キヤノン EOS 70D 作例

2013年8月29日発売

EOS 70Dの仕様

アニメセル画を写真で再現する

アニメセル画を写真で再現する

 そんなことができれば苦労はしない(爆)  今のアニメはデジタルですが、1980年代までは手書きのセル画を専用撮影機材でフィルム撮りしてコマ送りすることでアニメーションが成立していました。 詳しくは https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h11/press/japanese/housou/0626j14.htm  セル画は透明なセルロイド(実際には他の材質が使われている)に絵を描くので、着色していない部分は向こうが透けて見えるため、人物+背景+透過光による表現、またセルをずらすことでパンやズームのカメラワークを再現する、奥行き方向に異なるセルを配置しピント送りすることで、アニメ上の静止画でありながら時間軸を表現できるなど、多彩な表現技法が開発されてきています。 「奥行き方向に異なるセルを配置しピント送りをする」技法を転じて、これらの異なるセルを、違うタイミングでパンさせることで、巨大構造物がゆっくり動いているシーン、あるいは新幹線の車窓から望む景色(手前が早く、遠くがゆっくり)の再現なども可能。  お気づきのように、絵画の表現に、写真撮影技術を組み合わせてアニメが完成するのですが、普通のスチル撮影やムービー撮影と全く異なる想像力(あるいは創造力)が必要な上、毎週放送されるテレビアニメなどは作画→撮影→声優の声あて→納品のサイクルが短く、要領よく短時間で数千枚を撮影するのは高度な技術と習熟を要するもよう。  デジタルアニメとなって撮影手順が亡くなった現在では、ボケや歪曲、フレアのようなレンズ表現をデジタルで再現するなど、写真技術がアニメ技術に流入する傾向もあるようです。  詳しくは https://mediag.bunka.go.jp/article/article-18117/  30分尺のアニメ番組は、3000枚以上のコマを必要とするため、人間のアニメーターが手作業でそれを毎回書くのはとても過酷です。  そこで省力のため、静止画+パンorズーム、口だけ動かせばよい長尺セリフなどが多用されます。ここから、アニメが作画者ではなく、声優が主役である作品だと言われるところです。  なお、「巨人の星」のアニメがやたらと感動シーン(涙シーン)が多いのは、静止画が多用できるためであり、またひたすらの特訓シーンも、同じコマが使いまわせるため省力につながるものです。  ここまではアニメ側の話ですが、スチル写真撮影で、セル画アニメを再現するのはこれまた無理のある話で、現実世界は平面画で構成されていないし、都合よく透過光となる光源も存在しないので、アニメの映像表現における文法である「異様に深い被写界」「人の口からレンズフレアを放射」「動物よりも光る眼(透過光を使っている)」といったものはまず無理です。  簡単に実現できそうなのは、セル画時代にも見られた、写真撮影技術の文法がアニメに流入しているようなケースで、「巨人の星」の投打の対決シーンは、超望遠レンズの圧縮効果で再現できそうです。しかし、打者側から見て投手を圧縮効果で近く巨大に見せるには、現実の球場ではバックネットやフェンスの位置からして、カメラを配置できる場所がなく、これはやっぱりアニメにおける「仮想カメラ」の技法と言えそうです。  この桜吹雪の一枚は、特にセル画アニメを意識して撮影したものでも何でもありませんが、風はアニメにおいて、時間経過や緊張感の表現に使われるので、それなりにアニメチックな意味がある、の図なのです。むははははは。  余談ですが、セル画の画材となるセルは、撮影用のフィルムとセットで需要があるためか、コダックやフジといったフィルムメーカーが供給していました。セル画用の塗料ともども、現在では絶滅危惧種となった様子です。フィルム写真は裾野が広く、すぐに絶滅しそうにはないですが、セル画は限られた人々の才能と熟練に頼っていたため、本当に絶滅してしまうかもしれません。版画、水彩画、油彩画、また水墨画も、継続ないし発展してきているのに、セル画だけが絶滅するというのもなんだかかわいそうに思うところです。 (すでに専門学校等でもコースがなくなっている)

