写真の実利-5
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-30
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 12mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/8sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2000x1500 (2,105KB)
撮影日時 2008-02-05 13:48:32 +0900

1   kusanagi   2017/3/11 23:24

tontonさん。はじめまして。(^^
文面から察しまするに、昔のカラーフィルム写真文化からそっくりそのままデジタル写真に来た方
ではなさそうだというです。もしかすれば本格的にはにデジタル写真から写真を初められた方なの
かもしれません。
とにかく過去の大仰なカラーフィルム写真文化の毒牙をあまり持っていない方のようです。(笑)

tontonさんには注目すべき利点が多々あります。
まず絵画の素養があるということ。それから写真の歴史を垣間見ているということ。これらは非常に
重要なことですね。それからコンピューターの素養が深くあるということも大いに利点です。
低画素のコンデジを経験しているというのも利点です。

ミノルタ30万画素カメラというのは何だろうと知べましたが、これですか?
http://gizport.jp/manuals/1859003
http://kakaku.com/item/00501110462/spec/
コニカミノルタe-miniかな? e-mini Mというのもあるようです。
ふ~む。中古屋でみつけたら私のコレクションにも付け加えたいですね。(^^ゞ

写真はハッタリである。ハッタリを噛ますことが大事だ。(笑)
そう言うように写真を考えている人も中にはいるようです。これはこれでその方の行き方というか、
単にそれをアマチュア写真に応用しただけなのですが、それで効果のある場合もあるようです。
純朴な人は騙されやすいのかもしれません。
しかし、本当に深く写真の素養がある人には全く通じないわけです。返ってハッタリ写真をしている側
が見ぬかれてしまいます。

ハッタリ写真のテクニックといいますか手口というものを披露すると、まず被写体は誰もが認めている
有名で美しい被写体を選ぶことです。全国的で世界的な被写体であればあるほど良いのです。
人目でそれと分かるアングルで撮影します。ですから撮影地やフレーミングは定番となります。
タイトルやコメントもひと目で分かるように。撮影機材などはブランド品は必須です。果てはネームまで
ブランド化すれば言うことなしです。

ただこのハッタリ写真は猛烈な副作用があるんです。
たとえば北朝鮮のハッタリ戦略は、そのハッタリをエスカレートせざるを得ない選択肢しか残らなくなる
のですが、いまさら穏健で小技の効いた手が使えなくなっていることです。もとに戻せなくなるんですね。
それは自らの可能性と選択肢を狭めてしまうということ。
ティラノサウルスのように大きくて強力な姿になってしまうと、もう進化の行き詰まりであり、滅びるしか
なくなってくるのです。恐竜は鳥類に進化しましたが、けっして大型恐竜がそのまま小さくなって進化
したわけではありません。もともと小さいままの素朴な小型恐竜だったものだけが鳥類になれたのです。
進化は逆流が不可能であって、一旦特殊に強力大型化すればその生物は後戻りができません。

写真もそういうところがあります。ですから写真の機材は大型化すれば後戻りはできなくなるのです。
それで秘訣というか秘策として、大きなカメラを持っても良いが、同時に小型のカメラも忘れずに維持
していくことです。そういういわゆる生物多様性を保っていれば生き延びることができます。
巨大なプロ一眼と同時に小型のコンデジを使う。超高画素カメラと同時に古い低画素カメラも生き延び
させておく。そういう異策ですね。でもこれは良策なんです。

ネイチャーとは本来ネイチャー写真を撮るのが目的ではありませんね。写真を撮るのは付加物にすぎ
ません。本当のネイチャーとは良く自然を観察してそれを我が物のとするのが目的です。
知り合いに野鳥観察が好きな人がいるんですが、その友人に、ベテランなのにカメラを使わない人が
いるそうです。双眼鏡だけなんです。
知人が彼にカメラを勧めても、頑として(ニコニコとして)カメラは持たないそうです。
珍しい野鳥が来て先を争って写真を撮るっていうのは、写真を撮って見せびらかすのが目的のような
もので(これもハッタリ写真かな)、それは本当の自然に親しむネイチャーの精神ではないのかもしれま
せんね。

本当のところ、私が考える写真の実利とは、写真を離れても役に立つ、言わば能力のようなものです。
その能力は写真によって養われる、そういうことを言いたかったんです。
その場合、写真の画像としての品質が良すぎると、その能力は芽生えないだろうということなんです。
そういう逆説のパラドックスが写真というものにはあるということ。そういうことですかね。
写真とは本来、フォトグラフの和訳なんですが、本来の日本語訳は光画ですかね。しかし江戸明治の
人はそれを、真実を写すという訳し方をしました。
それまでの日本画が写実的ではなかった為にそうなったんでしょうね。

江戸末期から明治に掛けて、日本はあっという間に西洋文明を取り入れて近代化を果たしたのですが
これは考えてみれば実に不思議です。ほぼ同様な東洋の文化を共有している、中国とか朝鮮などは
近代化に時間がかかり、かつ、今だに近代の文明や文化を我が物にしているとは感じられないから
です。
法の精神も民主主義も科学的精神もすっぽ抜けているのじゃないかという気がします。
しかし見かけ上は彼の国も近代化を果たして大国となっています。しかしそれは彼らの本当の実力
なのかというと、そうではなくて、もしすれば日本の模倣なのではなかろうかという気がするのですね。

