SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

光学一眼レフと、コンデジ・ミラーレスカメラの違いとは・・・

光学一眼レフと、コンデジ・ミラーレスカメラの違いとは・・・

光学一眼レフと、コンデジ・ミラーレスカメラの違いとは・・・ 最初に断っておきますが、私の場合、ミラーレスは背面液晶モニターでしか撮影をしません。電子 ファインダー・EVFは全く使っていません。それでEVFのないコンデジと同じようなやり方しかしてい ないんですね。(^^ゞ  光学一眼レフ・デジイチの方は、光学ファインダーで撮ったり、ライブビューで撮ったりで、その時で 変わります。 デジイチ、とりわけフルサイズ一眼は、そのファインダーも大きくて撮影時には、いかにも写真撮影 をしているねっていう気分を存分味わうことができます。 日中野外の撮影だと日差しがきついので、ミラーレスだと液晶視は辛いのですが、その点、デジイチ は有利です。しかし曇り空だとミラーレスやコンデジの撮影は楽になりまし、夕暮れ撮影でもそうです。 デジイチとミラーレスは、その装備の重さも随分と違います。今回のダム湖内の撮影はdp0とdp2を 持参しましたが、交換バッテリーを含めても小さなバックに入れられて、その軽さが有難いです。 これがデジイチだと、キスデジ2台であっても小型バックから1台はハミ出ます。 ミラーレス・コンデジは、とにかく軽量なので撮影時の歩きが進み長い距離と時間を稼ぐことができるん ですね。なお私の場合、キスデジでもバッテリーグリップ装備であり、シグマコンデジも自作L字グリップ を付けていますので、普通の状態よりも大きくなっています。(重量はさほど変わらず) デジイチはファインダーがありますので、撮影そのものを楽しむことができますね。かたやミラーレスは 撮影自体は淡々としたものですけど、風景という被写体に溶け込んで撮影することができます。常に 被写体の光景のみを見ているわけで、カメラというものを意識せずにすむのが長所です。カメラがデジ イチに比べて小さいというのも機材への意識性が低いです。 この2つの方式のカメラを交互に使っているのですが、そのどちらも捨てがたいものかあるなって思い ます。 私が東北撮影をしたのは2回ですが、最初はフルサイズカメラを持っていきました。画素数は1000万画素 ちょいのカメラ。新潟・山形・秋田を見て回りました。2回目はシグマのコンデジ・ミラーレスカメラです。 画素数はLOW-RAW撮影でしたので1000万画素程度です。撮影地は会津・福島・宮城・岩手です。 そして今になって振り返ってみますと、やはり撮影地の印象として2回目の方が印象に残っています。 それは被写体の差であろうかと思いますね。やはり被災地・被爆地の印象は強烈だったのか、という ことです。会津などは被災被爆しておりませんから、その印象は1回目の撮影と同じくもはや薄れ気味 ですね。 これを考えれば、カメラの違いなどは被写体を前にしてすれば何も関係ないねっていうことでしょう。 APSの1000万画素程度あれば写真画質としては十分ですし、もっと小さなカメラであってもさほどの 違いはないのでしょう。こと写真の長い印象力としては、カメラの違いなどはほとんど意味を成さないと いうことかも知れません。 そのように考えますと、機材は少しでも小型で重さが負担にならないほうが広く撮影できますし、結果 としてミラーレスやコンデジのほうに軍配が上がるのかも分かりませんね。 私のように一般の光景というか風景をメインに撮っている分にはミラーレスかなっていうところ。しかし 望遠とか接写の撮影となるとやはりファインダーのあるカメラが良いでしょうね。EVFも負担にならない のであればミラーレスも可というところです。 東北の被災地にはもう一度行って見たいのですが、コロナ禍で行きづらいところがあります。岩手県は ほとんど見れてないですし。もし行ければその時に持って行きたいカメラはミラーレス・コンデジのカメラ になるでしょう。今度は遠慮せずに高画質で撮りたいですね。 このダム湖は現在、試験貯水をしているところで徐々にダム湖の水位が上がっています。満水には2年 くらいはかかるでしょうけど、やがては地上にある全ての植生や人工物も水面下深く沈むことになります。 もう何度も撮影をしてきましたので馴染みとなった村跡ですが言葉に言い尽くせないものがありますね。 将来には渇水などで再び湖底の村跡を垣間見ることができるかも知れませんが、様変わりしたものに なっていることでしょう。

