SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

四国山塊

四国山塊

●写真はいつもの夕暮れ写真です。でも海べの夕暮れではなくて、 四国の真ん中、四国山地の吉野川上流、その早明浦ダム湖の夕暮れです。 山が高いので夕日が何ともせせこましくなるのです。(^^; 海の広さに慣れた身には、やや息苦しい感じなのですが、やはり 夕日と水辺の組み合わせは私の好みです。 ●クワトロが試作段階の時、旧モデルに比べてかなり大きくなることが 判明したそうです。開発者はこのままでは売れない、どうしようという ことになり、最後は社長判断で、大きいままでいいから画質を落とさ ないようにということで、今の大き目のdp2Qになったようです。 確かに小さいほうが数売れるのは確かです。ソニーなんかをみれば よく分かりますね。小さくするのがソニーの、日本人のやり方ですから。 しかしシグマはそうはしなかった。 dp2Mに比して、dp2Qはかなりに横長となって、たぶんカメラバックの 中では無視できないスペースを要求するだろうと思います。 dp2Qの実売価格10万円というのは、カメラ好きの人ならば問題ない 価格だろうと思います。もう2万円くらい高くても売れ行きには関係ない とすら思います。 しかしコンデジなのにカメラが大きいことは、かなり新規ユーザー (シグマファン以外のユーザー)を限定させてくることになるわけです。 シグマファンであっても、メリルなら2台買っていた人が今度は1台で 済ますようになるかも知れない。 シグマは数売れることを経営上の主眼とはしなかった。ということです。 製品というのは製造の問題もありますから、想像以上に売れすぎる ことも問題であるわけで、売れすぎず売れなさすぎずで、計画どおりに 進むのが一番なんですが、それはなかなか難しいんですね。 注文が殺到して製造が間に合わなければ、ユーザーを待たせればいい んです。しかし思ったより売れなければ、これは苦しいなあ、となる。(^^; 実売10万円を切る価格設定は、少しばかりオーダーを抱えるくらいの 製造計画で出した数字だろうと思います。 dp2Qはどんな使い勝手なのだろうか。出してくる絵はどうなんだろうか。 実際にユーザーがdp2Qを手にして使ってみて満足しうるかどうか。 ひとえに全てはそれにかかっていると言えます。 そこらあたりは、シグマは圧倒的な自信を持っていると思います。 初期ロットを買えば多少の製造上のカメラ部分の不具合は個体として 出てくるかも知れないけれど、それはどのカメラにはあり得ることです。 シグマの良い所は、設計原理に忠実であってアクロバテックなことは 一切しないということ。それで大き目になったとしてもそのままユーザー に提供するということ。 これはユーザー側としては有難いことなんです。レガシーな技術で 作られたものは長持ちするからです。センサー以外は全てオーソドックス で作られて良いのだということです。 dp2Qは、シグマが最初にリリースしたSD9以後初めての革新的テクノロジー を使ったカメラだと言えます。無論そのセンサーのことを言っているわけ ですね。 SD9からSD1Mまでは加算的に技術向上しただけですが、クワトロは、 これ以降ジャンブするための革新的テクノロジーとなるわけです。 この新技術でもって、シグマのカメラの未来はかなり開けました。 フルサイズどころか中判フォーマットのカメラを出せるようになるという ことですから。 シグマはdp2Qは敢えて小さくすることにこだわらなかった。その意味は 将来的にはレンズシャッター方式の中判dpQをリリースする覚悟であるの だと、そういう風に私は捉えています。 そういう方向にシグマは行くんだということですね。 ちなみに中判カメラは、今現在すべてレンズ交換式の光学一眼レフの 重量級タイプばかりです。フィルム時代は中判カメラは薄型タイプのレンズ シャッター方式のカメラがけっこうありました。 シグマがこの未開地のカメラゾーンに行けば競争者がいないということで 一人勝ちできる可能性があります。 さぁて、シグマ製のマミヤ7の再来を期待したいところです。 ●dp2Qの奇天烈なスタイルには、バッテリーからの発熱を避けたいという ところがあるようです。それでセンサーやメインロジックからバッテリーを 物理的に離せば、ああいうスタイルになるということらしいです。 なーるほど。そうなると普通のデジイチも、外部にバッテリーグリップとして カメラ内部にバッテリーを搭載しないのは理にかなっているということ になります。 SD1Mボディからバッテリーを抜き、代わりにバッテリーグップの連結部分を 差し込むのだけど、その無駄なスペースには、熱力学的にも大いに意味が あったのだということになる。(^^;

