どうしたらもっとうまく撮れるの?を目的とした掲示板です。 すばらしい作品はご遠慮下さい。http://www.nature-photo.jp/
1 kusanagi 2018/9/8 23:04 .
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1 kusanagi 2018/9/8 23:03 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:49 堤防からは、その池の水の受益田が見えるのが常套です。
堤防からは、その池の水の受益田が見えるのが常套です。
1 kusanagi 2018/9/8 23:02 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:28 この池は定型的な谷池なのですが通称、「ふこいけ」深い池、と言うらしいです。池の最大水深は堤防の高さと同じなんですね。まあこの池の面積にしては深い池です。
この池は定型的な谷池なのですが通称、「ふこいけ」深い池、と言うらしいです。池の最大水深は堤防の高さと同じなんですね。まあこの池の面積にしては深い池です。
1 kusanagi 2018/9/8 23:01 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:51 石碑は全て花崗岩です。香川には花崗岩は豊富なんです。これなんか丸くなった花崗岩を輪切りにしていますね。
石碑は全て花崗岩です。香川には花崗岩は豊富なんです。これなんか丸くなった花崗岩を輪切りにしていますね。
1 kusanagi 2018/9/8 23:00 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:30 下の古池の堤防です。風が吹いていて気持ち良かったです。堤防にすずらんのような花が咲いていました。風があり定まらずで写真には撮れませんでした。
下の古池の堤防です。風が吹いていて気持ち良かったです。堤防にすずらんのような花が咲いていました。風があり定まらずで写真には撮れませんでした。
1 kusanagi 2018/9/8 22:59 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:57 沈んで見える3つの木は、今は使われていない古いゆる抜きの設備です。今は別にバルブが設えられています。真ん中の高い木を上に持ち上げれば石組みの暗渠水路から水がでます。かなり危険な作業となりますね。船なんかないですから、池底を歩いて行って力ずくで抜くんです。大きな池は石の橋が架かっていたりします。もっともそういうのは過去の設備なので今は全てバルブ操作でできます。
沈んで見える3つの木は、今は使われていない古いゆる抜きの設備です。今は別にバルブが設えられています。真ん中の高い木を上に持ち上げれば石組みの暗渠水路から水がでます。かなり危険な作業となりますね。船なんかないですから、池底を歩いて行って力ずくで抜くんです。大きな池は石の橋が架かっていたりします。もっともそういうのは過去の設備なので今は全てバルブ操作でできます。
1 kusanagi 2018/9/8 22:58 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:32 これは別の小さな古池です。それでも立派な堤防が設えられています。
これは別の小さな古池です。それでも立派な堤防が設えられています。
1 kusanagi 2018/9/8 22:57 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:33 上の小さな古池の近くにあった水たまり。池とは言えないけれど古そうな水溜まり。
上の小さな古池の近くにあった水たまり。池とは言えないけれど古そうな水溜まり。
1 kusanagi 2018/9/8 22:56 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:35 もう古くなって数が少なくなった藁屋根の農家。(藁屋はトタン屋根に覆われています)
もう古くなって数が少なくなった藁屋根の農家。(藁屋はトタン屋根に覆われています)
1 kusanagi 2018/9/8 22:55 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:37 ナガサキアゲハがいたミカンの木。トラクターの人は、おみゃーは何やってんだ?って具合だったでしょう。(^^ゞ
ナガサキアゲハがいたミカンの木。トラクターの人は、おみゃーは何やってんだ?って具合だったでしょう。(^^ゞ
1 kusanagi 2018/9/8 22:54 .
1 kusanagi 2018/9/8 22:53 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:19 香川用水です。こういう具合に時たま地上に現れてきます。大部分は暗渠になってます。用水路の幅は遠くへ行くほど細くなってますが水深もありますし流速が速いです。遠く吉野川から運ばれてきた水です。香川にとっては溜池と並んで命の水というわけです。
香川用水です。こういう具合に時たま地上に現れてきます。大部分は暗渠になってます。用水路の幅は遠くへ行くほど細くなってますが水深もありますし流速が速いです。遠く吉野川から運ばれてきた水です。香川にとっては溜池と並んで命の水というわけです。
1 kusanagi 2018/9/8 22:52 .
1 kusanagi 2018/9/8 22:51 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:20 クサガメが入ろうとした古池です。カメは溜池を次々と渡ろうとする性質があるようです。
クサガメが入ろうとした古池です。カメは溜池を次々と渡ろうとする性質があるようです。
1 kusanagi 2018/9/8 23:21 歩いていると、こういう日陰がホッとするところがあります。
歩いていると、こういう日陰がホッとするところがあります。
2 kusanagi 2018/9/8 22:50 .
1 kusanagi 2018/9/8 22:49 .
1 kusanagi 2018/9/8 22:48 .
2 kusanagi 2018/9/8 23:18 この池と上の池(堤防が見えてる)に、上の石碑が建っていました。立派な改修記念碑です。石碑というのは、.流布性は低いのですが、存続性はあります。数百年は持つだろうということです。石碑には過去に堤防が決壊したことなど言い伝えが書かれています。
この池と上の池(堤防が見えてる)に、上の石碑が建っていました。立派な改修記念碑です。石碑というのは、.流布性は低いのですが、存続性はあります。数百年は持つだろうということです。石碑には過去に堤防が決壊したことなど言い伝えが書かれています。
1 kusanagi 2018/9/8 22:21 .
2 kusanagi 2018/9/8 22:24 ●『SONY α7Sが優れている10の理由』http://photo.nyanta.jp/7sbest.html「諧調性はトップクラスである」諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値、というグラフがありますね。以下は説明文をコピーしておきます。>・・・諧調性とは、濃淡の変化を細かく正確に表せる度合いの事です。デジカメの場合、海や空の色の様に淡い水色から濃い紺色に滑らかに変わっている被写体を、高い再現性を持って記録できる事が重要になります。この諧調性について、α7Sは大きなアドバンテージがあるのです。それでは、以下のグラフをご覧ください。これはα7Sとα7で、諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値を示しています。ご存じの様にα7Sの1画素の大きさは、α7の2倍ありますので、例えばα7に強い光が入った場合の出力電圧が1Vだとすると、同じ光がα7Sに入るとその出力は2Vになります。(すなわち分解能は2倍になります)この2倍高い電圧値を200等分して画像の濃淡を表すのと、低い電圧を100等分して濃淡を表す場合とでは※、どちらが高い諧調性を持っているかは明らかでしょう。実際はα7Sもα7も14bit(16,384当分)に分割しているのですが、同じ分割でも入力電圧が高い方がより高い諧調性を表現できる事は間違いありません。高感度となると、当然ながらダイナミックレンジも高くなるのですが、むしろ諧調性がアップしてグラデーションの表現力がアップする事の方が、昼間の撮影においては効果が大きい気がしますがいかかでしょうか。・・・<注※https://kotobank.jp/word/%E9%9A%8E%E8%AA%BF-2235「階調」>色や明るさの濃淡の段階数。ディスプレーやプリンターなどの画質を決める要素のひとつで、色や明るさの表現力の単位として使われる。階調が多ければ多いほど、色や明るさの変化をなめらかなグラデーションで表現でき、自然に近い描画ができる。階調は数で表され、2階調や16階調、256階調というように表現する。白黒の2階調では、濃淡を白と黒への2段階で表現する。カラー画像では、光の3原色のRGBのうち、1つの色についての階調の精度を示す。たとえば、3原色がそれぞれ16階調の場合、表現できる色数は、16の3乗の4096色、256階調なら256の3乗で約1677万色になる。<・・・つまり電圧値が2倍であれば、2倍分の階調を作ることができるということ。1画素を256階調にするのか、それとも128階調にするのかっていう意味ですね。このセンサー1画素当たりの電荷、出力電圧の問題は、私も以前から何度も言及しているのですが、この問題を本当に理解している人は殆どおられないだろうと思っています。むしろ高画素カメラの方が階調性が高い、良くなると言っている評論家もいるほどですから。しかしこのサイトの方は優れた考察をされていて、大いに勉強になるところがありました。深く感謝します。ここで書いている階調性という言葉。昔は1画素単位のことを言っていたのですが、現在では画像全体の滑らかさのことを言うようになりました。