大日本帝国陸軍中将石原莞爾旧墓所
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D4S
ソフトウェア Capture NX 2.4.7 W
レンズ 14-24mm F2.8
焦点距離 15mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -2.0
測光モード 中央重点測光
ISO感度 100
ホワイトバランス 晴天
フラッシュ なし
サイズ 1884x1254 (2,752KB)
撮影日時 2018-10-13 20:32:44 +0900

1   zzr   2018/10/15 22:28

石原中将のお話が出たので。
新墓所は国道沿いの分かりやすい場所にありますがこちらは奥まった場所にあり訪れる人は少ないです。
少し前に東京から来た中将のファンという方がお参りしてたそうです。

2   kusanagi   2018/10/17 00:14

「庄内第一の偉人 石原莞爾」
一般的にはこんな感じですが・・
http://www.sunrain.jp/chojin_club/map_ishiwara_kanji.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
ジェネラル石原の生年月日は、(1889年)1月18日となっていますが、おそらくこれは旧暦であり、
新暦では2月17日生まれとなります。いかにも水瓶座という大胆不敵さがありますね。
以下は、よく分かる彼のエピソード動画です・・・
https://www.youtube.com/watch?v=Yt61RPZWlr8
https://www.youtube.com/watch?v=fxrcb0HtD-U

ジェネラルの発言は明快でしょう。それは彼は確固とした自分の考えや思想を持っていたからです。
そしてその信念に則って行動したからですね。
幕末明治の時代にはそういう志士たちで溢れていたのですが、明治も遠くなり昭和に入ってからは、
石原のようなサムライ精神の人は少なくなっていたのです。しかし石原中将や以下に出した多くの
サムライがまだ日本にいたからこそ、日本は戦争に大敗しても独立を保てたのですね。

特に日本陸軍のゲリラ的な戦い方は脅威であって、実はベトナム戦争時のベトコンの戦術が
日本軍を真似たと言われる所以です。
戦争に於いては特攻的な戦い方は敵側に畏怖されることも尊敬もされることもありません。あれは
スレイブの戦いなんですね。敵ながらあっぱれと言われるのは、兵士戦士として徹底的に抗戦した
場合だけです。
そりゃあそうでしょう、同じ戦死するのならばスレイブに殺されるよりは無類の強敵に殺される方が
名誉と言うべきものですから。
日本人は特攻精神を美化していますが、神風特別航空飛行隊とか特攻出撃の大和とか、それは
大きな間違いであって、本当の日本のサムライは特攻なんて心中くさいことはしませんから。
徹底して鬼となって戦い抜いた兵士こそが本当の日本のサムライなんですね。ここを勘違いしては
いけません。

大場栄 「フォックス」と呼ばれた男・・・これは米国人の著作にも、そして映画にもなってます。
https://www.youtube.com/watch?v=6aQFVY7fOpo

歴史に名を残す旧日本軍を代表する偉人3選 工藤俊作・船坂弘・岩本徹三
・・・特に船坂弘という人はランボーみたいな人ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=P5eCus_0LNI

栗林忠道中将 灼熱の硫黄島・・・クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島」は有名です。
https://www.youtube.com/watch?v=MJhYEs-Ru0o
この硫黄島の戦いと攻防はまさしく地獄の業火での戦いであったのでして、それを戦い抜いた日米
両方の兵士はもの凄い人達であったということになります。現在でも硫黄島は彼らの亡霊がさ迷って
いると言われています。安倍政権は、この硫黄島の遺骨を全て収集して弔うと約束しています。
これは一般には知られていませんが、こういうのが安倍政権の強さの秘訣になっているのかと思い
ます。戦友は死ねば靖国神社で会いましょう、なんていい加減な話じゃないんですね。

写真のお墓は簡素で好感が持てますね。ただ土盛りしただけ。新墓所もそんな感じですかね。
土盛りの雰囲気がちょっぴり古墳してますね。(^^ゞ

3   zzr   2018/10/17 20:17

国道沿いに案内板があったのを思い出してお参りしてきました。
色々知る事ができて良かったと思います。

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