150-600mmレンズ 作例

ヤナギの下に

ヤナギの下に

 どぜうは何匹でもいる、の図。 いやいや、おしゃまさんがゲットした魚がどぜうだと言っているわけぢやないですよ、たとえです。  1974年放映の宇宙戦艦ヤマトは、初回シリーズこそ視聴率は芳しくなかったですが、再放送は地域によって20%に達する視聴率を獲得し、次第に人気を高めていきます。このあたりは、ガンダムやルパン3世も同様で、一度見ただけではわからなかった作りこみの良さが、再放送で認識される、または再放送の都度に、何らかの発見がある、というわけです。  人類滅亡の危機、終末モノ、宇宙からの侵略者というテーマでは、柳の下のドジョウは何匹でもいる、ということで、「ヤマト」のメカやキャラクター設定に貢献した松本零士氏は、他にもっと自分の決定権を行使できる作品づくりができるものと思って、宇宙戦艦モノと人類滅亡の危機をかませた「宇宙海賊キャプテンハーロック」をアニメ企画として売り込みますが、うまくいかず、漫画作品を先行させたうえで、「ヤマト」の成功を背景に説得力を確保することで、1978年にやっとこさアニメ化にこぎつけています。  放射能汚染による赤い焦土と化した地球が描かれた「ヤマト」に対して、「ハーロック」は、人類自身が地球を汚染する中で、酸素を供給してくれるはずの植物が人類に牙をむく・・・というプロットを基軸に、宇宙からの侵略とそれに対する防衛を描いています。   ・地球人類は地球固有種ではなく、他の知的生命体の家畜にあたる生物が移植されたもの ・人類に対して創造主にあたるその知的生物の末裔は、植物の形でアマゾン原生林をはじめ随所に潜んで、光合成を通じて栄養と酸素を供給し、人類を育みつつも監視している ・知的生命体の本来の生息地である惑星は、近傍の超新星爆発により壊滅し、キープしていた地球を移住先に定めた (これは「ヤマト」のガミラスと同様なプロット) ・知的生命体は地球人の女性に酷似した外形であり、かつ、地球人と同様な言語体系を持つ(「言葉が同じなら支配しやすい」) ・知的生命体は植物同様の光合成システムを体内に持ち、雌雄同体である(女性というのは見かけだけである) ・そして女性に酷似した外形を使って、すでに地球人類に相当数が進入している ・一方で人類は環境破壊を顧みず享楽にふけり、海洋を死滅させても反省の色は見せない ・宇宙からの脅威も夢物語と相手にしないが、主人公ハーロック一派は、少数精鋭で地球防衛に立ち上がる(資金源を稼ぐために海賊行為を働くが、換金や補給の系統について説明はない)  こういうプロットで、「宇宙戦艦ヤマト」が未来のある時期の物語であるのに対して、「宇宙海賊キャプテンハーロック」は、石炭紀まで歴史をさかのぼる点や、「ヤマト」で取り上げられなかった金星にスポットをあてた点などが差別化されています。    とはいえ、「ヤマト」に比べて低予算作品という面が随所に見られ、絵的な迫力が欠けたこと、「美女の姿をした侵略者が押し寄せてくる」というのもひとつにはパラダイスであり、切迫感に乏しい。また、美女が豊富に登場するわりには、ヒロイン相当の人物が不在で、焦点のぼやけた群像活劇でもありました。  しかし、やや小ぶりながらも、柳の下にドジョウがまだいた、ということにはなったようで、続編映画も複数作られています。また、主人公ハーロックは造形はともかく、由来を西欧人に寄せたこと(ドイツ・ハイリゲンシュタット出身の一族)、海賊船の意匠をヨーロッパ風にしたことなどが良かったのか、西欧でも人気作品になったそうで、その方面では「ヤマト」よりも受けがよいとか。  植物の機能をもった異星人ということで、地球制服にあたって光合成をとめて窒息攻めをする選択肢もあったのですが、むしろ人類を家畜として生かす意図があったせいか、海生植物の絶滅に際して、地球上の植物相の拡大をはかり、酸素供給の確保を図るような描写が見られました。  この点は、実は極相状態にある熱帯雨林が酸素の供給もするが消費もして差し引きすると、酸素の供給源だとは言えないという近年の言説に対して「慎重に対応している」面もあり、生息域の拡大つまり成長期の植物を増大させることによって酸素の供給増を図って、酸素濃度低下を防いでいるものですが、その本当の目的は「石炭紀の大気成分を回復する」というもの。  つまり、人類の文明は密林に飲み込まれて、少数の人類が家畜として生かされるだけ、という近未来が迫っている、というのが本作のカタストロフィーです。  「ヤマト」では複数のSF作家、脚本家が意見を交わして考証を昇華させ、私の身近では、中学校の理科担当教師がその考証に(一方的に)参加して、授業においても考証を披露するなど、少々迷惑な展開になっていましたが、それはそれで面白い時代でもありました。残念なことに「ハーロック」は、そのあたりが手薄なようで、あるいは天文分野に比べて地質学や大気学は少年層の興味をひかなかったのか、おもしろい素材が随所に残りながら、まとまりのない結果に終わってしまってます。  例えば「なぜアニメの中で宇宙人は流暢に地球の言葉を話すのか」という疑問に対して、「もともと宇宙人が地球に言葉をもたらしたのだ」と説明するにあたり「言葉が同じならば支配はたやすい」という簡潔なセリフですますなど、説得力があるな、と思うところです。それが松本氏オリジナルかどうかは不明。

