シグマ dp2 Quattro 作例

2014年2月13日発売

dp2 Quattroの仕様

dp2 Quattroは、2014年6月に発売された45mm相当の単焦点レンズを持つAPS-Cカメラである。新世代Foveonセンサーは、3層の画素密度を変えることでデータ量を抑えながら解像度を高めた。一方、横長で後方にグリップが張り出すボディには、増大した処理回路と熱源、大容量電池を配置し、画質を優先する設計判断が表れている。

シリーズ
dp Quattro
位置付け
新世代Foveonを最初に採用した45mm相当のレンズ固定式APS-C機
先代
DP2 Merrill
ライバル
GR X100S

dp2 Quattroについて詳しく読む

投稿写真 300枚

HAIKU

HAIKU

こちら、最近は写真を撮っても、もう撮りっぱなしになってしまって、いちいち 写真画像をバソコンで見直すことが面倒くさくなっています。 パソコンの前に座るのはメディアからデータを移行するときだけって具合で。(^^; もっとも私の場合は、もともとが撮りっぱなしでやっていたので、元に戻っていく なんですけどね。 写真撮影と、その後工程の写真処理(raw現像から、写真の閲覧と選択、 そして画像調製等)というのは、撮影とはぜんぜん別の世界と言ってよいわけで、 私はそれが大の苦手です。何よりも時間がもったいないという気もするし。 写真の撮影はやはり楽しいですね。昔とは撮影の仕方とか撮影対象は随分と 変わってしまったのですが、撮影の楽しさだけは相変わらず変わりません。 やっぱり、写真は撮影が第一だと思ってます。 撮影だけできれば私は満足で、後で自分の写真を見て、どうのこうのという趣味 はむかしからありません。 最近は県外の撮影が多くなりました。本音を言うと撮影というより、単純にいろんな ところを見てみたいというだけなんですが、写真はついでに、といったところです。 写真はその記録でしかないので、いい加減な撮影しかしていないのです。 自分の撮った写真を見て、自分の記憶にある自然のダイナミックな空間が全然 撮れていなくてがっかりすることが多いですね。写真の限界を感じてしまって、 写真というのは、所詮は偽物というか、代用食という気がしています。 とは言え、人様にこうこういう風景を見たよって伝えるには写真は手っ取り早い 手段なのは事実です。 ところで自分の見た光景を写真ではなく、それを俳句で表現することも可能です。 新聞でスウェーデンのHAIKU会の記事が載っていましたが、写生句に徹すると 書かれていました。日本の現代俳句は自らの心象風景とか心の動きなどを詠みこむ のが普通ですが、スゥエーデンの場合は自然の描写に徹するということらしいです。 古典的な読み手の感情を抑制した叙景をストレートに詠むということでしょうか。 朝もやに 島々をなす 森の頂(いただき) 刑務所の跡 壁を登りつぬ 野バラかな 夕なずむ湖 魚を叩く(はたく) かもめ口(くち) 飛行機の音 空は冴えて 靴を履かぬ児ら 俳句というのは、パッと詠んで、それで終わりです。推敲というのはありますが、 もう口に出して詠んでしまえばお終いというわけです。この潔さは写真の撮影にも 通じるものがあります。 写真撮影は歩くということと同義だと考えているのですが、こちら最近は遠隔地 への撮影が多くなり、車の移動に時間が取られてしまって、歩きの時間が不足 しているなあと感じています。 時間は限定なので、出来る限り現地で自分の脚で歩きたいと願っているのですが 難しいところがあります。 撮影地は出来る限り、観光地ではない、人のいないところを目指しています。 人の集まるところでの撮影は、どうしても観光写真になってしまい面白くあり ません。むしろ人がいるところでは、その人々を撮れば面白いでしょう。 フォトXP掲示板の写真には、撮影時のエピソードが欲しい、それを読みたいと いうところがあります。写真の画像としての評価などは、もう皆ベテランなので 語られても白々しいところがあります。 それよりも苦労話や楽しい思い出を知りたいですね。 この掲示板、数多くの掲示板がありそうですが、そのほとんどはメーカー別カメラ板 なので、カメラ機種に拘らない自由な掲示板は少ないのです。 このメーカー別掲示板のやり方は、もう既に古くなっていると感じています。 それにカメラ機種別で探そうと思えばすぐにできるシステムになっていますので、 敢えて最初からメーカー別掲示板を謳う必要はないのではと思いますね。 個別掲示板の数は多ければ多いほど面白いかなって考えています。 いろはにほへと・・・と50板あっても良いし、さらに投稿時にカテゴリーを自己申請 するという方法もあります。そのカテゴリー分類とは、花、動物、自然、乗り物、 建築とか、諸々の分類ですね。 とは言え、根本的な改革は難しく、とりあえずはメーカー別ではない投稿板を 泥縄式に増やすだけでもよいかなって思ってます。 とは言え、ただで利用させてもらっている身には何も出来ませんが。 このアサガオの写真は、ピカサ・ソフトでスポット的に色を残しました。 少しでも色があればそれは黒白写真とはなりません。カラー写真の部類になって しまうのですが、まあこういう小手先で楽しむのもアリかなって思います。

紀の川

紀の川

センサー受光部分の増幅装置はマイクロプリズムとかですね。裏面照射型も そういうたぐいでしょう。 光を電荷に転換した後は、電気ですからオーディオとかと同じだろうと思います。 技術は基本に忠実というのが一番ラクです。アドバンテージがありますから。 車だって排気量が大きいのが絶対的に有利ですからね。 マイクロプリズムといえば、シグマSD9はそれすらもなかったのです。センサーピッチ、 つまりセンサー1画素が大きかったからです。テクノロジーというのは色々と付加物 をつけていくと次第に無理が出できて不自然になります。自然じゃなくなってくるん でしょうよ。 エプソンRD1はソニーとニコンが開発したCCDを搭載しています。 APS-Cサイズ600万画素。 これを同社は、ニコンですが、他のメーカーにも売ってよいとソニーに言ったわけですね。 それで、キヤノン以外の大体のメーカーはそのCCDを採用したカメラを発売しました。 あのCCDは、ライバルがフィルムだったんです。今じゃ考えられませんが。 オリンパスE-1は、ソニー製CCDじゃなく、コダックのフルフレームCCDを採用しました。 フルフレームというのはフルサイズの意味じゃなく、CCDの種類です。 フレームトランスファー型CCDというべきですかね。普通のCCDに比べて開口部が 大きいので発色は豊かでした。 とにかく、昔のカメラは基本原理に忠実で万事、余裕がある設計をしていました。 いっぱい良いところがあったんですが、それを画素数競争ということで台無しにして しまったところがありますね。 プロの方はともかく、アマチュアがそんなに高画素カメラを欲しているとは思えません。 実際、高画素の威力を活かした撮影をしている人など少ないですね。 むしろ、失った部分が大きくて、それでアマチュア写真としては高画素ブームは 写真の劣化を招いてしまったといえなくはありません。 デジタルカメラが再び低画素に戻るということは普通では考えられません。 進化というのは一方方向なので、一旦高画素化すれば元には戻れないのです。 もう皆さん、低画素の昔のカメラは捨ててしまったでしょう。中古で探せば あるにしても、わさわざ買い直そうという人はいないですね。 それで、私は古い低画素カメラを捨てずに持っているんです。 いつかは低画素カメラを見直す時がやってくるだろう。当時からそう考えていた ところがあります。もちろん、これは個人的な意味での見直しなんですが。 しかし今の高画素カメラでも、ある程度は低画素で撮影することができるカメラも あります。低画素RAWとしたところで画質は良くなりませんが、確かに低画素で 撮影することは可能です。クロップ撮影などもそうですね。画素数が落ちますから。 こういう場合には、画質うんぬんではなくて、低画素という写真自体の意味を問う ということであると考えています。 そう、撮った写真をトリミングしても同じ効果がでてきますね。 低画素カメラというのは、たとえて言えばスピードのでない車です。最高速度も 低く加速も落ちる車ですね。そういう車の何が面白いのかと問わないでください。 とにかくそういう車は安全なのです。無謀な運転をすることがない。まずそういう 気にはならない。スピードがでないので運転も気楽。ゆっくりと走って風景を楽しむ ことができる。 しかもちゃんと目的地まで快適に行くことができる。それに何の不足がありますか。 ドイツ人と日本人は似たところがあります。良い工業製品を作ること。それと 世界の覇者にはなれない2流国であること。(^^;  もちろん一流国は米国とかイギリス。かつてはスペインとか。ソ連も一時は世界 の半分の覇者でした。 そういう政治的、軍事的一流国では、ドイツも日本もないということです。だからこそ 優れたモノ作りができるんじゃないでしょうか。 ドイツも日本も兵士は強いのですがトップが司令官がダメで凡庸で、それで戦争を すれば負けるんですね。ドイツとニッポン。立派な地域大国ではあるけれど世界の 覇者には向いていません。(^^; 写真は紀の川。 驚くほどに四国の吉野川に似ている。川が流れている方向は東西逆だけど。(^^; 紀の川は紀伊半島の巨大山塊と中央構造線の和泉山脈との間に流れる川。 吉野川は四国山地と讃岐山脈との間に流れる。 地形的成り立ちは同じで、紀の川の川沿いを走っていると、吉野川を走っている ような錯覚に何度も囚われました。 この写真。川は手前から向こうに流れているのだけど、吉野川だと逆になる。 夕日の撮影です。 こういう大きな風景の写真記録には高画素カメラは確かに向きます。あくまでも 記録という観点からの話ですよ。 (メリルだったらもっとシャープに写っていたでしょう) 大方のアマチュアは記録という写真を撮らなくなって久しい。証拠写真とか言って 逆に卑下したりする有様。 しかし写真とはもともと記録写真から始まっていたはずです。自分の目で見て、 さらに記録として撮っておきたいということで。それが何時の間にやら写真を撮る こと自体が目的となってしまった。それは本末転倒というものじゃないですか。

