喜多方市
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 sd Quattro H
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.5.4
レンズ 10-20mm
焦点距離 10.0mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/250sec.
絞り値 F11
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1544x1028 (1,512KB)
撮影日時 2019-04-29 17:42:20 +0900

1   kusanagi   2019/8/7 21:05

一応、運転の話題とし言うことで↓からの続編です。
https://photoxp.jp/pictures/202697

AT車で左足ブレーキはどうだろうか?ということでちょっと数日間、試しにやってみました。
慣れればどおってことないなあ、ということなのですが、やはりスピードを出して高速でカーブを曲が
ろうとすると、体の軸がどうしても不安定になってしまいます。レース車のように腰から背中全体を
サポートするシートならいざしらず、普通の車では、やはり左足は、床なりフットレストに置いて
おかないと身体が定まらないなあという感じです。
しかし普通のスピードを出さない街乗りでは、何ら左足ブレーキは問題ありませんでしたね。

ところで上記サイトの、80歳の優良ドライバーが駐車時に事故を起こしたという事例なのですが、
確かに加齢はそうなんですが、本当にそれだけの問題なのかどうか。私としては、どうしても引っ掛
かってしまうところがあったんですね。

それで少し感じたのですが、シートベルト問題です。私の場合はシートベルトの圧迫感が嫌で、
それでベルトに自分でクリップを使ったストッパーを付けているんです。それで長く運転しても疲れは
あまりないんですね。
ところが今回の東北行ではそのストッパーを外して運転しておりました。それでなのか、初日の一気
乗りで会津まで行くと、足腰はガタガタになってしまいましたからね。
シートベルトって案外に足腰に来るんですよ。

このシートベルト。装着しないと反則切符を切られてしまうので殆どのドライバーはシートベルトを
して運転していると思います。優良ドライバーならばなおさらでしょう。しかしシートベルトというのは
自分でも気がつかないうちに疲労感というものが溜まってくるんですね。特に足腰に来るようです。
それが体力のない高齢者であればどうなるか。いろんなミスをするようなるということです。安全確認
の見落とし、操作の間違い。そういうありとあらゆることがらです。

「シートベルト、確り装備で、ペダルの踏み間違い 挙句は園児の列に突っ込むぞ」
こういう安全標語はないのですが、シートベルトというのは、ドライバーの身を守り、そこは安全かも
しれませんが、歩行者にとっては悲惨な結果になるかもしれないのです。

もしすればこのシートベルトの厳密な法令施行こそが、昨今の高齢者の悲惨事故の多発に結び
ついている可能性があるかもしれませんね。昔は高齢者ドライバーといえども、ブレーキとアクセルの
踏み間違いなど、聞いたことがなかったですからね。
そうそう、バイクなどは、アクセルとブレーキの操作を間違いましたっていう事故例はないでしょう?
バイクはシートベルトをしませんから。(^^ゞ

調べてないので不明ですけど、こんなにシートベルト厳守を取り締まっているのは日本くらいじゃない
ですか。それで高齢者の悲惨事故は特に日本で多いように感じるんです。アメリカなどでもネットを
みればけっこうコンビニなんかに突っ込んでいる映像があるんですが、まあアメリカもシートベルトに
関しては厳しいのかもしれません。(日本はアメリカを真似ているだけ) でもヨーロッパなどではあまり
聞きませんね。

シートベルトをして上半身を固定化されますと、まず腰のベルトで血流が悪くなって下半身にあまり
血が通わなくなると言いますか、足の感覚が麻痺します。それだけでなく胸のベルトで身体の動きが
拘束され、言わば飛行機のエコノミー症候群と同じであって、それが特にAT車であれば足も動かさ
ないので益々状態は悪くなるということです。
それで、いざという時に体を、特に足を動かせなくなってくるんです。
それでシートベルトを装着しないか、もしくはベルトにストッパーを付けて上半身を自由にしておくと
この問題はかなり解消されるんではないですかね。

このシートベルト問題。おそらく解っている人はプロのドライバーの間では多いんじゃないでしょうか。
しかし表立っては言えないですね。学者の間でも言っている人はいないです。そんなことを言うと
社会的立場が危うくなりますから。
法令厳守の優良ドライバーですら間違い操作をして事故を起こすんです。このことはよっぽど自分で
考えなくてはならないでしょう。

