メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp0 Quattro |
ソフトウェア | Capture NX 2.4.0 W |
レンズ | 14mm F4 |
焦点距離 | 14mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | "beRGB" |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4056x2712 (3,765KB) |
撮影日時 | 2019-05-04 02:33:00 +0900 |
24、25コメ
本人だよ!!!
で、謝罪は??
東日本大震災によって発生した津波はとりわけ高齢者に大きな影響を与えた。死亡者の54%が65歳以上で、高齢であればあるほど死亡率は高かった。しかしその反対の傾向はさらに顕著だった。つまり若ければ若いほど生き残る可能性は高く、死亡した子供の数は驚くほど少なかった。
2004年にインドネシア、スリランカ、タイなとを襲ったスマトラ沖地震の津波は子供の死亡者が不釣り合いなほどに多かった。子どもたちは泳ぐための身体能力が低く、安全な場所にたどり着くことが出来なかったからだ。日本ではその反対のことが起きた。約18500人の死者・行方不明者のうち、小中学生は全体の50分の1以下に当たる351人だけだった。さらにそのうち8割は学校以外の場所で亡くなった。例えば病気で早退したり、心配になって迎えに来た親と一緒に帰ったケースだ。言い換えれば、教師と学校に残るよりも、家族と共に逃げるほうが遥かに危険だったことになる。
もしあなたが激しい地震の揺れに襲われなければならないとすれば、考えられる場所は日本であり、中でも日本の学校の室内にいれば助かったと思って間違いがない。数十年に及ぶ技術開発によって日本に生み出されたものは、世界で最も耐震性が高く、もっとも厳しく規制された建築物の数々だ。巨大な津波に襲われたにも拘らず、日本の防波堤、警報システム、日頃の避難訓練が数えきれない命を救った。2011年の大災害の規模がどれほどのものだったとしても、もし他の国で起きたとしたら、被害は何倍にも膨れ上がっていたことは言うに及ばない。そんな日本の中で、自然災害に対する備えが最も周知な建物こそが公立の学校だった。
日本の学校は鉄筋コンクリート造りの鉄骨フレームに支えられている。丘や高台に位置することも多く、全ての学校で細やかな防災計画の立案とその定期的な訓練が義務付けられている。その日の午後、日本の建築物と官僚主義は、子どもたちを護るためにはほぼ完璧な仕事をした。
この地震の揺れによって倒壊したり、深刻な物理的損害を受けたりした学校はひとつもなかった。東北沿岸の9校が屋上まで津波に呑み込まれた。そのうちの南三陸町の1校で、集団で高台に避難中だった13歳の男子生徒が溺死した。しかしその1例と大川小学校の1件を除いて、他の全ての学校では、子どもたち全員が安全な場所へと避難することができた。
2011年3月11日、日本では75人の子どもたちが学校の教師の管理下で死亡した。そのうち74人は大川小学校にいた。のちに保護者の多くは、急いで我が子を迎えに行かなかったという罪の意識に苦しめられることなった。ところが彼らは不注意だったわけでも、怠けていたわけでもない。彼らがとった一連の行動は、他のあらゆる状況下であれば、子どもたちの安全と命を護るもっとも妥当なものだった。
・・・・・・・・・・・・・・
悲しみと怒りは、学校の関係者全員の評判を悪化させた。多くの人にとって柏葉照幸という人物を客観的に見ることはもはや不可能だった。背が低くぽっちゃりとした体形で、白髪頭の50代後半の男性、それが柏葉校長だった。楕円形の眼鏡をかけ、緊張したり熟考したりするときは唇を噛む癖があった。震災前でさえも、柏葉校長を詳しく知るものは誰もいなかった。校長就任から1年たっても、彼が校長であることすら知らない保護者もいたほどだった。
その日の午後に学校学校を離れていたことについて柏葉校長に落ち度はなかった。彼がどれほどの恐怖と苦悩を感じたのか、それは誰にもわからない。しかし校長は深刻な判断ミスを犯した。まず、震災発生後に現地に行くまで時間がかかりすぎた。次に、実際に姿を現した時の行動がひどかった。柏葉校長は遺体を捜す手助けをしようともしなかったし、する素振りさえ見せなかった。それは決して赦されることではなかった。最初に学校にやってきたとき、彼はマスコミからの質問に答え、持参した高価なカメラ※で写真を何枚も撮った。別の日には、学校の金庫を心配そうに捜す姿を目撃されている。
・・・・・・・・・・・・・
――校長先生、地震から津波までの1時間のあいだの子どもたちの気持ち、考えたことありますか?どんなに怖かったか、考えたことありますか? お母さんお父さん、早く迎えに来てっていう叫びや、叫んでさけんで冷たい思いをして、怖い思いをして、その気持ち考えたことありますか?
