SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

DP1x

DP1x

初めて写真を投稿します。(2年前の古い写真です) なかなか、うまく撮れず、現像できずの恥ずかしいところですが。 液晶はグレア仕様の中古でカラーマッチングもしておらず皆さんの画面(ほとんどの人がノングレアでしょう)でどのように映っているのか想像できません。(グレアは黒にツヤが出るので写真も綺麗です) これから書くことはQuattroを気に入ってる方とシグマ開発陣の方には酷なことですのでお許しを。 このところのシグマ系のネット見ると以前のような活況がありません。 これはまず、Quattroの画像に魅力がないこと、他社ベイヤー機と比べて違いがないというかメリットがないというかではないでしょうか。 ベイヤー機がローパスフィルターレスになって、私の嫌いなあの薄く、もやっと一枚ベールを被った絵がキリッとスカッとして色乗りも良くなってきたのに対し、Foveonが逆にローパスフィルターが付いたような絵になったと思います。 全てがそうではありませんし上手な方は、やはりこれはFoveonならではと言う絵も見ます。 旧Foveon機の絵は、ここを含む投稿写真のサムネイルの大きさでもFoveonならではの絵だと思います。 あの大きさでも空気感というか透明感が違います。 Quattro化した理由が画素数が多すぎてファイル容量が多すぎると言うのであれば、最近の他社の超高画素ベイヤー機はどうなのでしょうか。他社であれば処理速度等は早いでしょけどファイル容量は同じくらいになるのでは。 もし、Quattroであのビアガーデン現象が解決できないのであれば、もう止めたほうがいいと思います。 ベイヤー機を擬色だなんだと言っておいて、Quattroのビアガーデンくらいは別にいいではファンもアンチも納得いかないでしょう。 フルサイズで高感度型は1000万画素✖️3層〜低感度はMerrillまで、APS-Cで高感度型500万画素✖️3層〜低感度型は1000万画素✖️3層くらいでもう一度、True-Foveonとしてやり直してもいいと思います。 前から思っていることに人の視力と見える風景、写真で見る風景と言うのはかなり違っているのだろうなということです。 我々1.0〜1.5程度であれば旧Foveonくらいで、アフリカ等の5.0の人が見ている風景はMerrillのように見えているのかもしれません。 実際そうなのであればMerrillの絵が解像し過ぎと言うことも無いのでしょう。 先で低感度でMerrillも書きましたが、その前に言えることは、低画素こそFoveonは言えているのでは無いでしょうか。 腕も知識も無い私が焚きますので、皆さん突っ込んでください。

何でもない光景②

何でもない光景②

愛媛県宇和海の由良半島です。地図で見ると昆虫の細い毛足のような形の 小さな半島ですが、走ってみるとなかなか大きい。真珠の養殖で有名です。 この海の向こうは南九州となります。 四国で住んでいると、どの道を走っても渋滞ということがなく、それでたまに 本州に出かけるとその混雑ぶりに圧倒されます。 四国は北側の瀬戸内側は比較的人口が多いのですが、南側の2/3はどこも 過疎地で人口密度は東北並でしょうか。九州もそんなもんだと思います。 最近、中国の歴史や文化に関して良著が出ています。 中国の爆発的な経済発展が頭打ちとなり世界的にも経済の停滞が出てきた わけですが、こういうときにこそじっくりと考えさせられる著作が出てくるわけ ですね。 近代に於いて、日本人はすっかり忘れているんですが、明治や昭和の日本が 中国に与えた影響はかなり大きくて、良きにせよ悪きにせよ、日本は中華民国 や人民中国の成立に大きな影響を与えました。 逆に、中国が日本に与えた影響というのはほとんど無きに等しいですね。 もちろん近代の話ですが。 GDP世界2位となった中国はもはや日本から学ぶことは何もなくなり、今度は 中国が日本をやっつける番だと考えているかもしれません。 しかし日本から今後も学ばなければ中国の未来は無いも同然であるという 気はしています。 中国の人々と日本の人々の違いっていうもの。これはとても大きいようなんで すが、その違いというものは、一体何に拠っているのか、これを本気で考えると、 思考力は一気に進んでいくような気がしてきました。 日本にあって中国にないもの、それは何なんだろう?