石鎚 雪

石鎚 雪

笑休さん、フジへの感想、私も全く同感です。 こちらもメリルやクワトロは撮影はしても、もうモニターで見る時は拡大表示するのを やめました。 最近も超高画素カメラのブームが加速しているようですが、もう自分としては ベイヤーでAPSで1千万画素余、フルサイズで2000万画素余のレベルで十分だと 思ってます。 これは加齢という要素も大きいですね。 若い人は4000でも5000万画素でもいけるでしょう。モニターも4Kモニターでね。 それから仕事の人だと、これは好き嫌い言ってられませんから、これはしようがない。 http://thisistanaka.blog66.fc2.com/page/1/ ここで富士フイルムの記事がでています。もうご存知かもしれませんか。 とくに8月28日の記事が面白い。 超高画素カメラは、1億画素、100メガピクセルくらいまでは行くだろうと思ってます。 しかしそれ以上は人間業では不可能で、画像の鑑賞(認識)はコンピューターになろう かと思います。ですからこれは産業用や軍事用の範疇。 写真家が使うカメラとしては1億画素までだと思ってます。それも写真のプロとか での話ですね。アマチュアだと、もう現在の5000万画素クラスで限界だと。 と言いながらも、技術進歩でISO感度もクリアでき、シャッターも完全電子シャッター 方式で作動部分がなくなってブレが抑えられ、かつ強力なレンズとセンサーの二重 手ブレ補正方式が出れば、1億画素でも普通に使えるようになると思います。 10年後も経たずにそうなっている可能性が高いです。 しかし問題になってくるのは、そういう超々高画素の写真をモニターで見て画像処理 するのは、もはや脳の情報処理限界を超える結果となり、危険であるということ。 それで画像処理等は、AIコンピューターの自動処理に任せるということになるかも しれません。 我々が見るのは、出力されたプリントされた写真だけ。途中のプロセスは全部コンピューター 任せとしなければ、生身の人間としてはやってられないと思います。 それで写真は再び、紙だし鑑賞に戻る予感があります。 電磁波とかモニターのVDT症候群の話をすると、若い人には煙たがられるんですが、(^^; しかしこういうのは被害が積算(長年積み重なる)するわけで、若い時に許容量を使い きってしまうと歳をとってから、どっと出てきます。 若い人がスマホで小さなモニターを凝視しているのを見るにつけ、今はよくても将来に ツケが出でくるんじゃないかなって心配になりますね。 一番よいのは、写真なんてやめることです。少なくとも休止期間を設けること。 ふん、これが最高に身体にはよいです。(^^;  と言うか、昔のカメラや写真は、こういう問題とは無縁だったわけです。だから、今は 写真というそれ以外の問題でつまらなくしているのが、デジタル写真やインターネット の現実なんですね。 実験的に3ヶ月間ほど、撮影を止めてみて思うことは、デジタル写真というのは、よっぽど 注意してかからないと人生の貴重な時間と労力を棒に振るということです。 若い人でも、この頃ちょっと体力が落ちたなあ、とか、仕事がいまひとつだなあ、って、 感ずれば、少し、写真は休んでみること。 デジタル写真の身体への負荷というのは、想像以上に大きいのかもしれませんよ。

石鎚山 雪だるま

石鎚山 雪だるま

笑休さん、プロ作家の写真紀行とくらべてもらうのは、素人の私にはあまりにもの 落差に溺れそうになるんですが(^^;、とにかく、通り一遍の投稿掲示板の中にも、 異種なるものが一人ぐらいいてもいいんじゃなんかっていうくらいの思いはあります。 短歌氏が、彼があの板で粘るのには、彼なりの深い戦略があってのことだと思います。 (戦略と言えば大げさですけど、まあ遊び心です) それとは話は別にして、短歌氏の写真短句には私も考えるところがあって、そのひとつは 先出の宮嶋康彦氏の本にも解答らしきものが述べられていました。 というか、私がそれを読んで、きっと多くいるはずの短歌氏と同類の写真愛好家の気持ち を察することができたということですかね。 もちろんそれは私とも無関係じゃありません。 我々は、私も笑休さんも同じですが、カメラや写真に対して夢を抱いています。 若い時からカメラを持った人間は皆そうでしょう。カメラを持てば自分が強く大きくなれる ような(実はあまり根拠はない)自信が生まれます。(^^; それがモノのの力というものなのですが、日本刀などは典型ですね。 しかし歳をとられてから写真を始める方も多くいるわけです。 たとえば仕事を退職してから写真を撮られるようになる人とか。子育てが終わってから 写真を始められた女性とか。 そういう人にとってはカメラは単なる道具です。万能感のある夢を抱かせるものではなくて、 写真を撮る為の実用的な道具。いや彼ら彼女らにとって写真すらも道具かもしれません。 じゃあ、何が目的なのかというと、写真をやっているという行為自体ですかね。 カメラは健康器具であるとは、前出の宮嶋康彦氏の言葉ですが、私もそういうことを 言ったような言わなかったような気がしていますが(健康維持の為の写真をとか)、 本心ではやはりカメラや機材は、物自体が物心(ぶっしん、物神と言えば大げさ)を持つもの としての、アニミズム的な万能感を抱いていると思います。 例えば三脚にしても、これは私には精神的な日本刀であって、実用的なだけの農具じゃ ないわけです。鋤や鍬のように泥まみれのノーメンテナンスで、道具として割りきって 使いなさいと言われても、逆に違和感があります。 農具としてでしか使えないのならば三脚を自分の機材に入れないのが無難です。 結果として、カメラや機材を道具として扱う人には不思議に共通項があって、それは 彼らの写真が定型化様式化されているということです。 定型句化と言ってもいいです。 それを写真の不自由さと言う識者もいます。型にはまったような写真しか撮らないと いうことですね。 つまり多くの人がやっているであろう約束事を守れば極楽往生ができるというやつです。 宗教心のかけらもなかった人間が、歳をとって横並びで四国遍路を回るというのと 同じです。 そうして定型句のような様式美の風景写真を撮って、自然に帰れると思っていること ですね。自然に帰れるということは自分が極楽往生をするということでしょう。 私の考えも交えて添えていますが、そのような事を宮嶋氏は書かれていたように思います。 カメラや機材に物心を抱きながらも、依然として定型句のような写真を撮り続けている 人もいるわけですが、そのような人は今度は、写真の歴史や思想自体を軽んじて 写真の中身をちっとも考証していないということになります。 ですから何時まで経ってもサンプル写真しか撮れないということになります。目的のない 漂う写真です。こういう罠に陥っている人もいます。 つまり、ハードウェアとソフトウェアの両方を、まんべんなく攻めていかないと、本当の 写真行為にはなかなか達せないということになるのです。 写真をするという行為を意味のあるものにするには、機材というハードも、写真の歴史 や思想や哲学というソフトも、両方とも深く知っておかなければ、本当の写真行為には 達せないということですか。 これは難しい話ですね。10代という若い時から写真に親しんでいないと無理な話かも しれません。 しかしながら、デジタル時代の今や多くの写真愛好家が生まれ、彼らはカメラ機材や 写真論には無頓着ながらも、直截に、ダイレクトに写真という行為自体に自分を追い求めて いるという現実に深く考えさせられました。 それは極めて現実的な問題で、我々夢想家の想像を超えている事態が、現に発生して いるということなんです。 一種の宗教的と言ってもよい救いというものを、自然写真という写真行為に求めているの じゃないでしょうか。もしかすれば、短句氏のその一人かもしれません。 残念ながら私にはそれに応える言葉を持ちません。