――わがっか、あそご。初めて見たとき、松の木※だらけで、希望もくそもねぐなって、どっから探したらいいべ。道路で来てからがらさ来た人たち、何もわかんねえべ。あそこ、水のなか、長靴はいて長靴のなかさ、水入って、がっぽがっぽ歩いたひとだちの気持ちなんて、わがんねえべ。自分の子ども見っつけでもさ、見つかっても、あそごさ、まだ来てけんだよ、ほかの人が、親なんか。ほかの子ども、見つけでけっぺって来てけんだよ。みんな。ほいづなのに、なんや校長、学校のもの(金庫)探すさ来たって、おだすなよ。この。んめ、探すの、学校の用か。
――校長先生は、捜索とかできないんですか?
――スコップねえなら、なんぼでも貸してけっから。
――長靴ねえごって、なんぼでもやっから。
――革靴しか、もってねえんだべから。
――カメラが、もってんの。カメラもってだな、子どもなんて探さいねんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
※原著ではエクシペンシブ・カメラとある
※河口の防風林から流れでた多量の松の流木のこと
リチャード・ロイド・パリー著/濱野大道訳/早川書房刊/2018.1.25発行
『津波の霊たち』=3.11死と生の物語=より抜粋。
私がこの本を読んだのは2018年の5月です。今年の5月の東北行の1年前ですね。それでまあ、粗方の本筋は覚えていたものの、細かな事は忘れていました。この校長の高級カメラなんていう下りは、今回再読してやっと思い出したわけです。しかし無意識には覚えていたんでしょうね。
今回の福島や三陸の東北では、最初からニコンやキヤノンの大型カメラを持っていくというのは端から考えてもいず、とにかく目立たない小さなカメラで行こうと思っていました。会津だからシグマのdpクワトロで行こうかと。ついでだから望遠の不足にクワトロHでも行こうかと。しかしレンズは小型の目立たないものにしたい。(その為にわざわざ小型レンズを購入しました) そして画質は前回と同じく低画素で行くべしと。
なぜ、そう考えたのか。長らく不思議だったのですが、今回この著作を読み返してみて、改めて納得したわけです。とにかくこの校長と同じようなカメラであったのではいけなかったのだと、いうことですかね。
それで第一に目立たないカメラにしたい。ブランドとして知られているカメラはダメだ。シグマならばよいだろうということだったのでしょう。
この文章を改めて読み返して思うのは、高級カメラやブランドカメラを使うことの是非ですか。この校長がもし学校の現場にカメラなぞ持参していなければ、私も考えることはなかったでしょうね。まあこの校長はあまりにも常識がなかったわけですが、少なくともハイアマチュアとしての常識はあったのでしょうか。しかしハイアマチュアの常識は一般人の常識じゃないですから。
アマチュア人の常識が一般人からは程遠いというのは以前から知っています。それはそれで致し方ないわけですがね。
三陸の津波被害のところではdpクワトロだけで撮りました。目立たない小型カメラだけです。クワトロHすら出せなかったですね。
福島の放射線被爆地区を見て、以前にも書きましたが、私のささやかな風景写真は死にました。しかしそれ以前に私のカメラも瀕死の状態でもあったわけですね。そして大川小学校などの津波被害地区を見て、ハイアマチュアの写真術なんていうのは大嘘であることが分かりました。
でもまあ、そんなことを言っていては掲示板として話にならないわけですが、少なくとも一眼レフの時代は去ったね、ということです。やはり時代はミラーレスカメラでしょ。大げさな一眼レフを振り回すのは過去のことになったということ。これだけは確かかな、と思います。
そして高級カメラやブランドカメラというのは、アマチュア同士では通用するのですけど、一般の常識のある世界ではむしろ嫌われているんじゃないでしょうかね。
高級一眼レフが一般に好かれていないというのは、結局はそういうカメラを使っているアマチュア人が常識観のない人だったからですね。そういう気がします。言わば自業自得なのです。
シグマのカメラは高級カメラだと思いますけど、一般には知られていず、現時点ではブランドカメラとは言えないかもしれません。アマチュア同士でもさえもシグマは無名であって知らない人が多いので、私としては嬉しいのです。
シグマはカメラ事業では利益がないと言っています。
そしてレンズはこれまでの廉価レンズから高級レンズに方向性をガラリと変えました。これは会社経営からの方向転換です。
「シグマは高級レンズでカメラマーケットをリードする」(1-4)
https://blogs.yahoo.co.jp/ka_tate/64510840.html
https://blogs.yahoo.co.jp/ka_tate/64510845.html
https://blogs.yahoo.co.jp/ka_tate/65140412.html
https://blogs.yahoo.co.jp/ka_tate/65140417.html