私のシグマカメラの使い方 (パソコンの使用時間の制限)

私のシグマカメラの使い方 (パソコンの使用時間の制限)

私のシグマカメラの使い方 (パソコンの使用時間の制限) https://photoxp.jp/pictures/217113 ここでパソコンのパワーを上げればシグマの写真はある程度は解決さすると申しました。 しかしながら本当は嘘なんですね。半分は本当だとしても残り半分は正しくはありません。 私の場合、現在は10年前のPCでやっていますが、これでも十分なところがあるだろうと思ってます。 この現在のPCのスピードを幾分か速めたところで(例えば半分のスピードとかで)、本質的な問題は 何も解決できません。 それよりも有効なのは、パソコンの使用時間を制限することです。シグマのソフトを立ち上げている 時間を自ら規律的に、例えば1日60分と制限することだと思っています。これをやりますと制限内で 見れるファイルの数は、最新高速なPCの方が有利ですね。 シグマのカメラ自体の撮影は、これは普通のカメラと違いません。少しもたつくかなっていう程度で して、問題は撮影した画像ファイルを閲覧し画像処理をして現像するという、PCモニター前での時間 が膨大になり過ぎるということなんです。 それで1日の撮影でシグマ画像を500ショット撮ったとします。この500ショットの画像は、制限された 60分内で閲覧することはできません。仮にそれが50ショット分だとすると、それで1日の制限時間は 終わりですから、500ショットの写真全部を見終わるには10日かかることになります。 そんなの全部まとめて現像すればいいじゃないかって言われそうですが、つまりRAWからTIFFに一括 現像すれば確かに速いですし、PCの前に座ることなく自動でやれますからね。 仕事だとそれでよいんですが、趣味での1枚1枚の写真をみながら適性現像をするという楽しみ方を するのであれば一括現像は味気ないんです。そんなことをすれば自分は何ために写真を撮っている のかが分からなくなりますから。 それで現像すべき写真のみですが、丁寧に開いて画像処理&現像というスタイルとなりますと60分 の制限内ではせいぜい10ショットでしょうか。50ショット連続画像ファイル分から選び出した10ショット分 くらいしかやれません。PCが高性能になれば10ショットから15ショットに増えるだろうか、という程度 ですね。 一番肝心なのは、シグマの画像は特殊であるという自覚が必要であるということだと思っています。 500ショット撮影した画像をみるのに10日を掛けてやる。普通のベイヤーカメラであれば1日ですむことを、 シグマは時間をかけて分散してやっていく。これが肝心だろうと私は考えています。 シグマフォビオン画像は普通のデジカメ画像とは異なります。むしろフィルム写真に近いのであって、 フィルムで撮影して写真屋で現像をしてそれを自宅でスキャンして画像処理をするという時代のスタイル を思い出してくれれば、それに近い写真であるということなんです。 ですからフィルム写真と比べればシグマの写真はデジタルですから圧倒的に速いじゃないですか、と なるわけです。またフィルムに比べれば撮影量も圧倒的ですしね。 シグマのフォビオン写真は、具体的に言うと、メリルとクワトロに関しては、これはデジタルカメラでは あるけれども、フィルム写真の感覚でやっていかないと行けないよねって、いうことなんです。 これを根をつめて1日に何時間もPCモニターの前でやってしまうと、シグマの写真を長く続けることは できないということでしょう。趣味で写真をやる人間は十分な時間を与えられていませんから。 シグマのカメラでも画素数の低いSD15以前のカメラとか、またベイヤーになったfpだと普通のカメラの 感覚でしても問題はないと思います。それでもfpLは高画素なので要注意ですか。 私の場合、今はこういう結論に達するようになってます。 でも、こういうことが言えるようになるまでに3年掛かりました。(笑) シグマのカメラは普通のデジタル写真とは別格であり、むしろフィルム写真と同じなのだから時間を掛け て、じっくりとやるのが当たり前だ。ということなんです。 もっとも、デジタルカメラ、シグマフォビオン、フィルム、フィルムスキャン、CCDなどなとの違いが分から ないという人もいるでしょう。そこから説明していくのは大変ですから書きませんが、写真、デジタル写真 と一口に言っても随分と違うということてすかね。 この掲示板の視聴者の中にもシグマのカメラをお使いの方がいるかもしれません。私なんかよりずっと シグマのことを知っている方もおられるでしょう。とにかくシグマに関心のある方がおられれば、この書き 込みはそういう方々に向けて書いています。それからこれはあくまでも私のやり方です。 久しぶりにdpクワトロを使いました。ここしばらく光学ファインダーのある一眼レフを使ってきましたが、もう 私の写真スタイルはミラーレスカメラのコンデジ的使い方になっています。コンデジ的使い方というのは、 背面液晶を見ての撮影という意味です。事実上、ファインダーがありませんので、写真趣味的な嗜好する 写真ではなくて、あくまでも記録的な写真ということになりそうです。 写真趣味的ではなくて、そういうものをすっ飛ばして、あくまでも被写体を直接に記録するというスタイル ですので、写真としては何も面白いものはありません。 背面液晶を見ての撮影というのは、実は液晶を見ているのではなくて(それはアタリ確認だけ)、あくまでも 被写体だけを見ての撮影です。光学ファインダーというオブラートがありませんから、本当にシビアに被写 体が私の中に入って来ます。といいますか被写体のなかに入って行けなければ写真が撮れません。 こういうスタイルは広角から標準のレンズでの撮影となります。望遠レンズは難しいですから。