シートベルトって安全性では万能じゃないんですね。正面衝突しか効果がありません。横とかの
衝突では関係ないですから。私は山道を走りこむ場合(四国の狭い山道ね)、シートベルトは外して
走ります。ハンドル操作は大きくなりますし、カーブの見通しなんかで状態を大きく動かさなければ
ならないからです。道路の高低差も大きいです。シートベルトは邪魔の一言ですから。
事故を起こしてからの安全策よりも、まず事故を起こさない運転方法が大切なんです。
まあ、普通はシートベルトにストッパー装備で十分ですね。シートベルトの機能には問題はないですし
身体の疲れはないからです。ストッパーを装備するのが面倒というくらいですか。

こんな感じで、言ってはならないシートベルトと操作ミス事故の関連性を書きましたが、これが事実だ
とすれば高齢者の事故はこれからもなくならないというわけです。
世の中にはこういう政策や法令の過ちっていうのは多いんですね。アベノミクスなんてのはその典型
ですから。しかしまあ、上に政策があれば下には対策があるということで、とにかく自分だけは確りと
自らの身の安全を守っていかないといけません。

それから歩行者の方も、車を信用していてはいけません。のほほんと不用意に車の前後を横切った
り、横断歩道もぼんやりと渡ってはダメですね。自分の身は自分で守らないと。
法律が守ってくれるというのは事故に会い被害者となってからの話であって、規則を守っていれば
事故に合わないというのとは違いますから。
ハイブリッド車は特に気をつけないといけません。エンジン音がでないのに走りますから。

写真は会津盆地の喜多方市です。道路幅が広くて、香川とはぜんぜん違う街並みに驚きました。
これって、アメリカ映画の西部劇の街並み雰囲気だねって。(^^ゞ 馬車でも走るとサイコーかな。

2   zzr   2019/8/8 00:24

こんばんは。
喜多方市はよく行きました。会津若松とか猪苗代湖周辺も。
お写真に懐かしい雰囲気を感じました。
ラーメン屋が沢山あってあちこち食べ歩いたのですがみんな太麺で私には合いませんでした。
米沢の素麺のような細麺好きなのでー。
kusanagi さん東北の食べ物はどうでしたか?
シートベルトは体の負担がかかるっていうのは私も実感してます。
なんか息苦しいし長く走ると疲れが大きくなる気がします。

3   kusanagi   2019/8/10 22:02

喜多方市でラーメンを食べたかったのですが早朝なので無理。遠くへ遠征すれば食事の時間が
モッタイナイという質なので、大体はコンビニとかスーパーの惣菜ですませるのです。(^^ゞ 
それでも惣菜やオニギリなどに使っているお米や野菜で、その土地の食品レベルがわかります。
お米はやっぱり新潟山形秋田が最高です。
今回食堂で食事したのは一回だけ、岩手で。前回の山形と同じように、蕎麦に甘い餅が副食に
でましたが、2度も同じようなものを食べたので私としてはけっこう好みかも。(^^ゞ
私の場合、食事はその素材の質を問います。料理の腕とか、そんなものは関係ないですから。

「シートベルト・ストッパー」
https://item.rakuten.co.jp/selectshop-one/dd293/
https://item.rakuten.co.jp/wao-shop/4905339107689wao/
こんな具合で色んなものが売られていますね。車用品店でも売られているんじゃないですか。

しかしまあ、私の場合は簡単に、昔から文房具のやつを利用しています。
「クリップ・文具品」
https://item.rakuten.co.jp/e-office/lio0001/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_109_1_10000237
こういうやつ(大きくて強力なやつ)を、シートベルトの引き込み口の所で、ベルトを挟み込んで、
ベルトがこれ以上引き込まないようにストップをかけるんです。ベルトのテンションの加減は適当に。
ベルトが緩すぎると、もしもの時にベルトの役割が低くなりますし、キツすぎればストッパーの
役割が不足します。
このストッパーはベルトをセットした後にセットするのか、もしくはずっとセットしたままなのかは
どちらでもいいでしょう。

4   pinki-=   2019/8/15 23:34

私もこんな写真撮りたいのですが難しそうです。

5   kusanagi   2019/8/18 23:39

この写真の撮影の難しいところなど何ひとつもありません。広角レンズでズバリ被写体に向けて
撮っただけです。ピントは画面のど真ん中、なにせ常に中央1点のAF設定ですから。
コメントに車の話題を書いていたので、自動車が写っている写真がないかと探したまでです。(笑)
10ミリレンズですが、APS-Hなので1.3倍してフルサイズで言えば13ミリ相当になってます。