こんな感じですかね。しかしまあ一般的にはシグマはレンズのサードパーティ製として、安物のイメージが一般的にはまだ続いていると思われます。
やがてはシグマは名実ともに高級ブランドカメラになっていくと言えますが、今の時点では無名カメラのイメージの残滓があるので、そこのところが返って良いかなって感じてます。
クワトロHは面白いカメラで、廉価レンズを着けて低画素で撮ると、なんてことはない普通のカメラになり、一方で高級レンズを着けて高画素で撮ると、とたんに高画質になるわけで、その落差というのが一般にはないユニークな性能となっています。
このクワトロ方式は現行のカメラで終了するみたいてすが、考えてみれば装着するレンズでこれほどに落差のあるカメラは珍しくて、これはこれで立派な特徴的性能だと思いますね。
しかしクワトロにかぎらず、ミラーレスカメラというのは肩肘張っていないカメラということで、これからも写真を継続していこうか、という人には無くてはならないカメラだと思っています。
考えてみますと、本当のデジタル時代のカメラは、このミラーレスカメラからやっと始まると言ってもよいのではないでしょうか。
それはつまりこれまでの一眼レフのデジイチは、半分はカラーフィルム時代の古い時代のカメラでしかなかったということです。高級カメラというイメージは、まだ一般的にはミラーレスカメラを指さないように思います。画質性能としてはテジイチを凌駕するほどのミラーレスですが、一般認識としては高級カメラはデジイチですかね。
これまでのデジイチでは古い時代の写真のやり方、大げさな芸術主義(真実は芸能娯楽です)が大手を振っていたのですが、これからはそうではなくなるということです。なぜならばミラーレスカメラは光学ファインダーを無くしてしまったので、これまでのように撮影者がファインダーに酔うことができなくなったからです。光学ファインダーの酔いから目覚めると、ユーザーは本来の写真というものに立ち返ることになるからですね。
ミラーレスカメラでは芸術芸能写真をやり続けることができません。それは既に明らかになっています。
私の場合は大昔のメカニカルカメラの時代から写真に入り、そしてカラーフィルム時代は写真をやっていませんでした。復活したのはデジタルカメラからですね。
それで大昔の一眼レフのカメラのファインダーなんてのは、見え方は今のEVF並だったのです。そんなわけで私などはライカのカメラ(レンジファインダー機)に憧れました。それがぐっと良くなったのは(フォーカシングスクリーンのナノ材質が良くなった時期)、ちょうどカラーフィルムが全盛になり、カメラがAFオート化されたころなんです。
おそらくその頃に大部分のアマチュア連は写真を開始しているはずです。ですから一眼の光学ファインダーというものは素晴らしい、と思っているわけですね。ほぼ素通しとも言えるAFカメラのファインダーをみておりますと、それこそスルーザレンズなのであって、この実際にファインダーを通してみた光景にアマチュアは憧れそして酔ってしまったわけなんです。
それが写真においての芸術主義芸能娯楽のオンパレードになってしまった原因のひとつでしょうね。それらは技術的にはファインダースクリーンのお陰というわけです。
そして時代は、今はミラーレスカメラということになりました。デジイチ最高って言っていた人も時代の流れには逆らえません。もちろん頑固な人はこれからもデジイチ流派を貫いていくのでしょうが、もはやそれは主流ではありません。デジイチの総本山であったニコンやキヤノンですら本格的なミラーレスカメラを出しています。
それで芸術主義をうたっていた人が時代に合わせるということで、それでミラーレスカメラに行くことができるのか。それが大きな問題なんです。
この掲示板は最近は投稿する人が少なくなりました。メインで投稿されていた方も去ってしまっていますね。それはなぜでしょうかね。この掲示板が一時、投稿しにくくなったからでしょうか。
私の見立てはこうです。つまり時代がミラーレスカメラになったからですね。
ミラーレスというのは撮影していて面白く無いんです。ただ淡々と写真が撮れるだけです。しかしカメラはカメラなんですし、写真が撮れるという機能ではデジイチとあまり変わらないです。しかし使っていてカメラが面白くないのですね。
その面白くないという、最大の理由は光学ファインダーが無くなったからです。装着するレンズを通る光を眼で眺めることができなくなった。これが一番なんですが、他にもシャッター音が無くなった(低くなった)というのもあります。これは高速連写をする場合にモチベーションが違ってくるんです。
デジイチを好んで使っていたというカメラマンは、芸術主義の人が多そうなのですが、しかしほんというと、光学一眼レフというカメラを使うのが好きだったというべきなんですね。そして写真そのものはカメラの付属物でしかなかったということです。
