SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

不運と幸運

不運と幸運

3.11フクシマ原子力災害では、最大不運と最大幸運が同居をしています。 それはフクシマ原発の位置であって、太平洋側に位置していたから、そもそも 大津波でやられたわけですね。 津波で補助電力が全てさらわれてしまった。 それから爆発を数度起こしていますが、幸い太平洋側だったので放射線の拡散は 内陸部へは最低限ですんだということ。風向きの関係でほとんどは太平洋上空へ 流れてしまったのです。これ、ものすごくラッキーでしたね。 それから冷却のために膨大な量の海水を原発内に流しこんだのですが、最終的 にはその放射線を含んだ海水は太平洋に流しました。その膨大な海水は、 世界一の太洋が飲み込んでくれました。もしこれが日本海だったら大変なことに なっていました。高濃度の放射物は日本海(基本閉鎖系)に滞留してにっちもさっちも いかなくなったはずです。 もちろん日本海側の原発であれば、飛散した放射線は東北各地を襲ったでしょう。 ただし日本海側は大津波がないのでそもそも重篤事故は起こらないでしょう。 この太平洋と日本海の差はものすごく大きいんですね。 地図で見て分かるように太平洋は巨大であり、しかも日本列島のすぐ東は深海であり 巨大なエネルギーを持つ海流(黒潮・親潮)が流れています。 日本近海の海流 http://imagic.qee.jp/kairyuu.html ウィンドウプロファイラ http://www.jma.go.jp/jp/windpro/ こんな感じで、フクシマは不幸だったけど幸運でもあったわけですね。 ところでフクシマ原発の処理で、日本の原発技術者はもう払拭してしまいました。 今ある技術者は既に高濃度に被爆してしまい、もし次の原発事故が起きたとしても、 その収束の為の人材がいなくなってしまったということです。ニッポンは国力をもう 使い果たしてしまったということになります。 ちょっと考えるところがあって、ソニーミラーレスを使うのを止めようと思う。 特にマニュアルピント操作ではいっそう危険な気がする。 とにかく安全なカメラとしては、やっぱりキヤノン、ニコン、そしてシグマなのだ。 ソニーは家電メーカーなのでカメラは作っていないのだというべき。(笑) ※この写真はrawのlow画素数で撮影している。だからクワトロになっていないのじゃ ないかと思ってます。 少し梅が咲いているのが分かるかな。(^^;

気分は日本海

気分は日本海

まだ風邪引きは治っていないのだけど、暇なので小さな山に登った。 この写真は説明しないと分からないのだけど、平野部を縦貫する高速道路を 撮影したつもり。 土盛りをしているので人類が滅んで千年経っても、この直線は失われない たろうと思う。 撮影地の山は我拝師山(標高481m)でその380mに寺があり、冬場は必ずと 言って良いほどに積雪が見られる。 シベリア寒気団は山陰側で盛大に雪を降らせるのだけど、中国山地を超えて きた風は、再び瀬戸内の海の蒸気を吸って僅かながらでも四国側に雪を降ら せるのだ。雨が降らない香川では、その僅かな積雪でも有難いということになる。 最近、凄く気になっているのは「日本海」。 この日本海があるから日本がある。独立して大陸とは別個の文明を構築する ことができているように思う。 もし空想として、日本海がだだっ広い草原だったとしよう。そうすると冬場の 日本列島の膨大な積雪は無い、ということになる。 列島はモンスーン地域だから梅雨には雨が降り、台風時には盛大に大雨が 降るだろうけど、そのような降雨は一瞬にして海へ流れてしまい豪雨と旱魃の 両方で苦しむことになるはずだ。 日本海が草原になることは空想だけど、日本海に対馬暖流が流れ込まなくなる という時代は、実際に8000千年以前に起きていたことだ。 氷河期で海抜がぐんと下がり、対馬海峡は殆んど陸地になっていたということ。 そして日本海は言わば湖だったというわけ。 日本海が湖だったとしても冬場の積雪はかなりあったろうと思う。たとえば北米 の五大湖周辺で積雪が多いというのと同じだろうから。 8000年前くらいから氷河期が終わり、対馬海峡が大きく開かれ暖流が日本海 を巡ることになる。日本海の蒸発量はさらに増えて、冬場に膨大な量の積雪を 日本列島にもたらすことになった。そして日本列島の縄文文化が花開いたという ことになったのだ。 この日本の豊かさは日本海が握っているといっても間違いではない。 面白いことに、日本海の入り口というものがあるとすれば、それは間違いなく 北九州から山口県にかけての地域であると思う。ここから対馬暖流が入り込んで 最終的には津軽・宗谷海峡から太平洋・オホーツク海に流れでるのだ。 日本の中のホットスポットというものがあるとすれば、それは山口を含む北九州で あるということ。そういう確信が私に芽生えてきている。 日本列島の中心は地理的に畿内であったり関東であったりするんだけど、もうひとつ のホットな地域は北九州であるということ。日本の歴史において北九州や長州の 果たしてきた役割はとても大きい。 大陸に近いという利点もあるのだろうけど、そういうのは逆利点になりかねない わけで、日本人としての強い心を保ち続けている九州と長州は実に不思議なリアルな ホットスポットになっているのだ。

