メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R II |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2073 (1,577KB) |
撮影日時 | 2015-01-22 02:43:09 +0900 |
連休中に撮ったものですが、フルサイズソニー7R2をAPSモードにして、レンズもAPS用16ミリに専用
フィッシャーアイレンズを被せたものです。画質は大分悪くなるんですが、簡易て超広角の画角が得ら
れるので重宝しているアイテムです。APSサイズとなったとしても1800万画素くらいはありますし十分
な画素数であるわけです。
正直言って連休後半はフルサイズ4000万画素に飽きたというか、それでAPSモードにしたり、また
APSの古いカメラを持ち出したりしました。
実はこの撮影時に、もうすこしでカメラを壊しそうになりました。用水に掛かっていたハシゴを登ろうと
して肩にかけたカメラが外れてしまったんですね。運良くカメラのストラップがハシゴ上部先端に引っか
かり落下は免れました。これはもう運が良かったというしかなくて、本当だったら中古とは言え買った
ばかりのカメラを用水のコンクリート底面でバラバラにしてしまうところでした。
連日の撮影で疲れていたのでしょうか、ちょっと肝に銘じたいと思います。
ところで、この写真は↓この写真に似ています。
https://photoxp.jp/pictures/198231
これはフルサイズ1200万画素のソニー7Sで、古いシグマの広角ズームで撮ったものです。ひどい性能
のレンズですが、広角の雰囲気が出ていて自分的には好きなんです。画素数も低いカメラですね。
今回のカメラもAPSモードにしたので画素数は落ちてますし、付けたレンズセットも収差出まくりで悪い
レンズですね。しかし写真を見ていて飽きません。画質の悪さが愛おしくなるというやつですか。(笑)
当初この7R2にはシグマ40ミリ、35ミリを着けて撮影する予定だったのですが、まだ果たせていません。これまでに使ったレンズは、ほぼみな古い一眼レフ用のズームレンズばかりです。
しかし結論は既に出ているだろうと思ってます。
シグマ40ミリF1.4は、ネットで見ても最高級画質のレンズであろうという評判です。私もクワトロHで撮影
したとき実感しましたからね。35ミリF1.4はそこまではいかないもののそれに次ぐものでしょう。でも
そういうレンズは面白くないんです。ネットで人様のサンプル写真を見てもそう思います。
ほぼ収差ゼロという感じで、発色も素晴らしいし解像力は凄いです。私はシグマファンなので、そういう
他メーカーに負けない最高級レンズが出ていることに嬉しさを感じますが、それを自分の写真として
評価することとは違います。
私にはイイカゲンなレンズと通常画素のカメラで十分というか、むしろそのほうが楽しいですね。(^^ゞ
写真は、画像としての画質ではない、という意見はよく聞きます。被写体が何よりも大事で、それから
撮影する意識とかを言う人もいます。しかし画像としての画質は大事ですよね。そうは言っても優れた
レンズやカメラで撮影するのが絶対的に良いことだというのでもないのだと思ってます。
今回はそのことを書いているつもりです。絶対的に良いレンズではなく、むしろ劣ったクセのあるレンズ
の方が返って画質というものを楽しめるのだということ。無味無臭の優等生ではなくて個性的な劣等生
の方が面白いじゃないかということ。ですか。
写真だからやっぱり画像画質は楽しみたい。しかし誰もが認めるという優等生レンズは、ほんとにそう
なのかなっていうわけです。それは写真を建前だけで言っているのじゃないですか?っていうことです。
私の場合、写真は自分だけの楽しみでやってます。人様に見せてどうのこうの、というのはありません。
自分だけが密かに楽しめればそれでよいと考えてますし、私は写真家でもカメラマンでもなくて、写真
は単に相棒というだけですね。カメラは散歩のお供ですし、画像を見るのは自分の見たことの確認とは
いえ、自分なりの画像が撮れていれば満足ですし。
この掲示板のレンズ板の方が掲示板を去ったというのは、その理由のひとつに常用していたオールド
レンズではなく最新のレンズに変えたことも原因になっていたのじゃないかって考えてます。最新高級
レンズは癖がなく面白くないですからね。しかしそもそも彼が常用レンズを使わなくなったのは、カメラ
が超高画素になったからだと思ってます。超高画素カメラにオールドレンズではさすがに解像力が追い
つかなくなります。そういう二重のからくり(罠)に陥ったように感じられますね。
私は彼のオールドレンズ写真のファンだったのですが、それがいつのまにやら最新レンズになって行
きました。やはり超高画素カメラ(ニコン850とかクワトロH)には最新の解像力のあるレンズでないとダメ
なのかなって思ったものでしたが。しかしそうこうする内に彼は写真自体に興味を無くしていってしまっ
たようです。
写真は被写体は無論大事です。そういうテーマ性で撮らないと写真の本当の面白さを味わえないとこ
ろがあります。しかし被写体ばかりでは肩が凝りますね。画像も楽しめるところもないと。そういう時に
色んなカメラやレンズを持っていると写真自体を楽しむことができます。そういうことも大事だろうと思っ
てます。
その画像というものを楽しむことにおいて、私の経験から言えば、ひとつは超高画素カメラというのは
情報量(画素数や解像力や発色・コントラスト)が高すぎて、心理的精神的な疲労度が高すぎるという点
です。これはモニター疲れというやつで、VDT症候群のひとつでしょう。特に性能の高いモニターや画
