SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

雑文

雑文

タムロン 24-48mm/F3.5-3.8 http://ja8pmn.fc2web.com/camera/sinri/Tamron_13A/Tamron_13A_1.htm このレンズ、私はたしか2本持っていると思います。 ところで先日、フイルムカメラやレンズのコレクターの方の写真を見せてもらったんですが(スマホで)、 防湿庫の中に入っているカメラは高級機ばかり、レンズも純正レンズだけでしたね。 コレクターという人種の持ち物とはそんなものです。 しかし私の場合は、廉価カメラもありますし、レンズのメインはシグマとかタムロンなどのサードパーティ のものです。高級機や純正レンズもありますがジャンク品も持っているというところが、本格的なコレク ターとは違うところです。ですから私の場合はコレクターとは言えないのでしょう。 SF的に奇妙なレンズウイルスが流行ったとします。ブランドウイルスと名づけられ、キヤノンや二コン、 ライカやツァイスなど、世の中の純正レンズは皆、そのウイルスにやられてしまい、曇って使えなくなり ました。なぜか不思議にサードパーティ製の古いレンズだけは罹患しなかったのです。(^^ゞ  そうなるとタムロンやシグマのオールドレンズの取り合いです。レンズがなければ写真は撮れません。 ジャンクレンズとして数百円から売られているサードパーティ製オールドレンズは価格が高騰し引っ張り だことなるのは間違いないでしょう。(笑) 投稿写真にイグジフ情報を載せないで投稿するという人がいます。一部ではなく全ての投稿でそうで すから、これは敢えて意識して、そうなされているものと思われます。撮影されている被写体は何でもない ものばかりで特別に被写体として価値のあるものではありません。 これで改めて感じたのは、投稿写真にデータがないと、その投稿画像には何の興味も沸かなくなると いう現実でした。これはどういうことかというと、結局は写真というのは、カメラやレンズが撮っているので あって、その機材を保持していた人物はその機材を支えていただけなのか、ということなのかもしれま せん。考えてみれば私などはその典型でしょうね。 もちろん優れた被写体や価値あるものを撮影されている場合は、機材情報などなくても問題がないの ですよ。これは完全に写真として勝負できるからです。しかしそうではなくて、何でもない日々の感性的、 自己記録的な写真の場合には、やはりイグジフ情報のお世話にならないと、我々の写真は成り立たな いだろうという現実でした。 私も含めて多くの人の写真は、自分が撮っているというよりも、むしろカメラとかレンズが撮っていると いうことなんではないですかね。(^^ゞ  実際のところ、私の感覚としても、今日はどのカメラでレンズで撮っていこうかという選択は重要です。 最初にそこから始るという気がしてますね。とにかくイグジフ情報がない写真のことで多いに考えさせら れました。 機材情報というのは、実は大昔から写真に添付されていて、今はなきアサヒカメラや日本カメラの搭載 写真には撮影データが付いていました。大体、雑誌の名前自体が○○カメラであって、○○写真では なかったですからね。(新聞のコンテスト写真には機材データはないですがね) 多くの人が意識するのかしないのかに関わらず、写真とはカメラであり、レンズであるという認識をして いるのではないですかね。 写真に機材情報を入れるというのは、あくまでも写真愛好家同士の場合です。ですから新聞や雑誌と いう一般の方が見る写真には機材情報はいりません。一般の写真を知らない人にとっては意味不明 のイグジフ情報ですが、写真愛好家どうしでは機材情報はなければならないという気がします。 さらに写真はアートだ、というのはあくまでも写真を知らない素人さんには通用するかも知れませんが、 写真を知っているものには無意味な写真画像になってしまいます。 長く写真をやっていくと、本当に写真なんて機材のお陰でやれているというのがよく分かります。 カメラやレンズメーカーのお陰で写真をやれている。今風に言えば、お陰で写真をさせて頂いています。 ということですか。(^^ゞ  今回、改めて写真というものに、機材というものが如何に大事だったか。ということが良く再認識できる ようになりました。そういうことではイグジフ情報なしさんに感謝ですね。 と、ここまでは前書きです。(^^ゞ  リアルな現像をされるシッポ座さんのタムロン写真。これを見て、ヌケが悪いレンズだねっていうのが よく分かります。高級オリンパスレンズとは大違い。しかし古いサードパーティ製レンズというのはこんな ものでして、そのヌケが悪い画像を無理やりコントラストをつけて明度を調節してHDR風に何とか誤魔 かすんですが、それをしなければ、こういうリアルな写真画像となります。(^^ゞ  良いレンズ、良いカメラを使っていると、大体はカメラやレンズが自動的に調整してくれているので ユーザーはあまりなにもしなくてよいんですね。それでレンズが、カメラが悪いとなると、今度はソフトの 出番です。優れた RAWソフトはそれらを挽回する能力があります。もっともそれは誤魔化しの技術とも いえるわけですが、それを言えばカメラ内のチップに植えつけられた画像エンジンですらそうです。 よくカメラの何々モードを有り難がる人がいますが、ああいうのは優れたRAWソフトがあれば手動でも できるものです。ソフトウエアで自分で調節できない人が○○モードを有りがたかっているだけなんで すね。 デジタルカメラが基本的に記録できるデータはあくまでひとつであってそのひとつを画像調節して、いろ いろとあるようにしているだけなんです。そして基本として調整すればするほど画質は劣化します。 そして素人さんはその劣化に気が付きません。ギタギタになった画像を綺麗だと勘違いをしている人が 多いです。 高級なカメラやレンズはアナログ技術がすごくて、そのコストが掛かる技術でもって、可能な限り画質を 劣化させないようにしています。カメラの廉価機中級機と高級機の画質の違いはそのコストを掛けた アナログ技術に拠っています。 レンズなどはまさしくそうです。私も高級機と言われるレンズを一度試してみましたがどんなカメラに着け ても見事に写ります。現像時にもほぼ何もしなくてもOKですし。 逆の考え方をしますと、高級カメラやレンズばかり使っているとそれが当たり前になってしまい、写真と いうものの現実が見えなくなってくるように思いますね。 写真はカメラ(フイルム)、レンズ、RAWソフトの3つの組み合わせで出来ていて、そのどれが欠けても 苦労するというか、もしくは逆に考えれば挽回できるというか、とにかくそういうものだろうと考えています。 しかし完璧に仕上げるだけが良いのかと言えば、そうとも言えないのが写真です。 完璧すぎると現実のリアル感を返って喪失してしまう場合があるんですね。 よく言われますが、美何美女といわれる人の顔のパーツの大きさや配置は、全ての人の平均値である ということです。そこに個性は喪失されていてそれが美何美女だというのですね。そういう美男美女が 面白いかと言えば現実的にはそうではないですね。 それで写真も一点どこか崩れている(特出している)のが面白いのじゃないかなって思うんです。完璧に 仕上げた写真は確かに優れているでしょうけど、どこかリアル感が不足しているという気がしています。 今回のタムロンのお写真。高級PC+高輝度モニターで見ると大変なリアル感(猛暑の)があります。 しかしそうではない普通のPCモニターで見ると暗部が潰れていて現像に失敗していると感じるわけです。 リアル感というのは、そういうことでは一筋縄ではいきませんね。 写真画像の入り口(レンズ)と出口(モニター)は同価値を持つと以前から私は考えています。その真ん中 にカメラ(フイルム)とRAW現像ソフトがあるんでしょうが、とにかくレンズとモニターというのは決定的な 役割を果たしているように思いますね。 レンズの不足をモニターでカバーできるということなんですが、じゃあ、レンズが良くて普通に見られると いうことになれば、今度はきっとリアル感が不足してしまうんではないかと思うんですね。 結局のところ、機材の良し悪しというのは一体何だろうって考えてしまうところがあります。 私がサードパーティ製の廉価レンズを手放せないというのは、そういうところにあるのだろうと以前から 考えています。ようするに廉価レンズとか古いレンズというは面白いんです。 高級と言われるブランドレンズを揃えているのはコレクターです。でもコレクターは写真を実際に撮って 楽しんでいるかといえばそうとは思えません。防湿庫に入れて楽しんでいるだけかもしれないですし。 レンズは色々とあって様々なのでして、それらを使って行くというのは本当に面白いと私は常々思って います。写真の面白さが良くわかるんですね。それで高級レンズを買えばその反対に廉価レンズも手に しなければならないと考えています。 高級レンズ=高価=単焦点=とにかく重い 廉価レンズ=安い=ズームレンズ=軽い こういう相場でしょうが、その中間に 中級レンズ=価格はまあまあ=重さは普通=使いやすくて実用的 というわけで使いやすいのは中級レンズです。これは間違いなくそうでして、画質に凝らずにスピーディ に多量に撮影をする場合は中級レンズのズームという具合になります。 一番使いやすくてそこそこ満足できる実用的な中級レンズに落ち着くというわけですけど、それでは 写真の面白さが分からなくて、それで高級レンズや廉価レンズにも手を出すというのが写真マニアの 常套だろうと思います。と言いますか、普通は高級レンズだけに行って廉価レンズを無視しますね。 しかしそれは間違いでして、高級レンズと廉価レンズ・オールドレンズはセットだと考えるべきです。 コレクターになりたければ高級レンズだけでいいんですが、写真を続けたければ廉価レンズは必須 だと私は考えています。 高級レンズ、そのどこが優れているのか、ユーザーには分かりません。ただ圧倒されるだけでしてね。 それでは面白くない、レンズのことが分かるには廉価レンズを知ることで得られるものがあるからです。 そんなわけで私は廉価なレンズや古い安物のレンズをお勧めします。(^^ゞ  猛暑ということもあり、写真撮影はお休みをしています。撮影をしなければ歩き運動もできないのですが 代わりに水泳をしています。野外で歩くよりなんぼか涼しいですわ。(笑) 

