キヤノン EOS-1D X 作例

一眼レフ

2012年6月20日発売

EOS-1D Xの仕様

EOS-1D Xは、高速型のEOS-1Dと高画質型のEOS-1Dsを統合し、2012年6月に発売されたフルサイズのフラッグシップ機である。有効1,810万画素は、それまでの高画素側の頂点だった1Ds Mark IIIを下回る。統合にあたり優先したのは、スポーツと報道の現場に向け、フルサイズでAFを追従させながら毎秒12コマを撮ることであった。

シリーズ
EOS-1D
位置付け
1D系と1Ds系を統合したフルサイズのフラッグシップ機
ライバル
D4 D4S

EOS-1D Xについて詳しく読む

投稿写真 4547枚

瀬戸の内海

瀬戸の内海

最近はなかなか公私共にというか、いや私的に忙しくて撮影の時間が取れません。 という風に書きながら思うのは、写真というのは私的にではなく本来は自分的にやるもんであって、 ゴロを合わせれば自的にですかね。これだと自動的になりそうですが、とにかく自分的自身的に であって、つまり個人的んのであってパーソナリティのことだろうというわけです。私的はプライベート ですか。公的とはパブリックかソーシャルで仕事とか社会参加ですかね・・ まあ、写真にかぎらず個人的な趣味というものはそんなものでしょう。 アート作品でも、切り絵とか小物縫い物なんかの作品で、普通の主婦が高度なレベルのアートを 作ったりするのを見ると、これまでは公私共に忙しくして自分的な時間が取れなかっただけの女性 がとんでもなく高度なものを作れるということでびっくりすることが多々あるんですが、要するにそう いう個人的な能力を発揮できるチャンスや時間がなかっただけなんだと思うわけです。むろん秘め られたた才能はありながらです。 写真趣味、とりわけ撮影というのはあくまで自分だけの為に利益奉仕するものであって、それ以外 のものではありません。もちろんプロではなく趣味写真の場合です。しかしこれに邁進しすぎると 公私の方が疎かになる場合がでてきます。時間的にも労力的、金銭的にもそうです。 しかし自分だけに奉仕するという趣味写真とはやっぱりいいもんですね。浦島太郎の物語そのもの ですから。(笑) 太郎は最後には竜宮から戻って世間とのズレに気が付くのですが、それはとも かく夢中になって写真をやっている間は生き生き出来ていたはずです。 それで最近は村に戻った太郎のやるせない気持ちが分かるような感じがして(笑)、しかしそれ でも人間は自分的に、それのみで損得なく夢中になれるというのは良いものだなーって感じること です。なんか懐かしいような気がしてなりません。 人間、何が一番大切かというと、やはり自分が一番です。ついで私的なもの、そして公的なものと なるでしょう。自分が健康に動けて飯も旨いっていうのが最も大切なんであって、それを第一に考え ないと始まりません。自分を犠牲にして云々というのもあるわけですが私はそういう考え方はしま せん。

瀬戸の内海

瀬戸の内海

日本は今平和です。しかしロシアの向こう側では戦争の真最中ですね。ウクライナのことです。 そのウクライナもロシアの侵略を受けるまでは日本と同じように平和ボケをしていたという指摘があ ります。戦火に巻き込まれてボケから目覚めたということなのかもしれません。日本もやがてそうな るかも知れませんね。 それにしても考えてみればプーチンの頭の中も花畑というか、ロシア中華主義と核兵器というお花 畑に染まっているじゃないかということです。核抑止論、もしくは核の恫喝というのは、それが通用 するのは世界が平和だからでして、本当に国土が戦争状態になればそんな悠著な核抑止の花畑論 は通用しないだろうということです。 そしてプーチンのような格好をつける人間が、つまり歴史に名を残したいと願う人間が自ら核兵器を 使うことはありえません。核を使えば永久に歴史に汚名として残るわけですからね。ヒトラーと同じ ように。 ロシア軍は戦争犯罪をしまくっていますが、それはロシア軍とロシア国民が罪を負うべきものです。 この戦争が終わればロシアは国家を解体して国民は富を失い、食うや食わずの生活を送るべきです。 ロシアを豊にする手助けをした欧米の資本家には罰を与えなければなりません。 それは中国にも当てはまります。中国が以前のように貧しくなれば、地球環境には優しくなれます。 地球温暖化は待ったなしですが、その解決策とは専制主義国家には高度文明を与えないことです。 貧しいままにしておくことが世界と人類にとっては利益になり望ましいことですから。 専制主義国家も豊になれば自由な民主主義国家になれるというのはこれもお花畑論です。そんな ことはありえないというのが歴史に指し示されていたことではないですか。モンゴルは国土が肥え 豊かになったからこそ(大地に潤いができ、牧草が大いに育って家畜が増え、そして人口も増えた) 軍事力を蓄えて世界覇権に向かったのですから。

