メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/256sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.42MB) |
撮影日時 | 2023-06-05 02:01:51 +0900 |
極まれにですが、中古でレンズを購入して、この胴体の文字が擦れてしまっている物があります。
確かによく使われているレンズではあるんですが、文字が消えるほどの摺れはあるものの、レンズ
自体にはさほどの劣化は見られません。
これはどういうことなのかと誰もが不思議に思われるのですが、私の達した結論とはこういうものです。
つまり、とりわけ左利きの人間がレンズ鏡胴を常に持って撮影に及んでいるということです。
普通は右手でカメラのグリップを持つわけですけど左手も強い場合は、レンズを左手で鷲掴みをする
のではないかということです。
それで試しに左手でカメラのレンズを持ちますと、消えている字の部分がちょうど指と合います。
カメラを常に手に持ったまま撮影に及ぶというのは、それは私と同じですが、私の場合はやはり右手
でカメラ自体を持つ時間が長いです。そして疲れれば左手でも持つわけですが、その場合にレンズ
ではなく、バッテリーグリップを装着していますからそこを持つわけです。レンズ自体を掴むこともあり
ますけどそんなに長時間は持ちません。
ともあれ不思議なレンズもあるものだということですね。そういうレンズは使う頻度が高い標準ズームに
多いです。また標準ズームレンズは掴むにはちょうどよい大きさです。
こういう話をするのは、私と同様に撮影の歩き中、ずっと手に持ったままのカメラマンが、私以外にも
いるということ。それを現物でもって知ったということですね。
左利きの人でなくとも長く右手でカメラを持つことは難しいですから、左手でも持ちたくなる。私はそう
いう場合を想定してカメラには必ずグリップを追加しているのですが、グリップを着けていない場合は
必然的にレンズ部を持つことになるのか、ということでしょう。
写真撮影は、歩くという以前に、まずカメラを持つ、ということから始ります。そしてカメラを持つという
こと自体で、数あるカメラの中で最も持つ事にこだわったカメラが光学一眼レフです。
どのデジイチも立派なグリップをもっているのですが、それはカメラの中では一番重いからですね。
小型のカメラの中にはグリップ部がないカメラもあります。そういうカメラは手に持つという実用性では
なくて、ファッショナブルに机に置いた状態のスタイルを重視するからでしょうか。M型ライカなどの
スタイルはそうです。しかし結構重いカメラなので後付けグリップを着けている人は多いです。
カメラにグリップ部が大きく出来始めたのはカメラが大型化したAF一眼レフカメラからです。それ以前の
一眼レフは小型でしたのでグリップ部はなかったですから。
この大きなグリップによって、撮影の瞬間だけでなくそれ以外の歩きの時でもカメラを手に持ったまま、
ということが可能になりました。それでも最も撮影しやすいカメラはデジイチとなったわけです。
それを受け継いだミラーレスカメラにも当然に立派なグリップがありますね。デザイナーはこのグリップ
を取り除きたいという気持ちがあるようですが、現実にはユーザーの要望により、立派なグリップが
無くなることはありません。ミラーレスのソニーアルファも当初のモデルは控え目なグリップでしたが
次第に立派なグリップになっています。
カメラの中には縦横の両方のグリップが最初から備わっているモデルがあります。プロ機と言われる
カメラですが、やはり長時間左手でカメラを持つには、後付けグリップのタイプがよろしいようです。
確実に左手の指でカメラを持つことが可能です。そうは言っても後付けなのでネジが緩むことがまま
あり注意が必要です。
グリップと並んでカメラに大事なのは、ストラップなんですね。私も常にカメラを手に持ったまま、という
ことはなくて両手を使いたい場合はカメラを肩に掛けます。ストラップは無くてはならないものです。
しかし常はストラップはブラブラしていますので邪魔だってことになるわけですが、実はこのブラブラの
ストラップが、私はカメラを持っていますよっていう他人の目には無言のしるしになるんですね。無用な
時が多いのたけどやはり意味があるということ。
私はストラップは短くしています。長いと何かに引っかかってしまいますので。それでカメラを落とした
こともあります。
アクセサリーとして後付けグリップ、そしてストラップを書きましたが、もうひとつ大事なのがレンズの
フードです。私はフードを必ず着けます。フードの意味は余計な光を除くことですが、他にも・・・
人混みの込み入った場合には、フードが緩衝材になって他者を傷つけることを防ぐ役割。そしてショット
時に自分の指が写り込むことを防ぐという役目も。
そしてストラップと同様に、カメラを大きく見せられるので、私はカメラをもっていますよというシグナル
にもなるのです。ですから逆付けしたままのフードではいけません。
こういう具合に所持しているカメラを大きく見せることが大事となります。小型カメラで盗み撮りなんかは
しませんよっていう意味を持たせられるからです。100メートル先からでもカメラを持った人が来るのが
分かるっていうのが、私のカメラの使い方です。
それは何よりも自分の写真趣味に自信を持っているからだろうと言えます。卑屈な写真は撮らないと
いうことです。自らが発起してカメラを持ち、そして写真を撮る。撮った写真はたまにネットに投稿もする。
卑屈な心などは何一つないということを、カメラの大きさで示していこうということですかね。
というのはまるで大げさですけど、最近は写真をするのに自信がないなあっていう人が多いのですかね。
どうもそんな気がしてます。自信はないけどプライドだけと多分にある?という人もいそうです。
そういう人にとっておきのやり方が、カメラを常に手に持ったままで、そしてカメラ自体も大きく見せる
ということなんだと私は考えています。そうすることで逃げも隠れもできませんよねって。コバンザメの
ような卑屈なこともしないですむわけです。
私はコンデジですら自作グリップと自作フードでデジイチ並みの大きさのカメラにして撮っています。
写真というのは、物事を生産するということでは大いに意味があります。消費ではなく生産です。
生産活動として写真を捉えると、まずは初期投資として中古でいいからカメラとレンズを買う。パソコン
も必要ですね。中古で十分。スマホだけでは写真はできません。写真を投稿しようと思えばネット環境も
必要ですが、スマホを持っているのならそのネットインフラを利用することも可能です。
そういう最低限の環境からでも写真はできます。カメラひとつにレンズ1本からで撮影はでき、PCで現像
もできます。アプリも必要ですがまがい物で十分。
写真を撮り画像を編集することは写真というモノの生産を開始することです。それは誰の写真でもなく
撮影をしたものの生産物です。そのモノが売れる(人気がある)かとうかは関係ないです。自分で写真
というものを作ったということ自体が大切であって、また、ネットに上げればきっとどこかの誰かがコメント
をくれるでしょう。
とにかく自分で撮影から投稿までやってみる。それが大事です。
写真というものはそういうものなんです。