SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

.

.

速足の 後ろ姿に 師匠なり。 http://photoxp.jp/pictures/146748 このzzrさんの写真で気づいたことがありました。 シグマの超高画素写真は、むしろ最初はピクセル等倍で見るべきで、 鑑賞者はピントの合った見るべき部分をまず確りと把握してから、 (この写真の場合は師匠の姿)、それから余裕があれば、その部分から 広げて行き全体をみれば良いのだということ。 最初からシグマの超高画素画像を全体で把握しようとすれば、それは 混乱のもとになるということ。 要は高画素カメラの鑑賞の仕方であるということです。 他の高画素カメラと違い、シグマのピクセル等倍鑑賞は完全に可能で あります。ニコンなどよっぽど良いレンズを着けなければ等倍鑑賞は できませんから。 我々が実際の光景を眼にしている時、視界全体を把握して、それから 部分に行くわけではありませんね。最初に眼前の注目点があって、 それを見てから徐々に周辺へと眼が移動するわけでしょう。 それを同じことをシグマの写真鑑賞でしなければならないということです。 ですから、シグマのカメラは性能として望遠レンズなのであり、そして 同時に、画角は広角レンズでもあるのです。 望遠と広角を一台のカメラで兼ねている。それは人間の眼の働きと まったく同じであるということ。(老眼になるとやや怪しいが) そういう全く新しい視点から、フォビオンのエンジニアはこのカメラを作った のではないかと思えてきます。 考えてみれば超高画素カメラはトリミングなどは自由自在ですしね。 シグマに限らずニコンでもそうですが、超高画素カメラの鑑賞法は、 従来のやり方とは変えなければならない様に思えてきました。 そういうのは、ステッチング写真やパノラマ写真でも、まず部分から 見て次第に他の部分へと視点が移動し、やがて全体に至るという方法 でしたから、超高画素カメラとは、多重撮影カメラを簡単にワンショットで 撮れるようにしたカメラであるということになります。 ステッチング撮影の場合、文字通り、撮影は部分から始まります。 その部分撮影を繋ぎあわせて、1枚の大きな全体写真になるわけです。 そういう撮影の経過がありますから、しかも光学デジイチで撮れば 撮影時の個々のファインダーの記憶も残っているしで、撮影時の 印象と鑑賞時の感想が一致しているんです。 しかし超高画素カメラのワンショット撮影では、撮影時の詳細な記憶 というものがまるっきり乏しいのです。 撮影は文字通りワンショット。速いですね。 まだ光学デジイチならばファインダーが優れているので、まだましなの ですが、コンデジのDPメリルとなるとファインダーがないので、撮影時の 記憶そのものが無きに等しいということになります。 例えばこの写真の撮影の場合、私は若い女性達の笑顔を姿に注目 してレリーズを押したに過ぎません。多少は背後の光景にも構図的に 注意は払っても僅かなことです。 しかし出てきた画像は若い女性達だけでなく周辺の草木も遠景の 山頂も画像内に鮮明に捕らえられています。 つまり撮影時には意図していないものも、超高画素カメラでは写って しまうということです。 そこに大きな齟齬感があって、撮影時の記憶と鑑賞時の再確認に 乖離が出てくるのじゃないかなって感じています。 これは純粋に人間の心理的問題なので、超高画素カメラが技術的に どうのこうのという問題ではないようです。 この、撮影時の記憶と、鑑賞時との齟齬感とか乖離現象というのは、 シグマの超高画素カメラだけに起きる問題ではないことが分かります。 それはファインダーの問題に繋がるからです。 ニコンD800やシグマSD1Mは立派な光学ファインダーを搭載しています。 ですから、比較的この乖離現象が起きにくいのです。 ところがミラーレスやコンデジでは、出てくる画像が凄ければ凄いほど、 自分が撮った写真なのに、自分が撮った気がしなくて違和感があり、 戸惑ってしまうのです。(デジイチでもノーファインダー撮影だとこの 現象がおきます) それはファインダーとしての性能が落ちるから、そういう戸惑いの現象が 出てくるのだと言えます。 私は今、古いDPを使っていますが、だいたいこれくらいの解像度の カメラくらいが、ファインダーのないカメラの(だから撮影時の記憶は ファインダーを通してではなく、フレームのない裸眼での、あいまいな 記憶となる)、限界なのではないだろうかと言うことです。 ファインダーの凄さとその基本的な役割。 そして撮影時の記憶と、鑑賞時の再確認の心理的問題。 さらに裸眼で現実光景をみるということ、それを写真として鑑賞する 場合の決定的相違など。 非常に多くの問題を提示しているのが、この超高画素カメラ、とりわけ コンパクトなファインダーレスのカメラのDPメリルやクワトロだろうと 思います。 ファインダーレスであり、超高画素であり、レンズもよくてリアルに写り すぎるということで、一気に盛りだくさんの問題提起をユーザーにして いるのだと言えます。 ごちゃごちゃと要点を得ずに書いたのですが・・・ 手っ取り早く言うと、DPメリルやクワトロの写真は、ピントの合ったところ のピクセル等倍画像を見ることから始めるべきで、全体像は後回しに すべきであるということでしょうか。 いや、もっと言えば、ピントの合った注目点だけ見て、後は見なくても いいんです。全部見るなっていうことです。 一般に、識者はピクセル等倍鑑賞はすべきではない、という意見が多い ですね。私も従来のカメラや写真手法としては、そう思います。 しかしDPメリルとなると、そういうやり方では通用しないようになっている と思うのです。 写真を作品して全体鑑賞をする時代から、まるで裸眼で現実光景を 見るように、写真を部分(注目点)から全体へという、そういうやり方に しなければ心理的に齟齬感が出てくるような、そういう時代になりつつ あるということです。 グーグル・マップのパノラマ写真は、従来の作品としての写真では ありません。 それと同じようにDPメリルの写真は、既に作品として鑑賞する写真では なくなりつつあるのかも知れませんね。 写真を額縁に入れるかのようにして芸術的に鑑賞をするという、そういう 従来の写真観念からはみ出した写真が、その典型が360度パノラマ 写真なのですが、これからの写真の定義は、さらに大きく広がっていく 予兆をみせていますね。 シグマのカメラは、その最先端にいるのじゃないかと思います。

