胆沢城
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 dp0 Quattro
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.5.4
レンズ 14mm F4
焦点距離 14mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/30sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 125
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2704x1808 (6,306KB)
撮影日時 2019-05-04 21:04:19 +0900

1   kusanagi   2019/6/13 00:17

古代日本の領土は西暦750年ごろで宮城県北部と秋田県までだった。
という記述が見えますが、面白いことに私の最初の東北行は山形と秋田までであり、2度目の今回は
福島と宮城、そしてほんの少し岩手に垣間見ただけでした。
もし私が朝廷軍だとすれば、西暦750年の時代に合致しているわけですね。それは西日本から見れば
日本海側は比較的近くて、太平洋側は遠いのです。ここらあたりは現代の東京関東を中心にしてみる
見方とは随分と違います。

それにしても岩手県というのはあまりにも此方からは遠くて、ピンとこないのですが、岩手県の面積は
15,278平方キロメートル。そして四国の総面積18,300平方キロメートルなので、若干四国のほうが大き
いですがほぼ匹敵すると言えば、やはり驚いてしまいます。
「地図遊び」
http://fanblogs.jp/oortcloud/archive/124/0

もっとも何度も書いたように、東北の道は走りやすくてあまり距離感を感じないところがあります。
実は今回の東北行も、震災跡は止めにして会津から一気に岩手県を北上して十和田湖まで行こうか、
という別プランもあったんです。途中、遠野なんかを見学してですね。
しかし奥磐梯で出会ったご夫婦にお会いして、強く福島の震災跡の見学を勧められて、もう腹は決まっ
たというわけだったのです。
震災跡を見るのは苦しいだろう、という予感は当然にあり、できることならば避けてとおりたいというの
はごく普通の人情ですね。

もしも今回、福島原発被災地を避けて通っていれば、私はハッピーのままで今も過ごしていただろうと
思いますね。(^^ゞ しかしそうはならなかったというのも何の縁みたいなものです。
福島原発被災地は私の心の中のがん細胞のような位置を占めてしまったという気かしています。これ
を取り除くことはできないように感じられます。

そうだ、話は岩手県でした。(^^ゞ 胆沢市まで行ってきました。その途中、平泉も寄りましたがこれは
オマケみたいなものです。本命は胆沢城跡です。もっとも城柵跡は田圃の真ん中位で遺構らしきもの
は何もないのですが、その周囲の雰囲気を体験したかったのですね。
そんな程度で岩手を知ったことにはならないのですが、とりあえずはタッチをしたよっていうところです
かね。(^^ゞ もし3回目の東北行があるとすれば、こんどは胆沢城から北上して青森まで行ってみたい
ですね。そして津軽を回って日本海側にそって帰郷するというルートになろうかと思います。
とにかく岩手、陸奥の国は私にとっては未知の国です。

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