これと同じようなことが、写真においてもあるんじゃないかなって思うときがあります。
写真の本当の意味は画像そのものにはありません。それは写実にあるんです。西洋では絵画の
時代から写実主義が芽生えていて、それが発展して光画となっただけです。当時の日本人は西洋の
写実主義に接して驚愕したのではないでしょうか。同時にフォトグラフというものも入ってきました。
それまでの日本画というのはディフォルメが普通て遠近法もなくてデタラメな絵だったんですね。(笑)
ですから写真の精神とは写実なのであって、現実をそのままよく見ようってことなんです。
思い込みや世間の常識ではなくて、自分が目の前に接している光景を科学的合理的な精神で持って
見ぬいて考えていくことだということです。

それで今は写真というのは機械的に写実的に写るのが当たり前だとみんな思っているでしょう。
特に最新のデジタルカメラは高精細に写ってしまう。それが当たり前だとみんな思っています。
しかし写真の当初はそうじゃなかったのです。デジタルでも画素数が低かったし画質は悪かったです
ね。もっと以前のフィルムはカラー写真は撮れなかったし、画質はよくありませんでした。
当たり前のことが当たり前でなかった時代があったということ。
今は、写真イコール画像だと皆が思っているけれど、そうなるには近代化の精神というものがあって
はじめてそうなったんですね。
写真=画像としても構いません。しかしそれとは別に写真の精神というものがあって、それは単なる
画像とはぜんぜん違うことなのです。写真画像は物ですが、写真精神は物ではありません。
どんなに頑張って写真画像をやったところで、そもそも写真精神という考えがなければ本当の近代化
を遂げることはできないのです。
それでは中国や朝鮮と同じになってしまう。

写真の創成期をぶっ飛ばして、その果実だけを我が物にしようとするやり方は、写真画像はできても
その写真の精神というものは身につきません。
フィルム時代でも黒白写真を飛ばして立派なカラー写真となってから始めた者。
デジタルでもその創成期のコンデジをせずに、いきなりデジイチから始めた人もそうです。
こういうのを良いとこ取りというのですかね。
それでは本当の近代化の、つまり写真の精神は、いつまで経っても身につかないでしまいます。写真
そのものも模倣の域を出なくなります。
それで本来の写真とは別のところで自分の我意を発揮するようになるんですね。それが例えば
ハッタリ写真で人気を得ようとするだったり、写真掲示板を自分勝手に牛耳ろうとしたりという形に現れ
たりするんです。

自分でも思うんだけど、これはものすごく難しいことを書いているんですね。まず伝わることは不可能
だろうっていうレベルのことを書いてます。(笑) 
しかし私が言っていることは、実践してみれば誰にでもすぐに分かることなんですよ。
今あるお使いのデジイチをJPEG黒白モードで撮ってみる。画素数を落としてJPEG200万画素くらいで
撮ってみる。そういうことを1年位は続けてみる。そうすれば誰にでも分かるんです。
本当の写真の精神を身につけるにはそれしかないとすら思います。
そして本当の写真精神は、実利として自分の能力を間違いなく底上げします。写真を超えて良効果が
望めるということなんです。それはなんだろうかということも実践してみないと到底理解はできないもの
なんです。

2   kusanagi   2017/3/8 22:22

随分と長く、デジタル写真になってからも、写真をやってきて我ながら思うことは、もう写真の時代
というものは終わってしまったのではないかと感じることです。
私自身の写真も終わりつつなのですが、それだけでなく世間様の写真という文化も終わりを告げて
いるように思えてならないのです。
今現在、写真として皆さんがやられているものは、言葉を正確に申せば、「写真」ではありません。
そう、フォトグラフですね。画像です。画像だと言えばそっけないので写真画像とでもいいましょうか。

昔の定義の写真というものは、見るのではなく読む、と言いました。写真を鑑賞する場合、見るの
ではなくて、読むということ。読み取る、考えぬくということ。
これは昔の写真がまず白黒であったこと。それから画質も随分と悪かったからです。また写真の
プリントも小さくて、また出版印刷されたものも画質はさらに悪かったのです。
ですから漫然と写真を見ていたのでは、何が写っているのかさえ分からない場合がありました。

デジタル写真もその初期においては、100万画素とか300万画素とかの撮像素子も小さなコンデジ
でした。当然にフィルム写真よりも出来が悪くで、その写真の情報量も昔の高感度黒白写真と張って
いるという具合でしたね。
その創成期のコンデジ写真を体験していない人は多いのじゃないでしょうか。大体はカラーフィルム
写真をやっていて、それからデジタル一眼に鞍替えした人がほとんどでしょう。

写真画像というのは、その画質が良くなればなるほど、ただ画像を見て感じるだけに終わってしまい、
写真を読み取るとか、考えるということをしないものです。
膨大な高画質という多量の情報量の前に、ただ画像を脳内に収めるのが精一杯で、それ以降の
思考というものに割り振るエネルギーが無くなってしまうからでしょうか。とにかくカメラや画像が、
良くなればなるほど我々の思考力というものは、画質に反比例するかのごとく失われていく、そういう
気がしてなりません。
ある意味、これは大いに不幸でありますね。
本来の写真の良さ、有意義さを知らずに、ただ漫然と写真画像をやっているわけですから。

