メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 135mm F1.8 DG HSM | Art 017 |
焦点距離 | 135mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/4096sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x3001 (2,681KB) |
撮影日時 | 2019-04-06 02:54:03 +0900 |
桜シーズンも、追っかけ旅行でもしないかぎりはあっという間です。夕映えは、
一日の終わりというイメージからか、桜の儚さをより印象づけるように感じます。
ぢゃ、漫画話しましょうね(裂)
「描写」といって、写真の描写のことではなく、レース漫画における「死」の描写について関心を持っています。「サーキットの狼」では終盤で最大のライバル、親友である早瀬左近が死んでしま
います。彼の死は、その何巻か前、主要人物3人が雑談をする中で
「我々3人が3人とも、F1で活躍するなんてことは、確率論的に
言ってありえない」というセリフで、暗転が予告されています。
池沢氏は、こうした伏線の設定が上手で、おおむね全てきちんと
回収されてストーリーが完成しています。この漫画は構想期間が
長かったとも聞きますし、十分に練ったうえでの執筆だったので
しょう。
暗転と言えば、「サーキットの狼」で池沢さとし氏は、死亡
シーンでネガ描写を多用してます。事故死者はすべて即死という
描かれ方であり、搬送された病院で息を引き取るというパターン
はありません。
つまり、主人公は、レース中に、他の主要人物の死を認識しな
がら、精神力でレースを走り切るのですが、しばしば「・・狼」
では、卑劣な手段を用いた相手に復讐するシーンもあるし、我を
忘れて、ヘルメットを脱いだまま走り始めるといったこともあり
ました。後者は、失格になってもおかしくない行為ですが。
「・・狼」から10年後の、F1でホンダエンジンが全盛時代を謳歌
していた時期のレース漫画が、六田登氏の「F~エフ~」。
この漫画は、必ずしも主人公の「勝利」では完結しないのですが、
結末は悲劇的ではありません。テクニックやマシーンのメカニズム
よりも、人間模様に重点を置いたドラマ描写であり、主人公はしば
しば命に係わるような事故に遭い、一度は臨死体験する様子も描か
れています。
連載当時は、立花隆氏のNHKスペシャル番組など、臨死体験が
ちょっとしたブームになり、いろいろな解説本(脳科学や
スピリチュアルまで様々)が出てました。
「F」における臨死体験シーンで、主人公は早逝した先輩レーサーや自身の恋人に出会い、ティータイムを共にします。ここで
は恋人が用意したサンドイッチがテーブルに並ぶのですが、主人公
(赤木軍馬)は手を付けることなく、生命への執着から泣き崩れ、
死者たちから別れを告げられ、生還し、自分が「この世とあの世の
中間にいた」と悟るわけです。
臨死体験本で読んだ、これとよく似た話に、作家・僧侶の今東光
氏が、生死をさまよった際に、「尾崎士郎氏に大物の鯛を託された
一心太助に出会い、その場で刺身にさばくからお食べなさい、と
勧められる」というものがあります。
尾崎氏は今東光氏の同級生でありその時点で故人なわけで、
今東光氏は「今は食べたくない、尾崎によろしく言っておいてくれ」と断って、やはり生還したそうです。で、「この世とあの世の
中間で食事をしてしまうと、この世に戻れなくなるから、食べなくてよかった」と安堵する、と。
六田氏がこのエピソードを参考にしていたのかどうかは不明です
が、「F」で描かれた臨死体験シーンは、霧を基調に時間感覚を
超越した世界を演出する、美しいものでした。
また、臨死体験をした人物は、死生観が変化し、激烈な人物も
穏やかになるなどの性格的な転換があると言われていますが、
主人公も対立していた父親や兄との関係が変化し、自らも子を設け
るなどしています。
こうした臨死体験が、普通の夢の延長にあるかどうもわかりませ
んが、「個人を含めて、時系列がごっちゃの人物が、ありえない
シーンに集合する」という夢は、仕事で切迫しているときによく
見ることがあり、気分転換を必要としているな、と判断するバロメーターにしています。うんうん。