親不知
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 28mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/332sec.
絞り値 F9.1
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1363 (1,676KB)
撮影日時 2017-05-07 11:14:57 +0900

1   kusanagi   2017/7/1 23:29

こちらが本当の「親不知」ですかね。大変な急傾斜で山が海に落ち込んでいます。
私はサービスエリアとこの場所だけの撮影で、本当の親不知の海岸縁は行っていないのです。
テトラポットは当初は整列して配置していたんでしょうけど、そのうちに波の力で動いたり埋まったり
するんじゃないですかね。

http://hobbyland.sakura.ne.jp/Kacho/tabi_yukeba/2013/2013_0210_hokuriku/2013_0210_02.html
(ビフォアとネキストもあります)
これを見ると、「越国」というのがあります。今で言うところの福井県、石川県、富山県、新潟県ですね。
まあ、越前、越中、越後の国です。大和朝廷の創成期では独立勢力圏で蝦夷の国だったようです。
その蝦夷も百年ほど経って大化の改新の頃は北方に追いやられてしまったそうな。

ところでこの日本地図を見て、ふと思いついたのが新潟平野が海に大きく飛び出ていることです。
実際の感想としても新潟平野の広大さは特筆すべきもので、高速道をいくら走っても平野が途切れる
ことがないのです。
以前、・・・自然界の大規模な並行堤防は、島根県の出雲半島ですかね。出雲平野はその原理で
砂州が発達して大きな平野となったようです・・・ということを書いたのですが、もしかすれば新潟平野
は対岸の佐渡ヶ島の影響でもって広大な平野が発達したのかもしれませんね。

越後平野の生い立ち
http://suido-ishizue.jp/kokuei/hokuriku/nigata/shinkawa/0402.html
もちろん大河川の豊富な土砂があってこその話ですが、その土砂が流れずに堆積したというのは、
多少は佐渡ヶ島の自然堤防としての役割があったのではないですかね。そこらへんは詳細な海流図
を見てみないとなんとも言えません。
その佐渡ヶ島、高速のSEで、ここから佐渡ヶ島が見えるという場所に立ったのですが、残念ながら靄で
何も見えませんでした。

離島・・・というのに別に固定した定義があるのかどうか。自分的に言えば、本土から見て大海の向こう
に島が見えるか見えないかが離島だとすると、しかもそれが大きければなお良し、とすると、佐渡ヶ島
隠岐の島、九州では対馬、壱岐の島、五島列島、種子島・屋久島、甑島(こしきしま)なんてことに
なります。
こういう本格的な離島には、私はまだ行ったことがない。こちらで一番近いのは隠岐の島。行きたい
なあって思いながら調べたことはあるんですが、なかなかチャンスは巡ってきません。しかし船着場
までは行きましたけどね。そうそう佐世保では五島列島行きの船着場にも。(^^ゞ

瀬戸の島は、これは内海の島々ですから、ちっょと自分的には本格離島とは言いがたいところが
あります。やはり島に渡って、もう本土は見えなくなっているというくらいが、寂しさと心細さがつのって
来るのがいいかなって感じですか。もう一生、本土には戻れないんじゃないかっていう、もう島流しの
感覚です。(笑)
そうそう、映画「パピヨン」の世界。隠岐の島に流された後鳥羽上皇ですか。
そういえば崇徳天皇は讃岐に島流しにあいました。そうか。改めて四国は島流しというくらいだから島
だったのだと思います。でも正しくは高貴な方は配流というらしくて、淳仁天皇の淡路国配流とかで。

四国の阿波とか讃岐には平氏の末裔伝説というのがあるんです。実際、平さんとか、◯平さんとか、
そういう姓の人がけっこういます。滅亡した平氏だけでなく合戦で負けた時の源氏方の末裔という
伝説もあったりします。さらには戦国時代の何々氏の末裔とか。ただの百姓のオジサンが実は我が家
のご先祖は何々の・・・という偽の家系図を持っていたりもする。それで少し鼻高々で。(笑)