瀬戸の内海

瀬戸の内海

誤作動で日中ISO1600で撮影すると、こうなるという見本。(^^; SD1MのQSボタンと、その下にある十字ボタンの上側を同時に 押すと(親指ひとつで簡単に押せる)、スロットマシーンの ようにISO感度が目まぐるしく作動し、離せば任意の数値に 自動固定される。むろん本人の意思とは関係なく。(笑) シグマのカメラ設計のエンジニアには長期テストスタッフが いないのだろうと思う。普通はQSボタンを押して設定を変え るとき、最後はOKボタンで、この設定でよろしいですか?と 確定を要求するようになっているのだが、他のメーカーでは そうでも、シグマはそうはしていない。 他にもいっぱい使いにくいところが満載で、ダイヤルは軽す ぎるし、ロック操作が無いわで、誤動作はもう何度も経験して います。 こういうのはユーザーインターフィスの設計デザイン部門だと 思うのだけど、液晶メニューの使い難くさも合わせて、どうも 設計者は今どきのスマホ感覚でカメラを作っているような気が するのです。 カメラは写真を撮る道具であり、なによりも確実な動作が 求められるのですが、ただ操作を速くするのが正義のネット やメールを閲覧するスマホやモバイルとは根本的に違うと 思うのだけど。 こういうユーザーインターフェイスはやはり歴史のあるニコン やキヤノンが圧倒的に優れていて、見やすさも、誤作動も 起こし難さの点からも優れています。 どうもシグマはそれらの主流からガラパゴス的に離れていて、 設計者の単純な思い込みで作っているのじゃないかと思う。 これはシグマカメラの決定的な悪い点だ。