無題

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モノクロ写真とカラー写真の違いは、画像がモノクロかカラーかではなくて、モノクロで撮るかカラー で撮るかの相違です。昔でいえばモノクロフイルムをカメラに詰めればそれはモノクロ写真だとい うことです。 いっぽう、カラー写真が既にあってそれをモノクロ化するというのは、本質的にはモノクロ写真では ないと私は考えます。単に表現としてモノクロにしただけのカラー写真ですね。擬似モノクロです。 この違いを理解できる人は現在ではいません。なぜならば当人にとって写真はカラー写真であって 最初からカラー写真しか知らないからです。 よく似た例でシグマのフォビオン写真があります。カラー写真のひとつですが撮像素子が普通の カラーカメラとは違います。このフォビオンも、そのフォビオンが理解できるようになるには、他の カメラをシャットアウトしてフォビオンばかり使う必要がありますね。それを1年くらいは最低限続ける 必要があると考えています。それでやっと理解の入り口にたどり着くくらいです。 そういうわけですからモノクロ写真も、カラー撮影を止めてモノクロだけにして撮影を続ける必要が あると考えています。もちろんそれは普通のカラーカメラで可能であって、要はそれを続けること ができるのかどうかにかかっています。それを最低限つづけることで、はじめてモノクローム写真 とは何かが理解できるのだろうということですね。 リアルなモノクローム写真、フェイクなモノクロ写真、その2つを見分けるには努力と継続が必要な んだということかもしれません。 この今の現在、人工知能でもって本物と偽者が曖昧になるような時代に突入しています。 それはある意味で大きな時代の危機であるだろうといえます。生成AIはそれを使いこなせる人に とっては朗報ですが、そういう人はごく一部であって、大衆といえる殆どの人は人工知能によって 自らを失うだろうと私は予測しています。識者の間でもそのような危惧が多く聞かれますね。 私自身、この1年は様々な試行錯誤が続いたという気がしています。まずレンズでは単焦点レンズ やオールドレンズへの関心、そしてさらにミラーレスカメラと光学一眼レフへの関心へと移行。 そして偶然にもモノクロカメラが出たということで今は黒白写真に入っていますが、この目まぐるし い試行錯誤は、占星術でいえば木星が牡羊座を通過した為に起こった現象のようです。 ズームレンズと単焦点レンズ、ミラーレスと一眼レフの違いはさほどのことはなくて、これまでも そういう試行錯誤は定期的にやっていたことですが、今回のモノクローム写真は違います。私が デジタル写真に入ってから始めての写真に対する根源的な問いかけとなるようです。 黒白写真は簡単に言いますと、モノクロの眼と頭をもって写真を撮るということに尽きます。 膨大で魅力的なカラー情報を自らシャットアウトすることです。 そんなこと、普通の人間は絶対にしません。百万円くれるというのを、いえ私は10万円でいいです。 というのと同じであって、飽食と清貧の違いというくらいのものがあります。自ら、本来得られるで あろう利益や欲得を捨てるということですからね。 K3M3Mはこれはモノクロ専用機ですから当然なのですが、普通のカラーカメラすらもモノクロで やっていこうというのは、そこに清貧の思想というものがなければできませんし、そもそも黒白と カラーの両方を同時に行うというのは如何にも中途半端であって、それでは多分何も得られないと いう気がしています。

