キヤノン EOS 5D Mark III 作例

一眼レフ

2012年3月22日発売

EOS 5D Mark IIIの仕様

EOS 5D Mark IIIは、2012年3月発売のフルサイズ一眼レフである。先代からの画素数増加は小幅にとどまる一方、61点AF、約6コマ/秒の連写、記録メディアのデュアルスロット化など、撮影を進めるための機能を大きく更新した。Mark IIの高画素・動画路線を受け継ぎながら、ピント合わせや応答、記録の面で使える場面を広げた第3世代である。

シリーズ
EOS 5D
位置付け
ハイアマチュア向けフルサイズ機のシリーズ第3世代。Mark IIの弱点を全面的に改善した定番機
ライバル
D800

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投稿写真 2656枚

雑感

雑感

昔の写真論というのは、各作家ごとにキャラクター展開されていてそれぞれに個別に奥深く掘り下げ られていました。論評に作家性というのがありそれは小説家のそれと同等なものだったように思います。 しかしそういうのは活字文化的な大昔の話です。デジタルの現代では写真は何よりも人よりまずモノと いう画像であって、まずは無個性の画像論から出発という気がしていますし、いやそれどころか それ以前の人間としての正気性を保ってるのかどうかのレベルにまで落ち込んでいるという気がします。 それは写真論という以前の、この時代の高度情報化社会の根幹をなすデジタル技術とは何か、ネット ワークとは、という大前提からの問い掛けがあるという気がします。つまりこれは写真という以前の、 根本的なデジタルな現代技術論の大問題だろうということになります。 この根底にある大問題の問いかけを今の人は教育も受けず、四苦八苦な経験をしておらず、いきなり 大海原に放りだされて溺れかかっている様のようです。 過去の写真と同じような感覚で漠然と写真をとらえていて、結果として大きく惨敗をしているというように 思います。 1990年代くらいから始ったと思われる高度情報化技術社会は、社会の階層を大きく二分したと思って ます。それを理解して扱える人たちと、何も分からずに技術に翻弄支配される人たちです。この状況は 次第に加速し、AI時代突入の現在ともなると絶望的なまでの格差となりつつあるようです。 その行き着く先はどういうものなのか。 占星術的には古代ローマ史のような新古代史の再復活であるわけですが(歴史は巨視的に見て2千 年毎に繰り返す)、とにかく現代のデジタル技術を理解しないものは捨て置かれるということです。 輝かしい近代の時代のような、国民が全て同等に、一人残らず学んで引き上げられるという(国民皆兵)、 もしくは個々人も刻苦勉励の自助努力もして頑張る、というのではなく、出来ないものは効率的に切り 捨てられることが起きるということでしょう。すでに現にそれは教育界で起きつつありますね。 ところで、デジタル技術とは何か。私が考えるにそれは電気や電子、最近は量子の分野にまで踏み 込んでいますが、簡単に言えば、コンピューターやネットワークとは家電製品であるということです。(笑) 私が子供の頃にバラして遊んだ電気製品とさほど変わらないものです。しかしそう思える人間は少な いですね。ほとんどの人にとってそれはブラックボックスであって、なんというか人が犯してはいけない 禁忌のタブーの領域となってしまっています。 よくコンピューターを語るのに、ゼロと1が云々という人がいます。2進法は数学論なのでコンピューター の本質ではない話なんですがこれで躓きコンピューターが嫌いになったとか、コンピューターは非人間的 だとかいう方々がいますね。そういう抽象論から始める教育法が拙いのですけど、そもそも未知のモノ を知るには、考える前になんでもかんでもやってみよう、壊しても構わないという好奇心が必要なので あって、そういうセンスがある人しか高度情報化社会に入れない現実があります。 1960年代までの黒白フィルム写真文化は、それは完成された近代の文化の産物であり、電気も電子 も使っていませんでした。カメラは完全メカニカルであり金属の光沢であり誰もが信頼できる感覚をもて ました。 それが現代のデジタルカメラは、コンピューターそのものであり私がいうところの電化製品となりました。 つまりブラックボックスの塊であって、人々が恐れ敬うブラックボックスと化しているのがカメラです。 そういう時代の差のカメラがもたらす写真が、同等に論じて扱えるはずがないわけです。フィルム写真 時代とデジタル写真時代とはまったくの別物であるという現実があります。 この事実を深く理解しないと現在の写真は理解できません。写真を撮り作ることだけでなく、写真の 鑑賞や伝達の方式もデジタル化され昔のそれとは隔絶化されています。多くの人々がこの変化につ ていけず置いてきぼりになっていますね。 電気や電子というものは子供のときに教育体験さえすればさほどに難しいものではありません。コン ピューターのそれも原理は簡単なものです。小学生でもプログラミングはできますから。 しかしこの教育を日本は怠ってきました。日本だけでなく世界中も同じようなものです。それでそういう センスがある人間しか今のデジタル技術は理解できずでこれも社会の分断に悪影響を及ぼしています。 簡単に言うと、機械や化学は眼に見えるけれど電気は眼に見えないということ。(笑) 冗談のようで すけどこれは本当です。子供の頃に電気製品をばらしてビリビリとし、電池を舐めてはしょっぱいね、 とか体験した人間は電気が見えますが、普通の子供はそういうことを親がさせません。そのお陰なのか、 私は電磁波を感じることができます。放射能も感じることができたので(福島に足を運びました)、やはり 幼児期の環境は大切だと思いましたね。(笑) カメラの発する電磁波は格好の実験財でして、そのカメラを使っていて頭痛がするカメラは計測器で 計っていても数値が高いので私の電磁波感受能力は本物だということでしょう。 冗談はともかく、現在のデジタル写真は過去のものとは違うものになっているという認識が必要だと いうことです。この事実にほとんどの人たちが気づいていません。 写真がデジタル化されるようになって、私の知り合いの何人かはそれを機に写真を辞めました。これは 懸命な判断だったと言えるかもしれません。しかしその反対に黒白自家現像から写真をやっていた 人は年齢に関わらずデジタルにスムーズに移行したこともあって、どうやらデジタルに向かなかった人 はカラー写真(現像プリントは人様にお任せ)から写真を始めた人達だったかも知れません。