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論 先出の「心理的高画素論」を書いた後、だんだんと自分の考えが煮詰まってきたように 思います。 高画素カメラにはいろいろとありますが、極めて特異とでも言えるカメラにシグマのメリル・ クワトロがあります。このカメラの特徴は、特徴と言ってもカメラ本体ではなく、RAWソフト の展開後なのですが、ピクセル等倍で見るのが一番高画質で、縮小すればかなり画質が 落ちるという他にはない特徴があります。 普通のカメラはそういうことはありません。むしろ縮小サイズの方が綺麗にみえたりします。 ということは、必然的にシグマのカメラを使っていると、ピクセル等倍での本当の意味での 高画素画質で見るということが多くなるということです。 いっぽう、ニコン3600万画素、ソニーの3600、キヤノンの5000などは、その画像鑑賞に おいては、さほどの高画素画像の弊害はなかろうかということです。 と言うのも、それらのカメラでは、ピクセル等倍で見るのはほんの一瞬であろうからです。 シグマのカメラの高画素画像は、ユーザーをして真の高画素世界へ誘うということでは、 本当の意味で高画素高画質のカメラの特質をもっているのであろうかと言うことです。 高画素カメラとは高精細であり、その為に情報量が飛躍的に高いということです。 デジタルデータで比較しても、木の葉がいっぱい写っているとか町並みがぎっしりと画面 を占めているとかだと、実データも大きくなります。 それと同じように、われわれ人間が見ても、高画素カメラの画像は脳内処理の処理量が 高くなるのです。大きなデータの画像をパソコンで処理しますとCPUやメモリに負荷が かかります。それと同じで、人間の生身の脳内でも同じような処理をしているわけですから。 以前、パノラマ写真用にと、フルHDのモニターをデュアル接続したことがあります。 今流行の言葉で言えば2Kモニターですか。普通のフルHDは200万画素です。4Kでも800 万画素。16Kでは3200万画素。横並び置き2HD(2K)は400万画素です。 もちろん数千万画素のパノラマ写真は横並びの2Kモニター2HDにしたところで全画面が 見えるわけでもないのですが、それでも1HDよりは飛躍的に想像力を刺激してくれました。 こういう話をするのは、高画素カメラには、それを十分に威力を発揮して使おうとすれば、 大画面モニターは、とにかく必要になるということなのです。 最低限、フルHDの1900×1200ピクセルの200万画素(ピクセル)。これが必要になるという こと。 じゃあ、そういう大きなモニターは自分は嫌いだから、17インチや14インチのモニターで いいやってなると、実は、高画素カメラのもつ、心理的高画素論の弊害は受けなくなるの です。この不思議さが分かってもらえるでしょうか。 私が通常使っているモニターは19インチです。1280×1024ピクセル。130万画素ですね。 それを2連のデュアルモニターにしていますが、いつもどちらかは休んでいますね。 ウィンドウを開くのはどちらかで、もちろんやろうと思うば2560×1024のウィンドウも開ける のですが滅多にそういうことはしません。ディスクトップの背景も濃いグレーで目を刺激 しないようにしています。事実上、19インチシングルモニターと同じです。 実際、文字打ちをしている今は、片方のモニターの電源を消してシングル稼働です。 実は17インチでも画面的にはいいのですが、表示文字が自分には小さすぎて19インチに しているに過ぎません。それより以前は14インチデュアルでした。 このように通常に使うモニターは小さくていいやって考えています。 これって、カメラはAPS1000万画素でよいっていうのと考え方は同じです。 フルサイズ3000万画素や5000万画素は自分には必要ないカメラだというのと同じです。 われわれが趣味で、道楽でやるカメラは小さな画素数のカメラで十分なんだということを、 はからずも再確認しているわけです。 しかし人間は欲深で愚かですから、どうしても最新の超高画質のカメラが欲しいっていうのは 止められません。そしてモニターはフルHD24インチ以上のモニターが欲しくなる。そうしないと 釣り合いがとれませんからね。 しかしその結果はどうなるのか。それは心理的高画素論で述べたことになります。 現在のデジタルカメラは、デジタルセンサー+オートフォーカス+モータードライブの三位一体 で成り立っています。このどれかを止めるとデジカメの持つ多量撮影はできません。 それと同じように、超高画素カメラとは、超高画素カメラ+高性能PC+大画面モニターで 成り立つのです。そのどれかをひどく落とすと、それは超高画素画像を楽しむことには ならないのです。 逆に超高画素カメラのもつ心理的弊害を避けようとすれば、大画面モニターをやめればよい ということになります。 シグマのカメラは、画素数が低かった時は、このフォトXPでも多くの方の投稿がありました。 しかし超高画素カメラとなったメリル以降は、投稿数が限られてきました。それはシグマの ユーザーがあまり写真を撮らなくなったということかもしれません。 シグマカメラのユーザーには、メリル以降のカメラは自分には向かないとか、昔のシグマが 良かったという声もでてきました。 また、そのシグマのソフトは使いにくいとか、機能が不足しているとか、様々なユーザーの 不満がでていました。 それで、思うに、それらはシグマの持つ超高画素、高画質への裏返しの不満ではないかなって いうことです。それらの批判は、シグマだけでなく、超高画素カメラ一般への批判と捉えても 本質的には間違ってはいないだろうということです。 今現在、超高画素カメラと言われる、ニコン、ソニー、キヤノンの超高画素カメラをお使いの ユーザーは24インチ前後のモニターでしか使っていないたろうと思います。 これは本当は超高画素カメラには役不足で、4Kモニターで見るべきなんですね。 4Kモニターは既に発売されていて買おうと思えば誰でも買えます。 シグマカメラの出力画素数は、超高画素カメラとは言いながら1500万画素か2000万画素です。 それで、フルHDのモニターでもいけるところがありますが、3600万画素のニコンではすでに 小さすぎると感じました。5000万画素のキヤノンではなおさらでしょう。 だから、自分はニコンやソニー、キヤノンの超高画素カメラを使っていると自負する方は、 是非に4Kモニターを導入してもらいたいということですね。そうしないと本当の超高画素カメラ の凄さっていうのは味わえませんから。 そういう意味で、私がシグマのカメラを使って、ここ1・2年、メインカメラとして使い続けてきた ことは、私には大いに意味がありました。非常に貴重な経験をしたと思っています。 それは本格的超高画素カメラ+4Kモニターへの先駆けであり、まだ誰もが体験していない 世界をいち早く見ることができたからです。そして自分なりの結論を得ることができたということ。 そしてその結論とは、既出しますが、モニターは小さくて良い。カメラは1千万画素でよい。 たったそれだけです。アマチュア写真家にとってこの結論に間違いはないと確信しています。