瀬戸の内海

瀬戸の内海

浦島太郎伝説というのは日本各地にあるわけですが、この瀬戸内にもあります。おそらく大陸との 交易の航路沿いにそういう伝説が芽生えたのではないですかね。竜宮城とか乙姫さんというのは なんとなく異国の朝鮮半島とか大陸中国を彷彿とさせますから。 亀に乗ってではなくカメラを担いで旅に出る。それが外国であれば尚更であって非日常の旅となる わけです。定年退職の年齢まで公私共に忙しく過ごされていた人がこれでやっと自分を取り戻せて 自由になれる。旅の日々そのものが祭りの連続であって、ハレとケのハレ日和であるんだからと 思いっきり羽を伸ばして浦島太郎をやれるわけですね。なんて贅沢な日々なんだろうかと思います。 カメラを持てばどんな日帰りの小さな旅でも人は個人的に自由な時間を過ごすことができます。 そういう魔法がカメラや写真にはありますね。太郎が乗った亀とは本当にカメラそのものだという ことです。もちろん移動するには車や交通機関は使いますがそれは仕事ではありません。カメラ を持つことで世界はがらりと変わる。公私から離れて自分だけの為の贅沢な祭りの旅となるわけ です。 子供の頃、皆と同じように私も祭りが楽しくてしかたがなく、村祭りの夜店などに出かけました。 そして翌日、その祭りがあった場所に行ってみると、既に祭りの舞台や出店などは影の形もなく がらんとした空間があるだけで、ああこれが非日常の祭りというものなのかと子ども心に感じた ものでした。そして地面に落ちていた小さなゴミとなった祭りの痕跡を見つけて、昨日の祭りは夢 ではなく実際にあったことだと知ると、子ども心にも祭りの無常性を知ることになるわけですね。 祭りも旅も同じでしょう。たった数日の旅行や旅に出るだけで、その旅に順応してしまう私がいて、 このまま永遠に旅暮らしができれば好いのに、と思う私ですが現実にはそうは参りません。(笑) 必ず旅からは帰り、日々の日常の生活に戻らなければならないが我々の宿命です。 熊野詣、伊勢詣で、金比羅参り。はたまた四国霊場等々の旅は昔からあって、人々はケの日常 を離れて、たまにはハレの非日常の世界に行くことを良しとしました。死に装飾の四国霊場などの 本物の巡礼などは当時は命がけであったはずですがそれでも人々は密かに心躍らせて旅に出た わけでしょう。 日々の生活からは異空間に行く。それが防人などや徴兵や傭兵に駆り出されることであっても、 どこかにそれは祭りとか旅と通じるところがありそうです。無事に生きて返ってこられればそれは 一生の体験の思い出になるようですから。大昔の奴隷として売られてそれで契約期間が過ぎて 村に帰ってくる。それもひとつの旅だったかも知れずで、とにかく旅というのは不思議なものです。 カメラを持てば我々は小さな旅に出かけることができる。知らない祭りでもカメラを持てば祭りに 参加できるような気がするしで。きっとカメラの中には元々異空間の何かが潜んでいて、そのカメラ を使うことで、写真としてその異空間の何かを取り出すことができるのではないかということです。 星辰にカメラを向ければ宇宙空間に旅することができるかも知れずでカメラや写真の不思議さに 今更ながら想いを馳せることになります。小さな蝶の世界観を垣間見るのもそう。 私が写真に望むのはキレイな画像としての写真ではありません。そうではなくて撮影者が旅に でた、祭りを見たという、わくわくした証しが写真として記録されていればよいのであって、きっと それが私が求める写真だと思うわけです。 キレイすぎる写真、上手すぎる写真はどこか醒めていてわくわく感が伝わってきません。しかし プロが撮る写真はキレイなんだけどわくわく感を伝えることが出来ています。何が違うのでしょうか。 雑誌に載る写真は同時に編集者や文章作家の添付や加工があるからですね。 つまりただ光景を写しとめるだけでは、その画像を羅列するだけでは写真の真意は伝わらない というわけです。 唐突ですが、この掲示板が廃れてしまったのは何と言っても広告表示のまずさにあります。投後者 の投稿写真と広告がまぜこぜで何がなにやら分からないのでは、視聴者はげんなりとしてしまいますね。 それと同じように自分が撮った写真をだた展示するだげては撮影者の撮影時の高揚感が伝わって きません。画像の羅列は写真とは言えないものになってしまうからです。 とにかく写真は見せ方も大事です。 ちなみに私のPCでは一切の広告がでません。それで皆さんのお写真もコメントもきれいに出て 見易いんですね。この掲示板のオリジナルデザインはとても優れていると思います。 印刷業に関わる者としては、最近のウェプデザインの酷さは常々感じているところで、そういうのは 何とかならないのかと思うのですが、要するに彼らにはそういうスキルがないのでしょうし余裕もない と思われます。IT技術者は圧倒的に不足していてデザインにまで気が回らない状態だと思います。

