キヤノン EOS 70D 作例

一眼レフ

キヤノンEFマウント・APS-C・2,020万画素

2013年8月29日発売

EOS 70Dの仕様

EOS 70Dは、液晶を見ながら撮るときのピント合わせを変えた、2013年8月発売の中級一眼レフである。EOS初のデュアルピクセルCMOS AFとタッチ式バリアングル液晶を組み合わせ、ライブビュー撮影の待ち時間を減らした。その新方式を既存のEFレンズでも使えるよう、開発では103本のレンズを確認する互換性検証が行われた。

シリーズ
EOS xxD
位置付け
APS-Cの中級機(ハイアマチュア向け)
先代
EOS 60D
後継
EOS 80D
ライバル
D7100

EOS 70Dについて詳しく読む

投稿写真 3133枚

錦帯橋晴天

 説明無用の錦帯橋、山口県岩国市。  花火や鵜飼、水際のカップル、渡っていく老若男女とからめて、 とてもとても絵になる橋。    だけど漫画話です。他になんかありますか?(激)  漫画「島耕作」シリーズの主人公島耕作は、この岩国市出身と 設定されています。その実家は、錦帯橋の近くにある茶店兼土産物屋、だとか。(作者の弘兼憲史氏も岩国市出身)  で、厳しいですが、シリーズ「島耕作」は、劣化する一方で、 どんどん面白くなくなっていってます。前にも書きましたが、作者 は、戯曲を得意とするタイプであって、ネタが尽きたのかも しれません。  そのせいか、「ヤング編」と称して、課長編より前の時代を描く ことに回帰し、ご自身の松下電器勤務時代の引き出しにネタを求めてらっしゃるようにも見えます。  その中で、ライバルであるソラー電機(SONYがモデル) の社員とインベーダーゲームを通じて知り合いになり、ウォークマンの試作機に触れて、その迫力に衝撃を受ける、という描写があり ます。  ウォークマンの開発経緯には、大きく2つの説があり、当時の SONYトップが「飛行機で出張するときに音楽を楽しみたいから、 携帯オーディオを作ってくれ」と指示し、それが商品化したという トップダウン説と、技術者が自分用に既存のテレコをステレオ再生 に改造していたものが目に留まり、トップの手元に届いていたく お気に入りとなり商品化した、というボトムアップ説とです。  SONY社は、トップダウン説を正史として紹介しており、弘兼氏 は劇中でボトムアップ説を採用し、当該技術者の生き方(ウォーク マン開発はすでに過去の業績であり新天地を求めてゲーム業界に 転職する)に島耕作が衝撃を受ける、という描写です。  話題性のある名作回、というものではないですが、この技術者の クールさと、島耕作のインベーダーゲーム狂いとの対比が 印象に残ります。残念なことに、「ヤング編」も、環境・公害問題を 語りつつ、心霊写真とか スカートめくりとかの、70年代事象を無理に盛り込んだ、 「タブロイド誌御用達」感にあふれており、漫画としての水準は 青年誌の中でも中の下、くらいです。  もともと「島耕作」シリーズは全体にそのくらいの出来栄えで あって、一部のスリリングな出世物語、スケベ描写サービスに サラリーマン層が喜んだ、「おっさーんの少女漫画」だと感じて います。うんうん。  さて、ウォークマンの出自について。  私は事実を知る立場にありませんが、トップダウン説には少し 懐疑的でした。なぜなら、ウォークマン開発の前のSONYには、 高音質ステレオ再生が可能なポータブルデッキ、「デンスケTC-D5」が存在し、SONY会長が求めたなら、そっちを先に提示して、 それが重いだ録音機能はいらないだ、とかそこをベースに話が進む だろうと思っていたからです。 (TC-D5は改良型のD5Mを私も愛用してました)  ところが、そのあたりの話はちゃんとやっぱりあったらしくて、 井深会長はTC-D5も使ってみて、やっぱり重いや、プレスマンの ステレオ再生つきを作ってくれ、と依頼したのだとか。 https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-05.html  そうなると、正史のとおりにトップダウンだったのかも。ただ、 この話は、正史にありがちな、きれいすぎるようにも思います。 そんな風に考えるあたりから陰謀史観ってのは発生するのでしょうかね、あははは。  なお、ボトムアップ説は、SONY社の商品企画開発部門のリーダーだった黒木靖夫氏が著書「ウォークマンかく戦えり」でも主張 しています。  おそらく、会長さんがポータブルオーディオを欲しがったのも、 現場の技術者が自分で既存機材を改良して楽しんでいたのも、どち らも事実としては存在したのではないでしょうか。時系列はわから ないし、人の記憶はバイアスがかかるのであてにならないです。  ただし、黒木氏の著作において、重要な商品名に誤記があるなどして、私はその著作そのものにはあまり信用をおいてません。   ものづくりや人材育成の成功例において、「あれは私がやった」「彼を育てたのは僕だ」などなど、「自称功労者」が林立するのだそうです。  これに関して、先ほど紹介したSONY正史を読み進んでいくと、 CD規格の開発において、パートナーだったフィリップス社と、 「お互いに、あれをやったのはこちらだ、といった主張をしない、 貢献度合いはフィフティフィフティにしよう」と申し合わせた、 というエピソードが紹介されています。  これが忠実に守られているかどうかはわかりませんし、企業人と してそれでよいのか、という問題もありますが、まあとにかく、 正史としてきれいにまとめようとしているな、という印象です。  ちなみに、CDの録音時間規格を74分とすることについて、 SONYとフィリップスで論争があり、SONY側の主張が通ったのだ そうです。この企画はカラヤン氏が「ベートーベンの第九が入る だけの時間が必要だ」と主張したという説がありますが、第九を 珍重するのは日本だけだという説もあり、上記のSONY正史では カラヤン氏はここに介入していません。ただ、SONYの盛田会長 を訪問したカラヤン氏に、SONY技術者が(無許可で)録音した カラヤン氏が指揮する交響楽団の練習演奏をデジタル再生して聞か せたところ、カラヤン氏が録音を不問にするどころか、たいへん喜び、デジタル技術の開発をおおいに薦めた、というくだりがあり ます。  いろいろな物語がありますが、クルマの世界でも有名なエピソードが「それ、都市伝説だよ」と関係者が明かすようなこともある ので、夢を含めて眺めておくのがよいようです。  このあたりをうまくリアルにかつドリーミィに表現するのも 漫画家の腕前であり、時として写真でもそうかもしれません。私ゃよーやりませんが。 