無題

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モノクロ写真といいますと、やはりシグマ・フォビオンを持ち出さなければならなくなります。 シグマSD-1メリルはセンサー数は1500万画素でして、カラー化すればその3倍の4500万画素となり ます。それでモノクロモードにすると1500万画素出力のままです。 原理的に言えば、カラーフィルターもなし、ピクセル補完処理もしないとなると、それはモノクロ専用機 と原理的には同一です。 今回の撮影はRAW-BWで撮影しています。RAWなのでその気になればカラー転換はできますが、 それは見ずにモノクロのままで選別し現像しています。専用ソフトで現像なので、カラー画像は見ない ですむのがメリットです。 1500万画素なのでペンタK3M3Mの2500万画素に比べれば低画素タイプのカメラとなります。しかし 1500万もあれば十分というわけで、APSカメラとしてはこれくらいの画素数がベストかもしれません。 カメラは古いシグマなので最新のK3M3Mのようにスムーズに撮影はできませんが、十分にしてモノク ローム撮影を楽しむことができます。 モノクローム専用機の持ち味は、その高画素の超解像力とシャープな画質にあります。 そもそもモノクロが高解像度だというのは昔のフイルムからそうです。 それはカラーカメラが逆立ちしてもできない芸当なので、それで思うにソニー製のフルサイズセンサー 6000千万画素を是非にモノクロカメラ化して欲しいものですね。おそらくライカM11モノクロームが そのセンサーを使っているのでは?と思われるのですが高価格過ぎです。やはり日本のカメラメーカー がやるべきことだと考えます。 カラーでみるフォビオンの画像と違って、モノクロ画像は眼にはものすごく優しく楽です。これは決定的 なことなので、どうしても言っておきたいことですね。カラー画像はモノクロの3倍は疲れます。(笑) これまで何故にカラー画像に拘ってきたのか、今となっては不思議としか言いようがないわけですが、 私も写真のことがよく分かっていなかったというでしょう。 デジタル時代全盛の今、フイルム写真にこだわっておられる方がいます。それはとても 大切なことだと 私も考えています。地方ではもうフイルム写真をするのは不可能という現実があり、それで私としては デジタルだけどモノクロでやっていくというのも良いのかな?って考えるところがあります。 よく手間暇をかけるのが趣味の骨頂であるといわれますが、デジタルモノクロームは実に簡単で手間 要らずですね。面倒くさがり屋の私には向いていそうです。 今回モノクロ写真をするに、最初に思ったのは、これまで懸念していた超高画素高解像度のカメラも 黒白写真となれば無害になるという現実でした。カラー写真の実質解像度はモノクロ専用機の1/3~ 1/4でしかなかったという事実、これを眼の当たりにしたということです。要は、カラー情報を捨てれば 写真というのはこんなに楽になるのだということでした。

雑感

雑感

キヤノン板に笠岡湾干拓地の写真が上げられています。 https://photoxp.jp/pictures/219471 https://photoxp.jp/pictures/219479 「備中ひと・風・景~高梁川流域百選(85)笠岡湾干拓地(笠岡市)」 https://www.youtube.com/watch?v=qh8m7f9Bqus 動画「笠岡湾干拓地」 https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/furusato/9234.html 「笠岡湾干拓事業」 http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090621142237650 笠岡湾干拓地は、国の干拓事業としては最後のものになるかも知れませんね。歴史的に干拓と しては何と言っても児島湾干拓地が有名ですし、八郎潟や諫早湾なども大スケールです。なお こちら香川や愛媛でも小規模の干拓地があります。 千ヘクタールの農地と言っても海外では普通だったりしますね。しかもそれは個人営業主の農地 だったりするわけで。日本で最大規模の農業経営は200ヘクタールでしたか。琵琶湖沿岸の滋賀 県だったと思います。大体は数十ヘクタールでして、日本の単位田畑の狭さだとそこら当たりが 限界となります。大陸ではない日本では、海や湖を干拓して農地を広げるという手法しか機械化した 大規模農法はできません。 食物(穀物)とエネルギー(石油やガス)さえあれば人間は生きていけるし、国はやっていけます。 もちろんカメラや野鳥がなくても何も問題はありませんね。(笑) ところで、ロシアがウクライナに熱心ですが、プーチンが言うところのNATOがどうのこうのというのは あくまで建前です。ロシアやプーチンの本心はウクライナの肥沃な農地が欲しいだけだと思ってい ます。ロシアはエネルギーは豊富なのですが、でも食い物がね。 それを言うと日本には食料もエネルギーも無いんであって、金さえあれば調達できると思っている ようですが、それは平和な時代だけにしか通用しません。歴史的事実として、日本が大陸満州を 獲得したいと思ったのはそこに肥沃で広大な農地があったからですね。 ではなぜ今ウクライナの肥沃な大地が欲しいのでしょうか。それはおそらくロシアの農業生産が落ち ているからではないですか。それから既に寒冷化が始まっていると思います。小氷期がこれから やってくると言いますね。太陽の活動が衰えていますから間違いのないところだと言えます。 地球はこれから寒冷化に向かいます。そしてアフガニスタンや中東で明らかなように大陸の西側は 今世紀始め頃から旱魃とかで農地が荒れていますね。その影響を受けていて、ロシアは食料に窮し ているんではないかと思います。(欧州は大陸西端ですが気候的には例外です。) プーチンが言うところのNATOの東進とか、ウクライナがロシアと歴史的民族的に同胞であるという のは、体よく取ってつけた理屈に過ぎないと思ってます。しかしずはりウクライナの農地が欲しいから 取るんだとは言えませんからオブラートに包んでいるだけでしょうね。 プーチンは学者でもないしソ連主義者でもないでしょう。政治家なだけです。ですからロシア国民を 食わせていかなければならない。それでどうしてもウクライナが欲しいんでしょう。背に腹は代えられ ないんですな。 というような解説をしている情報機関もジャーナリストも皆無です。(^^ゞ 単にプーチンの野望としか 捉えられていないですね。私は占星術からして今回のプーチンの試みは失敗すると考えているの ですが、そういうことは別にして、現実的にとにかく人々を食わせていかなければならない立場とい うのは辛いものがあるのだろうと思ってます。ブラジル大統領やフランスの外交官の人が、プーチン は3年前とはまるで別人のようだと言っているのが印象的でした。

