メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/256sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (3.6MB) |
撮影日時 | 2023-03-19 23:16:15 +0900 |
アップの写真と引きの写真。奇抜構図の写真と見たまんまの自然な写真。厚化粧の写真と薄化粧の
写真。誰もが知ってる有名どころの写真と敢えての無名場所の写真。自分表現の表に出した写真と
自分は控え目でむしろ社会性を帯びた記録的な写真。
等々、写真は様々ですけど、私としては写真は自然で無私の写真が良いなって感じてます。
私自身も出来る限り誰が見ても自然で奥ゆかしい写真にしたいなあって常に思ってますし。
結局のところ、写真は情報量の勝負というところがあって、自然な写真は情報量が多いですが、我を
出した写真はそれが少なくなります。これに気がついている人はあまりいないのではないでしょうか。
カメラの発展は、とりわけデジタルカメラでは顕著ですが、画素数の増大、画質の向上(白飛と潰れを
克服)、高ISO感度での撮影などなど、情報量の増大に邁進してきたといえます。連写能力もつまりは
時間的な情報量の増強です。
カメラもそうであるならば、写真自体も可能な限り情報量を多くしていくというのが当然という気がします。
陸前高田の記憶
https://photoxp.jp/pictures/223333
陸前高田の記憶 Ⅱ
https://photoxp.jp/pictures/223334
陸前高田の記憶 Ⅲ
https://photoxp.jp/pictures/223335
こういう自然で控え目で社会的な写真を撮ってくれる人がいるのは嬉しいですね。細かいことを言えば
使用したミリ数は標準域ですね。最も情報量が多くなり自然さも増します。
一本松は有名かも知れませんが観光地ではありません。しかしこの写真は一本松というよりも震災遺構
を撮られた写真です。そもそもこの掲示板で震災関連の写真を撮られた人はどれほどいるのでしょうか。
殆どの写真人は震災の被害に無関心でした。それは自分のことではなかったからですね。
多分、写真を趣味としてやっている人は9割方、写真は自分の為の趣味であって人様や世間のことは
関係ない、と思っていることでしょう。写真とは自分が金を出して自分のためにすることであって、被写体
はその為の道具であるとすら考えているはずです。
この社会的意識の欠如は決定的です。何に決定的かというと、写真は個人の消費活動、その個人は
コンシューマーであるという、生産と消費というマクロ経済の一単位でしかないという意味でです。つまり
パチンコやゲーマーとなんら変わりません。
早速にコメントを寄せたmasaさんも裏街道さんと同じく、本当の意味での良い写真を撮られる方です。
良い写真というのは自分だけが満足している写真ではなく、多くの人たちが見て良い写真だという写真
なんです。特に素人の方が。それは10年経っても100年経ってもそうだという意味での写真です。
それには写真に情報量を込める必要があります。見る人様の役に立つ情報量ですね。写真に心を込め
て情報を入れる、いや元より備わった情報を削らないということでしょうか。
写真は切り取りの美学だなんて嘘を言う方もいますが、それは自欲写真での話です。