1 Booth-K 2018/5/21 22:35 大聖堂と言われても、全く大げさに感じない納得感があります。手前の明るい緑と林のコントラストに木漏れ日は神々しささえ感じます。昔の人は、こういう光景から何かを感じて信仰とか生まれたのかなぁと思いました。
大聖堂と言われても、全く大げさに感じない納得感があります。手前の明るい緑と林のコントラストに木漏れ日は神々しささえ感じます。昔の人は、こういう光景から何かを感じて信仰とか生まれたのかなぁと思いました。
2 ポゥ 2018/5/20 21:54 白馬村・親海湿原の遊歩道にて。ニリンソウを撮りに行ったのですが、花期を見誤り、もう散ってしまっていました。トボトボと歩いていた時に見つけた木漏れ日と透過光の乱舞。ギョッとするような存在感を放っていました。本当は光芒が出ないように描写したかったのですが(好きじゃないので)、被写界深度を稼がなければならないシチュエーションだったので、絞らざるを得ませんでした。
白馬村・親海湿原の遊歩道にて。ニリンソウを撮りに行ったのですが、花期を見誤り、もう散ってしまっていました。トボトボと歩いていた時に見つけた木漏れ日と透過光の乱舞。ギョッとするような存在感を放っていました。本当は光芒が出ないように描写したかったのですが(好きじゃないので)、被写界深度を稼がなければならないシチュエーションだったので、絞らざるを得ませんでした。
3 Ekio 2018/5/21 07:00 ポゥさん、おはようございます。光が降り注ぐ様を「大聖堂」と来ましたか、流石のタイトルです。昨日、ヒマラヤ杉の大木を見上げて似たような絵を狙ったのですが上手くいきませんでした(^^ゞ明暗のコントロール・構図ともにお見事です。ちょっとずらしただけでも上手くいかないんですよね。
ポゥさん、おはようございます。光が降り注ぐ様を「大聖堂」と来ましたか、流石のタイトルです。昨日、ヒマラヤ杉の大木を見上げて似たような絵を狙ったのですが上手くいきませんでした(^^ゞ明暗のコントロール・構図ともにお見事です。ちょっとずらしただけでも上手くいかないんですよね。
4 ポゥ 2018/5/21 23:41 Ekioさん、Booth-kさん、コメントをいただきありがとうございます。陽のポジションもですが、特に、画面通おう右側チョコンとに出ている透過光の葉、これの位置にすごく気を使いました。自分の中ではこの葉がとにかく核であり、木漏れ日が無くなるまでのタイムリミットと葉の位置取りとの戦いみたいな撮影でした。大聖堂、と題したのは、陽の降りてくるあたりにもですが、背景の、杉林の間から少しずつ見えている青空の模様が、何となく宗教的だな、と感じたからです。「光」を追う撮影としては、久しぶりに満足らしいものを得た写真です。
Ekioさん、Booth-kさん、コメントをいただきありがとうございます。陽のポジションもですが、特に、画面通おう右側チョコンとに出ている透過光の葉、これの位置にすごく気を使いました。自分の中ではこの葉がとにかく核であり、木漏れ日が無くなるまでのタイムリミットと葉の位置取りとの戦いみたいな撮影でした。大聖堂、と題したのは、陽の降りてくるあたりにもですが、背景の、杉林の間から少しずつ見えている青空の模様が、何となく宗教的だな、と感じたからです。「光」を追う撮影としては、久しぶりに満足らしいものを得た写真です。
5 MacもG3 2018/5/22 07:28 透過光に浮かび上がる新緑の色合いがとても良いですね。シルエット気味に覆いかぶさる木々とのバランスが最高です。
透過光に浮かび上がる新緑の色合いがとても良いですね。シルエット気味に覆いかぶさる木々とのバランスが最高です。
6 エゾメバル 2018/5/22 22:14 >画面中央右側チョコンとに出ている透過光の葉、木漏れ日が無くなるまでのタイムリミットと葉の位置取りとの戦いこの姿勢好きです。うまくいった時には達成感がありますね。
>画面中央右側チョコンとに出ている透過光の葉、木漏れ日が無くなるまでのタイムリミットと葉の位置取りとの戦いこの姿勢好きです。うまくいった時には達成感がありますね。
7 ポゥ 2018/5/22 23:05 MacもG3さん、エゾメバルさん、コメントをいただきありがとうございます。この写真は手持ちでしたが(広角不足を補うために、かなり無理のある体勢で撮ってましたから(笑))、バランス、ひたすらバランス、的な撮影も楽しいもんだな、と、この春の桜撮影頃から感じています。私は、これまでは三脚っていうのは「『瞬間』ころし」だとさえ思ってた節があるのですが、自分なりに水も漏らさぬ構成を模索するのも、ストイックに浸れてある種気持ちがいいんですね(笑)
MacもG3さん、エゾメバルさん、コメントをいただきありがとうございます。この写真は手持ちでしたが(広角不足を補うために、かなり無理のある体勢で撮ってましたから(笑))、バランス、ひたすらバランス、的な撮影も楽しいもんだな、と、この春の桜撮影頃から感じています。私は、これまでは三脚っていうのは「『瞬間』ころし」だとさえ思ってた節があるのですが、自分なりに水も漏らさぬ構成を模索するのも、ストイックに浸れてある種気持ちがいいんですね(笑)
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