写真

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この掲示板の写真投稿者は随分と限られてきて、ほんの一握りの方たちだけの掲示板のようになって しまいました。 しかしながら写真やコメントの投稿はせずとも、掲示板の視聴だけはしているという多くの人達がおられ るということでしたね。管理人様はそのように言っておられましたので。 それはきっと、そうなのでしょう。 なぜこの私は写真を撮るのかと申しますと、それは単なる歩きの健康維持というところが大きいです。 歩くことは大切で特に野山に散策することは足腰の鍛錬になり、また自然に触れることで喧騒な日常を 忘れることができます。写真やカメラはその為の道具にしかすぎません。 そして写真を投稿するのは、写真というものを通してこの社会との接点を見出したいからですかね。 撮影をしてそのデータをパソコンで現像するまでは私の写真行為ですが、その写真を投稿した瞬間から その写真は私のものではなくなります。この社会の皆さんの、視聴者の方々の写真となるわけです。 写真を撮影することは、例えば被写体としての多くの人々と、そして自然が相手ならばその自然との 出会いというものがあります。それらは撮影者個人の特権とも言うべきかもしれません。 私がこの私の内部に閉じこもらずに、人々や自然との接触点というものがあるということ。写真撮影は 最初から開かれているものなんですね。被写体という存在がなければ、写真は一点も撮れずで存立す ることすらできません。 そしてその被写体の数々を記録し写真として収めることができるわけです。それは私と被写体との 出会いの記録であるわけでしょう。 そしてさらにこういう掲示板というものを通して、世間の多くの人達の眼に触れることができるのも、 写真のもうひとつの大切な意味であるわけです。こごても写真は開かれているというわけです。 私が最初にカメラなるものを見たのは、手に取ったのは十代後半の頃でした。それまでカメラには何の 関心もなく、家にあるカメラですら触ったことがありませんでした。それで私が最初に出会ったカメラは、 友人が購入したペンタックスSPでした。当時私はデザインの勉強をしていましたので、やはり写真を 知ることは必要だよねって感じていたんですね。そういうタイミングの良さというものがありました。 それで友人のカメラを借りたり、先輩のニコン、また自分も中古のキヤノンなどを手に入れて、当時は 黒白フィルム写真でしたが、自家現像を含めて次第に写真にのめり込んでいきました。 十代末の精神的にも柔らかい時期でしたので、写真というものが私の精神形成に及ぼした影響力は とても大きかったと思います。当時はカメラ写真雑誌も多くて、写真の文化という度合いも高度だったと 言えます。また私の交友関係は写真を主軸にしてましたね。 そこで私が学んだことは、やはり当時の写真はジャーナリステックな視点が強くて、今のように芸術的 とかネイチャーとかいうのはあまり言われていませんでしたね。それはともかくとして、写真の原点とも 言うべき自分と被写体との関係ですか。それはやはり社会や自然という、外界と自分との関わりという ものが最も大切だなっていうことでした。また写真というモノがれっきとして存在することの確かさ、とい うものも魅力でしたね。 いくらアタマで何やかんやって言っても、写真では目の前の事物というものが最優先するわけです。 