極論すればデジイチのファインダーとかシャッター音が好きだったというだけです。それに浸りたかったというだけだろうと思ってますよ。ですから時代がミラーレスになれば写真を撮らなくなるんです。それはミラーレスカメラというのは使っていて面白くないですから。
多くのカメラマンは自分は写真好きである。写真にイカれている。と、ご自分では思っていたかもしれませんが、本当はただ単に道具というカメラに耽溺していただけなんですね。
ニコンとかキヤノンの高級機、ライカとかツァイスという高級機なんかに心身ともに浸かっていただけなんであって、ほんとうに写真にぞっこん参っていたというわけではないんです。つまりここに大嘘があったんだということです。
機材好きの方はいますね。そういう方は自分に正直な人です。そして不正直な人とは自分は機材なんかよりも芸術主義の写真をやっていると断言し、しかしてその機材の時代の流れが変わった途端に、写真に興味をなくしてしまった人なんです。
本当に写真そのものが好きであるならば、カメラの方式が変わろうともびくともしないはずなんですが。
この掲示板でも実際に自分でミラーレスを使っている人。まだ使ったことはない人。いろいろだろうと思います。そして写真とは芸術主義であると考えている人。いや写真とは単なる記録であると思っている人。様々だろうと思いますが、確実に言えることは、写真とは芸術主義であると考える人はこれからは写真が撮れなくなるということです。そういう人はカメラをミラーレスにしたところで撮影に意欲が湧くというものではありませんから。
反対にミラーレスを使っていない人でも写真は記録でしかないと冷めている人はミラーレスを使わなくともこれからも写真は撮れるだろうということです。要はカメラマンの考え方ひとつなんですね。
写真が芸術ではないというのではありません。ただ芸術主義を全面に押し出すことに実は嘘があったということだけなんです。写真芸術はむろんミラーレスカメラでも立派にできます。しかしデジイチの力で写真を撮っていただけという人にはこれからの未来はあまり開かれていません。
この掲示板での、数多くの捨てハンというか捨てコメントの方は、間違いなくそういう嘘の写真を撮っていただろうという人なのです。
写真は記録で表現なのですが、とにかくそこに嘘があれば面白いものではありません。しかしながら多くの人たちはあくまでも即物主義であるわけなので、カメラという道具によって自分の意識が左右されていたというのはママあることなのです。人間とはその程度なんです。
小学校の校長は、あくまでも自分の日頃使っていたカメラで撮っただけなのであってちょっと記録として残しておこうと考えただけなのでしょう。そのカメラがライカなのかニコンなのかキヤノンなのかは知りませんが彼にとっては特別に高級カメラというわけではなかったでしょう。
しかしその撮影がこれほどパッシングを受けるとはつゆぞ思わなかったはずです。高級カメラで撮ろうがスマホで撮ろうが、その場ではふさわしくなかったというだけですけどね。
もしもこの校長がカメラや写真趣味なんぞにうつつを抜かす、日頃から子どもたちのことを真剣に考えいれば、こういう悲劇は起きなかったかもしれません。とにかく教育者として失格の人間がトップにたつということ事態が間違いだったわけです。
ここで書いてきたことは、このフォトXP掲示板の長年の総括にもなるんじゃないかなって考えているのですが、カメラのユーザーが、写真愛好家の方々がこの掲示板を通して有意義に交流できればいいなっていう、そういう創設者や管理人様の思いは、図らずもミラーレスカメラの登場とともに終わろうとしているのかも知れません。もう時間はあまり残されていないかもしれません。
そうですね。ある部分のものは終わりかけようとしています。しかしまた新しい流れが出て来ているのかも知れずで、まだまだ結論付けるわけにもいきません。
なぜならばデジタルカメラの本流はこれから始まるのであって、これまでのものは前哨戦でしかなかったからです。ここのところは確りと自覚していただきたいと考えています。デジタルを始めて、デジイチを使って20年、十数年という方は多いでしょうけど、これまでのことは本当のデシタル写真ではなかったということなんです。
ミラーレスカメラ、これを最初にリリースしたのはパナソニックですが、それ以前に高画質コンデジとしてデジイチ以外の選択肢を世に問うたのがシグマです。dpカメラは単にハイアマチュアの喜ぶ高級コンデジではなくて、レンズを3本用意した実質的且つ実用的なミラーレスと言ってもよいものでした。いさぎよくEVFすら付いていません。
シグマは今でもそうなのですけど、ブランドカメラとか高級カメラの路線を目指していないのです。あくまでも高画質を目指しています。それで他のミラーレスカメラ、オリンパスとかフジのように形だけのクラシックスタイルを継承していませんね。それを言えばソニーミラーレスもそうです。高級カメラの真似事をしていない。それは大事なことです。
