その他デジタルカメラ用掲示板。
1 kusanagi 2021/11/13 21:49 .
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1 kusanagi 2021/11/13 21:47 .
1 kusanagi 2021/11/13 21:46 .
1 kusanagi 2021/11/13 21:45 .
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1 kusanagi 2021/11/13 21:42 .
1 kusanagi 2021/11/13 21:41 .
1 kusanagi 2021/11/13 21:40 .
1 kusanagi 2021/11/10 22:48 狛犬も可愛いだけでなく迫力のある狛犬もいます。獰猛なイメージですかね。(^^ゞ そういうのが狛犬の本来の役目だろうと思いますし。それからやはり古くてカビやコケの生えたものが個人的には好きです。石というのは苔むしてこそ、いい味がでるというところでしょうか。この神社は年代ものから最新のものまて4箇所ほど狛犬が鎮座していました。撮影したカメラはE-30がメインでしたが、はんば壊れていてショット時にAFがずれます。しかし良い色を出してくれますね。E-620は廉価機種なので使い勝手もAFも発色もイマイチでした。また日を改めて撮影に出かけたいと思ってます。カビとコケに覆われた石像物は、もしかすればそこにこそ石の本質というものが現われてくるのかもわかりませんね。長い年月の証しということですが、それだげてなく石の表面は年月とともに劣化して行き、その具合というのも風雪に耐えた石の本質を出してくれているようです。石の年月としての材質感というのは写真をするものにとっては堪えられないところがあって、そういうのは石だけでなく金属でも木材でもそうです。実在感とでもいいますか。もしかすれば人の顔や手もそうなのかもしれません。つるっとした若い人よりも年を重ねた人のほうが味わい深いです。(^^ゞ どんな石も最終的には土になります。土になって植物を保養してくれるのですが、さらに虫や動物たちを育んでくれるというわけです。そしてまた地中の深いところで現在も石は出来上がりつつあるわけで、そういう大自然の循環のようなものの中で我々はこの世界にいるわけですね。地中深い岩石の中にも多くの生命が存在するといいます。地球が全休凍結しようとも巨大隕石が突入しようとも石も生命もなくなるということがありません。石を切り出して彫刻をして動物の形にして人は鑑賞するのですが、無生物と思われている石ですら、凡庸な時間の概念を突破すれば、石は命を吹き込まれて動き出すことすらできるかもしれません。面白いのは古代の生物が石となって、化石ですが現代に蘇ることが可能であるわけです。また我々、人の中にも石があり、それは骨ですが我々は崇めているんですね。我々の肉体も精神も、花も鳥も石も、すべては同じものの循環であって一時の姿に過ぎないとも言えそうです。身体はそうだとしても心とか精神はちょっと違うのではないかと言うかもしれませんが、おそらく属性としては同じものでしょうね。現われ方の多少の違いだけだろうと思いますよ。
狛犬も可愛いだけでなく迫力のある狛犬もいます。獰猛なイメージですかね。(^^ゞ そういうのが狛犬の本来の役目だろうと思いますし。それからやはり古くてカビやコケの生えたものが個人的には好きです。石というのは苔むしてこそ、いい味がでるというところでしょうか。この神社は年代ものから最新のものまて4箇所ほど狛犬が鎮座していました。撮影したカメラはE-30がメインでしたが、はんば壊れていてショット時にAFがずれます。しかし良い色を出してくれますね。E-620は廉価機種なので使い勝手もAFも発色もイマイチでした。また日を改めて撮影に出かけたいと思ってます。カビとコケに覆われた石像物は、もしかすればそこにこそ石の本質というものが現われてくるのかもわかりませんね。長い年月の証しということですが、それだげてなく石の表面は年月とともに劣化して行き、その具合というのも風雪に耐えた石の本質を出してくれているようです。石の年月としての材質感というのは写真をするものにとっては堪えられないところがあって、そういうのは石だけでなく金属でも木材でもそうです。実在感とでもいいますか。