心理的画素数論

心理的画素数論

心理的画素数論 カメラの画素数とは別に、我々か写真を鑑賞する場合の、言わば心理的画素数というものが あるのだと考えています。 デジタルカメラの画素数は増加の一途ですが、新しい高画素のカメラが出るたびに、 既存のカメラユーザーは、もうそんなに画素数はいらないよ、現状の◯◯万画素で十分だと 言います。そういう言葉をもう幾度も耳にしたことか。 しかしユーザーは時代の川に流れるように、またもや新しい高画素カメラを手にしてしまうの です。 写真の緻密さと、撮影感度の高さは、これはカメラ技術発展の本道ですから、メーカーは この技術の発展を疎かにするわけにはまいりません。技術発展を少しでも疎かにするとすぐさま ライバルメーカーに食われてしまいます。 それにしても、ユーザーは超高画素カメラを、なぜ、あえて積極的に求めないようなところが あるのでしょうか。皆さんはその消極的気分の本当の理由を考えたことがあるでしょうか。 例①http://photoxp.jp/pictures/128914 これはステッチング撮影ですね。失敗例ですが、ほぼ5000万画素になっています。 縦3段の横パノラマをパソコンのソフトでつなげたステッチング写真なのですが、普通の低画素 のカメラでもって多数ショット撮影し、特殊な三脚(雲台)で撮影するのですが、この撮影では 専用雲台を使わなかったために失敗し、完全に繋げられなかったというわけです。 例②http://photoxp.jp/pictures/155948 5000万画素カメラのワンショット撮影の写真です。例①と同じような被写体なので比較が容易 だと思います。とにかく例①例②とも緻密な画像であり全画面、細部までびっしりとモノが写り 込んでいます。 こうう場合の心理的な情報量は高い、大きいということになります。もちろんデジタルデータの 情報量も大きいですよ。 それでは次の写真を見てください。 例③http://photoxp.jp/pictures/155960 キヤノン5000万画素カメラの撮影です。 例④http://photoxp.jp/pictures/155767 ニコン3600万画素カメラの撮影です。 例③は緻密に写っているのは画面中央の僅かな部分です。接写なのであとはボカしています。 例④は緻密なのは橋だけ。後は海と空だけですから。 つまり、超高画素カメラを使いながらも、全画面に於いてそれを生かしていない写真であるわけ です。勿論わざとそうしているのでしょう。それで、心理的な情報量はそんなに高くない、という ことになります。 当然、高画素カメラを使っているので、デジタルデータとしての情報量は高いのですよ。 例⑤http://photoxp.jp/pictures/128831 この写真はパノラマ撮影ですが、とにかく人気のない写真です。それはただ膨大にモノが写って いるだけの写真だからです。しかし100年経ってみれば、この写真は貴重な記録写真の価値を 持ちます。(^^; とにかく画素数が多い写真、それもモノが緻密に写り過ぎている写真は、とてつもない情報量を 持つのですが、生身の人間はそれを嫌うという傾向があります。これは心理的な、本能のような ものです。 簡単に言うと、それを見る人間は、情報過多による疲れを起こすのです。 それを私は、仮に心理的情報論として今ここで推敲しているんですね。 それでは、超高画素カメラは必要の無いものかのか。遠ざける対象になるものなのか、というと、 それはまた話が違います。 上の例③と例④の写真がそれを示しています。もし仮に、それらの対象物を1000万画素のカメラ で撮影したとしましょう。 小さな拡大率の写真では相違は出ませんが、拡大してピクセル等倍鑑賞をした時に、あっと驚き、 その違いに気づくはずです。 やっぱり超高画素カメラはスゴイと。低画素カメラでは限界があると。 それでいて、例③例④の写真は、心理的な画素数疲れ、情報量過多の疲労を起こさないように なっています。これは上手いやり方です。 例⑥http://photoxp.jp/pictures/150923 その上手いやり方を、「大人の写真作法」として以前に書きました。高画素のカメラほど、むしろ 全能力を出さないほうがスマートであるということ。そういう写真の仕組を応用するのだと。 例⑦http://photoxp.jp/pictures/152026 これは手前の樹木のみに高画素の力を与え、背後の島や浜辺はぼかして力を抜いています。 ピクセル等倍鑑賞でないと分かりつらいです。 例⑧http://photoxp.jp/pictures/153346 これもピクセル等倍で見ないと分り辛いですが、上の手前の樹木と下の道路は心理的には無い ものとみなして、真ん中の樹木とその向こうの山と平野をの世界を表そうとした写真です。 覗き絵の仕組みとなっています。縦写真なのに本当は横写真。 ⑦⑧とも、高画素カメラの心理的情報論を意識した後での撮影です。 以上は、そんなに難しいことではなく、本当は簡単なことを言っているわけですが、おそらく、 現時点では理解できる方は殆んどいないと思われます。(これは私の文章の表現力の拙さでも あります) しかしやがて、その必要性に誰もが気づくようになります。 しかし多くのカメラユーザーは、その高画素を活かす写真を撮らないと思います。 というか、ピクセル等倍鑑賞をせずに、ただ単にモニターの画面枠での鑑賞にとどまるだろうと 考えています。例外的なのはシグマのカメラで、このカメラは仕組み上、ピクセル等倍以下では 画質が劣化しますから。 むしろ自動的に画素数圧縮した画像で鑑賞するのが正解で、それで何不自由もないわけですから。 メーカーの高画素技術の恩恵は、必要に迫られて拡大した場合に限られるでしょう。一般の ユーザーにはそれでよく、高画素技術は隠れた縁の下の力持ちでよいのだということです。 しかし写真の技術を追求しようと考えるごく一部のユーザーだけが、その高画素カメラの本当の 実力なり、積極的に高画素の意味というものを知ることができますね。 また、高画素カメラの威力というものを、如実に感じる為には大型のモニター、4Kモニターとか、 複数枚モニターの使用が前提となるところがあります。 普通のフルHDモニターは200万画素です。それを2枚のデュアルモニターにしても400万画素で、 4Kモニターだと800万画素。まあその程度でしかありません。 カメラだけが数千万画素と高画素になり、しかしそれをモニターする器具が遅れをとっていると いう感じです。 しかし、高画素モニターというのは、それこそここで言った鑑賞の画素数疲れを起こす元凶であり、 私はシングルフルHDモニターの鑑賞で十分であると思っています。 ここらの見極目も、心理的画素数論を考えておくべき理由のひとつです。 われわれは、膨大過ぎる画素数、情報過多に溺れてはいけないのです。自分の見識を高めて おかなければ、思わぬ落とし穴に入り込むのが日々技術革新の続く現代です。