先程はシグマもやがてブランドカメラになるんじゃないかなって書きましたが、確かに交換レンズはそうです。しかしカメラは相変わらずとんがった異端のカメラであり続けるような気がしています。
シグマのカメラが、その画質が随一だとしてもアマチュアはシグマを使いたがりません。それは使い難いカメラだからですね。写真を行うに於いて、ましてや芸術主義の写真をやるのならば画質第一主義のシグマを使うのは自然だと思うのですが、芸術主義ぶっているアマチュアはシグマを使わずにニコンやキヤノンを使います。それはシグマが彼らの流儀にそぐわないからです。
彼らのやり方は、簡単に使えて、光学ファインダーがあってブランドで威張れるカメラですから。シグマはそうではありません。
シグマは一眼レフを捨ててミラーレスに行きました。デジイチのSD-1などはけっこう良かった光学ファインダーを使っていたと思うのですが、クワトロでミラーレスに行きましたね。これから出るLマウントフルサイズカメラもミラーレスです。
シグマは鼻っから芸術主義のアマチュアを相手にしていないので光学ファインダーを捨てることに躊躇はなかったのでしょう。ミラーレスとなってピントが合うようになったということなので、ほとんどのシグマユーザーはミラーレス化に賛同していると思っています。
私が思うに、sdクワトロ以降のシグマを自分できちんと使えるという、そういうスキルというか意識が出来ていれば、これからの本当の時代のデジタルカメラの写真時代に行けるだろうと考えています。
勿論なにもシグマだけを言っているのではなく、ミラーレスカメラ全般に言えることなんですね。ニコンZ、キヤノンRP、ソニーα、フジ、オリンパス、パナソニックでもいいんです。そういう本格的な自分のメインカメラとなるべきミラーレスカメラを使うことができれば、これからの本当のデジタル写真の潮流に乗ることができるというわけです。
つまり光学ファインダーを捨てたカメラを使いこなせるかどうか。これを言っているわけですよ。
こんなことを言うと光学ファインダーのデジイチを敵視しているように見えるでしょうけど、しかしイワユル、デジイチはあまりにも俗物的な手垢が着きすぎて汚れてしまったきらいがあるからなんですね。
私としては本当は光学ファインダーは好きなんです。それらの多数の古いカメラを所持していますから。デジイチは捨てがたいと感じていますし、これからも折を見て使っていくつもりです。
しかし今や私のメインカメラは実用として使うカメラはソニーなどのミラーレスカメラなんです。非常に不思議な符合として、ミラーレスカメラはかつてのメカニカルカメラに回帰しています。
ひとつはファインダーがしょぼい。ひとつは電磁波を出さない。カメラが小型になった。これらが不思議に共通しています。
かねがね私は、デジタル写真こそは、写真本来の黒白フィルム写真時代に戻れると考えていたのですが、いまやっとそれが実現していきそうですね。別の言葉で言えば、カラーフィルム写真時代という、写真史としては異形の時代がやっと過ぎ去ろうとしている。そういうことですね。
今の、これまでの写真好きと言われる人間が、これからどれだけ生き残れるのか。10%生き残れば多いほうだと思ってます。
それから誤解のないように書いておきますが、私はシグマミラーレスは人様には絶対に勧めません。その画質の凄さに下手をすると眼と脳が過労で疲弊するからです。それからパソコンのパワーがモノを言うので普通のPCではスムーズに使えません。ミラーレスになってからというかクワトロになってから、AFはスムーズになりましたし連写もある程度できるようになりました。撮影は楽になったのですが後処理は相変わらずです。
それよりも普通のミラーレスカメラを勧めます。できればフルサイズ。ソニー、パナソニック、ニコン、キヤノンのやつです。手持ちのデジイチのレンズが使えるというメリットもあります。
それからEVFを期待してはいけません。背面モニターで撮影するという意識が必用です。
長々と書きましたが、こういうところが現在の写真の現状だろうと思います。
冒頭の「津波の霊たち」は大川小学校を書いているのですが、何度読み返してもショッキングな出来事でした。関心のある方は是非に本を買って読んでみてください。
「北上夜曲 」(和田弘とマヒナスターズ&多摩幸子)
https://www.youtube.com/watch?v=3120-ipPwLU
冒頭の航空写真に大川小学校の位置が写っています。震災以前の写真です。
「北上夜曲 」和田 弘とマヒナスターズ&多摩幸子 Cover:東あき AKI AZUMA 10year old Genius singer
https://www.youtube.com/watch?v=QCIhozpWkoM
何が面白くてアタシに付きまとうか!
余程の嫉妬心があるのか!
極めて不快を抱くコメントの投稿!
kusanagi、貴方だけだよ俺に食って掛かるのは!!
俺がkusanagiに何をしったって言うのか!
説明要求!!!
もっと言おうか!!!
過去のコメントを貼りましょうか!!