アタマで考えた理念が写真になるわけではないので、被写体というリアルな現゛質の存在が大切じゃない かって、なるわけです。この考え方は今も私は変わってないですね。 写真にはそれを始めた時期というのは重要で、成人になって精神が固まってからでは遅いかなって感じ るところがあります。もっとも写真にはいろんな考え方があるので老人になってからでも写真はできる わけです。しかしその内容は若い頃に始めた人とは随分と違うことになるでしょうね。 まあそんなわけで写真に入門したのは早かったほうですが、以降随分と写真から遠ざかった時期が 長かったです。写真を再び復活してのはパソコンが出現して画像処理が出来始めてからです。昔とった 杵柄というわけです。当初はフィルムカメラとPCスキャン、それからデジタルカメラですね。 最初は面白おかしく写真三昧でしたが、やがてこんなんではあかんなって感じました。大昔の自分が 最初に感じていた新鮮なあの写真の感覚。自分と写真と社会との関連性。写真における哲学や思想と いうものも考えていかないといかんのじゃないかって感じ始めたわけです。 そういうところにこの掲示板というものがあり、そこで自分なりの写真感というものを書き始めることに なったわけです。 そんなわけなので私の書くことは普通の人とは随分と違います。単純に写真の楽しさとか写真の技術 とか、そういうものを期待して読むとがっかりするでしょう。たまに勘違いをして私の文章を読んで何のこと やらわからへんって言う人がいるんですが、それは当然のことですね。 写真の原点が肌で理解できるようになるのは歳をとってからでは遅すぎるからです。また私がカメラや PCでの危険性を書くのもそういうことです。電磁波とかVDT症候群とか。これらも写真の原点と密接な 関係があるからです。フイルム時代にはなかったことですが現在では看過できない写真の原点のひとつ になるからです。 時代と共にカメラも写真も変わっていきます。しかしその原点というものは昔も今も変わっていません。 写真の本当の楽しさというものも実は変わっていませんね。変わってしまうのはユーザーです。それは 時代と共に変遷していきますから。 私が写真を始めた当初は、写真を趣味とする人はごく僅かでした。一眼レフを持ち、自家現像プリントを する人は極めて少ない存在でしたね。自動露出もAFもない時代でしたから。そういえば私が子供の頃、 叔父が写真趣味だったようで二眼レフを持ち、私もよく被写体に収まってましたっけ。私が写真人に なったのは叔父からの血筋があったのかもしれません。 昔と比べればカメラも写真方式も随分と変化していきましたが、それでも写真そのものに基本的な違い というものはないと思っています。 もしそういうものに興味のある方がいらっしゃれば、私の書き込みを読んでいただき、何らかの助けに なればいいかなって感じてます。今はもう健康維持として写真をやっているような体たらくですが、少しず つでも写真の初心を思い出しながら書けたらなあって思ってます。 写真カメラ雑誌の休刊が相次いでいます。カメラも売れなくなってきているのかな。写真に興味がない人 が多くなっているのかも知れませんが、そういう時代の流れとは関係なく、写真の良さや面白さというの は依然としてあるわけですから、写真というものに興味があるという方は、この掲示板を覗いていただき たいと願っています。 コロナ禍で撮影もままならないという時代ですけど、でも写真の面白さはこれからですかね。(笑)