夜景

夜景

写真やカメラに関心の薄い一般の人達は、カメラ機材や撮影に凝り過ぎる ハイアマチュアには違和感を持たれているだろうと思います。 そういうハイアマチュアを取り上げたテレビ番組を一般のおばちゃんが見ていて、 「あんたら、写真好きの人間は、やたら凝るんだねー。テレビでやっていたよ。 あんたのそのカメラ、幾らすんの?」って、度々、言われたことがあります。 そういう風に言われると返す言葉はなくて、「いや、これは中古で安く買ったので、 無駄なお金は使ってませんよ」というのが精一杯。(苦笑) おばちゃん達は にたにたと笑っている。 そりゃそうだわ。自分の旦那や息子が写真に凝ってると、おばちゃん達は被害者 側になるわけですからね。(^^; しかし一般の人達は、プロの写真家はちゃんと評価しています。戦場カメラマン とかになると命をかけて報道してくれるわけですから、仕事で写真をやっている 人間はしっかり尊敬して認めているわけです。写真で金を稼げるし、ちゃんと世間 に役に立ってるわけですからね。 しかし普通の、金を稼がない遊びのハイアマチュアは道楽人間だと分類しています。 中には、「良い趣味をお持ちで」、って持ち上げてくれる人達もいますが、まあ、 お世辞でしょう。ギャンブルをして嫁を泣かせるよりはマシな程度だとね。(笑) とにかく、高価で無駄な機材を買うのがいけない。撮影にしても奇妙に凝っていて、 我々が見ても分からん!もっと素直に撮れって具合に思っているのでしょう。(^^; 一般の人々の、この感覚でやられると、ハイアマチュアはぜんぜん立つ瀬があり ません。ごもっとも、ハイごもっとも、と言うしかありません。 ハイアマチュアにしても、やたら機材に凝って次々と新製品を追い求める人間や コレクターと言われる人間もいる一方で、他方には、一般人の感覚に近い感覚の アマチュアカメラマンがいます。 必要最低限の機材で、とにかく写真は撮影ということで、機材を買う金があれば撮影 の旅費に回せって、忙しいまでに撮影をこなす人間もいるわけです。 さて、一般人の御意見は別にして、このアマチュア人の分類として、機材に関心が 向く人間なのか、それとも機材(過多な)を拒否するのか、そのどちらがマトモな人間 なのか。これをちょっと考えてみたいと思っています。 早々に自分の結論を言うと、機材関心人間のほうがマトモな感覚だと思ってます。 でもやはり馬鹿だとは思ってます。(^^; 写真という行為の、その人間の究極の至りは、森山大道とか藤原新也が語っている とおりです。 ところで、あのユーチューブの番組の中では、機材の話は極力避けていますね。 もちろん一般の人達にはカメラ機材への関心はないからです。そして精神的なこと だけを番組では語り取り上げています。 ただちょっとだけ、映像で彼らが使っているカメラが写っています。 日本人は、精神論が好きです。特に簡潔な言葉で語られる精神論。例えば大和魂 とか。造反有理や革命無罪とか。 それで、出来るだけ物に拘らないことが上質で高等なものだと思っているところが あります。 しかし実際は、どうなのか。 カメラ機材のことをあまり考えずに写真をばんばんとやっていくと、それはとても高等 なことに思えて、しかも倹約家の一般の人達からすればモノをよく使いきっていると いうことで、四方八方から賞賛を受けるのかも知れません。それが正しく王道なだと。 それは本当に正しいのだろうか。 http://photoxp.jp/boards 各掲示板のカウント総数が出ていますが、昔からペンタックスはダントツだったのですが、 最近は投稿数が落ちているように思われます。これは何故なのだろうか。ペンタックス ユーザーが減少したというのもあるだろうけど。

夜景

夜景

機材重視のハイアマチュア人間の、その究極とでも言っていいのがレンズマニアです。 しかも古いのか新しいのか、とにかくマニュアルレンズですかね。(^^; マニュアルレンズを使うと、撮影効率は極端に落ちてきます。 デジタルカメラは、3つの要素で、高速に多量に、撮影できるカメラとなっています。 ひとつは、デジタル方式。フィルムのように撮影枚数の制限を受けない。 二つは、モータードライブ。秒コマ何コマで連写速写できる。(昔は手巻き式でした) 三つは、オートフォーカスです。(マニュアルレンズはこれをやめることです。) この3つのうち、どれかでも欠けると、スムーズな多量撮影ができません。 さらに手持ちを止めて三脚を使うとなると、なおさら撮影量は落ちてきます。 わざわざオートフォーカスレンズが付いているのに、それをやめてマニュアルレンズで、 最新のデジカメを使うのは、一般の人達には理解できません。 まして古い時代のレンズを最新の高級デジカメに着けて使うっていうのは、度を越して いて全くわからないことだろうと思います。 ブルジュア的道楽も度を越している。彼らは反動である。間違った人間達を目覚めさせ、 正しい道に導かなくてはならない。 そう考える人がいたとして、それでは本当にそれは正しいのだろうか。 その間違った考えの道楽人間達には、一分の道理もないのだろうか。

生まれ変わろうか。(^^;

生まれ変わろうか。(^^;

私の長文に嫌いな人がいるのは、ひとつには、長文が文語体で書いた文だからでしょう。 だから、本を読むのが苦手な人は、まず敬遠します。(^^; これにはちょっと申し訳なく思っていて、しかし限られた文章量では簡潔な文語体になる のは致し方なく、(口語体では冗長になりすぎる)、とにかくそこのところはすまないと 思ってます。 今はしばらく撮影を休もうと考えていて、それでもう2ヶ月は撮影をしていません。 もうあと、1、2ヶ月は休もうと考えています。まあ、充電期間ですかね。(^^; 私の場合はとにかく撮影に行くと、多量のショットを切り過ぎるので、その反省も込めています。 しばらくは身体と脳を休ませようとね。 撮影は同じ場所ではマンネリになるのは仕方がないですね。(^^;  しかし撮影に休止を入れて、時間を挟めば、また新たな新鮮な感覚で望めるかもしれません。 機材を変えて気分転換。いいですねこれ。(^^;  しかし最近は新しいカメラに感激がなくなってきました。既にあまりにも多くのカメラやレンズを 買いすぎたからかも知れません。 その代わりといってはなんですが、三脚や雲台に凝ってます。ちっょと改造までやるくらいに なっていて、これはこれでヤバイですね。(^^; レンズ沼か三脚の森かって具合。 ただ、カメラ・レンズと三脚が違うのは、カメラやレンズはそれぞれに個別の画質がありますが、 三脚は画質とは関係がなく単なる道具だっていうことです。 画質という幻想?がないぶん、つまりコレを買えばもっと良い写真を撮れるだろうという誤魔化し が出来ないのです。その点は割りきってしまえますね。 でも三脚というのは、これはこれで美しいのですよ。 カメラやレンズが美しいというのと同じ。 また、カメラやレンズを使うスタイルというのがありますが、つまりこれを持っていればカッコイイ かも、っていう自己愛というナルシズムですか。三脚にもそういうのがあると思います。 三脚を使っていると何だかダサイってなるとやれませんが、けっこうカッコイイかな?っていう レベルにまで持っていければ積極的に三脚を使えるようになるかも知れませんね。 まだまだ自分の中では、三脚ってうっとおしい、面倒くさいっていう感覚が大きく占めていて、 これを精神的に打破しないと、本当の三脚ダンディニズムとはなりませんよね。 ところで、三脚を使っていてイイナっていう瞬間があるんです。 それは三脚を組み立ててカメラを乗せた後の一時です。バックも肩から下ろし、手には何も 持っていず、その瞬間だけは身体に一切の負荷がなく、とても自由になれる一瞬なんですよ。 そういうのは手持ちで撮影していると味わえなかった感覚です。 両手がまったく自由になる瞬時の感覚ですかね。 そもそも自由気ままに撮影をしたいと長年やってきた人間が、制約の多い三脚撮影をするって いうのは、もう一度生まれ直して来るくらいの大事件なんですね。(^^; 普通は絶対出来ませんから。