アポロ月着陸と陰謀論

 三原市芸術文化センターポポロでの撮影。月とその子どもたち。 (イルミ前ボケ)  前回の続きで、アポロ話。  「アポロは月に行っていない、映像や写真は地上のスタジオで撮影 されたものだ」「高名なSF映画監督がかかわっている」等の陰謀論 (捏造論)をよく耳にします。    写真を楽しむ人々に馴染み深い、陰謀論が上げる物証が、 「月面で撮った写真なのに、暗い空に星が写っていない」 というもの。   月面は太陽の直射日光で照射されており、その明るい地表に露出 を合わせると、空の星は全く写らないのが当たり前だ、というのが それに対する反論です。  不自由な宇宙服を着て写真が撮れるはずがない、不自然だ、とい う主張に対しては、写真撮影そのものが重要ミッションであり、 宇宙飛行士がかなりの時間を割いて、宇宙服を着たままカメラが 操作できるよう訓練した、との反論もあるそうです。  身近に、アポロ陰謀論を楽し気に語る人がいたので、その意図を 尋ねてみると「でたらめだとわかっているがおもしろい」との ことでした。あんまり興味がわきません。  陰謀論は、その対象となる事象の重要度や知名度に比例する という考えもあるそうです。 https://www.afpbb.com/articles/-/3234496?cx_part=theme-latest  そりゃそうですね。日本史でも元禄赤穂事件や本能寺の変など メジャーな事象では陰謀論が語られますが、教科書のすみっこに 乗っているようなマイナーな事件では、そのようなことはない。  直接の陰謀論ではないですが、「栄光なき天才たち」のアポロ編 では、過度にソ連の脅威を語ることで、フォン・ブラウンがアポロ 計画を推進していくシーンが描かれています。  仮想敵の脅威をより大きめに見積もって、過剰に急いだり、過剰に 高性能な機器を開発したが、敵はすでに存在していなかった、という のもありえることで、「栄光なき天才たち」では、ソ連は 月への有人飛行ミッションは早くに見送り、アメリカは国家の威信を かけてライバル不在のまま競争を続けた・・・という解説を 加えています。  米ソの冷戦終結後、ハリウッド映画が、国威発揚的な映画の作成 にあたって、宇宙からの危機を米国が迎え撃つ、というプロットを 多用するようになっています。そのひとつ、「インディペンデンス デイ」では、冒頭、宇宙人の巨大母船がもたらす月面上の地震で、 アームストロング船長の足跡がかき消される、というシーンが 描かれています。これももう20年以上前の映画となり、そして 続編は不評でした。

地球は青かった

 写真はイメージです(笑)地球半周をひとっとび、の ボーイング787初号機なので、あながち外れていないかも。  漫画話。  「地球は青かった」は、初めて宇宙飛行をしたソ連軍人、 ガガーリンの言葉だと言われています。  ただしこれは「空は暗く、地球は青味を帯びている」という状況報告を、新聞報道が取り出して脚色 し、それが独り歩きしたものだとも。  このセリフは「宇宙戦艦ヤマト」で異星人の攻撃により赤く 焼けただれた地球を見た沖田十三が「昔、ガガーリンは青かったと 言ったが・・・」と嘆くシーンで引用されている他、ドイツ、 米ソと続いた宇宙開発競争を描いた「栄光なき天才たち ~宇宙を 夢みた人々~」でも紹介されています。    この「宇宙を夢みた人々」は手元にありますが、「史実に基づく フィクション」とキャプションされているように、演出を優先し た部分も少々見られます。  しかし、ドラマ描写は青年誌漫画として水準以上で、ドイツでV-2ロケット を開発して、戦後はアメリカにわたってアポロ計画を推進した フォン・ブラウンを中心に、宇宙を夢みた人々の、半ば狂気じみた 情熱が、優れた群像劇となっています。  原作者伊藤智義氏は、ソ連側の宇宙開発を描いたパートが、 単行本の尺におさまらないことを理由に削除されたことを残念がって おり、ソ連側のロケット開発キーマンであるコロリョフの描写に 力を入れています。その伊藤氏が、史実に反していると(おそらく )知りながら描写したのが、アメリカ側の技師たちが、コロリョフ の名を口にし、ソ連に先を越されることを憂慮するシーン。 (これは原作シナリオに存在し、漫画ではカットされている)  ソ連は開発秘匿のために、宇宙開発に関わる技術者に関しては 秘密維持を徹底しており、フォン・ブラウン達がコロリョフの存在を 知ったのは、その死後だったと言われているためです。  一方、伊藤氏の原作に存在せず、漫画の作画において挿入された 史実に反する描写は、1969年のアポロ11号月着陸を、コロリョフ らがバイコヌール宇宙基地管制センターで見守るシーン。この3年も 前に、コロリョフは死去しています。  作画・構成を担当した森田信悟氏は、この「栄光なき天才たち」 が最大のヒット作と思われますが、原作稿と出版された漫画を比較 してみると、森田氏が原作に対して場面描写の強化を 随時行っているものの、全般に、原作稿に忠実であると思われます。  特に、原作稿ではあっさりしていた最終話は、森田氏側でドラマ 描写を強化していると思われ、ここが漫画家としての腕を振るった 部分なのでしょう。 ※原作稿は伊藤氏のHPで閲覧可能、漫画にならなかった、ソ連側 のエピソードも収録されています。 http://www.te.chiba-u.jp/~brains/itot/work/genius/g8/g8.htm  この漫画における、原作者と作画者の関係は、わりと良好と 思われますが、ものによっては、血みどろの争いとなっていることもあります。 どうしてそうなるのかはわかりませんが。  

TBHWD

 七夕祭りでにぎわう天満宮にて。近傍の高校生たちが歓声をあげてました。  TBHWDってなんだ?とおっしゃいますか。それはですね、 「玉ボケはワーキングディスタンスだ」という、業界用語です。(そんな業界はない!)  玉ボケの大きさや形状、また明るさを思うように描写したいときは、ISOや絞りやSSでは限界があって、玉ボケ光源と被写体の 距離や角度を考えて動き回る必要があります。  撮影中に「腹減った」「のど乾いた」「トイレどこだ」しか考え ない私ですが、これは多少考えてます。ただ、トイレは近いの で、常に場所を頭に入れてます。腹は減るのですが、この七夕祭り はとても壮麗で、6時くらいから撮影しはじめて、9時近くまで、 何か食べようという気にならなかったですね。こんなことは珍しい ことですが、水分補給だけはしっかりしないと、倒れてしまいます。皆様ご注意あれ。  大きなボケが期待できるシグシグ180mmマクロですが、雑踏では危険も あるので、タイトルとは裏腹に、あまり大っぴらに動き回らず、 背中を壁に近づけた状態でカニ移動したりもします。それと、 タムタム70-200mmほど手振れ補正が強力じゃないので、このくら いのSSでは、止まるのは何枚かに1枚になるので、息と心臓を 止めてジョジョ撮りが必要になります。 いずれにせよ 斜光が射しこむ時間帯の七夕飾りは、いい感じに玉ボケになって くれるので、晩飯を我慢して現地に向かってよかった、うんうん。

