぼ仕事、随分としてません。弟にすっかり任せっきりです。
それで米だけはもらって食べているんですからいい身分ですね。
その田んぼも今年から本家に丸投げだそうです。なんか寂しいですね。
こういう農業と水利の話は知ってる人は知っているれど、一般的には新鮮な話題だろうと思います。
写真としては、いわゆる棚田が綺麗だから撮ったという程度の関心しか、写真人にはないのが実情
ですね。(^^ゞ
とにかく、写真として社会性のある方向であって、報道写真もそうなんてすが、そこまで行かなくても
個人性を越えた写真であるわけです。昔はこういう社会的関心がある写真が多く見られたのですが、
現在では特にデジタルになってからは、個的趣味のマニアックな写真が殆どになってしまいましたね。
それが悪いというのではありませんが(そういう私の写真もそうですし)、たまには写真というものは
公的な器や道具でもあるという考え方を思い出してもよいのではないかと思うことがあります。
しばらくキヤノン板では良い写真が続きます。masaさんのチャグチャグ馬コは大変な力作ですし、また
一耕人さんの親父さんを撮られた写真も良かったですね。ちなみにあの写真はワンコウの写真なん
かではなく、立派なポートレート写真だと私は考えています。つまりペット写真というのではなくて。
(私は秋田県の実家のお父さんの働き通した顔や手を見て感激したしだいです。)
しかし今ではポートレート写真とは若い姉ちゃんの写真を指し示し、特に撮影会のそれを言うようです
ね。
でも本当のポートレート写真はあのようなリアルな現実感のある人物写真を言うのであって、撮影会
の写真はあくまでも撮影会写真です。(^^ゞ こんな具合で現在では写真がかなり歪んできて、つまり
社会性を失って、個人的シコシコ感(マニアックとかオタク的)な方向ばかり向いてしまいましたね。
それはそれで時代の流れですから仕方がないわけですが、でも全てがそうではない、という写真もある
のだということも忘れないでいきたいと個人的には思ってます。
日本の食糧の自給率はたしか37パーセントくらいだったかな。これは言い換えれば日本国民の3人に
1人分しか自給できないということです。(カロリーベース) 戦争や不作が始まれば国家はすぐさま
自国で食料を取り込んでしまい、外国(日本もそう)が幾ら金を積んでも食い物を輸入できないという
事態になります。
事実現在(ウクライナ戦争後)ではそのようになってきて、戦争だけでなく気候の悪影響でそれ以前から
食物は値上がってきてますよね。私はコロナ禍で世界が騒いでいる時期から、もうすぐ戦争が始まり、
食料もままならなくなると知っていました。勿論それは写真とは別のやり方でしたが。
写真は完全な個人趣味だとすれば、綺麗な花の写真も鳥の写真もいいかも知れませんが、それらは
残念ながら食えません。(^^ゞ 平和で豊かな、むさぼり時代だけの趣味なんですね。もしロシアや中国
が日本に押し寄せてくれば、また世界が食糧危機となり食い物の争奪となったとき、のほほんとした
写真趣味なんかは瞬時に消えてなくなるでしょう。それらはけっして時代を超えた写真術ではないわけ
です。
そうは言いながらも、この今の時代ではマニア的写真をやり続けるしかないわけです。写真撮影で野外
に出て、何よりも率先してご自分の健康を維持していくという、そういう写真のやり方が間違っていると
いうのでは全くないですね。写真人が個人的趣味として自らの健康を維持していくのは、これもまた国力
のひとつですから。
ちょっと考えて見ましょう。大きな気候変動で世界の食料がままならなくなれば、日本はどうすると思い
ますか。間違いなく軍事力で恫喝して諸外国から食料を調達するでしょう。憲法9条堅持なんて言ってい
る人間ほどいの一番に賛成するでしょう。金で買えなくなれば脅すというのは国力の常套手段ですから。
こういう現実があるということを忘れてなりませんね。
S9000さんは姉ちゃんや野鳥を撮りながらもそれは見せかけだけであって、日本の農業の現実を忘れ
ないでいてくれたわけです。また重たいカメラを振り回しながら身体を鍛えることも忘れないでいます。
無駄話をしましたが、続編を期待しています。
おはようございます。皆様コメントありがとうございます(^^)v
>一耕人さん