水底からの贈り物②-1

水底からの贈り物②-1

琵琶湖から引き上げられたとありました。零戦です。 型番が幾つかあるようですが、マニアではないので詳しくは知りません。 湖底からの出土品ということで文化財になるのか、まあ戦争遺物なんでしょうね。 紫電改と違い、保存状態はよくて(もちろん修復しているわけですが)、また零戦と いうのはスマートでカッコいいと素直に思いました。 水底からの出土ということで、ある意味一種のネイチャー写真なのかな?って思う ことがあります。乗り物写真や静物写真というよりも、私には自然から蘇った何か なのだろうということ。 人間の欲望にまかせてどんどんと自然を開発して、気がつけば大自然はほとんど なくなっていましたね。それで数少なく残った自然を、人々は今度はネイチャーだと 言って価値あるものだとして商売的にも成り立つようにしているのが、 今のネイチャーブームなんだろう?と思ってます。だからネイチャーという用語は 極めて経済学的な用語なのでしょう。 ところで、この遺物に極めて近いのが、もしかしたら発掘された恐竜の化石なの かも知れないと思うときがあります。恐竜の化石も復元され、またレプリカが作られ、 そして子供たちが興味を持って眺めています。その眼差しはよく似ています。

ボケの美学とボケの思想

ボケの美学とボケの思想

こういう写真も「ボケの思想」の写真だと思ってます。ただし「ボケの美学」は一滴たり ともありません。 「ボケ」がグラデーションの美だというのは美学的にはそうです。 しかしボケの思想的な背景は、写真の省情報量、省エネルギーでもいいです、そういう 無駄な細部を思いっきりカットしたシンプルさにあるだろうと考えています。 日本の絵がだいたいそうです。余白が多いですね。白い部分が。じゃあ、日本人が 細密に絵が描けないのかと言うと、そうじゃありません。びっしりと書き込んだ絵や 美術工芸品もあるからです。 それから「ボケの美」は望遠レンズ、少なくとも標準レンズクラスでなければできません。 F値は明るいほど良い。コンデジ・ミラーレスよりもデジイチのレンズがボケが出やすい。 なんといってもデジイチはレンズを通してボケ具合を眼で確かめることができます。 そしてそのレンズを近接撮影に使う。 撮影者の視点は近いのです。 私がボケの美は一切ないけど、「ボケの思想」には立脚しているだろうとするこの写真は、 広角レンズで撮影しています。絞りは高くて、そして何よりも遠くを撮っています。 視点が遠いのです。 (この視点の遠い近いというのは今回は置いといて・・・) 司馬遼太郎は、日本人には美学はあるけど、思想がないと言っていたように思います。 私は日本人としては稀に、思考が美学にとどまらず思想にまで語るので、話はややこしく なります。(^^; 占星術的に言えば、この日本人のシンプルなボケの思想は、蟹座の性格に基づいている と考えています。複雑なことを避けて単純化し、シンプルな繋で物事を考え行動するのです。 そして、奇妙にカンが働くのですね。(それは単純思考だから) 日本人がこの狭い国土で人口を抱え、そして世界に伍してやっていけるのは、ひとつは 勤勉で頭脳明晰、緻密で職人気質でいい加減な仕事をしないというところから来ています。 とくに世界最先端の高度な学問や技術力を保ち続けているからですね。 しかし、もう一方で、日本は海に囲まれていて平和ですし、日射量も多く、そして何よりも 降水量が豊富です。火山性の土地で土壌養分も豊か。 この後ろ半分の部分の恵まれたところが、たぶんボケの思想をやり続けていける資源に なっていると思ってます。つまり「恵まれ」なんですね。 なので、ボケの美学や思想は、良くも悪くも日本人の持つ、得難い「平和ボケ」と紙一重の ところがあります。(^^;