デジタルカメラとは《 1部 》

デジタルカメラとは《 1部 》

デジタルカメラとは《 1部 》 これからの投稿は、このコメント投稿の継続版ということになります。 https://photoxp.jp/pictures/216816 相変わらずの超高画素高画質機の問題です。もうこの課題を熟慮考察し続けて随分な年月が経っている と思います。 ところで人は何故に超高画素高画質機を欲しがるのでしょう? いろんな理由があるでしょうね。まずは 高精細な写真画像が欲しいということ。これは当たり前ですが。(笑) メーカーが出す最高価格のカメラ が欲しいという人もいるでしょう。最新の高級機を使っているとかっこいいから。(笑) まあ三重県です。 中には最新のカメラを手に入れようとしても、もうそういうカメラしか売ってないから、というのもあります。 とにかく、自分は最新の高精細な写真画質を探求したい、というのが真っ当な購入理由かもしりません。 この私も超高画素高画質機を所持していますが、実は自分からの欲求によって積極的にそれらのカメラ を購入したことは一度もないんです。すべてこの掲示板の他の方の影響によって、そういう超高画素高画 質機のカメラを、中古ながら買ってしまったという、そういう類の消極的な考えの人間だったんですね。 ニコンD800から始まってクワトロHまで全て他者影響の下にあります。アルファ7Rやイオス5DSもそう。 私が自分の考えで欲しいと思って買ったカメラは2000万画素のカメラまでです。最近ではイオス1DXとか ですね。 随分以前になりますが、ソニーアルファ7という2400万画素カメラを購入した時(当時の最新の高画素機)、 その画像を見ながら強く思ったことは、これほどの高画素機は自分には必要ない、の一言でした。当時は ニコンD700とかの1千万オーバーのカメラを常用していて、2000万画素超えのカメラの必然性を感じられ なかったのですし、何よりも当時のPCでは表示や処理に時間がかかり、且つなによりも高品位モニターで 見る写真画像が辛かったからです。 私が超高画素高画質機のカメラのトンでもない弊害に気づいたのは、シグマのカメラを集中して使ってい た時期です。1年くらい他のカメラを使わずにシグマの、当時はDPメリル、SDメリル、dpクワトロでしたか。 とくにDPメリルは4機ありましたので2連結合セットして2セットとして使ってました。メリルは連写撮影撮影 が駄目なカメラでしたが結合することで2倍撮れ、さらに2セットなので4倍撮れたわけです。加えdpてクワト ロ2がありました。これは比較的連写撮影が可能でした。 そんなわけで鈍重なシグマの超高画素高画質機を際限もなく撮れるようにしたわけです。当然にPCモニ ターの閲覧時間も増えていきました。シグマの画像、撮ったのはよいものの、その閲覧に、当然に画像 処理にも想像以上の時間と労力を食われてしまっていたということです。 その結果なのてすが、私の仕事場における立場は怪しくなっていきましたね。自分ではわからなったの ですけどとにかくそういうことです。危うく大口の顧客を失う寸前のところまで行って私も眼が覚めました。 原因はシグマの超高画素高画質機にあると。それで以降、シグマカメラをメインで使うことはありませんで した。この後もdpクワトロ0、sdクワトロHと購入していますが、そういう超高画素高画質機のカメラを手放し で使うことはもうありません。 これは病理学的にはVDT症候群といいます。 ネットからコピペしますと・・・VDT症候群とは パソコンなどのように、ディスプレイやキーボード等で構成さ れているものをVDT(Visual Display Terminals)といいます。 VDT症候群とは、その機器を使用したデータ 入力作業や、液晶やブラウン管などの画面を見ながらの作業を長時間続けることで、目や体、心に支障 をきたす病気のことです。 ・・・これですね。私も知らずしらずのうちにこの罠に陥ってしまっていたというわけです。 VDT症候群は別の言葉で言えば、反射光の光で見る世界(これが世の中のほとんど)ではなくて、直射光 で見る特別なスクリーンなんです。その光源が蛍光管であれブラウン管であれLEDであれ、その光に向 かって眼を開けているわけなので通常の世界とは違うものになるはずです。 直射光は、有無を言わさず眼と脳に直接飛び込んでくるという気がしますね。反射光の一例である紙媒 体ですと、新聞にしろ書物にしても書かれていることが正しいとかどうかは、それを判断する脳は余地を 残した正常なままなのですが、直射光は違うという気がしています。