無題

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★BBC World Service 米高官、ロシア軍は「大規模な軍事行動を開始できる状態」 ウクライナ情勢 2022/02/12 https://www.youtube.com/watch?v=XtC2eIDWgpY ウクライナ緊張が高まっているようです。オリンピック閉会まで待てないとなると2月16日が 危険かなって思ってます。 占星術的には政治軍事の星である土星と天王星の□は過ぎているのですが、此処にきて 一気に取り戻すかもしれません。これまでコロナということで星の動きか停滞していました からね。 ★「緊迫のウクライナに日本政府の対応は? 邦人保護、対露制裁の方向性は?」【テレ東 官邸キャップ篠原裕明の政治解説】(2022年2月14日) https://www.youtube.com/watch?v=cDDOhMC9Nog ここでも16日が出てきましたね。太陽と月が衝となる(満月)日です。火星と金星も合ですか。 この1年間、コロナで世界中が遊んできたところがあります。本当の危機から眼を背けて きたんですね。さあ、世界はどうでるか。脱炭素とか言っても所詮は口だけの遊びでして、 ロシアのガスが欲しいわけでしてね。そういう欺瞞も一気に吹き飛ばす事態となるかも知れ ません。 以前にも書いたとおり、2月28日は極めて危険で作戦上の山場という感じです。しかし短期で 終わるというのは大方の見方でして2週間くらいで一気にウクライナを取るんでしょう。 そしてその後に発動する米国の経済制裁がどう出るか。プーチンは大したことにならないと 見ているのでしょうが、これがずっと尾を引くのは確かです。とにかく選挙不正の無能バイデン を選んだ米国のツケは大きいと言えます。

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プーチン大統領が今ちょっと気になっていて占っています。(^^ゞ ウクライナへの侵攻問題ですね。 新聞では北京五輪閉幕後に侵攻するのではないかという見方が出ていますね。そうなると2月28日 くらいが危ないんではと思います。火星金星冥王星と月の合が見られますので。 ところでなぜプーチンがウクライナ問題に異様に拘るのか。これは現実的ではないですね。政治家 として実利的な行動をしていないです。それで実際に侵攻するのかどうかはさておき、軍を集結して ウクライナに圧力をかけ、西側に揺さぶりをかけた事自体が政治的には誤りです。侵攻してもしなく ても失敗だと私は見ています。この件が元でプーチンは失脚すると思うのですが、さてどうなるか。 プーチンの占いに当たって彼の出生時刻を調べたのですが日本のサイトも海外のそれも、大体午前 中の線で出しているようです。私は仮に10時45分出生かなって占ってみました。 現在の彼には迷いがあります。迷いに迷っていて自信も喪失しているかも知れません。こういう時の 判断は失敗するものです。 プーチン大統領は人気があるようです。肉体美を強調したカレンダーが人気だとか。(^^ゞ 普通まとも な政治家はそんな子どもみたいなことはしません。そうやって強く見せないと人気が保てないという のなら、それは大した政治家ではないということです。これまで彼を高く見すぎてきたきらいがあるの ではないですか。 ウクライナ侵攻問題は失敗すれば(私は失敗とみています)、ロシアにとっては不利益ですが、同様な 事が中国と台湾でも起こりかねずで、それでロシアの失敗は日本にとっては有利に働きます。台湾を 中国に取られれば日本は著しく窮地に追い込まれるからです。 東ヨーロッパが西側になびくのは、これは時代の趨勢です。これをひっくり返すのは容易ではなくそもそも 無理というものです。ここの基本的なことがプーチンには分かっていないようです。 まあ写真とは関係のない話だったもしれませんが、こういう時代や人物を見抜くというのも写真を長く やってきていると自然に身に付くというものです。ここしばらくは写真撮影から遠ざかる予定です。昨年 はかなり撮影をしましたので休止も必要かなって考えています。

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ちょっと私の最近の写真暦を振り返ってみますと、2018年がエポックメイキングな年でした。 その年の前半は撮影せずで、後半から復活したのですが、そのカメラはミラーレス機でした。 それ以前の2017年は高画質なシグマのカメラを使った年でした。しかし2018年の初めに限界が 訪れて撮影を止めました。仕事がマトモにできないくらいに脳力が落ちていたわけです。 そして2018年に写真的に大転換をしたわけですが、今を振り返ってみて非常に興味深いことに、 2019年初めには風邪をひきませんでした。以降、現在に到るまで風邪ひきとは無縁です。 だいたいその年の1月か2月に1週間ぐらい風邪をひいていたんですね。随分前からです。年明け 恒例の風邪ひきであったわけですが、2018年にカメラと写真をガラッと変えてから2019年以降は 風邪を引かなくなりました。 これは何かと言いますとカメラの電磁波、およびPCモニターのDVTシンドロームから離れてきた ということだと思ってます。2018年後半から一時的に膝が痛み出したのですが、それはまた別の 理由からです。とにかく現在は風邪もひかないし、膝も痛くありません。それどころか昨年末に は体重を落とすことができました。なんなく6キロほど落とせたので拍子抜けするほどでしたが、 そのせいでか、免疫力があがり歯痛とも無縁となりました。 というわけで現在は体調はよろしいのですが、こうして改めて考えてみると、写真やカメラの弊害 というものは相当なものがあったと言わざるをえません。 2020年2021年は新型コロナの年であったわけですが、もしこの時に風邪でもひこうものなら、即ち それは新型コロナであったわけでして、正直、危ういところで逃げ切れたという気がしています。 新型コロナは、その後遺症が恐ろしいですね。ワクチンの副反応がおそろしいというのと同じ現象 です。それは極度に免疫力や体力、生命力が落ちているとそういうことになります。 多くの理由によって人の免疫力は低下するのですが、その数多くある理由のひとつに写真行為での 低下が上げられるというだけです。 今現在コロナの後遺症に苦しんでいる人は、根本的に免疫力や生命力を引き上げなければだふん どうにもならないだろうと思います。現在の文明生活はあまりにも不自然であって、人として自然に 生きることが出来難い時代です。そういう正しい認識から再出発しなければならないでしょう。 そういう意識改革を施してくれるかもしれないという切っ掛けとなるのがコロナなのかもしれません。 後遺症に苦しむといっても命までは取られなかったのだから不幸中の幸いであるというわけです。 最終的にはすべて時間が解決してくれるわけでして、つくづくもの世の中は物理学と天文学とででき ていると思いますね。 ウクライナがますます不穏になってきました。隣国のベラルーシにもロシア軍が詰めているようです。 ここまでくれば、何事もなく脅しだけで済むということにはならないでしょう。プーチンは勝負にでる つもりかも知れません。米国が認知症の大統領であるうちに畳み込みたいと考えているのでしょう。 ロシアにしてみればウクライナを取られればロシアの弱体化は、はっきりと眼に見えています。 それは、もし台湾を中国に取られれば日本の未来もない、というのと良く似ています。