キアシシギ参上

キアシシギ参上

 雨の日に遭遇した、キアシシギと思われる二羽のうちの一羽。つがいで行動している様子で、カラスに威嚇されて、バラバラに逃げていました。最初、いつものイソシギだと思って眺めていると、カラスとの大きさの関係がどうもおかしい・大きすぎることに気づき、撮影してアプリ「ピクチャーバード」で調べてみると、メリケンキアシシギと判定する写真もありましたが、どうやらキアシシギのようでした。イソシギ、タシギに続く、みっつめのシギをゲット!の図。  さてさて、シギ、カワセミ、ツバメなど、水面近くを颯爽と直線的に進む様子がかっこいいのですが、いわゆる空力学(流体力学)上の「地面効果(水面効果)」を得て、エネルギー消費を抑えて効率的な飛行をしている様子です。この「地面効果」、誰しも子供の頃に遊んだであろう空力おもちゃである紙飛行機、カイト、プロペラシューター、フリスビーなどで無意識のうちに活用しているものです。例えばプロペラシューター(洋物の竹とんぼ)は、地面近くに向けて緩やかな角度で射出すると、いったん地面に近づいた後に、地面効果でホップするよう浮揚して、まっすぐ飛ばしたよりも遠くに、優雅に飛んでいきます。  フリスビーとして親しまれたフライングディスクは、いろいろな形で競技としても発達していまして、その中で、地面効果を利用したエアーバウンスという投法もあるそうです。しかしスポーツ分野でもっとも地面効果が重要になるのは人力飛行機で、琵琶湖で行われる大会などでは、水面近くを飛行するのが最も効率的とのこと。それに次ぐのがスキーのジャンプ競技で、上位選手が着地際に距離を伸ばすのはこの地面効果が大きく、計算上は6mくらい飛距離に貢献するという研究結果もあるとか。  しかしながら、流体力学を一番実践しなければならないスポーツは、機械や道具を使うものではモータースポーツ、そして人間の力だけで競うものでは水泳だと言えそうです。モータースポーツのグラウンドエフェクトはまたニュアンスが違ってくるようですし、水泳では潜って推進する有利は、水面(空気との境界面)を泳ぐときに比べて造波抵抗が少なくなることを重視しているそうです。  一方、地面効果がネガティブな効果を及ぼすのは、軽飛行機の着陸・着艦のときだそうで、この場合は地面効果によるプラスの揚力が不安定な挙動につながります。漫画「アルキメデスの大戦」で、艦載機の競作において主人公は競合機が低翼機であるがゆえに、着艦挙動が不安定であることを見抜き、陸上の飛行場だけでなく、着艦実演に持ち込むことで勝利する、というくだりがあります。直接は説明されていないものの、数学的天才である主人公は流体力学にも天才的なセンスを発揮した、の図。  カイトでは、着地時に痛めないようソフトランディングさせるために、着地際にふわりと持ち上げるテクニックにこの効果が関係していたような気がします。(気がするだけです)一方、紙飛行機では、精密に作らないと水平姿勢が保てず翼の一方が着地してしまうため、チラシを折って作るようなものではこの効果を体験したことはありません。滑空比を競うようなときには、この効果が重要になるようです。  そうは言っても、私自身は流体力学の専門家ではありませんので、数式や理論で説明はできません。ただ、野鳥ほどではなくても、私たちは自転車やバイク、クルマ、そしてランニングするときに、無意識のうちに流体力学に沿った行動をとっているようでもあります。そして、誰しもたしなむ(下品とも言われるが)口笛の発音原理も、流体力学に基づくものなのです。むはははは。