そうなると画素数の多いカメラが有利で階調性があるということになります。こういう言葉本来の定義を無視した言い違いは現在では多くて、フルサイズをフルフレームと言い違えるのも同じですね。フルフレームはCCDセンサーの種類のひとつでしたのでサイズとは関係ないはずですが。本来の階調性は別の言葉で言えばコントラストのことかと思います。無理やりつけたコントラストではなくて、あくまで自然に発生するコントラストですね。このコントラストというのは鑑賞者の印象力に直結します。また発色も本来の階調性と深く関係があります。高画素カメラの現在に於いては、そういう本来の階調性やコントラスト・発色性よりも、いかに細かく詳細に出ているかが問題となっていて、評論家の方が使う言葉そのものがすり替えられているんですね。これは問題だと思うんですが、それを読むユーザーも、いや評論家の方すらも、全然気がついていないようです。●知り合いにドローンを手に入れて(景品で当たったとか)、4~5万のものですが、結局飛ばしたのは2回ほどで、それで飽きてしまったそうです。景品とはいえ、興味があって手に入れたわけなのですが、早々に飽きてしまった。その理由は明らかのように思います。とにかく画質が悪いのです。しかし本人は画像の画質が悪くて飽きてしまったとは想像外だろうと思いますが、私からしてみたらそれ以外には考えられません。そんなわけで、ドローンを手に入れようと思えば、その第一優先はカメラの画質性能です。飛行能力よりも画質。そうしないと誰でも直ぐに飽きてしまうでしょうから。そのドローンの映像も画面の小さなスマホで見せてもらうと一見、綺麗に見えるんですね。そういうのはスマホ搭載のカメラと同じです。一見は綺麗。でも本当は綺麗でもなんでもない。すぐに飽きてしまって、結局はどうでもよい画像となるんです。スマホの画質に自分の眼が慣れてしまうと、もうそれで十分という気になります。それで本来の写真画像がどういうものであったのかを忘れてしまいます。スマホ撮影はメモ以上にはなれない画像なのであって、それが人間にとって利益になる写真なのかどうか、分からなくなるような気がします。しかしながらスマホ写真であっても、撮影者個人にとって記念的な写真であれば、それは立派な写真となりえます。また写っている被写体に関して鑑賞者がモーレツに関心があれば、これも立派な写真となりうるのです。それらはスマホ写真に対して特別な想像力を持って見ているからですね。そういうのは大昔の印刷技術の悪い写真とか、色が抜けてセピアいろになったアルバム写真でも同じです。そういう特別で格別な写真というものが確かにあります。そういう場合は写真に画質を問うということはあまり意味がないものです。この画質の問題。量よりも質の問題は、このフォトXP掲示板でも一時問題になったことがあります。問題になったというか、ほとんどの人はその問題が、本来の写真の画質を問う、ということであったということすら気がついていなかったろうと思います。それは攻撃する側も防戦する側も、写真の本当の画質ということを良く知らなかったからです。画質とはレンズである。という程度のレベルでは挑戦者に立ち向かえようもありませんでしたから。私は画質とは、本来この1画素当たりの品位品質であって、それで場合によっては、カメラの画素数は画質に反比例するっていうことになりうると思ってます。高画素でありながら高画質というのは普通は無くて、高画素カメラというのは画質を犠牲にせざるを得ないというところがあります。しかし高画素カメラでも手を抜いていない高額なカメラだと、同時に高画質であるっていうのもありますから一概には言えません。とにかく普通は原理的には、センサーサイズが同じならば、画素数の低いカメラが良い画質となるわけですね。フルサイズカメラだと4000万画素カメラよりも2000万画素カメラが。さらには1000万画素カメラが良い画質ということになります。●私がこのソニーアルファ7Sを気にいってしまったのは、電子シャッター装備で、手ぶれ補正もなくて、それで漏洩電磁波がほぼ皆無であるという一点なのですが、やはりそれだけではなくて、画質が大いに気に入っているからだと言えますね。それでその画質の良さは、やはりフルサイズでありながら1200万画素であるという点に尽きると思っています。手に入れる前は、このカメラが高感度カメラを謳っているということで、もしかすれば通常感度撮影では画質が落ちるのではないか?という危惧もあったのですが、そういうことはありませんでした。このカメラはプロが動画撮影をするのにも使っているわけで、そういう画質の低下をまねくようなことはしていなかったようです。このカメラを使ってみて感じることは、どんなレンズを使ってもそのレンズなりの良い描写をしてくれるということです。これは当たり前のことのようですが、実際にやってみると驚きのことなんです。このカメラのセンサーと映像エンジンは素晴らしくて、今でのカメラとは違うって感じました。実際に私が投稿した画像は、大きく画質を落としていますので分からないだろうと思いますが、RAW画像で見る画質は、この安物のレンズがここまで描写できていたのか、と驚くばかりです。しかし良い画質という点では、キヤノンやニコンのフルサイズ低画素カメラも負けてはいません。ただソニーはミラーレスカメラなので、あらゆるレンズを試せるということに於いて、キヤノンやニコンとは違ってきます。とにかくこのカメラを使ってみて、強く感じたことはフルサイズセンサーで低画素カメラというのは、その画質に於いて、ユーザーを飽きさせないということです。画質がよければ画像自体に深く満足ができるということ。写真において、これに勝るものは他にはなかろうということですね。そういうのはシグマのカメラに共通していますね。シグマのカメラも出力画素数は少ないのです。センサーサイズはAPSですけど、フォビオンの原理上、APSといえどもフルサイズセンサー匹敵ですから。ユーザーが画質に満足ができていないと、2つの反応をすることになります。ひとつは飽きてしまって写真から遠ざかること。もうひとつは満たされないのなら、さらに撮って量でカバーするようになること。どちらも満足ができていないことからくる自然な反応ですね。ついでを言うと、現在ではレンズ自体も、階調性ではなくて、シャープ性や高精細の方向に向いてきています。それで発色が薄いということになり、細かくは表現できているけれど印象が薄くて飽きやすい画像となってきています。考えてみますと、現在の高画素カメラや高精細レンズというのは、写真というのは何が写っているのかが大切であって、どのように写っているのかはあまり問題視されなくなったということです。●これはどういうことかと言いますと、そもそも写真自体が人間ではなくて、機械が判断して有用化する方向になってきているということです。写真を鑑賞というか消費するのは人間ではなくて機械であるということ。そういう時代の先駆けが既に現在で起こっているということです。機械にとって良いような画質のカメラになり、それを人間が膨大に撮影してクラウドに上げて、その結果は機械が判断していくという、そんな時代です。人間は機械に奉仕する、そういう時代がもうすぐ来ているということですかね。画像に於いて何が写っているのか。機械的な観点で大切になるのは輪郭です。線画的な輪郭性を持った画像が良い画像や写真となり、その輪郭性こそが最も機械が認識しやすい特質なんですね。そういうわけで例えばスマホの画像なんかはその典型です。安物のドローンもそうですし、高級なカメラも今ではそのような方向に来ています。輪郭性画像はコンピューターグラフィックとさほど違わないような画像となります。もしかすればCGに慣れた現代人は、そういうCG風の画像こそがリアルで現実的だと思っているかもしれません。しかしながら、そういうCG風の画像は、人間本来の求める写真とは違います。人間は強い印象力を持つダイナミックな写真を求めているのであって、膨大な線画には違和感があるんですね。ここのところがよく理解できていないと、機械にはよい画像だけど人間にとっては意味のない画像を量産してしまう結果になります。クラウドに上げられた膨大な画像は将来的には人工知能が利用していきます。もはや人間が手作業で見れるようなものではなくなっているからです。それはそれでよいのかも知れませんが、そこには人間はいません。(しかし将来的には再び人間が権限を取り戻し、AIを駆使してクラウドに埋もれた膨大な画像を発掘するということになるかもしれません)●話は変わりますが、ニコンとキヤノンから、フルサイズ・ミラーレス・エレクトリックシャッターカメラがリリースされました。長いのでFMEカメラと書きますが、このFMEカメラは既存のソニーと、今回のニコンとキヤノンで3メーカーになりました。噂ではさらにパナソニックも出すそうです。映像のソニーとパナソニックのライバル関係からしてパナがFMEカメラを出さないわけにはいきませんからね。そうなってくるとオリンパスも出しそうだし、さらにはフジやペンタックスも出すでしょう。シグマだって出さざるを得ないようになります。このFMEカメラこそが、デジタルカメラの最終的に落ち着くべきカメラということになり、各社の中心的なモデルになるはずです。もちろんAPSミラーレスカメラも、光学一眼レフも存続をするでしょうけど、写真好きなユーザー、ハイアマチュアの方々はFMEカメラを主体に使っていくというようになるでしょうね。それでニコンとキヤノンのFMEカメラ。私が気になるのはニコンZ6です。やや記録メディアがマイナーなのとボディ内手ブレ補正の電磁波がやや気になるんですが、2400万画素で裏面照射型のセンサーは魅力的ですね。ソニー7Sと、どっこいどっこいの画質を叩きだしてくれそうでな気がします。ニコンにはバッテリーグリップが未だ発表になってませんが、出るのは確実でしょう。どんなものになるのか興味があります。キヤノンRは無難にまとめています。バッテリーグリップも既存のものが使えますしね。画素数はニコンZ6と7の間をとっています。ボディ内手ブレがなく電磁波的には安心です。センサーがディアルピクセルなので画質は期待できませんが、一般の人にはそこそこではあるでしょう。FMEカメラは新マウントを採用していますが、マウントコンバーターでもって既存のデジイチのレンズを問題なく使えるようにしています。