メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp2 Quattro |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.2.0 |
レンズ | 30mm F2.8 |
焦点距離 | 30mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/500sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2712x1808 (2,997KB) |
撮影日時 | 2015-01-18 07:23:44 +0900 |
三脚での撮影は・・・
http://pchansblog.exblog.jp/1523903/
こんな具合でかつては三脚不要論も出たことがあります。しかしデジタル
カメラも最近のように高画素となると、やや以前とは事情が変わってきて
いるみたいですね。
でも私は、画質云々だけで三脚撮影をみるんではなく、撮影時の充実感と
いうことでも三脚撮影を見直してみるべきだと考えています。
三脚で撮影すると、手順をきっちりと踏まなければなりませんから必然的に
撮影は遅く、じっくりと考えながら撮ることになります。そのスピード感の遅さ
が逆に撮影時の充足感や満足感となるのではないかと考えているのです。
手持ち撮影だとSD1Mなんかはすぐにバッファが一杯になり撮影がストップ
してしまうのですが、三脚をきっちりと立ててマニュアルでピントを合わせて
リモートレリーズで撮影となると、SDメリルでも十分にいけるわけです。
むしろ今のデジタルカメラの撮影が、あまりにもせわしなさ過ぎるという気が
します。
三脚をあまり使わない人は、次々と別のカメラに目移りがするっていうのは、
私、当てずっ方で書きましたが、案外に当たっているんですかねー。(^^;
そうだとすれば、三脚を使わない人は、撮影時にあまり満足感を得られずに
カメラを使っているということにはなりませんか。
写真の満足感というのは、イコール画質の満足感とは同義ではありません。
写真は自己創作的な面があり、それはカメラやレンズのもたらす画質そのもの
とは必ずしも直結しません。
写真とは自分が創造して作るものであるわけですから、そこには想像力も
湧いてくるし創作する工夫もあって、そういうものを実感しながら撮影に望む
っていうことになるんでしょう。
もっとも私自身は創作力がないので、単純に撮影自体で充実感を伴った
余裕のある撮影をしていければなって思うだけです。
とにかくそういうこころの余裕を生むためにも、スローモーな三脚を使っての
撮影というのは精神的に大きなメリットがあるように思えてくるのです。
ただ、三脚の撮影にもデメリットはあります。それは三脚の大きさ重さだけ、
撮影者の歩く運動量が減ってしまうことです。
それから三脚は完全なアナログ製品でして、フィルム時代もデジタル時代も
関係がありません。カメラも現像機もデジタルコンピューター式になってしまい
ましたが、唯一、三脚だけは昔も今も変わっていませんね。
三脚を組み立てている時、しまう時っていうのは、コンピューターのボタンを
押すだけっていう、今の時代からはかけ離れたアナログ的な時間感覚がある
ようです。
それから三脚にカメラを乗せている間というのは、カメラの重さから全面的に
開放されるわけで、その身軽な開放感というのもいい感じですね。
まあ、こんなことはフィールドで三脚を使って撮影されている人には当たり前
のことなんですが、三脚に疎かった私自身には新鮮な感覚でした。
この瀬戸の夕暮れを撮影している時、カメラマン氏が3人ほど訪れました。
みなさん三脚を使っているわけで、しかもご年配の人ばかり。なになに写真
クラブに入って写真を趣味としている方には、三脚撮影は当たり前のようです。
三脚不要論・・ある意味では,正論ですね。
高感度でSSを上げて、ぶれないように・・・
手振れ補正・・これは、光軸をゆがめて、見られる絵にする・・
どちらにしても、無理をしています。
ミラーの振動が素子に伝わるのも良くないです
三脚で、ミラーアップして撮影するのが、最良なのでしょう。
何が良いかは、個人の主観で良いとおもいます。
この写真、とてもよいですね、素晴らしい。
あっ、そうでしたね。ミラーアップ撮影ということを忘れていました。(^^;
SD1Mでしたら、1レリーズでミラーアップになり、次の2レリーズで