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カメラとは何かな?ということで一言。 私の場合は、カメラは身体の拡張パーツのようなものかなって考えることにしています。そいうのはPC もスマホも自動車もバイクも同じです。自身の拡張ですから完全にマスターして自由自在に扱えなくては なりません、まっ道具ですわね。(^^ゞ その道具というのは、必ずしも身体に良いモノではなかったりしま すし、もちろん当然に有益であったりするわけです。とにかく道具というものの性質を確実に抑えておか なければならないということ。 よく道具を神扱いする人がいるのですが、そういう方は自身の拡張パーツではなくて、道具の拡張パーツ として自分がいるという考え方だろうと思いますね。つまり道具に自分を合わせて使うと言うやり方。 これは本末転倒なんですが、そういうやり方をする人は人間の中に3割くらいはいそうです。(^^ゞ  日本はこれで戦争に負けました。兵器を陛下のお召し物として大切に扱い、人間を召使扱いしてしまった からです。カメラと言うのは電磁波をばんばん出しますし、デジタルスクリーン画像は人間の眼と脳を酷使 していきます。たかが道具のくせに何だろうこれは、と思うのですが、これを神扱いすれば確実に人間は 奴隷となってやがてはぼろぼろになっていくわけです。 よくデジタル写真やカメラというものに信仰心をもたれている人がいるようです。そういう人にフルサイズ の超高画素カメラやフォビオンカメラがよろしくないと言いますと猛然と突っかかってくるのは、それは宗教 化をしているからでしょう。カメラや写真というのはたがか道具です。その道具を神扱いしたり宗教化した りするのは、そもそもそういう性質をお持ちの人であるというしか他に言いようがありません。 人間は必ずしも諸道具の長(おさ)ではなくて、それどころか自身が道具であるという考え方は、近代的な 考え方ではなくて古代の奴隷制時代の考え方であるわけです。本当を言うとそういう考え方の人達が世 の中の半分は占めているというのが事実だったりします。 それはさておいて、私としてはカメラは道具としてみているので、いかに安全に上手く使ってやろうかと 常に考えています。手持ちのオリンパスE-30は液晶が物理的に壊れていて細かな設定ができません。 だいたいメディアのフォーマットすらできないのですが、不便とは言っても使えないわけではありません。 またスイッチの不良で良い按配で止めないと直ぐに切れたりしますがそれも慣れれば問題がありません。 E-510はなんと記録画像が縦になったり横になったり不安定なんですが、それでもこういうもんだと思えば 使えるものです。物に道具に完璧製を求めるべきではないと考えれば、道具とはこんなもので可愛いじゃ ないかというわけです。 次第に壊れていくのが機械や道具でありカメラだったりします。道具を神格化しすぎて不十分なのはけし からん、というのは道具への奴隷化の裏返しだったりするわけです。 道具を神格化していって、最後にたどりつくのか写真やカメラへの宗教化であり信仰です。私はそういう 道をとらないのでカメラは道具として扱ってます。きちんと道具としてみていくと中々、カメラというものは 面白いものです。買ったものの捨て置いていたカメラを取り出して動かしているわけですが、きちんと道具 として動いてくれる様は、本当にいいものだなって感じております。 ※写真はありふれた道路の橋ですが、英語で表記されているのは初めてみました。石地像とならんで 必ず撮るのが橋の表記です。

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確か、太郎さんは自家用車で移動するんでしたっけ。以前プリウスの写真を見たことかありますし。(^^ゞ  ご夫婦2人で広島市から高知市へ移動する、その道中で観光や撮影に良いところがあるのかどうか、 という話だろうと思います。 そして移動はカーナビを利用して主に高速道を走る、ということだろうと思います。E2→E30→E11→E32 の山陽道から高知市までの走行はスピーディでして、特に四国に入ってからはガラすきなので高速を キープできます。高知には午後6時ころに着けばよいとなると、車の移動は3時間かかるとして、2時間くら いは寄り道ができますね。 2時間は私としては少ないかなって感じますが、とにかく1箇所は寄るとして候補地は・・・ ①呉市---広島市からはかなり南下するので時間的には厳しいか。軍港であり大和ミュージアムがあり  ます。 ②尾道市--E2高速道からは地理的に近いとは言え一般道との連絡が複雑です。古い江戸時代の瀬戸  内の湊であり街並みが魅力です。 ちなみに ここから島並み海道が始まり四国の今治市まで橋が続  いています。 ③倉敷市--高速道のインターチェンジを降りたところです。倉敷市の古い町並みは有名ですね。大原美  術館もあります。街中は込み入っていますので迷いそうですね。でもこれは忙しいな。 ④香川の琴平の金比羅山--善通寺インターから一般道を南下し、帰りもそのコースになるので時間的に  難しいです。こんぴらさんは歩かないと参拝できません。これは半日コースなので無理ですね。 そんな感じなので一応、尾道市か倉敷市が候補に上げられますが、それにしても時間が少なすぎます。 殆ど観光することは出来ない時間なので、むしろ途中で休憩するというくらいの気持ちでなければダメで しょうね。そうなると岡山県倉敷市南端の鷲羽山の展望などくらいかなって思います。晴れていれば備讃 瀬戸の展望が見られますね。とは言え、ここも一般道をかなり走らなければなりません。 そうか素早く高知まで行って、高知市を過ぎた辺りにある、仁淀川を少し散策するという手もあります。 河口からは太平洋が見られますね。 とにかく瀬戸内地方は思いのほか広大です。そして広島、岡山、香川、高知と4県に渡って走破しなけれ ばならないので、あまり無理はできませんね。観光はすっぱり諦めて、ワンポイントの撮影だけにすると、 香川の豊浜サービスエリアから降りれば直ぐに瀬戸内の海に出ることができます。そのSEから降りて、 (再びそのSEに戻る)、香川愛媛両県の海辺を見ることが出来ますが自然の浜は、もう僅かです。しかし そこらは燧灘(ひうちなだ)という広大な海を見ることができます。もう少し時間があれば、観音寺市の有明 浜や三豊市の荘内半島(展望が良い)にも足を伸ばせるのですが時間的に無理です。 まあ、そんな感じで良い撮影地をあげることは難しいですかね。(^^ゞ まあ、あまり無理をなさらずに道中 の風景をドライブしながら楽しむというのがよいかと思います。 瀬戸内の海は、他県の海と比べて、とにかく穏やかで波静かです。その鏡面のような海に多くの島が点 在するというイメージですかね。もっとも灘などは島はありませんが。こういうのは九州の有明海と同じで あるわけですが、水深が浅いという特徴が共通しています。瀬戸内の平均水深は20~30メートルなんで すね。しかし潮の満ち引きは速いんですよ。そして瀬戸内全体は、四国、中国地方、九州や近畿などに 囲まれた広大な盆地地形なんです。それで雨が降りません。よく晴れていて自然の災害から守られてい ますが、地味が貧しく少雨なので全体的に貧しい地域です。特に四国側は。 そこらへんは中京地区とは大違いですね。特に香川県はとりわけ水に乏しく貧窮県だと言えます。この 瀬戸内の、あっけらかんとした雰囲気を感じるだけで有意義なんではないでしょうかね。(^^ゞ 