マニュアルな人

 たぶん学校の先生だろーなーという匂いのする方でした。  根拠はない(笑)話した印象と、目つき、かな。  同じ時期に、70Dを使う人にも出くわしてお話しましたが、こちら は絞り優先でした。今春出会って、モデルになってもらってかつ、 少し撮影の話をした女子高校生(写真部所属)さんは、プログラムオート。  みなさんそれぞれの好みと個性に応じて楽しんでらっしゃいます。  マニュアルの困ったところは、前回の撮影で使った設定がそのま ま残っていて、次に撮る時に面食らうこと、でしょうか。だから 最近は、ISO100,絞り開放、SS=1/1000くらいに戻すようにして ます。それがクセになったわけじゃなく、忘れることも多いです。 さっと取り出して撮影したいときとかは、迷わずPに戻しておく べきでしょうね、うんうん。

30D時代には撮れなかった一枚

 もちろん30Dでもこのように撮れるのですが、私の撮り方に癖が あって、無理だったという話です。  RX-500の写真でExifをご覧になれば一目瞭然、私は30D時代に、 無手勝流で、「絞り優先+スポット測光AEロック」で撮ってました。 適正露出にしたい場所でスポット測光してAEロックし、ロックした まま構図を決めて、シャッターを押す、と。  この方法は、スポットライトなどで極端な明暗差が出る、娘の ダンスステージや、息子のお遊戯会で撮影するときに、顔面が白飛 びしないようにスポット測光で抑えていたことから派生したもの。  比較的、失敗しないやり方ですが、そのかわりに極端にハイキー やローキーに振ることができません。(露出補正をいちいちかます ことになる)  また、親指をAEロックとフォーカスエリア選択に割りふっている ために、親指AFとも相性の悪いやりかたです。  70Dに機種変更してからもしばらくはこのやり方だったのですが、 写真教室でその不利を具体的に指摘されてからは、絞り優先モード をマニュアルに変更し、スポット測光は平均測光に、そしてAE ロックは使わなくなって親指はAF-ONボタンに、とスタイルが 変わりました。  大銀杏の下で、葉っぱを拾う少女。70Dの露出計を見ながら、 こんな感じだろうとバチコンと撮る、の図。お母様に御覧いただき、 お悦びいただいたものです。    

夏だ!海だ!瀬戸田サンセット・ビーチ!

 こういうときに、バリバリにビキニな子、はリアリティがないです、 それは海に飛び込む用途の水着じゃないですから。  そんな御託はどうでもよくなる、夏の瀬戸田サンセット・ビーチ。 この日は花火撮影でしたが、夕方になって、浴衣の若い女性を囲んだ 一団が出現して、モデル撮影かな?と横目で気になったのですが、 持ち場を守らなければならず、追っかけられませんでした。  後になって、ミス尾道ご一行だったとわかって、がっくりです。 声かければ撮影させていただけたそうで、余計にがっくり・・・

描写

 桜シーズンも、追っかけ旅行でもしないかぎりはあっという間です。夕映えは、 一日の終わりというイメージからか、桜の儚さをより印象づけるように感じます。  ぢゃ、漫画話しましょうね(裂)  「描写」といって、写真の描写のことではなく、レース漫画における「死」の描写について関心を持っています。「サーキットの狼」では終盤で最大のライバル、親友である早瀬左近が死んでしま います。彼の死は、その何巻か前、主要人物3人が雑談をする中で 「我々3人が3人とも、F1で活躍するなんてことは、確率論的に 言ってありえない」というセリフで、暗転が予告されています。  池沢氏は、こうした伏線の設定が上手で、おおむね全てきちんと 回収されてストーリーが完成しています。この漫画は構想期間が 長かったとも聞きますし、十分に練ったうえでの執筆だったので しょう。  暗転と言えば、「サーキットの狼」で池沢さとし氏は、死亡 シーンでネガ描写を多用してます。事故死者はすべて即死という 描かれ方であり、搬送された病院で息を引き取るというパターン はありません。  つまり、主人公は、レース中に、他の主要人物の死を認識しな がら、精神力でレースを走り切るのですが、しばしば「・・狼」 では、卑劣な手段を用いた相手に復讐するシーンもあるし、我を 忘れて、ヘルメットを脱いだまま走り始めるといったこともあり ました。後者は、失格になってもおかしくない行為ですが。    「・・狼」から10年後の、F1でホンダエンジンが全盛時代を謳歌 していた時期のレース漫画が、六田登氏の「F~エフ~」。  この漫画は、必ずしも主人公の「勝利」では完結しないのですが、 結末は悲劇的ではありません。テクニックやマシーンのメカニズム よりも、人間模様に重点を置いたドラマ描写であり、主人公はしば しば命に係わるような事故に遭い、一度は臨死体験する様子も描か れています。  連載当時は、立花隆氏のNHKスペシャル番組など、臨死体験が ちょっとしたブームになり、いろいろな解説本(脳科学や スピリチュアルまで様々)が出てました。  「F」における臨死体験シーンで、主人公は早逝した先輩レーサーや自身の恋人に出会い、ティータイムを共にします。ここで は恋人が用意したサンドイッチがテーブルに並ぶのですが、主人公 (赤木軍馬)は手を付けることなく、生命への執着から泣き崩れ、 死者たちから別れを告げられ、生還し、自分が「この世とあの世の 中間にいた」と悟るわけです。  臨死体験本で読んだ、これとよく似た話に、作家・僧侶の今東光 氏が、生死をさまよった際に、「尾崎士郎氏に大物の鯛を託された 一心太助に出会い、その場で刺身にさばくからお食べなさい、と 勧められる」というものがあります。  尾崎氏は今東光氏の同級生でありその時点で故人なわけで、 今東光氏は「今は食べたくない、尾崎によろしく言っておいてくれ」と断って、やはり生還したそうです。で、「この世とあの世の 中間で食事をしてしまうと、この世に戻れなくなるから、食べなくてよかった」と安堵する、と。  六田氏がこのエピソードを参考にしていたのかどうかは不明です が、「F」で描かれた臨死体験シーンは、霧を基調に時間感覚を 超越した世界を演出する、美しいものでした。  また、臨死体験をした人物は、死生観が変化し、激烈な人物も 穏やかになるなどの性格的な転換があると言われていますが、 主人公も対立していた父親や兄との関係が変化し、自らも子を設け るなどしています。  こうした臨死体験が、普通の夢の延長にあるかどうもわかりませ んが、「個人を含めて、時系列がごっちゃの人物が、ありえない シーンに集合する」という夢は、仕事で切迫しているときによく 見ることがあり、気分転換を必要としているな、と判断するバロメーターにしています。うんうん。  