瀬戸の内海

瀬戸の内海

愛媛、四国中央市。昔で言えば川之江市だ。製紙工場の町。 この工場群は、もともと川之江市が面積的に狭いこともあり、工場 の中まで公道が走っているということで、工場撮影がし易いのです。 この写真の設備は新しいけど、古い昔からある市街地にある工場も いまだ稼働していて、工員さんの顔が見えるほどに接近して撮影する ことができます。 川之江の製紙産業の歴史は古くて、昔は和紙だったけれどその 伝統が現在の最新工場設備にまで繋がっていることを思うと、何事 にも伝統の継承は大事だなって思います。 香川だと塩田や綿花生産の伝統が臨海工場群の基礎にあるんだし、 徳島だと藍の生産だったりする。愛媛の別子銅山は江戸時代から あるわけだし。 明治の産業革命は江戸時代とは断絶していると思っている人が多い のだけど、そんなことはなくてむしろ江戸時代初期から日本の近代 産業は始まっていたのだと思います。 幕末明治から西洋近代産業の技術を取り入れて、益々発展したという べきです。最初は、石炭の利用と蒸気機関ですかね。 それまでは薪炭や水車がエネルギーの全てだったことを思うと明治 以降はスケールが大きくなりました。 江戸末期には、薪炭と肥料の採集から、日本の里山は丸裸っていう 状態でしたからね。 嬉しいことに当時、国内で石炭があることが分かり、明治から昭和の 戦後くらいまで、エネルギーの主力は国内産石炭が担っていたんです。 国内産の自前エネルギーとしての石炭。 余談を言うと、国が豊かになり人口が増えるのは食料とエネルギーが 自前で生産できるかどうか。さらにそれを産業として発展させて いけるかどうかにかかっていると考えています。 日本の人口が減少に転じたのは、つまり出生率が低下したのは実に 簡単な理由からでして、それは原油の価格が高騰してからです。 戦後も石炭で日本は頑張りましたが、やがてエネルギー事情は石油 に転換されました。当時は石油が安かったんですね。第二次大戦後、 中東の巨大油田が開発され、それが世界のエネルギー事情を大きく 変えました。 しかし、1970年代からオイルショックが始まり、原油価格が高騰し始め、 その原油価格曲線を反比例してなぞうように、国民の実質所得は低下 して行きました。日本国民は貧乏になっていったのですね。 まあ、その分、かの産油国では人口の増加がはじまりました。日本の 人口は減り、かたや産油国が豊かになるという具合です。 日本は海外から高い石油やガスなどエネルギーを輸入し、その為に 使うお金は膨大なものです。 日本人は朝から晩までくたくたになるまで働いて、女性も仕事を持ち、 多くの国民は子どもを産み育てる余裕も失いました。これで人口が減らない わけがありませんね。 別に若い人達の意識が変わったわけでもなく、政府の政策が間違って いたというのでもなく、ただ単に国民が貧乏になったから、結果として 少子化になっただけです。少子化は当然ながら、将来的に国力を大きく 削ぐことになります。 逆に中東などの産油国は豊かになり、若い人も多いから元気いっぱい で朝から晩まで戦争ばかりしていますよね。(^^; 膨大な石油やガスの代金が無駄に使われているだけでなく、その 地域全体が安定しないから、平和を維持するために先進国の軍隊が 出かけていかなければならなくなる。平和維持軍ということで、そのうち 日本の自衛隊も兵力を出さなくてはならなくなるでしょう。 中東だけでなくアフリカもそうです。石油が出てお金が入ると決まって 内乱になる。それがアフリカなんだということで、もううんざりですね。 しかし日本の国民が生きていくためには、エネルギーばどうしても必要で、 むろん食料もそうですが、そもそもエネルギーがなければ食料も生産 できませんし、詰まるところ、文明はエネルギーと水資源がものを言うの です。 幸い日本は有難いことに水資源は豊富で、気温も日光も空気も十分なの ですが、唯一、エネルギーだけがネックになっているんです。 今流行の風力や太陽光などは、エネルギー密度が低くて大規模にやって いけるものじゃありません。あくまでも補完的な意味合いしかなさそうです。 原子力は高密度な電力エネルギーを産みますからよいのですが、まかり 間違うと大切な国土と国民の健康を奪います。ますます出生率が落ち込み かねない。難問の核廃棄物の処理問題もあります。 じゃあどうすればよいのか。いや、もうどうしようもないというのが実情です。(^^; とにかく、もう豊富で安価なエネルギーを輸入して国民全体がやっていける ような時代ではなくなったということです。 石炭の時代がもっともっと長く続いていれば、国内炭を使える日本は これほどにエネルギーに神経質にならなくてもすんだかもしれのせん。 しかし太平洋戦争の主因のひとつとして米国からの石油禁輸が挙げら れるように、あの頃から時代は石油エネルギーへと転換されていったの ですね。 とくに軍事部門では石油がなければ軍艦も飛行機も戦車も動かせませんから。 とはいえ日本国内の石炭資源は貧弱で既に枯渇しています。しかし今も なお石炭はエネルギーの柱であって、ドイツも中国も、電力の主なエネルギー は石炭火力発電でまかなっています。 国内に豊富な資源があるからこそ、その国の経済発展ができるのですね。 エネルギーはこの文明にとってもっとも重要であり、それによって国民は 豊かにもなり国力も増すということです。 若い人は将来に敏感です。大卒者の人気企業は大企業一辺倒で、それは グローバル企業そのものであり、海外に多くの工場や資産を抱えています。 たとえ日本国内が疲弊しようとも、そのグローバル大企業の一員でさえ あれば大丈夫だろうと彼らは踏んでいるでしょう。 国内の中小企業や、ましてや製造業などは若い有望な学生には見向きも されなくなっています。その現実が、日本の将来を暗示しているかのよう ですね。 人間の身体原理が、肉体と平易だけど強固な基礎学力でもって出来上がって いるように、国家も、国土と資源、及びその上に乗っかる国民の資質に よって出来上がっていると思います。 日本がこれから食って行こうとしている高度な先端技術などというのは、 結局は国民の基礎的資質が土台になっているわけであり、一部のエリート と大企業の研究室だけで出来上がっているものではありません。 日本が飯の種としている技術力など、いづれジリ貧になるのは明らかです。 グローバル企業、昔はアメリカではエンタープライズと言いましたっけ、 そういうのも結局は、母体の出身国家の制約から抜け出すことは出来ま せんね。かつてのアメリカ企業がそうでしたから。 日本の国力が落ち込めば、日本の大企業もそのうち存在感を失っていくで しょう。 国産自前のエネルギー。ほんの少し前まで、日本はエネルギーは原子力 でやっていく。プルトニウムサイクルでもって、それを国産エネルギーとして いくという遠望な計画と決意がありました。 それが今現在は破綻しています。破綻というか停滞ですかね。 この地球的エネルギー事情の観点から言えば、日本が、いや人類がそもそも 原子力エネルギーを手放すことはありえないだろうと私は考えています。 いづれはウランプルトニウムサイクルが復活する日が来るだろうと踏んで います。 今の日本人はまだ窮していません。とくに御年輩は安楽にやっているじゃ ないですか。(^^; しかしこれからの若い人はそうではなくほんとうに切羽 詰まってくるわけです。 少子化や仕事や生活のことだけでなく、国防の観点からも危うくなって きます。ちょうど幕末の時ように、とことん行き詰まったと国民が危機感を 抱いた時に、その時にやっと新しい時代が始まるだろうと思っています。 その時の切り札は、やはりプルトニウムしかないだろうと思っています。