爽やか美人百景・タイムリープ

爽やか美人百景・タイムリープ

 若いボランティアさん。承諾いただくのに会話したところでは、おそらく高校生だったと思います。4年前なので、今は大学生か社会人。    この前の「美人百景・時間を超える」で並べた超光速通信技術は、実現すれば未来や過去への通信が可能になる、とも言われています。現在の科学ではそのような技術も、因果律との矛盾解消もできないのであくまでファンタジーです。  ファンタジーの世界で、時間の跳躍をもう少し現実的に描いたものが「タイムリープ」と呼ばれる、人間ではなく人間の意識が過去や未来に飛ぶ、という流法。「時をかける少女」で、主人公が夢と現実の区別がつかなくなるシーンがそれです。 (「時をかける少女」はタイムトラベルとタイムリープ両方を扱っている)  もちろんそんなことを可能にする技術は存在しませんが、明晰夢や臨死体験ではそれに近い体験ができるとも言われています。  明晰夢=夢の中でこれは夢だとわかってみている夢、は体験したことがありませんが、それに近い経験はありまして、過去の経験がクリアーに再現されたり、近い将来起こるであろう仕事上の大きな出来事などが妙にリアルに投影されるなどしています。    過去はともかく、未来のほうは正夢になるまでには至らず、想定している最悪あるいは最善のケースが夢に出てきた、つまり恐れや期待が映像化されたのだという理解をしています。  「時をかける少女」に類した、主人公がタイムリープを行う内容の少年少女小説は他にもあり、なぜかそれらは少女が行うことが多いです。そのほうがファンタジーとして都合がよいからだと思いますが、タイムリープはタイムトラベルに比べて、「証拠を残さないために何も持っていけない(着衣もダメという設定すらある)」とか「過去や未来の自分に遭遇すると矛盾が生じて存在が危うくなる」という設定上の問題をクリアーできる、便利な手法でもあります。  技術上の予言ではなく、ファンタジーとしての予言では、世の中で的中したと言われるものはすべて「そのように解釈された」のであって、的中したと断定できる予言はまだ登場していませんが、予言というより未来視の能力を説明するのに、このタイムリープが使われるケースがあります。  タイムリープ方式で未来を観測するファンタジーの文法は、リープする本人が生きている間の時間を越えては未来にも過去にも行けないという制限を設けること、また、自分あるいは近しい人の将来的な不幸を知ってしまって打ちのめされる、といったものがあります。そうした未来を変えるために登場人物が奮闘するのもまたお約束で、「未来は変えることができる」という希望的な演出をするわけですが、変えてしまったら自分が体験した未来はどうだったのか、本当に未来は変わったのか、という葛藤を残すこともよくあります。  「体験した未来が消失してしまう」ことは、パラレルワールド概念で説明されることも多いですが、こちらは「大人の都合」として処理されることが多いです。変わってしまった未来に対して、変わらなかった未来から救援を求められるストーリーが映画「フィラデルフィアエクスペリメント2」ですが、1に比べて暗い内容になってしまい、あまり評価は高くありません。  いずれにせよ、そろそろ時間跳躍系の物語パターンは出尽くした気配もあります。

爽やか美人百景・時間を超える

爽やか美人百景・時間を超える

 かなり以前につくられたひな人形ですが、美人は時間を超える、ということで。  物事には因果関係があるので、ある程度の未来予測は可能ですが、SF小説や漫画で、光や電波の速度でも何万年もかかるような距離を通信する手段は、現代の科学的知見と照らし合わせながら、いろいろな形で表現されています。 パターン1  ワープ航法など、機械や人間を光の速度を超えて運ぶことはできるが、電波の速度を超える通信手段は確立しておらず、ワープ航法で通信カプセルを運ぶことに頼る  →宇宙戦艦ヤマトの初期ストーリーがこれ。ただし太陽系内では超光速通信を実現している描写がある。 パターン2  超テクノロジーで実現している例。ただし、この宇宙に統一的な時間は存在しない(場所によって時間の経過は異なる)という今日の科学的知見は無視して、物語の進行を優先する →松本零士作品で一部見られる パターン3  超光速航法は実現しているが、超光速通信は不可能という前提を貫き、そのことが物語の核心となるように構成する。 →「猿の惑星」がそれ。超光速航法で遠方に旅した人類は、地球に戻ってこれても、宇宙船と地球との通信はできないので、地球のその後について情報は得られない。   ・・・いわゆるウラシマ効果については、宇宙戦艦ヤマトの初期設定では「あえて無視する」ということになっていますが、続編で、艦内の時間の進み方がある条件下ではおかしくなってしまう様子が描かれていて、何らかの超テクノロジーでウラシマ効果をキャンセルすることが実現されているのかもしれません。