このシグマのレンズは廉価版でよいレンズではありません。発色がイマイチで、もう少しいいやつを
今発注していますが、シグマSAレンズはもう製造中止になってるので、ギリギリ手に入れられるか
どうかのようです。
sdクワトロはdpクワトロと違って、撮像面位相差AFがあるためか、画質にやや問題を抱えています。
SD-1メリルでは十分に使えた廉価レンズがsdクワトロではかなり悪く写ってしまいます。
dpクワトロの方は専用レンズですし、AFもコントラスト検知方式なので画質には問題がありません。
そんなわけでやや使い難いカメラであるわけですが、中級以上のレンズを装着すれば問題は
解決します。

今回の東北行は敢えて廉価レンズを使用して且つ、S-RAWで撮影しました。それで画質的に
良い写真はありません。前回の東北も低画素カメラで撮ったので、とにかく初めての地は、敢えて
謙虚でありたいという自分の気持ちを形として代弁しています。

レンズや画質のことはともかくとして、こんな平凡な写真を評価して頂けるのはありがたくも不思議
ではあるんですけど、おそらく他の多くの投稿写真が考えぬかれた写真ばかりであるという、その
裏返しの評価だろうと受け取っています。
私の場合、撮影時に考えて逡巡して時間を掛けて撮影したものはありません。ほぼその場の感性
で撮っています。撮影よりも自分の眼で見て被写体を観察することにより重きを置いているから
かもしれません。撮影はあくまでもオマケのようなものです。
そういった意味では全てが記録としての写真であり、表現として芸術に振った写真でないという
わけです。

芸術的に技術的に高度なことをして写真を撮りそれを掲示板に上げると、どうしても人様の評価
というものが気になり、それで要らぬ気苦労をしてしまいます。それは撮影も画像処理でも同じです。それがコメントに無意識に現れる場合がありますね。
趣味写真というのはあくまでも自分のため、自分で写真をして、自分だけで完結するという気持ちで
なければ長く続けることができません。機材に頼るのではなく、被写体にオンブするのでもなく、
ましてや掲示板という他者に期待しすぎるのもいけませんね。

そんなわけで上げる写真は気軽なものがよい、ほどほどでいいんだというスタンスで私はやってます。
写真はマイペース。自分の撮りたい、という気持ちだけで写真をやっています。
他人の悪評は気になりませんが、この掲示板を運営してくださっている主催者の方には、私は深く
感謝をしています。自腹を切って運営してくださっているわけなのでして、主催者の方の高い志でもっ
て運営されているのがこの掲示板です。

それで気になるのは、他の投稿者の人も少しはそういう感謝の念を言葉に出されては如何でしょうか
ということです。どうもネットはタダという観念があるようでしてちょっと残念な気がしています。
ご挨拶のコメントに於いても投稿者同士間だけでなく、一言でもよいですから、主催者の方にお礼を
申し上げるようにしましょう。
自分はまだまだこの掲示板に投稿したいという方は、この掲示板が続くまで投稿ができます。
もちろんある日突然に閉鎖されても、感謝しこそすれ文句を言ってはなりません。この掲示板がいつ
まで続くのかは分かりませんが、とにかく掲示板というのも時代を反映していくものです。

掲示板の投稿者が減ってきているのですが、主には掲示板がクラウドサーバーになってからという
ことのようです。当初は接続が不安定だったりしたこともありそれで投稿者や閲覧者が激減したよう
です。しかしこれも時流のことであり最近はアプリもクラウド化していますし、それらが自動管理され
ていくのは時代の流れですね。
掲示板の主催者の顔が見えなくなり、管理はクラウドサーバーが自動管理するようになってます。
そういう無人の荒野のような掲示板は嫌だ、という方が最近は掲示板から離れてきているようです。
これは致し方がないところがありますね。

6   pinki-=   2019/8/20 20:48

こんにちわ。
難し過ぎてごめんなさい、わかりません。

7   kusanagi   2019/8/20 23:10

そうですか。(笑) しかし大変に正直な方ですね。(^^ 
多くの人は分ってもいないのに分かった振りをするとか、少しでも分かったと思ったところを
針小棒大に騒ぎ立てたりするのが今の時代です。
しかし分からないのが多すぎるというのが本当のこの世の中なんですよ。分からないものは
わからなくてもいいんです。わかっていないのに分かったようにする、知っているように自分
をごまかすのかいけないのですね。

