SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

画質論の再考

画質論の再考

最近ちょっと、根本的なそして本質的な疑問が出てき始めています。 写真に於いて、本当に画質というものは正義なるものなのか善なるものなのか、ということです。 少なくとも、画質とかが本当に人間を幸せにするのかどうか。もしかすれば不幸をも齎す可能性 だってありやしないかということなんです。 画質の良いカメラやレンズというのはその画面に見惚れてしまうでしょう? 発色やコントラストとか いう画質も解像力(画素数)でもそういうところは同じです。そういうことでは良い画質というのは 正義で人気者です。 しかしそれが本当にユーザーの為になっているのかどうか。それを改めて問うと、画質=幸福とは 言えないかも?ということです。それどころか過ぎたる画質はユーザーにマイナスをもたらすこと だってあるんじゃないですかね。 撮影した画像をPCで現像して調整もしてと、そんな具合でモニターとにらめっこをするんですが、 おそらく良い画質の場合は、その凝視時間は長いんじゃないかなって思いますね。それもただ ぼやーと眺めているんじゃなくて、眼と脳はかなり酷使するくらいの状態になっていると思います。 良い画質、加えて解像力が大きいと(高画素)、さらに脳の疲労度は大きくなると思います。 私の場合は随分以前から高画素カメラは避けています。これはテキメンに眼と頭の疲れが出て くるって分かったからです。それで今はもっぱら低画素カメラを意識的に使っているんです。モニター も敢えて小型のものを使用していますし。 しかし同様に画素数だけでなく画質というものも良すぎる場合は同様に眼と脳を酷使するんだろと いうことなんです。 そんなわけで極論をいうと一番、眼と脳に優しいのはコンデジのカメラかもしれませんね。 シグマカメラの現像は大変に時間が掛かります。それは現像ソフトの性能が低いというのではなくて、 扱う画像が極めて高画質だからです。加えて高画素でもありますし。 シグマ画像を現像したり処理したりするのはパソコン泣かせです。パソコンは機械だから文句も言わず 必死でやっているわけですけど、考えてみると同じような必死さがユーザーの脳内でも起きているん じゃないですかね。そのことに我々が気が付かないだけで。 こういうことは今まで発想すらなかったんですけど、パソコンが大変だったら、きっと人間の脳だった 大変なんじゃないかということですよ。 シグマの画像を撮るためには、まずカメラが大変。カメラは発熱しながら撮ってますから。 次に、データを受け取ったパソコンが大変。必死で現像して偶にフリーズしたりするほど。 ここまで大変が続くと、きっと(多分間違いなく)その画像を見る人間も大変なんだっていうことです。 そういう子どもでも分かることに、これまで思いが寄らなかったんです。迂闊でした。 私が今使っているカメラ。低画素です。だいたい1千万画素前後のカメラです。むろんベイヤー機です。 これらのカメラの現像も処理も瞬時で可能です。そういうカメラの画像をモニターで見ていても疲れる っていうことは感じないですね。カメラもパソコンも人間の脳も疲れないですむ画像なんです。 こういうのはいつもの話の電磁波問題とは関係がありません。純粋に情報処理の問題なんです。 良い画質も高い解像度も扱う情報量が飛躍的に大きくなって、媒体に大きな負担をしうるということ なんです。それは機械も人間の脳も同じだということ。 それでシグマのカメラは困ったことになります。最大の長所が最大の短所欠点になるということ。 シグマのカメラを使う人はそこのところをよくよく考えてやらないと、返ってマイナスを抱えてしまうと いうことかも知れないんです。 クワトロHを導入しました。24-105付きです。無論中古。なかなか時間がとれずで撮影できなかった んですがやっと撮影出来ました。最初なのでLOW-RAWではなく通常モードで撮影。現像は1/2モード です。600万画素くらいになりますか。これはちょうどLOW-RAW撮影した場合と同じピクセル数に なりますかね。次回からは最初からLOW-RAW撮影で行くつもりです。 写真の撮影レンズは18-35です。フルピクセルモードで撮影、1.35倍して18ミリならば24ミリとなります。 バッテリーグリップも手にしましたが、不調部分があったので返品しました。実は撮影をしていて 大変に発熱することが分かり、グリップ付きでは熱が放熱できずエラーが出ることが分かりました。 買わないほうが正解かもしれません。 シグマにしてはAFは速く、それよりもとにかく正確だということです。これが最も嬉しい点。バンバンと 撮り過ぎて、バッテリー交換時やメディア交換時に(書き込み終了まで)延々と待たされました。 やはりこれ1台では撮影できず、サブ機としてdpクワトロが必用になりますね。 手持ちの古いレンズ全てが正常動作しました。古いレンズはさすがにAFは遅いです。撮影時の ピント拡大も容易にできてMFレンズでも使用に不便はありません。 EVFは安っぽいですがモニターは綺麗です。モニター見撮影では良く出来たカメラです。 宝の持ち腐れになるかも知れませんが、このカメラはLOW-RAWの600万画素カメラとして使っていく つもりです。古いCCDカメラが600万画素だったので親しみのある画素数となります。 しかしそれでもソニーなんかと比べると電磁波は出ているし現像も瞬時というわけにはいきません。 やはり私のメインカメラは既に低画素ベイヤーカメラになってしまったんだと再確認しています。

