メーカー名 | SONY |
機種名 | α7S |
ソフトウェア | Capture NX 2.4.7 W |
レンズ | |
焦点距離 | 27mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | +0.7 |
測光モード | 平均測光 |
ISO感度 | |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 831x906 (317KB) |
撮影日時 | 2006-05-25 22:42:53 +0900 |
●『SONY α7Sが優れている10の理由』
http://photo.nyanta.jp/7sbest.html
「諧調性はトップクラスである」
諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値、というグラフがありますね。
以下は説明文をコピーしておきます。
>・・・諧調性とは、濃淡の変化を細かく正確に表せる度合いの事です。
デジカメの場合、海や空の色の様に淡い水色から濃い紺色に滑らかに変わっている被写体を、高い
再現性を持って記録できる事が重要になります。
この諧調性について、α7Sは大きなアドバンテージがあるのです。それでは、以下のグラフを
ご覧ください。
これはα7Sとα7で、諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値を示しています。
ご存じの様にα7Sの1画素の大きさは、α7の2倍ありますので、例えばα7に強い光が入った場合
の出力電圧が1Vだとすると、同じ光がα7Sに入るとその出力は2Vになります。(すなわち分解能
は2倍になります)
この2倍高い電圧値を200等分して画像の濃淡を表すのと、低い電圧を100等分して濃淡を表す場合
とでは※、どちらが高い諧調性を持っているかは明らかでしょう。
実際はα7Sもα7も14bit(16,384当分)に分割しているのですが、同じ分割でも入力電圧が高い方が
より高い諧調性を表現できる事は間違いありません。
高感度となると、当然ながらダイナミックレンジも高くなるのですが、むしろ諧調性がアップして
グラデーションの表現力がアップする事の方が、昼間の撮影においては効果が大きい気がしますが
いかかでしょうか。・・・<
注※https://kotobank.jp/word/%E9%9A%8E%E8%AA%BF-2235
「階調」
>色や明るさの濃淡の段階数。ディスプレーやプリンターなどの画質を決める要素のひとつで、色や
明るさの表現力の単位として使われる。階調が多ければ多いほど、色や明るさの変化をなめらかな
グラデーションで表現でき、自然に近い描画ができる。階調は数で表され、2階調や16階調、256階調
というように表現する。白黒の2階調では、濃淡を白と黒への2段階で表現する。カラー画像では、
光の3原色のRGBのうち、1つの色についての階調の精度を示す。たとえば、3原色がそれぞれ16階調
の場合、表現できる色数は、16の3乗の4096色、256階調なら256の3乗で約1677万色になる。<
・・・つまり電圧値が2倍であれば、2倍分の階調を作ることができるということ。1画素を256階調にする
のか、それとも128階調にするのかっていう意味ですね。
このセンサー1画素当たりの電荷、出力電圧の問題は、私も以前から何度も言及しているのですが、
この問題を本当に理解している人は殆どおられないだろうと思っています。
むしろ高画素カメラの方が階調性が高い、良くなると言っている評論家もいるほどですから。
しかしこのサイトの方は優れた考察をされていて、大いに勉強になるところがありました。深く感謝し
ます。
ここで書いている階調性という言葉。昔は1画素単位のことを言っていたのですが、現在では画像
全体の滑らかさのことを言うようになりました。そうなると画素数の多いカメラが有利で階調性がある
ということになります。
こういう言葉本来の定義を無視した言い違いは現在では多くて、フルサイズをフルフレームと言い