サバンナRX-7

 実にピカピカな、初代サバンナRX-7。 「サバンナ」を名乗ったのは、初代と二代目まででした。そのうちに、「サバンナ」と呼ぶ人はいなくなったように思います。  RX-7二代目と三代目が活躍した漫画がしげの秀一氏の、「頭文字D」ですが、正直、あまり好きではありません。好きでない理由は、 お色気描写が、前作「バリバリ伝説」よりへたくそになったから。 (略)  しげの秀一氏は、池沢さとし氏の「サーキットの狼」をよく読んで いたのかどうか、よく「架空のテクニック」と批判された「幻の 多角形コーナリング」に独自の解釈を加え(たかどうか知りませんが)、作中で、「ブレーキを小刻みに踏み込むことで後輪ロックを 繰り返して段階的な回頭を行うテクニック」として、登場させて います。  「サーキットの狼」は、格闘漫画や魔球系野球漫画と同じく、 「技モノ」(技の開発と打倒が主軸、技は必ず大声でその名を 叫んで繰り出す)の系統であったため、その原理よりは、雰囲気 を重視するものでした。  「頭文字D」は、劇中で登場するテクニックを実際にまねした ドライバーが死亡事故を起こす悲劇も発生していますが、私の 実家近くにもそういう峠があって、この漫画が連載されていた時期 にはきゅきききき音がよく響いてました。  「サーキットの狼」は舞台をサーキットに移行するのですが、 「頭文字D」は峠を舞台としたまま終えており、それはレース漫画 が公道を舞台にしているうちは人気だが、サーキットに移行すると 落ちてしまうことを考慮したため、と言われています。  しかし、「頭文字」は終盤の間延び感が半端なく、途中で読むの が苦痛になってしまい、実は私は結末をあんまり知らないのです。 漫画でこういうことは少ないのですが・・・うんうん。

国産スーパーカー

 御存じホンダ・NSX。えぬえすぺけと読むんですよ、そっちの業界 では(だから、どっちだ)。  マツダロータリーのファンミーティングに紛れ込んでいた一台。さ すがに居心地悪いと感じたのか、駐車場に入らずに去っていきました。  じゃ、漫画話いきましょうか(激)  「サーキットの狼」より先行して、少年ジャンプでレース漫画を 連載していたのが、村上もとか氏。「燃えて走れ」「赤いペガサス」など。「赤いペガサス」は、主人公を日系英国人という設定 にして、F1チャンピオンまで上り詰めるストーリーですが、 連載時期が「サーキットの狼」と被っていたこと、スーパーカー 人気ほどにはF1は盛り上がらなかったことからか、そこまで知名度 が高くなく、村上もとか氏の代表作として世に知られているのは、少年剣士を描いた 「六三四の剣」、現代の医師が幕末にタイムスリップする「JIN -仁-」などです。  現状、ほぼ埋没して語られることのない、村上氏のもうひとつ のモータースポーツ漫画が「ドロファイター」(1978~80年、 少年サンデー連載)。  これは、しばしばKazさんが紹介される、アメリカンなレース 世界を描いたもので、ミゼットレースから始まって、大陸横断 レース、そしてアクロバット複葉機と自動車の競争、最終的には NASCARレース、そしてF1も制覇・・・と、のしあがっていく、 日系アメリカ人レーサーが主人公。  それまで、ヨーロッパ調の、スマートなパッシングテクニック を中心に描かれていたモータースポーツ漫画に、アメリカンな パワーと激突を中心とした新風を吹き込んだ意欲作で、主人公 兄妹の家族愛と、それをとりまく人々の愛憎劇も秀逸で、人間 ドラマとしてみれば、「サーキットの狼」より圧倒的に上、です。 (池沢氏もドラマ構成は上手だが、サーキット外の人間模様は 意図的に省き、少年漫画の王道としての「技モノ」という性格を 前面に出していた)  この「ドロファイター」では、耐久レース仕様のマツダRX-7 が、大陸横断レースの主役メカです。「3人乗車して270km/h出る」(メーターはマイル表示) というので、デイトナやルマンで実際に走ったグループ4ない しIMSA GTO仕様のレース車に、公道用装備(後部座席含む)を 施したクルマ、という設定のようです。  史実のRX-7は、1979年のデイトナ24時間レースでは、初出場 にしてクラス優勝と、立派な成果を残しますが、同じ年のルマンで は、苦労してスポンサーを獲得したにも関わらず、屈辱の予選落ち と、奮いませんでした。  クラス優勝したとはいえ、デイトナでも、総合優勝したポルシェ 935ターボには「15周ごとに周回遅れにされた」とのことで、 ほぼシケイン扱いされている観すらありました。  そんなマツダも、1991年にはルマン総合優勝を果たし、翌年も 4位入賞と、けっしてまぐれではなかったことをアピールしていま すが、その後の景気悪化でモータースポーツどころではなくなって しまい、マツダ本社としては活動から撤退しています。    「ドロファイター」におけるRX-7の活躍は、マツダから村上氏に 一台プレゼントしてあげてもいいのでは、と思うくらい痛快なもの でした。「サーキットの狼」の池沢氏のところには、国産各社か ら「うちの車も活躍させてほしい」とのお願いがあったらしいので 村上氏もお中元やお歳暮くらいはもらったのかもしれません(笑)

RX-7今は昔

 サバンナRX-3の後継車がRX-7。このクルマ、RX-7とは呼ばれずに SA、FC、FDと、形式番号のほうで呼ばれることが多いようです。    「サーキットの狼」は、RX-7が登場した1978年時点では、 フォーミュラカーレースにシフトしていたため、劇中にRX-7が登場することは ありません。その後の続編では、主人公の強敵が乗るクルマとして 登場(3代目FD)し、主人公(初代とは別人)に手痛い敗北を味合わせることに なります。  このRX-7、いろいろ言われながらもすごいクルマだったらしく、 1985年登場の2代目は、ゼロヨン14秒台、最高速度235km/hと、 70年代のスーパーカーに遜色ない数値を叩きだします。しかし、 本場ヨーロッパのスーパーカーも進化しており、フェラーリF40 やポルシェ959といった「本当に300km/h出るクルマ」が出てきた ため、RX-7を日本製スーパーカー、と呼称したとはあんまり聞かな いですね、うんうん。もひとつおまけにうんうんうん。