写真の神はペンタプリズムに宿る

写真の神はペンタプリズムに宿る

ここでのペンタプリズムとは象徴的に言っているのであり、それがミラーでもマットスクリーン でも透視ファインダーでも良いわけですが、金のかかった光学ファインダーがなければ 人は写真をとってもさほど面白いとは思わなくなるのではないか、ということです。 写真は2度見る行為であると昔の人は言いました。1度目は撮影中のファインダー、 2度めは当然、写真にした後のプリントなりデジタル画像です。 この2度見るという行為の落差によって写真の創造力というエネルギーが生まれます。 多分そういうことを古の人は言いたかったのだと思ってます。 光学ファインダーをなくしたカメラ。 EVFとか背面液晶モニターは付いています。それがファインダーの代わりになるわけですが、 哲学的に言えば撮像素子を経由したデジタル情報は既に写真画像と同一であり、それを ファインダーというのには無理がありますね。それでは上に言った落差のエネルギーが生まれ ないんじゃないですか。それと、電子モニター類は品質が大いに劣ります。 裸眼は現実、ファインダーは実際、写真画像は虚像です。 ファインダーは現実と写真という虚像の間の橋渡しをしてくれるんです。要素が多すぎで 混乱しがちな現実というものから、ファインダーの適切に現実を切り撮るという作業を通じて、 そして写真という紛れもない純化した高度な虚像を組み立てることができるわけです。 この一連の仕組は簡単そうでいてかなり難しい脳内作業を行っているのであり、いわば 推理思考の積み重ねのようなものかもしれません。 そしてEVFやモニターはいきなり結論を見せる。 逆説にも聞こえるかも知れませんが、背面モニターなんてあまりくっきりと見え過ぎないほう がいいんです。大体の撮影範囲とピントの中央がここだというのが見えるだけでよい。 そう私は思っているので、現状の見えづらいモニターやEVFで十分だといういうことです。

