メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp2 Quattro |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 30mm F2.8 |
焦点距離 | 30mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F7.1 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2704x1808 (5,178KB) |
撮影日時 | 2018-03-05 10:31:11 +0900 |
最近はけっこうヘビーな話題の本を読んでいます。3.11東日本大震災、満州からの引き揚げ、
それから航空機事故とか。
共通するのはそういう絶体絶命の時に、人は如何にして生き抜いているのか。ということです。
それからその惨事の本当の原因といいますか、主たる誘引は何なのかということです。
原因と言わず誘引と書いたのは、それほどに究明は難しいからです。それから原因は分からなく
とも今後の対策としてどうするのか。ということも大事なんです、そういう現実的な諸策も。
3.11の本にのめり込んでいた時は、止まるはずのない腕時計が2度止まりました。ほぼ地震時と
その後の津波の時刻に近似していました。
いろいろと考えあぐねて、やはり一番の、そういう危機的事態への対策としては、伝統手法とでも
言いますか、昔からの言い伝えに素直であるということですかね。
それからやはり目の前の状況に目を塞がないということ。頭の切り替えを素早くやるということですか。
また知識と論理力というのも常日頃から大切でしょうね。
一例として津波の犠牲になった小学生の占星術をやってみたんですが、これは大変に参考になり
ました。その女の子は数週間前に地震を予知し学校が消滅するのを夢に見ました。それだけでなく
その学校の日頃の素性とでもいうものも的確に言い当てていたんですね。
とてつもない子供であったわけですが、そういうものがどういう能力であるのか、ほぼ分かりました。
これが今回の読書での最大の収穫だったかもわかりませんね。
一番大事なのは、人間の脳と脳のネットワークを応用すること。ほぼこれが生死を分けるといっても
過言ではないかもしれません。声なき声を研ぎ澄まして聞くということですかね。第六感とでも言い
ますけど、これは大体は人と人との脳間ネットワークのそれなんです。
その雑音だらけのシグナルを拾える人と拾えない人がいて、上手く受信できればいち早く行動にでる
ことができます。
よくよく考えて見れば、危機管理の話だけでなくて、そういうのは日常的に使っている手法なので
あって、よく見てよく考えてそして昔を思い出して・・というのは当たり前のことではあるんです。
※写真は人柱伝説がある溜池です。大きな池は大体はそんな伝説が付随しています。
人柱というのは堤防を造るときに犠牲者を埋めて造ると決壊しなくなるという話なんですが、これは
もちろん大嘘ですね。水圧の掛かる堤防は混じりっけなしの良質の土や石を綿密に締め固めて使い
ます。その中に無駄な有機物を入れるっていうことは絶対にありません。
これは千年前でも2千年前でも土木建築の常識です。
人柱伝説は原因と結果が入れ替わっている物語なんですね。堤防が決壊すれば犠牲者がでます。
過去にも何度も決壊して、その犠牲者の心霊が、それ以降のより強固な堤防建設の為のエネルギー
となるということ。織り込まれているのは犠牲者の清らかな精霊です。
これが論理的に正しい物語なのですが、子どもや無学な人々には矛盾だらけの人柱伝説となって
伝えられるのです。それはちょうど夢のなかの脈絡のない物語に似ています。
上記の小学生の女の子でもそうですが、ネットワークを受信する能力と、それを論理的に構築する
能力とはまったく別のもので、それは相対する能力でもあるんですね。この2つが強力に備わっている
と人間間のネットワークや自然のネットワークから有意なものを得ることができます。
そしてさらには身近な者へと発信することも可能なんです。
ですからその女の子は自らを犠牲にしても母を助けました。地震のあと、お母さんは何度も子供を
迎えに学校にと行こうか行くまいかと逡巡したのですが、行けばそのお母さんも津波の犠牲になって
いた可能性が高いです。
なお、大変な犠牲者が出てしまった石巻市の大川小学校は、その原因というよりそのひとつの誘引と
して、あの独特なデザイン校舎が挙げられると思っています。ああいう見かけだけのデザイン校舎は
建築の伝統しては凶相そのものです。私には不吉な校舎というしか印象はありません。
なぜあんな校舎にしたのか。建築当時の発注者の思いつきでああなったとしか思えずで、その不用意
な発想が、長年に積み重なってコントロール不能な学校になってしまったのかも知れませんね。
当時の発案者は、地域に長くシンボルとして残る校舎にしたいと考えたそうですが、期せずして校舎
は震災の犠牲のシンボルとして今後も長く残されることになったそうです。
ある意味、これはブラックジョークなんですが、なぜか人柱伝説と似て不可解さを感じてしまいます。
本当に怖しい災害でした。
綺麗だった海岸線が滅茶苦茶になってて街も酷い有様で。
あの1か月位前に仕事で石巻の近くに滞在したのですが、その時に見た異様な雲をまだ憶えてます。
そうですか。震災1ヶ月前にそんな現象があったんですか。考えてみれば大きな地震の前触れっていう
のは必ずあるはずなんです。その異様な感覚を信じることが大事なんだろうと思います。
地震予知はなかなか進まないみたいですけど、あまり原因の因果関係に囚われずに、現象を、とくに
気象現象とか電磁波などに着目する方法があるようです。学者的な視点を捨てて実利的に副次現象
を見ていくんですね。