もちろん像面位相差AFが可能ですからAF感覚はデジイチと変わりません。さらには今のソニー製FMEカメラと同じように、サードパーティ製のマウントコンバーターが出てきて華やかになるはずです。FMEカメラの登場は、光学式カメラ、光学ファインダーの時代が終わったということを意味します。もしかすれば光学式ファインダーの反旗があるかも知れませんが、それには電磁波をださない方式を見つけるしか方法がありません。DCモーターでミラー・シャッターをチャージする現在の手法はもう限界に来ているからです。良く出来た光学ファインダーは素晴らしくて、例えば裸眼と同じ倍率になる領域では、両眼を開けながら被写体を見ることができます。そこに違和感は一切、ありません。その自然なファインダーはFMEカメラには絶対に真似ができないことです。FMEカメラはやはり背面液晶を見ながらの撮影がメインとなります。これはこれで良くてかなり客観視しながら撮影ができます。しかし写真にのめり込みながら撮影したいとなると、光学ファインダー式カメラの復活が強く望まれますね。私は最高級のカメラは、やはり(電磁波を出さない)光学式カメラだと認識しています。それで連写能力を落としてでもいいから、チャージモーターを超音波モーターにしてほしいなあって望んでいるんですけどね。もはや高速連写撮影はFMEカメラに敵いません。その足かせがとれれば光学式カメラはじっくりと撮影する人に向くカメラになるんじゃないでしょうか。それからソニー7Sのように、画質優先のカメラを出して欲しいということです。ピントは遅くて良いんです。連写もさほどでなくてよい。本当の意味で人間らしい画像が得られるカメラを出すべきだと思っています。私がソニー7Sをわすがな期間ですけど使ってみて感じたことは、マニュアルレンズで目測撮影をして撮影をしていた時です。(この目測撮影とは、最初に液晶を拡大してピントの加減を知り、後はレンズ銅鏡の数字でもってピントを合わせる方法です)オートフォーカス撮影にはない撮影の充実感が得られたということです。残念ながらこの手法は被写界深度の深い広角レンズでしか使えませんが、完全に自分がカメラをコントロールしているという手応えが得られるんですね。往年のフィルム式メカニカルカメラと同じような手応えがありました。このカメラは装置するレンズやマウントアダプターにより、多種多様の撮影ができます。それによって発生する電磁波も多様です。とにかく様々な撮影ができるということは面白いだけでなく深く考えさせられるということでもありました。FMEカメラはそういう点では、普通のメーカーお仕着せではありえない考察を得ることになります。このメーカー仕様を脱却できるということにおいて、FMEカメラは特に優れているカメラでしょう。FMEカメラは言わば、自作パソコンに近い感覚が得られるということで、ユーザーにとって伸びしろがあるカメラですね。●写真に対しては人それぞれ色んなアプローチをしています。その結果は様々でそれらを一括りにして語るなどということはできません。今回は写真における画質とはどういうものなのか、ということを低画素カメラの観点から書きましたけどこれだってひとつのアプローチに過ぎませんよね。本当のところは、私の関心はここずっと、安全なカメラを追い求めていて、それは電磁波問題なんですが、唯一その観点からカメラや写真を考えていたというところがあります。身体に安全なカメラとか写真とかいうものは、これは個人的な興味に収まらずに普遍性を持ちます。それはありとあらゆる人々にとっても安全は求められるべきものだからです。写真やカメラは人を夢中にさせる要素を多々持っていて、それに深くのめり込んでいる人は多いわけですから。そして安全なカメラとは、結局は長い間、多くの人々が使っていて問題がなかったという結果論でもあるんですね。例えば、超音波モーターは本当に身体に安全なのか? これは私にも分かりません。それは超音波モーターが発売されてまだ時間が経っていないからです。しかしDCモーターに比すれば安全だろうというに過ぎないのです。とりあえず私は、安全なカメラを求めて、それから先は改めて考えれば良いじゃないかという考えです。写真に対して、一個人として本当に有益なのは何か?と考えるとき、それは写真を撮って自分が画像的に満足することではなく、ましてや写真を人様に見せて何かのコメントを頂くことでもなくて、さらには自分の記録写真を後世に残すことでもないと考えています。写真というものを通じて、自分の人生の何かのノウハウを得ることだと私は考えています。その為のツールが写真であってその道具がカメラやパソコンであるっていうだけのことですかね。ですから写真行為はリアルタイムです。ひとつ間違いのないことは、カメラを持てば歩けるということで運動になることです。この利益は大きいですね。しかしマイナス点として漏洩電磁波の問題がありました。それをクリアすることは重要だったのです。それから現代の写真とは画像データということであり、この写真を通じてデジタル世界の問題に常に関心を抱いていけるという点です。写真を撮るという行為は、そのデータの創造者でもあって、単に受益するだけの一般の人々とは違ってきます。この点も逃すことのできない利益となってきます。●それから、これは最も写真として大切なことですが、写真を撮るということはモノゴトを見る眼を養うということであるんです。これはフィルム時代から続いている写真の大切なファクター、要素です。物事に対しての真贋の眼を養うということです。この観点は物凄く大事なことなんでして、その利益のあまりにもの大きさに大部分の人々が気づいていません。しかしながらデジタル時代になってから、あまりにもの多量の写真が撮れすぎてしまっていて、また巷にも大きく氾濫し過ぎてしまって、その意味がもう薄れ気味になっているのが、このモノ・コトを見る眼です。デジタル時代の劫罰は撮れ過ぎてしまう写真にあります。そしてこれは、画質の問題とも直結しているんですね。あまりにも多く撮れすぎてしまう、溢れすぎている写真の画像は画質がよくありません。それはネット写真ですから当然なんですけれど。なんでも食い物に例える自分ですが、「写真は食物や料理である。」という風に例えることができます。それで食い物にとって一番大切なのは、食物の素材です。安全で栄養価の高い自然な食物を食べるということは、人間の健康に直結してきます。これは絶対と言っていいほど間違いのないところです。料理の上手い人は、素材がダメでも上手く調理して美味しい料理にしてしまうテクニックを持っていますね。しかしそれで健康が保たれるかというと、そうではありません。素材の悪さはどんなにテクニックを弄しても変わることがないからです。良い食物ができるのは良い農業をやっていかなければならないのですが、その田畑が優れていて、土地柄も良くなてはなりません。自然な微生物がいっぱいいて、土地のミネラルが豊かで、水も良くて気温も日照も良い。そういうところでないと、もちろん農家の人も篤農家であって、それではじめて優れた栄養価の作物ができます。もちろん身体を害する化学肥料とか農薬は最低限ですかね。できれば完全な有機農法であればベストです。しかしながら、これは大変残念なことなのですが、食物の素材の味が分からない人が多いんです。料理の味は分かるけど、素材を味わうことが出来ない人が多いんです。ある意味で生物としての本能が失われているというしかありません。そして写真も、まったくこの食べ物と同じなのであって、一番大事なのは素材たる画質です。写真撮影のテクニック、画像処理のテクニックというものはあまりなくてもいい、いや返って妨げになるというように思っています。テクニックは料理でも写真でも、本当の栄養にはならないんですね。栄養とは素材から、画質から来ていますから。料理の場合は素材の栄養価が身体の健康を支えますが、写真においては画質が物事を見る眼を養います。そしてその画質は、ひとつはカメラ本体のセンサー・映像エンジンですし、ひとつはパソコンのビデオカードやモニターです。有機農法で作られた食物は高いです。篤農家が作られたブランドの食物も高いですね。それと同じように、画質の優れたカメラやパソコンは高くなります。これはどうしようもないかなって思いますが、そこは知恵を働かせて中古ならば安く手に入れられます。(実際のところ、高価なカメラやパソコンを手放す人は、その機材をよく知らずに使っていたというところがあります。良いカメラを手放し、次に大したことがないカメラを高く買って満足しているだけのような)それからカメラの画素数とかモニターのピクセル数というのは、これは概念的には質ではなくて量になります。私は写真として、量を追い求めているのではなく質を求めているのであって、より安価な低画素カメラや小型のモニターで十分だと思うのです。レンズはもう問いません。アルファ7Sで撮ればどんなレンズもベストの画質を出してくれるからです。大昔の廉価な単焦点レンズとか倍率の低いズームレンズなどでも何ら問題がない。そもそも高画素における解像力とかシャープさというものを求めていないので、古い安価なレンズでも問題がないのです。実際問題として、カメラの画素数は1000万画素は必用というか、ちょっと不足気味かなっていうところがあります。しかし2000万画素にすると画質は明らかに低下します。それで1200から1600万画素あたりが実用としても画質としても許せるところがあります。(フルサイズの場合)1000万画素よりも低いカメラ、APSカメラですが、昔は400~800万画素というのがありました。さすがにこれは画質はよくても画素数が少なすぎて鑑賞に苦しくなります。そういう場合はステッチングという手法があり、画質を保ったまま画素数を上げられます。もしくは標準レンズ以上のを着けてスポット的に使うのがいいのかもしれません。こういう画素数は、なんとなく車の排気量に似ていますね。660ccでは苦しいです。(笑) しかし1500ccともなると余裕です。燃費も良いですし。そりゃあ2000とか3000ccだと超余裕ですけど燃費は辛いです。車の場合は排気量が大きくなっても質が落ちるということはありません。しかしカメラの場合はセンサーサイズが決まっているので質が落ちるんですね。それでフルサイズ2倍のセンサーであれば、2000~3000万画素であっても画質は全く落ちません。しかしレンズが大きくなって持ち運びが。ということになるんです。もちろん、カメラもレンズもすこぶる高価になります。考えてみますと、現在に於いては消費者たるユーザーは無理やり質ではなく量を押し付けせられているところがあります。その量をこなすために高価なレンズをどうぞ、ってていうところがあります。それは少しおかしいと思うべきですね。こんな感じで、写真に於いてその画質という質を問うことは、写真本来のモノゴトを見る眼に直結すると私は考えています。量を減らして質を高める。これは食物に於いても常道です。