じゃあひとつだけ、この写真の別角度からの評論をしてみましょうか。
実はこの写真、こういうような人物のスナップをするのに、間に車を挟んでしかも車が出張って
くるような撮影をする人って普通はいません。撮影スタイルとしては変則的です。

写真の撮影というのは、皆さん自分で自由にやっているようなつもりでも、本当はそうではない
んですね。必ず自分の見方や撮り方には、元になるお手本というのがあるんです。
それは人がこれまで見てきた膨大な写真とか絵とか、そういうものが基本になっているんです。
そういうのは写真だけでなく、その人の考え方とか感じ方とかもそうで、とにかく全ては過去に
見てきたものとか、教えてくれたものとか誰かから聞いたものなんです。自分で作り上げたものなど
殆どありませんから。
そうですよ、全ては赤ちゃんからの経験の積み重ねによる学習とか模倣とか洗脳とか、そういう
親とか他からの力によって出来あがるものなんです。それが人間と言われているものなんです。

それでね。写真というのは簡単に絵を作れますね。本物の絵を描こうと思えば才能や長い努力
がなければなりません。漫画でもアニメでもそうです。大変に難しいでしょう。
しかし写真は易しい。ボタンさえ押せば写りますから。でもそんな簡単なカメラや写真でも不思議に
多くの人達は同じような写真を撮ってます。よく似た被写体、よく似た構図や雰囲気、よく似た
チャンスでシャッターボタンを押すんです。結果はどれもこれもよく似た写真ばかりになってきますね。
それが現実の写真というものなんです。

この写真はほんの少しですが、その当たり前の写真のスタイルをちょっとだけ崩したものなんです。
普通ではやらない角度で、カメラの位置で撮ってます。
ふつう写真は切り取りの美学と言われます。フレーミングやトリミングで自分が写真として主張
したいものだけを浮き上がらせるというわけです。
しかしそういうものも他者からの洗脳・教育なんですよ。それが正しいとかそんなのではないの
です。
私の場合は、これも私のスタイルというだけですよ、それは過ぎたフレーミングなどはしないという
ことなんです。そんなことをしなくても現在のカメラやレンズは大変な解像力を持っていますので
ガバッと広くストレートに写して、必要があれば後でトリミングをすればいいだけだというわけです。
全てに余裕をもたせているのもこの写真の特徴です。

しかしそんな技術論的なことよりも、本来の自分が見たい撮りたいというものを正直に発露をして
それを自分の写真としてやっていく、というのが一番大切なことなんですね。
本当は自分の思うままに撮りたいんだけど、これまでの写真のスタイルとか作風では、それはまずい
だろう、というのでは、それでは本当の自分の写真では無くなるということなんですよ。
自分が撮っているのに自分の写真ではなくなる。なんとも不自由ではありませんか。

ようするに一言で言えば、写真は自分のものなんだから、自分の好きなように撮りなさい。という
ことでしかないのですよ。人様に迷惑を掛けないかぎりは自分のよいように写真をやっていく。
そういうことです。簡単でしょ。(^^
インスタグラムなんかで、どこそこの何々がいいっていわれて、それで皆が大挙してそこへ行って
それで皆がみな、同じような写真を撮ったりします。まあ今風の観光写真ですかね。それで満足
するのもいいんですよ。皆と同じようなことをして同じように考えて同じように生きていく、というの
が一番簡単な幸福への道ですから。だって人と違ったことをするなんて不安ですものね。

しかしそんなのちょっと自分は嫌だなあって思えば、ちょっとだけ自分に正直にやっていく。写真も
ほんの少しだけ自分を出していく。そういうことなんです。
写真というのは実に正直なものでして、そういう自分の変化をすぐさま反映していくことができます。
リトマス試験紙のように簡単に、ちょっと変わった自分を見ることができるんですよ。自分で自分を
他者のように見ることができる。

写真の本当の醍醐味というのは、ほんのちょっと変わった自分を再発見していく。
そして再発見し続けていく。
そういうことだと思いますよ。またそういうことの自分への記録です。

それから写真は自分の好きなものにカメラを向けるというのも大切ですね。この写真の場合は、
何と言っても、このおばあさんを、私が気に入ったからなんです。この街もいいなって思ったし、
何よりも私は東北というところが気に入ったので、わざわざ出かけていったんですね。この撮影の
後に原発被災地の福島を訪れましたが、それも私が好きだからこそ行ったわけですね。
逆にまた嫌だなあって思っていても実際に行けば好きになるというのもありますよ。