よくネットで炎上したりとか過剰反応 をするのは、その内容がどうのこうのではなく恐らく直射光の光の成せる技なのかなって思ってますね。 それが証拠に過剰反応をされる方は文章の内容をよく読めていませんから。飛び飛びの単語で反応して いるだけです。そこに著しい知力の低下を感じざるを得ません。 昔の刑事ドラマなんかで、容疑者の顔にスタンドライトの光を当てて尋問するってのがありましたが、直接 光は人の正常な判断力を失わせてしまうようです。ですから画像の画質や画素数とかの情報量問題以前 にストレスのないモニター環境にしておくというのが大事です。 テレビでもネットでも広告で事業が成り立っていますが、それは直接光のなせる技であるとも言えるでしょ うね。反射光の広告よりも強力な広告媒体なんでしょう。 私の場合、デジタルカメラにおける漏洩電磁波問題は比較的早く知ることになったのですが、これとても 明確に理解できたのは車の事故に遭遇してのことですからね。人間というのは自分が痛い目に会わなけ れば結局、何も改めることなどは出来ないということなんです。それどころか痛い目にあっても分からない 場合がほとんどですね。 このVDT症候群は、以前から私も良く知っていたのですが、それがまさか自分にも降りかかってくるとは 思いもよらなかったというのが残念ながらの事実でした。 そうですから、VDT症候群によって悪影響を受けるのは、たかが写真趣味だけでは終わらないというわけ です。自分の全生活や仕事にも大きな影響を受けてしまうということ、これが肝心で重要ななんです。仕 事関係、社会的立場、家庭やご夫婦のことなど、全てに多岐にわたります。 それを言いますと、漏洩電磁波問題は自分の身体の健康力の低下だけで済むようで、比較的に被害は 低く抑えられます。それとても健康低下は病気の引き金になりますからね。 このVDT症候群にいったん陥った場合、写真は即止めなければなりません。あらゆる写真活動を停止す るのが無難ですが、とにかく超高画素高画質機は絶対的に即時停止、もう当分は使ってはなりません。 これは本人は気が付かないのですが、脳をやられるというか強いストレスで、脳が正しく機能しなくなるか らのようです。いわゆるゲーム脳とかゲーム依存症とかと同じことになるんですね。依存症というのはそ の悪影響下が常態になって自分では制御できなくなるということです。麻薬なんかと同じです。 そして自分では気が付かないのですけど、脳知力の低下も見られます。他人からみると、あいつは最近 どうなっているんだ?まともにやれていないじゃないか、と見られるわけです。それが事実なんですね。 超高画素高画質機の写真画像というのは、例えば1000万画素から2000万画素に行った場合は、これは 普通の脳の正常な機能範囲内にあるわけで一応は何も問題は発生しません。しかし2000万画素から 4000万画素に行ったとしますと、仮に脳の処理能力が2000万画素余という上限があるとして、4000万画 素のうちの2000万画素分の画像の情報処理能力はオーバーをして溢れ出ることになるわけです。 ちょうどダムの水を想像してもらえば分かるのですがダム湖が満杯になれば緊急放水をしなければなら ないですね。それは危険な状態だというわけです。人は仕事や生活において多くの情報処理をしている わけですが、それらの処理能力と画像の処理能力に区別はありません。それが写真の趣味でダム湖を 満杯にして異常放水までしなければならないという状況、これは如何にもまずい、ということが理解できる と思います。 脳のキャパシティは一定ですので、写真趣味で無駄に使ってしまうだけでなく危機状態にまで陥らせてし まうということが、如何にも危険だということ。それだけですまず、ダム湖も土砂で狭まって貯水能力が 落ちてしまったり、ダムに亀裂が入ったりもするでしょう。そうなるともう後戻りすることもできなくなります。 ですから、たかが超高画素高画質機の画像なんて大げさな、とは思わないことです。モニターに映し出さ れたものは強制的に脳内に侵入してくるのです。デジタルカメラは視神経の延長であるとは良く言った もので、この危険性には驚くべきものがありますね。 PCモニター(PCのビデオカード性能と液晶モニター)は高品位なものを使ってはなりません。安物の小さな もので良いのですしその方が安全です。カメラがいくら超高画素高画質機であっても出力のPCモニター がそれを映し出さなければ問題は大きく低下しますから。 そして何よりも入力側の超高画素高画質機は慎重にして使うことです。出来れば使わないのがベストで しょう。