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昔の話ですがレンズ板で、高級路線の方々と花鳥風月氏との競い合いというのがありました。(^^ゞ  今にして思うと、あれは何だったのか?ということですが、そのどちらの方々もこの掲示板からは消えて しまっているので、つまりはそのどちらも大したものではなかったということなのでしょうか。 それとも、どちらにも多少の意味があったのでしょうか。 私の考えとしては、高級路線の方々と花鳥風月氏も写真の為の写真を撮っていたようなので、やはり 長く続かなかったのは当然なのかなって考えています。そして両者ともに模倣行為写真ばかりでした。 写真の画質には圧倒的な差がありました。それは当然なのですが高級路線の機材であろうが、廉価 機材であろうが、本当に御自分の好きな写真を撮っておられたかどうかは疑いがありますね。 つまりはサンプル写真(作例写真)ばかりだったような気がしてます。 写真というのはどうしても本質的には薄っぺらな画像を使わざるを得ないのですが、その画像自体には さほどの意味はないんではないかと考えています。 話は変わりますが、私の場合は広角レンズを使うのが多いです。50ミリ標準レンズともなると、私の 感覚ではもう望遠レンズです。寸が足りない望遠レンズでして、私には使いにくいのです。私が広角 レンズを使うのは画角を広げたいというよりも、空間を撮りたいとなると広角レンズになるだけだと考え ているのです。自分が目前に接しているこの光景をそのまま画像に収めたいとなると必然的に広角レン ズを使うということになります。 望遠レンズだと、それは空間を撮るのではなく特定の事物を撮ると言うように、視点がガラリと変わって くるのですね。次元がスイッチして変わるというイメージですか。 よく風景写真や広角レンズが苦手だとおっしゃる方がおられますが、おそらくそのような方は自分の眼 がモノを見る視点になっているのだろうと思います。特定の事物やモノを見て、それを組み合わせてのち 全体の視野を得ているのでしょうか。よくわかりません。(^^ゞ  少なくとも私の場合は目前の光景を漠然と視野のままに全体的に見て、次に特定の事物にスイッチを 入れ替えているという気がしています。 この2つの見方はかなり違いますね。何よりもまず順番が違いますから。(笑)  アップした写真は換算21ミリなので私の好きな広角レンズのひとつになります。ほぼ裸眼で見た全視野 が一枚の画像に収まります。私は農業写真家なので(笑)、稲の作付け状態や整備された田を見るわけ ですが、この場合は同時に空からの視点で俯瞰的に見ておりました。手前に河川がありますが、その 河川がもたらした緩やかな傾斜をもつ耕作地。それは私の背後にも広がっていて、全体してこの地域の 帯状の盆地の広さとか生産力というものに思いを馳せていたんですね。点在する農家をみれば平均して 一戸あたりの耕作地は2ヘクタールかな?とか、溜池が少ないので用水は河川からの出水に頼れるだ ろうとか、またそれだけの降水量があるんだなとか、そういうことばかり考えていたわけです。 こういう視点は多分、アマチュア写真人の視点ではないだろうって思います。もちろん光景が美しいと 自分で感じたから写真を撮ったわけですが、これはほぼ記録写真ですかね。そんな感じで私は趣味写真 家なんだけど、もう既に写真の為の写真、芸術的な作品という観点からは写真をやっていないということ になります。 そもそも私が写真を初めた頃は一般的な写真を撮っていました。しかし意識して被写体というものを考え 始めてからは、公害運動とか過疎の村とかそういう社会的な視点に移りました。 それは大昔の話なんですけど、写真を再びデジタルカメラで撮り始めた時も当初は祭りとかイベントとか の比較的写真趣味的でしたが、やがて電磁波の害とか、それから特に3.11以降は、自分本来の写真の 視点に変えたのかもしれません。再び大昔の自分が撮っていたようなシリアルな被写体に戻ったというこ となんでしょうね。 写真や被写体に対してどういう興味があるのかは人によって様々です。何がどうのというものではありま せん。しかし自分自身の関心のある被写体や写真傾向なりを見つけ出さなければ、写真は長く続かない だろうということです。それだけは言えそうです。 カメラがどうのとかレンズがどうのとかでは長続きしないです。それから花鳥風月的な何でも写真でも続き ません。こういうのは写真のテーマですかね。撮影対象指向としてのテーマであって、作風とかテクニック のテーマじゃないですよ。 そういうものが自分の中で出来上がったとき、それから鑑みて自分の機材というものが必要になるので あって、機材から写真がでてくるのではありません。また漠然と写真という趣味や文化や市場(マーケット) が存在していると考えるのもいけません。そういうことで、冒頭に上げた機材路線の方も、それに反旗を 翻した方も長続きしなかったということでしょう。 この世の中に写真文化というものが確固として存在していると考える人は多いでしょう。そこに不動のも のがあって、その常識に照らして、正しいとか邪道とか言っている人がいますね。しかしそんな信頼できる ものなんて無いと私は思ってます。存在する写真とは、私が、貴方が独力で作り上げる写真だけであって 他にはなにもないと考えるべきです。持たれ合った写真では長く続くことはできませんし、そもそも満足感 も乏しいものです。 この写真のカメラはシグマですので本来は大変に高画素で画質もよいです。画素数は半分に落として アップしてます。記録写真だからといって画質はどうでもよいとは私は言っていません。優れた画質は写 真に力を与えます。それが自分の為の記録写真であっても。 廉価なカメラやレンズでも良いのですが、高級な機材でもかまわないということです。ただ自分の為の写 真を撮らなくては写真として意味が乏しいということだけなんですね。 イワユル写真を捨てなければ写真には達しないということでもあります。イワユル写真を追求すればする ほど写真からは遠ざかるということでもあります。(^^ゞ 