二歩写真

二歩写真

stoneさん、そうですか、あれはヒメアカタテハだったのですね。(^^; そういえば、シジミチョウは止まっているときに羽を閉じていますが あの蝶は半開きでした。それに顔つきが違っていて、シジミチョウ って可愛らしい姿をしていますものね。 それで、こちらの写真はシジミチョウ、ベニシジミのようです。 あまり近寄れなかった(カメラの最短距離が長い)ので小さくしか 写りませんでした。 それにしても不思議なのは、昆虫に限らず、体の色や模様はいったい 誰がどのようにして決めるのでしょうか? それが不思議でしようが ないのですね。(^^; とくに奇妙なのは、擬態というやつです。周辺環境の木の葉などに そっくりに真似てしまう。 この擬態の目的ははっきりしていますね。しかしそのメカニズムが 知りたいと思います。体そのものがコピー機なのかと思うほど。(^^; 蝶の羽の中の丸模様は、鳥(昆虫の捕食者)の目玉を彷彿とさせますが、 もしそうだとすると、蝶を食らう昆虫や鳥が避けるような模様を、誰が 発見し、意味付け、形態を認識しながら、体表に形作るということが できたというのか。 ダーウィン進化論の信奉者は、このような疑問をスッパリと切り捨てますが、 あの一顧だにしない非科学的な思考回路には私はついていけない。