このコメントのタイトルは、写真の実利ということで書いています。
実利というのは楽しみとかレジャーとかストレス解消とか、そういう消費的なものではありませんね。
写真という趣味を初めて、結構な金銭を使い、多大な時間と労力を消費し、それがただ単に快楽の
追求というものであるのならば、ちょっと虚しい気がするではありませんか。
写真趣味人がどんなに頑張ったところで金を稼ぐとは行かないのですし、所詮は道楽です。無難な
道楽だから良いんだという人もいますけど、それも消極的な見方ですよね。暇人の時間潰しということ
になるじゃないですか。

しかし写真には実利があるだろうと私は思っています。
それで私なりの回答をこれから書きます。
その前にマイナスの実利というか、損益の損害から言いましょうか。これはやはり身体を損します。
カメラやパソコンの放つ電磁波(光障害も含む)によって、脳と体に損害を与えます。
しかしそれは何の行為でもそうなので、プロの写真家もそうですし、パソコンのオペレーターだって
そういうことになります。彼らはお金を稼いでいるので我慢ができるわけですが、ただの趣味で体を
壊してはなんにもなりませんね。注意をしましょうね。

それで次に実利の利益としては、まず写真は野外の撮影がほとんどなので、その点では健康的で、
体力の保持になるということです。特に撮影では歩きますからこれは確実に体力がつきます。
だいたいこれで損益としては、プラスマイナスでチャラということになります。(度合いは無視して)
ふーむ。それだと大枚を叩いてカメラなどの機材を買い投資したのは、まるっきり損だということに
なりませんか。(笑)
いやあ、その分、写真で楽しんだのだからいいんじゃない?って言われると二の句が出ませんが、
投資には確実に利益を出さなければ原資も時間も損したということになるんです。

それでは機材の投資額に見合う本当の利益とは何か。
それは簡単なんです。写真をして御自分の能力をスキルアップすることなんです。
この能力アツプは写真から遠ざかった後も失われません。写真という学習を通じて自分が獲得した
能力だからです。
ここまで来て解る人は分かると思うのですが、それは写真を読み取るという能力ですね。一枚の
数枚の画像を提供されて、それを可能な限り考えながら読み込んでいくという、そういうスキルです。
誰に何を説明されるわけでなし、ただ眼前にある写真を見ながら考えを深めていくということ。

これが写真の最大の利益であり、且つ写真の最高の魅力なんですよね。
実は写真というのは、自分で写真を撮るということよりも、他人様の写真を見て取る、読み取るという、
その作業の方が遥かに高度であり、有意味なんですよ。しかし人様の写真をいくら見ても、自分が
写真撮影の経験がなければ限界があります。写真に経験のない人は残念ながら写真を読み込んで
いくことができません。
それで人様の写真を読むということは、その方の撮影した環境を出来る限り調べあげるという作業が
必要なんです。これは面倒なのですが、それをやらなければ本当の写真を知ること、さらには写真を
通じての真の交流とはなり得ません。

例えばzzrさんの写真を見て、東北の山や海や歴史や地理や、そういうものを調べて関心をもつこと。
そういうのが大事なんですね。いやそうしないと本当に東北の写真を見たことにはならないんです。
stoneさんは淀川を撮ります。だったら淀川や大阪平野を調べようじゃないか。またstoneさんは鳥を
撮りますが、自分が鳥にあまり関心がなければ、じゃあ鳥のご先祖の恐竜を知らべようじゃないかと、
それでまず自分の関心のある地球の歴史から紐解いてみることから始めたんです。そうすると恐竜
の末裔たる鳥ってスゴイってなるわけです。
Kazさんが米国在住でアメリカの写真を撮っているのならば、じゃあアメリカを知るためにも、ひとつ
ひとつ調べてみようじゃないかとなるんです。笑休さんの音楽でもそうです。
つまりそういう具合に写真を見る、写真を読むとは、その裏方に大変な作業をしていかなければなら
ないということなんです。しかしまたそれも面白いってなるんですね。

たかだか写真になんて面倒な。と思われるかも知れませんが、そうではないんですね。
実はこの読み取りの癖をつけますと、写真にかぎらず他のどんなことでも必ず解き明かせてみせる
っていう自分なりの自信が着くんですよ。この利益は大きいんですよ。
物事に遭遇し、ただ見るだけに終わらずに、それを分析しそして核心に迫るという、そういう生き方は
自分の人生を豊かなものにします。そんな具合で写真というものは廻り回って必ず自分の能力の向上
に役立つんですね。最終的には自分の直感力というのを育て上げるのです。
私は写真の本当の実利っていうのは、そういうことじゃないかなって思います。また写真を通しての
交流というのもそうに違いないと私は信じるんですね。
こういうのは、写真をただ画像だとして、ただ見てハイ終わりっていうのとは根本的に違います。
そこのところが写真と、単なる写真画像との本質的な相違なんです。

写真趣味をやって、ただ単純に楽しめればそれで良いというのは本当に写真をやっていることには
なりません。それは単なる道楽の消尽に過ぎませんから。
ですから皆さん、写真を考えてください。ただ快楽に終わらずに、深く強く考えて写真をやっちゃって
くださいねって言いたいですね。(^^ゞ
残念ながら、今の多くの方の写真術というのは美学の画像段階で終わっています。そのレベルでは
もうすぐ人工知能に取って代わられるというところですか。とにかく1枚の写真の背後にあるもの。
それを深く読みこんでいこうじゃないかと、言うことです。それが人間の写真術というものです。