瀬戸の内海

瀬戸の内海

瀬戸内の光景というのはやはり全国的に見てもユニークなように感じます。大阪湾も含めた瀬戸内 圏内では日本の人口の1/3が住むといいますからかなり大きなエリアとなります。内海であり低地に 海が入っているというのが特徴ではあるのですが、またそれ以上に周囲を大きな山地山脈に囲まれ ているという特徴があります。地形的には広大な盆地となっています。 したがって風雨に晒されることが少なく晴れの日が多くて少雨で緯度的にも温暖です。盆地という のは長野県もそうですが晴れ日が多くて風もあまり吹きません。 年中穏やかな海と日差しがあります。私の見方としては瀬戸内圏を延長して近畿地方(京都奈良や 滋賀琵琶湖)まで含めた地域が広域の瀬戸内圏だとしているのですが、それらの気候や風土は皆 同じです。 文明が大陸からまず北九州に入り、そしてこの広域な瀬戸内圏に広がることで、大和朝廷という 古代の日本が形成されました。最近話題のロシアスラブ圏で言えば瀬戸内圏はウクライナに当たる という感じです。ウクライナほどに豊かな大地ではありませんが、ここを含まずして日本は成り立ち ません。 ちなみにウクライナには黒海という地中海が存在し、その豊かな産物を世界に輸出することができ ます。やはり内海という海の威力は大きくて文化的にも大きな影響力を持ちます。 余談ながらロシアは歴史的にどうしてもウクライナが必要です。帝政ロシアからソ連、そして新ロシア となってもその重要性は変わらず、ウクライナという豊かで比較的温暖な地域、そして海がどうしても 必要だというわけで今回もロシアはウクライナに侵略を進めたのです。 ウクライナの民とロシアの民とは同胞であるというロシアのプロパガンダがありますが、それは無論 間違っています。ウクライナとロシアとは別の民族であり、ただ同じロシア語圏(言い換えればウクラ イナ語圏)であるだけです。中国と日本は同じ漢字表記を使っていますが同民族ではありませんね。 それと同じですから。 ヨーロッパの地中海というのは地学史的にみればパンゲア大陸時代の古テチス海の名残です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%82%A2%E5%A4%A7%E9%99%B8 地中海から黒海、そしてカスピ海は全て地中海です。昔の外海が陸地に取り囲まれたわけですね。 そういうのは北米の五大湖もきっとそうでしょう。 地質的な形成は違いますが日本の瀬戸内もひとつの地中海と言えます。外洋に直接面していない ので海は穏やかで交易に向きます。文明の発祥は全てこの穏やかな海を持っているかどうかで 決まるようです。もしくは内海に匹敵する大河。でも南北アメリカ文明のように例外もあるようです。

瀬戸の内海

瀬戸の内海

アートと写真とは何が違うのかというと、様々な相違がある中で、私としてはアートは歩かなくても できるけど写真は歩かないと話にならない、というのがあります。 やはりこの歩きの威力は極めて大きいです。瀬戸芸などを見ているとアートは人を引き寄せる力が あるようです。鑑賞者がわざわざ出向いてくれるのです。それはお店を出していて、お客さんが来て くれるのと同じです。もうひとつ営業職というのがありますね。外販ともいいます。これはこちらから 出向いて注文を取り商売をするという形です。この違いがアートと写真にはあるようなので、私として は出歩くのが好きだから写真でありフォトグラフィなんだろうと思います。(笑) 豊島(てしま)美術館 https://benesse-artsite.jp/art/teshima-artmuseum.html 福武財団が作った一風変わった美術館です。入れ代え等の展示品はありません。多分この写真に 写っているものが全てで、この建物自体がアートであり作品そのものというわけでしょう。 こんなのを作って美術館としてやっていけるのかどうか、と思うわけですが、けっこう来訪者は多いよう です。いや少ないんだけど客足が途絶えないそうです。常設展示や特別展なんかをすれば人手が 必要になります。人件費が掛かるわけですね。そこで作品はなし、これっぽっちだとすると人件費を セーブできるんです。けっこう考えてますね。(笑) 歩きの写真、座業のアートとは言いながら、最近の現代アートは野外での現場作成が多いです。 むろん写真にしても作品となって画廊で陳列すればアートになるわけです。しかしまあ、写真の本来 はやはり印刷です。出版ですね。そして面白いことに現代アートの殆どは一回限りのものが多く、 写真に撮って、もしくは出版をして後世に伝えるという形をとります。 現代アートも写真も極めて近くなりその垣根はあまりなくなったのかもしれません。 写真は高松港と女木島/男木島を結ぶ小型の定期フェリーです。2船あってもう1船は古いタイプの まま。瀬戸芸の影響なのか、船もアートしています。(笑)