そういう風にして、試行錯誤をしながらよりよく自分を変えていく。歳をとってもいくつになっても自分と
いうものを変えていくことができる。その道具として写真というものがあるんだと考えれば、写真を
やっていくというのは面白いものだと、そう思えるでしょう。

写真をするというのは、自分の生き方に大いに関係があるんですね。写真を芸術の探求とか表現
のなんとかの大所高所論なんかのそういう思い込まされなんかじゃなく、本当に自分に正直に
向かい合うための道具というか相棒みたいなものですかね。そういう風に捉えていけば写真は
俄然と面白くなるんです。

8   pinki-=   2019/8/25 00:30

そういえばこれって個人情報満載瀬は~?
大丈夫なんですか?

9   kusanagi   2019/8/27 23:29

写真の怖さということを前回き書きましたが、今回はその続編です。
写真というのは10年ですかね。続けてできるのは。それでその後は1年以上は休止する。
この1年というのは、つまり半年ではダメで、依存症の禁断症状が出てくる限界が半年なんです。(^^ゞ
それで1年は遠ざかれば大丈夫かなっていうところです。

写真のもつ弊害というのはどんな人でも出できます。例外はないと思います。当然に私もそうです。
それでその弊害の極まるところというのがあって、仮にそれを三種の神器としましょうか。
神器1・・・ブランド機材を持つこと、使うこと。ライカ、ツァイス、ニコン、ハッセル、ジッツォ等々。
      ちなみにキヤノンはニコンほどブランドとは言えないようです。理由は簡単、キヤノンは
      昔から廉価カメラも数多くだしているからです。
      シグマは一般的には無名ですが、オタクの間ではブランドでしょう。
神器2・・・ブランドというか超有名な被写体を撮影すること。誰でも知ってる世界遺産とか、いちゃもん
      を付けられない被写体です。こちらだと栗林公園とか小豆島かな。
      間違ってもフクシマとか原発とかを撮ってはだめです。
神器3・・・有名な作家の作風をまねる。

私の場合だと神器1の病気にかかってます。(笑) しかしぜんぜんブランドではない機材も所持して
使ってますのでね。言い訳がましいですけど。
神器2は避けてます。人と同じ写真は撮りたくないので。
神器3は最近の有名作家を知らないので真似ようがない。(笑)
こういうのは権威主義というんですね。虎の威を借りるというやつです。長く写真趣味をやっていますと
どなたでもこれらの1つや2つは病気にかかります。そして権威主義に陥りますと自分の写真に反省
というものが生まれなくなり発展していくことができなくなるのです。
ですから、写真趣味は長くやっても10年かなって思ってます。そして再開するにせよ1年以上はブランク
を開けるんですね。

写真の怖さというのは、ただ趣味の写真が停滞することだけでは済まないところが本当の怖いところ
なんです。写真は単なるモノ(芸術品)ではなくて、その人のものの見方を左右するからです。
その、ものの見方とか考え方が上記のような動脈硬化を起こしてしまえば、当人の生き方を誤るん
です。
デジタルでは機材の電磁波問題とかモニター症候群とかがあるんですが、別にデジタル写真だけが
問題なのではなくて、フィルム時代から、黒白写真の時代から、写真というのは怖いんですよ。

私は写真の持つ画像性に、その本質的危険性が潜んでいると考えています。
例えば私が今書いているテキストなどはそのデータ量というのはたかが知れてます。ところが写真
だと途端にデータ量は重くなりますよね。それと同じで画像というのは人間の脳が読み込むのには
負担が大きいんですよ。普通の本と写真集を比べてもらってもわかります。
ちなみに漫画は画像でありながらもデータ量は低いんです。2D線画だからでしょうか。
つまり写真画像というのは、デジタル方式であるなしに、モニターであろうが紙プリントであろうが、
その脳内処理には多大の負担を掛けているということなんです。
写真画像はアナログなんです。デジタル写真なのにアナログ。(笑) そして文字は紙の本でもデジタル
なんですね。それは脳内の情報処理の仕方を言ってます。アナログが重く、デジタルが軽いんです。