無題

無題

私kusanagiの話が面白いという方は極めて稀です。大体は何を書いているのか全然分からん、 というのが通り相場だからです。一般常識とはかなり違っていて、話についていけない人がほとんど です。しかし現在の科学の最先端は、常識をひっくり返すものばかりでほぼオカルトのようなものなん ですよね。しかし現実にその恩恵を受けて我々は日常を生きています。 量子コンピューターとかAI人工知能なんていうのは正にそれ。我々はブラックボックスの時代の中で 生きているのです。 弘法大師空海さんは、人は生まれてきた意味も生きている意味も死んでいく意味も何も分からずに 今を生きている、それが人間であると言われました。1200年前でもそうだったわけです。 私の占星術的思考は自分の精神の中枢にいて全ての思考はそれを鑑みて組み立てられています。 こういう人間はほとんどいないでしょう。それで占星術の9割は嘘ですね。妄想です。それらを排して 自分の思考を組み立てていくのですが、常にそれが正しいのかどうかの検証をし続けなければなり ません。それに何十年と要しています。 この自分の占星術的思考の根幹にあるのは、占いに行く前に続けていた写真であるのではないかと 感じています。20歳代の末まで写真をやっていて(当時は自家現像黒白写真)、それをやめて占星術 に行きました。以降、消長はあったものの占星術は続けています。 写真と占術の類似点はあるのかな?と考えると全然ないような気もしますね。(笑) ただ写真も占星術も言葉・言語を弄する思考法ではなくて、画像中心の思考であるという点で共通し ています。 言葉というのは高度にスリム化されていて、まあ高速処理が可能なデジタル思考みたいなものです。 しかし現実の目前の目の前にあるリアルで複雑な思考を紡ぎだすには不得手なところがありますね。 言語はそもそもステレオタイプ化されていて、どうしてもリアルさ、現実感に乏しくなるという弱点があ ります。 そういう点では写真も占星術も極めて原初的思考力を求められます。つまり直観力ですかね。 また普通の言葉の思考というのは簡単明瞭に処理するする都合上、1次元や2次元の思考法みたい なものです。つまり平板です。しかし写真や占星術は3次4次元のより高度な次元を対象にしています。 写真が3次元であるというのは直ぐに分かるでしょう。また写真とは光ですので刻々と変わってまいり ますし、被写体というのは常に動きで変化しています。それで写真をやっていますと自然と高次元の 世界というのが身につくんだろうと思いますよ。つまり自然や事象をよく観察するようになること。 そういう写真への思考法というものが身につくのは、やはり若い時期にやっていないとなかなか難しい ところがありそうです。お歳をとられてから写真をやっても、やはりその写真は平板的になってしまう ところがあるみたいで、それで何だか模倣的な写真になるんですね。せっかくの眼前のリアルを見逃し てしまうようです。 いや撮影中は無意識に気がついているんでしょうけど、最後に写真として纏めると平凡な言葉の 世界に閉じ込められてしまうではないですかね。 写真の上手な人は多くいます。この掲示板でも皆さんお上手です。しかしながら精神として写真の 思考法を身につけられていないような気がします。写真=美学として平凡な言葉の思考法のままに 終わってしまうようです。ここのところがすごく残念ですね。 余談が続きましたが、話を元に戻しますと、こういうのは右脳左脳というのでよく知られています。 両利きの人間は両脳思考が出来るという具合に。 しかし人間は社会的動物ですので個人の直観力だけでは生きていけません。言葉という他者と会話 ができる思考法への変換がスムーズでないといけないのです。 四角い箱を見て、それを平面の展開図にすばやく翻訳できるような能力が必要というわけです。