無題

無題

人はなぜ、写真を撮る、写真をするのでしょうか。 その本質的な理由は自己存在感の確認のように感じられます。 例えば人は他者と対話すること、他者と交わることで自分を知るところがありますね。 それと同じことで、被写体とは他者であり、光景とは自分以外のものです。それを写しとめる ことで、ちょうど他者と交流したのと同じような気分を味わうことになるのではないでしょか。 人(他者)がいて自分がいるからこの世界は成り立っている、というわけで。 その為の交流や会話の道具ともいえるものが写真のように思えるんです。これは最低限の 写真の属性というか本質的な概念のようなものです。 現在は写真がデジタル化しました。それで写真の物質感というか存在感が希薄になってい ます。昔は写真と言えばフィルムがありプリントがありで、写真とは様々な物質感覚を伴う ものでした。それがデジタルとなりますと、そもそもデータというものは手ざわり感がなく 存在感が希薄です。その存在を確かめることもできせん。唯一感覚として存在しているのが カメラ機材ですね。PCもそうですが。 しかしその機材もPCもコンピューターです。これはブラックボックスですね。 デジタル時代から本格的にアマチュア写真活動をした人は、例外があるにせよ、だいたい 分かります。その存在感が薄いのです。写真を見ればどこかでみたことのあるような写真を とりますし、コメントを見れば匿名だったり、自分の考えがまるでなかったりで、直ぐに分かり ますから。 デジタル写真というのは本当に希薄なものだと思います。そういう写真とも言えぬ画像で、 冒頭に述べたように、自らの自己存在感の確認ができるのかとうか。怪しい限りです。 デジタル写真は単なる時間つぶしではないのか?という気分にも通じ、その空しさの果てに デジタル写真から去っていく人が多いです。さりとて存在感があったとされるフィルム写真 に戻ることももはや出来ません。精々、写真をプリントするくらいが関の山です。(でもこれは けっこう効果があります。)

無題

無題

デジタル写真はコンピューターで、その本質たるデータ制御ですから極めて効率的で高性能 です。コンピューター制御されたカメラは高速で確実に被写体を捉え、有無を言わせず力技で 多量の画像をゲットすることができます。その画像もデータ化され、劣化もしませんし膨大な 画像を蓄積することができます。 昔の大砲というか榴弾砲はまず一発撃って着地点を見て次に撃つ弾は修正を加えてやって いくという具合でした。しかし今の高機能ロケット砲は、着地点の座標を入力すれば自動で 飛んで行き、動かない的であれば100パーセントで当たります。その敵地の座標はドローンや 衛星で捉えることができます。逃れる術がないということで、ロシア兵は砲弾の餌食になるた めに戦場へ出かけて行くようなものです。 高性能のデジタル写真を扱うのは、それはハイマースを扱っているウクライナ兵であれば良い のですが、そのハイマース・高機能ロケット砲システムを持っていない側のロシア兵であれば、 それは悲惨なことになるというわけです。 そしてデジタル写真を使っている我々が、そのロシア兵ではないという保障は実は何一つあ りません。我々はデジタル写真を使っているのか、それとも使われているだけなのか。 吊橋の曲線はカテナリー曲線というのですが、私が中学生の時、この曲線の数式出したくて 四苦八苦したことを思い出します。むろん中学レベルの数学で解けるものではありません。(^^ゞ  ロータリーエンジン内部の曲線にも興味があって、マツダからわざわざ資料を取り寄せて見て も理解できず、近所の帰省中の大学生のところに教えを請いにいきましたが、その預けた 解説書は永遠に手元に戻って来ませんでした。(笑) 最近の中学生は恵まれていて、ネットで簡単に高等数学を学ぶことができます。英語にしても しかり。優秀な子どもはいくらでも学力を高められる時代なんですね。そういうコンピューター 時代は優れた子どもには良い時代でも、そうではない子どもには逆に厳しい時代となっている ように感じられます。