違えるのも同じですね。フルフレームはCCDセンサーの種類のひとつでしたのでサイズとは関係ない
はずですが。
本来の階調性は別の言葉で言えばコントラストのことかと思います。無理やりつけたコントラストでは
なくて、あくまで自然に発生するコントラストですね。このコントラストというのは鑑賞者の印象力に
直結します。
また発色も本来の階調性と深く関係があります。
高画素カメラの現在に於いては、そういう本来の階調性やコントラスト・発色性よりも、いかに細かく
詳細に出ているかが問題となっていて、評論家の方が使う言葉そのものがすり替えられているん
ですね。これは問題だと思うんですが、それを読むユーザーも、いや評論家の方すらも、全然気が
ついていないようです。
●知り合いにドローンを手に入れて(景品で当たったとか)、4~5万のものですが、結局飛ばしたのは
2回ほどで、それで飽きてしまったそうです。景品とはいえ、興味があって手に入れたわけなのですが、
早々に飽きてしまった。その理由は明らかのように思います。とにかく画質が悪いのです。
しかし本人は画像の画質が悪くて飽きてしまったとは想像外だろうと思いますが、私からしてみたら
それ以外には考えられません。
そんなわけで、ドローンを手に入れようと思えば、その第一優先はカメラの画質性能です。飛行能力
よりも画質。そうしないと誰でも直ぐに飽きてしまうでしょうから。
そのドローンの映像も画面の小さなスマホで見せてもらうと一見、綺麗に見えるんですね。そういうの
はスマホ搭載のカメラと同じです。一見は綺麗。でも本当は綺麗でもなんでもない。すぐに飽きてしま
って、結局はどうでもよい画像となるんです。
スマホの画質に自分の眼が慣れてしまうと、もうそれで十分という気になります。それで本来の写真
画像がどういうものであったのかを忘れてしまいます。スマホ撮影はメモ以上にはなれない画像なので
あって、それが人間にとって利益になる写真なのかどうか、分からなくなるような気がします。
しかしながらスマホ写真であっても、撮影者個人にとって記念的な写真であれば、それは立派な写真
となりえます。また写っている被写体に関して鑑賞者がモーレツに関心があれば、これも立派な写真
となりうるのです。
それらはスマホ写真に対して特別な想像力を持って見ているからですね。
そういうのは大昔の印刷技術の悪い写真とか、色が抜けてセピアいろになったアルバム写真でも
同じです。そういう特別で格別な写真というものが確かにあります。そういう場合は写真に画質を問う
ということはあまり意味がないものです。
この画質の問題。量よりも質の問題は、このフォトXP掲示板でも一時問題になったことがあります。
問題になったというか、ほとんどの人はその問題が、本来の写真の画質を問う、ということであったと
いうことすら気がついていなかったろうと思います。
それは攻撃する側も防戦する側も、写真の本当の画質ということを良く知らなかったからです。画質
とはレンズである。という程度のレベルでは挑戦者に立ち向かえようもありませんでしたから。
私は画質とは、本来この1画素当たりの品位品質であって、それで場合によっては、カメラの画素数は
画質に反比例するっていうことになりうると思ってます。高画素でありながら高画質というのは普通は
無くて、高画素カメラというのは画質を犠牲にせざるを得ないというところがあります。
しかし高画素カメラでも手を抜いていない高額なカメラだと、同時に高画質であるっていうのもあります
から一概には言えません。
とにかく普通は原理的には、センサーサイズが同じならば、画素数の低いカメラが良い画質となるわけ
ですね。フルサイズカメラだと4000万画素カメラよりも2000万画素カメラが。さらには1000万画素カメラ
が良い画質ということになります。
●私がこのソニーアルファ7Sを気にいってしまったのは、電子シャッター装備で、手ぶれ補正もなくて、
それで漏洩電磁波がほぼ皆無であるという一点なのですが、やはりそれだけではなくて、画質が大い
に気に入っているからだと言えますね。
それでその画質の良さは、やはりフルサイズでありながら1200万画素であるという点に尽きると思って
います。