3   zzr   2017/3/9 17:44

kusanagiさん、こんにちは。
言われてみればカメラを始めてから色々覚えたなと思います。
主に花や鳥の名前、自然現象とか調べたりしました。
歴史はあんまり興味がなかったのですが、kusanagiさんのお話を聞いてるうちに関心や注意を払って撮るようになりました。
でも今の第一優先は失敗しない事、あと出来るだけキレイに撮る事です。
kusanagiさんのお考えになる写真の実利、私もその通りだと思います。
そういう風に写真と付き合えれば良いとは思いますが、私の場合まだその余裕がありません。
でも何の為の写真かは人それぞれで違うでしょうし。。みんな一緒に考えるのは少し乱暴かなとも思います。

4   kusanagi   2017/3/9 23:01

ホントの事を言うとねえ、写真をただ綺麗に撮ること以上のことを、皆さん特にハイアマチュアの
方はとても大事に考えているんですよ。例えば被写体である踊り連の方々と親しくなって、ぐっと
交流の幅が広がったりとか、国立公園の管理者の方と一緒にボランテイアをしたりとか、野鳥好き
が高じて鷹匠に出入りしたりとか。そういう話はけっこうあるんです。まあ、そういうのがホントの
ハイアマチュアなんですけどね。
ただそういうの、皆さん自分からは積極的には言わないところがあります。

ただし、私が上で書いたことはちょっと話が違っていて、純粋に写真を読み取るってことなんです。
それは写真にかぎらず、テレビでも新聞でも人の噂話でもそうなんですが、真贋を見抜くってこと
ですね。それが写真を行う上での本当の実利ってことになります。
こういうことは何も私が改めて書かなくなても長年写真をやっていれば、皆さんご存知のことです。
ただ改めて言わない。言わないから分からないっていう人もいるわけです。
皆さん一応は当り障りのないことばかり掲示板に書くわけですが、本心はそうじゃないんですね。
長年の経験者は、皆さん知っているんですよ。ただ写真が画像を綺麗にすることで終わるってこと
じゃないってことを。

こういうことを言うと誤解があるかも知れないけど、写真というのは本当のことを人に教えないこと
が暗黙のルールなんであって、手取り足取り教えれば結局、教えられた方には何も身につかない
からダメだってことになるんですよ。
つまり自分で試行錯誤して自分なりに発見して身につけよってことです。自分で考えて見つけられ
ない人は捨てておくってことですね。写真というのは徹底して個人技であって、師匠と弟子とかの
ように、師匠はあえて教えない、弟子は師匠の技とか考え方を盗み出すことでしか本当には伝えら
れないものなんです。

写真の中の画像上のテクニックのことは、これはある程度はネットでも使えられます。しかしそれ以上
の写真の核心というものは、学ぶにはその人間の技量に関わっていることなんです。
また写真がネット交流が主体になりつつあって、それこそ本当に写真の核心の伝授というものが、
もしかすればこれから途絶えてしまうのではないかという危惧もあるんですね。
それであえて、私はこういうことをここで書いているわけです。このままで行くと、写真がただ単なる
画像趣味だけで終わってしまい、写真の文化というか技ですかね、それが無くなってしまう危険性が
あるんです。

ネットというのは、これは人が直に相対しているわけではないので、ちょっと難しいことを伝えようと
すれば、かなりの文章力というものがなければ難しいことなんです。それができる人は僅かですし、
またその文章を読み取ることも敷居が高いわけですよね。それでなんとなく当り障りのないことばかり
でお茶を濁すだけになるんですよ。
私はそれじゃ行けないねって考えているので、こうして色々と書き込んでいるわけです。
綺麗な写真を撮る人、上手い写真を撮る人ってこの掲示板でも多々いるわけですが、彼らがただの
綺麗写真を撮るだけで満足しているかというと、けっしてそうじゃないんですよ。表面的にはそのよう
に装っているけど本心は違います。だから騙されちゃあいけませんねぇ。(^^ゞ

割りと写真に関して自分の本心を披露してくれるのは、あまり苦もなく長文を書ける方なんです。
写真というものを、全く分野が違う文章に変換するっていうのは、これはある種の才能なんだけど、
普通の人はそういうものがやはり苦手なわけです。
例えば、花鳥風月さんなんか、何も言わないですね。黙って男は俳句でござる。ってだけでね。(^^ゞ
でもまあ、花鳥風月さんだって、その行為(レンズ板にしつこく投稿)によって、自分の考える何かを
伝えようということでやっているわけです。まどろっこしいんだけど、とにかく伝えることを諦めていない
ということ。それは勿論、写真は画像段階で終わるものじゃないってことですね。
とにかくそういう意志を持っている人、もしくは手段を持っている人というのは僅かなんですよ。

写真をただ、失敗しない事、あと出来るだけキレイに撮る事です~、って言っているのでは何時まで
経っても画像論から抜けだせません。もちろんこれはzzrさん、本心から言っているわけじゃないん
ですよね。(笑) そうなんです、そんな具合に皆さん、自分の本心を明かさないわけですよ。(^^ゞ
画像のプラスする利益のことを明かさない。それで十分いいんだけど、それではこの文章の趣旨に
反するので私はこうこうと書き連ねているわけなんです。

