納沙布岬
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 Z 7
ソフトウェア Capture NX 2.4.7 W
レンズ 14-24mm F2.8
焦点距離 14mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/800sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1957x1285 (1,510KB)
撮影日時 2019-02-15 19:42:46 +0900

1   zzr   2019/2/25 22:52

北方領土って近いんですね。
正面に見える陸地は歯舞諸島ですね。たぶん。

2   kusanagi   2019/2/26 22:07

知床旅情の歌で、遥かクナシリの~♪という歌詞がありますけど、はるか、どころかクナシリは
根室湾入り込んでいるわけでして、知床半島からみればすぐ足元に位置しているんですね。
北方領土は、次の戦争で日本がロシアに勝つまでは決して戻ってはきません。次の戦争では
ロシアに勝ってバイカル湖くらいまで取りたいですね。(笑)

そういえば水平線上に白い陸地が見えているようです。きっと歯舞諸島でしょう。
このけったいなアーチは、もしかして北方4島を表しているつもりでしょうか。この上に登れるように
なっていれば面白いかも。

3   zzr   2019/2/27 13:36

この隣に史料館があって当時の写真などが展示されてました。
条約を一方的に破棄して侵略っていうのは近代国家じゃないですよね。最近でも約束を守らない国もありますね。
北方領土返してくれないかなー。。

4   kusanagi   2019/2/28 21:01

「日ソ中立条約」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
>日本の敗色が濃厚になっていた大戦末期の1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限満了となる同条
約をソ連政府は延長しない(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本政府に通達した。この背景には、ヤル
タ会談にて「秘密裏に対日宣戦が約束されていたこと」がある。さらに、ポツダム会談で、ソ連は、「日ソ
中立条約の残存期間中であること」を理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請
文書を提示すること」を要求した。

当時の戦況で、ソ連側が条約を延長しないと通達してきたことは、その時点でこの条約が無力化した
と捉えるのが通常の国家としての常識です。しかし日本はそれを認識できなかったんですね。
日本が米国に対して参戦した時点で、既に日本は国家としての体をなしてしなかったというのが偽らわざる事実だったと私は考えています。

それからこれをご存知でしょうか。
「占守島の戦い」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>・・・8月18日未明、ソ連軍は占守島も奇襲攻撃し、ポツダム宣言受諾に伴い武装解除中であった
日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降
伏して停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠
無く拉致され、シベリアへ抑留された。

この軍命は間違っていますね。相手が条約や日本の降伏文書を守らない以上は、こちらも戦っていい
わけですよ。当然の正当防衛であるわけで、馬鹿正直に官僚主義をやるのが日本です。明治の日本
だったら絶対にこんなバカなことはしません。
日本官僚主義は、満州に於いて敗戦が濃厚であるにも関わらず、満州開拓団と称して少年少女達を
満州の僻地に送り込んでいるんですね。満州を守るべき関東軍は既にもぬけの殻であるにも関わらず
です。少年少女たちの半分は二度と帰ってきませんでした。

日本が日米軍事同盟を破棄し、ロシアと軍事同盟を結べば北方領土は帰ってくるでしょう。(笑)
しかしあんな貧乏な(寒い領土と資源と軍事力しかない)国と手を結んでもしようがないわけで。
プーチンがいる間はしないでしょうが、やがてロシアは中国やイランと手を結んで世界相手に戦争を
するでしょう。当然に負ける戦です。その時に千島列島や樺太を占領すれば良いだけのことです。

5   zzr   2019/3/5 19:50

こんばんは。
大戦直後、北海道に侵攻しようとしたロシアに独自の判断で軍を再編成して反攻した陸軍の大将がおられた気がします。
怒ったロシアが進駐軍に戦犯扱いで身柄の引き渡しを要求したけど、その将軍に助けられた事のあるユダヤ人の助命運動で助かったとか。
その方がいなかったら北海道もロシア領だったかもしれませんね。

6   kusanagi   2019/3/6 22:18

zzrさん、「占守島の戦い」の本当の真実というものは、以下のようなものだったのです。
日本の歴史のなかで、非常に重要な現代史ですので、ぜひともリンク共々全文を読んでいただきたく
思います。

【ソ連の北海道占領計画〝日本分断〟防いだ英断】
https://ironna.jp/article/2418
『ヤルタ密約、そしてスターリンの野望』 産経新聞2014.08.19
>会談でルーズベルトは、ソ連による千島列島と南樺太の領有を認めることを条件として、スターリン
に日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。これが「ヤルタ密約」といわれるものだ。