もしかすれば人の顔や手もそうなのかもしれません。つるっとした若い人よりも年を重ねた人のほうが味わい深いです。(^^ゞ どんな石も最終的には土になります。土になって植物を保養してくれるのですが、さらに虫や動物たちを育んでくれるというわけです。そしてまた地中の深いところで現在も石は出来上がりつつあるわけで、そういう大自然の循環のようなものの中で我々はこの世界にいるわけですね。地中深い岩石の中にも多くの生命が存在するといいます。地球が全休凍結しようとも巨大隕石が突入しようとも石も生命もなくなるということがありません。石を切り出して彫刻をして動物の形にして人は鑑賞するのですが、無生物と思われている石ですら、凡庸な時間の概念を突破すれば、石は命を吹き込まれて動き出すことすらできるかもしれません。面白いのは古代の生物が石となって、化石ですが現代に蘇ることが可能であるわけです。また我々、人の中にも石があり、それは骨ですが我々は崇めているんですね。我々の肉体も精神も、花も鳥も石も、すべては同じものの循環であって一時の姿に過ぎないとも言えそうです。身体はそうだとしても心とか精神はちょっと違うのではないかと言うかもしれませんが、おそらく属性としては同じものでしょうね。現われ方の多少の違いだけだろうと思いますよ。
1 kusanagi 2021/11/10 22:47 無題
無題
1 kusanagi 2021/11/10 22:46 無題
1 kusanagi 2021/11/10 22:44 無題
1 kusanagi 2021/11/9 21:18 とある田舎の神社の付属物である小さな祠、それにも贅沢にも子犬のような狛犬さんが。草を刈っていなければ踏んづけてしまいそうです。世間には狛犬マニアという方はけっこういらっしゃるようで、私は焼き物で狛犬を作ってますっていう人もいたりします。焼き物と言えば瓦粘土で作られた狛犬も見たことがありましたね。愛されるべき狛犬たち。今日も明日も何年後何十年後もずっと佇んでいるかのようです。
とある田舎の神社の付属物である小さな祠、それにも贅沢にも子犬のような狛犬さんが。草を刈っていなければ踏んづけてしまいそうです。世間には狛犬マニアという方はけっこういらっしゃるようで、私は焼き物で狛犬を作ってますっていう人もいたりします。焼き物と言えば瓦粘土で作られた狛犬も見たことがありましたね。愛されるべき狛犬たち。今日も明日も何年後何十年後もずっと佇んでいるかのようです。
1 kusanagi 2021/11/9 21:17 こけし顔のようなお地蔵さん。今は忘れ去られた山之辺の道で、ずっとここに座っていたんでしょうか。
こけし顔のようなお地蔵さん。今は忘れ去られた山之辺の道で、ずっとここに座っていたんでしょうか。
1 kusanagi 2021/11/9 21:16 とある神社の狛犬ならぬ狛牛か。小さくて可愛い牛でした。神社に多いもの。獅子狛犬に牛に馬に狐さん。あと兎とか蛙とかもあったかな。みな身近な動物達です。
とある神社の狛犬ならぬ狛牛か。小さくて可愛い牛でした。神社に多いもの。獅子狛犬に牛に馬に狐さん。あと兎とか蛙とかもあったかな。みな身近な動物達です。
1 kusanagi 2021/11/9 21:15 こういう石造りの祠はどこにでもありますね。要するに、これは家。中に神様の拠りしろが安置されています。だいたいは石ころです。(^^ゞ 丸い石が多いんですがこれは四角な石のようです。
こういう石造りの祠はどこにでもありますね。要するに、これは家。中に神様の拠りしろが安置されています。だいたいは石ころです。(^^ゞ 丸い石が多いんですがこれは四角な石のようです。
1 kusanagi 2021/11/9 21:14 近づきたくない石灯篭です。ちょっとやりすぎなのではと思うほど。(笑) 灯篭も何処にでもあって、標識や看板の役目が大きいでしょうね。もちろん油を入れて燈せば街灯になるわけで。
近づきたくない石灯篭です。ちょっとやりすぎなのではと思うほど。(笑) 灯篭も何処にでもあって、標識や看板の役目が大きいでしょうね。もちろん油を入れて燈せば街灯になるわけで。
1 kusanagi 2021/11/9 21:13 これは普通に神社に見られる石灯篭。そういえば私は、お地蔵だけでなく灯篭も見かければ撮影してます。
これは普通に神社に見られる石灯篭。そういえば私は、お地蔵だけでなく灯篭も見かければ撮影してます。