撮影ができるようです。さほど手間がかかりません。
私も三脚撮影はメインの撮影手法にはならないでしょう。今回のような
望遠レンズで超遠景を撮る場合だけですね。
三脚を持つと、とにかく歩けません。自分は歩くために写真をやって
いるところがあるのでどうしても三脚使用は限界があります。
今回購入したカーボン4段三脚は、一番軽い部類になるわけですが、
それでも歩きには邪魔です。
今回の撮影にはさらにベルボンマーク7大型三脚も持参したのですが、
カメラバック3個に三脚で、ひいひい言いながら僅かな距離の山道を
四苦八苦しながら登りました。
なお、この写真自体は三脚を使っていません。
kusanagiさん
いい写真ですね。
最後の一行にはやられました。
そう・・・過去、数年間・・すべての掲示板で見てきたいろんな写真・・・
一番感動しました・
こんばんは。
<何が良いかは個人の主観でよい>
その通りだと思います。
私の場合は仕事の合間の短い時間に手持ちでチャチャっとという感じに
納得がいかなくなり撮れなくなっております。
そんなに大した写真じゃないと思うんですが、たたちょっと見せ方にトリックが
あるんではと思っています。
まず、撮影場所は標高350メートルなので俯瞰写真なっています。よく高山
なんかで麓の平野部を撮影するのと同じ感覚なのですが、海を俯瞰して撮影
するのはあんまりないのでは?ということ。それで珍しいということがあります。
もうひとつのトリックは、最初に望遠レンズの写真を2枚見せておいたことです。
これで鑑賞者は、望遠で部分を見ることにより遠近感覚を得たということ。
それでもって次に広い範囲の写真を見ると、鑑賞者は立体感の感覚を持ちながら
広範囲の写真も見てしまうんですね。
そういうスケール感を心のなかで生み出してしまうのじゃないでしょうか。
もしも、最初からこの写真だけしかアップしていないと、鑑賞者はさほどの
インパクトを感じることはできなかったろうと思っています。
まあ、見せ方のひとつのテクニックでしょうかね。
もっとも、私としては写真を良く見せようという気持ちはさらさらなくて、この燧灘
という海の広大さ、魅力というものを自分自身で知りたいという、ただそれだけ
なんですね。
撮影の場で、アマチュアカメラマンの女性が私に、光芒を撮っているのですか?
と問われたのですが、光芒?なにそれ?という感じでして(^^;、私としては、
本当はクリアに晴れているほうがいいわけです。
燧灘の大きさは、香川県がすっぽり入るほどの面積があって、それが低い山
からでも一望に見渡せるという、広大な空間感覚が魅力といえば魅力なんです。
1~2万年前の氷河期の時代、ここは平らな陸地であり広大な森林地帯と
なっいたはずです。
裏街道さん、お久しぶりです。(^^;
三脚を使っての写真は、時間がないとなかなかできるものではありません。
私は手持ち撮影で十分だと思っておりますが、上記で書きましたように、
三脚の写真の精神的な面を今回は重視して書いております。三脚撮影のススメを
書いているわけではないのです。
例えば、裏街道さんのいうところの、チャッチャッチャって素早く撮って終わりで
はなくて、チャッだけでよいと言うか。(^^;
短い時間でもそれなりにじっくりと光景を見て、これだと思ったワンシーンワンショット
だけの撮影で良いかと思うんですね。
欲張って数を撮ると、どうしても撮影時の印象が散漫・希薄になってきます。
1ショット、1ショットを大事に記憶に留めながら撮影をすると、撮影者にとっては
大事な時間を過ごしたという他に代えがたい記憶を得ることができるはずです。
デジタル写真、どうしても撮り過ぎてしまったり、忙しなさすぎたりします。
それでは返ってせっかくの有用な時間がもったいないという気持ちになりますね。
例えば撮影の時間は10分しかないとします。その10分をバリバリと数十ショット
撮影するんではなく、9分は光景をボンヤリと見るだけにして最後の1分で、
これだと思うシーンを1~3jショットほど撮れれば、逆に撮影時の印象はより
深くより強く記憶に残って、写真を大切にすることができるのではないでしょうか。
これは、私自身、あまりにも撮り過ぎてきた反省を込めて書いております。(^^;
おはようございます。
潮目というのでしょうか。海面の波模様が複雑で海流の強さが想像できます。海霧も私は見た事がないです。
とても素晴らしい眺めですね。。
この風景、カメラマンが撮りに集まるのもわかります。