SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

無題

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シグマSD1Mセンサーを語る時、ひとつ絶対に忘れてはいけないことが あるのだと思っています。 それはSD1Mというカメラは日中カメラ専用であり、絶対光量というもの を常に考慮していなければならないということなのです。 例えばSD10とかSD15などは、夕暮れや夜間の撮影でもオーケーなの ですが、SD9やSD1Mは日中の明るい光とか、たとえ夕日でも強い直射 がなければ、本来の性能を発揮できないということです。 ISO感度を下げて露光時間を多くとれば・・という考えはできないと思い ます。あくまでも絶対的な日中のスタンダードな露光が必要だということ。 ですから、冬場は日中でも光が弱くなります。そういうのも苦手。曇り空 もそう。SD1Mは春から秋にかけての日中の好天気の時に撮影するのが 一番であり、そういう場合にこそ本来の性能を十分に発揮するということ です。 次のマイナーチェンジ版のニューSD1Mは、そこのところを変えてくるだろう と私は予想しています。 つまりSD10や15のように、光量の多い日中だけでなく夕暮れや曇空でも 扱いやすく無難なカメラで仕上がってくるだろうということですね。(^^; こういうやり方はシグマの以前からの常套であって、DP1とDP1Xとの 違いもそうでした。 最初は過激に日中の撮影に限っての最高の画質を出すのですが、それ ではユーザーは扱い難かろうとして、次モデルでは柔らかく無難に仕上げ てくるんです。シグマって割りと分かりやすいカメラ会社でしょう。(^^; オリジナルモデルを最初に出して、次にソフトモデルを出すというやり方。 前者は撮影条件を選ぶし仕上がりは高コントラストです。そして後者は 撮影範囲が広くて無難にソフトになっています。たぶんDP1Mなんかも既に ソフト路線になっているんではありませんか。 そういう風に考えれば、シグマSDシリーズの初期オリジナルモデルって いうのは価値があるんです。扱いにくいカメラなんだけど、上手く行けば とんでもない絵が出てくるんですね。 でも考えてみれば他のメーカーでも事情はよく似たようなものなんですね。 最初のモデルは技術に忠実に、ある意味で過激なんですが、マイナー モデルは無難になりますから。つまり営業的に妥協してくるということ。 だから、エンジニアの声を聞きたければ初期モデルを使うのが一番なん でしょう。

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一耕人さん、ウォルターさん。あけましておめでとうございます。 私の歴史マニアではないのですが、東北の歴史はあまりにも知らなさすぎた というところがあり、これを機に少しは東北史を学んでみようと思ってます。 東北は、今回の原発事故でもそうですが、中央政権の犠牲になった歴史でも あるようです。 古くは蝦夷(エゾではなくエミシと読む)と言われ、アイヌの蝦夷(エゾ)とは違い、 民族的には同じ日本人であるわけですが、辺境故に中央から遠ざけられて きた長い歴史があります。 しかし、東北人の魂というのは、これは知ればしるほど、我々日本人の底流に 流れる基質そのものではないだろうかと強く私は思っています。 私が住む西日本というのは、昔から大陸や半島の影響を受けているんです。 それ故に先進的でもあるのですが、また常に時代の悪影響を受けるということ でも同様に言えるんですね。 日本に帰化した中国人政治評論家の石平(せき・へい)氏の、ごく最近の著作、 「なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか」は、評論家の域を超えた歴史 著でもあるようです。 日中が接近する時、それは一本板のシーソーのようにどちらかが上がれば 他方は下がる。日本にとって日中友好ほど不幸なことはない、そういう展開を 石平氏はなされています。 その大陸・半島と反対側にあったのが、どの時代の日本の歴史においても、 それは東北であったということです。大陸半島経営(進出)に失敗すればその 埋め合わせを、今度は東北の富で補おうとする歴史だったんですね。 まあ、権力者の歴史というものはそういうものです。しかしながら東北という 豊かな後背地があればこそ、日本は大陸半島に飲み込まれずにこれまでやって これたんですね。 もし日本列島が今の半分の長さしかなく、東北というものが存在していなかったら、 おそらく日本という文明は歴史的に存在できず、中華文明の東端としての役割 しかできなかったろうと思います。(今の韓国のように) 日本が日本であり独自の国家と文明を長く築き上げてこれたのは、まさしく東北 という豊かな大地があったればこそでしょう。 それゆえに、東北とは日本人の故郷であり心の拠り所としての役割を保ち続け、 これからもそうであるということなのです。