爽やか美人百景 ~美しさは強さである~

爽やか美人百景 ~美しさは強さである~

 藤公園を楽しむ美人さん。  マツダのロータリーレーシングカーがルマン24時間レースで少しずつ前進していた1980年代中盤、地元フランスの愛好家たちが「走行中のエンジン音がノイズでなくサウンドとなった」と評価したそうです。しかし、「サウンドになったのはたいしたものだが、まだまだ上がある。ミュージックを目指さなければ。」とも。  地元の熱心な愛好家が言う「ミュージックをかなでるレーシングカー」というのは、1970年代にルマン3連勝をかざった、マトラMS670のそれを指すとのこと。3リットルV型12気筒という繊細なエンジンを積んだクルマで、2023年現在、愛好家が整備復調させた個体を走らせる動画、また70年代の実写動画などがネットで豊富に鑑賞できまして、なるほどミュージックと言われるだけあって、美しいエキゾーストノートです。  美しさは強さである、ということで、エキゾーストノートを評価されるようになったマツダロータリーは、757,767,787,787Bと進化していくうちにルマン上位入賞を重ね、ついには1991年、総合優勝を達成します。  走行中のエキゾーストノートを聞いて、車両の好不調を判断することは、メカニックマンの技量を示す要素でもあるようですが、F1レースを描いた村上もとか氏の漫画「赤いペガサス」で、(一時的に)視力を喪失したメカニックマンが、走行音を聞くだけで判断して、的確な指示を出す様子が描かれてます。  そういうことは私には無理ですが、「徹夜あけ」「長時間運転の直後」などで、疲労がたまっているとき、仕事や家庭で使う各種機器の動作音から、その不調に気づくことがあります。疲労でにぶくなる感覚と、疲労によりむしろ鋭敏になる感覚・・・つまり機器の何かの不調が原因である不協和音のような要素が、普段より強い不快感をもたらすのだろう、と理解しています。  そのあたりを描いたのが、1977年のアニメ「アローエンブレム グランプリの鷹」。サファリラリーの終盤、濃霧でほとんどのドライバーが走行を断念する中、「道が見える気がする」と主人公は走行を続けます。劇中のナレーションで「極度の疲労がドライバーとしての感覚を鋭敏に研ぎ澄ましていた」と解説されていました。  視覚で判断しているのではなく、走行音の反響などで周囲の状況を判断する、コウモリのような感覚が付加されたのかもしれません。  この「グランプリの鷹」では、フィクションながら日本車(グループ5規格の市販車ベースのマシン)が1977年のルマンで総合優勝をかざるシーンが描かれています。  現実のマツダ車は、その2年後にルマンに挑戦するも、予選落ちに終わり、総合優勝を遂げるのはその12年後、とドラマチックではあるのですが、組織のゴタゴタも多かったようで、その点でもドラマであった様子。    