●『SONY α7Sが優れている10の理由』http://photo.nyanta.jp/7sbest.html「諧調性はトップクラスである」諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値、というグラフがありますね。以下は説明文をコピーしておきます。>・・・諧調性とは、濃淡の変化を細かく正確に表せる度合いの事です。デジカメの場合、海や空の色の様に淡い水色から濃い紺色に滑らかに変わっている被写体を、高い再現性を持って記録できる事が重要になります。この諧調性について、α7Sは大きなアドバンテージがあるのです。それでは、以下のグラフをご覧ください。これはα7Sとα7で、諧調性チャートを写した時の1画素当たりの出力値を示しています。ご存じの様にα7Sの1画素の大きさは、α7の2倍ありますので、例えばα7に強い光が入った場合の出力電圧が1Vだとすると、同じ光がα7Sに入るとその出力は2Vになります。(すなわち分解能は2倍になります)この2倍高い電圧値を200等分して画像の濃淡を表すのと、低い電圧を100等分して濃淡を表す場合とでは※、どちらが高い諧調性を持っているかは明らかでしょう。実際はα7Sもα7も14bit(16,384当分)に分割しているのですが、同じ分割でも入力電圧が高い方がより高い諧調性を表現できる事は間違いありません。高感度となると、当然ながらダイナミックレンジも高くなるのですが、むしろ諧調性がアップしてグラデーションの表現力がアップする事の方が、昼間の撮影においては効果が大きい気がしますがいかかでしょうか。・・・<注※https://kotobank.jp/word/%E9%9A%8E%E8%AA%BF-2235「階調」>色や明るさの濃淡の段階数。ディスプレーやプリンターなどの画質を決める要素のひとつで、色や明るさの表現力の単位として使われる。階調が多ければ多いほど、色や明るさの変化をなめらかなグラデーションで表現でき、自然に近い描画ができる。階調は数で表され、2階調や16階調、256階調というように表現する。白黒の2階調では、濃淡を白と黒への2段階で表現する。カラー画像では、光の3原色のRGBのうち、1つの色についての階調の精度を示す。たとえば、3原色がそれぞれ16階調の場合、表現できる色数は、16の3乗の4096色、256階調なら256の3乗で約1677万色になる。<・・・つまり電圧値が2倍であれば、2倍分の階調を作ることができるということ。1画素を256階調にするのか、それとも128階調にするのかっていう意味ですね。このセンサー1画素当たりの電荷、出力電圧の問題は、私も以前から何度も言及しているのですが、この問題を本当に理解している人は殆どおられないだろうと思っています。むしろ高画素カメラの方が階調性が高い、良くなると言っている評論家もいるほどですから。しかしこのサイトの方は優れた考察をされていて、大いに勉強になるところがありました。深く感謝します。ここで書いている階調性という言葉。昔は1画素単位のことを言っていたのですが、現在では画像全体の滑らかさのことを言うようになりました。そうなると画素数の多いカメラが有利で階調性があるということになります。こういう言葉本来の定義を無視した言い違いは現在では多くて、フルサイズをフルフレームと言い違えるのも同じですね。フルフレームはCCDセンサーの種類のひとつでしたのでサイズとは関係ないはずですが。本来の階調性は別の言葉で言えばコントラストのことかと思います。無理やりつけたコントラストではなくて、あくまで自然に発生するコントラストですね。このコントラストというのは鑑賞者の印象力に直結します。また発色も本来の階調性と深く関係があります。高画素カメラの現在に於いては、そういう本来の階調性やコントラスト・発色性よりも、いかに細かく詳細に出ているかが問題となっていて、評論家の方が使う言葉そのものがすり替えられているんですね。これは問題だと思うんですが、それを読むユーザーも、いや評論家の方すらも、全然気がついていないようです。●知り合いにドローンを手に入れて(景品で当たったとか)、4~5万のものですが、結局飛ばしたのは2回ほどで、それで飽きてしまったそうです。景品とはいえ、興味があって手に入れたわけなのですが、早々に飽きてしまった。その理由は明らかのように思います。とにかく画質が悪いのです。しかし本人は画像の画質が悪くて飽きてしまったとは想像外だろうと思いますが、私からしてみたらそれ以外には考えられません。そんなわけで、ドローンを手に入れようと思えば、その第一優先はカメラの画質性能です。飛行能力よりも画質。そうしないと誰でも直ぐに飽きてしまうでしょうから。そのドローンの映像も画面の小さなスマホで見せてもらうと一見、綺麗に見えるんですね。そういうのはスマホ搭載のカメラと同じです。一見は綺麗。でも本当は綺麗でもなんでもない。すぐに飽きてしまって、結局はどうでもよい画像となるんです。スマホの画質に自分の眼が慣れてしまうと、もうそれで十分という気になります。それで本来の写真画像がどういうものであったのかを忘れてしまいます。スマホ撮影はメモ以上にはなれない画像なのであって、それが人間にとって利益になる写真なのかどうか、分からなくなるような気がします。しかしながらスマホ写真であっても、撮影者個人にとって記念的な写真であれば、それは立派な写真となりえます。また写っている被写体に関して鑑賞者がモーレツに関心があれば、これも立派な写真となりうるのです。それらはスマホ写真に対して特別な想像力を持って見ているからですね。そういうのは大昔の印刷技術の悪い写真とか、色が抜けてセピアいろになったアルバム写真でも同じです。そういう特別で格別な写真というものが確かにあります。そういう場合は写真に画質を問うということはあまり意味がないものです。この画質の問題。量よりも質の問題は、このフォトXP掲示板でも一時問題になったことがあります。問題になったというか、ほとんどの人はその問題が、本来の写真の画質を問う、ということであったということすら気がついていなかったろうと思います。それは攻撃する側も防戦する側も、写真の本当の画質ということを良く知らなかったからです。画質とはレンズである。という程度のレベルでは挑戦者に立ち向かえようもありませんでしたから。私は画質とは、本来この1画素当たりの品位品質であって、それで場合によっては、カメラの画素数は画質に反比例するっていうことになりうると思ってます。高画素でありながら高画質というのは普通は無くて、高画素カメラというのは画質を犠牲にせざるを得ないというところがあります。しかし高画素カメラでも手を抜いていない高額なカメラだと、同時に高画質であるっていうのもありますから一概には言えません。とにかく普通は原理的には、センサーサイズが同じならば、画素数の低いカメラが良い画質となるわけですね。フルサイズカメラだと4000万画素カメラよりも2000万画素カメラが。さらには1000万画素カメラが良い画質ということになります。●私がこのソニーアルファ7Sを気にいってしまったのは、電子シャッター装備で、手ぶれ補正もなくて、それで漏洩電磁波がほぼ皆無であるという一点なのですが、やはりそれだけではなくて、画質が大いに気に入っているからだと言えますね。それでその画質の良さは、やはりフルサイズでありながら1200万画素であるという点に尽きると思っています。手に入れる前は、このカメラが高感度カメラを謳っているということで、もしかすれば通常感度撮影では画質が落ちるのではないか?という危惧もあったのですが、そういうことはありませんでした。このカメラはプロが動画撮影をするのにも使っているわけで、そういう画質の低下をまねくようなことはしていなかったようです。このカメラを使ってみて感じることは、どんなレンズを使ってもそのレンズなりの良い描写をしてくれるということです。これは当たり前のことのようですが、実際にやってみると驚きのことなんです。このカメラのセンサーと映像エンジンは素晴らしくて、今でのカメラとは違うって感じました。実際に私が投稿した画像は、大きく画質を落としていますので分からないだろうと思いますが、RAW画像で見る画質は、この安物のレンズがここまで描写できていたのか、と驚くばかりです。しかし良い画質という点では、キヤノンやニコンのフルサイズ低画素カメラも負けてはいません。ただソニーはミラーレスカメラなので、あらゆるレンズを試せるということに於いて、キヤノンやニコンとは違ってきます。とにかくこのカメラを使ってみて、強く感じたことはフルサイズセンサーで低画素カメラというのは、その画質に於いて、ユーザーを飽きさせないということです。画質がよければ画像自体に深く満足ができるということ。写真において、これに勝るものは他にはなかろうということですね。そういうのはシグマのカメラに共通していますね。シグマのカメラも出力画素数は少ないのです。センサーサイズはAPSですけど、フォビオンの原理上、APSといえどもフルサイズセンサー匹敵ですから。ユーザーが画質に満足ができていないと、2つの反応をすることになります。ひとつは飽きてしまって写真から遠ざかること。もうひとつは満たされないのなら、さらに撮って量でカバーするようになること。どちらも満足ができていないことからくる自然な反応ですね。ついでを言うと、現在ではレンズ自体も、階調性ではなくて、シャープ性や高精細の方向に向いてきています。それで発色が薄いということになり、細かくは表現できているけれど印象が薄くて飽きやすい画像となってきています。考えてみますと、現在の高画素カメラや高精細レンズというのは、写真というのは何が写っているのかが大切であって、どのように写っているのかはあまり問題視されなくなったということです。●これはどういうことかと言いますと、そもそも写真自体が人間ではなくて、機械が判断して有用化する方向になってきているということです。