それ が言葉本来の役割であるというものかもしれませんね。 空中を素早く飛ぶツバメは驚くほどのスピードで3次元4次元を見て処理できる能力を持っています。 人間には真似のできないことですが、人間の能力とはそれらの世界を言葉に変換し、仲間に伝える ことができるということ。さらに文字化して後世にも、また会ってもいない人にも伝えることができると いうことでしょう。この大脳の働きこそが人類をして動物界の覇者たらしめた事実なんですね。 もうひとつは直立して自由になった前足の手で道具が作れるようになったこと。 しかし動物達が持っているこの世界を丸ごと処理していける能力というのは極めて大事です。 写真をすることで、その能力を忘れずに維持でぎるというのは素晴らしいことであって、ともすれば 言葉に頼り言葉に押し込めらる人間社会では大事なことだろうと考えますね。 現代の我々の人間社会は農耕社会が基本であって、皆が同じように考え動いて文明が成立すると いう具合でやってきました。工業化社会、高度情報化社会になってもそれは同じことです。 農耕文明以前は、狩猟採集文明でした。写真を撮影するということはこの石器時代の狩猟採集時代 に立ち返るということではないですかね。人類の歴史時間のほとんどはこの狩猟採集文明であって、 そもそも人間の身体の仕組というのは、最近の農耕文明には対応していなくて、長かった狩猟文明 時代のままで形作られています。それから一歩も進化していません。 写真が好きだ、写真を趣味としてやっていきたいという方は、本らい画像認識が得意な方です。 口で言うよりも絵を見ろ、というわけです。そうであるからこそ、写真として学ぶ画像力というものを、 それだけで終わらせずに言語化することが大事だろうと考えています。 人が生きる上において個人の此処の一瞬の現場では画像認識で処理できているのですが、大きな 生き方を決めているのは言葉言語です。それが社会圧となつて人間の考え方や生き方を統御して います。ワードというのは不思議なものでシンボリックな言葉をプロパガンダされますと大勢の人は よく考えもせず言葉のイメージに流されてしまうのです。この社会は言葉の力学で動いていて、CM などはその典型です。言葉を連呼すれば内容の如何に関わらず人は動かされてしまうのです。 例えば私はよくカメラの電磁波被害を言うのですけど大概の人は電磁波を全てひっくるめてイメージ していて、カメラの電磁波と携帯の電磁波などもごっちゃごちゃにしています。何も考えずに何も知らず に言葉のイメージだけで流されてしまうのですね。 この世界の事象は人間が想像できないほど複雑であり言葉で簡単にイメージできるほど簡単なもの ではありません。人は病気になりますが、その病気の原因を自分で考えて見つけて対処できる人は ほとんどいません。いったん病気になれば治らないというか治せないのです。それはこの世界の 事象をよく見て深く考えないからそうなるのですね。そもそも自分の病気を自分で治すという発想すら ない人が大勢です。 写真で培った現実をリアルに見て、この世界は複雑でありそれを紐解いていくという、そういう画像の 認識する能力を高めつつ、同時にそれを新たに自分の言葉で言語化する。その言葉を自らの生きる 指標とすることをやっていくべきだと思っています。 社会が放つイメージの言語に流されずに、自分の言葉は自分で作るということ。それにはこの世界 に直に接して直接見る必要があります。それが写真だと思うのです。自分の眼で世界を発見していく ということですかね。 とは言いながらも、ことはそう簡単ではなくてとてもじゃないですが個人でできるものではありません。 そこで手助けになるのが有識者の著書です。読書といういうことになります。著作には多くの方の 見方考え方が秘められていてそこにこそ正しい意味での言語の力があります。