手に入れる前は、このカメラが高感度カメラを謳っているということで、もしかすれば通常感度撮影では
画質が落ちるのではないか?という危惧もあったのですが、そういうことはありませんでした。
このカメラはプロが動画撮影をするのにも使っているわけで、そういう画質の低下をまねくようなこと
はしていなかったようです。
このカメラを使ってみて感じることは、どんなレンズを使ってもそのレンズなりの良い描写をしてくれると
いうことです。これは当たり前のことのようですが、実際にやってみると驚きのことなんです。
このカメラのセンサーと映像エンジンは素晴らしくて、今でのカメラとは違うって感じました。
実際に私が投稿した画像は、大きく画質を落としていますので分からないだろうと思いますが、RAW
画像で見る画質は、この安物のレンズがここまで描写できていたのか、と驚くばかりです。
しかし良い画質という点では、キヤノンやニコンのフルサイズ低画素カメラも負けてはいません。
ただソニーはミラーレスカメラなので、あらゆるレンズを試せるということに於いて、キヤノンやニコン
とは違ってきます。
とにかくこのカメラを使ってみて、強く感じたことはフルサイズセンサーで低画素カメラというのは、
その画質に於いて、ユーザーを飽きさせないということです。画質がよければ画像自体に深く満足が
できるということ。
写真において、これに勝るものは他にはなかろうということですね。
そういうのはシグマのカメラに共通していますね。シグマのカメラも出力画素数は少ないのです。
センサーサイズはAPSですけど、フォビオンの原理上、APSといえどもフルサイズセンサー匹敵です
から。
ユーザーが画質に満足ができていないと、2つの反応をすることになります。ひとつは飽きてしまって
写真から遠ざかること。もうひとつは満たされないのなら、さらに撮って量でカバーするようになること。
どちらも満足ができていないことからくる自然な反応ですね。
ついでを言うと、現在ではレンズ自体も、階調性ではなくて、シャープ性や高精細の方向に向いて
きています。それで発色が薄いということになり、細かくは表現できているけれど印象が薄くて飽き
やすい画像となってきています。
考えてみますと、現在の高画素カメラや高精細レンズというのは、写真というのは何が写っている
のかが大切であって、どのように写っているのかはあまり問題視されなくなったということです。
●これはどういうことかと言いますと、そもそも写真自体が人間ではなくて、機械が判断して有用化
する方向になってきているということです。写真を鑑賞というか消費するのは人間ではなくて機械で
あるということ。そういう時代の先駆けが既に現在で起こっているということです。
機械にとって良いような画質のカメラになり、それを人間が膨大に撮影してクラウドに上げて、その
結果は機械が判断していくという、そんな時代です。人間は機械に奉仕する、そういう時代がもうすぐ
来ているということですかね。
画像に於いて何が写っているのか。機械的な観点で大切になるのは輪郭です。線画的な輪郭性を
持った画像が良い画像や写真となり、その輪郭性こそが最も機械が認識しやすい特質なんですね。
そういうわけで例えばスマホの画像なんかはその典型です。安物のドローンもそうですし、高級な
カメラも今ではそのような方向に来ています。
輪郭性画像はコンピューターグラフィックとさほど違わないような画像となります。もしかすればCGに
慣れた現代人は、そういうCG風の画像こそがリアルで現実的だと思っているかもしれません。
しかしながら、そういうCG風の画像は、人間本来の求める写真とは違います。人間は強い印象力
を持つダイナミックな写真を求めているのであって、膨大な線画には違和感があるんですね。
ここのところがよく理解できていないと、機械にはよい画像だけど人間にとっては意味のない画像を
量産してしまう結果になります。
クラウドに上げられた膨大な画像は将来的には人工知能が利用していきます。もはや人間が手作業
で見れるようなものではなくなっているからです。それはそれでよいのかも知れませんが、そこには
人間はいません。(しかし将来的には再び人間が権限を取り戻し、AIを駆使してクラウドに埋もれた