写真を鑑賞というか消費するのは人間ではなくて機械であるということ。そういう時代の先駆けが既に現在で起こっているということです。機械にとって良いような画質のカメラになり、それを人間が膨大に撮影してクラウドに上げて、その結果は機械が判断していくという、そんな時代です。人間は機械に奉仕する、そういう時代がもうすぐ来ているということですかね。画像に於いて何が写っているのか。機械的な観点で大切になるのは輪郭です。線画的な輪郭性を持った画像が良い画像や写真となり、その輪郭性こそが最も機械が認識しやすい特質なんですね。そういうわけで例えばスマホの画像なんかはその典型です。安物のドローンもそうですし、高級なカメラも今ではそのような方向に来ています。輪郭性画像はコンピューターグラフィックとさほど違わないような画像となります。もしかすればCGに慣れた現代人は、そういうCG風の画像こそがリアルで現実的だと思っているかもしれません。しかしながら、そういうCG風の画像は、人間本来の求める写真とは違います。人間は強い印象力を持つダイナミックな写真を求めているのであって、膨大な線画には違和感があるんですね。ここのところがよく理解できていないと、機械にはよい画像だけど人間にとっては意味のない画像を量産してしまう結果になります。クラウドに上げられた膨大な画像は将来的には人工知能が利用していきます。もはや人間が手作業で見れるようなものではなくなっているからです。それはそれでよいのかも知れませんが、そこには人間はいません。(しかし将来的には再び人間が権限を取り戻し、AIを駆使してクラウドに埋もれた膨大な画像を発掘するということになるかもしれません)●話は変わりますが、ニコンとキヤノンから、フルサイズ・ミラーレス・エレクトリックシャッターカメラがリリースされました。長いのでFMEカメラと書きますが、このFMEカメラは既存のソニーと、今回のニコンとキヤノンで3メーカーになりました。噂ではさらにパナソニックも出すそうです。映像のソニーとパナソニックのライバル関係からしてパナがFMEカメラを出さないわけにはいきませんからね。そうなってくるとオリンパスも出しそうだし、さらにはフジやペンタックスも出すでしょう。シグマだって出さざるを得ないようになります。このFMEカメラこそが、デジタルカメラの最終的に落ち着くべきカメラということになり、各社の中心的なモデルになるはずです。もちろんAPSミラーレスカメラも、光学一眼レフも存続をするでしょうけど、写真好きなユーザー、ハイアマチュアの方々はFMEカメラを主体に使っていくというようになるでしょうね。それでニコンとキヤノンのFMEカメラ。私が気になるのはニコンZ6です。やや記録メディアがマイナーなのとボディ内手ブレ補正の電磁波がやや気になるんですが、2400万画素で裏面照射型のセンサーは魅力的ですね。ソニー7Sと、どっこいどっこいの画質を叩きだしてくれそうでな気がします。ニコンにはバッテリーグリップが未だ発表になってませんが、出るのは確実でしょう。どんなものになるのか興味があります。キヤノンRは無難にまとめています。バッテリーグリップも既存のものが使えますしね。画素数はニコンZ6と7の間をとっています。ボディ内手ブレがなく電磁波的には安心です。センサーがディアルピクセルなので画質は期待できませんが、一般の人にはそこそこではあるでしょう。FMEカメラは新マウントを採用していますが、マウントコンバーターでもって既存のデジイチのレンズを問題なく使えるようにしています。もちろん像面位相差AFが可能ですからAF感覚はデジイチと変わりません。さらには今のソニー製FMEカメラと同じように、サードパーティ製のマウントコンバーターが出てきて華やかになるはずです。FMEカメラの登場は、光学式カメラ、光学ファインダーの時代が終わったということを意味します。もしかすれば光学式ファインダーの反旗があるかも知れませんが、それには電磁波をださない方式を見つけるしか方法がありません。DCモーターでミラー・シャッターをチャージする現在の手法はもう限界に来ているからです。良く出来た光学ファインダーは素晴らしくて、例えば裸眼と同じ倍率になる領域では、両眼を開けながら被写体を見ることができます。そこに違和感は一切、ありません。その自然なファインダーはFMEカメラには絶対に真似ができないことです。FMEカメラはやはり背面液晶を見ながらの撮影がメインとなります。これはこれで良くてかなり客観視しながら撮影ができます。しかし写真にのめり込みながら撮影したいとなると、光学ファインダー式カメラの復活が強く望まれますね。私は最高級のカメラは、やはり(電磁波を出さない)光学式カメラだと認識しています。それで連写能力を落としてでもいいから、チャージモーターを超音波モーターにしてほしいなあって望んでいるんですけどね。もはや高速連写撮影はFMEカメラに敵いません。その足かせがとれれば光学式カメラはじっくりと撮影する人に向くカメラになるんじゃないでしょうか。それからソニー7Sのように、画質優先のカメラを出して欲しいということです。ピントは遅くて良いんです。連写もさほどでなくてよい。本当の意味で人間らしい画像が得られるカメラを出すべきだと思っています。私がソニー7Sをわすがな期間ですけど使ってみて感じたことは、マニュアルレンズで目測撮影をして撮影をしていた時です。(この目測撮影とは、最初に液晶を拡大してピントの加減を知り、後はレンズ銅鏡の数字でもってピントを合わせる方法です)オートフォーカス撮影にはない撮影の充実感が得られたということです。残念ながらこの手法は被写界深度の深い広角レンズでしか使えませんが、完全に自分がカメラをコントロールしているという手応えが得られるんですね。往年のフィルム式メカニカルカメラと同じような手応えがありました。このカメラは装置するレンズやマウントアダプターにより、多種多様の撮影ができます。それによって発生する電磁波も多様です。とにかく様々な撮影ができるということは面白いだけでなく深く考えさせられるということでもありました。FMEカメラはそういう点では、普通のメーカーお仕着せではありえない考察を得ることになります。このメーカー仕様を脱却できるということにおいて、FMEカメラは特に優れているカメラでしょう。FMEカメラは言わば、自作パソコンに近い感覚が得られるということで、ユーザーにとって伸びしろがあるカメラですね。●写真に対しては人それぞれ色んなアプローチをしています。その結果は様々でそれらを一括りにして語るなどということはできません。今回は写真における画質とはどういうものなのか、ということを低画素カメラの観点から書きましたけどこれだってひとつのアプローチに過ぎませんよね。本当のところは、私の関心はここずっと、安全なカメラを追い求めていて、それは電磁波問題なんですが、唯一その観点からカメラや写真を考えていたというところがあります。身体に安全なカメラとか写真とかいうものは、これは個人的な興味に収まらずに普遍性を持ちます。それはありとあらゆる人々にとっても安全は求められるべきものだからです。写真やカメラは人を夢中にさせる要素を多々持っていて、それに深くのめり込んでいる人は多いわけですから。そして安全なカメラとは、結局は長い間、多くの人々が使っていて問題がなかったという結果論でもあるんですね。例えば、超音波モーターは本当に身体に安全なのか? これは私にも分かりません。それは超音波モーターが発売されてまだ時間が経っていないからです。しかしDCモーターに比すれば安全だろうというに過ぎないのです。とりあえず私は、安全なカメラを求めて、それから先は改めて考えれば良いじゃないかという考えです。写真に対して、一個人として本当に有益なのは何か?と考えるとき、それは写真を撮って自分が画像的に満足することではなく、ましてや写真を人様に見せて何かのコメントを頂くことでもなくて、さらには自分の記録写真を後世に残すことでもないと考えています。写真というものを通じて、自分の人生の何かのノウハウを得ることだと私は考えています。その為のツールが写真であってその道具がカメラやパソコンであるっていうだけのことですかね。ですから写真行為はリアルタイムです。ひとつ間違いのないことは、カメラを持てば歩けるということで運動になることです。この利益は大きいですね。しかしマイナス点として漏洩電磁波の問題がありました。それをクリアすることは重要だったのです。それから現代の写真とは画像データということであり、この写真を通じてデジタル世界の問題に常に関心を抱いていけるという点です。写真を撮るという行為は、そのデータの創造者でもあって、単に受益するだけの一般の人々とは違ってきます。この点も逃すことのできない利益となってきます。●それから、これは最も写真として大切なことですが、写真を撮るということはモノゴトを見る眼を養うということであるんです。これはフィルム時代から続いている写真の大切なファクター、要素です。物事に対しての真贋の眼を養うということです。この観点は物凄く大事なことなんでして、その利益のあまりにもの大きさに大部分の人々が気づいていません。しかしながらデジタル時代になってから、あまりにもの多量の写真が撮れすぎてしまっていて、また巷にも大きく氾濫し過ぎてしまって、その意味がもう薄れ気味になっているのが、このモノ・コトを見る眼です。デジタル時代の劫罰は撮れ過ぎてしまう写真にあります。そしてこれは、画質の問題とも直結しているんですね。あまりにも多く撮れすぎてしまう、溢れすぎている写真の画像は画質がよくありません。それはネット写真ですから当然なんですけれど。なんでも食い物に例える自分ですが、「写真は食物や料理である。」という風に例えることができます。それで食い物にとって一番大切なのは、食物の素材です。安全で栄養価の高い自然な食物を食べるということは、人間の健康に直結してきます。これは絶対と言っていいほど間違いのないところです。料理の上手い人は、素材がダメでも上手く調理して美味しい料理にしてしまうテクニックを持っていますね。しかしそれで健康が保たれるかというと、そうではありません。素材の悪さはどんなにテクニックを弄しても変わることがないからです。良い食物ができるのは良い農業をやっていかなければならないのですが、その田畑が優れていて、土地柄も良くなてはなりません。自然な微生物がいっぱいいて、土地のミネラルが豊かで、水も良くて気温も日照も良い。