質の良いPCをお使いの方は特にそうです。私はそれを防ぐために画像処理PCとネット用のPCは別に
しています。通常はネットは性能の低いPCで使っていて(それでも一般的にはかなり高性能)、画像処
理専用のPCは自分の撮影した写真を見るだけに利用しています。そういないととてもじゃないけれど
身体が持たないと考えていますので。上記のレンズ板を去った方のPCも、その画像を見る限り優れた
性能のPCやモニターを使っていただろうというのは想像がつきます。
そして今回書いていることは、それとは別の例えばレンズに於ける画質の問題なんです。結論から言
えば、つまりは、超高画素高画質カメラ・最新高級レンズというのは性能が高すぎて、結局のところ、
ユーザーから想像力を奪ってしまうのではないかということです。創造力はともかく、少なくともイマジ
ネーションを確実に奪って行くのではないですかね。そういう問題なんです。
大昔の黒白フィルム写真を考えてみれば今と比べれば性能が劣るだけでなく画像はカラーでもなかっ
たですね。黒白画像を見て実像を想像するとか手がありませんでした。その想像性が昔の写真には
いっぱいあったんです。そして昔の写真は詰まらなかったかというと、断然面白かったわけですよ。
写真から、我々があーでもないこーでもないという想像力が奪われてしまうと、もう写真は出来ません。
無機質に凄い画像が吐き出されても、あーそうですか、で終わってしまいますから。自分の撮った写真
画像から様々に触発されて新たなイマジネーションが生まれるからこそ、また写真を撮ってやろうって
いう、そういう意欲が湧くから写真を続けられるわけですからね。
超高画素高画質カメラに最新高性能レンズというのは、確かに写真を職業とする方には必用なもので
しょう。しかし写真行為自体を気楽に楽しみたいというアマチュアには荷が重いものだという気がして
なりません。それからネイチャー写真のように、最初からトリミング前提で撮影する場合も有効なもので
すね。
長らくこの問題、超高画素高画質カメラについて考えてきましたが、私の中ではこれで結論が出たと考
えています。超高画素高画質カメラはデータ量が多くて、ユーザーの脳内画像処理に負担がかかると
いうことから始まり、最終的には、さらに最新高性能レンズとの組み合わせによって写真から想像力を
奪ってしまうという結論に達したかとおもいます。
超高画素高画質カメラに意識的に行かないという方も多くおられます。それはそれで懸命な選択なの
ですが、しかしそれだと現在の最新写真状況を知ったということにはなりませんね。もちろんそれを知
る必要性もないわけですが。(^^ゞ
超高画素高画質カメラはユーザーの想像性を奪うということを書きました。その想像性とはやはり写真
の創造性に直に繋がるものですね。ですから超高画素高画質カメラでもって、芸術的な表現の写真を
やっていくというのは大変な難関であるということになります。普通のカメラでできていたことが、超高
画素高画質カメラでは大変に難しくなるということです。
そもそも創造性とは、豊富なイマジネーションを必要とするものであって、それには道具が高度過ぎる
ことは逆に妨げになるということなのです。このところの理解が乏しいと、なぜ超高画素高画質カメラ
では芸術的な写真が出来にくいのかという理解に行くことができかねます。
それからメーカーが出す最新レンズが全て優等生過ぎて詰まらないかというと、決してそうではありま
せん。態と不完全にして挑戦的なレンズも出していると思うのです。そういうレンズは面白いのじゃない
ですかね。そもそも古いレンズでも面白いのは発売当時は気張っていたレンズですから。
そういうことを言うと、超高画素高画質カメラそのものも大変に気張ったカメラであるわけです。2000万
画素くらいでよいはずなのに、なぜ4000万画素で出すのか。そこにメーカーのこれまでの常識を外した
気張りがあるからなのだと捉えることができます。
もうひとつ言えば、ユーザーはメーカーの思惑どうりに機材を使う必要はありません。この写真にしても
そうでして、APSの安物のレンズで撮ったものが良い、なんていう想定はメーカーはしていなかったろう
と思います。(^^ゞ
超高画素カメラとか最新レンズというのは、私には過大な機材であるわけですが、しかしそれを知った
からこそ、今ここで述べたようなことが言えるのだろうと考えてます。
特に今回のレンズの指摘は、写真の創造力に直結する問題であって以前の画質情報論とはもう一歩
進めた思考論になっていると自負しています。
なぜ収差いっぱいのレンズで撮る写真のほうが楽しいのか。昔はそれをレンズの味なんていう表現を
していたように思いますが、それは暇人のレンズ遊びという問題にとどまらず、写真に芸術志向を求め
る真摯なユーザーにも深く関係があることのように思えるのです。
超高画素高画質カメラということで中古ながらソニーを買い、最新レンズということで単焦点レンズを
わざわざ買いました。それなりに投資をしたと思うんですが、お陰て自分なりの結論に達することが出
来たと思っています。
だふん少なからずのユーザーが、この超高画素カメラと解像力のあるレンズの組み合わせで行き詰
まっているように想像しております。確かにこの機材の組み合わせでは異次元の画質画像が出てくる
のですが、(ついでに言うとそれを出力できるPC機材も)、それは本来の写真の楽しみとか創造性
とかは違うものであるように強く感じました。
写真は高地にある盆地の村。狭い山道を登って行くといきなりこのように開けた村が出現するのです。
盆地といってもフラットではなくこのように四方を山に囲まれた段々畑であるわけですが不思議な感覚
に囚われました。
今では圃場整備が進んでトラクターが入れるようになり水利も暗渠パイプで便利なってます。その昔は
大変だったろうと思いますね。