無題

無題

http://photoxp.jp/pictures/141959 調布のみ氏の「風景板」でのお写真です。 カメラの話しは風景板にはそぐわないだろうと思い、この場を借りて 続き話としましょう。 写真の画質は、レンズ→センサー→映像エンジンと光が電子化され 絵となって行くのだろうと思います。それで一般の方がもっとも注意を 払わないのが映像エンジンではなかろうかと想像しています。 映像エンジンは、カメラ内処理とRAW処理の2段階に分かれているの だろうと推察しますが、映像エンジンとはともかく地味でその効果が分かり にくく、それでメーカー自身もいい加減になる傾向があるようです。 しかし本当にその写真の絵が煮詰められているかどうか、それはやはり 最終段階てある映像エンジンの良し悪し、手抜きをしていない真面目さ がそれを決めてしまうというところがあるように思います。 シグマの話しをすれば、この映像エンジンは手を抜いていないという 気がしています。とくにSD1Mはそうで、シグマは全力を出しきっていると いう気がしています。 ついでに言うと、DP1Mはちょっと映像エンジンを手抜きをしている。 しかしその分は、高速度の映像処理となってユーザーに恩恵を与えて いるのだから、別バージョンということで問題はないと思います。 ちなみに、SD1MのロジックボードをDP1Mのそれに交換した高速処理 タイプのSD1Mが出ても、十分に許されるのではないかと思っています。 SD1Mライト、とでも名づけてリリースすれば、私は2台目のSD1Mとして 購入するだろうと思います。 話が脱線しました。 とにかく映像エンジンというのは地味で、メーカーエンジニアの努力の 割には、ユーザーに認めてもらえないところがありそうです。SD1MとDP1M の絵の違いが分かる人など、たぶんシグマユーザーでもほんの一部の人 だけしか判別できていないだろうと思っていますし。 そして、オリンパスというメーカーも、この地味な映像エンジンというもの を以前から確りと地道にやっているメーカーだということなのでしょう。 何処かのサイトで、オリンパスのエンジニアがソニー製のセンサーを使った M5を開発した時、その映像エンジンの開発は楽だったと語っていたという ことを聞いたことがあります。 それまで使っていたパナソニック製センサーでは苦労したという意味でも あるでしょうし、同時にソニー製センサーの映像エンジンは容易かったと いう意味でもあるのかも知れません。 センサーから出てくる信号がリアルに多ければ映像エンジンの開発は苦労 を極めるだろうし、センサーから出てくる信号が限定され限られたものだと すると映像エンジンの設計は楽になるだろうということ。 だぶん前者がパナソニックセンサーで後者がソニーセンサーだったのかも しれません。憶測でモノを言うのはまずいのでこれ以上は言いませんが、 とにかく、オリンパスはM5のソニー製センサーをM1で再び捨てたとすると、 そのことは何を意味するのだろうかということです。 ニコンの最高のセンサーはD4やDfのセンサーとメーカー自身も認めている ようですが、これはソニー製ではなくニコン製です。設計はニコンで、製造を しているのはルネサスでしょうか。そのセンサーに付けられている映像エンジン もニコン渾身の作であると言えそうです。 けっこう、ソニー製センサーは、カメラメーカーから、今となっては飽きられて いるのかも知れません。 センサー製造も、映像エンジン開発も、要はメーカーの絵作りの思想という ものが根本にあると思っています。 センサーを自社開発していないカメラメーカーは映像エンジンだけで勝負を しなければならない。センサーもエンジンも2つとも自社開発・製造できる メーカーもあるし、その両者とも外部調達しなければならないカメラメーカー もあると思います。それぞれ各社ともに事情があるんですね。 そういえばRAWソフトの外注は多くなりましたしねえ。 一般的には、絵作りの重要度としてユーザーが認めているのは、レンズが 1番、ついでセンサーとなり、映像エンジンなどは忘れられているのでしょうが、 本当に大切にしなければならないのは、映像エンジンだろうと私は考えて います。 また映像エンジンは、JPEG撮影にもモノを言います。JPEG撮影が綺麗にでる のは、オリンパスがそうでしょうし富士もそうでしょう。JPEG撮影エンジンに 手を抜いていないというのは評価できることです。 なお、シグマはJPEGには力を入れていない。RAW専用機というスタンスは 昔からの伝統のようなものです。JPEGにまで行く余裕がないわけです。 ステッチング写真のソフトも実は映像エンジンのひとつだろうと言えます。 古い数百万画素のカメラを使って、最新の2000万画素カメラより格段上質の 画像を得ることが出来る。素晴らしい映像エンジンだということです。 写真は撮影者の思い込みのあるところが多いジャンルですね。 私はこうこういうことで撮影しているのだから、その写真を鑑賞するものも こうこういう観点から正しく評価してもらわないと・・・ ということになりがちなのですが、それは勿論まちがっています。 鑑賞者は観るものの立場で自由に見て感じて構わないのですから。 それで撮影者の意図が正しく伝わるのは、画質だけだと言っても過言では ありません。写真の要素の中の画質だけは、よっぽど目の悪い人以外は 正しく伝わる数少ない要素なんです。それゆえに、画質は大切にしたいと 思っています。

