1 一耕人 2020/7/23 18:44 今朝がた玄関先で力尽きておりました。遺影を撮らねばと大事に持ち帰って撮影しました。何者にも一様に訪れる死。命あるうちは精一杯生きたいものですね。
今朝がた玄関先で力尽きておりました。遺影を撮らねばと大事に持ち帰って撮影しました。何者にも一様に訪れる死。命あるうちは精一杯生きたいものですね。
2 yama 2020/7/23 20:14 こんばんは。羽がとても綺麗ですが、アップすると頭が・・痛々しいです。昔は注射器で防腐剤を注入して、昆虫の標本づくりをしてたことを思い出しました。
こんばんは。羽がとても綺麗ですが、アップすると頭が・・痛々しいです。昔は注射器で防腐剤を注入して、昆虫の標本づくりをしてたことを思い出しました。
3 GG 2020/7/23 20:17 自分の死もあと何年先か、カウントダウンに入ってますが完璧な、お開きが撮れた試しがないアオスジアゲハ標本にでもされそうな、実に見事な遺影ですね d(゚-^*) ナイス♪
自分の死もあと何年先か、カウントダウンに入ってますが完璧な、お開きが撮れた試しがないアオスジアゲハ標本にでもされそうな、実に見事な遺影ですね d(゚-^*) ナイス♪
4 S9000 2020/7/23 21:15 こんばんは。私も今朝、蝉の抜け殻を撮影して、短い命を精いっぱい生きてほしいなと思いました。 最近、野鳥の撮影をしていて、この鳥たちの何割が来年を迎えられるだろうかと思うことしばしばです。最近、高名な風景写真家さんが逝去されましたが、私より若かったなあ・・・
こんばんは。私も今朝、蝉の抜け殻を撮影して、短い命を精いっぱい生きてほしいなと思いました。 最近、野鳥の撮影をしていて、この鳥たちの何割が来年を迎えられるだろうかと思うことしばしばです。最近、高名な風景写真家さんが逝去されましたが、私より若かったなあ・・・
5 一耕人 2020/7/24 04:55 yamaさん おはようございます。昆虫採集キットありましたね。夏休みの宿題に昆虫採集をした記憶があります(^_-)-☆GGさん おはようございます。あまり気弱なことは言わないでくださいな。いつまでもお元気で写真をお撮りください。S9000さん おはようございます。セミさんも短い命を精一杯燃やしてますよね。無くなられた写真家さん、私も同世代なんですね。日頃の節制に気を付けなければと出来ていない私が思ってしまいました。
yamaさん おはようございます。昆虫採集キットありましたね。夏休みの宿題に昆虫採集をした記憶があります(^_-)-☆GGさん おはようございます。あまり気弱なことは言わないでくださいな。いつまでもお元気で写真をお撮りください。S9000さん おはようございます。セミさんも短い命を精一杯燃やしてますよね。無くなられた写真家さん、私も同世代なんですね。日頃の節制に気を付けなければと出来ていない私が思ってしまいました。
6 裏街道 2020/7/24 18:11 こんにちは。色とりどり体色を拝見しているとモスラを思い出しますね。
こんにちは。色とりどり体色を拝見しているとモスラを思い出しますね。
7 kusanagi 2020/7/24 22:01 天に召します我らの神よ・・・・『主の祈り』の一節でようであろうかと思いますが・・・本当は、「天にまします我らの父よ。 ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。 御国〔みくに〕を来たらせたまえ。 みこころの天になるごとく ..・・・」となります。この「天にまします」というのは天におられる、存在するという意味でしょうか。また、「天に召される」というのもあって、これは神によって天国に召されるということからきています。 これは「天上にいる神に呼ばれて行く」、つまり我々はなべて天国へ行くということですね。しかしなから、「天に召します我らの神よ」では、天に召される(昇天する)我らの神(キリスト教)、ということになりますね。これはキリスト教の終焉を予言していて、結構な大問題を提起されたことになります。やはりこれからは中国の時代なのかと。(^^ゞさらっと書かれていてなかなか気が付かなったのですが、これはかなり高度な捻りをしていているのか、それともただ単に語彙が間違っただけなのか。(^^ゞまあ、どうでもいいんですが、少し気になったので。(笑)写真の哲学は、いまこの現在を、しかもその一瞬を捉えるのであって、そういう「今の」、というのが大切なのであって、常識的な未来も過去も考えないというのがお約束みたいなものです。後先や損得を考えると写真なんかできませんね。1年先の写真を撮ることはできせんし1年前の写真も撮ることも出来ません。写真とは何時だって、「今」でしかないのです。今を完全燃焼して生きる(撮影する)ことができる人だけが写真をすればよいのではないですか。朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり、つまりは武士道ですね。萩原俊哉先生死去 https://kinoshita-produce.tokyo/2020/04/26/hagihara-pro/急性心不全だそうですが、この記事で少し気になるのは、かなりの相当なショット数をしていたようだというところです。写真の撮り過ぎはもしかすれば寿命を縮めるのかもしれませんね。追伸︰裏街道様の新カメラ写真、首を長くしてお待ち申しております。(^^ゞ
天に召します我らの神よ・・・・『主の祈り』の一節でようであろうかと思いますが・・・本当は、「天にまします我らの父よ。 ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。 御国〔みくに〕を来たらせたまえ。 みこころの天になるごとく ..・・・」となります。この「天にまします」というのは天におられる、存在するという意味でしょうか。また、「天に召される」というのもあって、これは神によって天国に召されるということからきています。 これは「天上にいる神に呼ばれて行く」、つまり我々はなべて天国へ行くということですね。しかしなから、「天に召します我らの神よ」では、天に召される(昇天する)我らの神(キリスト教)、ということになりますね。これはキリスト教の終焉を予言していて、結構な大問題を提起されたことになります。やはりこれからは中国の時代なのかと。(^^ゞさらっと書かれていてなかなか気が付かなったのですが、これはかなり高度な捻りをしていているのか、それともただ単に語彙が間違っただけなのか。(^^ゞまあ、どうでもいいんですが、少し気になったので。(笑)写真の哲学は、いまこの現在を、しかもその一瞬を捉えるのであって、そういう「今の」、というのが大切なのであって、常識的な未来も過去も考えないというのがお約束みたいなものです。後先や損得を考えると写真なんかできませんね。1年先の写真を撮ることはできせんし1年前の写真も撮ることも出来ません。写真とは何時だって、「今」でしかないのです。今を完全燃焼して生きる(撮影する)ことができる人だけが写真をすればよいのではないですか。朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり、つまりは武士道ですね。萩原俊哉先生死去 https://kinoshita-produce.tokyo/2020/04/26/hagihara-pro/急性心不全だそうですが、この記事で少し気になるのは、かなりの相当なショット数をしていたようだというところです。写真の撮り過ぎはもしかすれば寿命を縮めるのかもしれませんね。追伸︰裏街道様の新カメラ写真、首を長くしてお待ち申しております。(^^ゞ
8 一耕人 2020/7/25 06:06 裏街道さん おはようございます。こんなに綺麗なご遺体に巡り合えるのって珍しいですね(^_-)-☆kusanagi さん おはようございます。ご指摘ありがとうございます。
裏街道さん おはようございます。こんなに綺麗なご遺体に巡り合えるのって珍しいですね(^_-)-☆kusanagi さん おはようございます。ご指摘ありがとうございます。
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