実家での農作業と野鳥たち

実家での農作業と野鳥たち

 といって写っているチュンバメ君は、広島での撮影ですが(爆)  私にとって農作業は、レンズ・カメラを通さず肉眼で野鳥撮影するよい機会で、ツバメの飛翔も、写し止めではなく連続した動き、その軌道を観察できました。そして、飛ぶことのできる鳥はすべてホバリングができる、ということで、スズメもセキレイもツバメも、水田上でホバリング捕食を行う様子が印象的でした。  それらはもちろん撮影していないのですが、ちょうど愛知県の明治用水における漏水事故で、用水のことが話題になっているので実家周辺の用水系統と畦畔(京阪にあらず)を撮影してきました。  実家の水田は、ため池系統と吉井川由来の農業用水路系統の二つの用水系統で灌漑(感慨にあらず)しています。どちらの用水も、基幹水路が枝別れして、その沿線の水田に水を供給し、また余水を回収しながら再び幹線水路に合流し、最寄りの河川に流れこんで、最終的には海に至る、の図。  至るところでせきとめして、吸水口(水口=みなくち、という)を通じて水田に水を入れる仕組みですが、我が家の場合で、大きくわけて7グループの農業者が給水に関して当番制を引き、ため池の幹線排水口を操作するとともに、各用水の分水板を操作して、必要な箇所に水が届くようにしています。  話し合って決めたスケジュールに沿って代掻き・田植えを澄まさなければならず、また代掻きと田植えの間には、除草の都合で一昼夜を置くため、私は日曜日と火曜日に手伝う運びとなりました。  左上と右上の写真は水路のせきあげの様子で、左上は土嚢袋(肥料土の空袋を転用)を使い、右上は堰板を使っている様子。  話題の愛知県明治用水は、パイプライン式の配水が導入されているので、端末まで加圧された、上水道のようなイメージなので、田んぼの中のバルブをあけると水が噴き出す、便利なスタイル。インフラとしてはコストがかかる方式ですが、水資源としては無駄が少ないかも。  そして開水路ではないため、降雨時に水路の溢水を心配する必要がないかもしれません。どんなシステムも完璧ということはありえないので、今回の一件はたいへんだったと思います。  一部の地域で、ため池が人のいたずらで水を抜かれてしまう事件が発生しています。刑法には水利妨害罪も規定されているので、いたずらではすまされません。  備前地方では幹線用水の監視のために番小屋と呼ばれる監視者の詰め所も設置されています。農業用水に関してトラブルは多々発生しますが、ある意味では一番強固に成立している相互扶助組織でもあるわけです。  時間切れ。続きはまた今度。  

我が流法(モード)はグラビティ!

我が流法(モード)はグラビティ!

 「宇宙戦艦ヤマト」のすごい超技術は、波動砲でもワープ航法でもなく、「人工重力」と「超光速通信」ではないでしょうか。 (そもそも全部が波動理論で構成されているのかもしれないが)  それはともかく、70Dとの脳内Wi-Fi通信(これも実現できれば超技術だが爆)を続ける中で、千葉実氏の「カワセミ撮影でホバリング時と急降下時の設定モードを独立したショートカットボタンで呼び出す」流法について話題にしたところ、「あまり細かいことはおさーんはやめとけ。AFのモード切替だけなら簡単な方法があるからやってみろ」との提案がありました。  なんだそれは?と尋ねてみると、「フォーカスポジションの選択を、横位置と縦位置で独立して記憶するよう設定すれば、AFも、横位置ではゾーンAF、縦位置ではピンポイントAFに、とカメラの構えを変えるだけでボタン操作なしで移行できる」とのこと。  やってみると、なかなか快適でした。チュンバメ撮影は飛翔時には横位置でゾーンAF、地上に降り立って巣材を拾っているときは縦位置でピンポイントAF、という撮影で、機動的撮影が楽しめます。 70Dがどうやって縦横の構えを検出しているのか知りませんが(それこそ脳内Wi-Fiで聞いてみろ、だな)、水準器を流用しているのであればそのメカニズムの根本は重力であろう、ということで「わが流法はグラビティ」というわけです。  とはいえ、飛翔するチュンバメの正対撮影は正直きついですね。AFが食いついた瞬間に連写すれば、2,3枚はいけそうですが、その瞬間を逃さないのは難しい。つくづく写真は決断力。