心理的画素数論
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 dp2 Quattro
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.2.0
レンズ 30mm F2.8
焦点距離 30mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 5424x3616 (18,836KB)
撮影日時 2015-01-02 05:41:45 +0900

1   kusanagi   2015/8/27 23:42

心理的画素数論
カメラの画素数とは別に、我々か写真を鑑賞する場合の、言わば心理的画素数というものが
あるのだと考えています。
デジタルカメラの画素数は増加の一途ですが、新しい高画素のカメラが出るたびに、
既存のカメラユーザーは、もうそんなに画素数はいらないよ、現状の◯◯万画素で十分だと
言います。そういう言葉をもう幾度も耳にしたことか。
しかしユーザーは時代の川に流れるように、またもや新しい高画素カメラを手にしてしまうの
です。

写真の緻密さと、撮影感度の高さは、これはカメラ技術発展の本道ですから、メーカーは
この技術の発展を疎かにするわけにはまいりません。技術発展を少しでも疎かにするとすぐさま
ライバルメーカーに食われてしまいます。

それにしても、ユーザーは超高画素カメラを、なぜ、あえて積極的に求めないようなところが
あるのでしょうか。皆さんはその消極的気分の本当の理由を考えたことがあるでしょうか。

例①http://photoxp.jp/pictures/128914
これはステッチング撮影ですね。失敗例ですが、ほぼ5000万画素になっています。
縦3段の横パノラマをパソコンのソフトでつなげたステッチング写真なのですが、普通の低画素
のカメラでもって多数ショット撮影し、特殊な三脚(雲台)で撮影するのですが、この撮影では
専用雲台を使わなかったために失敗し、完全に繋げられなかったというわけです。

例②http://photoxp.jp/pictures/155948
5000万画素カメラのワンショット撮影の写真です。例①と同じような被写体なので比較が容易
だと思います。とにかく例①例②とも緻密な画像であり全画面、細部までびっしりとモノが写り
込んでいます。
こうう場合の心理的な情報量は高い、大きいということになります。もちろんデジタルデータの
情報量も大きいですよ。

それでは次の写真を見てください。
例③http://photoxp.jp/pictures/155960
キヤノン5000万画素カメラの撮影です。
例④http://photoxp.jp/pictures/155767
ニコン3600万画素カメラの撮影です。

例③は緻密に写っているのは画面中央の僅かな部分です。接写なのであとはボカしています。
例④は緻密なのは橋だけ。後は海と空だけですから。
つまり、超高画素カメラを使いながらも、全画面に於いてそれを生かしていない写真であるわけ
です。勿論わざとそうしているのでしょう。それで、心理的な情報量はそんなに高くない、という
ことになります。
当然、高画素カメラを使っているので、デジタルデータとしての情報量は高いのですよ。

例⑤http://photoxp.jp/pictures/128831
この写真はパノラマ撮影ですが、とにかく人気のない写真です。それはただ膨大にモノが写って
いるだけの写真だからです。しかし100年経ってみれば、この写真は貴重な記録写真の価値を
持ちます。(^^;
とにかく画素数が多い写真、それもモノが緻密に写り過ぎている写真は、とてつもない情報量を
持つのですが、生身の人間はそれを嫌うという傾向があります。これは心理的な、本能のような
ものです。
簡単に言うと、それを見る人間は、情報過多による疲れを起こすのです。
それを私は、仮に心理的情報論として今ここで推敲しているんですね。

それでは、超高画素カメラは必要の無いものかのか。遠ざける対象になるものなのか、というと、
それはまた話が違います。
上の例③と例④の写真がそれを示しています。もし仮に、それらの対象物を1000万画素のカメラ
で撮影したとしましょう。
小さな拡大率の写真では相違は出ませんが、拡大してピクセル等倍鑑賞をした時に、あっと驚き、
その違いに気づくはずです。
やっぱり超高画素カメラはスゴイと。低画素カメラでは限界があると。
それでいて、例③例④の写真は、心理的な画素数疲れ、情報量過多の疲労を起こさないように
なっています。これは上手いやり方です。

例⑥http://photoxp.jp/pictures/150923
その上手いやり方を、「大人の写真作法」として以前に書きました。高画素のカメラほど、むしろ
全能力を出さないほうがスマートであるということ。そういう写真の仕組を応用するのだと。

例⑦http://photoxp.jp/pictures/152026
これは手前の樹木のみに高画素の力を与え、背後の島や浜辺はぼかして力を抜いています。
ピクセル等倍鑑賞でないと分かりつらいです。
例⑧http://photoxp.jp/pictures/153346
これもピクセル等倍で見ないと分り辛いですが、上の手前の樹木と下の道路は心理的には無い
ものとみなして、真ん中の樹木とその向こうの山と平野をの世界を表そうとした写真です。
覗き絵の仕組みとなっています。縦写真なのに本当は横写真。
⑦⑧とも、高画素カメラの心理的情報論を意識した後での撮影です。

以上は、そんなに難しいことではなく、本当は簡単なことを言っているわけですが、おそらく、
現時点では理解できる方は殆んどいないと思われます。(これは私の文章の表現力の拙さでも
あります) しかしやがて、その必要性に誰もが気づくようになります。

しかし多くのカメラユーザーは、その高画素を活かす写真を撮らないと思います。
というか、ピクセル等倍鑑賞をせずに、ただ単にモニターの画面枠での鑑賞にとどまるだろうと
考えています。例外的なのはシグマのカメラで、このカメラは仕組み上、ピクセル等倍以下では
画質が劣化しますから。

むしろ自動的に画素数圧縮した画像で鑑賞するのが正解で、それで何不自由もないわけですから。
メーカーの高画素技術の恩恵は、必要に迫られて拡大した場合に限られるでしょう。一般の
ユーザーにはそれでよく、高画素技術は隠れた縁の下の力持ちでよいのだということです。
しかし写真の技術を追求しようと考えるごく一部のユーザーだけが、その高画素カメラの本当の
実力なり、積極的に高画素の意味というものを知ることができますね。

また、高画素カメラの威力というものを、如実に感じる為には大型のモニター、4Kモニターとか、
複数枚モニターの使用が前提となるところがあります。
普通のフルHDモニターは200万画素です。それを2枚のデュアルモニターにしても400万画素で、
4Kモニターだと800万画素。まあその程度でしかありません。
カメラだけが数千万画素と高画素になり、しかしそれをモニターする器具が遅れをとっていると
いう感じです。

しかし、高画素モニターというのは、それこそここで言った鑑賞の画素数疲れを起こす元凶であり、
私はシングルフルHDモニターの鑑賞で十分であると思っています。
ここらの見極目も、心理的画素数論を考えておくべき理由のひとつです。
われわれは、膨大過ぎる画素数、情報過多に溺れてはいけないのです。自分の見識を高めて
おかなければ、思わぬ落とし穴に入り込むのが日々技術革新の続く現代です。

2   GEM   2015/8/30 15:17

こんにちは
以上は、そんなに難しいことではなく、本当は簡単なことを言っているわけですが、おそらく、
現時点では理解できる方は殆んどいないと思われます。(これは私の文章の表現力の拙さでも
あります) しかしやがて、その必要性に誰もが気づくようになります。

全く理解不能です、もう少しほかの写真などをうまく利用して説明して下さい。

3   GEM   2015/8/30 15:27

それと人の写真を勝手に引用しないで頂きたい。

そして、今回はきちんとした返信を待っています。

4   GEM   2015/8/30 22:48


上でコメントされているのに、お返事がないようですね。
即刻このスレを削除して下さい。

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