ダム

ダム

以前に撮影した写真、せっかく撮ったのだからと、1点だけ、ダム工事の写真を投稿します。 椛川(かばかわ)ダムと言い、1000万立方メートルの貯水量で、香川ではダントツのダムとなり ます。あと数年で完成するはずです。重力式ダム本体の基礎部分1/4くらいはもうコンクリート を打ち込んでおりますね。 ちなみに、満濃池の貯水量が1500万立方メートルですから、このダムはそれよりも小さいん ですよ。これは満濃池が池としては別格的に巨大であるということなんでしょう。 参考までに書くと、四国のダム、早明浦ダムは総貯水容量は3億1600万立方メートルですから 桁違いですよね。満濃池の24倍です。 さらに自然の湖ですけど、田沢湖は7.2 km3とあります。これをkm3(立方キロメートル)から m3(立方メートル)に変換しますと・・・ちょっと数字遊びをしてみましょう。 7.2×1,000,000,000(1000の3乗)=7,200,000,000で72億立方メートルですか。(^^ゞ 田沢湖は周囲20キロ、平均水深280メートルです。(最大水深523メートル) 仮に田沢湖を円柱と見立てますと、その体積はπr2乗hですね。rは半径、hは高さです。 3.14×半径rの2乗×高さh。 それより先に円周の長さは、直径×円周率3.14でしたから、20,000m÷3.14÷2で3184mが 半径rとなります。 よって、その体積はπr2乗hは、3.14×3,184×3.184×280で89億立方メートルとなり、まあ 大体は合ってることになります。田沢湖はだいたい円に近いのですが四角にも見えたりする ので、これくらいの誤差はあります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96 たまにはこういう数字遊びをするのも良いかなっていうことで。(^^ゞ 人間が自然を改造する場合、河川などは比較的容易に改変することができるんです。 川の付け替えとか、こういうダムや池なんかですね。干拓もそうです。 香川でも、その県名の大本となった香東川なども下流域は流れを付け替えております。もとは 高松市中央部を流れていたのですが邪魔になるので西の方に付け替えているんです。関東の 利根川もそうですしね。 とにかくこういう水関係は人間が制御できるんですが、じゃあ山を移動するとか島を動かす ということはとてもじゃないですが無理です。河川が制御しやすいのは水が液体だからです。 それから、こういう体積遊びをしたのは、体感として、その巨大な水の量というものを少しでも 理解できないかな?っていうことなんですね。この建設途中のダム湖に沈むはずの谷底を車で 走りましたが、大変な空間の大きさなんですね。とてつもない大きさの空間です。 早明浦ダムなんかは、以前の渇水時に実際に私は湖底を散策しました。谷を降り湖底を歩き また谷をよじ登りで、その空間を実際にこの身体で測ったようなものでしたから。 比較的制御しやすい河川やダムでも、そういう巨大な空間があるということ。そこに余すところ なく水が溜まるということ。そしてその巨大な量の水を人間の文明というのは全て飲み込んで しまうんですね。これは本当に驚きです。 これは水の話ですけど、空気となると例えば二酸化炭素の問題。膨大な量の化石燃料が消費 しつくされています。CO2となると眼に見えませんから始末が悪いですね。これが気候変動を 起こすと言われていますから。 自然とかネイチャーとか言うと、日本では文学的な感覚として捉える人が多いと思うんですけど、 自分の足でその規模を具体的に推し量ることも出来るんですね。 アサギマダラという蝶は日本列島を縦断、さらに南の沖縄や台湾まで延べ2200キロ㍍以上を 飛んでい くそうです。翌年の春は、その逆のコースを日本に渡ってくるとか。 参考までに書くと、四国遍路を歩きで一周しますと総距離は1100Kmのようです。1100キロを歩い た人ならばアサギマダラの偉大さが分かろうというもんですね。 このダムは、今後定点観測をしていきたいなあ、と考えています。2年くらい後にはダム堤が 完成して、それから徐々に水が溜まっていきます。満水時になると感無量ということになろうかと 思いますね。 このダムは下流の高松市の水道水に主に使われるのですが、既に香川用水が完成してもまだ 水は足りない。不安定要素がありすぎるということなんですね。それで随分前から計画を練り、 関連工事をして、現在はほぼ満を期し完成を待つだけの状態です。 ところで中国の三峡ダム。今これに関心が向いています。なかなか本当の事実というのが分かり にくいのですけど、世界一のダムですので大変興味深いです。このダムの行方を見ると、中国の 近未来が見えてこようかというものです。 「長江 #17 ?梦千秋 世界最大規模の水利工事 三峡ダム #18 江流入海 海へとそそぐ流れ」 https://www.youtube.com/watch?v=k2ZJYo_73Sw 官製のビデオですが、なかなかこういう映像がないので貴重です。 zzrさんが今回、北海道の湖を撮られていましたので・・湖の話も。 『日本の湖沼一覧』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B9%96%E6%B2%BC%E4%B8%80%E8%A6%A7 まず十和田湖 貯水量4.19km3 田沢湖 7.2 猪苗代湖 5.4 琵琶湖 27.5 阿寒湖 0.449 屈斜路湖 2.25 摩周湖 2.75 支笏湖 20.9 洞爺湖 8.19 これを見ると、十和田湖って貯水量としては田沢湖より少ないんですね。意外でしたね。やはり水深が モノを言うようです。 琵琶湖はさすがに1位ですが、2位の支笏湖が迫っています。ここでも面積ではなく深さがモノを言う ようです。カルデラ湖は水深が深いんですね。