>ヤルタ会談の2カ月後、ルーズベルトは急死。副大統領から昇格したトルーマンは終戦工作を進め、
日本はソ連参戦と広島、長崎への原爆投下を経てポツダム宣言を受諾する。
そのトルーマンは8月15日、スターリンに対し、ソ連が日本軍の降伏を受理する地域を規定した「一般
命令第一号」を送付した。そこではソ連軍の占領地域は満州と北緯?度以北の朝鮮となっており、
ヤルタ密約とは違って千島列島は含まれていなかった。
この内容を不満としたスターリンは翌16日、直ちにトルーマンに次のような要求をする。

1)日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島列島全土を含めること。これはヤルタ会談における3カ国
の決定により、ソ連の所有に移管されるべきものである。
2)日本軍がソ連軍に明け渡す地域には北海道の北半分を含むこと。北海道の南北を2分する境界線
は、東岸の釧路から西岸の留萌までを通る線とする。なおこの両市は北半分に入るものとする。

>トルーマンからは北海道北部のソ連占領を認めないという返事が18日には届いたが、スターリンは
それを無視する。ソ連の戦史研究所所長、ボルゴドノフ大将は、スターリンは終戦直前、極東軍最高
司令官、ワシレフスキー元帥に「サハリン南部から北海道に3個師団の上陸部隊を出せるように準備
司令を出した」と語っている。

>近現代史研究家の水間政憲氏はボルゴドノフ大将の発言を裏付ける証拠として、ソ連の「北海道・
北方領土占領計画書」を山形県鶴岡市のシベリア資料館で発見し、『正論』平成18年11月号にその
内容を発表している。これを読むと、ソ連は北海道の半分どころか、あわよくば全島の占領をもくろん
でいたことが分かる。
(鶴岡市のシベリア資料館、というのがネットで調べても出てきません。)

https://ironna.jp/article/2418?p=2
『占守島の戦い』2014.08.19
>カムチャツカ半島の南端から海峡を隔てて10㌔余、千島列島の最北端に、占守島(しゅむしゅとう)
という島がある。この島に、将兵の誰もが戦争は終わったと信じていた8月18日午前0時過ぎ、カムチャ
ツカ半島のロパトカ岬からソ連軍長射程砲の砲撃が開始された。

>そのとき、司令官の樋口季一郎中将は、自衛のための戦闘を命ずるべきか、戦闘行為を禁じてい
た大本営の指示に従うべきか悩んだ末、反撃命令を発した。

>実際の戦闘では、ソ連軍は上陸用舟艇16隻など計54隻の艦船、総人員8300人余りで、18日午前
2時に島北端の国端岬に急襲上陸を図った。1日で全島を占領し、千島列島を南下する計画だったが、
日本軍の予想外の抵抗により大きな被害を出し、変更を余儀なくされた。

>結局、ソ連軍は上陸地点にくぎ付けとなったまま、戦闘は8月21日に終結した。ソ連側の記録では、
ソ連軍の死傷者は日本軍をはるかに上回ったとされている。ソ連のイズベスチヤ紙などは占守島の
戦いを「満州、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった」と伝えていることからも、いかに
激しい戦闘が繰り広げられたかが想像できる。

>もし樋口中将の英断による占守島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、その後のわが国はどう
なっていただろうか。
>北海道はソ連軍に占領されていたに違いない。そして満州や南樺太で起きた略奪、子女に対する
暴行や強姦が繰り返され、多くの民間人の青年がシベリアに強制連行されていたことだろう。さらには
北朝鮮や統合前の東ドイツのように共産主義独裁国家が北海道に誕生し、津軽海峡を挟んで同じ
民族同士で対立していたであろうことは想像に難くない。

>ソ連の北海道占領計画は歴史の教科書に載っていないため、学校では教えられていない。その為
日本人の大半が知らない「歴史の真実」となっているのである。
(拓殖大学日本文化研究所客員教授)

「樋口季一郎」 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%AD%A3%E4%B8%80%E9%83%8E
○オトポール事件
○アッツ島玉砕、キスカ島撤退
○終戦後、対ソ連占守島・樺太防衛戦

この3つとも重要なので見逃すことはできません。とにかく帝国陸軍の中にはこういう本当のサムライ
っていう人が数多くいるんですよ。石原莞爾中将もそのひとりでしたね。また映画になった硫黄島の
戦いの栗林忠道大将もそうでした。その点、第二次大戦時の海軍ってのは大した人物がいません
から。それからユダヤ人というのは恩を返してくれる民族なんですね。
それにしても、樋口季一郎中将や栗林忠道大将の部下になった将兵は、悲惨というか何というか。
死ぬギリギリまでバリバリに働かされたわけでして。この占守島で戦った兵士もシベリア送りで特別に
ソ連にいじめられ辛酸を嘗めたと思いますよ。帰ってこなかった人も多かったと思います。
しかしその将兵達の尊い犠牲で、今の日本があるわけですから、そういう歴史を忘れてはいけませんね。

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