どんな写真であっても、その脳の負担は非常に大きい。それで写真のベテランになればなるほど
神器に頼るようになるんです。神器というシンボル性によって、出来る限り脳内負担を避けるように
したいわけなんです。これは無意識にやってしまうんです。
ところが権威主義という象徴とか記号を使い過ぎると、ますますさらに多くの写真を撮ることになって
しまって、脳はさらに疲弊することになるんです。ある一線を突破すると多分脳は破壊されます。

とまあ、こんな具合で写真は長く続けないのが良いです。お酒やタバコとおなじです。
それではその対策を書くことにしましょう。
写真は撮っても後では見ない。出来る限り見ないようにすること。画像処理は可能な限りしないこと。
JPEG撮って出しがベストかも。
電磁波が強い光学一眼レフは、ファインダーだけ楽しんで、シャッターを押すのはフィルムカメラ並に
押さえること。電子シャッターのミラーレスはいくら撮ってもいいけれど、背面モニターによるノーファ
インダーで撮影すること。そしてそれらで撮った写真をパソコンで見るのは最低限にするということ。
1000ショット撮っても現像するのは10枚くらいですかね。1%に押さえるくらいで。

そしてカメラを持てば出来る限り歩くこと。1ヶ所では粘らないこと。これは撮影よりも遊歩を大事に
するということです。歩くと脳は活性化されます。留まると脳は固着化します。
神器1~3を使った写真というのは、写真という宗教というか信仰写真になるんです。風景写真とか
ポートレートとかいう写真ジャンルがあるように信仰写真というジャンルですかね。
シグマなんかで高精細な写真を撮るというのも、ある意味ではオタク的宗教かもしれません。(^^ゞ
この信仰写真のレベルにまで高まると、もう後戻りは難しく、写真をきっぱりと止めるしか手立ては
ないだろうと思ってます。

初心者の方には無縁の話をしましたけれど、写真というのは適度であればよいけれど、やり過ぎると
最後には人間の魂や命まで取られるというか、とても危険なものなんですよね。
私のことを書きますと、本格的にデジタル写真をやり始めて10年くらいでこの掲示板にコメントを
書き始めています。書くことと言ったらデジタル写真の危険性についてばかりですよね。(笑)
写真は自分への遊歩記録というくらいで留めておくのが一番良いように思っています。

悪いことばかり書きましたが、写真のもつ良さというのも当然にあります。それはやはり広く世界に
眼を向けることですかね。写真をやっていて引きこもりというのはありません。野外に出て歩くという
のが基本ですから。
次々と色んな被写体に関心を向けて眼が見開かされるというのもあります。そういう世間性の広がり
というのがあります。それからやはり歩きますし、重い機材を持ってですから体力というのが自然に
付いてきます。また地元の人とお話ができるというのもありますね。

10   kusanagi   2019/8/25 23:40

写真に関する個人情報や肖像権はネット時代に於いてシビアになってきていると言えます。
このフォトXPの他の投稿写真ても、そこらあたりは十分に皆さん気をつけておられるようですね。
ではこの写真での個人情報ということでは、まず建物・店舗が個人情報です。看板もしっかりと
写っているので喜多方市のどこの店舗であるのかは直ぐに分かります。
そして人物の個人情報というのもそうです。細かく言えば車もそうです。
要するにすべての個人、及び個人財産はすべて個人情報となるわけです。

それらのすべての個人情報に関することを写真の投稿にしてはいけない、となると、ほとんどの
写真はすべてアウトです。それでは写真の文化は成り立たなくなってきます。表現とか交流が
できなくなってきますね。
個人情報法という法律があるように、写真や文芸としての表現の自由、報道の自由というのも
基本的人権として憲法に保証されています。我々は中国とちがって自由主義社会・国家に住んで
いますので、この自由主義の概念は大切にしていかなければなりません。

ですからカメラを持てば、ただ単に自分の個人的な娯楽や芸能の楽しみだけの考えではなくて、
人類にとっての自由な表現とか記録とか交流とかの視点からも考えながら、写真を撮っていくと
いう自覚が求められるんです。
まあ大げさに書きましたけれど、常識の範囲内であれば、他人様に不愉快な気持ちを起こさせ
ない程度に収められていれば、写真の投稿は大丈夫です。

まずこの写真を撮った場所は観光地ですね。個人の住宅街とかいうのではありません。当然に
多くの観光客がここを訪れ、撮影をします。そしてこのおばあさんもこの店の店主だろうと思われま
すので、写真には慣れているということが言えます。
そしてこの写真はその人物も小さくしか写っていません。拡大してもあまり分かりませんね。後ろ姿
の人もいます。画素数(ピクセル数)は150万画素しかありません。
つまりこの程度であれば問題がなく投稿可能だという判断です。