無題・追加

無題・追加

私がデジカメ依存症、及び漏洩電磁波から脱出しようとして使ったアイテムは 三脚でした。 三脚は大昔のメカニカルカメラの時代からあります。カメラは電気的にどんどん と発展していったのですが、三脚の方は素材がカーボンやマグネシウムになった くらいで、今もほとんど変化していません。 それで、今でも三脚を使うっていうのは、安易なことではないんですね。 とくに車を使わないで三脚撮影をするとなると、殆どの方はギブアップすると 思います。 やはり三脚の存在感は相当なものです。 その三脚を担いで何時間も歩くことは考えただけでも撮影意欲が失われていく でしょうから。(^^; ということで、三脚というのは現在では、過剰になりがちな写真撮影をセーブ する為の大切な役割を担っているということになります。 三脚は撮影の為の道具として普通は捉えているのですが、撮影を億劫がらせる 為のアイテムだとは何とも皮肉ですね。(^^; しかし三脚はアナログ故に、電気式カメラを機械式カメラに事実上変換すると いう極めて優れた道具でもあるんです。 漏洩電磁波というのは無限に飛ぶ電磁波ではありません。距離の2乗に反比例 して減衰していきますから、三脚に立てたカメラから30センチも離れれば電磁波 は無害になってしまいます。 ですから、三脚を立てなくとも、カメラ背面のライブビュー画面を見て、30センチ も顔から離して撮影すれば、少なくとも大切なご自身の脳は被曝しません。 ただしカメラを持つ手は被曝しますが、これはさほど問題ではないと現時点では 考えています。 特に、カメラの放つスパイク波が問題ではないかとの、私の最新の考察では とりあえず手の被曝はさほど問題視されませんが、ただ手の神経は脳と密接に 繋がっているのは確かです。 しかし気に病めば際限がないというのもアレですから、ライブビュー撮影は OKであるとしましょう。(^^; 私が切に待ち望んでいるのは、メカニカルカメラのデジカメです。 もしくはフィルムカメラにセットアップできるデジタルモジュールですね。 しかしこれはもう、実現不可能な時代になりました。 それで、これから望みたいカメラは、完全な電子シャッター(メカニカルシャッター を一切持たない撮像素子でのシャッター)を採用したミラーレスカメラです。 これは大いに実現性があります。というか実現は目前です。 とりあえず、現時点でもっとも安全で依存症にかかりにくいカメラは、レンズシャッター を採用したコンデジですかね。 ミラーレス方式を採用するカメラがどんどんとリリースされ、デジイチすらもミラーレス カメラと同様に使えるようになった現在では、その最深部の動向としてやはり 漏洩電磁波を減らすという技術的方向があるのは間違いがないでしょう。 最終的には、カメラは一切の可動部を持たない、つまりモーターを非搭載した カメラになるのは間違いがありません。 その時点で、初めてカメラはデジタルカメラになったと言えるのでしょう。 現時点ではまだまだフィルム的なアナログ電気式カメラなんですね。 パソコンに於いても漏洩電磁波問題は、ほぼ殆んど解決されています。 昔はVRTブラウン管モニターの放つ電磁波は大変問題でしたし、それが液晶 モニターになりました。そのモニターも最新のモニターほど低電磁波です。 HDDもソリッド型SSDになり電磁波が出なくなり、冷却ファンもヒートシンクの採用で ファンは低出力になっています。 カメラの中で最も電磁波を発していたのは、フィルムカメラのモータードライブ カメラでした。ミラー・シャッターに加えて、フィルム送給があったのですから 作動音も電磁波もべらぼうでしたね。 しかしカメラの電磁波が問題視されるようになったのはテジタルになって からです。もちろんショット数が大きく増えたからですね。 こんな具合で、あと10年も経たずにカメラは電磁波問題からは全くフリーになる でしょう。技術の革新とはそういうものです。 シャッターも撮像素子の電子式になり、絞りも液晶絞り方式になれば可動部 はゼロになりますから。(AFは無論超音波モーターです) そういうことで、現在のカメラは技術的な過度期になりますね。 ここまで書いてきて、もしかすればデジタルだから電磁波が出るのだと考えて おられる方がまだ居るかも知れないと不安になりました。 実はデジタル肝心部分であるの撮像素子や電子基盤からは電磁波は出でおりません。 電磁波が出るのはモーター部分だけです。もしくは電磁機クラッチですか。 カメラは直流方式なので基盤からは電場も磁場もでないのです。しかしモーター からは直流モーターとは言え、磁場がでます。それが問題なので、例えば エプソンの機械式カメラにデジタルモジュールを積んだカメラがありましたが 安全なカメラでした。(今は生産されていないカメラです) ちょっと適当に書いているところもありますが、あまり細かく書くと文章になりま せんので簡略にかいています。 それで、カメラの電磁波は解決される見通しは立っているのですが、デジタル 写真には、もう一つの難題、課題があるんですね。 それはモニターで見ることがデジタルカメラを成立させているという根本のこと なので、この解決はかなり先になります。 それはパソコンのモニターの発する人工光の医学的見地から出てくるんですね。 ブルーライト症候群と言ったような問題ですね。これも視覚から脳内のホルモン 異常をきたして、最近はスマホなどのモバイル機器までも問題視されつつあります。 この問題を解決するのは難題でして、とりあえずは輝度調整などの小技を やっていくしかありません。根本的な解決策は紙ベースのプリントなのですが、 それでもモニターの役割は減ずるものではありません。 電子書籍が普及しないのは、要は人間は紙ベースが最も相応しいということ だと考えています。 そういうわけで、まとこにデジタル写真というのは、安易にやれるのではあり ますが、それゆえに諸問題は多いのだということになります。 一番無難なのは、デジタル写真を止めることである。(^^; などと言ってしまえれば サイコーなのですが、そうは行かないですよね。 とにかく、安易なやり方は依存症の範疇であり、必ず付随するマイナスの部分 があるのだと認識することだと思っています。 こういう話を話題にすると写真好きな方には、感情的に嫌気がするのは当たり前 ですが、それでもいくばくかの思い当たる節が自分にもあると察していただければ、 その方は依存症からは大丈夫かなって思っています。 ネイチャーフォトが言われてから随分と時間がたつのですが、結局はネイチャー は芸術写真のひとつである風景写真に飲み込まれてしまったかのようです。 ネイチャーフォトは当時の、環境問題という意識改革が根本にはあったのだろうと 思いますが、その為に使うカメラや写真自体が、あまりネイチャーではなかったとう 不具合感があって、それでなんとなく流行らなくなってしまったのかもしれません。 改めてネイチャーフォトとは何かと問えば、それにはまず、カメラやモニターという 機材から身体的実感を伴って問いただしていかなければならないんですね。 ネイチャーフォトはただ単に、大自然の光景を撮影することではないと考えて おります。そんなものは表面的なものでして、本当のネイチャーフォトとは、まず 撮影者が健全で健康であるべきだ、という大きな前提が必要であると考えるからです。 stoneさんか、デジタル写真は写真であるのは撮影までで、その後は画像である と仰っていましたが、そうなってくると、撮影ということの重要性が如何に大事で あるか。ということになってきます。 単なる画像論を越えて、写真という行為論の問い直しが急務かと考えています。

無題①

無題①

① もうすっかりと夏になりましたね。(^^; この「ネイチャーフォト・・・掲示板」は、掲示板の中では一番古く歴史がある ので、もしかしたら、自然写真家の小林義明氏のサイトと関連があったのかも 知れませんね。(参考)http://nature-photo.jp/ 何にせよ、現在では土屋氏のフォトXPサーバに収まっているのわけで別段、 投稿するのには問題はないだろうと考えます。 それから、このネイチャー板は、フォトXPのメインストリームからは外れているので、 訪れる人は少ないだろうと思います。 フォトXPに限らず、全ての掲示板は、ただ見るだけ読むだけの、ROM(リードオンリーメンバー) の人が大半であって、投稿されたりコメントをする人は奇特なごく一部という人 という事実があります。 結局、掲示板を支えている人というのは、その物言わぬ読者であるROMの 方々なのですね。 喩えてみると、写真の投稿者とコメンターは舞台の俳優であり、そこに大勢の 観客が居るという構図になります。 勿論アクターがいなければ掲示板は成り立ちませんが、同時に観客が入らなければ、 これもまた芝居という舞台は成り立ちません。 そういうことで、この掲示板は事実上、新しく立ち上げた芝居小屋のようなもので、 どんどんと写真を投稿してコメントを発していかなければ掲示板は成り立って いきませんね。(^^;