写真というのは騙しが本質なんです。さほど綺麗でもない光景を、とびっきりの綺麗な写真とする。
何でもないものなのに、さも重要なことのように大げさに表現する。そういうダマシのテクニックが
写真の本質の中ににあります。またその逆に、大切なものなのにアッサリと撮っているだけだったり
するんです。また敢えて撮らなかったりすることも。
そういうのは写真に限らず人の世の常ですね。騙すよりも騙されるほうが悪い。そういうくらいの
心構えでいないと、写真からは本当の実益を引き出せません。
だからただ綺麗なだけの花畑のような写真からは、そういう画像からは直接には何も引き出せない
ということです。その背後にあるものを見ぬかなくてはならないんです。
そういう写真の基本の本性を忘れないでねっていうこと。ですかね。(^^ゞ

5   tonton   2017/3/11 03:14

こんばんは
私が最初に所有したデジタルカメラは640x480pix(30万画素)の可愛らしいカメラでした。
今も手元に置いていて使ってみるとちゃんと動きます。
ミノルタのコンデジでした。当時仲の良かったミノルタの営業さんがプレゼントしてくれたのです。
そういえば、canonのIXY70も知人からプレゼントしてもらったんでした。
自前で購入したのは今使ってるのが初台です(笑)
それぞれ、今使っても楽しいのですが、ミノコンデジの場合、保存される画像形式がjpgじゃないんですよね。
ミノルタオリジナルの画像形式でpsのプラグインで読み込まないと普通の画像にならないのです。
とても不便^^;psのver7以前のものが使えないとモニターに映せません。

写真をするってこと、私の場合気付いていなかったものが写っている。
それが楽しいのですよ。
飛んできた虫や鳥がとまった。その背景なんて見ていたらどっかに居なくなっちゃいますよね。
一瞬、いいな、と思ったらそれをファインダーに捉えピンを調整しショットする。
一秒もたもたしていると撮れないこと多くて、一秒間に2度3度ピンを合わしながら構図取り。
X4の場合、秒3.5コマ程度の連射能力しかありませんので、三度あわせる事できたら連射モードも要らないのです。
現状は二度合わせ+連射一枚の感じ。
ワンショットx2の連射二枚目は大抵ターゲットが写っていないこと多いですが
稀に上手く撮れている事があります。
蝶も鳥も目で見てクリアな瞬間に指が動いてくれるよう反射神経に重点を置いています。
無駄にカメラをぶらさないよう、人差し指だけ動くよう、って感じ。
ピンが合い切れていなくても、ターゲットがいい表情ならショットします。
クリアなピン、それはオマケ。ぼけて写っているから没ってことがない私です。

著名な写真家、大昔のカメラマン達の写真集を集めていた時代もありました。
キャパやアービンペンが大好きでした。
ぼけぼけの写真多数、なんだこれ何撮ってんだろー。なんてね。
決して美しくない枯れ萎びた花とか(笑)大好きです。
見るって心で感じることなんですよね。
気付くことなんですよね。
絵画を観ていると、ふと画家が絵筆を持って自分の絵を眺めているような
背後に或いはすぐ隣にいるように感じることがあります。
美術館に居てそこがその時代のアトリエであるような錯覚、空気を感じる錯覚、それが楽しくて絵画展へ赴きます。
今風に言えば「妄想してんなよアホちゃう!?」になります。
何を見ても
過去の姿を想像している時がある、のでしょうきっと。
足元に小枝が落ちていて、何故か気になる
何故かなと拾い上げると、点刻があるんですよね。
点々と小さな穴が穿っていて、あぁセミが卵産んでるんだ。と気付きます。
無事孵化して地面に潜り込んだかな、まだここにいるのかなと元へ戻します。
人それぞれ何かに気付きながら生きていると思います。
この写真掲示板で言えば、
サムネールだけ観て分かった気になって欲しくない。と思います。
私の投稿する写真はモニター閲覧用に縮尺を整えて投稿することを基本にしています。
もし観たくなったらば「オリジナルサイズ」でご覧ください。と切に思います。

6   zzr   2017/3/12 10:07

kusanagiさん、こんにちは。
納得できる部分と難しくて分からない部分、同意できない部分が混在してます。
ただこの掲示板はお互いを尊重して仲良く楽しむという面が大きい場所ではないでしょうか。
考えの違いや言葉の間違い、色々あっても余計な波風を立てたり他者を攻撃したりするのは悪い事だと考えます。
揉め事の原因になってるあの方の一連の投稿は良くない事だと私は思います。
あと、初めて投稿しようとする方が気軽に入ってこれるような雰囲気も大事ですよね。。


7   tonton   2017/3/12 20:01

こんばんは
kusanagiさん、実は私stoneだったのです。
初心に戻ってみたくなり改名しました。
初期デジカメ撮ってアップしました!

8   kusanagi   2017/3/12 23:54

zzr さんの言うとおりですよね。(^^ゞ ただもうしばらくお待ち下さいな。
私が今ここで書こうとしていることは、内実あの花鳥風月さんへの対応ということでやっているわけ
なのですが、ただ、zzrさんが花鳥風月さんの投稿は間違っている、と、そのように考えて断言する
だけでは、何事も解決しないからです。
花鳥風月さんのレンズ板投稿問題は、想像以上に深刻だと私は捉えています。
例えば、この板やニコン板に、延々と同じような投稿が続き、しかも投稿者とのコミニュケーションも
出来ないという有様になったことを想像してみてください。
あれはよその板だから関係ない、というのでは寂しすぎますね。