無題

無題

キヤノン板で新しいミラーレスカメラが登場しています。 https://photoxp.jp/pictures/221143 キヤノンRFレンズ一覧 https://cweb.canon.jp/eos/rf/lineup/ RF100-400mm F5.6-8 IS USM https://kakaku.com/item/K0001383775/ 参考:RF100-500mm F4.5-7.1 L IS USM https://kakaku.com/item/K0001272155/ ----------------------------------------- ミラーレス一眼 人気売れ筋ランキング https://kakaku.com/camera/mirrorless-slr/ https://kakaku.com/camera/mirrorless-slr/ranking_V071/ やはり最新ミラーレスの写りは凄いものがありますね。(^^ゞ  当方は古いカメラを使用しており、現行新機種には疎く、それで調べると色々と出ているようです。 イオスRミラーレスシリーズで、APS-CフォーマットではイオスR7という機種もあるようです。 もう時代は完全にミラーレス機に変わったね、というところでしょう。もはやデジタル一眼の時代では ありませんね。 タムロン ミラーレス用レンズ https://www.tamron.jp/product/ ミラーレスレンズは、ソニーとフジ用しかないようです。シグマもよく似た状況ですね。サードパーティ 製レンズは、キヤノンとニコンのミラーレス市場からは締め出されているみたいです。ここでも時代は 変わったということが見て取れます。 ミラーレスはそのEVFさえ良ければ眼を傷めることがなく、全てに於いてデジイチよりも優れたカメラと なっています。なんといってもミラーがなく、且つ電子シャッター方式にすればメカニカルなパーツを使わ ずに済むので作動時に漏洩電磁波がでません。この利点は言うまでもなく、私はこの利点だけで小型 のミラーレス機を愛用しています。(背面モニターのみでの使用) 先日、カメラ屋の店頭でニコンZ9を見る機会かありました。EVFは素晴らしいですね。APS一眼のダハ ミラーペンタ並みの見え方だったと感じました。もうここまで来たのかという感じでやがてはフルサイズ 一眼のファインダーレベルに達するのは時間の問題なのかもしれません。それでも光学一眼レフの ファインダーとは根本的に仕組みが違うので躊躇するところはありますがそれもやがては解決できるの でしょう。 現時点での推測の域を出ませんが、EVFファインダーが良いと思われるのはニコンZ9とイオスR3でしょ うか。どちらもプロ機なので職業カメラマンの酷使に耐えるカメラであり安全性も考慮されているだろうと いうカメラです。(もっとも安全性は期待値にしか過ぎませんが) このようなことを申しながら、私はまだまだ古いオールドなデジイチを使っております。ただし使い方が 普通のアマチュアとは異なります。ハイアイポイント撮影やノーファインダー撮影を心がけて、可能な限り 漏洩電磁波を顔面頭部に浴びないようしています。 そういう考慮をすれば、まだまだオールドデジイチは使えるかなって思っておりますが、いずれはZ9や R3なんかに行かなければと感じています。 もっとも稀にしかカメラを使わず、しかもショット数が極度に少ない人は電磁波問題を考慮する必要はあ りません。安全圏内におられる方です。 ただカメラを程よく使う人や、一旦持ち出せば撮影ショット数の多い方は、早めにミラーレスに行くほうが 結果的にはよい個人的利益をもたらすと考えます。電磁波は放射能と同じ積算効果がありますので、 積み重なると健康的に大きな負債を抱えることになります。その負債を曝気消化するのには数年の時間 が掛かり実に大変です。 私にはその苦い思い出がありますので、EVFをメインとして使う本格ミラーレスカメラには及び腰です。 そして電磁波被害と並んでスクリーンによるVDT症候群の被害も体験しているからですね。 しかしEVFファインダーはパソコンモニターのように長い間眺めるものではなくて、ほんの一瞬であるため さほどの心配はないのではと思えます。ただし動画撮影の場合だと事情は変わりますけど。 そうは言っても大事な眼と脳を揺るがす可能性のあるEVFミラーレス機には、その選択には用心過ぎる ほどの警戒心は持たなくてはなりません。 ※撮影レンズはフィルム時代の80-200f2.8です。発色が色濃く出るのが気に入っています。 コロナ禍下ですがぼちぼちイベントや祭りが復活しつつあります。それでもまだまだ及び腰で主催者側の 出し物はまだまだという感じです。しかし見物する市民は待ち焦がれた祭りに怒涛のごとく押し寄せ、出 店には長蛇の列が。 広角標準ズームはほぼノーファインダー撮影。望遠ズームはハイアイポイント撮影で済ませました。こう いう撮影は撮影時の記憶が乏しいのが特徴でして、撮影後にPCで見直す気分にはなれません。(笑)

無題

無題

瀬戸内は潮の流れが特徴です。穏やかな海ですが始終、潮目は変わっているんですね。 写真は撮影が楽しくあるべきなのか、それとも楽しさをある程度は自重し、押さえこんだ 淡々とした撮影でよいのか。迷うところがありそうですが、今の私は安全安心第一で行き たいと考えていて、ミラーレスカメラの電子シャッターモードの背面液晶モニター撮影を よしとしています。 だいたいはカメラを手にして歩いて撮影ができること自体が幸せであると思っているので それ以上は求めないことにしています。 健康に歩いて野山で撮影できない人は大勢います。またそれなりのカメラを所有すること が難しい人も大勢です。この2つがクリアできている自分なので、それ以上は求めるべき ではないと考えるところがあります。 プーチンは実力があって幸運で、そしてスケールが大きい人物です。多くのモノを求めて、 それが実現でき、その結果としての現在の彼があります。ここまで個人の力量が大きくな ると、もはや個人の運勢を越えて、それが国家や民族の動向と深くリンクしてしまいます。 ロシアのことを思えば一刻も早く倒れてくれることを望むのですが(白血病のようですね)、 天がロシアそのものを成敗することを望んでいるのならば、またまだプーチンは権力を発揮 し続けるのでしょう。 個人が時代に影響を与えるのではなく、時代が個人を登場させ操ってしまう、というのが 正しい見方であるわけですが、沈まぬ太陽がないように大きなスケールの王も皇帝もやがて は没します。 戦争も3ヶ月となると趨勢が見えてきます。ロシアと西側との実力差は大きすぎましたね。 戦争はやってみないと分からないところがありますが、最早結論は出たようです。後は核 を使うのか使わないのか、という子供じみたことだけが残っています。使っても使わなくても プーチンとロシアの結末は見えています。 本来のスラブ文明はロシアではなくウクライナにこそ存在したというのが本当だったようです。