無題②

無題②

② こちら、最近はもうすっかりと撮影の為の時間がとれなくなって、もう随分と 写真からは遠ざかってしまったというような感覚です。(^^; それで少し、写真からは離れてみると、この状態こそが案外に人間として正常な 状況なのではないかと思えて来ています。(笑) デジタル写真は、大昔のフィルム写真と違って、非常に依存症が強いので、 ハイアマチュアの中にはどっぷりとデジタル写真にハマっている方々がいるの かもしれません。 特に仕事を退職されて悠々自適の生活を送られている方は、デジタル写真を 撮影することが、人生の大切な精神的な根幹に関わって来ているのじゃないかなって 思うことがありますね。 しかし、どうなんでしょうか。確かにかつてのフィルム写真やメカニカルなカメラ では、写真は立派に文化の一翼を担うことが出来たと思うのですけど、今の デジタル写真では、そういう状況ではなくなって来ているように思えるんですね。 現在のデジタル写真、これはもう、例えばテレビゲームとかネット依存とか、パチンコとか、 そういう部類の依存症的な時間潰しのゲームと、さほどの違いはないのではない でしょうか。 私も最近は、デジタルカメラを使うことで失うものが、ちょっとばかり惜しくなってきた というところがあって、それでしばらく撮影は休んでいるというところもあります。 しかし、撮影をすることで自分に益することも多いわけで、とくに歩くことによる体力 の維持や増強というのは大いにプラスですからね。そこら辺の塩梅というのは あります。 とにかくデジタルカメラは、メカニカルなフィルムカメラと違って、大きな依存症状態 に陥るのが特徴です。 依存症の定義として、まず安易に事を起こせる、かつ持続できる、そして身体には 何らかの負荷がかかるっていうのがあります。勿論デジタルカメラもその例に もれません。それで立派な依存症になるんですね。(^^; 大昔の黒白フィルム写真の場合は、特にそれがメカニカルカメラの場合は、撮影も 現像も大変難しく労苦を伴うものでした。安易で依存症どころか、持続すること自体が 強い意志を伴うものだったのです。 依存症は、その依存症のまま続いていくというのが特徴です。何らかの外部の 強い作用を加えない限り、永遠に依存症状態を続けていきます。 だから、依存症というんですがね。別名、浦島太郎シンドロームでもあります。(^^; また依存症の人は、その依存症状態が快いというのがあります。依存症状態が とっても気持ちいいんです。 これは脳内にそういう気持ちいいっていうホルモン出てくるからですね。これに 味をしめると、人間、なかなか依存症を止められるものじゃありません。 しかし、その脳内ホルモンは麻薬でもあります。脳の正常な作用を阻害するだけで なく身体の調子も悪くなり体力を奪っていきます。 ここらが依存症の問題点なのであって、そのまま放置していると次第に抜き差し ならぬ状況に陥ってしまい、ますます依存症から脱出することが難しくなります。 しかし浦島太郎か竜宮城を離れたように、依存症患者は永遠に依存症状態を続ける ことはできません。 その時になって初めて失ったものの大きさを知ることになるのですが、もしかすれば 今の時代では、その時は、もはや正常な判断力を無くしてしまい、痴呆状況になって いるかも知れません。 デジタル写真は、パチンコやテレビゲームと同じだと言いましたけど、もしかすれば その程度では済まない、もっと重篤な依存症なのではないかと思えてきています。

三脚夜話2

三脚夜話2

●しゅうやんさん、私の駄文に付き合って頂いてありがとうございます。(^^; 鉄道写真の方がハスキーをよく使うのは、アルミ製ながら他のメーカーの ものに比べれば比較的軽いからですよね。アルミというよりもジュラルミン なので強度が強く、その分パイプを薄くできます。 ハスキーは私も参考がてらに1本購入しました。雲台は外れず3段の普通 のタイプです。ナットのゴムが無骨だったので後修理したのかな?と思い ましたが、他の人のハスキーを見ても同様だったので、どうやら最初から そういうものらしです。 ハスキーって基本はきちんととらえているのですがデザインとか仕上げは 2の次のようで、いかにも無骨なアメリカンという気がします。 ところで現在ハスキーは日本国内で作られているみたいですね。素材 なんかは米国時代と同様のものを選んでいると思いますが、実際には どうなんでしょうかね。 三脚がカメラごと落下というのは、もう絶対に避けたいですね。 この安全対策として、メーカーは3ウェイ雲台のカメラ取り付け軸と三脚の 中心軸を多少離しているわけですが(1-2センチ)、全く同軸のものも半分 くらいはあります。 カメラ軸を三脚軸よりも後ろ側に引いて設置していると、前2脚でやっても 多少安全対策になるということからです。 また雲台テーブルの、カメラの取り付け位置も数センチ移動できる余裕の あるものも多いですね。(ビデオ雲台はこの余裕が長くて重宝します) こういう小技を効かせれば、多少は安全マージンを取ることが出来ますが、 とにかく、前2脚はすこぶる危険であるというのは間違いのないところです。 カメラ落下、気をつけたいものですねー。(^^; 私は三脚が好きなのでメンテナンスもして、いつもピカピカに綺麗にして いますので、三脚が汚れるところでは絶対設置しません。(^^; 土手斜面の 立地なんて泥だらけになってムリムリ。 雨の日の撮影は三脚は濡れるんですが、水だけですから後で拭き取り 乾かせば大丈夫でしょう。 雨よけの自作フード、これからの撮影が楽しみですね。 カメラ2台撮影というのは、やはり2連バーを使うのですか? 三脚2本の 持参は辛いですしね。 ●甲斐さん、お付き合い、ありがとうございます。 自分は三脚初心者であり、ごく最近、三脚の大切さに目覚めたものでしか ありません。三脚撮影のノウハウはこれから皆さんの撮影などを見て学ん でいきたいと思っています。(^^; 三脚の大型・中型・小型という区分は、第1脚のパイプ系の太さ・直径で 分けるらしいですね。ジッツオなどは、それが型番になっているので分かり やすいです。 この写真のオンボロ・ジッツオは中型クラスでしょうか。 脚は数千円で購入しました。 第1段のパイプ系は周囲が10センチなので、直径は31-2ミリというところか。 かなりガタが来ていましたので、バラして内部のワッシャなども工夫して、 洗浄し無論グリス塗布で正常に使えるようにしてます。 しかし雲台がどうも使いにくいようです。ジッツオは脚は評価が高いのですが 雲台はそうでもないのか、それともメンテナンスが足りないのか考慮中です。 マンフロットのギア式雲台は私も欲しいのですが、高価ですね。低価格品も あるようですが重量級デジイチは不可のようですし。 しかしいつかはギア式雲台をゲットしたいと考えています。 ダイモンド富士の撮影は、山中湖ですが、こんな感じですか。 https://www.youtube.com/watch?v=4rVr20txowo それにしても甲斐さん、100回以上の撮影とは凄いですね。富士の地元で なければ叶わない数字ですが、それにしても驚きです。 ところで富士を撮影される方はニコンのカメラが多いような気がするんですが、 そんなことはないんですかね。夕焼けなどはニコンがキヤノンより派手です。 ●スリックプロフェッショナル2は私も格安で中古入手しました。 自分が所持していて大型と言えるのは、他にスリックデザイン2に、ベルボンの マーク7系の4段と3段、そしてそのカーボンタイプ4段ですか。 後はみな中型や小型です。 手持ちの三脚は殆んど安い国産のスリックとベルボンです。 スリックはデザインが好きで買ってます。ベルボンは無骨ですが頑丈なので 気に入ってます。 私が一番好きなのはスリックのカーボン初期型の透明クリア塗装のタイプです。 テカテカ光って綺麗ということで。(^^;  三脚は美しさも大切だと考えています。 写真の三脚は、マンフロットの古いタイプの中型3段に、スリックのビデオ雲台 を乗せています。脚はパイプが細くてしかも本体部が腰高の頭でっかちで、 とてもじゃないけど良い三脚とは言えませんでした。しかも脚のレバーも調整が 狂っていて再調整をしました。脚の割に大きすぎた3ウェイ雲台は外して、 軽い動作で動くスリック雲台にすると、まあまあマシかなっていうところ。 こんな具合の三脚でしたので古くても未使用品でした。 三脚の脚と雲台は、カメラのボディとレンズのように組み合わせ自由なのが 嬉しいですね。またセンターポールの径が同じなものは、それも交換できる ことができますし。 ところで、気が付かれたかも知れませんが、この写真の三脚設置は前側2脚 で設置しています。というか斜めですかね。 しかしカメラのバランスは取っていて、レンズ前側が重いということにはなって いません。カメラのバランスさえ取るクセが付いていると、どのような脚位置でも、 またカメラをパンしても安定しています。 飛行機の離着陸などの撮影では、カメラをぐるーとパン・チルトしながら回して 撮影しますので、脚がどのようになっていてもカメラ部は安定している必要が あります。 半ば動画撮影のようなものですが、そこらは1点集中の風景撮影と大きく違う ところです。 望遠レンズを着ける場合、三脚座があるのはそれを使いますし、ないものは スライダーをかましてバランスをとっております。スライダーに乗せる場合は バッテリーグリップは外します。 このカメラはライブビューが効きませんので、アングルファインダーを着けて いますが、逆光が凄くてマニュアル合焦が辛く、結局最後はAFで合わせました。 私が最初に野外で三脚を使い出したのは、パノラマ撮影からです。 特別な専用のパノラマ雲台は必要ないと思いますが、スライダーは絶対必要 です。それと三脚のエレベーターと。また確実に脚を水平にしておくことが 肝心です。こういうので厳密に三脚を設置するクセが着きました。足場のよい ところ以外では三脚は設置しません。 三脚・雲台は、頑丈さ、使い易さ、持ち運び易さ、設置の容易さ、等々色んな 要素があって、そのどれもが調和がとれているのが優れた三脚と言えそうです。 また撮影目的によっても評価はガラリと変わります。 これひとつという三脚は存在しなくて、撮影目的や搭載するカメラに合わせた 三脚選びということになりそうです。

