メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp0 Quattro |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 14mm F4 |
焦点距離 | 14mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2704x1808 (6,673KB) |
撮影日時 | 2019-05-03 17:56:00 +0900 |
北上川河口から牡鹿半島に向けて海岸線を走っている時、こんな具合で、よく見れば津波の傷跡は
多々見つかります。これらもやがては嵩上げ工事で見えなくなるんでしょう。
そんな小さな傷跡を探している時、ふと涙がこみ上げてくるんですね。それらの津波の痕跡は同時に
ここで多くの人達が波に飲まれてしまったことを意味しているからです。
福島第2から北上して石巻市の北上川近辺にある道の駅で宿泊しようと思ったのですが、駐車場が
一杯で車を留めるスペースすらない有様。どうせならと翌朝予定している北上川河口の大川小学校
までの道のりを、夜間ハイスピードで車を走らせました。北岸を最初に走り、橋をわたって小学校跡地
へ。
真っ暗闇の中、ヘッドライトに校舎らしきものが映しだされました。ああ、ここなんだろうと。
そこら辺りは全てといってよいほど何らかの津波の被害を受けているはずです。
何なら、ここらで宿泊しようか?・・・とは私、ぜんぜん思いませんでした。
再びゆるゆると低速で車を走らせて、今度は川の南岸をとおって元来たところに戻りました。
『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』訳者あとがき
https://honz.jp/articles/-/44600
https://honz.jp/articles/-/44650
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/mobile?date=20180501§ion=p1
多くの人々がなくなった場所というものは特別なものです。私はある程度は心霊現象というものを
知っている、つまり科学的に理解しているつもりですが、それだからこそ危うきには近寄りたくない
ものです。
翌朝、眩しいまでの朝日のもと、まず最初に見つけた目新しい慰霊碑に手を合わせました。
私をここまで引き寄せたであろう、9歳の女の子の名前をみつけました。
そしてやっと大川小学校の震災遺構を訪れたのです。
同じ震災でも、津波と原発とではまったく違うものなのです。もっともその2つを同時に受けた地区も
あるわけでして、もの事は複雑です。
津波は多くの人々を、2万人近い方々の命を一瞬にして奪い取っていったわけですが、原発はそういう
ものではありませんでした。人々から土地や財産や仕事や人間関係を奪ってしまったのですね。
そして健康や寿命というものも奪っていきつつあります。原発被害は緩慢なる死とでも言っていいかも
しれません。原発被災地とは、人よりもまず大地が癒やされるべきということなんでしょうか。