雑感

雑感

シグマ50-500の最長側のショット。このレンズは手振れ補正付きですし、AFも超音波モーターです。 直進ズームが可能で、望遠スナップ撮影が容易くできます。非常に扱いやすくてベストセラーのレンズ だったんではないでしょうか。画質も悪くありませんし。 この50-500系の初期型の手プレがないモデルも好きでして、今は入院中ですが、手振れ付きよりも 100~200グラムは軽く、鏡胴が細いので持ちやいです。このシグマ50-500初期型とEF35-350とが ほぼ同じ画質レベルでして、手振れ補正がないということでも共通しています。 キヤノンEF35-350が1.3キロくらいで、タムロン200-500が1.3キロくらい。初期型50-500が1.8キロ台で 後期の手振れ付き50-500が2キロですので、それぞれ僅かな違いですが各百グラム台でカメラを持つ 長時間の疲労度がちかってくるんですね。 現行のシグマが60-600となり、重さも2.7キロとなると、これはもう私の体力ではカメラを手に提げての 撮影は出来ません。レンズは2キロまででないと持ち歩いての撮影は無理ですね。 それからこういう長倍率のズームレンズは、最短側のミリ数が低いというの大事で、EF35-350はその 一点だけで高く評価できます。シグマも50ミリから撮影できますからね。なんとかギリギリ自分的には 合格ですか。(^^ゞ 

