岩根沢 太々神楽 2
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D4S
ソフトウェア Capture NX 2.4.7 W
レンズ 35-70mm F3.3-4.5
焦点距離 38mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -2.0
測光モード 中央重点測光
ISO感度 800
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1323x1942 (1,666KB)
撮影日時 2017-09-10 11:05:51 +0900

1   zzr   2017/9/10 21:25

振舞いの菓子をまいてるお狐様。
何故か私に沢山くれました。ストロボたいて無かったから?
来年はもっと綺麗に撮りたいです。

2   kusanagi   2017/9/10 22:43

zzr の人徳でしょうか。漁師さんから魚をもらったり、振る舞い菓子も多くもらったりとか。
どうやら、食うには困らない幸運の星を持っているようです。(笑)

3   zzr   2017/9/11 04:39

おはようございます。
なんですかねぇ ( 笑 ) 恵んであげたくなるような眼つきでもしてるんでしょうか。

4   kusanagi   2017/9/12 00:13

占星術の話をしますと、大まかにいえば12星座(サイン)と、12宮(ハウス)と、10惑星とで
占うんですね。
それでね、その12宮のうち、巨蟹宮というのがあって、この宮に非常に良い吉星があれば、
不思議に見ず知らずの人から心尽くしを頂くんです。無償の戴き物ですね。
この巨蟹宮というのは、言わば赤ん坊・幼児・子どもの宮なんです。

子どもというのは、何を頂いても何をしてもらっても、大人に対してお返しはできません。
一方的に無償の愛や戴き物を受け取る他はないのです。大人同士であればそうは行きま
せんよね。頂くと対価というものがありそのお返しをしなければなりません。そうしないと
借りができてしまうからです。
しかし、この巨蟹宮に吉星を持っている人に限っては、頂いても(もちろん大したものはくれ
ませんよ(^^ゞ)、一切お返しは不要で借りもできないんです。
これは四国遍路の、お接待の精神と同じなんです。私もお遍路さん、特に乞食全とした方
には特別にお金をお布施感覚でお接待をしています。

それは何故なのかというと、布施をする無償の精神の裏には、受け取る側の無心という
ものがあるからなんです。この無心という言葉は宗教的な正しい意味での無心であって、
俗語の無心(ねだる)ではありませんよ。
無心というのは、一切下心がない子どもの心です。自然のこころです。それ故にあどけない
子どもの笑顔というのは、たったそれだけで大人たちの無償の愛の精神を呼び起こすん
ですね。
えーっ、なんか宗教番組のようになってきましたが(笑)、これは人間のというか自然の本質的
な理(ことわり)なんでして、そうなるべきしてそうなる、というだけなんです。命の本質がそこに
あるだけなんです。

というわけで、多分、巨蟹宮に吉星があるzzrさんは、ただその素直で純真な笑顔だけで
周囲の方々が何かを差し上げなくなるんです。(^^
それはお布施だといってもいいでしょう。
どうせ大したものを頂けるわけではないので、笑顔でありがとうと言っていればそれでおわり
です。(^^ゞ
しかしねえ、実際はそれだけでは終わっていないんです。

それはどういうことかというと、zzrさんがやっている写真というものは、それこそ無償の行為
そのものだからですね。無償の行為として写真をやるってことは簡単だけど簡単ではないん
です。
この掲示板でもそうですが、多くの人は自分の多少なる欲望のために写真をやっているところ
があります。自我を拡大し他者から褒め言葉をもらって自己満足をするっていうこと。むろん
そうでない人も多くいますが、大体は過剰な自意識を満足させる為にこの掲示板に投稿して
いると言ってもいいかも知れません。
これは批判をしているというのではなく、それが普通で、俗世間の大人の道理だということです。
大人というのは大体は損得で動きます。ですからその行動は容易に予測できます。

無償の行為としての写真。裏返せばそれは、無心のこころでする写真。それと同一です。
これが何のてらいもなく自然にできているのが、zzrさんの写真なんです。
私なんかは悪知恵が働きますから、普通の人間のやることって先の先まで見えているんですが、
zzrさんに関してはそういう無駄な知恵は一切不要なんです。そのまま受け取っています。

巨蟹宮のもつ無心のこころと、翻っての無償の精神とは、写真としては具体的には、郷土の
風物の写真を撮るということに尽きるでしょう。言い換えると郷土愛というものでしょうか。
例えば、花鳥風月さんが当初は地元の風物を撮られていたのですが、いつのころからか
バラの写真を撮りだしましたね。バラ写真は自我拡大の写真であって郷土愛とは関係があり
ません。その結果はどういうことになったのか。知るのはご当人だけです。