散歩写真

散歩写真

香川によくある平野部の溜池です。面積は広いのですが水深は浅くて 貯水量としては効率が悪いのです。通称、皿池(さらいけ)といいます。 これはその池の排出口の設備ですね。花崗岩で作られていますが、 むろん古い設備で今は使われていないでしょう。現在使っているのは 左側の青い金属製バルブ型のやつですね。 背後に見えるムスビ形の山は飯野山。標高400メートルですが富士山型 の形をしています。しかしコニーデ火山ではなく、古い火山口の跡とでも 言うべきもので、周囲の柔かい部分が削れて、自然とこの形になったそう です。 つまり大昔は讃岐平野は標高400-600メートルの平らな台地だったので すが、火山活動によりところどころに小さな火山の噴出口が出来たのでした。 それは山とは言えないほどのものでしたが、その後の地質学的時間の 侵食作用によって・・・噴出口の部分は硬い岩石であり、その他の部分は 柔らかい深成岩の花崗岩でしたから・・・その柔らかい花崗岩の部分だけが 侵食によって削れて無くなってしまったのですね。結果として硬い岩石の 部分が山頂となったのです。 それで現在は、山頂部は硬い玄武岩や安山岩で覆われ、麓は柔らかい 花崗岩となっています。数千年後にはさらに侵食で削れて、ちょうど中国 の桂林のような凸型の山になるだろうと言われています。

untitled

untitled

シグマDP1メリル。2日ほど使ってみましたが、軽快に撮影ができ、 カードへの書き込みというか、それ以前のカメラ内画像処理自体が SD1Mに比べてかなり速いようです。 8GBカードど入れると、バッテリーもちょうどなくなるという感じで、 バッテリーは2個付属していましたので、16GBが撮れるという具合 です。なおカメラ設定は、10秒でモニター消失、撮影後確認なしの エコモード設定です。 連続して撮影すると、カメラボディは季節柄もか、かなり発熱しますが、 それで熱暴走するということはなかったです。 カメラは中古ですが、パーツ欠品などがあり無使用品がカメラ店の 事情で中古となったと思われます。ボディ自体は新品と同じです。 撮影自体がスピーディですし、ピントも速くしかも正確です。露出も 揃っていますし、色というかWBもそう。とにかく非常に軽快にストレス なく撮影に望めるので、とりたてて不満は感じられません。 ただ、背面モニターはどのカメラも同じですが日中の日差しの強い時は ほとんど役に立たず、事実上のノーファインダー撮影を強いられます。 これは仕方がないことなのでDPだけの欠点とは言えません。 画質は、あっさりというか、SDと一般のカメラの中間の位置にいるように 思います。つまりSDのように、持てる色域の全域を使っての表現では なく、ベイヤーカメラのように必要な部分だけを抽出して、カメラ内処理 を速めているという感じがします。 またそうするとカメラ内画像処理も楽であり、それでDP1Mの露出も色も 揃っているな、ということになっているものと思われます。 しかしベイヤーカメラと決定的に違うのはピクセル等倍時のシャープさ です。これは軽快なDP1Mと言えどもSD1Mのような実在感のある絵に なってくるわけです。 また、レンズの性能、その解像感という点に於いては、SD1MはDP1Mに 勝てません。さらにDPはレンズシャッターなので手ブレに強いです。 低速度シャッターを使っても手ブレを起こしにくいですね。 SD1Mが使い難いという方には、このDP1Mはお勧めですね。フォビオン 素子とベイヤー素子の長所を相持っているというイメージです。 ただシグマの本当の凄さというのは、これはやっぱりSD1Mでなければ 出てこないものがあるということです。その違いは残念ながらネット画像 では伝えにくいものがあるのです。 SD1Mの画像は、JPEGに落とした時点でもうアウトだなあって感じる ほどですから。 そういう意味では、これから出てくるDPクワトロ。このカメラもあくまでDP シリーズカメラであり、クワトロ技術の本当の凄さを知るにはSDクワトロ が出現するまでは正しく評価できないだろうということです。