メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp0 Quattro |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 14mm F4 |
焦点距離 | 14mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2712x1808 (3.86MB) |
撮影日時 | 2020-08-29 00:17:50 +0900 |
小型ミラーレスカメラとコンデジカメラで、ずっとこのまま撮影できたらこれこそ最高の写真ライフでは
ないかなって思えて来ています。それはほんとうに自分だけの写真であって、誰にも迷惑もかけず邪魔
もされずで、これこそが本当の趣味写真ではないかなって思わずにはいられませんね。(^^ゞ
さて(笑)、じゃあ何故に高級な機材を追い求める人達がいるのでしょうか。正統の答えとしては職業写真
家がそれらを使うからです。写真を撮ってお金を稼ぐというよりも、社会に対して写真を役立たせている
方達です。映画・テレビ・動画配信・新聞・雑誌・書籍・数多くの印刷物。これらに動画や写真を掲載する
場合、優れた性能の機材が必要になるからです。
そういう媒体の場合、鑑賞者・閲覧者・読者の方々は膨大な数となります。映画館でスクリーンの前には
百人くらいの鑑賞者がいるとしてそれが全国・全世界の上映数を掛け合わせると大変な数の方々が映像
を見ていることになります。新聞でも雑誌でもその写真を多くの国民に触れるわけですね。
そういうことを考えると、プロのカメラマンが良いカメラやレンズを使うのは当然のことであるというわけで
す。高々数万部印刷の地方の市町の広報誌の写真ですら、職員がコンデジでチョロッと撮った写真を使
わざるを得ない時、担当者に、こういう画質の悪いカメラを使わないでいただけますか?と文句のひとつ
も言いたくなるわけです。そういうひどい写真でも何とか良くしようとして印刷屋としては四苦八苦する
わけなので、さりとて数万人の読者がいることを思えば、たかだか印刷屋でも責任感がでてくるわけなん
ですね。
つまり写真機材の優劣というものは、裾野に広がる鑑賞者や読者の過多が最終的に決定するものなん
でしょう。
それで今、私が上げているような写真はその鑑賞者として私自身と、もしいたとして他に数人の人だけ
です。そういう場合には当然に小型機のカメラと安いレンズで十分というわけです。
そういうわけですから、殆どの多くのアマチュアカメラマンは良すぎる機材を使っているということになりま
す。分不相応な機材を使っているということ。そういう認識が大切だと思いますね。
そうは言いながらもついつい高級機材に手を出したくなるというのが趣味人としての人情とでもいうもの
です。穀潰しとか極道とか、そんなイメージで語られて来た道楽人であるわけですが、当然にそういう、
普通の人達とくらべて明らかに道を外した人達は、一般社会からは認められることがありません。
ですから可能な限り、分相応な機材を使って、密やかに写真趣味をしていくという気持ちが大切ですね。
写真とは、最終読者数が決定権を持っていて、( これは一種の民主主義であり市場原理です)、それに
相応した機材を撮影者は使うということ。これが何よりも大切なことです。(^^ゞ
このバランスが何よりも重要でして、分不相応な機材を駆使して写真趣味をやったところでろくなことに
はなりません。もしどうしても使いたいということでしたら、それは謙虚さを失わないように、むしろ罪悪感
をもって使わないといけません。
写真趣味人の多くは、おそらくプロの方を真似て、そして同趣味人の人達からして優越感に浸っているの
ではないでしょうか。自己満足だからいい、というのは当たりません。これは明らかに間違いですから。
最終読者数という言葉で思い出したのですが、大昔に私が撮った写真が全国紙の全国版にかなり大きく
載ったことがありました。浮浪者の方たちを撮影していてたまたま懇意になった人の写真を撮り、そのプリ
ントを当人に差し上げて、その1年後くらいに御当人が路上死されて社会問題化し、某新聞が取り上げた
わけです。
それで私が差し上げた写真が一番に最近のものであったわけで新聞社は取り上げたのでしょう。私とし
てはあくまでも路上ポートレート写真ですわ。(^^ゞ その最終読者数は数百万人でしょうか。使ったカメラ
はオリンパスOM-1の28ミリだった記憶があります。トライXフィルムの自家製プリントです。
これが私の写真のピークでしたね。(笑) ちなみに数社の新聞社に私の写真を使われましたが、私は掲
載料は一円も貰っていませんし撮影者だと名乗ることもありませんでした。まるで新聞社のカメラマンが
撮影したかのような記事でしたがね。(^^ゞ
機材の選択は最終読者数が決める。これは今までにない新しい発想の考え方だろうと思っています。
それともうひとつ、写真とは当然に被写体が決めることでもあるんですね。最終読者数がゼロでも被写体
が素晴らしければそれでも良いんです。しかしカメラマンが素晴らしいとかはダメですね。(笑)
被写体の素晴らしさ。被写体だけでなくそのものの見方が新鮮であれば、その被写体自身も喜ぼうという
ものです。被写体は何も人物に限りません。風景でもモノでも素晴らしい被写体は数多く存在し、新たな
発見を待っているわけです。
多くの写真人はそれを狙っていて、きっと良い写真を撮るから良い機材を使わせてくれ!って懇願してい
るかのようです。これは神との契約のようなものでして優れた被写体を見出せなければ契約不履行となり
天罰を受けるわけでしてね。一か八かの勝負のようなものです。もしくは先行投資でもあって、それによっ
て良い被写体を発見できれば元が取れるというだけでなく、高級機材を使う資格を得ることになります。
そして可能ならば是非とも読者を獲得しましょう。
また良い機材を買ってしまった人はその機材を眠らせるのではなく再び光を通して神との契約の再履行
をしなければなりませんね。
私のように機材は多くとも安物ばかりの人間は気が楽というものです。それらは自分のささやかな楽しみ
だけに使えるものだからです。自分の楽しみのために撮り、自分だけが観て楽しむ写真だということ。
庶民の写真とはそういうものだろうと思ってます。
※写真は試験貯水のダム湖の様子。長雨で思った以上に貯水が進んでいました。かつてこの水の中に
村があったことなどは思いもよらないわけですが、その村跡が再び出現することはもうないでしょう。