写真というのは、不思議に地元の写真を撮っている間は大丈夫なんです。ところがその被写体
を自意識の投影としたものに変えると、危険が迫ってくるんです。
ここのところが、アマチュアとプロ作家の一番の違いなんです。
アマチュアはまず地元を離れて写真をしないほうがいいんです。プロ作家はそれを突破した方
ですね。そもそもプロというのは学問を積んでいます。写真の写の字も勉学していないアマチュア
が真似できることではないんですね。

ついでを言うと、写真というのは誰でも簡単にできるようでいて、本当は他の分野と同じように
学校で基礎から勉強するのが一番いいんです。学校の写真クラブからでいいんですが、そういう
正統な写真の勉学を積んでいない人は、写真屋さんでちょろっと教えてもらったりとか、地域の
写真クラブで入っているとかいうレベルでは、ほんというと危ないんですね。(笑)
独学なんていうのも危ないんですが、それでも写真屋さんなんかの商業ベースで知ったよって、
いうよりははるかにマシです。
東京なんかだと文化レベルが高いので、写真は知らずでも他の分野の勉学をしていて、それから
写真に入ってプロ作家になるっていう人もいます。

それから写真は、これまた他の分野と同じように若い時期から写真に入らないと無理なところ
があって、俗世間にまみれた大人になってから誰かに教えてもらうとか、地方のクラブに入って
とかではダメなところがあります。よく地方の写真応募で有名な人を先生に見立てて習うっていう
のは、危ないんですよね。(笑)

話は脱線続きですが、アマチュア写真においては地元写真にへばり付いているのが一番無難
です。写真の本当の教師は、被写体だというところがあって、その被写体の間口は広ければ
広いほど良いんです。そして身近であればあるほど安全なんです。
それである特定のジャンルにマニアックに突き進んでいくと、だいたいの人は行き詰まりますね。

地元の範囲は何処までなのか。これは人それぞれです。拡大したり狭まったりしますし。
私だったら、四国と瀬戸内圏内。拡大して西日本ですかね。最近は日本海沿いというのも拡張版
かもしれません。狭くすれば香川県のみ、とか。日帰り圏内ですか。
地元写真というのは、それはあまりにも身近なものですから、これは我が物にできないんです。
地元写真はあくまでも郷土全体のものなんです。それを自分の物だと言いはると地元の人達から
総スカンを食らいますから。(笑)

写真というのはそもそもが自分のものじゃないんですね。それを著作権とか何とか言い出して
我を張るともうダメになります。プロ作家というのは、そこのところをよく知っていますね。プロが
著作権を行使するのはあくまで被写体を守る為なのです。自分の我欲の為ではありませんから。

写真というのは、大枚を叩いて機材を買って、撮影にもお金と時間と労力がたっぷりと要ります
よね。それなのに写真というのは決して自分のものではないんです。
アマチュアでも本当に優れた人はそのことをよく知っています。写真とは特定の人のものでは
ないんですね。あくまでも無償のものなんです。
ですから、写真をやっていこうかと思う人は、そういう一切無償の行為というのを最初から覚悟
しておかなければならないんです。プロは写真を売ったり名声を博したりで次の撮影の資金を
得ることが許されていますが、アマチュアは持ち出し一方です。
これにほんの少しでも疑問を持つ人は写真を続けることが出来ません。自分の写真に対して
自分を認めてもらいたいという程度の、わずかでも我欲というものを折り込むと、もうその時点で
写真の女神からは見放されます。場合によっては地獄の憂き目にあうかもしれません。
まあ、そういうのが実際のところ、写真の面白さなんですね。(^^ゞ

5   tonton   2017/9/13 07:04

無垢な子供、ほんとに無垢であるのかは
評する人によってまちまちだと思いますけれど
嬉しいことしてもらった子供の顔はとっても好い顔です。
好い顔見ただけでそれに関わった人は嬉しくなるものです。
子供っていうのは産まれてきただけで親孝行を果たしているのです。
周りの人を和ませる、そういう存在になり得、多くの子供たちはそういう存在なのです。

子供たちが何にも出来ないですって?
>大人に対してお返しはできません。
ほんとに何も知らないのですね。知りましょうよ日常を、人の機微を。

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