Q車・サバンナRX-3

 マツダ好きの叔父が乗っていたこともあるサバンナ。 といって、乗っていたのはほんの短期間で、すぐルーチェに買い替えてましたが。  「サーキットの狼」には、ツーリングカーレースのスーパークラス (1300cc超クラス、ロータリーなので係数換算)の王者、として登場しますが、総じてモブキャラ で、活躍シーンはありません。    さて、「サーキットの狼」について、後半のフォーミュラレース 編で描写が雑になる・・・と感想を書いたところですが、あらた めて23巻から最終巻まで読み直してみると、車や主要人物の描写 は雑ではなく、きっちりしてます。「雑」という印象のもとにな っていたのは、ブルーノ・ジャコメリやジャッキー・スチュワート といった実在人物の描写において、漫画作風の中にとりこめて いない点でした。  史実のスチュワート氏は、漫画連載中はF1レーサーを引退して 間もない、30代の青年でしたが、劇中では50代のような風貌と なっていましたが、表情や服装は、1973年の来日時の様子をよく 反映しているようで、作画資料はしっかりしていたようです。  実在人物を漫画に登場させる手法は、スポーツ漫画で普遍的に 採用されていますが、取材相手への謝意敬意を表する面以上に、 物語にリアリティを加える効果を期待して、と思われます。  また、「サーキットの狼」において作者池沢氏は、70年代の日本 におけるレース業界の社会的認知度、レーサーの地位の低さについ て憂えていることを登場人物に語らせ、「日本のプロ野球選手どころでない名声と地位がヨーロッパのレーサーには約束されている」「日本人レーサーの地位向上にはF1で活躍 する日本人が出現することだ」と結んでいます。  物語は、日本人初のF1レース勝者が生まれる(ことが確実視 される)シーンで終わるのですが、2019年現在まで、現実世界では まだ日本人勝者は出現していません。  70年代の日本人レーサーの待遇が悪いことは、生沢徹氏が 1970年のJAFグランプリで、それを理由に「選手宣誓を拒否する」宣誓、 を行ったことでも有名でした。暴走族や交通事故死者数 増加、オイルショックといった社会問題もあって、レースとかスポーツカーなどへ の風当たりは強く、「サーキットの狼」はもともと暴走族を描写 したシーンも多いことから、白い目で見られたであろう漫画ですが、 「ぶっちぎり=圧勝する、大差をつける」「タイマン勝負= 一対一の真剣勝負」「タメを張る=互角に渡り合う」といった 暴走族由来(かもしれない)の言葉を一般化した功績はあるよう で、今日にいたっては学校の先生でも生徒に「君がぶっちぎりで 学年一位だったよ」「うちのエースは、〇〇高の××君とタメを 張る」くらいは普通語として話す様子です。  

本日は曇天なり

 自宅で閑こいてます(笑)  約1か月前の、昼食会の一枚。  じゃ、漫画話いきましょうか(毛)  電子版も読める「サーキットの狼」ですが、物語の大きな山場、 「流石島レース」のさらに山場が「30度バンク」。劇中では、 瀬戸内海の孤島につくられたサーキットゆえに、「渦潮バンク」 と銘打ってます。  二周半する過酷なコースであり、何も対策しなければクルマを いためてしまいそう。  主人公のクルマ「ディノ・レーシングスペシャル」はこのバンク を想定して足回りの強化をしています。劇中でははっきり言及され ていませんが、その強化が功を奏したらしく、 終盤で接触事故を起こし、密林に飛び込んだ際に、 ライバルであるポルシェカレラRSRターボが足回りに致命的なダメージを受けたのに対して、 ディノRSはヘッドライトをこわしたものの、足回りは健在で、 ピットインのタイムロスと、ライバル車のスローダウンが相殺され て、終盤のタイマン勝負につながるという筋書きです。  このあたり、コミック17巻での心理描写は秀逸で、主人公たち と、取り巻く人物のセリフひとつひとつが無駄のない、素晴らしい もので、緊迫感を盛り上げています。  なお、史実のカレラRSRターボも、1974年のルマン24時間で 終盤にトラブルを起こし、手の届いていた総合優勝を逃す、という シーンがありました。このときはギアボックスのトラブル。  「サーキットの狼」に登場したRSRターボは「ヨーロッパの レースを戦い抜いた個体をそのまま取り寄せた」と劇中で説明され ており、この1974ルマンの個体だったかも。だからギアボックスは 対策済、と。  「流石島レース」はルマンに比べて短い、600kmのレースだったので、 おそらく過給圧を上げて高速仕様にしていたようで、車両 解説で「最高速度は300km/hだがレース距離によって異なる」と 記され、実際に直線で330km/hを出す描写もあります。  このときにイメージで書き添えられた「カンナムで無敵の勝利 を誇った1000馬力を絞り出したポルシェ917」は、実際にはルマン仕様 のクローズドボディ仕様が描かれていますが、こちらも無敵の勝利を誇ったことには 違いなく、ルマンの直線で396km/hを計測しているので、違和感はありません。

縮景園にて

 広島は空梅雨が続いてます。まだ水不足の心配はないのですが、 しっとり濡れた紫陽花を撮影できてません。  蓮がきれいでした。

きれいな人々

 「玉ボケときれいな女性」の一秒後のカット。広島観光親善大使さん方は、イベント広場がまだ気になってらっしゃる様子。  いずれもおきれいですね。一耕人さんが言われた方は、まるで 少女漫画の登場人物みたいで、白い歯が光ってます。  ピントが完全でないのがちと残念ですが、私の技量はそんなもの でして・・・

ひろしま宝しまレディ

 ひろしま、は、宝のしま、ということで。  左の方が目線くださったカットもあるのですが、そのとき縦構図 だったので右の方が切れてました(TT)  ほとんどトリミングしてませんで、135mmでこれだけ近くに寄れ るのは、福山ばら祭りの特色。

ひろしま宝しまレディ

 失礼、ひろしま「宝」しまレディでした。福山ばら祭2019にて。  こちらは広島県の観光親善大使さんにあたり、広島市にも観光親善 大使がおられるので、重複したネーミングを避けているようです。  笑顔がはじけているのは、視線の方向にお友達が応援にきているの を見つけたから。

玉ボケときれいな女性

 きれいな女性と玉ボケ、では当たり前すぎてそれでおしゃれ感が出るわけじゃないですが・・とはいえ、美しい方々に玉ボケは似合い ます。    玉ボケ光源になっている小さな男の子にとってみれば、各地の ミスの方々も、「お母さんのお友達」くらいに見えるのかな、無関心な様子でした。

さざ波の玉ボケ

 集中力がないため、何かを待ち受ける撮影は苦手なのですが、この ときばかりは、「風待ち」の撮影でした。  風が水面にさざ波を起こし、そこに太陽の反射が生じて、玉ボケ 光源になる、の図。  撮影者から枝垂れ桜への距離が近く、さざ波が遠くにあるので、 大きい玉ボケが期待でき、砂防ダムの濃い緑が出る湛水が桜を 引き立てる・・・ような気がする(笑)  調子にのりすぎて連投しましたね、これで今晩は撤収します。