最近の若い人達は謝るとかは時代の進行差で違いがあるようです。
ですのであまりナーバスにならず心を広く持ってみたらどうでしょう。
これは年寄りの囁きです
このニコン掲示板は非常に長い間、カリスマ性を持ったdictatorとも言うべき投稿者が牛耳って
いたのです。
かのdictatorは自分の写真には批評を一切許さず893風に振るまい、自分の写真はサイコーで
あると自負し、他人にデータを盗まれるのが嫌で、画面に「Nikon」と大書きし(勝手にニコンの字
を使うな)、その本来の小心性ゆえに、あげくは丸粒ほどの写真を連投し、最後は文字どおり消え
てしまいました。
そのせいでか、ユーザー数の多さから言えば、本来はキヤノン板と並ぶべき賑わいを見せなけれ
ばならないニコン板が、すっかりと寂れてしまったのです。
しかしながらその影響はその投稿者が板を去った後まで続いていて、そう現在まで続いてしまって
いて、かのdictatorの十八番作風であった朝焼けと夕焼け、雲と霧の写真が今だに続いている!
っていう有様なのです。
なんとも情けないではありませんか。
これは端的に言って写真の敗北です。ニコンユーザー諸君の敗北が今もって続いているではないか?
という感慨を持っているのは、きっと私だけではないでしょう。
そのニコン板に新風を吹き込んだのが新人片平投稿者ですね。
そしてまた、このdosuoさんの「みんなで背伸び 」写真も、そうです。これも新風なのです。
>作品から感じるものは、作者の勝手な気持ちの押し付け・・・この勝手な押し付けを文字通りやった
のがdictator氏だったのてすが、しかし若い人は自分の思いを写真にぶつけてもいいんですよ。
しかし爺がそれをやっちゃいけないですよね。またその亡霊に囚われている投稿者が続くのも情け
ないことです。(いい加減、洗脳から抜けださなければ)
私は片平投稿者の若さ故の、「我、思う」自我を押し出した表現を評価しています。
写真を長く惰性で続けてくれば来るほど、自分の写真は命を失い枯れてしまって、無味無臭の詰ま
らない写真になってしまいがちですから。
写真に再度、命を吹き込んでくれそうな可能性のある新人投稿者。これをを暗に非難しては大人と
してつまらなくなりますから私はやりませんよ。(^^ゞ
写真というのは公平で平等です。金持ちが偉いとか、権力を持っているのが偉いとか、名が売れて
いるのが良いとか、インテリで学問があるのが良いとかもなし。そういうのは一切ないですね。
高いカメラを使ってるのがいいとか、文章を書くのが上手いとか、そういうのも全々ないです。
あの人とは知り合いだから援護するというのもなしです。慣れ合いも一切なし。
誰であろうと実直に、人様に感銘を与える写真を投稿できる人が素直にストレートに良いだけなん
です。
これは写真の自由主義であり民主主義なんです。このニコン板こそ、それを取り戻さなければなら
ないですよね。
4 読者 19/08/02 22:57
カリスマ性ってのがあってね。こいつの凄いのはカリスマの当人がいなくなっても、その洗脳効果
の威力を、長く受け手側に保ち続けることなんです。
もうひとつヒーローというのもあるんですが、こちらはブラックではなくホワイト。ヒーローは得てして
政治に巻き込まれて悲劇の英雄に終わったりします。
この2つの違いは、ヒーローは行動だけ示して多くを語らないということ。さっぱりしていて、そもそも
本人は自分が凄いとも偉いとも思っていないのです。
他方、カリスマは意識過剰で何度もしつこく自分を示して、相手の脳ミソの中を改変することなんです。
ある種のウイルスのようなもの。
英雄は皆のために英雄になるのであって最後は自己犠牲をするんです。死せば神話になります。
独裁者は自分の利害のために人を動かすのであって、洗脳に罹りやすい人が熱狂するんです。
かからない人には権力を用います。英雄と独裁者はその本質がぜんぜん違うのですが、この2つを
同時に持っている人もいます。
英雄は同じ作戦を2度と使用しません。そういうのは華麗であって、どんなに頑張っても凡人は英雄に
勝てません。英雄は天才なのです。勿論カリスマ独裁者もヒーローには勝てないのです。
英雄は戦争では独裁者に勝つのだけど、政治力で負けるんです。民衆というのは、この英雄か独裁者
かで人気が2分されます。そういうのが人間の歴史なんです。
カリスマ性を持つ独裁者のやり口は、簡易な言葉で何度もなんども人々に言い聞かせることなんです。
それこそしつこくしつこく同じことを事あるごとに言って、相手の脳に植え付けてしまうことです。
同じような写真を上げて、同じような言い口を、その都度言いくるめるように諭すようにプロパガンダ
することなんですよ。そして相手の思考停止と思考の乗っ取りを狙うんです。
カリスマは努力家でもあります。才能がない分、継続力で補うんですね。
一つのテーマを追い求めている姿は見習わないといけませんね。と他人に言わせられたらしめたもの
です。とにかくカリスマから洗脳を受けてしまったら、そういう人がいるとすれば、基本的にもう治癒する
ことは難しいです。
パソコンでも一旦ウイルスに感染してしまえば、それを取り除くのは難しいですから。一番確実なのは
基本ソフトを再インストールすること。これが手っ取り早い。
ニコン板が同じようなスタイルの風景写真の投稿になってしまったのは、富士写真のカリスマ的残滓
の名残なんですね。そういうニコン板の共同幻想的な無意識の洗脳による残滓があるからそうなって
しまっただけなんです。けっしてご当人達が悪いわけではありません。
歴史に残る芸術(写真)はヒーローだけです。カリスマは歴史の評価には耐えられませんから。
①英雄のヒーローの天才の作品 ②素人のビギナーズラック ③継続努力の人
この順位で写真芸術は並びます。①③②の順じゃないですよ。
この掲示板はもう長くないですね。レンズ板でもまたひとり去っていくようです。フォトXP写真掲示板は
掲示板自体がもう発展していなくて、既に管理者もいなくなっているわけですから。投稿者が去って
いくのは致し方ありません。
しかしこの掲示板に未来がなくとも、それでも投稿しよう、という人がいるのは確かです。最後の最後
までこの板を使い尽くす、という気構えが必用かなっておもいます。
本当に写真が心底好きな人だけがこれからも投稿すれば良いんです。
もう時間がないかもしれないので読者もズバリもの言います。
映画で英雄を取り上げているのは有名どころでは、「グラディエーター」「ラストサムライ」などです。
どちらも断片的にユーチューブで見ることができます。
もっと貼りましょうか!!