無題3

無題3

中古EF35-350を買った機会にデジイチにおける再発見が続いているのですが、そういえば肝心なこと を書き忘れていました。 それは、デジイチ=望遠レンズ&広角レンズであり、ミラーレス=広角標準レンズ限定であるというよう な使い方です。勿論ミラーレスでも望遠レンズが使えないことはないのですが、それにはEVFを使用し なければなりません。背面モニターで望遠レンズを使うのは厳しいですね。 私の場合はミラーレスは背面モニター限定なので使うレンズは広角と標準レンズだけです。 昔デジイチばかりを使っていた頃は望遠レンズでスナップ撮影をしていました。70-200ミリとか300ミリ とかですね。今、そういう望遠レンズはホコリをかぶっていたのですが、今回の機会で取り出して使う ことにしました。 だいたい望遠も300ミリ以上になりますと写る世界が変わってきます。超望遠の世界に突入すること になるわけです。今はコンデジでも1000ミリ相当までいくのでなんですが、大昔は200ミリで超望遠で あり、ライカ型レンジファインダーだと望遠は135ミリくらいでした。肉眼ではせいぜい200ミリくらいの ものしか判別できません。個人の視力にもよりますがね。 そうなってくると300ミリオーバーの世界というのは異次元の世界であってカメラ、一眼レフカメラでしか 見えない世界であるわけですね。 今回、投稿した写真はシグマ50-500という高倍率ズームレンズであり標準から超望遠までこなせると いうことで実に便利なレンズです。カメラを含めると軽く3キロオーバーですので野山の歩き撮影には 向きません。ある特定の場で重点的に使うっていうことになります。 そして望遠レンズの場合は人物スナップ撮影ではショット数は膨大になりますね。数百から数千ショット になることもありました。こうなってくると電磁波被害は大きいです。また被爆を防ぐハイアイポイントや ノーファインダー撮影もできません。きっちりファインダーを見続けての撮影であります。 思い出してみると、私にはこういう撮影から足を洗うためにデジイチを捨てたというところがありました。 ミラーレスに行きますと広角標準であり、人物スナップはせずに野山を歩いてのんびり撮影となるわけ でして、デジイチでの撮影とは大違いでしたね。 今思い出してみると、こういう撮影における大転換を私はしていたということになります。撮影対象や 撮影スタイルまで変えるって言うことは普通はしませんが私の場合はそれをやりました。カメラもレンズ も被写体も全て変えてしまったわけです。なんというか別人になったという感じですかね。(^^ゞ  いまもそういう撮影をされている方がいて、S9000さんなんかがそうでしょう。今は野鳥撮影に邁進され ていますが少し前までは望遠人物スナップでした。野鳥ではタムロン150-600とか、スナップではシグマ 135ミリとかですか。APSカメラだと200ミリ以上の世界での撮影です。 他方、同じデジイチを使っていても裏街道さんは広角標準での作品撮影をやられています。使うのは 24-105ミリくらいですので、レンズ的に見ればミラーレスカメラでも可能です。 私は野鳥撮影こそあまりしませんでしたが、だいたいS9000さんと同じような使い方をしていたという ことになりますか。カメラの電磁波が気になるところですが、彼の使っている機材はAPSの低電磁波の カメラですのでさほどのことはないのでしょう。 今回の撮影で望遠レンズでの撮影は、それがデジイチによる光学ファインダーであるならば、別格の 世界観が開けるというか、多くの方がこれに虜になるというのが改めて良く理解できるようになりました。 圧縮感とボケの世界ですかね。そして被写体の切り取りの世界でもあります。こういのは写真の世界 でしか得られないもので裸眼のそれとは大きく違っています。 ある記事に水鳥の野鳥撮影をしている方が、ファインダーを見ているだけで幸せになれる、というような ハイアマチュアインタビューでの新聞記事がありましたが、プロ機とEF600ミリの光学ファインダーで見る 光景は本当に異次元の世界ですからね。300ミリF2.8のレンズでもそうでしたから600ミリF4では尚更 です。 またある若いアマチュア(多分ミラーレス機を愛用の人)が、私の1Dカメラと望遠レンズを羨ましがって おられましたが、望遠撮影をすることにおいてはデジイチに憧れるのは当然のことかと思います。 そういえば昔、私がステージのアロハの踊りをサンニッパなどで撮っていると、それを見ていた若い男性 がわざわざ挨拶に来て、凄く楽しそうに撮っているのを見て感激しましたと言われたことがありました。 まあ傍目にもそう見えたんですかね。(^^ゞ  そんなわけで望遠撮影であるならば、ミラーレスカメラは依然として苦しくてデジイチに軍配が上がると いうことになるのでしょう。デジイチの光学ファインダー、そこでは非常に美しく神々しいまでの世界が 垣間見えるということです。写真なんか撮らなくてもファインダーを見ているだけで・・・というわけには いきませんけどね。(^^ゞ  余談を言いますと、手持ち望遠撮影は身体的には上腕筋を鍛えられます。レンズだけで1キロ以上の ものが多いのでカメラと合わせれば2~3キロとなり、それを長時間持ち上げ下げするのは、加えて歩き もありますから体力増強にはもってこいです。私がデジイチを完全に捨てないのはこの効用があるから です。 こういう話は、ミラーレスとかコンデジとは全くもって違いますから経験のない方には想像すらできない かもしれません。同じ写真ということで何でもかんでも十把一絡げ(じっぱひとからげ)にひっくるくるめて 考えるわけにはいかないのですね。 最近はシグマがソニーEマウントの150-600ミリのレンズを出したり、キヤノンがイオスR3でプロ用のEVF を搭載したモデルとかでミラーレスでも超望遠撮影ができるような体制が整いつつありますがまだまだ です。超望遠レンズとデジイチはそんなわけですこふる相性がいいんですよ。 話は変わりますが、写真というのは、実際に機材を駆使して写真をやっている方の見方と、それと一般的 に写真というものを、ただ見る側の見方とは全然違うんですね。例えば写真評論家などは実際には自分 では撮影はしなくて、データや紙になって完成した写真画像を見ての感想とかになります。その両者は まるで違います。美術評論家なんかもそうです。 私が以前に取り上げた、「写真はわからない」小林紀晴著、は実際の現役カメラマンが考えて写真を評論 しているということで大きく評価しているのですが、殆どの写真論は実践的なものではなく、メディア論議 的な写真論であるわけです。それは頭の中での机上論なんですね。 頭の中で考えたことと実際とはまるでちがう。これは今のプーチンがそうですからね。(笑) 日本の左翼 の人達の国防お花畑論もそうですし。そんなのは世間にごまんとあります。とにかく自分でやってみよ、と 言うわけでして、実践が伴わない論議は不要です。 んなわけで、今回試しているのは望遠一眼の世界の再評価ということで、もうしばらくはやってみようかな と思っていますが、正直言って既にミラーレススタイルに転換してしまっている自分としては、やりながら も違和感は否めないです。懐かしくはあるんですがね。 とにかくデジイチの撮影、とくに望遠レンズの撮影はとてつもなく楽しいんです。しかしミラーレスの撮影は ちっとも楽しくなんかない。その落差はあまりにも大きんいですね。こういうのは体験したものにしかわか りません。 しかしながら私はその楽しい快楽の世界のデジイチを捨てて、苦行にも似た喜びがあるミラーレスの 長距離歩き撮影に向かいました。一時の快感よりも長い幸福をもたらすだろうという選択をしたわけです。 こういうのは重い三脚とカメラを担いで野山を撮影するのにも似て、本格機材をつかった長い経験がなけ れば分からないかも知れませんね。ともあれ写真撮影は経験論です。 ※撮影場所は最近とみに有名になった三豊市の父母ヶ浜でのショット。数年ぶりに訪れてすっかり観光 化し様変わりした浜に驚くやら何やら。(^^ゞ 大昔の香川の西側の浜はこういう引き浜が延々と続いて いたんですが高度成長期にすっかり干拓と埋め立てで消滅しました。この引きの大きい砂浜と穏やかな 瀬戸の海の組み合わせは、県外客にも人気のようです。素足で歩いても怪我をしないように浜はよく 清掃されていました。清掃車はEVカーでした。

Camera Profile

EOS-1D Xについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

2011年10月18日の発表時には、翌年3月下旬の発売を予定していた。二度の延期を経て、実際に発売されたのは2012年6月20日で、店頭予想価格は65万円前後だった。1プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS-1D X」を6月20日に発売決定 開発側によれば発表時期にはロンドン五輪を考慮しており、東日本大震災の影響がなければ、もう少し早い発売を目指していたという。2インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンに聞く「EOS-1D X」のハイエンド戦略 ~10年越しに実現。1Dと1Dsの2ライン統合

ラインナップ上の位置付け

EOS-1D Xは、2009年のEOS-1D Mark IVと2007年のEOS-1Ds Mark III、その両方を継ぐ機種として登場した。従来は高速性能と高画質に重点を置く二つのフラッグシップが存在したが、キヤノンはその役割を一つに統合した。高画質側だけ、あるいは高速側だけを更新した製品ではない。3プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラの最上位モデル“EOS-1D X”を発売