そういうところでないと、もちろん農家の人も篤農家であって、それではじめて優れた栄養価の作物ができます。もちろん身体を害する化学肥料とか農薬は最低限ですかね。できれば完全な有機農法であればベストです。しかしながら、これは大変残念なことなのですが、食物の素材の味が分からない人が多いんです。料理の味は分かるけど、素材を味わうことが出来ない人が多いんです。ある意味で生物としての本能が失われているというしかありません。そして写真も、まったくこの食べ物と同じなのであって、一番大事なのは素材たる画質です。写真撮影のテクニック、画像処理のテクニックというものはあまりなくてもいい、いや返って妨げになるというように思っています。テクニックは料理でも写真でも、本当の栄養にはならないんですね。栄養とは素材から、画質から来ていますから。料理の場合は素材の栄養価が身体の健康を支えますが、写真においては画質が物事を見る眼を養います。そしてその画質は、ひとつはカメラ本体のセンサー・映像エンジンですし、ひとつはパソコンのビデオカードやモニターです。有機農法で作られた食物は高いです。篤農家が作られたブランドの食物も高いですね。それと同じように、画質の優れたカメラやパソコンは高くなります。これはどうしようもないかなって思いますが、そこは知恵を働かせて中古ならば安く手に入れられます。(実際のところ、高価なカメラやパソコンを手放す人は、その機材をよく知らずに使っていたというところがあります。良いカメラを手放し、次に大したことがないカメラを高く買って満足しているだけのような)それからカメラの画素数とかモニターのピクセル数というのは、これは概念的には質ではなくて量になります。私は写真として、量を追い求めているのではなく質を求めているのであって、より安価な低画素カメラや小型のモニターで十分だと思うのです。レンズはもう問いません。アルファ7Sで撮ればどんなレンズもベストの画質を出してくれるからです。大昔の廉価な単焦点レンズとか倍率の低いズームレンズなどでも何ら問題がない。そもそも高画素における解像力とかシャープさというものを求めていないので、古い安価なレンズでも問題がないのです。実際問題として、カメラの画素数は1000万画素は必用というか、ちょっと不足気味かなっていうところがあります。しかし2000万画素にすると画質は明らかに低下します。それで1200から1600万画素あたりが実用としても画質としても許せるところがあります。(フルサイズの場合)1000万画素よりも低いカメラ、APSカメラですが、昔は400~800万画素というのがありました。さすがにこれは画質はよくても画素数が少なすぎて鑑賞に苦しくなります。そういう場合はステッチングという手法があり、画質を保ったまま画素数を上げられます。もしくは標準レンズ以上のを着けてスポット的に使うのがいいのかもしれません。こういう画素数は、なんとなく車の排気量に似ていますね。660ccでは苦しいです。(笑) しかし1500ccともなると余裕です。燃費も良いですし。そりゃあ2000とか3000ccだと超余裕ですけど燃費は辛いです。車の場合は排気量が大きくなっても質が落ちるということはありません。しかしカメラの場合はセンサーサイズが決まっているので質が落ちるんですね。それでフルサイズ2倍のセンサーであれば、2000~3000万画素であっても画質は全く落ちません。しかしレンズが大きくなって持ち運びが。ということになるんです。もちろん、カメラもレンズもすこぶる高価になります。考えてみますと、現在に於いては消費者たるユーザーは無理やり質ではなく量を押し付けせられているところがあります。その量をこなすために高価なレンズをどうぞ、ってていうところがあります。それは少しおかしいと思うべきですね。こんな感じで、写真に於いてその画質という質を問うことは、写真本来のモノゴトを見る眼に直結すると私は考えています。量を減らして質を高める。これは食物に於いても常道です。
3 kusanagi 2018/9/10 23:46 ちょっと上のコメントしで、カメラばかりでレンズのことをおざなりにしていたところがあるので、少し追加します。10万20万円という高級レンズをお持ちの方は多いですね。そいうレンズを低価格のカメラに着けて撮影すれば、やっぱり画質は違うじゃないか、ということなります。実際そのとおりです。ボディを落としてもレンズは良いものを着けたいという心理はよく理解できます。レンズは丸いのですが、撮像素子は四角いレンズだと言えないこともないですね。しかしレンズとカメラには基本的な違いがあります。レンズは光だけしか制御できませんが、撮像素子・センサーは光と電荷(電気)の両方を制御しています。それからセンサーにはカメラ内の回路である映像エンジンとセットなっています。さらにはパソコンのRAWソフトでも画像を練ることができます。そういう具合で、センサーと映像エンジン、そしてRAWソフトも一体となって画質を作り上げていると言えます。しょぼくれたセンサーであっても、映像エンジンで十分に練れば(そうすると時間もかかるしデータ量も大きくなるのでメーカーはあまりしない。シグマは例外)、驚くほどの画質が出てくるんですね。アルファ7Sなどは典型的なしょぼくれセンサーだと言えそうですが、映像エンジンが違うという感じです。(低画素なので映像エンジンに負荷がかからないのでしょう)またどんなカメラでもメニュー設定で画質をあげることができます。12ビット14ビット選択がそうですし、SRGBとアドビRGBの選択もそうです。また細々とした各種メニューもそうでして、ノイズリダクションとか周辺部補正とか色々とありますよね。そういうのは私の場合全カットしています。私のノーマルな撮影ではそのようなものは利益がなく、返って自然な画質を低下させるからです。カメラはセンサー・映像エンジンはセットになって、ハードウェア・ソフトウェア込みで画質を作り上げているのですが、しかしレンズはそのようなことができません。レンズはただカメラに着けるだけで終わりなのです。最近はレンズ内のデータをも取り込んで、さらに複雑な映像エンジンを駆使する手法が出てますが、それが本当に自然な画質となるかどうかは分かりませんね。それにこの方式はレンズがカメラの軍門に降ると意味であり、レンズが不甲斐ないからカメラが助けてやるよっていうことになります。そうは言っても優れた画質のカメラに、優れたレンズを着ければ、これは最高になるだろうというのは、誰しもが期待するのでしょう。しかし実際にはなかなかそうは問屋が卸さないというところがありそうです。最近の高額なレンズは、高画素カメラで使う前提で作っているので、つまり解像力を大前提にしているので気難しいところがあります。つまり解像力さえ出ればいいじゃないかっていうところがあって、低画素の7Sのような画質の優れたカメラで撮影すると、場合によっては破綻するところがあります。実は高画素のカメラで撮っても本当は破綻しているのですが画質が悪いので気がつかないだけなんです。その点、昔のレンズで撮れば悪条件で撮っても良い雰囲気ででます。ただし解像力がないので高画素カメラで撮れば、これはまるでダメだということになるのでしょうけど。とにかく最近の、デジタル時代以降のレンズは、高画素カメラで使うように作られてるのだと、つくづく感じます。開放でも驚くほどにシャープであるという印象です。しかしながら本当の印象深い画質という意味では首を傾げるようなレンズもあるんじゃないですかね。カメラは本来、その画質は性癖のない無色透明であるのが望ましいのですが、なかなかそうはいかないまでも、装着するレンズによって画像の雰囲気が一変します。7Sにイオスのレンズを着ければソニーなのにキヤノンになったような気になり、ツアィスをつければ、アルファレンズをつければ・・という具合で発色やコントラストが変わってきます。まさしく味付けが変わってくるという感じです。レンズの味とか何とかというのはなるほど理解できる例えではあると思いますね。おそらくレンズマニアの方は、この味付けを楽しんでいるのだろうかと思っています。甘いの、辛いの苦いの塩辛いの等々、まあそう単純な味付け論ではないのですけど、料理で言えば和風、中華風、イタリア風と様々な形態があります。レンズとはそういう料理法に匹敵するのかなって感じますね。しかしながらどんな料理であろうが、美味いマズイであったとしても一番に大切なものは、やはり食物の素材の良さ、良質な栄養素が大事なのです。鄙びた野菜、腐りかけた肉では、どんなに調理法で味覚をごまかせたとしても身体の健康には寄与できません。レンズは決して味だけなのではなくて、素材を助ける働きも大いにあるんですが、そこのところをよく理解できていないと、ただ単に味わいだけで終わってしまって本当にレンズを理解できたとは言えないことになります。それでレンズのことをよく知る為には、最新高級なレンズ、ブランドレンズだけでなく、普通の性能の劣ると言われているレンズも満遍なく試してみる必用がありますね。これはすごく大事だと思っています。正直言って、私はレンズのことはあまり知りません。特に最新高性能なレンズやブランドレンズのことは使ったことがないので分かりません。ただ今回、私がソニー7Sを使ってみて感じたことは、①レンズの構成枚数の少ないレンズ。②F値は暗くてよい。③レンズのコーティングは確りとしていること。こんな感じで、あまり古いのはマルチコーティングでなかったりしますのでいけませんが、マルチコーティング以降のレンズで、単焦点レンズ。とりわけレンジファインダー機のレンズ。そしてF値は暗くても問題がないということ。そんな感じで、小さなレンズが優位になります。反対に高価なF2.8のレンズ構成枚数の多い巨大なズームレンズなどは、撮影条件が悪いと画質は極端に悪くなります。発色もコントラストも悪くなり豊かな階調が出ません。曇り日、雨の日、明るくても湿気の多い日。そういう状態の撮影ではメロメロになるという感じです。色は転ぶし、解像力すらダウンするという感じです。私の撮影では、広角側で風景の無限遠撮影が主ですので撮影日の天候条件は厳しくなるんです。もちろんそういう高級ズームレンズでも撮影条件が良ければ、流石に良い描写はしてくれます。そんなわけで、レンズ構成枚数は少なくて出来る限りよく光を通すレンズが良いんです。解像力とか周辺部がどうもこうのとは言いませんから、とにかくレンズの中心部が豊かで自然な発色と階調とコントラストで満たされていればそれで良い、というだけなのですね。それで、そういう私が言うところの画質さえ良ければ、写真として非常に満足が行くと言いますか、写真をやっていて良かったよね。っていう気持ちにさせられます。ですので私の場合はレンズの味などは問いません。どこのメーカーのレンズでもいいから、とにかく色と階調とコントラストが出てくれればそれで良いんです。解像力などは所詮1200万画素ですから関係ないですしね。湿気の多い、常に空気に水蒸気が混じっている天気ばかりの瀬戸内地方で、それで無限遠の風景写真ばかり撮るっていうのは、考えてみればレンズ泣かせ、カメラ泣かせだろうと思います。そういうように考えれば、超高画素カメラで高精細レンズで十分に撮影ができるっていうのは、恵まれた撮影条件下にいる人なんでしょうね。というか、それが普通なのかも。(^^ゞ
