メーカー名 | SIGMA |
機種名 | DP1 Merrill |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.2.0 |
レンズ | 19mm F2.8 |
焦点距離 | 19mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/80sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2352x1568 (2,733KB) |
撮影日時 | 2012-01-01 17:42:50 +0900 |
zzrさんが青森に隠れてしまったのを良い機会として、私も投稿のペースを
落としてみようと考えている。
デジタルカメラ、デジタルツールはできるだけ、ひかえるのが適切だろうと、
最近はこの身を持って考えるようになった。頭だけは以前から知ってはいたのだが、
自分の身体性をもって全身で考えなければ、本当には身につかない。
3ヶ月間写真撮影を止めて、再度撮影は復活したわけだけど、以前とはまるで
違う撮影方法をしているのだ。
この休止期間とそれに続く改善は、自分の身体に大きな変化があったと思える
ようになった。それだけでなく今までこんな簡単なことが分かっていなかったのか?
というような「気づき」が急上昇で芽を吹いている。
ここ数年間の生活上の過ちが、すっきりと明確に自覚できるようになった。
小さな変化が結果として大きな違いを産んでしまうのが、「運」というものだ。
運を左右する直接の原因は日常の細部に宿る。これは間違いがないことだ。
デジタル写真の手習い。
これはまだ始まったばかりだ。たかだか十数年に過ぎない。
またプロが最先端を行っいるとは限らないのだ。案外に我々自由な素人がその
最先端を走っているのかも知れなくはない、と言いたいところだね。(^^;
もう収まったのだけど、ここしばらくの間の、掲示板群における多くの感情の
取り留めのなさには本当に驚いてしまった。一体どうしてしまったのだろう?と
不思議に思うほどの有様だったと思う。
デジタルツールは人間性の劣化を誘う、とはよく言ったものだ。別の言葉で言えば
「運」を落とす。大したことじゃないのだけどそれが積み重なると最後は大きな
結果になる。
写真に関して、少しは良いことを書かなければならない(^^;、とすれば、私もただ
写真を止めていただけでは「気づき」は現れなかったということだ。
休止に続く撮影の復活という身体運動に於いてそれは現れたのだから、やはり
写真撮影という行為は、すばらしいものがあると思う。
このことは強く強調してもいいと思う。
写真を撮影するいうことはルーティーンの身体運動ではなく、新しい視点で持って
この世界を新たに見るということだから、身体だけでなく脳にも良いはずなのだ。
そこが決まりきった散歩道とは違う点であるのだろう。
写真は小さな雑多な発見の繰り返しだ。とにかく発見のない写真はつまらない。