光に抗い影を振り切り玉ボケ求めて

 無茶苦茶な露出設定で、「光に抗い影を振り切る」ような撮影を していたかみさんですが、最近は露出の守備範囲を広げ、驚くほど 魅力的な作例を連発し、タムタム70-200mmを友として活躍してます(どこでだ?)  紫陽花や薔薇では玉ボケを多用しているようでした。    半逆光くらいの光で、光る菖蒲を玉ボケにして、かみさんの雄姿 を撮影。でも女性にも雄姿って使うのかな。一般には女性に使うと きは「勇姿」とするようですね、ふむ。  玉ボケ作例シリーズでした。楽しい楽しい玉ボケの旅は続く。

人工光源の玉ボケ

 北方向に向いたビル鏡なら、順光方向の青空を映しながら、内部の 灯火を透過して(洒落です)、玉ボケ演出に一役かってくれます。  ここでは青空の映しこみは無理ですが、雲がたなびく月夜のよう な演出効果となりました。露出計がこんくらいならこのくらいの 写真になるだろう、と想像しながらの撮影なので、SSはあんまり 意識していないため、ときに手振れが発生することも。  あまりに人工的な演出になってしまうこともあって、見る人によ っては酷評されることにもなるが、表現の自由というものがあるのよん、でやっはっはっは、でやっはっはっはっは。

透過光の玉ボケ

 透過光のほうが光源としては暗かったり、障害物が多いせいか いびつな形の玉ボケになるようですが、状況によっては花や紅葉が 光を透過するのとセットにできます。    ここでは、紅葉が浮かんでいるように見えますが、実は屈曲した 枝の先にくっついている一枚。  透過光の紅葉は、たいがい逆光になるので青空とセットにするのは 難しいですが、反射光源に透過させたり、青空そのものをビル鏡に 反射させるなど、まれにその状況が得られます。ただし、いささか 不自然な表現になりますね・・・

広葉樹の玉ボケ

 普段、あんまり考えないで撮影していることは申し上げたとおりで、 玉ボケの撮影方法をテキスト化して説明するのは不得意です。  ただ、透過光による光源の玉ボケはプラスにし、反射光による ものはマイナスにするようにしています。不思議なことに、70Dの 平均測光と露出計で「なんとなく」あてずっぽうな計測ができて おり、外すことは少ないです。  玉ボケの大きさは、絞りと焦点距離によっても調節できますが、 撮影者・被写体・玉ボケ光源の3点の位置関係を可変する(つまり 自分が動く)ことで調節することのほうが多いです。    シグシグ135mmアットの場合はF4くらいまで絞ると、玉ボケに カクカクが出て「幻の多角形ボケーリング」になるため、F2.8 から開放の間を使っています。  広葉樹の反射光と、広葉樹自身が透過した様子を並べて表現する のは大好きなやり方で、世の中でも人気のようです。ボケは中毒に なってしまうとそれはそれで問題ですが・・・  

菖蒲と玉ボケ

 岩国市吉香公園内の菖蒲園にて。  この一枚は、昨年のものです。  今年は、正午前後に撮影したので、太陽の光が ずごんと落ちてくる状況で、玉ボケが菖蒲の背景にうまく入ってくれ ませんでした。  ところが、この一枚が撮れる時間帯(実際の時刻は16:36)になってくると、今度は、 またこの奥にある別の菖蒲園が日影になってしまうのです。とい うわけで、きっちり撮るには、朝から晩まで、じっくり構えるのが いいねえという岩国市吉香公園でした。錦帯橋もそばにあるし、 紫陽花も咲いているし、と被写体には事欠きませぬ。おまけに 火縄銃の発射実演もあるとくれば、忙しいかぎりです(笑)

吉香公園菖蒲園(山口県岩国市)

 なかなかの見頃でした。品種を示す立て札の反射が目に障るところですが、これはこれでアウトフォーカスして玉ボケに追い込むと、 いいアクセントになってくれますのん。

山口の人々

 岩国市吉香神社能舞台で古典芸能(略式の能か?)を披露する人々。  リアル生活で私が知る山口県人たちは、どん欲に実利実益を追求 するとともに、様式美や伝統も重んじる、パワフルな人が多いです。この岩国城下町では、岩国藩(この名称にも曰くがあって、それも主張のネタになっている)鉄砲隊の皆さんが熱心に火縄銃を 整備保存し、本日も、空砲発射実演により轟音をとどろかせて ました。  吉香神社は錦川の西岸に位置しますが、ここから少し上流に、 2つ年上の先輩の出身地(旧錦町)があり、山奥ではあるのですが たいへん洗練されたインテリジェンスを持っている人の出身地な ので、何度か訪問してもみました。  気のせいか、賢そうな風貌の人が多い気がする町、岩国。  箱寿司は、岡山のバラ寿司に慣れている立場から見ても、とても 美味しい郷土料理ですね。岡山のものより美意識に優れているよう にすら思います。  10人や20人の知り合いだけで判断することはできないですし、 「〇〇県の県民性」とかの書籍も、県内の地域性を考慮していない ため、普遍性があるとも思えず、ほんとうはあんまり予断を 持たないほうがいいのかもしれません。

人見絹枝さんの岡山弁

 パレードで見事に長い手足を使ってアピールするチアリーダーさん。  いまや女性アスリートもよい意味で普通の存在で、世界で活躍する日本人女性もたくさんいるのですが、今日の大河ドラマ「韋駄天」で、岡山出身の、日本女性初めてのオリンピックメダリスト、人見絹枝さんが登場しました。  演じるのは菅原小春さんという、ダンサー・振付師。    岡山弁はあらかじめ考察されていたようですが、「岡山弁を 書いた台本を標準語のイントネーションで読み上げた」感じで、 違和感がありました。ただ、期待される役どころはそこではあり ませんで、当時、並外れて体格がよいことにコンプレックスを感じ ていたという人見さんの葛藤は表現されていたと思います。  人見さんの出身地と、義姉の出身地が近く、統廃合のことを 含めれば、たぶん学校の後輩にあたると思います。この地方の 話し言葉はかなりきつい調子のもので、本当に再現してしまうと ドラマの印象が変わってしまいます(笑)  大河ドラマの方言再現は偏りがあるのもいたしかたなく、 鹿児島弁は字幕までつけて丁寧に再現するのに、伊達政宗が ズーズー弁をしゃべる例はあんまりないですね。  岡山弁がかなり正確に再現されたドラマは、榮倉奈々さんが 岡山県牛窓出身の医学生を演じた、「蜜の味 ~A taste of Honey~」で、特にお母さんを演じたキムラ緑子さんの岡山弁が秀逸でし た。キムラさんが淡路島洲本の出身で、地理的に 牛窓に近いことも多少は関係したかもしれません。  ところで、最近、「はやくしなさい」を岡山弁では「はようしねい」と言う、とネットなどで広まっているようですが、どちらかと いうと西部方面の言葉で、東部方面では「はよーせられー」(男) 「はよせられー」もしくは「はよしー」(女)です。 「死ね」はそのまま「しね」あるいは「しなれー」で、例えば 電車内で中年男性から女子高生がマナーを注意されたとして逆切れ した女子高生のセリフはこんな感じです。 「あほなおっさーん、はよしなれーよー」 (早くは、男性は「はよう」女性はやや短く「はよ」と発音するが、短気な人は男性でも「はよ」で、「はよせーぼけ」くらいの 言葉は、スーツを着た紳士でも発する)  東部方面と西部方面の人間が会話すると、岡山人同士でも 通じない言葉が多々あります。 私の母親「〇〇ちゃん、そこたっとかれー」 よめさん「ごめんなさい、何かあれしましたか?」 母親  「ええけえ、たっときゃーえーんよ」 →通訳 「〇〇ちゃん、そこを閉めてください」  岡山東部弁では「たつ、たてる」は「閉じる、閉ざす」の意味で 転じて「鍵をかける」にもなります。 私の祖母「おこよしてくらー」 よめさん「お手伝いしましょうか?」 私の祖母「ちばけられなー、できらーや」 →通訳「小用を足してきます」「ふざけないでください、自分で できますから」  「おこよ」は「小用(しょうようを転じて、こよ)」を意味 する岡山東部地方の方言ですが、他の地方にも見られるものの、 少なくとも岡山では女性言葉として使われており、男性は普通に 「しょんべん」(あるいはしょんべーん、じゃんべんなど、地域 差はある)と言います。