                .

                .

山道(さんどう)・・・ Sさん、シグマDPXMやdp2Qに私が違和感を感じだした原因として 挙げられるれるのは、まず、メリルやクワトロのセンサーがシャープで 超コントラストのセンサーであること。 2つ目には、その搭載のレンズが、これもまたシャープでコントラスト が強すぎるということだということでしょう。 つまり2重に、キツすぎる要素が重なっているのです。 (ですからSD1Mの場合は、そうキツくないレンズの選択が可能であり 違和感を感じないで済みます) 簡単にいえばそういうことなのですが、それが人の心理や身体に 無視できない影響力を及ぼすのではないかという、私なりの危惧感 に対しての試案でもあることです。 だからあくまでも仮説です。 画素数も多少は関係があるかもしれないけれど、それはモニター を強く凝視しての話で、まず画面から最初に飛び込んでくるのは、 強いコントラストと相俟ったシャープなエッジです。 もしも、シグマdpシリーズのもたらす絵が、ユーザーに対して心理的 身体的な疎外感を与えるとするならば、ユーザーは無意識にシグマ を避けるようになる可能性があるのだということです。 柔らかいレンズに対しては硬いセンサーを。硬いレンズには柔らかい センサーを宛てがうというのが、物事を心得たバランサーのすること なのですが、シグマDP/dpは、そうはなっていない。 硬いレンズ+硬いセンサー。ならばその画像を見るモニターこそは 柔らかいものにすべきでしょう。そういうのもひとつの手だといえます が小手先の技という感じです。 メリルやクワトロの画質に、硬くきつすぎるという指摘を最初にされた のは笑休さんです。そして、この私も時間差をおいて同様な指摘を しているに過ぎないのです。 たぶん、このままのコントラストの硬すぎる路線をシグマが走り続ける ならば、多くのユーザーはシグマにそっぽを向けてしまうだろうという ことです。 この初期型DPは、シグマがまだ大らかで柔らかい雰囲気の画質を 出していた時代のDPです。 そういう時代のカメラに、シグマはもう一度戻れないのだろうかと、強く 願望しています。 シグマのカメラをして、使い勝手がよくないとか、ノイズがでるとか、また テザインが嫌いだという、そういう半ば、どうでもいい話ではありません。 この基本画質のことは、シグマのカメラの根幹を揺るがしかねない 問題を内包しているのだろうということなのです。 今のシグマの画質は、好き嫌いという好みの限界を超えていて、危険 領域にまで踏み込んでいると感じています。 シグマのカメラに批判的なことを書きましたが、いつかはこのカメラを 十分使いこなせるノウハウを獲得したいと思っています。