無題

無題

「国譲り神話」の真実 -神話は歴史を記憶する- ・・神話と歴史が結びつく国、日本・・ 田中英道著 勉誠出版刊 から・・・ 私の著書『美しい形の日本』(ビジネス社、2013年)の中で、「文字より形の日本文化」という論文を 書き、「日本人の習慣として、形で表現されているものは文字として残さない傾向がある」と述べました。 文字に残すことで聖なる場所の崇高さが壊される。つまり神話的世界が破壊される、という考え方が 日本人の中にあったのです。 関東を語らないということは、関東に聖なる場所があった、ということを意味します。富士山も古墳も 聖なる場所であって、語ることはそれを穢す危険性があると考えられていたのです。 記紀(日本書紀、古事記)には、忌避の念によって書かれなかった部分があります。・・・114ページ これを読んで思ったのは、写真が好きな人間、つまり皆さん方です。写真という画像を画像のままに することで、つまり言葉には変換しないことで、(そこに無意識の忌避の念が働いている)、自分の 好きな写真を神聖視しているのではないかということです。言い換えればそこに皆さん方の写真へ の一途な信仰心があるんじゃあないですかね。 私kusanagiがこの掲示板でうんと嫌われるのは、皆が神聖視している写真をというものをkusanagiが 土足で踏み込んで荒神的に言葉によって明らかにしようとする、いや壊そうしている。そういうタブーを 破ることへの嫌悪感があるんじゃないかと思ってます。 そっとして置き、なぜ我に夢を見続けるさせてくれんのか、という怒りすら持たれている方がおられ ましたね。 私の考え方は日本人的ではないです。それは自覚していて極めて西欧人的だと自分で思ってます。 でもね、写真は日本人が発明したものじゃないです。極最近の西欧文化のもらいもじゃないですか。

Camera Profile

EOS 5D Mark IIIについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

2012年3月2日に発表され、3月22日に発売された。1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 5D Mark III”を発売2プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を3月22日に発売

価格はオープンで、店頭予想価格はボディ35万8,000円、EF24-105mm F4L IS USM付きのキット45万8,000円だった。これらは発表時点の見込みである。3プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を発表。6コマ/秒・ISO102400・61点AFなど

ラインナップ上の位置付け

EOS 5D Mark IIIは、2008年11月発売のMark IIを継ぐハイアマチュア向けフルサイズ機である。4公式 キヤノンEOS 5D Mark III - キヤノンカメラミュージアム 発表時には、写真愛好家の憧れや定番となる製品を目指す姿勢が紹介された。画素数の大幅な上積みよりも、撮影中に使う機能を広く改めた内容が、その位置付けを具体化している。5プレス ITmediaカメラファンの「あこがれ」を目指すフルサイズ「EOS 5D Mark III」

先代からの進化

最も大きな変更の一つがAFである。Mark IIは9点とアシスト6点の構成で、連写は最高約3.9コマ/秒だった。6プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 5D Mark II”を発売 Mark IIIはEOS-1D Xと同じ61点高密度レティクルAFへ移り、クロス測距点は最大41点、連写は最高約6コマ/秒となった。ピントを合わせる仕組みと連続して記録する速度の両方を更新し、先代との仕様上の差が明確な部分となった。3プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を発表。6コマ/秒・ISO102400・61点AFなど