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小型ミラーレスカメラとコンデジカメラで、ずっとこのまま撮影できたらこれこそ最高の写真ライフでは ないかなって思えて来ています。それはほんとうに自分だけの写真であって、誰にも迷惑もかけず邪魔 もされずで、これこそが本当の趣味写真ではないかなって思わずにはいられませんね。(^^ゞ  さて(笑)、じゃあ何故に高級な機材を追い求める人達がいるのでしょうか。正統の答えとしては職業写真 家がそれらを使うからです。写真を撮ってお金を稼ぐというよりも、社会に対して写真を役立たせている 方達です。映画・テレビ・動画配信・新聞・雑誌・書籍・数多くの印刷物。これらに動画や写真を掲載する 場合、優れた性能の機材が必要になるからです。 そういう媒体の場合、鑑賞者・閲覧者・読者の方々は膨大な数となります。映画館でスクリーンの前には 百人くらいの鑑賞者がいるとしてそれが全国・全世界の上映数を掛け合わせると大変な数の方々が映像 を見ていることになります。新聞でも雑誌でもその写真を多くの国民に触れるわけですね。 そういうことを考えると、プロのカメラマンが良いカメラやレンズを使うのは当然のことであるというわけで す。高々数万部印刷の地方の市町の広報誌の写真ですら、職員がコンデジでチョロッと撮った写真を使 わざるを得ない時、担当者に、こういう画質の悪いカメラを使わないでいただけますか?と文句のひとつ も言いたくなるわけです。そういうひどい写真でも何とか良くしようとして印刷屋としては四苦八苦する わけなので、さりとて数万人の読者がいることを思えば、たかだか印刷屋でも責任感がでてくるわけなん ですね。 つまり写真機材の優劣というものは、裾野に広がる鑑賞者や読者の過多が最終的に決定するものなん でしょう。 それで今、私が上げているような写真はその鑑賞者として私自身と、もしいたとして他に数人の人だけ です。そういう場合には当然に小型機のカメラと安いレンズで十分というわけです。 そういうわけですから、殆どの多くのアマチュアカメラマンは良すぎる機材を使っているということになりま す。分不相応な機材を使っているということ。そういう認識が大切だと思いますね。 そうは言いながらもついつい高級機材に手を出したくなるというのが趣味人としての人情とでもいうもの です。穀潰しとか極道とか、そんなイメージで語られて来た道楽人であるわけですが、当然にそういう、 普通の人達とくらべて明らかに道を外した人達は、一般社会からは認められることがありません。 ですから可能な限り、分相応な機材を使って、密やかに写真趣味をしていくという気持ちが大切ですね。 写真とは、最終読者数が決定権を持っていて、( これは一種の民主主義であり市場原理です)、それに 相応した機材を撮影者は使うということ。これが何よりも大切なことです。(^^ゞ  このバランスが何よりも重要でして、分不相応な機材を駆使して写真趣味をやったところでろくなことに はなりません。もしどうしても使いたいということでしたら、それは謙虚さを失わないように、むしろ罪悪感 をもって使わないといけません。 写真趣味人の多くは、おそらくプロの方を真似て、そして同趣味人の人達からして優越感に浸っているの ではないでしょうか。自己満足だからいい、というのは当たりません。これは明らかに間違いですから。 最終読者数という言葉で思い出したのですが、大昔に私が撮った写真が全国紙の全国版にかなり大きく 載ったことがありました。浮浪者の方たちを撮影していてたまたま懇意になった人の写真を撮り、そのプリ ントを当人に差し上げて、その1年後くらいに御当人が路上死されて社会問題化し、某新聞が取り上げた わけです。 それで私が差し上げた写真が一番に最近のものであったわけで新聞社は取り上げたのでしょう。私とし てはあくまでも路上ポートレート写真ですわ。(^^ゞ その最終読者数は数百万人でしょうか。使ったカメラ はオリンパスOM-1の28ミリだった記憶があります。トライXフィルムの自家製プリントです。 これが私の写真のピークでしたね。(笑) ちなみに数社の新聞社に私の写真を使われましたが、私は掲 載料は一円も貰っていませんし撮影者だと名乗ることもありませんでした。まるで新聞社のカメラマンが 撮影したかのような記事でしたがね。(^^ゞ  機材の選択は最終読者数が決める。これは今までにない新しい発想の考え方だろうと思っています。 それともうひとつ、写真とは当然に被写体が決めることでもあるんですね。最終読者数がゼロでも被写体 が素晴らしければそれでも良いんです。しかしカメラマンが素晴らしいとかはダメですね。(笑) 被写体の素晴らしさ。被写体だけでなくそのものの見方が新鮮であれば、その被写体自身も喜ぼうという ものです。被写体は何も人物に限りません。風景でもモノでも素晴らしい被写体は数多く存在し、新たな 発見を待っているわけです。 多くの写真人はそれを狙っていて、きっと良い写真を撮るから良い機材を使わせてくれ!って懇願してい るかのようです。これは神との契約のようなものでして優れた被写体を見出せなければ契約不履行となり 天罰を受けるわけでしてね。一か八かの勝負のようなものです。もしくは先行投資でもあって、それによっ て良い被写体を発見できれば元が取れるというだけでなく、高級機材を使う資格を得ることになります。 そして可能ならば是非とも読者を獲得しましょう。 また良い機材を買ってしまった人はその機材を眠らせるのではなく再び光を通して神との契約の再履行 をしなければなりませんね。 私のように機材は多くとも安物ばかりの人間は気が楽というものです。それらは自分のささやかな楽しみ だけに使えるものだからです。自分の楽しみのために撮り、自分だけが観て楽しむ写真だということ。 庶民の写真とはそういうものだろうと思ってます。 ※写真は試験貯水のダム湖の様子。長雨で思った以上に貯水が進んでいました。かつてこの水の中に 村があったことなどは思いもよらないわけですが、その村跡が再び出現することはもうないでしょう。

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自分の好きな写真だけを撮っていく。これは真っ当なようでいて中々に難しいものです。自分の好きな 被写体とか好きなスタイルですか。好きなカメラでもいいですし、とにかく他人に惑わされないような、 自分だけの写真を続けていくというのは簡単なようでいて簡単ではないです。 それは何故でしょう? ひとつの答えとしては、自分のモノの見方というものが出来ていないと、自分の 好きな写真は撮れないからです。だいたいは誰かの、人様の見方というものをなぞって、それを自分の 写真だとしているからですね。つまりは模倣です。模倣はものごとの始まりにすぎないわけですが、それ から脱却して自分の見方というものを作り上げていくというのはかなり難しいということです。 写真を長く続けていくというのが良いのかよくないのかは分かりませんが、少なくとも自分の見方の写真 を作り上げておかないと、写真行為というものは長続きしません。それとせっかく縁あって写真を始めた のだから、自分の写真というものを見つけておくというのは意味があると思っています。 これは間違いなく、自分の人生と関わりがあってそれが利益を生むと思うからです。写真とはモノの見方 とすれば、それは翻って自分自身に帰ってくるからですね。 写真を見ることは画像を読むということですし、現実から変換して画像化するということでもあります。 写真は言葉ではありませんが、言語と同じようにしてこの世界と自身を認識することへの手助けとなり ます。 以前にも書きましたが、個人的に言えば若い時期にやった写真(黒白写真)がその後の占星術への関心 に向いたというのは言えると思っています。占星術のチャート・ホロスコープというものは画像で図形なの です。言葉で書かれている占いもあるんですがそれは入門用ですね。本当の占星術は抽象的な図形か ら読み取る力が必要になります。つまり図形や画像からそれを言葉に変換する能力が求められるんで すが、それは写真などの画像読みと同じことなんです。 言葉(コメント)と写真とは関係がない、と多くの人は思っているのではないですか。 この掲示板でやたらコメント文が長いと思われているのは、この私とS9000さんですか。(^^ゞ S9000さ んは漫画を読む能力が高いのですね。ご自分では描けないと言ってましたがそりゃあ難しいですから。 とにかく若い時期に漫画という画像に親しんでいると、画像と言葉の境界線を突破できるのだろうと考え ています。この漫画の言葉というのは吹き出しのことではないですよ。 画像と言葉を行き来できるようになりますと、両刀遣いといいますか、普通とは違った発想ができるうに なると思ってます。 デジタル写真というものは昔のフィルム写真と違い、画像が物質固定化されていませんので、極めて 視神経や脳に近いところにあるものですね。画像的記憶の外部化というところがあります。それよりも 多数のショットを記録できるということの意味が大きいですか。 とにかく簡単に撮れて記録できてしまうというのが、考えれば凄いことです。写真画像への敷居が大変 に低いということ。とにかくあまり深く考えずともカメラで撮ってしまうという気軽さが一番かなって思って ます。 そうは言いながらも私としては、カメラは特別なときに持ち出すものであって、日常にはカメラ(スマホ)は 使いません。特別な時とは撮影のために出かける時だけだということです。ハレとケは区別していると いうことです。これを混同してしまいますと私の写真は崩壊してしまうと思ってるからです。 思いつくままに様々なことを書いていますが、写真のポテンシャルは多くあるものでして私にしてもごく 僅かなところを知っているだけです。写真の面白さはこれからやっと分かってくるものかもしれません。 ※この撮影は、このカメラの限界を超えた暗さでの撮影でしたが、それなりに写っているのが嬉しいで す。香川と徳島の県境といった盆地の山里です。なんとなく高野山に地形が似ていると地元の方に 言いますと、伝説として弘法大師空海は此処を真言密教の本拠ししたかったとのことです。もちろん都 とは離れすぎているので高野山にはなりませんでしたが。(^^ゞ 