無題

無題

山ではなく、谷の写真です。 シグマDP1無印での撮影。 石鎚山、山頂より撮影。 山があるから谷があるのではなく、まず谷が形成されるから結果として 山ができるのに過ぎない。 造山活動によって隆起した始原の山は巨大な丘であり台地であった。 その台地が永年の水の侵食活動によって谷が形成され、たまたま硬い 岩石の部分が、結果として山となって残っている。 その極端な例は讃岐平野のお椀型の山や台形状の山なのだが、この 石鎚山系にしてもその成り立ちにさほどの違いはない。 それにしても、この谷の部分に存在した膨大な岩石や土砂の行方は? もちろんそれは古瀬戸内を埋め立て、現在の瀬戸内海の水深がたった 20メートルしかない平坦な盆地にしてしまったのがその証拠である。 (ちなみに古吉野川は、讃岐平野を流れ備讃瀬戸に河口を持っていた) もっと凄いのは、日本の屋根である中部山岳の、その失われた土砂は 天文学的な量であるはずだが、それは、東海地方の河川から太平洋に 流され、さらに静かに海底を伝わり流れ、今の南海トラフとなって、 海底盆地を形成してしまったのである。 南海トラフが、日本海溝や小笠原海溝のようにさほど深くないのは、 (だから海溝ではなくトラフと言う)、もともと中部地方の始原の山から 絶えず供給された土砂で埋め立てられたからなのだ。

無題

無題

こっちのほうが藤原新也風かもしれません。(^^; モードはビビットにしていますし、コントラストも高めて、色々といじって います。 水面の反射があり、それでか上手く色が出ず、それで自分のイメージ に合わせてコントラストや彩度、露出を強調しています。 笑休さんの言われたこと、メリルやクワトロの画像に心動かなくなった というのは、非常に私もよく実感として分かります。 と言うのか、もしかすれば、ジグマのメリル・クワトロの持つ超高画素 画像というのは、大変な問題を抱え込んでいるのかも知れないと思う ようになりました。 こちら、最近はずっとシグマのカメラをメインで撮影しています。 最初はSD1Mですね。このカメラのレンズは私はそんなに良いレンズを 持っていません。 笑休さんが使ったような、18-35とか50-150とかいう解像力の高いレンズ は使っていません。それからSD1Mは撮影枚数が少ないですね。 ・・・ここらあたりは、さほど問題は発生しなかったように思います。 そしてDP1Mに行きました。最初はSD1Mのサブカメラということでして、 撮影枚数が多くなりました。DP2MやDP3Mも調子に乗って導入です。 そして、dp2Qに行ったわけです。 撮影枚数は飛躍的に増加したと思います。それからRAWソフトもバージョン5 から6になりました。まあ、ソフトはあまり関係ないようです。 結論として言えば、DPXMあたりからですね。ちょっと問題が発生したの ではないかと自分でも思うのは。 DPXMは、そもそも高画素センサーであり、加えてレンズが非常に良いので、 解像力がとんでもないことになったんですね。レンズも超コントラストタイプ のレンズです。それはもう、モニターを見れば一目瞭然です。 素子だけ高画素になっても、装着するレンズがボンヤリでは超高画素 画像にはなりません。私のSD1MやD800がそうです。 だからSD1Mの時はあまり気づかなかったのですが、DPメリルやクワトロ になってから、そのきわどいまでの解像感とコントラストに当てられっぱし というか、最近はもう疲労感が出てきているように自分でも思います。 正直言って、これはヤバイって感じです。 とりあえず、カメラの設定を大人しくしました。モードはニュートラル設定、 さらにコントラスト-1.0、シャープネスも-1.0と。 彩度はそのまま。これ、落とすと白黒になっちゃう。 既に撮った画像も、SPPで-1.0と落としてやれば、かなり眼に優しいですね。 それでも膨大な画素数を抱えていることには変わりないですから、ピクセル 等倍では見ないことです。 しかし、それでもレンズが良すぎるっていうことだけは、どうしようもない。 そんな感じで、私もしばらくは古いDPシリーズで写真を撮っていこうかと 考えています。 やはり絶対的に画素数が少ないということは、鑑賞する場合、眼や脳には 絶対的に優しいわけでね。 それからパソコンの処理速度も速くてスムーズだからというのもあります。 メリルやクワトロの画像を見てからDPに行くと、何だかホッとするんです。 やっばり、根本原因は、超高画素の画像というのは、人間の眼や脳への 刺激というか負担が大きいんだということに尽きるかもしれません。 DPの画像を、コントラストやシャープネスを強めてみてもそんなに嫌な気は しませんから。 なんか、変な感じになってきましたけど、高画素+優れたレンズというのは シグマが必死になってやっていることなんですね。 その努力に水を差すようなことを言っているわけなんですが、若い人には ともかく、こちとらの老体の身には堪えるわいっていうことでしょうか。(^^;