まだまだあります。
何で皆が怒ってるか分かるか!
答え _ 。
ハイ、どーぞ!
2 ニコン党の諸君 19/08/01 21:53
でしゃばりな読者の言うこと聞いてはいけません!
読者とはご存知だと思うけど・・・dictatorだの893だのって罵っている。
もっとも悪質な読者だと言っても過言ではない。自己満足型の見本。
あの富士の素晴らしい画像をひたすら追い続け、一つのテーマを
追い求めている姿は見習わないといけませんね。
3 XP板の独裁者は 19/08/03 11:29
他ならぬ“読者”にあり、と断言!
これはもう“毒裁者”といえる。さんざ毒を撒き散らしている。
ニコン党の諸君が言われているように、一つのテーマを
追い求めている姿は大いに学ぶべき。読者はXP板から退室せよ。
KUSANAGOを独裁者やヤクザに育てた親として謝りたい
じつは極端な自閉症なのであって人様の前ではまともに喋れなく
貴重なこのお板を汚してしまって、申し訳なく思っております。
>正直言って、この投稿にも捨てコメ、捨てハンが出てくるとは思いませんでした。
あんたはどんだけステハン使って愉快作業をしてるんだ!!
全て、[kusanagi],でコメントしたらどうなんだ!!
このサイトは時事問題を追及したり自論を他人に植え付けたりする場所じゃないんだよ!!
kusanagiのコメを見てココロ痛める人がどれだけいるんだか?
本人がイヤだからヤメテくれ、と言ってるのが理解できなんだ?!!
それを何回も突いて来るkusamagi、最低な人間だな!!!
覆面を被って煽って来る昨今、車社会でもこのXPでも同じだな!!!
では、最初から事の始まりを貼りましょうか?
「大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは」
https://diamond.jp/articles/-/27043?page=3
>教諭たちの間では、裏山に逃げるべきか、校庭にとどまるべきかで議論をしていた。市教委の報告書には、<教頭は「山に上がらせてくれ」と言ったが、釜谷(地区の)区長さんは「ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう」と言って、けんかみたいにもめていた>と記されている。
教頭と教務主任という、学校現場の両責任者が、山に逃げようと主張していたにもかかわらず、なぜ行動に移せなかったのか。この点が、いまだに明らかにされずにいる。
「県と市の事前の備えのなさを批判した石巻市立大川小惨事2審判決」
https://judiciary.asahi.com/fukabori/2018051200002.html
>また、津波が来る前、区長(自治会長)が教頭に対し、「ここは津波がこないから大丈夫」と言ったことについて、「住民の多くがまさか津波が襲来するとは思っていなかったというものであったことが推認される」と指摘しながらも、「校長等の津波に対する認識の内容が、地区の平均的な地域住民のそれと同様のレベルで足りるということができない」と一段高い意識と知見を求めた。そして、「津波は来ないという地区の住民の認識が根拠を欠くものであることを伝え、説得し、その認識を改めさせた上で、児童の避難行動と地区住民の避難行動が整合的なものとなるよう認識を図るべき義務があったというべきである」と事前に地域と学校が調整を済ませておくべきだと指摘した。
・・・実際のところ、学校と子どもたちが津波に飲まれる寸前の事態は、その場にいなかった校長は関係なくて、学校側と自治会長の口論から始まっていたわけです。教頭や教務主任が山に逃げようというなか、自治会長は強弁に三角地帯という地獄への道を主張したわけです。
この三角地帯というのは高台なとではけっしてなくて、ほんの数メートル学校より高いだけで、むしろ川に近くてしかもそれ以上は逃げ場がないという最悪の場所でした。これは私が実際に目で見て確認しています。
この自治会長の名前は分かりません。
しかしこの自治会長こそが、強弁でもって学校側と子どもたちの意見と行動を抑圧封印して、子どもたちを死に追いやったその人なのですね。張本人なのです。この自治会長も波に呑まれて死んでしまっていますが、彼の老害によって幼き子どもたちを人身御供として連れ去ったということを忘れてはいけません。