膨大な画像を発掘するということになるかもしれません)
●話は変わりますが、ニコンとキヤノンから、フルサイズ・ミラーレス・エレクトリックシャッターカメラが
リリースされました。長いのでFMEカメラと書きますが、このFMEカメラは既存のソニーと、今回の
ニコンとキヤノンで3メーカーになりました。噂ではさらにパナソニックも出すそうです。映像のソニーと
パナソニックのライバル関係からしてパナがFMEカメラを出さないわけにはいきませんからね。
そうなってくるとオリンパスも出しそうだし、さらにはフジやペンタックスも出すでしょう。シグマだって
出さざるを得ないようになります。
このFMEカメラこそが、デジタルカメラの最終的に落ち着くべきカメラということになり、各社の中心的
なモデルになるはずです。もちろんAPSミラーレスカメラも、光学一眼レフも存続をするでしょうけど、
写真好きなユーザー、ハイアマチュアの方々はFMEカメラを主体に使っていくというようになるでしょ
うね。
それでニコンとキヤノンのFMEカメラ。私が気になるのはニコンZ6です。やや記録メディアがマイナー
なのとボディ内手ブレ補正の電磁波がやや気になるんですが、2400万画素で裏面照射型のセンサー
は魅力的ですね。ソニー7Sと、どっこいどっこいの画質を叩きだしてくれそうでな気がします。
ニコンにはバッテリーグリップが未だ発表になってませんが、出るのは確実でしょう。どんなものに
なるのか興味があります。
キヤノンRは無難にまとめています。バッテリーグリップも既存のものが使えますしね。画素数は
ニコンZ6と7の間をとっています。ボディ内手ブレがなく電磁波的には安心です。センサーがディアル
ピクセルなので画質は期待できませんが、一般の人にはそこそこではあるでしょう。
FMEカメラは新マウントを採用していますが、マウントコンバーターでもって既存のデジイチのレンズを
問題なく使えるようにしています。もちろん像面位相差AFが可能ですからAF感覚はデジイチと変わり
ません。
さらには今のソニー製FMEカメラと同じように、サードパーティ製のマウントコンバーターが出てきて
華やかになるはずです。
FMEカメラの登場は、光学式カメラ、光学ファインダーの時代が終わったということを意味します。
もしかすれば光学式ファインダーの反旗があるかも知れませんが、それには電磁波をださない方式
を見つけるしか方法がありません。DCモーターでミラー・シャッターをチャージする現在の手法はもう
限界に来ているからです。
良く出来た光学ファインダーは素晴らしくて、例えば裸眼と同じ倍率になる領域では、両眼を開け
ながら被写体を見ることができます。そこに違和感は一切、ありません。その自然なファインダーは
FMEカメラには絶対に真似ができないことです。
FMEカメラはやはり背面液晶を見ながらの撮影がメインとなります。これはこれで良くてかなり客観視
しながら撮影ができます。しかし写真にのめり込みながら撮影したいとなると、光学ファインダー式
カメラの復活が強く望まれますね。
私は最高級のカメラは、やはり(電磁波を出さない)光学式カメラだと認識しています。
それで連写能力を落としてでもいいから、チャージモーターを超音波モーターにしてほしいなあって
望んでいるんですけどね。もはや高速連写撮影はFMEカメラに敵いません。その足かせがとれれば
光学式カメラはじっくりと撮影する人に向くカメラになるんじゃないでしょうか。
それからソニー7Sのように、画質優先のカメラを出して欲しいということです。ピントは遅くて良いん
です。連写もさほどでなくてよい。本当の意味で人間らしい画像が得られるカメラを出すべきだと思って
います。
私がソニー7Sをわすがな期間ですけど使ってみて感じたことは、マニュアルレンズで目測撮影をして
撮影をしていた時です。(この目測撮影とは、最初に液晶を拡大してピントの加減を知り、後はレンズ
銅鏡の数字でもってピントを合わせる方法です)
オートフォーカス撮影にはない撮影の充実感が得られたということです。残念ながらこの手法は被写界