二つの系統には撮像素子の違いもあった。1D Mark IVは1,610万画素のAPS-H、1Ds Mark IIIは2,110万画素のフルサイズであり、1D Xは1,810万画素のフルサイズを選んだ。連写はそれぞれ約10コマ/秒、約5コマ/秒だったものを、AF/AE追従で最高約12コマ/秒へまとめている。画素数では1Dsを増量せず、フルサイズと高速撮影を共存させる方向へ旗艦の性格を変えたのである。4プレス デジカメWatchキヤノン、12コマ/秒・ISO204800のプロ向けフルサイズ機「EOS-1D X」

先代からの進化

AFは従来の45点から61点へ増え、最大41点がクロス測距に対応した。さらに、約10万画素のRGB測光センサーが顔や色の情報を捉えてAFへ渡す。画像処理用にはDIGIC 5+を2基、測光処理用にはDIGIC 4を別に搭載した。高速で撮り続けるために、画像の処理だけでなく、被写体を捉えて露出を決める側にも専用の処理系を用意した構成である。3プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラの最上位モデル“EOS-1D X”を発売

常用感度はISO100〜51200、拡張では204800相当まで対応する。ただし、最高約12コマ/秒という連写速度には条件があり、ISO32000以上では約10コマ/秒になる。最高約14コマ/秒のモードは、ミラーアップしてJPEGのみを記録する別の撮影条件である。AF/AE追従の12コマ/秒と同じ条件で使える数字ではない。3プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラの最上位モデル“EOS-1D X”を発売

周辺機能も現場の運用に合わせて更新した。記録はCFのデュアルスロットとなり、シャッター耐久は先代の30万回から40万回へ向上。背面には3.2型液晶を備えた。5公式 キヤノンEOS-1D X - キヤノンカメラミュージアム 動画はフルHDに加えてALL-IとIPBの圧縮方式やタイムコードに対応し、多重露光、カメラ内RAW現像も搭載した。4プレス デジカメWatchキヤノン、12コマ/秒・ISO204800のプロ向けフルサイズ機「EOS-1D X」

ライバル機種との比較

同時期のニコンD4も、店頭予想価格は約65万円のフラッグシップであった。有効1,620万画素、AF/AE追従で約10コマ/秒、51点AFを備え、シャッター耐久は40万回。記録メディアはXQDとCFの組み合わせである。両社とも、画素数だけでなく連写、AF、耐久性を組み合わせたプロ向け機を投入した時期だった。6プレス デジカメWatchニコン、AFやAEを一新したフラッグシップ機「D4」

開発の背景

フルサイズと高速連写の両立は、初代EOS-1Dの発表以来、約10年にわたる目標だった。商品企画の吉開俊二らによれば、技術的な壁があったため、それまでは1Dと1Dsの二つに分けて提供していた。1D Xで画素数を1,810万に抑えた理由も明確で、スポーツ・報道向けに1D Mark IVの10コマ/秒を超える12コマ/秒を優先し、画素数とのバランスを取ったためである。2インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンに聞く「EOS-1D X」のハイエンド戦略 ~10年越しに実現。1Dと1Dsの2ライン統合

12コマ/秒でAFを追従させるには、メカ、電気、ソフトウェア、レンズを含めた対応が必要だった。ミラーユニットにはクアッドアクティブミラーストッパーを採用して動きを安定させ、ミラー自体も従来の湾曲形状から平面へ変えている。画素数を決める判断と、撮影のたびに動く機構の見直しは、同じ連写目標に向けた設計だった。2インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンに聞く「EOS-1D X」のハイエンド戦略 ~10年越しに実現。1Dと1Dsの2ライン統合

暗い現場への対応でも、目立つ最高値と実際の使用域を分けて考えた。拡張ISO204800は、事件や事故の極端に暗い場所でも撮影できることを重視して用意したものだが、開発側が最も注力したと説明するのは、実際に使われる感度域での2段分の改善である。また、有線LAN端子は国際イベントで無線より確実な接続を求める報道関係者の要望を反映した。撮る速度、暗所で記録する能力、画像を送り出す手段までを、現場の要求につなげた機種だった。2インタビュー デジカメWatchインタビュー:キヤノンに聞く「EOS-1D X」のハイエンド戦略 ~10年越しに実現。1Dと1Dsの2ライン統合

利用者の評判

価格.comのレビューでは、AFと高速連写、実用的な高感度性能が繰り返し評価され、スポーツや野生動物撮影への適性が良い点に挙がる。調査時点の満足度は191件で4.82点、ホールド感は4.94点だった。一方、本体の重さや電池の消費への不満もあり、携帯性は3.31点と低い。撮影性能と持ち運びの負担に対する評価が、項目別の点数にも表れている。7レビュー 価格.comCANON EOS-1D X ボディ レビュー評価・評判

評判の出典

10件

内容の確認日: 2026年10月1日

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