シグマよ、クワトロをシグマレンズの軛から自由にさせて欲しい。

シグマよ、クワトロをシグマレンズの軛から自由にさせて欲しい。

シグマのメイン機から光学ファインダーがなくなった。それに不満を言う人は少ないと 思います。すでにシグマのメリルやクワトロの画質は、味わいのある雰囲気的な画像ではなく、 ひとえにきっちりと全画面を記録するような曖昧さのない画質の方向に向かったからです。 創造性とは関係のない記録写真であるならば、光学ファインダーは無くても良い。 シグマメリルからクワトロに行った時、画質に不満を述べる人が多かったように思います。 その一つの原因は総画素数が落ちたからです。4500万画素から3000万画素へと、大幅に ダウンしていました。 そして今回、sdクワトロHモデルになって、やっと総画素数4500万画素を取り戻したんです。 ですからクワトロの実力をメリルと見比べるのならばHモデルを手にしなければならない。 sdクワトロに着くレンズは交換式レンズですから、dpクワトロのようにガチガチの融通の 効かない画質ということはなくて、かなりファジーな感じの表現が可能だと思ってます。 しかし相変わらずシグマ製以外のレンズは着きにくい。 私の見方では、メリルよりもクワトロは芸術的な表現が可能なカメラだと考えています。 何しろ色表現の幅が半端じゃない。 でもシグマのレンズは大昔から芸術的な表現ができるレンズの画質じゃないですね。 今のシグマアートレンズも名前だけはアートを使っているけど色気も何もなくそっけない。 シグマの交換レンズの売上が落ちているみたいですが、そりゃあ、当然かと思ってます。 ただ明るいレンズが多いのでそこだけは評価はされているみたいですが。 シグマのレンズの中でその発色に於いて惚れぼれするようなレンズがあるのだろうか。 あれば教えて欲しいと思う。(私が好きなのは旧タイプの30ミリf1.4だけ) シグマのレンズから、クワトロセンサーを自由に開放して欲しいと切に願っているのですが、 そこはレンズメーカーのシグマのこと。絶対にそれだけはやらないと思います。 もしsdクワトロが、フランジバックの短いモデルが出たとすれば、みんなマウントアダプターで、 他メーカーのレンズを着けて楽しむと思ってますから。(^^;

ピントの話

ピントの話

本来はオートマチカルな道具をわざわざマニュアルライクに改造して、それで得られる ものが、はたして何であるかは、私にもよく分かりません。 しかしそれは画質を求める為だけではないことは確かでしょう。いや、純正レンズとは違う 画質を得たいということでは確かに画質希求なのですが、でもそれが主力の意味では ないと考えます。 マウントアダプター+マニュアルレンズを使いたい本当の理由は、少なくとも私の場合は、 間違いなく、そのアナログチックな操作感にあります。 もちろんある一定の最低限の画質は必要なのですが、そんなもの、単焦点レンズだと ほぼ皆クリアしているわけで問題はないのです。 滑らかな手に吸い付くようなヘリコイドの動き、チチッと軽やかに回る絞りリング。何よりも 嬉しい金属鏡胴の手触り感。アダプターにしたって真鍮製だ。 そういうものがなによりも大切だと思っているのです。 その感覚を得たいがために、マウントアダプター+マニュアルレンズをやっていると言って 間違いはありません。(私の場合は) そういうのを人々は、「遊び」たという。オールドレンズ遊び。(私の場合はクラシックレンズ とまでは行かないので) 写真趣味としては一段と下に見られていて、発展しない奴、とか精神的レベルが低い幼稚 な人間とか、そんな風に思われているのではないでしょうか。 しかしそんなもの、写真は我々にとっては全て遊び趣味なんであって、目くそ鼻くそを笑う っていうことだと思うんですけどね。 マウントアダプター+マニュアルレンズで言えることは、永遠にピント合わせに終止して、 それ以上の写真の発展を自ら拒否するという、そういう錯誤的な状態にわざと身を置く ということかも知れません。 しかし、ピントを合わせるということは、これは写真の基本の中の基本です。その基本動作 を永遠に繰り返してやっていたとしても、それが間違いであるとは誰にも言えないでしょう。 一つだけ付け加えます。この世のカメラ機材のなかで、最もきちんとピントが合うのは、 ライブビューでみてマニュアルレンズを自分で操作することです。これが一番凄いピントが 得られるんですね。 ※写真は今題とは関係のない写真。AFで撮ってますから。(^^;