深度の深い広角レンズでしか使えませんが、完全に自分がカメラをコントロールしているという手応え
が得られるんですね。往年のフィルム式メカニカルカメラと同じような手応えがありました。
このカメラは装置するレンズやマウントアダプターにより、多種多様の撮影ができます。それによって
発生する電磁波も多様です。とにかく様々な撮影ができるということは面白いだけでなく深く考えさせ
られるということでもありました。
FMEカメラはそういう点では、普通のメーカーお仕着せではありえない考察を得ることになります。
このメーカー仕様を脱却できるということにおいて、FMEカメラは特に優れているカメラでしょう。
FMEカメラは言わば、自作パソコンに近い感覚が得られるということで、ユーザーにとって伸びしろが
あるカメラですね。
●写真に対しては人それぞれ色んなアプローチをしています。その結果は様々でそれらを一括りに
して語るなどということはできません。
今回は写真における画質とはどういうものなのか、ということを低画素カメラの観点から書きましたけど
これだってひとつのアプローチに過ぎませんよね。
本当のところは、私の関心はここずっと、安全なカメラを追い求めていて、それは電磁波問題なんで
すが、唯一その観点からカメラや写真を考えていたというところがあります。
身体に安全なカメラとか写真とかいうものは、これは個人的な興味に収まらずに普遍性を持ちます。
それはありとあらゆる人々にとっても安全は求められるべきものだからです。
写真やカメラは人を夢中にさせる要素を多々持っていて、それに深くのめり込んでいる人は多いわけ
ですから。
そして安全なカメラとは、結局は長い間、多くの人々が使っていて問題がなかったという結果論でも
あるんですね。
例えば、超音波モーターは本当に身体に安全なのか? これは私にも分かりません。それは超音波
モーターが発売されてまだ時間が経っていないからです。しかしDCモーターに比すれば安全だろう
というに過ぎないのです。
とりあえず私は、安全なカメラを求めて、それから先は改めて考えれば良いじゃないかという考えです。
写真に対して、一個人として本当に有益なのは何か?と考えるとき、それは写真を撮って自分が
画像的に満足することではなく、ましてや写真を人様に見せて何かのコメントを頂くことでもなくて、
さらには自分の記録写真を後世に残すことでもないと考えています。
写真というものを通じて、自分の人生の何かのノウハウを得ることだと私は考えています。その為の
ツールが写真であってその道具がカメラやパソコンであるっていうだけのことですかね。
ですから写真行為はリアルタイムです。
ひとつ間違いのないことは、カメラを持てば歩けるということで運動になることです。この利益は大きい
ですね。しかしマイナス点として漏洩電磁波の問題がありました。それをクリアすることは重要だった
のです。
それから現代の写真とは画像データということであり、この写真を通じてデジタル世界の問題に常に
関心を抱いていけるという点です。写真を撮るという行為は、そのデータの創造者でもあって、単に
受益するだけの一般の人々とは違ってきます。この点も逃すことのできない利益となってきます。
●それから、これは最も写真として大切なことですが、写真を撮るということはモノゴトを見る眼を養うと
いうことであるんです。これはフィルム時代から続いている写真の大切なファクター、要素です。
物事に対しての真贋の眼を養うということです。この観点は物凄く大事なことなんでして、その利益の
あまりにもの大きさに大部分の人々が気づいていません。
しかしながらデジタル時代になってから、あまりにもの多量の写真が撮れすぎてしまっていて、また
巷にも大きく氾濫し過ぎてしまって、その意味がもう薄れ気味になっているのが、このモノ・コトを見る眼
です。
デジタル時代の劫罰は撮れ過ぎてしまう写真にあります。
そしてこれは、画質の問題とも直結しているんですね。あまりにも多く撮れすぎてしまう、溢れすぎて
いる写真の画像は画質がよくありません。それはネット写真ですから当然なんですけれど。
なんでも食い物に例える自分ですが、「写真は食物や料理である。」
という風に例えることができます。