ノンタイトル

ノンタイトル

最近はカメラに対する関心がほとんどなくなってしまって、それなのに写真は撮ろうと思えば撮れて いるという、もしかしてこれが本来の写真撮影の姿なのかな?っていう、要するに落ち着くところに 落ち着いたという感じがしてます。(笑) 少しはワザと機材に対しての関心を呼び起こさないとダメなのかなっていう気もしないではないの ですけどね。 数ヶ月間、撮影から遠ざかって、引きこもり状態だったので、とにかく体力が落ちました。それを再び 元の状態に戻すということ大変さを味わっているのですけど、やはり以前とは違ってガツガツと写真 の撮影に拘るという風ではなくなりました。それよりも自分がこうして歩けている、カメラをもって 自分の足で歩くことができている、ということに有り難みを感じていますね。 欲が無くなってきて適度に枯れてきたというは、これも中々良いもんだという気がしています。 正直言って、パソコンがストップしてしまったという理由が最も大きいでしょうね。膝関節の痛みは、 その原因がパソコンであったということは、これは大変なショックでした。私の心のなかで何かが ガラガラと崩れていったものがあったわけですよ。ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったものです。 パソコンは今、必要最低限の3台だけ動かしていて、それ以外は全てフリーズ状態ですからね。(笑) まず膝を直してから、それから後は考えていこうというところです。 写真の撮影は要するにつまるところ、撮影ショット数を減らせば、それが一番の解決への近道なん ですよね。撮影はする。カメラを持って歩いていく。しかしあまり撮らないようにするということ。 それからこれまでに獲得した電磁波被爆を可能な限り抑えるというノウハウは最大限に発揮をする。 パソコンと写真の両方をベビーにやっていた知人は2人いるのですが、その両人とも難病になって しまってます。なんとか今のところ無事なのは私1人。(笑)っていいのかどうなのか。