無題

無題

こちらの事情ですが、単体のコメント投稿が出来難くなっていて、ただし掲示板への閲覧と写真投稿と 同時コメントはできるので、少し書いてみたいと思います。 笑休さんからは大変面白い記事を頂きました。シグマfpLに関することで技術的なことですが、知って おいて損なことではありません。 まず、笑休さんのいう・・・ >×1.24のクロップで使用するのが最高の解像度・・・というのは、CineDのfpLレビューの記事の、 https://www.cined.com/jp/sigma-fp-l-review-and-sample-footage/ ではないでしょうか? ここでは・・・ >最高の解像度を得るには、x1.3 – 2.48           これは大体クロップモードAPS-Hから、2倍以上のマイクロフォーサーズ規格と良く似た         シネマモード規格があったはずです。その設定でしょう。 >位相差AFの場合、x1.0とx1.53         これはフルサイズか、APS-Cモードのことでしょうか。 >最高のダイナミックレンジを得るには、x1.24          と書かれています。動画のフォーマット規格は、私も良く知らないのですが数多くあるよう         です。なお、以下の動画サイトのほうが分かりやすいかもしれません。 https://www.youtube.com/watch?v=xQ143t0hqAk&t=11s  最高の解像度というのはあくまでもセンサー素子1ピクセルあたりのポテンシャルな解像力であって、 写真画像全体での解像感ではないと考えるべきです。フルサイズ6100万画素からクロップモードにして 画素数を落として、それで写真の全体的な解像度が上がるという不思議なことではないでしょう。 それからこれはシグマの公式発言ではありませんね。あくまでも動画専門サイトのCineDの記事です。 そしてこのような考察は、動画シネマ撮影に於いては大事なテクニックとして知っておくべきかもしれま せん。シネマの撮影はとてもシビアなのでスチルと違って後でどうとかなるというのではありません。 しかし写真撮影に於いてもこれは有効であると思います。同じセンサーを使いながらも、カメラの映像エン ジンの仕組みにおいてクロップフォーマットサイズでの性能が違ってくるということで興味深いですね。

テスト

テスト

テスト  何故だか知りませんが、コメント投稿ができなくなっているようです。投稿写真だといけるのか?と いう気がして・・・ ごめんなさい、tontonさん。小民家ではなくて古民家でした。(^^ゞ  日本語変換ソフトIMEを、グーグルからマイクロソフトに変えたので、誤変換が多いです。 要するに中古の古い家を再生して再利用することですね。潰してしまうんではなくて。大体は昭和の 建築のものですけど、古いのは明治・江戸時代というのも。 ある程度は建築時に良材を使い設計が確りして金がかかっているものでないと再生の対象には ならないようです。潰す場合でも古材の再利用というのもありますよ。 昔はこういうのはよく行われていたんです。しかし高度成長以降、なんでも廃棄ってことになっただけで、 本当は家というのは昔は大事にされていました。現在、地方では高齢化と人口減少で多くの民家が 見捨てられているんですね。その多くは既にシロアリなどて使い物にならないのですが、この状況を なんとかストップさせたいという願いが根本にあります。 時代も変わって家屋だけでなく、何でも捨てていたものをリユース・リサイクルという考え方は大分浸透 してきたと言えます。それでも多くの消費者は、消費者の言葉のごとくにモノを過剰に欲しがりますね。 特に新しいものを。そうしないと経済が持たないというのもありますけど、それは経済に対する考え方 次第なんですけどね。 空、といえば最近は、太陽光発電や風力発電が本格的になりました。これらは地下の資源に頼って いたエネルギー源を、こんどは空に視点を向けたと言うこともできます。再生可能エネルギーというよりも 空の太陽を現在資源とする方向に変わっていると言うべきでしょうか。石油やガスの地下資源は、過去 の太陽エネルギーの蓄積エネルギーであったわけですから。 森が消失するのは辛いことですね。しかし地方ではかつての過剰開発された田畑が見捨てられて、森に 変わりつつあるのを見ます。瀬戸内の過疎の島々は典型的で、もはや鬱蒼とした常緑樹の森に変わって います。この傾向は都会でも、その周辺部での過開発はストップしているのではないですか。日本の 人口は減少しつつあるので、この宅地も40年もすれば取り壊されてもとの自然な森に戻るかもしれませ ん。