それで食い物にとって一番大切なのは、食物の素材です。安全で栄養価の高い自然な食物を食べる
ということは、人間の健康に直結してきます。これは絶対と言っていいほど間違いのないところです。
料理の上手い人は、素材がダメでも上手く調理して美味しい料理にしてしまうテクニックを持って
いますね。しかしそれで健康が保たれるかというと、そうではありません。素材の悪さはどんなに
テクニックを弄しても変わることがないからです。
良い食物ができるのは良い農業をやっていかなければならないのですが、その田畑が優れていて、
土地柄も良くなてはなりません。自然な微生物がいっぱいいて、土地のミネラルが豊かで、水も良くて
気温も日照も良い。そういうところでないと、もちろん農家の人も篤農家であって、それではじめて
優れた栄養価の作物ができます。もちろん身体を害する化学肥料とか農薬は最低限ですかね。
できれば完全な有機農法であればベストです。
しかしながら、これは大変残念なことなのですが、食物の素材の味が分からない人が多いんです。
料理の味は分かるけど、素材を味わうことが出来ない人が多いんです。ある意味で生物としての本能
が失われているというしかありません。
そして写真も、まったくこの食べ物と同じなのであって、一番大事なのは素材たる画質です。
写真撮影のテクニック、画像処理のテクニックというものはあまりなくてもいい、いや返って妨げになる
というように思っています。
テクニックは料理でも写真でも、本当の栄養にはならないんですね。栄養とは素材から、画質から来て
いますから。
料理の場合は素材の栄養価が身体の健康を支えますが、写真においては画質が物事を見る眼を
養います。そしてその画質は、ひとつはカメラ本体のセンサー・映像エンジンですし、ひとつはパソコン
のビデオカードやモニターです。
有機農法で作られた食物は高いです。篤農家が作られたブランドの食物も高いですね。それと同じ
ように、画質の優れたカメラやパソコンは高くなります。これはどうしようもないかなって思いますが、
そこは知恵を働かせて中古ならば安く手に入れられます。
(実際のところ、高価なカメラやパソコンを手放す人は、その機材をよく知らずに使っていたという
ところがあります。良いカメラを手放し、次に大したことがないカメラを高く買って満足しているだけの
ような)
それからカメラの画素数とかモニターのピクセル数というのは、これは概念的には質ではなくて量に
なります。
私は写真として、量を追い求めているのではなく質を求めているのであって、より安価な低画素カメラ
や小型のモニターで十分だと思うのです。
レンズはもう問いません。アルファ7Sで撮ればどんなレンズもベストの画質を出してくれるからです。
大昔の廉価な単焦点レンズとか倍率の低いズームレンズなどでも何ら問題がない。
そもそも高画素における解像力とかシャープさというものを求めていないので、古い安価なレンズでも
問題がないのです。
実際問題として、カメラの画素数は1000万画素は必用というか、ちょっと不足気味かなっていうところ
があります。しかし2000万画素にすると画質は明らかに低下します。それで1200から1600万画素
あたりが実用としても画質としても許せるところがあります。(フルサイズの場合)
1000万画素よりも低いカメラ、APSカメラですが、昔は400~800万画素というのがありました。
さすがにこれは画質はよくても画素数が少なすぎて鑑賞に苦しくなります。そういう場合はステッチング
という手法があり、画質を保ったまま画素数を上げられます。もしくは標準レンズ以上のを着けて
スポット的に使うのがいいのかもしれません。
こういう画素数は、なんとなく車の排気量に似ていますね。660ccでは苦しいです。(笑) しかし1500
ccともなると余裕です。燃費も良いですし。そりゃあ2000とか3000ccだと超余裕ですけど燃費は辛い
です。
車の場合は排気量が大きくなっても質が落ちるということはありません。しかしカメラの場合はセンサー
サイズが決まっているので質が落ちるんですね。それでフルサイズ2倍のセンサーであれば、2000~