私が書き連ねていることは実は私のそのままの考えではなく、花鳥風月さんはそのように考えている
のではなかろうか?ということを想像を交えて、それを私の意見として代弁して書いているところが
あります。それで文章としては大分矛盾し齟齬を含んでいます。
私も書きながら、これは変だなって思いながら書いているんですけどね。(^^ゞ
ただこの花鳥風月問題を解決しなければ、この掲示板の未来というものは不穏になったままにずっと
これからも過ごさなければならないということは確かです。
花鳥風月さんはとりたてて、あのレンズ板だけに挑戦状を突きつけているのではないと思わなくては
なりません。このフォトXP掲示板の全員に問いかけているというか挑戦をしているところがあります。

この掲示板は誰もが無料で参加できます。どなたもその使用料は支払っていません。ただ管理者の
方は、写真の文化の交流とその発展の為に尽力をつくされています。
それで参加者の方もある程度の共鳴をしなくてはならないと考えます。それはとりわけ、花鳥風月
さんの問題を参加者の我々で自主的に解決できないのだろうか、ということなんです。
しかしながら、この問題は時間以外には解決できない可能性が高いですね。

花鳥風月さんのレンズ板の薔薇投稿写真はハッタリ写真の最たるものです。機材だけがハッタリして
いないだけですから。そもそもネームからしてハッタリかましですよね。普通はああいう皆が使うべき
名称というか名詞は、ネームには不適当だとして付けませんから。
まあ、花鳥風月さんに言わせれば、レンズ板がそもそもハッタリだったのだから俺はその真似をした
に過ぎないよ、ということなのでしょうが、それを言えば我々の写真だって少なからずのハッタリかまし
をやっているわけですからね。
最初にレンズ板に薔薇写真があったからといって、いつまでも一方的に薔薇写真じゃ、これは病気
なのかな?って思われてしまいます。

写真というのは、よくも悪くも人間のすることですから良いことばかりじゃないわけですが、花鳥風月
さんのやり方はもう度を越しているところがありますね。
それでまあ、そういう尊大な人間を生んでしまうのが、写真にはあるんですね。小型の花鳥風月さん
は多々いるわけですよ。カメラマン氏の横暴ってのはそこらじゅうで軋轢を生んでますから。
写真は色んな側面があるわけだけど、尊大で自分勝手な人間をホイホイと育てるっていうところもあり
ます。それでせめて我々は、そういう人間にはなってはいけないってことですよ。反面教師としなけ
ればなりませんね。

花鳥風月さんのことを話題にしちゃあいけないっていうのは、それはお互いに無関心でいろっていう
ことですから、そもそも交流っていうのが出来なくなるわけですよ。皆が自分勝手に写真を上げて、
ハイそれでおしまいってことになります。写真から批判精神をとれば写真の半分は死んでしまいます。
褒め言葉だけの写真批評っていうのは、それこそ尊大な写真になりかねないですからね。

私が花鳥風月さんを個別に攻撃しているって捉えるのは間違っています。なんとなれば私は花鳥風月
さんから多くの利益を得ているからです。彼から学ぶことは多く、写真の何たるかを考えさせられて
いるからです。私こそが花鳥風月さんからの最大受益者の一人であると思っています。
彼が出現しなければ、この掲示板は詰まらないままだったのじゃないでしょうか。よくぞ出現してくれた
ものだと感謝していますよ。
掲示板というのはね、揉め事があったり波風が立つから面白いんですよ。そうやって人間は学んでいく
んですから。そもそも写真も掲示板の自分の成長の糧としなければなりません。

9   tonton   2017/3/13 20:13

レンズ板の話題に初参加します^^
あの板って写真タイトルがレンズ名だけですね。
とても不気味です。
ご参加の方々って、被写体に拘らない方々なのでしょう。そう見えます。
だったら、薔薇ばっかり貼っても全然OKなはずだと思います。
ほかに撮った(花鳥風月さんなりに拘った)ものは他の板に貼られていますし。
言葉少ない自作を淡々と貼られていて、時に少しばかり会話もされています。
何が気に入らないのか私にはちっとも分かりません。

10   tonton   2017/3/13 21:02

ちょっとだけ訂正の追記。
近頃「MakerNote研究所」からのご参加が増えてきて
不気味さが随分と軽減している様子があります。
不気味な慣習に囚われずタイトルに工夫をしてほしいですが。

11   sanagi   2017/3/14 23:21

そうですね、言われてみればそうなのかもです。(笑)
ただまあ、花鳥風月さんが使っているカメラとレンズ、それに皆んな飽き々々しているだけじゃない
ですかね。被写体に拘らないとは言え、薔薇ばっかりじゃ飽きたよう、ということかも。
ほら、昼食、いつもウドンばかりだと飽きるでしょう?たまにはライスも食いたいということで。
まあ、レンズや機材マニアの板ということに一応はなっているみたいなので、その社風じゃなかった
板風に合わないということじゃないですかね。
花鳥風月さんが寡黙っていうのも原因のひとつのようです。問いかけにも何も応じないみたいだし。
よくは分からないんですが、そういうことになっているようですよ。(以上は状況説明)

タイトル名が不気味な慣習ってのは、なるほど言えてますね。(笑)
あの板は写真を撮る板というよりも、レンズを撮る板なので(レンズを撮るってのも変ですけどね)、
レンズ自体が被写体というか目的だとすると、その目的物をタイトル名にするのは一応は理に叶う
のかもですね。
まあ花鳥風月さんが薔薇ばっかり撮ってもいいんだけど、それだったらカメラやレンズ、それを手を
変え品を変えさえすれば、みなさん納得するんじゃないですか。
カメラ10台レンズ100本くらい持って、いろいろごちゃごちゃとやると板風にマッチするのかも。(笑)