三角地帯が高台?という意識は正常な人ならば絶対に持つことができないわけですが、足腰の弱った老人ならば数メートル上の場所でも息せき切って登り降りはしんどいのではないですか。要は身体は弱っても口だけは達者な老人がもたらした人災であったということなんです。もっとも強弁に負けてしまった学校側もなんとも不甲斐ないわけですけどね。学校側は子どもたちを安全に逃がす義務を怠っています。
写真撮影に於いて、一番に大切なことは、デジイチでもミラーレスでもなくて、君は撮影時に歩いているか。ということなのです。歩かない撮影は若い人でも老人です。歩く撮影をすれば老人であっても老害はありません。これが一番に大切なことなんですね。
カメラを持って自分の足で歩き尽くすこと。これが撮影の核心であり、本当の写真行為なのです。この掲示板に於いても健脚であられる方が数多くおられます。彼らの写真を見るのは楽しみであり共感を持つことができるのです。これは写真の普遍の真理とでも言えるものですから。
津波に溺れる瞬間、亡くなった教師はひとり残らず、子どもたちにすまなかったと思いながら死んでいったことでしょう。地元の人たちも子どもたちと一緒にいたわけですから思いは同じだったはずです。
しかしひとりだけ、自分のことしか考えられずに死んでいった人間がいました。それは無論自治会長です。
今回の記事は大川小学校の抜粋を除いて、後に書いていることは既に何度も別のところで書いていたことの繰り返しです。いつも言っていることと同じです。しかし大川小学校のことは私として気持ちを込めて書きました。
震災から大分経ち、いまさらながら私が福島や三陸を目指したのは、昨年に読んだこの「津波の霊たち」という著作がきっかけだったといっても過言ではありません。
大川小学校のことは地元の人はなかなか書けないのじゃないですか。東北の人々にとっては恥という部分があり触れていてほしくないことがらかも知れません。(事実石巻市や宮城県は真実を隠そうとしていますから) そういうのは放射線被災地区のことに関してもきっとそうでしょう。しかしだからといって忘れてしまってよいものではありませんね。
この著作の作者は外国人(英国人)ということもあって、かなり突っ込んだ取材をして本を書いています。日本人だとなかなかそうはいかなかったでしょう。そういう私にしても西日本の人間ですから何の利害関係もなく、自分の思ったまま見たまんまをコメントしています。
正直言って、この投稿にも捨てコメ、捨てハンが出てくるとは思いませんでした。世の中には本当に自分の利害しか考えられない人間がいるのだとよく分かった次第です。ちょっと見苦しいので空送りをしましたが、これは死んでいった子どもたちへの冒涜にあたります。そして東北の人々に対しても無礼というものですね。
春の東北行以来、時間がとれないこともあって写真はあまり撮れていません。それで運動不足気味ですね。しかし撮影は大事だと考えていますのでやがては自分の風景写真の復活を果たしたいと願っています。
反省長分は?
謝罪短文は?
誰もこんなスレッドを楽しみにしてる人は極少量。
>正直言って、この投稿にも捨てコメ、捨てハンが出てくるとは
思いませんでした。
この男、知ったかぶりに311のこと書いてるが、この2チャンネル化した
板に真面目そうに綴っている行為こそ、災害を被った人たちに
しつれいではないのか!時もすぎた現地に目立たないカメラをもって
さも、現地レポートして得意満面になっている。
虫けら共と変わらない思想の持ち主だ。何度もいうがこの板から
即刻、退出せよ!!ここは長文掲示板ではないのだ。
22コメ
ステハンじゃねーよ!
本人だよ!!!
[kusanagi]の応援部隊?
居るか?
26、27コメ
本人だよ!!!
「謝罪」って分からないのですかね?
今まで何を教わって来たのでしょうね。
謝罪を求めてるんだ!!!
29、30コメ
Nikon爺、
本人だよ!!!
kusanagi!
貴方は俺に何が言いたいんだ?
>正直言って、この投稿にも捨てコメ、捨てハンが出てくるとは思いませんでした。
??????????????
あなたが率先してやらかしてる事項です。
あははは~
寝ろ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
kusanagi氏へ
貴方はよくこのXP板に投稿したり駄弁を弄した文を投稿できますね。厚顔無恥で独りよがりの上、躁状態なのですか。良識ある人なら止めると思いますが・・・。