ちょっと上のコメントしで、カメラばかりでレンズのことをおざなりにしていたところがあるので、少し追加します。10万20万円という高級レンズをお持ちの方は多いですね。そいうレンズを低価格のカメラに着けて撮影すれば、やっぱり画質は違うじゃないか、ということなります。実際そのとおりです。ボディを落としてもレンズは良いものを着けたいという心理はよく理解できます。レンズは丸いのですが、撮像素子は四角いレンズだと言えないこともないですね。しかしレンズとカメラには基本的な違いがあります。レンズは光だけしか制御できませんが、撮像素子・センサーは光と電荷(電気)の両方を制御しています。それからセンサーにはカメラ内の回路である映像エンジンとセットなっています。さらにはパソコンのRAWソフトでも画像を練ることができます。そういう具合で、センサーと映像エンジン、そしてRAWソフトも一体となって画質を作り上げていると言えます。しょぼくれたセンサーであっても、映像エンジンで十分に練れば(そうすると時間もかかるしデータ量も大きくなるのでメーカーはあまりしない。シグマは例外)、驚くほどの画質が出てくるんですね。アルファ7Sなどは典型的なしょぼくれセンサーだと言えそうですが、映像エンジンが違うという感じです。(低画素なので映像エンジンに負荷がかからないのでしょう)またどんなカメラでもメニュー設定で画質をあげることができます。12ビット14ビット選択がそうですし、SRGBとアドビRGBの選択もそうです。また細々とした各種メニューもそうでして、ノイズリダクションとか周辺部補正とか色々とありますよね。そういうのは私の場合全カットしています。私のノーマルな撮影ではそのようなものは利益がなく、返って自然な画質を低下させるからです。カメラはセンサー・映像エンジンはセットになって、ハードウェア・ソフトウェア込みで画質を作り上げているのですが、しかしレンズはそのようなことができません。レンズはただカメラに着けるだけで終わりなのです。最近はレンズ内のデータをも取り込んで、さらに複雑な映像エンジンを駆使する手法が出てますが、それが本当に自然な画質となるかどうかは分かりませんね。それにこの方式はレンズがカメラの軍門に降ると意味であり、レンズが不甲斐ないからカメラが助けてやるよっていうことになります。そうは言っても優れた画質のカメラに、優れたレンズを着ければ、これは最高になるだろうというのは、誰しもが期待するのでしょう。しかし実際にはなかなかそうは問屋が卸さないというところがありそうです。最近の高額なレンズは、高画素カメラで使う前提で作っているので、つまり解像力を大前提にしているので気難しいところがあります。つまり解像力さえ出ればいいじゃないかっていうところがあって、低画素の7Sのような画質の優れたカメラで撮影すると、場合によっては破綻するところがあります。実は高画素のカメラで撮っても本当は破綻しているのですが画質が悪いので気がつかないだけなんです。その点、昔のレンズで撮れば悪条件で撮っても良い雰囲気ででます。ただし解像力がないので高画素カメラで撮れば、これはまるでダメだということになるのでしょうけど。とにかく最近の、デジタル時代以降のレンズは、高画素カメラで使うように作られてるのだと、つくづく感じます。開放でも驚くほどにシャープであるという印象です。しかしながら本当の印象深い画質という意味では首を傾げるようなレンズもあるんじゃないですかね。カメラは本来、その画質は性癖のない無色透明であるのが望ましいのですが、なかなかそうはいかないまでも、装着するレンズによって画像の雰囲気が一変します。7Sにイオスのレンズを着ければソニーなのにキヤノンになったような気になり、ツアィスをつければ、アルファレンズをつければ・・という具合で発色やコントラストが変わってきます。まさしく味付けが変わってくるという感じです。レンズの味とか何とかというのはなるほど理解できる例えではあると思いますね。おそらくレンズマニアの方は、この味付けを楽しんでいるのだろうかと思っています。甘いの、辛いの苦いの塩辛いの等々、まあそう単純な味付け論ではないのですけど、料理で言えば和風、中華風、イタリア風と様々な形態があります。レンズとはそういう料理法に匹敵するのかなって感じますね。しかしながらどんな料理であろうが、美味いマズイであったとしても一番に大切なものは、やはり食物の素材の良さ、良質な栄養素が大事なのです。鄙びた野菜、腐りかけた肉では、どんなに調理法で味覚をごまかせたとしても身体の健康には寄与できません。レンズは決して味だけなのではなくて、素材を助ける働きも大いにあるんですが、そこのところをよく理解できていないと、ただ単に味わいだけで終わってしまって本当にレンズを理解できたとは言えないことになります。それでレンズのことをよく知る為には、最新高級なレンズ、ブランドレンズだけでなく、普通の性能の劣ると言われているレンズも満遍なく試してみる必用がありますね。これはすごく大事だと思っています。正直言って、私はレンズのことはあまり知りません。特に最新高性能なレンズやブランドレンズのことは使ったことがないので分かりません。ただ今回、私がソニー7Sを使ってみて感じたことは、①レンズの構成枚数の少ないレンズ。②F値は暗くてよい。③レンズのコーティングは確りとしていること。こんな感じで、あまり古いのはマルチコーティングでなかったりしますのでいけませんが、マルチコーティング以降のレンズで、単焦点レンズ。とりわけレンジファインダー機のレンズ。そしてF値は暗くても問題がないということ。そんな感じで、小さなレンズが優位になります。反対に高価なF2.8のレンズ構成枚数の多い巨大なズームレンズなどは、撮影条件が悪いと画質は極端に悪くなります。発色もコントラストも悪くなり豊かな階調が出ません。曇り日、雨の日、明るくても湿気の多い日。そういう状態の撮影ではメロメロになるという感じです。色は転ぶし、解像力すらダウンするという感じです。私の撮影では、広角側で風景の無限遠撮影が主ですので撮影日の天候条件は厳しくなるんです。もちろんそういう高級ズームレンズでも撮影条件が良ければ、流石に良い描写はしてくれます。そんなわけで、レンズ構成枚数は少なくて出来る限りよく光を通すレンズが良いんです。解像力とか周辺部がどうもこうのとは言いませんから、とにかくレンズの中心部が豊かで自然な発色と階調とコントラストで満たされていればそれで良い、というだけなのですね。それで、そういう私が言うところの画質さえ良ければ、写真として非常に満足が行くと言いますか、写真をやっていて良かったよね。っていう気持ちにさせられます。ですので私の場合はレンズの味などは問いません。どこのメーカーのレンズでもいいから、とにかく色と階調とコントラストが出てくれればそれで良いんです。解像力などは所詮1200万画素ですから関係ないですしね。湿気の多い、常に空気に水蒸気が混じっている天気ばかりの瀬戸内地方で、それで無限遠の風景写真ばかり撮るっていうのは、考えてみればレンズ泣かせ、カメラ泣かせだろうと思います。そういうように考えれば、超高画素カメラで高精細レンズで十分に撮影ができるっていうのは、恵まれた撮影条件下にいる人なんでしょうね。というか、それが普通なのかも。(^^ゞ
4 zzr 2018/9/14 16:37 こんにちは。いつのまにかニコンの新型が出てたんですね。それも2機種。私が興味あるのは高画素の方。トリミングも結構使うので余裕があるのが良いです。画質がより良いのは低画素との事ですが技術の進歩に期待したいですね。当分買えませんけど (>_<)
こんにちは。いつのまにかニコンの新型が出てたんですね。それも2機種。私が興味あるのは高画素の方。トリミングも結構使うので余裕があるのが良いです。画質がより良いのは低画素との事ですが技術の進歩に期待したいですね。当分買えませんけど (>_<)
1 zzr 2018/9/5 21:33 タマゴタケ、普通は売ってないキノコだしなんとなく怖かったので食べた事が無かったのですが、以前からその味には興味があったので初挑戦しました。皿の右にある黄色いのがタマゴタケの味噌和えです。香りはあまり良くなかったですが思ったよりクセが強く無く食べやすいかなと。茎のシャキシャキ感がキノコらしくなくて面白かったです。おススメの調理は茶わん蒸しで他にもすまし汁なんかにも良いそうです。その右側の茶色いのがアカヤマドリの、こちらも味噌和え。かなりクセのある味わいでほとんどの人が苦手と感じると思います。あと、見るからに毒キノコっぽいので知ってる人以外は素通りでしょう。その上にあるのがホウキタケ。この中では一番食えると思った素材でした。あ、この時一番美味しかったのはご飯です。松茸ご飯。
タマゴタケ、普通は売ってないキノコだしなんとなく怖かったので食べた事が無かったのですが、以前からその味には興味があったので初挑戦しました。皿の右にある黄色いのがタマゴタケの味噌和えです。香りはあまり良くなかったですが思ったよりクセが強く無く食べやすいかなと。茎のシャキシャキ感がキノコらしくなくて面白かったです。おススメの調理は茶わん蒸しで他にもすまし汁なんかにも良いそうです。その右側の茶色いのがアカヤマドリの、こちらも味噌和え。かなりクセのある味わいでほとんどの人が苦手と感じると思います。あと、見るからに毒キノコっぽいので知ってる人以外は素通りでしょう。その上にあるのがホウキタケ。この中では一番食えると思った素材でした。あ、この時一番美味しかったのはご飯です。松茸ご飯。