パピヨンの世界だと、これは薩摩の鬼界が島の遠流(おんる)クラスであって、鹿ケ谷の陰謀により、
僧俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島として有名です。そして近年で有名なのが八丈島の流罪
です。江戸期の流罪流人としては、佐渡ヶ島や伊豆七島(八丈島など)ですかね。
映画パピヨンの舞台は南米の仏領のギアナの離島デビルス島だそうですが、オーストラリアなんかも
罪人の流罪地だったんですね。面白いのはサンフランシスコ湾の中の監獄島(アルカトラズ島)という
のもありました。
なんかもう話が脱線し続きですが、とにかく絶海の離島は魅力がいっぱいです。

2   zzr   2017/7/3 05:59

おはようございます。
地名の由来はそういうものだったんですね。子をなくしたこの方はその後だんなさんに会えたのでしょうか。
ヒスイの博物館には寄ってきました。
ちょうどキャンペーンみたいなのをやっててヒスイのカケラを頂きました。
ヒスイ探しは私もやってみましたが浜の方は大荒れの翌日とかじゃないと多分ダメですね。すごく重い石なので砂の下に沈んでるそうです。価値が分からない昔の人は漬物石に使ってたそうな。
新潟平野は広いです。
なんとか潟もあちこちにあるのは大昔の名残なんでしょうね。
何年か前に行った時は水害で高速から見下ろすと大きな湖のようになってました。

3   kusanagi   2017/7/5 21:26

平頼盛の妻は、その後どうなったのでしょう。
頼盛は平家滅亡後もひとり取り残されるように生き延びたのですが、源頼朝の同情を得たようで
そう不自由はない暮らしをしています。しかし敗軍の将ですから世間の目は厳しかったでしょうね。
頼盛の、子をなくした妻の話は史実ではないでしょう。いわば伝説のようなものですね。
しかしながらこの海岸で子どもを波にさらわれたという話はゴマンとあったのではないでしょうか。

ヒスイは、私は道の駅で、業者が加工品の失敗品を売っていましたので買い求めました。自分で
磨けば宝石になるかな。それで・・そのヒスイ。どこにしまったのかな? 最近もの忘れがひどくなり
自分で仕舞い込んだ場所を忘れてしまうんですね。(^^ゞ 

新潟は新しい潟というくらいの意味でしょうね。そういえば新潟県には山潟小学校というのがある
みたいです。そうなってくると山形というのは元は山潟だったのかも知れません。
ところで潟というのは、
>砂州または沿岸州によって海と切り離されてできた湖や沼。狭い水路で海に通ずるものもある。
 潟湖(せきこ)。ラグーン。石川県の河北潟はその例。
 遠浅の海で,潮の干満によって陸地が現れたり水面下に隠れたりする所。干潟(ひがた)。
 浦。入り江。今も「松浦(まつら)潟」「清見潟」のような地名に残っている。
ということになると、山形の潟は庄内平野のことを言っているのでしょうか。昔は海に面した潟だった
でしょうから。
山に囲まれた盆地の山型平野に入るには、当時はまず潟であった古庄内湾を通り抜けて山形盆地
に入っただろうということで、山形の地名の発祥が窺えそうですね。
http://uub.jp/nam/kata.html
潟の付く地名一覧
日本海側の地名が多いですね。

ところでブログにも出ていた越国(こしのくに)は興味深いです。越は「こし」と読み、当て字として
高志、古志とも書くようです。ちなみにコシヒカリのコシもそうです。
ネットで調べると、越の王国などというのは、もう神話の世界に踏み込んでしまいそうになるのですが、
http://www.takushoku-u.ac.jp/newsportal/summary/summary_150924_11518.html
歴史時代における韓半島と越の国という、こういうアプローチもあって興味深いですね。

4   zzr   2017/7/7 06:21

kusanagiさん、おはようございます。
新潟平野には大きなのは福島潟や鳥屋野潟、小さいのも沢山ありますね。三日月湖っぽいのもありますね。
三日月湖と言えば石狩川が有名です。
治水工事で100キロ短くなりましたが元は信濃川と同じ位の長さだったとか。

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