メーカー名 | SIGMA |
機種名 | SD9 |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 30mm F16 |
焦点距離 | 30mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/180sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2268x1512 (3,193KB) |
撮影日時 | 2001-01-01 09:05:27 +0900 |
私が今最も気になっているのは、センサーでもフォビオン素子でもありません。このデジタル時代に
於いて、スクリーンやモニターというものを拒否すれば、カメラとしてそこに残るのは光学ファインダー
しか存在しないからです。それと裸眼ですか。これを考察してみたいと考えます。
光学ファインダーとなれば一般的には光学一眼レフデジタルカメラです。ほぼもうそれしか残存して
いませんから。
このシグマSD9はフルサイズの光学ファインダーを採用していて、しかしながら撮像センサーはAPS
サイズなんですね。こういうカメラはデジイチ初期に数機種存在していて、イオス1DやニコンD100とか
フジなどもそうでした。しかしそれらはAPSサイズにファインダーをマスキングしていて、フルサイズの
視野を得ることはできません。(改造すれば可能)
このSD9で撮影しますと、その撮影時の満足感というものは非常に高いのです。ああ、自分は撮影
した、写真を撮ったね、という満足感は今のフルサイズ一眼と同じです。
そうしますと撮影時の満足感が満たされているということで、撮影後のパソコンのモニターで写真を
見なくては自分の写真存在を確認できない、という奇妙な現在のデジタルスタイルから離れることが
できるんですね。
現在は、全てモニタースクリーンで世界が成り立っているといっても言い過ぎではないでしょう。
インターネット、SNS、スマホ、パソコン、デジカメ・・・それら全てはモニタースクリーンで成り立っている
アイテムです。これがなければ夜も日も明けない時代になっているではないですか。
今の人はすぐさまスマホを取り出してスクリーンを眺めている。仕事でもPCスクリーンの中で日がな日が
没頭しています。それらは全て人工の光でして、本当のリアルな世界のものとは違います。
考えてみればリアルという真実を写す写真ですら、カメラに備わったモニターを見ているだけなのです
から、そういうカメラが本当にリアル真実を写すものとはなり得ないのではないか?ということなんです。
そのように考えてみると光学ファインダーを使わないカメラは全滅。ということになりそうです。
光学ファインダーを使わずにカメラのモニター映像で写真を撮っている人は、もしかすれば写真ではなく
映像画像を趣味としているだけ、ということになりそうです。それもまたよいのかもしれませんが、伝統的
な写真の撮影趣味の私とは考え方が違うということになります。
ただ少し補足しておきますと、モニター式カメラ(コンデジやミーレスカメラ)でも背面液晶を使い、レンズ
が広角レンズならば、あまりモニターに頼らない写真撮影ができるということです。事実、私はミラーレス
やシグマコンデジを使ってみて、そんなに違和感はなかったのです。それは装着レンズが広角レンズだっ
たからなんでしょうね。
広角レンズとはさしたるフレーミングを確認せずとも、裸眼(肉眼)で撮影できるものです。28ミリ以上を
広角レンズだとすればノーファインダーでも十分撮影可能で、ピント位置さえ確認できていればモニター
はあまり見ていないのです。
しかし標準レンズより上のレンズとなりますと、カメラのフレーミングは重要になります。最近は35ミリ、
50ミリ、中望遠というレンズを使い出したことで、ファインダーの重要性に気がついたということなんです。
この場合に光学ファインダー視であれば、撮影時の記憶があり撮影の満足感が高いのですが、モニター
式カメラだと撮影での満足感というか、そもそも自分が何を撮ったかということすら記憶になかったりする
んですね。
自分の撮ったことすら覚えていない。これは光学デジイチでもノーファインダー撮影では起こります。
とにかくモニター式カメラでは、撮影後にパソコンで確認をしてやっと自分が写真を撮ったことが分かるの
だということです。しかしそれでは撮影もモニター、確認もモニタースクリーンとなり、まさにモニタースク
リーン依存症の最たるものだということになりそうです。
モニター依存症、ディスプレィ依存症でも電子スクリーン依存症でもVDT症候群でも何でもいいんですが、
そのような人工的な光の環境が、今この世の中を不安定にさせているということを考えれば、できるだけ
私としては避けたいということなんです。
それで写真趣味からそれらを徹底的に遠ざけようと考え、挙句に私は撮影後の画像閲覧や処理は原則
やらないことにしているんです。(笑 特に高画質な画像はその悪影響が強すぎますから。
それで過去にも超高画素高画質のカメラは問題であるとして自分の考えを書いてきました。それらの
カメラは撮影時には問題がなくとも、撮影後のモニターで悪影響が出てきます。ならばパソコンで見なけ
れば問題がないということで。
実際そのとおりで、高画素高画質カメラで撮影してもPCモニターでほぼ閲覧なしならば本当に楽ですね。
結局のところ、写真行為の満足感というのは、出来あがった写真ではなくて、撮影時の満足感というか、
その手ごたえ感覚で決まるものではないかと考えるようになりました。
多くの人は何となく、写真は画像というモノであってそれが全てだと思っているところがあります。しかし
写真行為全体として考えると、結果としての画像はそう大した意味がないのかもしれません。
もちろん人に伝えるには画像が全てであるわけですけど、それよりも自分の満足感や安全性のほうが
より大切だということですね。
これを忘れてしまうと、また考えが及ばないと、画像が全てだということになり、モニター症候群によって
写真は行き詰るということです。自分の写真は自分が決めればよいんです。これが出来なかったから、
写真から遠ざかる結果となってしまったのでしょう。
それから写真をモノとして捉えるとそれだけで行き詰るところがあります。写真をモノとして頑固に拘る人
はとにかく強欲な気がします。物欲や支配欲が強いのでしょうか。しかし写真は本当はモノではなく生き
方なのですがね。
このSD9、撮影時には大満足ではありますが、パソコンのモニターで見れば・・・何せ出力300万画素の
カメラであるわけで、写真画像としてはなんとも・・・とほほ、という具合です。(笑
しかし昔のカメラはこの程度であったわけです。現在の高画素カメラとは見方が違ってきます。
撮影レンズはシグマ30ミリF1.4で今のアートレンズの前身のレンズです。抜けが良くクリアでビビットな
描写をします。この家は昔はよろず屋だった店でした。もう少し広く撮りたかったのですが子供が来たの
でとにかく速写。
話は変わりますが、シグマfpが最近は面白そうです。超小型のフルサイズカメラ。動画撮影がメインと
して作られたカメラですが、このカメラに広角レンズを着けて、写真としてスナップ的な記録撮影ができれ
ば面白いかなと考えています。ソニーアルファ7Sと同じ感覚で使えて、しかも画質が飛びぬけて優れて
います。シグマfpは典型的な画像映像カメラですが、これを敢えて写真機として使うのもアリなのでは
ないでしょうか。