2 kusanagi 2018/9/5 22:16 アカヤマドリ、「一度は食べてみたい!幻のキノコ料理」なんだとか。ホウキタケ、これは一般的なのか、ネット販売をしています。いやーっ、とにかく、これは普通にはない超豪勢な食卓ですね。(^^ キノコって考えてみれば、キノコは菌類ですから、発酵食品になるんですよね。??樹木はもちろん食べられない。しかしキノコとなると、ブナの木でも松の木でも食べられるようになる。不思議というか何というか、もしかすればこの世に食べれないものは無いのかも、という気がしてきました。菌類や発酵作用の凄さを感じてしまいました。
アカヤマドリ、「一度は食べてみたい!幻のキノコ料理」なんだとか。ホウキタケ、これは一般的なのか、ネット販売をしています。いやーっ、とにかく、これは普通にはない超豪勢な食卓ですね。(^^ キノコって考えてみれば、キノコは菌類ですから、発酵食品になるんですよね。??樹木はもちろん食べられない。しかしキノコとなると、ブナの木でも松の木でも食べられるようになる。不思議というか何というか、もしかすればこの世に食べれないものは無いのかも、という気がしてきました。菌類や発酵作用の凄さを感じてしまいました。
3 zzr 2018/9/8 05:53 おはようございます。アカヤマドリの味、野趣あふれる感じというか (´-ω-`)調理法にもよるのでしょうけど難しい食材だと思います。。一部のキノコは免疫力を上げる効果が高いそうですがナメコやシイタケなど普通のキノコでも体に良い影響を与えるとの事です。納豆と同じ菌食。普段の食事で沢山とりたいですね 。
おはようございます。アカヤマドリの味、野趣あふれる感じというか (´-ω-`)調理法にもよるのでしょうけど難しい食材だと思います。。一部のキノコは免疫力を上げる効果が高いそうですがナメコやシイタケなど普通のキノコでも体に良い影響を与えるとの事です。納豆と同じ菌食。普段の食事で沢山とりたいですね 。
1 zzr 2018/9/5 20:52 半日仕事をさぼってマイタケとりに行きましたが空振り。タマゴタケが沢山出てたので収穫して帰りました。色といい、ツヤツヤ感といい毒キノコに見えますが食べれるキノコ。欧州では高級品だとか。
半日仕事をさぼってマイタケとりに行きましたが空振り。タマゴタケが沢山出てたので収穫して帰りました。色といい、ツヤツヤ感といい毒キノコに見えますが食べれるキノコ。欧州では高級品だとか。
2 kusanagi 2018/9/5 22:01 傘が開いていないときは、何かの卵が落ちているという感じですね。それから土壌の方もマジマジと見てしまいました。落ちた枝葉がいっぱい。コケ類なんかも生えているしで。可愛い草木の新芽も。これが東北の豊かさの源ですしね。
傘が開いていないときは、何かの卵が落ちているという感じですね。それから土壌の方もマジマジと見てしまいました。落ちた枝葉がいっぱい。コケ類なんかも生えているしで。可愛い草木の新芽も。これが東北の豊かさの源ですしね。
3 zzr 2018/9/7 22:04 日当たりの割といい林縁とかに発生するキノコです。このキノコの仲間は白、黄色、灰色、茶色とあるのですがこれ以外は猛毒だそうです。舞茸はあればいいな位の期待度でした。状態のいいベニテングタケを撮りたくて毎年カメラ携行で来てますが中々会えません。
日当たりの割といい林縁とかに発生するキノコです。このキノコの仲間は白、黄色、灰色、茶色とあるのですがこれ以外は猛毒だそうです。舞茸はあればいいな位の期待度でした。状態のいいベニテングタケを撮りたくて毎年カメラ携行で来てますが中々会えません。
4 zzr 2018/9/8 07:21 訂正です。黄色は可食のようですね。
訂正です。黄色は可食のようですね。
1 zzr 2018/9/5 20:33 仕事が混んでて夏に撮った分の大半が未処理のまま。これは御積島に渡ろうとした時のものです。荒れてないように見えますが島に接岸不可のうねりの真ん中です。船が小さいので迫力満点でした。飛島面白いです。いつか定期船が欠航になるような時に渡ってみたいです。
仕事が混んでて夏に撮った分の大半が未処理のまま。これは御積島に渡ろうとした時のものです。荒れてないように見えますが島に接岸不可のうねりの真ん中です。船が小さいので迫力満点でした。飛島面白いです。いつか定期船が欠航になるような時に渡ってみたいです。
2 kusanagi 2018/9/5 22:00 飛島からは近いはずなのに、御積島は大海原のまっただ中、というイメージですね。船は小さいほうが迫力というか、より身近に海を感じることができますね。瀬戸の島もそうでして大きいフェリーと小さな旅客船の2つが就航していますが、できれば小さい方に乗りたいといつも思っています。そういうのは自動車も飛行機もそうなんだと思ってます。バスよりも小型の車で。それよりもバイクとか自転車がより大地を感じることができます。今は大変な自転車ブームですが、きっとそういうのがあるんでしょうね。私も海が荒れた時に小型船を乗ったことがありますが、何かにしがみついていないと、海に放り出されそうになります。潮吹雪も凄いですし。それでも船はバンバンと進んでいくわけで、文明の逞しさを感じるシーンですよね。(^^ゞ
飛島からは近いはずなのに、御積島は大海原のまっただ中、というイメージですね。船は小さいほうが迫力というか、より身近に海を感じることができますね。瀬戸の島もそうでして大きいフェリーと小さな旅客船の2つが就航していますが、できれば小さい方に乗りたいといつも思っています。そういうのは自動車も飛行機もそうなんだと思ってます。バスよりも小型の車で。それよりもバイクとか自転車がより大地を感じることができます。今は大変な自転車ブームですが、きっとそういうのがあるんでしょうね。私も海が荒れた時に小型船を乗ったことがありますが、何かにしがみついていないと、海に放り出されそうになります。潮吹雪も凄いですし。それでも船はバンバンと進んでいくわけで、文明の逞しさを感じるシーンですよね。(^^ゞ
3 zzr 2018/9/7 21:50 kusanagi さん、こんばんは。この時のうねりの迫力で思い出した事があります。20年位前にこの付近で釣り客が波にあおられた船から落ちて亡くなられる事故がありました。同僚が同じ船に乗ってたのですが誰かが浮き輪代わりに空のクーラーを投げたそうですがダメだったそうです。多少煩わしくてもライフジャケットは着けないといけませんね。
kusanagi さん、こんばんは。この時のうねりの迫力で思い出した事があります。20年位前にこの付近で釣り客が波にあおられた船から落ちて亡くなられる事故がありました。同僚が同じ船に乗ってたのですが誰かが浮き輪代わりに空のクーラーを投げたそうですがダメだったそうです。多少煩わしくてもライフジャケットは着けないといけませんね。
4 kusanagi 2018/9/8 22:08 目の前で人が亡くなるっていうのは本当にショッキングですね。素人考えながら、海に落ちた時に最初にすへきことは、まず即座に靴をぬぐこと。そして袖と足の衣服を大きくまくり上げることです。そうしないと立泳ぎができません。でも長靴だと脱ぎにくいですよね。ジャケットを着けていれば大きく浮力が増すのですが、なければ衣服の分だけ浮力がなくなります。動きも制限されます。とにかく泳いでいなければ沈んでしまうのですね。大波が来る時に強く上に上がるように泳がないと波に沈んでしまいます。しかし波が低くなった時は自然に頭は出るので慌てないことです。
目の前で人が亡くなるっていうのは本当にショッキングですね。素人考えながら、海に落ちた時に最初にすへきことは、まず即座に靴をぬぐこと。そして袖と足の衣服を大きくまくり上げることです。そうしないと立泳ぎができません。でも長靴だと脱ぎにくいですよね。ジャケットを着けていれば大きく浮力が増すのですが、なければ衣服の分だけ浮力がなくなります。動きも制限されます。とにかく泳いでいなければ沈んでしまうのですね。大波が来る時に強く上に上がるように泳がないと波に沈んでしまいます。しかし波が低くなった時は自然に頭は出るので慌てないことです。
1 kusanagi 2018/9/3 22:32 これ、古い溜池を散策していて見つけたクサガメです。のそのそっと道を横断して土手に這いつくばってストップ。バックしないと、もう登れないんじゃないですかね。(笑)
これ、古い溜池を散策していて見つけたクサガメです。のそのそっと道を横断して土手に這いつくばってストップ。バックしないと、もう登れないんじゃないですかね。(笑)
2 zzr 2018/9/5 05:45 おはようございます。たまにひっくり返ってバタバタしてるのがいますけどそのまま死んでるのは見た事がないので自分でどうにかしてるんでしょうね。
おはようございます。たまにひっくり返ってバタバタしてるのがいますけどそのまま死んでるのは見た事がないので自分でどうにかしてるんでしょうね。
3 kusanagi 2018/9/5 21:57 そういえば子どもの時、亀を見つけてはひっくり返して遊んでいたことを思いだしました。(^^ゞ首を長がーく突き出して、元どおりになるんですよ。それが面白くて何度もひっくり返してやる。カメにとってはえらい迷惑だったろうと思います。ところで、カメって鈍臭そうに見えてイザという時は素早いようです。一度みたんですが、カメが舗装道路を横断していて、遠くから車の音がしましたよ。そしたら、カメくん一気に手足を長く伸ばしてお腹を完全に持ち上げてスッスッと素早く歩いたんですね。カメにとっては走った、という感じでしたか。一見トロそうに見えてイザという時はウサギなみの素早さがあるみたいです。
そういえば子どもの時、亀を見つけてはひっくり返して遊んでいたことを思いだしました。(^^ゞ首を長がーく突き出して、元どおりになるんですよ。それが面白くて何度もひっくり返してやる。カメにとってはえらい迷惑だったろうと思います。ところで、カメって鈍臭そうに見えてイザという時は素早いようです。一度みたんですが、カメが舗装道路を横断していて、遠くから車の音がしましたよ。そしたら、カメくん一気に手足を長く伸ばしてお腹を完全に持ち上げてスッスッと素早く歩いたんですね。カメにとっては走った、という感じでしたか。一見トロそうに見えてイザという時はウサギなみの素早さがあるみたいです。