シャッター操作への応答にも手が入った。レリーズタイムラグは0.075秒から0.059秒へ短縮している。7レビュー デジカメWatch新製品レビュー:キヤノンEOS 5D Mark III さらに、通常の高速連写とは別に、最高約3コマ/秒の静音連続撮影を備えた。約6コマ/秒という最高速度だけでなく、撮影時の音に配慮するモードも選べる構成である。4公式 キヤノンEOS 5D Mark III - キヤノンカメラミュージアム

一方、有効画素数は約2,110万から約2,230万への増加だった。6プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 5D Mark II”を発売1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 5D Mark III”を発売

常用ISO感度は先代のISO100〜6400からISO100〜25600に広がった。8公式 キヤノンEOS 5D Mark II - キヤノンカメラミュージアム 拡張感度も上限ISO102400相当まで用意している。解像度の数字を大きく伸ばす更新に比べ、暗い場面で設定できる感度の範囲に変化が表れた。4公式 キヤノンEOS 5D Mark III - キヤノンカメラミュージアム

ファインダー視野率は約98%から約100%へ広がり、2軸の電子水準器を加えた。記録部はCFの単一スロットから、CFとSD/SDHC/SDXCのデュアルスロットへ変わっている。被写体を確認するところからデータを記録するところまで、画素数に表れない撮影上の装備が増えた。液晶も3.2型・約104万ドットのクリアビュー液晶IIとなった。3プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を発表。6コマ/秒・ISO102400・61点AFなど

動画は圧縮方式にALL-IとIPBを用意し、ヘッドホン端子を新設した。3プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を発表。6コマ/秒・ISO102400・61点AFなど 発売後も機能は追加され、2013年4月のファームウェアVer.1.2.1では、エクステンダー装着で開放F8となるレンズの中央測距点AFと、HDMIからの非圧縮映像出力に対応した。購入時期や更新状態によって使える機能に違いがある。9プレス デジカメWatchキヤノン、EOS 5D Mark IIIの機能向上ファームウェアを公開 開放F8測距などに対応

ライバル機種との比較

同日発売のニコンD800は約3,630万画素、連写は単体で約4コマ/秒だった。10プレス デジカメWatchニコン、有効3,630万画素のフルサイズデジタル一眼レフ「D800」 EOS 5D Mark IIIは約2,230万画素、最高約6コマ/秒である。画素数ではD800、連写速度では本機という仕様上の違いがあり、二機種の比較では、解像度と連続撮影のどちらを必要とするかが一つの分かれ目になった。3プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を発表。6コマ/秒・ISO102400・61点AFなど

開発の背景

キヤノンが開発の重点に挙げたのは、高ダイナミックレンジ化、動画の偽色・モアレ抑制、暗いシーンでの高感度撮影、レリーズタイムラグの短縮であった。これらはメーカーの開発方針であり、すべての画質項目で競合機を上回るという主張ではない。静止画と動画の仕上がりに加え、撮影操作への応答まで含めて改良対象にしていたことが分かる。1プレス キヤノンデジタル一眼レフカメラ“EOS 5D Mark III”を発売

利用者の評判

専門媒体と価格.comのレビューには、高感度画質への肯定的な評価が共通する。価格.comでは61点AFや堅牢な設計も評価されており、画素数の増加幅以外の点が使用感の長所として挙がった。一方、RAW連写時のバッファ不足やWi-Fi非搭載への不満も見られ、連写速度の向上だけで連続撮影に関する制約がなくなったわけではない。11レビュー 価格.comCANON EOS 5D Mark III ボディ レビュー評価・評判

2026年9月の調査時点で、同サイトの393件のレビューは満足度4.73だった。ホールド感4.71、画質4.70、液晶4.68に対し、携帯性は3.70で、カテゴリ平均4.25を下回る。撮影時に使う装備への評価と、持ち歩く負担への評価が分かれた集計である。11レビュー 価格.comCANON EOS 5D Mark III ボディ レビュー評価・評判

評判の出典

11件

内容の確認日: 2026年10月1日

EOS 5D Mark IIIで撮った写真の話題

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