まあ、早い話、そんなあの板の固定慣習を変えたいと思って、敢えて花鳥風月さんは薔薇ばっかり
写真を投稿しようとしているんじゃないですか? ねえ君たち。こんな具合に薔薇ばっかり写真じゃ
飽きるでしょ。だったらレンズ写真ばっかりなんてのも飽き飽きでしょ?ねっ。
て具合じゃないですかね。
とは言え、レンズ板のメンバーは、普通の写真じゃないところにレンズ板の値打ちがあるんであって、
それを普通の写真板にしてどうするのよ?意味ないじゃないか。って具合で論陣を張られているん
でしょう。

まあ、機材マニアであるか、写真マニアであるか。その違いじゃないでしょうかね。
花鳥風月さんは写真と俳句マニアではあっても機材マニアじゃないですよね。それで板側(既得権者)
としては、機材マニアではない人はご遠慮願いたい。ぶっちゃけ、そういう話じゃないですか。
まあ、そういうことになると、これは衝突しますよね。話も通じないしで。
花鳥風月さんは写真をやる者は機材に傾向してはいかん。そういうのは間違っとる。という固定観念
がある人なんでしょ。かなり頑固そうで、間違っとるものは間違っとる。ならばワシがアヤツらを成敗
してくれるわっ。て感じで薔薇爆弾を投下(空爆)し続けているんじゃないですかねぇ。(笑)

花鳥風月さんは地上戦はしませんよね。空爆だけです。でも空爆も休みなく続けると、板側の人は
やはり弱ってきます。うまい手だなあって思いますけど、空爆をする側は得るものは何もないですね。
やっぱり地上戦をして初めて勝利は得られるものはあるわけで、そういうことではこの戦争、単なる
消耗戦であって、爆撃する側もされる側も疲弊するばかりで、双方とも得たものは何ひとつない。
そんなところじゃないですか。
非常に虚しい限りなんであって、そろそろ空爆作戦も終わりにすれば?って私は思うんだけど、そう
いうのも通じないですよぇ。(笑)

しかしデジタルでネットな現在では、そういう無意味な写真もあるんだなあって思うわけですよ。
もう全く意味なしであって、ただデータだけが飛んでいる。それだけの話しです。
私が花鳥風月大作戦を観戦して得たものっていうのは、今の写真というのは、つまるところ、それが
機材マニアであろうが写真マニアであろうが、まかり間違えば非常に虚しいものになるんだろうってこと
ですよ。
こりゃあもう、写真なんていい加減にしておかないと、自分の大切な時間と労力と金銭を無駄使いする
だけだなって。今の写真の虚しさっていうものを知ってしまったということなんですよね。

例えばね、この掲示板、写真投稿するのに一点100円掛かります。っていうことになると、花鳥風月さん
は無意味とも言える空爆投稿はしないでしょ。詰まり、タダだからやっているんですよね。
要はタダで投稿できて、暇だからやっているだけのことだと思いますよ。ということは、花鳥風月さんの
写真というのは、ただで暇だからやっているだけの話になるんですよ。(笑)
実際のところ、写真をそういう風に使われるんだとしたら、これは写真なんて現在ではもう無意味って
いうことになるわけでね。
無意味に写真を撮って、無意味に投稿をして、無意味に時間を潰す。これ、花鳥風月さんに限らない
んじゃないかもしれませんね。現在のデジタルネット写真は無意味なのか?それを突きつけられて
いるわけなんだろうって思うんです。
だったら写真なんてやめちゃう方がよっぽど有意義でしょ。てことになる。(笑)
現在では写真は限りなくタダに、そして無意味に、単にデジタルデータの飛び交いだけになってしまっ
ている。これは写真の劣化であり崩壊とも言えるべきものかもしれません。
今はもうそういう時代になっちゃっているんじゃないですかねぇ。

以下はもうちょっと突き詰めてステップアップした見方てす。花鳥風月さん2.0ですか。(笑)
もしかすると花鳥風月さんは、叱責と嫌味と意地でレンズ板に薔薇投稿をしているんではなく、
本当に自分の写真が正しいと思って本気で投稿している可能性があります。

花鳥風月さんの写真には、レンズ板以外の投稿もあり、そちらの方は到って気楽なスナップ撮影で、
割りと好感が持てる投稿です。ところがレンズ板の投稿はそうじゃなくて、実に生真面目に芸術写真
の探求を試みている。そのように受け取ることもできます。
(使っているレンズも違いますね。スナップは広角、薔薇写真はマクロです)

彼の頭のなかには、あくまでも写真とは最終的に芸術を追求するものであって、芸術写真こそが
至高の写真である。と、そのような考えておられるかもしれません。
それでレンズ板の方たちは高価な機材を駆使してテクニックも凄そうだ。この掲示板の中ではダントツ
の高い位置を占めているはずだ。ならば芸術写真を志す身としては、どうしてもレンズ板で腕を磨か
なくてはならないのだ。こんな考えですかね。冗談ではなく本当にそう考えているかもしれません。