無題

無題

レンズ交換式カメラは、ゴミが付いても自分で簡単に取れる。 そういう点では心配が少ないです。 DPがもし壊れたら、たぶん自分で分解して遊んでみると思う。(^^; 話は変わるけど、あるサイトで、ソニーのデジイチ(ミラーレスもそう) のボディ側のマウントの部分が、一見金属に見えて、実はプラスチック だということを書いていました。 さっそく手持ちのカメラを見ると、ほんとにマウント内側の爪の部分が プラスチックなんです。 こりゃあないでしょ。ということで古いミノルタアルファのジャンクボディ から、オール金属製のマウントを外して、新しいデジイチのマウントと 交換しました。 なかなか古いアルファのネジが外れなくて、1本はドリルで切り取り ましたが、まあ問題なく新しいデジタルのアルファに移行できました。 マウントの口径が、コンマ2ミリくらい違うんだけどOK、オーケーです。 レンズを着けても、カシッとする感じになりましたが、でもデジタルの アルファって、マウントのボディ側の取り付け部分が、やはりプラなので 剛性感は無きに等しいですね。まあ、最近のカメラってその程度です。 しかしプラスチックって、私はそう嫌いではないんです。 まず錆びが来ないし、それから冬場でも冷たくないですからね。 だから外装はプラが好みなんだけど、内部のフレームは金属にして 欲しいなあ。(^^; 

無題

無題

四国の道には階層があって、例えばこちら香川から石鎚山脈に出かける としましょうか。 最初は高速道路を走ります。これは道路というよりも、空中の道のような ものです。高速車の走る慣性の都合によって、橋はあるしトンネルはあると いう、ドコデモ感で作られたようなものです。 次に国道に降りて、これも高速で走れます。新寒風山トンネル(5.5キロ)を 時速100キロで走る後続車に追いぬかれたことがあります。 国道は高速道と違って、大体は川や谷の地形に沿って走っています。 そして、これから林道なり村道を走るわけですが、くねくねと曲がりくねって ほぼ川沿い・谷沿いにピタリと寄り沿い、且つ延々と走りまくります。 小さな車だとここらが得意です。大きな車は疲労感が激しいです。また 夜間に走ると色んな動物に出会う事ができ、ヘッドランプに照らされた 山の小動物の世界を垣間見ることができます。 やっと下車して、これからは山道の歩きです。 ほぼ尾根沿いで、この山道はたぶん縄文時代からあるんじゃないかな? っていう気分にさせられます。 そうです、確かに高速や新国道は新しくて、つい10年前にくらいに出来た わけでしょうから。村道町道クラスだと、明治・江戸さらには室町時代にも あったかもしれない。 しかし一番古いのは尾根伝いに走る、人がやっと通れる山道だろうと思って います。 谷底を走る道は、人が稲作を始めたころに出来た比較的新しい道では なかろうかと思っています。 川沿いの道は暗くて、そして日が暮れるのも早い。 しかし尾根づいたの縄文の山道は景色も良く、日はなかなか暮れない。 四国の山には、山の中腹あたりに集落がある光景が多いのだけど、それは 稲作以前の焼き畑耕作の名残が今に伝わっているのだろうと考えています。 もちろん今でもそういうところでは水田はありません。畑作のみ。 その時の集落をつなぐ道は、きっと縄文時代から続く尾根伝いの道だった ろうということです。