時・時間・未来・裏切らない

 いきなりの漫画話続(笑)  槇原敬之氏と松本零士氏が争った「漫画セリフの引用」ですが、 詳しくは関連サイトをご覧いただくとして、正直、「時・時間・ 未来・裏切らない」といったフレーズは、マンガやドラマのセリフ、 それに流行歌の歌詞でもありふれた存在です。  時を自由に操る架空の能力を描いた漫画、映画、は私が知るだけでも 「美少女戦士セーラームーン」「ジョジョの奇妙な冒険」 「ドラえもん」「ハリー・ポッター」「ドラゴンボールZ」「銀河鉄道999」 「スーパーマン」などなど、枚挙に糸巻収差がありません。  それはおそらく、「時間」というものは人間がどうしても支配できない、 誰にでも与えられる資源であると同時に限界でもあるからでしょう。 だから、時間を支配する能力は、永遠にSFでありファンタジーであり続けるのです。  写真も、人間が時間を支配できないのであれば、せめてそれに 少しでも抗ってみよう、という欲望から発達した技術であり文化であると思われます。  ということで、私は、松本氏のほうが分が悪いなーと思って眺めていました。 ただ、松本氏に限らず、原作者と映画等の二次作品の 製作者との争い、メロディーや歌詞の盗作疑惑などは無数に 発生しており、そういう世界に生きる人々の感覚は私にはわかり ません。  キダタロー氏が「アホの坂田」のイントロメロディーにメキシコ の舞踏民謡である「メキシカン・ハット・ダンス」を流用している ことは有名ですが、キダタロー氏は「盗用ではなく引用である」 と説明し、民謡であることから著作権を主張する人もおらず、 問題にはならないようです。  なお、「フニクリ・フニクラ」は列記とした作曲者がいる歌謡曲 であるのに、有名になりすぎた結果、民謡と勘違いされ、無断引用 したリヒャルト・シュトラウスが訴えられるという、おもしろいエピソードがあるそうです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/フニクリ・フニクラ

花は咲く咲く花は咲く♪

 写真のタイトルに困ったとき、いろいろな考え方はあるのですが、 私はヒット曲の歌詞と、マンガのセリフに活路を求めます。  で、たいがい討ち死にすると(爆笑)  音楽用語(××のマーチ、セレナーデ、デュエット・・・)、 俳句(ん?)や短歌、川柳、漢詩・・・あるいは古今東西の慣用句、あるいは罵詈雑言、英傑の名セリフなど、人によってヒントは いろいろです(笑)  ほいじゃ、マンガ話いきましょうね(激)  少女漫画の大家、里中真智子氏が描いた、持統天皇の一代記、 「天上の虹」は、策略をこらして政敵を消したことに自責の念を いだき苦しむ天智天皇の描写がすさまじかった、と以前に書いたの ですが、晩年に近づく持統天皇が、自らの衰えを悟られないために 念入りな化粧を施すシーンなど、女性作家ならではの執念が重畳さ れていて、これまた鬼気迫るものでした。  同じ里中氏の名作「海のオーロラ」は、古代エジプトから邪馬台国、ナチスドイツと主人公たちの転生が主軸となるストーリーで、 最終的には星間旅行が普通になった超未来を舞台にして、主人公 たちがやっと結ばれるという壮大な展開です。  通っていた耳鼻科の待ち時間に読んでいたわけですが、 いかにも「他に読むものがないからしかたなく」という顔をして、 実は楽しんで読んでいたものです、それもこれももう半世紀前。

花を捧ぐ

 大根の花と同様に、白い、素朴だけど美しい花を咲かせるようです。広島県竹原市にて。  ご当地新ジャガ買って帰って、肉じゃがにしたところ、すごく 美味しかった。肉じゃがに、ほんの少しバターを入れると香りが 際立ちます。最近は、バターも貴重品なのかな。  で、マンガ話しましょうか。  「サーキットの狼」に限らず、何度目かの読み返しでは、作者の思いを考えてみるところですが、池沢さとし氏は、 レース中の事故により死亡してしまったレーサー風戸裕氏の嘱望 されていた将来を、主人公風吹裕矢に仮託したと言われています。 (というかご本人が語っている)  その風吹裕矢のよき先輩であり後にライバルとなる、飛鳥ミノル は、同じく事故で亡くなった川合稔氏を仮託した人物であり、その妻とし て、川合稔氏の妻、小川ローザさんをモチーフした「風吹ローザ」 が登場しています。(小川ローザさんはその後、モデル業を引退 したが現在はシルバーモデルとして活動中)  風戸裕氏は、富士スピードウェイのレースで事故に巻き込まれ、 マシンから脱出することができず焼死するという痛ましい人生の 結末を迎えるのですが、池沢氏はこのことを深く悼んだと思われ、「サーキットの狼」において、主人公のライバルが事故により 焼死するシーンを二度描き、その都度、主人公風吹裕矢がショック を受けながらも、レースを続ける姿を描くことで、風戸氏にありえ たであろう将来を描いたもの、と想像しています。  なお、川合稔氏は、北米のカンナムレースに挑戦すべく開発され ていたトヨタ・7ターボのテスト中に事故死するのですが、このこ とも池沢さとし氏は悼んだようで、お蔵入りになってしまった トヨタ7ターボを、劇中のレースに変わった形で出場させ、詳細 に解説もしています。  さすがに、スーパーカー主体のレースに、グループ7のレース 専用車を出場するのは漫画であっても無理があったので、「トヨタ 7のターボエンジンを移植したモンスターセリカ」という形でした。    レースに事故はつきものとはいえ、若い命を散らした人々に は祈りをささげるほかありません。  1980年代以降は、レースの安全対策が進んで、死亡事故は減って いくのですが、ゼロにはなっておらず、つらいところです。