Camera Profile

dp2 Quattroについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

シグマは2014年2月10日、dp1・dp2・dp3 Quattroの開発を発表し、CP+2014で動作機を展示した。この段階では価格も発売日も未定であり、新しいセンサーと外形を先に披露する発表だった。1プレス デジカメWatch新世代Foveon X3センサー採用のdp Quattroシリーズ

最初に製品となったdp2は6月27日に発売された。2レビュー 価格.comSIGMA dp2 Quattro レビュー評価・評判 6月12日の発売決定時点でも、広角のdp1と中望遠のdp3の日程は未定で、3機種が同時に店頭へ並んだわけではない。発売決定記事が示した市場想定価格は税別11万円前後だった。3プレス デジカメWatchdp2 Quattroの発売日と価格を決定

ラインナップ上の位置付け

dp2はQuattroセンサーを最初に採用し、シリーズの標準域を受け持った。開発発表時の構成は、dp1が28mm相当、dp2が45mm相当、dp3が75mm相当であり、レンズ固定式のまま画角を選ぶシリーズである。1プレス デジカメWatch新世代Foveon X3センサー採用のdp Quattroシリーズ

23.5×15.7mmのセンサーに30mm F2.8を組み合わせ、最短撮影距離は28cm。幅161.4×高さ67×奥行81.6mm、本体のみ約410gという外形で、3型約92万ドットの背面モニターを備える。BP-51電池使用時の撮影可能枚数は、公式仕様では25℃で約200枚とされる。4公式 シグマdp2 Quattro 製品情報・仕様

画素数は数え方を区別する必要がある。有効約2,900万画素は3層の合計で、トップ層は5,424×3,616画素、中間・下層はそれぞれ2,712×1,808画素である。JPEGのSUPER-HIGHは画素補間による7,680×5,120画素の出力であり、RAWの画素数を約3,900万に増やすものではない。4公式 シグマdp2 Quattro 製品情報・仕様

先代からの進化

DP2 Merrillからの大きな変更は、各層の役割の配分である。Merrillは各層約1,530万画素、合計約4,600万画素だったが、Quattroは輝度情報を得るトップ層を約1,960万画素へ増やし、中間・下層は各約490万画素へ減らした。シグマが訴求した「3,900万画素相当」はベイヤー方式との比較による解像性能の説明であり、3層の合計画素数とは別の指標である。5インタビュー デジカメWatch新Foveonセンサーはカメラの解像力の概念を変えるのか

処理エンジンはTRUE IIIとなり、2ダイヤルや水準器、ケーブルレリーズ対応も備えた。書き込み時間にも変化があり、デジカメWatchが同一被写体をJPEG FINE/HIGHで撮り、SanDisk Extreme Pro 16GB Class10を使って各10回測定した結果は、Merrillの平均9.2秒に対してQuattroが4.7秒だった。これはシャッターからアクセスランプ消灯までの時間で、次の1枚を撮れるまでの待ち時間を示す測定ではない。6レビュー デジカメWatchSIGMA dp2 Quattro 機能編

レンズの6群8枚という光学構成は継承された。レンズ担当の幸野氏によれば、Merrill用の光学系の解像限界を計算し、Quattroにも十分と判断したという。鏡筒が太くなったのは、AF駆動部をボディ側から鏡筒内へ移し、AF補助光も組み込んだためであった。7インタビュー ヨドバシカメラdp2 Quattroの開発経緯について 3:レンズ

機能は発売後にも加わった。2014年10月23日のVer.1.03でX3Fのカメラ内RAW現像に対応し、撮影後の仕上げを本体でも行えるようになった。8プレス デジカメWatchdp2 Quattroがカメラ内RAW現像に対応

開発の背景

山木和人社長は、Foveon社と次世代センサーを検討した際の目標を解像度の向上と説明している。ただし3層すべてを高画素化すればデータが膨大になる。そこで、細かな明暗の情報を持つトップ層と、密度を抑えた下層とを組み合わせる構造へ進んだ。トップ層は青だけでなく緑や赤にも広く感度を持ち、そこから得る輝度情報と3層の色情報を演算して画像を作る仕組みである。9インタビュー ヨドバシカメラdp2 Quattroの開発経緯について 2:センサー

データ量を減らす工夫は、そのままカメラの小型化にはつながらなかった。山木氏によれば、高特性のAFEが4個、さらに前段に2Gbit、後段に4Gbitのメモリーが必要となり、回路規模はハイエンド一眼レフに近づいた。こうした電子部品を載せる面積が、ボディの大きさを決める条件となったのである。10インタビュー デジカメWatchフォトキナ:シグマ社長 山木和人氏インタビュー

デザイン担当の森行氏は、熱源をセンサーから離すこと、大容量電池を収めること、保持性との釣り合いを取ることから横長の配置を選んだと説明する。外形を先に小さくまとめるより、撮像と処理に必要な部品の配置を優先した形である。5インタビュー デジカメWatch新Foveonセンサーはカメラの解像力の概念を変えるのか

社内には大型化を心配する声もあったが、画質を優先する判断は維持され、最終的なデザインの決定まで約半年を要した。操作系もプロやハイアマチュアを意識しながら、入りやすさを考慮したという。担当者が重視したのは機能を増やすことより、写真に集中して扱える操作であった。11インタビュー ヨドバシカメラdp2 Quattroの開発経緯について 4:UI・デザイン

最初の搭載機にレンズ固定式のdpを選んだのも、画質のための選択だった。山木氏は、ボディに起因するショックを避け、専用レンズで周辺まで解像させられることを理由に挙げている。12インタビュー ヨドバシカメラdp2 Quattroの開発経緯について 1

開発者はさらに、固定式なら個体ごとにレンズとセンサーを正対させて出荷できる点を説明した。一方、EVFは検討したものの、新センサーと新処理系の開発に加えると期間が延びるため見送った。大型プリント向けのSUPER-HIGH JPEGも、こうした解像性能を直接出力するための機能であった。5インタビュー デジカメWatch新Foveonセンサーはカメラの解像力の概念を変えるのか

初期の画像処理には、必要のない場面で色ノイズ除去が働く問題もあった。2014年9月のインタビューで山木氏は、最新版ファームウェアで解決したと説明している。新センサーとともに導入した処理系は、発売後にも調整が続いた。10インタビュー デジカメWatchフォトキナ:シグマ社長 山木和人氏インタビュー

利用者の評判

複数の専門媒体に共通する長所は、低感度での細部の解像と、単焦点レンズによる周辺までの描写である。一方、高感度ではノイズや色、細部の劣化が制約とされ、低感度中心の撮影に向くという評価で一致した。RAWとJPEGでは評価が異なり、実用上限の感度まで各媒体が同じ判断をしていたわけではない。13レビュー デジカメWatchSIGMA dp2 Quattro 実写編

暗所のAFには複数媒体が留保を示し、光量のある場面や静止被写体に適すると評価した。また横長のボディと後方グリップは収納や扱いの制約にも挙げられたが、保持性への評価は一様ではなかった。14レビュー Amateur PhotographerSigma dp2 Quattro Review

2026年10月1日時点の価格.comでは、集計対象22件の満足度が4.87、画質が4.96であるのに対し、バッテリーは3.11、携帯性は3.22だった。ホールド感は4.55で、後年の投稿を含む小規模な集計ながら、画質を高く評価しつつ携帯性や電池には留保する傾向が表れている。2レビュー 価格.comSIGMA dp2 Quattro レビュー評価・評判

評判の出典

5件

内容の確認日: 2026年10月1日

dp2 Quattroで撮った写真の話題

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