思い出のフォトムジーク

思い出のフォトムジーク

 巨匠音楽家、坂本龍一さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。  その作品を後世に伝えるために人々が出費と労力を惜しまない、という点で坂本さんは、選ばれたアーティストだと思うところです。  写真やカメラとのかかわりでは、1980年代後半に京セラのカメラでCMキャラクターとして起用されたようです。  その5年ほど前、1981年に、坂本さんがパーソナリティーを務めていたNHK-FMの音楽DJ番組「サウンドストリート」で、坂本さんがシンセサイザー楽曲の作曲法を解説するために速成した曲について、曲名をリスナーから募集するイベントがありました。坂本さんが選んだ曲名は「フォトムジーク」。静岡市在住のリスナーが、「カメラのファインダーを覗いているときに、この音楽が脳内に流れているような気がする」という想いから提案した曲名で、坂本氏はこれをいたく気に入り、後にそのリスナーを番組に招待するなどしています。  この番組をリアルタイムで聞いていた世代で写真趣味を楽しむ者にとっては、この「フォトムジーク」はひとつのトリビアになっているのですが、中には「ファインダーをのぞいていてもこんな音楽はいっこうに聴こえてこない」と、共感を示さない向きもあります。  私もこの放送をリアルタイムで聞いていて、自分で曲名を応募することはしなかったし、必ずしもこの曲名にピンときたわけではなかったものの、しばしばこのトリビアはファインダーをのぞいていて思い出すところです。実際にファインダーを覗いていて、私の脳内に響き渡るのは70Dやレンズたちからの罵声と小言ですね。ふはははは。すなわち脳内Wi-Fi。  もちろんこちらも「やかましいわ、くっちゃべってないで仕事しろ!」と怒鳴り返して撮影にいそしむものです。ガンダムのニュータイプというのがあるとしたら、機械と会話できる能力なのかもしらんと思うこの頃です。むははははは。  それはともかく、ファインダー視界はその人にしか見えない世界であり宇宙でもあり、リアルであり虚構でもあるため、こうした脳内世界が展開されることもまた、ありうるものでしょう。

消える魔球は風に弱い

消える魔球は風に弱い

 メジャーリーグデビューした千賀投手の「消える魔球」ことお化けフォークが話題になっています。落差とともに横方向にも動きがある三次元変化球、スピードも初速で136キロあるとのことで、打者からは「消える魔球」に見えるのだとか。  「巨人の星」で星飛雄馬が投げた「大リーグボール2号」こと消える魔球は、シリーズ全体のガジェット「魔送球」を下地に、グラウンドの土煙を保護色に利用することで「消える」のですが、保護色効果がなくても、一度沈んだボールが再び浮かび上がってくるという、ありえない変化球であって、とても打てそうにない魔球です。  しかし劇中では、保護色を失いビジブルとなったこの魔球は、ほとんど100%の率でジャストミートされています。しそこなったのは伴忠太の一回のみ。  そんな魔球が実現できるかどうか、姫野龍太郎氏が著書「魔球をつくる 究極の変化球を求めて」の中で、「時速180キロの無回転という条件で投球できれば理論上は可能」と推定しています。そういうことはとてもできそうにない、ということですが、本当に「一度沈んだボールが再び浮上する」ような高速変化球が投げられたら、その変化だけで、打者からは「ボールが消えてしまうように見える」、リアルな消える魔球となりそうです。  劇中の「消える魔球」は、土煙が吹き飛ばされてしまうような強風には弱い、また土煙が発生しなくなる湿り気にも弱い、ということで「風に弱い」「水に弱い」という、少しずつ謎解きが行われていく、ミステリー的要素が物語を膨らませて、攻略に向けた特訓や戦術の大仕掛けとともに、漫画の魅力を構成しています。  ガジェットである魔送球が投げられそうにない、という時点で消える魔球はありえない虚構だと、当時の子どもたちもわかっていましたが、嘘だとわかっていて楽しむのが漫画なのです。  「漫画とは嘘を楽しむ娯楽である」(村上もとか氏)、「漫画そのものは嘘だが、細部にリアリティを追求することで、嘘だとわかっていても物語が成立する」(新谷かおる氏)。  