Camera Profile

EOS 70Dについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

2013年7月2日に発表され、8月29日に発売された。発表時のボディーの想定実勢価格は約13万円前後である。1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 70D”を発売(ニュースリリース)2プレス デジカメWatchキヤノン、新AF機構でライブビューAFが高速化した「EOS 70D」

翌2014年にはTIPAの「Best DSLR Advanced」に選ばれ、デュアルピクセルCMOS AF対応センサーも技術部門の「Best Imaging Innovation」を受賞した。カメラ本体だけでなく、撮像面でのAF方式そのものが表彰の対象となった。3プレス CanonCanon celebrates 20th straight year of Technical Image Press Association awards with wins for camera products and technology

ラインナップ上の位置付け

EOS 60Dの後継機として登場し、入門機からのステップアップや本格的な表現を求めるハイアマチュアを対象とした。60Dは併売されたため、70Dは中級機へ進むユーザーに新しい撮影機能を示す立場でもあった。キヤノンは「イチガン新世界。」を掲げ、スマートフォン、コンパクトカメラ、ミラーレスから一眼レフへの移行も狙っていた。2プレス デジカメWatchキヤノン、新AF機構でライブビューAFが高速化した「EOS 70D」4プレス ITmedia撮影の楽しみを具現化するカメラ――キヤノン「EOS 70D」詳報

上位のEOS 7Dと比べると、70Dは一回り小さく約145g軽かった。一方、光学ファインダーの視野率と倍率は7Dを下回る。7Dのすべての装備を小型化して受け継ぐ関係ではなく、70Dでは可動液晶を使う撮影の側に新しい技術が加わった。ボディーの軽さと光学ファインダーの違いは、両機を選び分ける具体的な条件だった。5レビュー ITmedia「EOS 70D」をEOS 7Dユーザ目線で評価する

先代からの進化

デュアルピクセルCMOS AFは、撮像画面の縦横約80%の範囲で位相差AFを使えるようにした。60Dから引き継いだバリアングル液晶にはタッチ操作が加わり、液晶の向きを変えて構図を取り、その画面上でピントを合わせる操作が一つにつながった。光学ファインダーを使う撮影に加え、カメラを顔から離して構える撮影も主要な使い方として整えられたのである。1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 70D”を発売(ニュースリリース)6レビュー デジカメWatch新製品レビュー:キヤノンEOS 70D

通常の一眼レフとしての性能も更新された。連写は60Dの約5.3コマ/秒から最高約7コマ/秒へ上がった。2プレス デジカメWatchキヤノン、新AF機構でライブビューAFが高速化した「EOS 70D」 有効画素数は約1800万から約2020万へ、画像処理はDIGIC 4からDIGIC 5+へ進み、常用ISO感度の上限も6400から12800へ拡大した。新たなWi-Fiではスマートフォンからの遠隔操作と画像取り込みに対応する。撮像面AFを中心に据えつつ、画質処理と撮影後の画像利用まで改めたモデルである。1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 70D”を発売(ニュースリリース)

ライバル機種との比較

同年に登場したニコンD7100は、約2410万画素のローパスフィルターレス仕様と51点AFを備えた。70DのAFは19点すべてがクロスで、D7100は51点のうち中央15点がクロスである。光学ファインダーの視野率もD7100が約100%、70Dが約98%と違う。測距点数や画素数の比較に加え、70DではライブビューのAF方式と可動液晶をどう使うかが選択の軸になる。7プレス デジカメWatchニコン、光学ローパスフィルターレスの「D7100」8公式 キヤノン【デジタル一眼レフカメラ】主な仕様(EOS 70D)

開発の背景

キヤノンの開発陣が目指したのは、撮像面でのAFでも光学ファインダー使用時と同じような高速の一発合焦を実現することだった。液晶を使う撮影や動画では、ピントが行き来する動きが待ち時間として現れる。そこで各画素を二つのフォトダイオードに分け、約4030万個の受光部から得るA像とB像のずれを使って、ピント位置を検出する構造を採った。撮影画像を作るセンサーに、合焦方向を判断する役割も持たせたのである。9インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンEOS 70Dの「デュアルピクセルCMOS AF」に迫る

新しいセンサーだけで、この方式の開発が完結したわけではない。既存のEFレンズとの互換性確保に約6カ月を費やし、手持ちの103本それぞれでピント精度を確認した。古いDCモーターのレンズでは、位相差AFで方向を検出した後にコントラストAFで補正し、実用性を確保したと説明している。新しい撮像面AFを、すでに利用者が持っているレンズへつなぐことが開発の大きな仕事だった。9インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンEOS 70Dの「デュアルピクセルCMOS AF」に迫る

動画では、静止画と同じように最短時間でピントを移すだけでは足りない。開発側は滑らかなフォーカス移動を重視し、とくにSTMレンズとの相性を高めたという。静止画では待たずに合焦すること、動画ではピントが移る途中も見せられることという異なる要求に対応した。ライブビューと動画の両方に同じAF技術を投入しながら、目標とする動きは分けて考えられていた。9インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンEOS 70Dの「デュアルピクセルCMOS AF」に迫る

2018年には、内部温度が高い状態で継続使用した場合の内部通信不良によるErr70/Err80などについて、メーカーが無償修理対応を公表した。これは動画撮影の繰り返しなどに関係する、発売後に判明した不具合への対応である。10プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 70D」のエラー頻発に無償修理対応 内部温度上昇による通信不良に起因 電源が入らなくなる場合も

利用者の評判

複数の専門媒体は、ライブビューAFの速さを共通して評価した。液晶を見ながら手持ちで撮影するときの待ち時間が減ったことは、方式の新しさにとどまらない利点として受け止められた。ただし、連続撮影中のデュアルピクセルAFによる追尾には制限があり、単写時の速さをそのまま連写中の追尾性能と考えることはできない。DPReviewのレビューでは、ライブビュー使用時の撮影可能枚数は約230枚とされている。11レビュー dpreviewCanon EOS 70D Review

価格.comの調査時点の101件では満足度4.39だった。レビューにはデュアルピクセルCMOS AFとタッチAFによる撮影のしやすさへの評価があり、高感度ノイズやマニュアル操作性への不満も挙がる。新AFと可動液晶の組み合わせが支持点である一方、それだけで画質や操作のすべてが解決した機種という評価ではない。12レビュー 価格.comCANON EOS 70D ボディ レビュー評価・評判

評判の出典

9件

内容の確認日: 2026年10月1日

EOS 70Dで撮った写真の話題

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