1 masa 2023/8/16 15:00 瀬戸は日暮れて 夕波小波 あなたの島へ お嫁に行くの若いと誰もが 心配するけれど愛があるから 大丈夫なの段々畑と さよならするのよ幼い弟 行くなと泣いた男だったら 泣いたりせずに父さん母さん 大事にしてね小柳ルミ子が「私の城下町」に続いて大ヒットさせた二枚目のシングルです。1972年、私が大学を出て就職した年でした。そのあと私は、この島々を望む瀬戸内の発電所で4年ほど勤務しました。
瀬戸は日暮れて 夕波小波 あなたの島へ お嫁に行くの若いと誰もが 心配するけれど愛があるから 大丈夫なの段々畑と さよならするのよ幼い弟 行くなと泣いた男だったら 泣いたりせずに父さん母さん 大事にしてね小柳ルミ子が「私の城下町」に続いて大ヒットさせた二枚目のシングルです。1972年、私が大学を出て就職した年でした。そのあと私は、この島々を望む瀬戸内の発電所で4年ほど勤務しました。
2 Kaz 2023/8/17 13:20 モノトーンの島々。まさに「瀬戸の花嫁」の世界ですね。72年は私が大学入学の年。大学紛争も下火とはなっていましたが、私の大学は授業料値上げ反対を口実に革マル派などが入り込みゲバ棒を振りかざしてデモの毎日。彼らの写真を撮ってると、飛んできましたが写真を撮るのは俺の勝手、と取り合わず追い返してました。
モノトーンの島々。まさに「瀬戸の花嫁」の世界ですね。72年は私が大学入学の年。大学紛争も下火とはなっていましたが、私の大学は授業料値上げ反対を口実に革マル派などが入り込みゲバ棒を振りかざしてデモの毎日。彼らの写真を撮ってると、飛んできましたが写真を撮るのは俺の勝手、と取り合わず追い返してました。
3 masa 2023/8/19 07:35 私は67年に大学に入学しましたが、あくる年の6月から全学ストライキに入り、2年後、授業再開を拒否したので落第し、その後は山ばかり行って授業には出ませんでした。学生運動も分裂を続けた新左翼緒セクトの内ゲバで急速に主導力を失っていきました。その一方で「瀬戸の花嫁」のような情緒的な歌が、心の安らぎを求める人々の間に大ヒットしたというのも分かるような気がします。
私は67年に大学に入学しましたが、あくる年の6月から全学ストライキに入り、2年後、授業再開を拒否したので落第し、その後は山ばかり行って授業には出ませんでした。学生運動も分裂を続けた新左翼緒セクトの内ゲバで急速に主導力を失っていきました。その一方で「瀬戸の花嫁」のような情緒的な歌が、心の安らぎを求める人々の間に大ヒットしたというのも分かるような気がします。
4 S9000 2023/8/19 22:21 こんばんは。瀬戸内の多島美は、特に広島~岡山を在来線で移動するとき、堪能しています。このお写真もまた素晴らしいですね。 「瀬戸の花嫁」がヒットしていた当時、小学生でした。親族の婚礼もこの年ありましたが、新郎が「僕は左なので昇進は望まないでください」と新婦の両親に発言して微妙な空気が張り詰めるなど、小学生にはわからないいろいろな裏話があったようで。 といっても、「瀬戸の花嫁」がヒット50周年を迎えるとともに、その新郎新婦も金婚式を迎えてます。オカヤマケンジンあるある、で親族間の仲はよろしくないのですが、左を公言した新郎は何より病弱だったそうで、この年齢まで生きたことが立派なことなのでしょう。
こんばんは。瀬戸内の多島美は、特に広島~岡山を在来線で移動するとき、堪能しています。このお写真もまた素晴らしいですね。 「瀬戸の花嫁」がヒットしていた当時、小学生でした。親族の婚礼もこの年ありましたが、新郎が「僕は左なので昇進は望まないでください」と新婦の両親に発言して微妙な空気が張り詰めるなど、小学生にはわからないいろいろな裏話があったようで。 といっても、「瀬戸の花嫁」がヒット50周年を迎えるとともに、その新郎新婦も金婚式を迎えてます。オカヤマケンジンあるある、で親族間の仲はよろしくないのですが、左を公言した新郎は何より病弱だったそうで、この年齢まで生きたことが立派なことなのでしょう。
戻る