ガジェットとしての「幻の多角形コーナリング」

ガジェットとしての「幻の多角形コーナリング」

 アート作品的な扱いとして展示されているポルシェ911カレラRS。いわゆる「ナナサンカレラ」。排気量は2.7リットルですが、ボディサイズは今日の5ナンバーサイズであり、驚くほどコンパクトに見えます。実質的な後継車であるポルシェ930ターボは、タイヤハウスの張り出しが大きくボリューミーになり、格段に迫力が増しています。  さて、漫画バナシ。 「ガジェット」とは、今日の商品用語としては携帯電話やゲーム、デジタルカメラを含む「目新しい小型の電子機器」とされています。漫画においては「ストーリー展開上の重要な小道具、仕掛け」転じて広義には「ストーリー展開の根幹をなす、勝負や危機の打開、登場人物の出会いや運命に関わる必須の概念」となります。例えば、「ドラえもん」は未来の秘密道具全てがガジェットですが、ストーリー展開の根幹をなすガジェットは「タイムマシン」ということになります。  カメラマンを主人公にする漫画では、死別した先輩や親兄弟の遺したカメラやレンズがガジェットになることも多く、この点、デジタルカメラは日常品としてのガジェットから抜け出ておらず、作中の小道具としてのガジェットになるには至っていません。  「サーキットの狼」では、一番目につくガジェットは、このポルシェ911カレラRSのようなクルマですが、レーサーの出世物語でもあるため、主人公は次々にクルマを乗り換えてゆく必要があり、ルパン三世の13世石川五右衛門が使う名剣流れ星に相当する、一貫した愛機というのは設定しにくいものです。  なお、レース漫画は「レースのステージが上がるほど漫画としては人気が落ちる」傾向がありますが、しげの秀一氏は代表作「頭文字D」において、「峠レースから一歩も進まない」とステージを固定させることで、この傾向を打破するとともに、主人公の愛車を終始一貫させることにも成功しています。  「ストーリー展開の根幹をなす、勝負や危機の打開、登場人物の出会いや運命に関わる必須の概念」という広義のガジェットは、超能力や超科学も含まれます。最近逝去された松本零士氏が宇宙戦艦ヤマトのSF設定に用いた「波動エネルギー」もその最たるもので、主人公側にとって主たるエネルギーで最大の武器でもある一方、敵方も使うため、主人公側に危機をもたらす存在でもあります。スポーツ漫画では「巨人の星」の魔送球や超人的制球力がこれに近く、この場合は「現実にはありえないが、作中世界にあらかじめ仕込んでおくことで劇中の奇跡的な展開を楽に説明できるようになる」あるいは「現実世界と虚構世界を橋渡しする」魔法のアイテムになるわけです。  「サーキットの狼」では、「幻の多角形コーナリング」などのコーナリングテクニックは、全くの虚構ではなく、現実に存在する概念を誇張することで少年漫画らしい勝負ガジェットに昇華させています。「多角形コーナリング」の元ネタは、AUTOSPORT1971 年3月号記事「超えたドライバーの極秘テクニックシリーズ第3弾~北野元の多角形コーナリング」と思われ、作者池沢氏は「サーキットの狼」続編で、この記事の挿絵写真を引用しています。池沢氏は、この多角形コーナリングを、「あしたのジョー」におけるトリプルクロスカウンターのような必殺技に位置づけることで、漫画家としての高い演出力を発揮しています。71年記事を読む限り、「多角形コーナリング」はどちらかというと遅い前走者を抜くためのラインどりの工夫のようです。さらに、慣性ドリフトその他の劇中のコーナリングテクニックは全く架空のものとは言えないにせよ、サーキットでレース用のグリップ力の高いタイヤでは「そんなテクニック使わないほうが速く走れる」ものだったようで、これも勝負を演出するガジェットだったと言えそうです。  そこは池沢氏も理解していて、劇中で主人公のライバルに「ドリフトコーナリングで責め立てられても、結局はグリップ走行が勝つ」と言わしめてもいます。  それにしても漫画は読み返し、元ネタとなる資料を探すことで何かと発見があるもので、そういう要素をたくさん含むのも、名作の条件かもしれません。このあたりは、宇宙戦艦ヤマトのSF設定に参画した豊田有恒氏も認識していたようで、まったくの架空ではなく、仕組みや名前に(ある程度でも)実在、既知のものを使うことで、読者・視聴者が後にそのことに気づいてくれ、作品をあらためて評価、記憶してくれる効果があると、自身の体験にも基づいて述べています。  ただ、これは文学や映像、音楽その他、表現全般に言えるようで、本歌取りやモチーフ、引用が効果的であることの根本的原理のようでもあります。よって、写真表現においても適用できると思いますが、私は意図してその表現技法が使用できるわけでもなく、結果的にどうやらそのようなものになっていたようだ・・・というのが関の山、というところです。

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