メーカー名 | SIGMA |
機種名 | sd Quattro H |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 18-200mm |
焦点距離 | 33mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F13 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3088x2056 (6,948KB) |
撮影日時 | 2019-04-29 22:12:01 +0900 |
昔読んだ漫画で、髙橋ツトム氏の『SIDOOH/士道』(しどう)のがありました。
その中に猪苗代湖を配下に遠望する磐梯山の光景が印象に残っていたのです。
https://aplac.net/thisweek/essay849/849.html
この写真は奥磐梯の桧原湖(ひばらこ)なので猪苗代湖ではないのですが、そもそも奥磐梯の
湖沼群は、明治の中頃の磐梯山の水蒸気爆発でできた新しい湖なので、上の漫画の幕末時代
には存在しませんでした。
会津磐梯山は宝の山よ♪という民謡がありますが、噴火と山崩れを繰り返して湖を造るっていう
のは何とも壮大で、火山がない四国では想像の他だったのです。
四国にも過去のカルデラの名残があるようで、石鎚山がそうなんです。しかし日本列島ができる
ころの話ですから大昔ですね。それでも独特の風景があって、他とは何か違うって感じます。
この磐梯山や裏磐梯の湖沼群はジオパークの気分として散策しましたが、また今回の原発災害
との比較も私の脳裏に上がりました。
磐梯山の水蒸気爆発による山崩れはスケールが大きいのですが、数百年に渡って人が住めなく
なるというのではありませんでした。被害額としては原発の方がはるかに上でしたね。
時間さえあれば山にも登れるのでしょうけど、後に控えている浜通りの震災避難地区の予定があり、
それでも裏磐梯に1日、猪苗代湖に1日と過ごすことができました。なんとも会津はいい。心底そう
感じました。
こちら桧原湖ですか。
この先にある五色沼に行った時に通った事がありますが磐梯山がきれいに見えるんですねー。冬の風景も良さそうです。
桧原湖は、ほぼグルっと一周しました。かなり大きな湖ですね。景観はバツグンです。あと秋元湖も
堤防を歩きました。(湖が改造溜池になっていて水力発電もしています。堤防からの磐梯山も綺麗で
した) 小野川湖は横を車で走っただけの撮影。
翌日予定していた五色沼は、天気がますます悪くなり良い景色は期待できないだろうということで、
屋内の噴火館の見学にあてました。それから猪苗代湖に進みましたが、2日間は湖三昧でしたね。
今回の東北行では5000ショット撮影したのですが、まだ殆ど見れていません。まあ、撮った写真は
逃げないのでそのうちじっくりと見てみたいと思ってます。
今回の東北は前回と違って、震災跡地、とくに原発被災地などを訪れましたので、精神的にヘビーな
旅でした。その心の重さっていうのはまだ全然取れていません。
考えてみると震災というのは一種の戦場だったというか、そういう意味では戦場の兵士やカメラマンが
罹る、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に近いものがあるのかもしれません。
まっ、そんなに大げさなものじゃないですけどね。(^^ゞ
震災から8年経ってもそうなのですから、震災直後に訪れたとすれば大変なショックだったでしょうね。
ましてや、実際に自らが被災し家族をなくし、また棲家を追われた当事者の方々はどんな気持ちで
いるのかは、私には想像すらできかねます。
震災跡見学ショックでも実は2種類あるようです。ひとつは2万人もの命を一瞬にして奪った津波被害。
もう一つは目には見えないがしかし長く尾を引くだろう原発震災。私にとって今だにストレスを感じてい
るのは後者の方です。原発被災地は今だ戦争が続いているのですね。
政府は東京オリンピックという祭りを誘致しましたが、それは国民から東日本大震災の心の傷を取除
こうという思惑があるんだろうと思います。それは確かに津波被害には通用するかもしれませんが、
現在も未来も進行形の原発被害には何の効果もありません。その地には時間の経過だけが唯一の
解決策となるしかないのです。