3000万画素であっても画質は全く落ちません。しかしレンズが大きくなって持ち運びが。ということに
なるんです。もちろん、カメラもレンズもすこぶる高価になります。
考えてみますと、現在に於いては消費者たるユーザーは無理やり質ではなく量を押し付けせられて
いるところがあります。その量をこなすために高価なレンズをどうぞ、ってていうところがあります。
それは少しおかしいと思うべきですね。
こんな感じで、写真に於いてその画質という質を問うことは、写真本来のモノゴトを見る眼に直結する
と私は考えています。量を減らして質を高める。これは食物に於いても常道です。
ちょっと上のコメントしで、カメラばかりでレンズのことをおざなりにしていたところがあるので、
少し追加します。
10万20万円という高級レンズをお持ちの方は多いですね。そいうレンズを低価格のカメラに
着けて撮影すれば、やっぱり画質は違うじゃないか、ということなります。実際そのとおりです。
ボディを落としてもレンズは良いものを着けたいという心理はよく理解できます。
レンズは丸いのですが、撮像素子は四角いレンズだと言えないこともないですね。
しかしレンズとカメラには基本的な違いがあります。
レンズは光だけしか制御できませんが、撮像素子・センサーは光と電荷(電気)の両方を制御
しています。それからセンサーにはカメラ内の回路である映像エンジンとセットなっています。
さらにはパソコンのRAWソフトでも画像を練ることができます。
そういう具合で、センサーと映像エンジン、そしてRAWソフトも一体となって画質を作り上げている
と言えます。しょぼくれたセンサーであっても、映像エンジンで十分に練れば(そうすると時間も
かかるしデータ量も大きくなるのでメーカーはあまりしない。シグマは例外)、驚くほどの画質が
出てくるんですね。
アルファ7Sなどは典型的なしょぼくれセンサーだと言えそうですが、映像エンジンが違うという感じ
です。(低画素なので映像エンジンに負荷がかからないのでしょう)
またどんなカメラでもメニュー設定で画質をあげることができます。12ビット14ビット選択がそうですし、
SRGBとアドビRGBの選択もそうです。また細々とした各種メニューもそうでして、ノイズリダクション
とか周辺部補正とか色々とありますよね。そういうのは私の場合全カットしています。私のノーマル
な撮影ではそのようなものは利益がなく、返って自然な画質を低下させるからです。
カメラはセンサー・映像エンジンはセットになって、ハードウェア・ソフトウェア込みで画質を作り上げ
ているのですが、しかしレンズはそのようなことができません。レンズはただカメラに着けるだけで
終わりなのです。
最近はレンズ内のデータをも取り込んで、さらに複雑な映像エンジンを駆使する手法が出てますが、
それが本当に自然な画質となるかどうかは分かりませんね。それにこの方式はレンズがカメラの
軍門に降ると意味であり、レンズが不甲斐ないからカメラが助けてやるよっていうことになります。
そうは言っても優れた画質のカメラに、優れたレンズを着ければ、これは最高になるだろうという
のは、誰しもが期待するのでしょう。しかし実際にはなかなかそうは問屋が卸さないというところが
ありそうです。
最近の高額なレンズは、高画素カメラで使う前提で作っているので、つまり解像力を大前提にして
いるので気難しいところがあります。
つまり解像力さえ出ればいいじゃないかっていうところがあって、低画素の7Sのような画質の優れた
カメラで撮影すると、場合によっては破綻するところがあります。実は高画素のカメラで撮っても
本当は破綻しているのですが画質が悪いので気がつかないだけなんです。
その点、昔のレンズで撮れば悪条件で撮っても良い雰囲気ででます。ただし解像力がないので
高画素カメラで撮れば、これはまるでダメだということになるのでしょうけど。
とにかく最近の、デジタル時代以降のレンズは、高画素カメラで使うように作られてるのだと、つくづく
感じます。開放でも驚くほどにシャープであるという印象です。しかしながら本当の印象深い画質と
いう意味では首を傾げるようなレンズもあるんじゃないですかね。