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この古いPC(ビスタ)には2つのブラウザが入れてあるんですが、MSインターネットエキスプローラーと グーグルクロームですね。両方とも古いバージョンです。 それでネットの写真を開きますと両ブラウザの写真画質の違いが非常に大きいのです。この掲示板写真 に関しては殆どIEを使って見ているのですが、たまにGCで見るとその違いに唖然としてしまいます。こん なにも違っていたのかと。 もう写真に対しては画質は問わないと私は考えているのですが、それでも意識して画質を落として見よう とは考えていません。高級レンズで撮影された写真が、数千円のジャンクレンズと同じに見えてしまう。 というよりも、ジャンクレンズはそれなりに精一杯がんばって写そうという意思を感じますが、ブラウザで 貶められた画質には投げやりさを感じてしまうのです。 そんなわけでこの掲示板に関してはこれからも可能ならばIEで見ていきたいと思ってます。 この掲示板はもう投稿者がほとんどいなくなってきています。きっと閲覧者にしてもそうでしょう。掲示板が いつまで運営されるのか分かりませんが、そう遠くない時点で閉鎖されるものと思われます。あと半年 かなっていう気がしてますし。 しかし先はどうであっても、最後まで私自身はコツコツと写真を上げてコメントも書いていきたいなって考 えています。写真の本当の力というものは、他力を頼まないことだと考えていますので、そういうマイペー スが大切だと思っています。 一人でする写真というのは、撮影もその写真の視聴も一人で行うことになるわけです。正直言うとこれに は限界があるんです。写真というの他者が見てくれ共感してくれて、それで写真行為として成立するという のがあります。それをたった一人でやっていくというのは難しいですね。 今、私が試みているのは写真は撮るけれど後で見ない、現像もしないというやりかたをしています。無論 この掲示板の投稿の為に、ごくまれに現像し、投稿しているわけですが。でもその殆どの撮影は日の目 をみないままデータとして眠ったままです。 写真の持つ潜在能力を撮影時にのみ発揮させ、後は知らないという具合ですか。これでどこまでやって いけるのか、試してみたいと考えています。デジタル写真はかつてのフィルム写真よりも、そういう点では やや頑強かもしれません。 この逆の論点を言いますと、写真というのは他者に巻き込まれすぎると返って自分の写真を失ってしまう というのがあります。自分自身を見失うというようなところですかね。私自身にしても他者の影響を受け過 ぎて無駄な買い物をし過ぎたと思ってますし。そういうことを考えると、今の時点がちょうどよいのかなって 思えますね。(^^ゞ 

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なんでもない雑草を上げてみました。この時期にどこにでもある草花です。 しかしダム湖の中ですので1・2年後には湖底に沈みます。そんなこととは関係なく時期がくれば 花は咲き虫がやってきます。草や虫たちには数年後のことなど理解できませんし、何よりも今が 大事です。この今こそが大切という、それは写真人にも言えることなのかもしれませんね。(^^ゞ  人間の意識はDNAという細胞核のなかの核酸が担っているという説があります。核酸は物質です。 核の中にある酸性物質という意味で名づけられたものですが非常に複雑なーで高度な高分子です。 物質が意識を持つというのはありえる話ですね。このDNAの遺伝子情報によってたんぱく質が作られ 我々の肉体そのものもを形作っています。で、意識はどこにあるかと申しますと脳にあるのでしょうが それだけでなくDNA自体にもその原型が存在するだろうというわけです。DNAがなければ脳自体が 存在しないわけですからこれは当たり前なのでしょう。 同じ人間でもその意識の差異というものはあるようです。IQとかEQとかで御馴染みですが、これを 極めて高度にすれば、この世界というものは今の私とはまた違ってきて見えるはずです。 私は一度、随分以前ですが人工的にIQを上げる実験をしたことがあります。酵素という蛋白質を使い ました。たぶん感覚的に150くらいに上がった感じでしたかね。周囲の人は怪訝な感じでした。(笑) しかしIQを上げても運というものは上がりませんでしたからあまり意味がありませんでした。 次に応用したのは磁気です。これは発動までに数年を要しましたが運が上がりました。EQが向上 したと言っても言いのでしょう。 この磁気発動には、それはそうあるべき時期の到来というものがあるわけですが、やはり基本的に は脳内を活発化する日頃の習慣というものが大事だろうということです。食生活や睡眠、運動などで すね。また写真行為にもそれを応用すべきだと考えています。 私が占星術を研究していた時期はIQを上げていた頃だったのでもう今では新しい発見はできません。 今はだた過去の遺産を応用しているだけですね。 不思議な一致なのですが、2019年末からちょっと私の運も下向してきて、それは既に取り戻している のですが、まことに奇妙にこのコロナ禍の時期と一致しているというわけです。この間はあまり読書も できずで歩き撮影も滞り、私の脳は亡羊としていたのかもしれません。(笑) しかしこれからは再び 活発化したいものです。 これからの世の中、この世界がどのようになっていくのか、興味を持って見ていきたいと考えています。