無題

無題

吉野川の源流地と言われるところです。 ちょうど、ガスがかかっているところに、源流を示す石碑がありました。 四国石鎚山に近いところです。 この林道というか、観光用の町道なんですけど、標高は高いと思う んですね。でもバスは走るしバイクも自転車も、その自転車に引か れた元気な柴犬も走っているわで、四国の屋根なのに人間でいっぱい なんですよ。(^^; 今はどこでも山ブームというか、なんというか。 今回の木曽御嶽山の惨事も、いったいどれほどの人達が登っていた んだろうかと、びっくりしています。確か3000メートルの山なんですよね。 (四国には2000メートルに届くくらいの山しかないので想像外、しかも 火山はありません) 少し気が付いたこと。 山に登る一般の登山客は、ただひたすらに歩いて登るだけで、その 自分の達成感というのが目的のようです。それで登山道の周囲に 何があるのか、全然気にならないようですね。 ただ皆、競争のようにして、はたまた苦行僧のようにして、黙々と 歩くだけ。周囲を見渡す余裕ができるのは、山頂に立った一瞬だけ なんだろうと思う。 そのセチがなさ、しみったれたエコノミックアニマルぶり(死言葉)に、 驚いてしまった。そりゃあ、帰りの時刻のこともあるしで、脇目もふらずに 歩き通すのも分からないではないけど。 でも、そんなに山頂立つのが、意味のあることなのだろうか。山頂が そんなに偉いのか? 自慢ではないが、私の場合、この夏、もう数度も石鎚に行っているが、 未だに山頂には登れていないのです。(笑)

カメラテスト

カメラテスト

私の見るところでは、dp1Mはdp2Mに比べて、こと解像力に関しては 明らかに劣ります。しかしdp1Mは発色が素晴らしいのです。しっとりと 艷やかで、(一般的に発色の劣る)メリルの割には、鮮やかな色を 出してくれます。dp1Mは私のお気に入りです。 dp2Mは、解像力は優れていますが、ただ発色が冴えないと思います。 (私が使っている個体がハズレなのかもしれないけど) この写真も木々に影響された緑被りが取れずで困りました。色乗りが 薄いというか余裕が乏しいというか。(それでモノクロに) ついでに言うとdp3Mは発色も解像度も優れています。しかし望遠なの で出番が少ないですね。 dp2Mとdp2Qのレンズは同じだといいます。しかし出てくる絵は全く違う わけで、センサーの相違や素性は如何に大きいか、よく分かります。 よく、カメラはレンズだ、センサーなんて関係ないという人がおられますが、 あれは間違いですね。 dp1Qはdp1Mとは、ややレンズを変えたと言われています。 それはおそらくdp1Mのレンズでは、クワトロにした場合、目に見えて 解像力が落ちると判断したからでしょう。 それでdp1Mより、解像力やコントラストを高めた感じでクワトロと組み合わ せるのだろうと考えています。その分レンズとしての発色は落ちますが、 その点は発色の優れたクワトロですから問題ありません。 dp1Mやdp1Qは広角ですから、遠景を撮る頻度がdp2Qより高いはずです。 遠景を撮ってベターとなってる、と言われてはメーカーも困りますから。 風景の遠景撮影では空気中の水蒸気の働きで、コントラストが落ちますし、 解像度も阻害されます。 つまりデータ量が少なくなるんです。瓶ヶ森写真の2点でも、標準現像を していますが、通常の写真の半分くらいのデータ量しかありません。 正直言って、今の画素数のクワトロでは、遠景風景の写真は辛いという 感じです。もっと画素数を上げて欲しいという気がしています。それには フォーマットサイズを大きくしないと難しいので、これはシグマとしても 頭の痛いところですね。 ただし、何度も言っていますが、コントラストの高くて空気の悪影響を受け ない近接撮影では、クワトロは素晴らしい描写をします。とくにその発色 ですね。 ※遠景の青み掛かりの除去は難しいですね。(^^; そもそも遠景は青み かかるのが自然であって、あえて除去するのも不自然感かなって思って いますし。しかし高級なUVフィルターを使うと大分違うんでしょうね。 私も一部、古いタイプのUVフイルターやスカイライトフィルターも使って いますが、その違いを深く考えたこともありませんでした。これからもっと 意識してやらないといけませんね。