マイクロレンズ(フィルター)

マイクロレンズ(フィルター)

前回のSD10と同じ池での撮影。SD9の画質は10に比べて色濃度は落ちるのですが解像度は9が上 のようです。使ったレンズは同じです。ただし20ミリ側。立て位置の写真ですがモニターで見やすい ように寝かせたままでの投稿です。 こちらは古い機種のカメラで十分満足していて新しいカメラには関心がなくなっています。そしてミラー レスカメラよりも光学一眼レフが使いよいと思うようになっています。こういうのは私だけでなく、最近は 多くのカメラユーザーが同じような考えをしているようで、おそらく時代が変わってきているのじゃない かなって感じてますね。 SD9/10はバッテリーグリップ装備で使うのですが、中判カメラかと思うほどに大きく重くなりますが、 ファインダーはフルサイズなので、撮影時の満足感はとても大きいです。最近はもう、パソコンで画面 を見るのが面倒くさくなってますんで、撮影時の満足感だけで充足できるカメラが良いかなって考えて ます。そうなってくるとカメラはフルサイズ並みの光学ファインダーがあるカメラに利点が出てきますね。 しかしミラーレスを捨てたわけではなくて、こちらにも多くの利点があり、小型で軽量というメリットは捨て がたいところがあります。忙しくて多量に記録撮影する場合はミラーレスが向いていますね。カメラも レンズも小型なので、複数台のカメラ(レンズは各々に着けっぱなし)でスピーディな撮影ができます。 また、考え様によっては、ミラーレスの背面液晶はパソコンモニターと同じであると考えると、それこそ 撮影後にパソコンを見る必要はなくなるということで、撮影時ビューだけですべてが完結するカメラである わけですね。(^^ゞ まあ、ものは言いようです。(笑) シグマのカメラはそんなに良いレンズでなくとも画質が良くて満足感があるのですが、他のメーカーの カメラだと、やはり高品質なレンズを着けないと太刀打ちできないところがあります。この差は大きい ですね。しかし逆に考えれば古いベイヤー式カメラでも、高品質のレンズを着ければカメラが蘇えると いうことであるわけでしょう。ジャンクな古いカメラを多数持っていても、良いレンズが1本さえあれば、 全てのカメラが息を吹き返すということであり、やはりレンズ交換式カメラのメリットを自覚できるところ です。 もうひとつの解決方法は、センサーのサイズを上げてやることですね。APS-Cならばフルサイズカメラ にしてやる。たとえレンズがAPSレンズであったとしても、フルサイズカメラで撮影すれば印象画質は 随分と上がります。 とにかく古いカメラを蘇えらせる方法は多数あるのであって、今回の撮影にしても、このカメラが発売 していた当時には存在しなかったレンズで撮っているわけであって、当時の事情とは随分とちがって いますね。これとは逆に、古いレンズを最新の高画素カメラで撮って楽しむのもあります。発色は面白い のだけど解像力の落ちるレンズを、今度はカメラの力で上げてやるというやつです。そういうのも印象 操作であるわけですが実利を感じることができます。 いろいろと試して見ると、画像というのは何通りにも作り変えられるものであって、多面的な見方が 出来るようになります。これを「画像思考」というように考えても面白いですね。 SD9とSD10の大きな違いはセンサー表面に付けられたマイクロレンズの有無の違いです。これがある なしでこれぼとに違った画像になるのかと、今更ながらに驚いています。ローパスフィルターの有無で 画質が違ってくるのは皆さんご存知でしょうが、マイクロレンズでもそれがあるわけです。 そんなわけで古い機材と言えども飽きるということがありません。壊れて使えなくなるまで古い機材を 使い倒していきたいと考えています。