みなさんそれぞれ事情がありますので、我が家の場合も農作業はできる範囲で分担、です。
高齢化で耕作できなくなった人の田についても、実家で引き受けて耕作しており、年々、それが拡大しています。放っておけば水田も原野化してセイタカアワダチランドになりまして、ぢつは今回の農作業中もそうした耕作放棄地に営巣するヒバリが空高く飛び立つ様子も観察してます。ここが野鳥観察のパラダイスであるという痛しかゆしな面。
>kusanagiさん
写真表現はそれぞれ楽しいもので、私にとっては野鳥も爽やか美人百景も農村風景も、フォトレポートという観点では違いがないです。
野鳥は被写体との意思疎通というのは困難で、こちらの意思を悟られないことが最大のテクニックでもあり、そこが独特の楽しみだと理解しています。
気候変動への対処は、個々の農家も年々工夫していますね。梅雨の時期に田植えを行う、という岡山古来の農法もそろそろ時代遅れかもしれません。
さて前回からの続き。
チュンバメ写真に貼った、左右下の写真は、畦畔の様子を撮影したもの。左の用水路と並走している非舗装通路は公の通路(里道)です。用水路と里道が並走するのは農村のお約束ですが、用水路や堤塘は、明治以降の地租改正によって、土地に課税されるようになった時代において、個人単位の農業収入にはつながらず公益要素(通水や通行)に供するところは、非課税枠にしたところから、個人の土地と分離して編入されたケースも多々あります。
単に非課税枠にするだけでなく、官有地に寄付(上地とか官有成、とか表現される)する行為もよく行われています。明治から大正にかけては、こういった土地関係の記録は租税台帳で行われていたのですが、戦後になって法務局の不動産登記簿に一元化するにあたって、こういった上地の記録が転記漏れするエラーが盛大に発生し、用水路や通路に個人名義(しかも明治時代の人物!)が残っていたりします。
悪いことに、個人の側でその土地の詳細を知らないまま相続して保存登記すると、いろいろもめる要素にもなります。
右下の写真は、公の通路ではない、保水と農作業用の最低限の通行に供する畦畔であり、トラクターの特殊機能で土壁を築いて保水効果を高めています。
しかしこうした畦畔には、モグラが簡単に穴をあけてしまうため、その補修作業も日々行うことになります。漏水する側は枯渇して困るが、水が進入してくる側も、田植えに適さない水深に達してしまい、能率が悪くなる問題もあるわけです。
こうした水田の区画を隔てる畦畔は、湿潤して弱くなっているため、部外者の通行は想定していません。
野鳥の話にもっていくと、水田に営巣する野鳥には「ケリ」がいて、それが地域ニュースにもなる、私もいつかは撮影したい野鳥ですが、ケリを撮影したいからといってこういう畦畔に足を踏み入れて損壊させでもすれば、私のような因業親父から「おいヂヂィ、そのカメラレンズ一式置いていけ!」と因縁をつけられることになるので、それもまた農村野鳥撮影の醍醐味と理解されたい。ふははははは。
ところで棚田が撮影者の心をとらえるのは、それが「人工物」だからですね。摩天楼や工場夜景と同じく、人がつくりあげた精緻な美しさがそこにあるからです。
農村野鳥撮影で命を落とす危険は、普通はありませんが、農作業では機械化が進んだことで事故が起こっています。日本の一般的な農地と用水路、通路の構造は機械化に適していない面もあります。
各地で圃場整備がされていて、私も風景写真を見るたびに農道についてコメントすることが多いのも、仕事や家事で農地に携わることが多いからですが、時間切れなので、そのあたりはまた来週月曜日以降に。
用水の詳細な様子拝見できました
耕地も広く作業も大変かと思います
どうかお手伝いを兼ねながら耕作地を守ってください
里道の話、興味深く読ませいもらいました。さすがはその方面のプロですね。
畦畔(けいはん)に関してはこちらでは畦自体がコンクリート化されていたりするんですが、それを見て
東北の人が、これはなんぞや?という指摘があったりしました。香川は農地が狭いので都市部の農地
ではコンクリートで田圃を区切ったりするんですけど(最近の圃場整備をした本格農地は畦道が広いの
でしない)、モグラ対策の意味もありますよね。
そのモグラ穴にヘビが居ついていたりします。同じく居つく野ねずみが餌なんでしょう。またコンクリート
畦のつなぎ目から漏水なんてのもあります。(笑)