実はもっと大きくおばあさんが写っている写真もあるのですが、それは投稿していません。撮影を
することは可能であっても、投稿するのは躊躇われるというのがありますから。
個人情報云々ということで、自分の私的な撮影まで及び腰になってしまえば、写真はちっとも面白く
ないということになりますね。

つまり、写真には撮影はしても投稿はしないというのがあり、この撮影と投稿とは別に考える必用が
あります。撮影=投稿露出ではないわけです。個人が保持する写真においての個人情報と、公開
された時の個人情報とは違います。個人情報はあくまでも公開された場合のことを言っているので
あって、やたらなんでも撮るのが躊躇われるというような自主規制を掛けてしまっては、写真撮影の
意味がなくなってしまいます。

特定個人の写真を投稿する場合にあらかじめ当人物の了承を得ているから大丈夫、というのも実は
万能ではないのです。悪意のある撮影や投稿をされれば事前了承などは無効になります。
そこらあたりは常識的に、そして善意をもって撮影・投稿をすれば大丈夫ということなんですが、
人様の投稿写真を数多く見て、ここらあたりのラインであれば大丈夫という経験値を得てください。

どうでしょうか。pinki-=様もできることならばご自分の写真をこの掲示板に投稿しては如何でしょうか。
この掲示板はどなたでも写真を投稿でき、自由にコメントも可能というオープンな投稿掲示板となって
います。画像のデータ量もあまり制限を掛けていません。
この掲示板は管理人様が口を出さず(自腹を切って運営しているのにも拘らず)、あくまでも投稿者
各人の善意や自主的規律によって成り立っています。そういう意味では民主主義的な掲示板なん
ですね。

そもそもこのフォトXP掲示板は、民間の篤志的な個人が作り上げたアプリケーションによって作り上げ
られています。当初はそのアプリを各人が自由にダウンロードして、相当数の人が自家サーバーと
して立ち上げていました。かなり歴史ある掲示板であるのです。現在はクラウドサーバー方式となって
いますが、当初の志が今でも生きているというユニークな掲示板ですね。
そして膨大な過去の投稿写真もデータベースとして持っています。もちろんそれらを見ることができます。

この掲示板を運営するには当然にお金がかかります。管理人様は若い方で子育て中の方ですよ。
けっして余裕があるという方ではありません。しかし管理人様は、一切投稿者には負担を掛けない
方針でこれまで来ています。普通の人には滅多にできることではないので、この掲示板を利用される
人はその管理人様の志を十分に汲んで投稿しなければなりませんね。
ちょっと硬苦しくなりましたけど、まあ、気楽に最初はひとつでも投稿されればよいでしょう。

まあこんな感じで、初心者相手という仮定のもとで仮想的に書いてきましたが、多くの人は写真が
モノであるという思い込みから逃れることができません。それは強固な刷り込みであるのでおそらく
一生その考えから離れることはできないかもしれません。
写真がモノであるという考えからは、その帰結として自家中毒を起こすことがあります。自分で自分を
騙してしまうんですね。ミイラ取りがミイラになるというやつです。
ベテランほどそうなってしまうのです。写真の怖さというものがあるのですし依存症にもなりますしね。
そんなわけで写真などは最初からやらないほうがよいのかもしれません。もし10年写真をやれば
次の10年は写真からは完全に離れる。そういう具合にするのが良いのかもしれません。
写真の怖さの精神論はともかく、私は理科系の人間ですのでそこからのアプローチをすると、カメラ
を作動させることから写真の怖さの全ては始まるということなのです。
また最近はスマホを使うということからも怖さが始まります。

11   pinki-=   2019/9/3 22:02

ェ~、、、写真ってそんなに怖いんですか。。。。。。。。。。
私、お友達からハッセルなんチャラって~カメラ?を頂いたんです~~
これはデジタルカメラではないですよね~~
SNSはデキマセンヨネ~~
そんなに怖いのでは、って言うか、むずかしいのではやめた方が良いですね

12   通行人   2019/9/3 23:30

私の本業はゴミあさり。だから信じなさい。

13   通行人   2019/9/3 23:17

ハッセルはブランドカメラなので危険です。次の水曜日の不燃ゴミ日に出しなさい。

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