カメラは本来、その画質は性癖のない無色透明であるのが望ましいのですが、なかなかそうは
いかないまでも、装着するレンズによって画像の雰囲気が一変します。
7Sにイオスのレンズを着ければソニーなのにキヤノンになったような気になり、ツアィスをつければ、
アルファレンズをつければ・・という具合で発色やコントラストが変わってきます。
まさしく味付けが変わってくるという感じです。レンズの味とか何とかというのはなるほど理解できる
例えではあると思いますね。
おそらくレンズマニアの方は、この味付けを楽しんでいるのだろうかと思っています。甘いの、辛いの
苦いの塩辛いの等々、まあそう単純な味付け論ではないのですけど、料理で言えば和風、中華風、
イタリア風と様々な形態があります。レンズとはそういう料理法に匹敵するのかなって感じますね。
しかしながらどんな料理であろうが、美味いマズイであったとしても一番に大切なものは、やはり
食物の素材の良さ、良質な栄養素が大事なのです。鄙びた野菜、腐りかけた肉では、どんなに
調理法で味覚をごまかせたとしても身体の健康には寄与できません。
レンズは決して味だけなのではなくて、素材を助ける働きも大いにあるんですが、そこのところを
よく理解できていないと、ただ単に味わいだけで終わってしまって本当にレンズを理解できたとは
言えないことになります。
それでレンズのことをよく知る為には、最新高級なレンズ、ブランドレンズだけでなく、普通の性能の
劣ると言われているレンズも満遍なく試してみる必用がありますね。これはすごく大事だと思って
います。
正直言って、私はレンズのことはあまり知りません。特に最新高性能なレンズやブランドレンズの
ことは使ったことがないので分かりません。
ただ今回、私がソニー7Sを使ってみて感じたことは、
①レンズの構成枚数の少ないレンズ。
②F値は暗くてよい。
③レンズのコーティングは確りとしていること。
こんな感じで、あまり古いのはマルチコーティングでなかったりしますのでいけませんが、マルチ
コーティング以降のレンズで、単焦点レンズ。とりわけレンジファインダー機のレンズ。そしてF値は
暗くても問題がないということ。そんな感じで、小さなレンズが優位になります。
反対に高価なF2.8のレンズ構成枚数の多い巨大なズームレンズなどは、撮影条件が悪いと画質
は極端に悪くなります。発色もコントラストも悪くなり豊かな階調が出ません。曇り日、雨の日、
明るくても湿気の多い日。そういう状態の撮影ではメロメロになるという感じです。色は転ぶし、
解像力すらダウンするという感じです。
私の撮影では、広角側で風景の無限遠撮影が主ですので撮影日の天候条件は厳しくなるんです。
もちろんそういう高級ズームレンズでも撮影条件が良ければ、流石に良い描写はしてくれます。
そんなわけで、レンズ構成枚数は少なくて出来る限りよく光を通すレンズが良いんです。解像力とか
周辺部がどうもこうのとは言いませんから、とにかくレンズの中心部が豊かで自然な発色と階調と
コントラストで満たされていればそれで良い、というだけなのですね。
それで、そういう私が言うところの画質さえ良ければ、写真として非常に満足が行くと言いますか、
写真をやっていて良かったよね。っていう気持ちにさせられます。
ですので私の場合はレンズの味などは問いません。どこのメーカーのレンズでもいいから、とにかく
色と階調とコントラストが出てくれればそれで良いんです。解像力などは所詮1200万画素ですから
関係ないですしね。
湿気の多い、常に空気に水蒸気が混じっている天気ばかりの瀬戸内地方で、それで無限遠の
風景写真ばかり撮るっていうのは、考えてみればレンズ泣かせ、カメラ泣かせだろうと思います。
そういうように考えれば、超高画素カメラで高精細レンズで十分に撮影ができるっていうのは、
恵まれた撮影条件下にいる人なんでしょうね。というか、それが普通なのかも。(^^ゞ
こんにちは。
いつのまにかニコンの新型が出てたんですね。
それも2機種。
私が興味あるのは高画素の方。トリミングも結構使うので余裕があるのが良いです。
画質がより良いのは低画素との事ですが技術の進歩に期待したいですね。
当分買えませんけど (>_<)