メーカー名 | SIGMA |
機種名 | dp0 Quattro |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 14mm F4 |
焦点距離 | 14mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F7.1 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2712x1808 (3.91MB) |
撮影日時 | 2020-08-29 02:30:06 +0900 |
昔の話ですがレンズ板で、高級路線の方々と花鳥風月氏との競い合いというのがありました。(^^ゞ
今にして思うと、あれは何だったのか?ということですが、そのどちらの方々もこの掲示板からは消えて
しまっているので、つまりはそのどちらも大したものではなかったということなのでしょうか。
それとも、どちらにも多少の意味があったのでしょうか。
私の考えとしては、高級路線の方々と花鳥風月氏も写真の為の写真を撮っていたようなので、やはり
長く続かなかったのは当然なのかなって考えています。そして両者ともに模倣行為写真ばかりでした。
写真の画質には圧倒的な差がありました。それは当然なのですが高級路線の機材であろうが、廉価
機材であろうが、本当に御自分の好きな写真を撮っておられたかどうかは疑いがありますね。
つまりはサンプル写真(作例写真)ばかりだったような気がしてます。
写真というのはどうしても本質的には薄っぺらな画像を使わざるを得ないのですが、その画像自体には
さほどの意味はないんではないかと考えています。
話は変わりますが、私の場合は広角レンズを使うのが多いです。50ミリ標準レンズともなると、私の
感覚ではもう望遠レンズです。寸が足りない望遠レンズでして、私には使いにくいのです。私が広角
レンズを使うのは画角を広げたいというよりも、空間を撮りたいとなると広角レンズになるだけだと考え
ているのです。自分が目前に接しているこの光景をそのまま画像に収めたいとなると必然的に広角レン
ズを使うということになります。
望遠レンズだと、それは空間を撮るのではなく特定の事物を撮ると言うように、視点がガラリと変わって
くるのですね。次元がスイッチして変わるというイメージですか。
よく風景写真や広角レンズが苦手だとおっしゃる方がおられますが、おそらくそのような方は自分の眼
がモノを見る視点になっているのだろうと思います。特定の事物やモノを見て、それを組み合わせてのち
全体の視野を得ているのでしょうか。よくわかりません。(^^ゞ
少なくとも私の場合は目前の光景を漠然と視野のままに全体的に見て、次に特定の事物にスイッチを
入れ替えているという気がしています。
この2つの見方はかなり違いますね。何よりもまず順番が違いますから。(笑)
アップした写真は換算21ミリなので私の好きな広角レンズのひとつになります。ほぼ裸眼で見た全視野
が一枚の画像に収まります。私は農業写真家なので(笑)、稲の作付け状態や整備された田を見るわけ
ですが、この場合は同時に空からの視点で俯瞰的に見ておりました。手前に河川がありますが、その
河川がもたらした緩やかな傾斜をもつ耕作地。それは私の背後にも広がっていて、全体してこの地域の
帯状の盆地の広さとか生産力というものに思いを馳せていたんですね。点在する農家をみれば平均して
一戸あたりの耕作地は2ヘクタールかな?とか、溜池が少ないので用水は河川からの出水に頼れるだ
ろうとか、またそれだけの降水量があるんだなとか、そういうことばかり考えていたわけです。
こういう視点は多分、アマチュア写真人の視点ではないだろうって思います。もちろん光景が美しいと
自分で感じたから写真を撮ったわけですが、これはほぼ記録写真ですかね。そんな感じで私は趣味写真
家なんだけど、もう既に写真の為の写真、芸術的な作品という観点からは写真をやっていないということ
になります。
そもそも私が写真を初めた頃は一般的な写真を撮っていました。しかし意識して被写体というものを考え
始めてからは、公害運動とか過疎の村とかそういう社会的な視点に移りました。
それは大昔の話なんですけど、写真を再びデジタルカメラで撮り始めた時も当初は祭りとかイベントとか
の比較的写真趣味的でしたが、やがて電磁波の害とか、それから特に3.11以降は、自分本来の写真の
視点に変えたのかもしれません。再び大昔の自分が撮っていたようなシリアルな被写体に戻ったというこ
となんでしょうね。
写真や被写体に対してどういう興味があるのかは人によって様々です。何がどうのというものではありま
せん。しかし自分自身の関心のある被写体や写真傾向なりを見つけ出さなければ、写真は長く続かない
だろうということです。それだけは言えそうです。
カメラがどうのとかレンズがどうのとかでは長続きしないです。それから花鳥風月的な何でも写真でも続き
ません。こういうのは写真のテーマですかね。撮影対象指向としてのテーマであって、作風とかテクニック
のテーマじゃないですよ。
そういうものが自分の中で出来上がったとき、それから鑑みて自分の機材というものが必要になるので
あって、機材から写真がでてくるのではありません。また漠然と写真という趣味や文化や市場(マーケット)
が存在していると考えるのもいけません。そういうことで、冒頭に上げた機材路線の方も、それに反旗を
翻した方も長続きしなかったということでしょう。
この世の中に写真文化というものが確固として存在していると考える人は多いでしょう。そこに不動のも
のがあって、その常識に照らして、正しいとか邪道とか言っている人がいますね。しかしそんな信頼できる
ものなんて無いと私は思ってます。存在する写真とは、私が、貴方が独力で作り上げる写真だけであって
他にはなにもないと考えるべきです。持たれ合った写真では長く続くことはできませんし、そもそも満足感
も乏しいものです。
この写真のカメラはシグマですので本来は大変に高画素で画質もよいです。画素数は半分に落として
アップしてます。記録写真だからといって画質はどうでもよいとは私は言っていません。優れた画質は写
真に力を与えます。それが自分の為の記録写真であっても。
廉価なカメラやレンズでも良いのですが、高級な機材でもかまわないということです。ただ自分の為の写
真を撮らなくては写真として意味が乏しいということだけなんですね。
イワユル写真を捨てなければ写真には達しないということでもあります。イワユル写真を追求すればする
ほど写真からは遠ざかるということでもあります。(^^ゞ
kusanagiさん こんち!
あなたはすごい、文字嫌いのボクが9月の書き込み読んでしまった。
この書き込み中には内容何一つ覚えてませんけど 文章が書けるということが凄い!
片寄ったアニメ好きな爺ィでした。
タロウさん、コメントありがとうございます。(^^ゞ 私の書いていることは、単なるカメラオタクや写真マニア
の戯言なんでして内容の中身はありません。(笑) それにしても9月のコメントだけで大分あったかと思う
のですが、よくぞ読まれましたね。私には無理です。(笑) 私は写真は撮りっぱなし、掲示板のコメントは
上げっぱなしで、後はすっとばしの人間ですのでね。
この掲示板も、主にコロナの影響でか、大分寂しくなっています。それでもう限られた人しか投稿されてい
ないのですが、掲示板の存続の意味でも投稿できる方は遠慮せずに大いに投稿して欲しいものだと思っ
てます。