棚田が人工物として撮影者の心を捉えるというのはあるのでしょうか。粗方のカメラマンは棚田を半自然
美、もしくはアートとして捉えているかも知れませんね。そもそも農業は、特に水田は大変な自然破壊を
して造られたものですが、都会の人はそういう人造物という感覚がないかもしれませんよ。
ご指摘のように棚田での作業は大変危険でして、トラクターや耕運機の転落事故は昔からあります。
観光化のために棚田を残すというのもあるようですが本末転倒という気がしていますね。
農業は基幹産業なのであって、都会のように観光とかアートとかとは本来無縁のものです。棚田を潰して
圃場整備をして、効率的で安全な農地となった田圃に棚田カメラマンが寄り付くのかどうか。そういう
人造物をアマチュアカメラマンが評価するのかどうか。きっとしないでしょう。
工場夜景にしても日本に工場がなくなりつつあったからこそ脚光を浴びたのであって、昔は臨海工場は
公害としての写真しかなかったわけでしてね。(バンダナ竹内敏信氏は最初は公害カメラマンだった)
そんなわけで写真趣味人というのは、物事の見かけや流行だけでやっているのであって、その本質が
理解できてやってるわけではないと思いますよ。せいぜい博物学レベル程度だと思っているのですが。
しかしだからといって写真はつまらないというわけではないと思いますね。
写真という画像、これが良くも悪くも普通の言語思考とは違うのであって、深レベルの画像思考ができれ
ば写真はきっと面白くなると考えています。それは直観力ですから物まね写真ではないですね。
さて、S9000さん、更なるお話を期待していますよ。(^^ゞ
おはようございます。皆様コメントありがとうございます(*^^*)
>F.344さん
そのとおりなのです、本当に一枚田であれば苦労は少なくなりますが、緩勾配のある土地に段差のある0.5~1アールくらいの水田が点在しており、それぞれ高低差があるので、農機具の出し入れも苦労が伴います。そうした不便を解消するのが土地改良事業、圃場整備事業ですが、我が家の周辺で今後それが行われる見込みはありませんし、現状で工夫していくしかありません。
現状で工夫、の一環が、フラットな位置関係にあるけれど、他家の水田なので別々に耕作していたものを、高齢化が進んで担い手が減ってきたため、単独の者が機械化を推し進めて耕作する、というものです。
実家の兄は、収入も得られるし地域維持に貢献できる、ということで、気軽に他家の水田耕作を引き受けているので、毎年、耕作場所が拡大しており、苦労もありますが、年々、合理化も進めているので、その様子を見守る楽しみもあります(^^)vまたいろいろご報告しますし、写真趣味の撮影ポイントのようなもの発見できたらそれも愉しいですね。ケリに会いたいと言いにケリ、の図。
>kusanagiさん
里道水路は仕事上は悩みのタネ、ですが、地域においてもその維持、共有、供出にあたってトラブルが多発しています。ポピュラーなのは、「あの里道はもともと俺の土地だ」「あの人は里道を取り込んでまで耕作地を広げている」といったものです。前者の中には、戦前に先述の「上地」「官有成」などの寄付手続を経ている、本当に「もともとは我が家の土地」という例もあります。
後者は、「他者が通行できるスペースは確保したうえで耕作上の都合から取り込んでいるだけで、不当占有しているつもりはない」という抗弁も耳にします。また、市町村が行った地籍調査事業の結果、もともと存在していた里道水路がすべて消失した例もあります。
さらには、道路や河川の区域に含まれる里道水路は、原則はその道路、河川を管理する行政の管轄に属しますが、特に河川は旧河道などで河川であることが形骸化した箇所に里道水路が含まれる場合、河川管理者と地元市町村が「ネガティブな縄張り争い」をしてしまい、里道水路の財産管理が宙に浮いているなど、トラブルのデパートになっているのが面白くもあり関わるとなるとつらいところです。
今日も元気に時間切れ、の図。
あ、「棚田は人工物」は、このように、人々が何らかの反応を示すフレーズなので、使ってみてください。棚田は「耕作者がつくったピラミッド」という感想もあれば、「人工物の写らない〇〇棚田が特に好み」などという感想も見聞きします。シュシュ雑多な思惑を楽しむのも写真評論というものであり(略)