ところがレンズ板のメンバーは至高の芸術写真を目指していません。(笑) いえ、建前としては写真
ではなくて、機材のレンズというもの。そういうものをして仲間同士で気楽に語りたいという板なんで
すね。到って軟派な板だとことかも知れません。
一方、花鳥風月さんは、写真は芸術であると考えていて、それが真実だと疑ってもいない人から
見れば、それはまるで理解できないことだとおもうんですよ。
花鳥風月さんは一方で気楽な写真と短歌というやり方もしているわけなのに、何故か写真を突き詰
めるとそれは芸術だ。てなるわけですよ。

それほどに一般的には、写真=芸術。つまり写真とは「画像のよろしかるべき状態」という固定観念
から抜け出せていないんじゃないですかね。
それにしても花鳥風月さんは、レンズ板のメンバーから嫌われても意に介せずという具合なので、
とにかくレンズのメンバー諸君を自分の芸術的力量で打ち負かしてやろうと考えているのでしょうか。
本気で自分がトップの座を目指そうとしてメラメラと野心を燃やしているのかもしれません。というか、
もうほとんど勝ち誇っているというか。俺がこの板を制覇しているんだぞって言ってるようです。
そんな花鳥風月さんをあっけにとらわれて見ているのがレンズ板のメンバーじゃないですかね。

私が写真はただ芸術的画像論だけであってはいけないというのは、つまり「よろしかるべき画像」の
作成以上のものを、これからの写真人は求めるべきであると書いたのは、この花鳥風月さんの
どん詰まりに端を発しているんです。
一途に芸術的な良い画像なるものを投稿しても、それを彼が頑張れば頑張るほどに、それは虚しい
結果となっているからなんです。
レンズ板の方々は、たかが写真で芸術なんて恐れ多いわ。それよりも自分たちは謙って機材的画質
というもので楽しめれば良いじゃないかって。そんなところだろうと思うのですが、大鉈で芸術を振り
かざすよりもよっぽど常識人かなって言えますかね。

花鳥風月さんから離れて書きますと、写真とは芸術っていう考え方をされている方はけっこう多いの
じゃないですか。
しかし写真の歴史から言えば、写真はまず記録や報道から始まったといえます。同時に芸術写真と
いうものも初期から出始めましたけど絵画からすれば二流の存在に甘んじていました。その状況は
今でもあまり変わっていませんね。
それから写真芸術というのはただ綺麗に撮るということではなくて、今は写真芸術は現代美術になる
わけなので一捻りも二捻りもしないと写真芸術と言えません。アマチュアがやっている写真芸術では
お話にならないというのが本当です。

早い話、写真で芸術をするというのは諦めたほうがいいですよって思います。我々が芸術的に出来る
のは模写レベルですね。書道ての模写とおなじこと。そういう程度のことしかできません。
それで話の分かる人は写真に画像的な芸術を求めるんではなくて、それ以外の撮影の楽しさとか、
各ジャンルのマニア的な趣味とか、そういう周辺にある楽しさを得ることを目指していくってことになる
ようです。写真をして旅の楽しさに目覚めるとか、郷土の良さを再発見したりとか、写真からパソコン
のソフトに入ったりとか(HDRはこれです)、そういう諸々の周辺的な楽しさですかね。

写真の実利っていうのは、そういう写真そのものではなくてその周辺物にこそ実利としての良さがある
という気がしているんです。そういう再発見ですよ。
とにかく写真は芸術っていう大前提の建前をやめてしまうということ。綺麗で上手な写真を撮っている
人が凄いとかそういうのからも目覚めるということ。写真を画像論だけに留まらせておかないこと。
そうしないとデジタルネット時代の現在では写真は虚しくなるだけで、本当の実利や楽しさからはます
ます遠ざかってしまうんじゃないですかね。

カラーフィルム写真の時代でしたら、自分は写真の芸術を目指しているって言えたかもしれませんが、
それはフィルムとかプリント写真という物が眼前にあったからですね。しかし現在ではそういうのはもう
まぼろしになってしまいました。現在の写真はモノじゃないんです。データなんですよ。(笑)
データとは情報データのことで、飛んでいったり無くなったりしてしまうものなんです。
ハッキリ言ってしまうと、現在では写真趣味というのはそれだけでは成り立たないんです。それは
データ趣味のことですから。自分は画像データをこよなく愛する・・ちょっと気持ちが悪い気が。
この、既に写真はなくなっているということは、漫画でいうところの、お前はすでに死んでいる。という
くだりをなんとなく彷彿とさせますね。
本当に既に、写真文化というものは死んでしまっていて、ただあるのはデータ文明だけなんです。
このことをしっかりと認識していないと、我々は亡霊をいつまでも追い求めていくことになるんです。

少しばかり小鳥を撮ってみて感じたこと。それは小鳥の可愛さ。
小鳥の写真はデータですからどうでもいいんですが、ホンモノの小鳥は実在し、その可愛さを教えて
くれています。小鳥の動きの素早さは驚きで、かなりシャッタースピードを上げなければ留められま
せん。また小鳥は小さいのでAFが難しい。かなり数撮らないと良いピントに出会えない。
とは言え、小鳥はその小ささゆえに、かなり近づくことができ(近づいても逃げない)、撮影はあまり
難しくないという気がしています。
とにかく小さな小鳥は我々人間とは別の次元で生きているような気がしました。しかし小鳥は里鳥
とも言えるべきもので次元は違っていても我々と同じ空間を共用しています。
野鳥という言葉はあまり好きではありません。写真を彷彿とさせるからです。それで小鳥と。
小鳥と言うと可愛らしくなる。コンデジが可愛いというのと一緒。

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