ノンタイトル

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最近はけっこうヘビーな話題の本を読んでいます。3.11東日本大震災、満州からの引き揚げ、 それから航空機事故とか。 共通するのはそういう絶体絶命の時に、人は如何にして生き抜いているのか。ということです。 それからその惨事の本当の原因といいますか、主たる誘引は何なのかということです。 原因と言わず誘引と書いたのは、それほどに究明は難しいからです。それから原因は分からなく とも今後の対策としてどうするのか。ということも大事なんです、そういう現実的な諸策も。 3.11の本にのめり込んでいた時は、止まるはずのない腕時計が2度止まりました。ほぼ地震時と その後の津波の時刻に近似していました。 いろいろと考えあぐねて、やはり一番の、そういう危機的事態への対策としては、伝統手法とでも 言いますか、昔からの言い伝えに素直であるということですかね。 それからやはり目の前の状況に目を塞がないということ。頭の切り替えを素早くやるということですか。 また知識と論理力というのも常日頃から大切でしょうね。 一例として津波の犠牲になった小学生の占星術をやってみたんですが、これは大変に参考になり ました。その女の子は数週間前に地震を予知し学校が消滅するのを夢に見ました。それだけでなく その学校の日頃の素性とでもいうものも的確に言い当てていたんですね。 とてつもない子供であったわけですが、そういうものがどういう能力であるのか、ほぼ分かりました。 これが今回の読書での最大の収穫だったかもわかりませんね。 一番大事なのは、人間の脳と脳のネットワークを応用すること。ほぼこれが生死を分けるといっても 過言ではないかもしれません。声なき声を研ぎ澄まして聞くということですかね。第六感とでも言い ますけど、これは大体は人と人との脳間ネットワークのそれなんです。 その雑音だらけのシグナルを拾える人と拾えない人がいて、上手く受信できればいち早く行動にでる ことができます。 よくよく考えて見れば、危機管理の話だけでなくて、そういうのは日常的に使っている手法なので あって、よく見てよく考えてそして昔を思い出して・・というのは当たり前のことではあるんです。 ※写真は人柱伝説がある溜池です。大きな池は大体はそんな伝説が付随しています。 人柱というのは堤防を造るときに犠牲者を埋めて造ると決壊しなくなるという話なんですが、これは もちろん大嘘ですね。水圧の掛かる堤防は混じりっけなしの良質の土や石を綿密に締め固めて使い ます。その中に無駄な有機物を入れるっていうことは絶対にありません。 これは千年前でも2千年前でも土木建築の常識です。 人柱伝説は原因と結果が入れ替わっている物語なんですね。堤防が決壊すれば犠牲者がでます。 過去にも何度も決壊して、その犠牲者の心霊が、それ以降のより強固な堤防建設の為のエネルギー となるということ。織り込まれているのは犠牲者の清らかな精霊です。 これが論理的に正しい物語なのですが、子どもや無学な人々には矛盾だらけの人柱伝説となって 伝えられるのです。それはちょうど夢のなかの脈絡のない物語に似ています。 上記の小学生の女の子でもそうですが、ネットワークを受信する能力と、それを論理的に構築する 能力とはまったく別のもので、それは相対する能力でもあるんですね。この2つが強力に備わっている と人間間のネットワークや自然のネットワークから有意なものを得ることができます。 そしてさらには身近な者へと発信することも可能なんです。 ですからその女の子は自らを犠牲にしても母を助けました。地震のあと、お母さんは何度も子供を 迎えに学校にと行こうか行くまいかと逡巡したのですが、行けばそのお母さんも津波の犠牲になって いた可能性が高いです。 なお、大変な犠牲者が出てしまった石巻市の大川小学校は、その原因というよりそのひとつの誘引と して、あの独特なデザイン校舎が挙げられると思っています。ああいう見かけだけのデザイン校舎は 建築の伝統しては凶相そのものです。私には不吉な校舎というしか印象はありません。 なぜあんな校舎にしたのか。建築当時の発注者の思いつきでああなったとしか思えずで、その不用意 な発想が、長年に積み重なってコントロール不能な学校になってしまったのかも知れませんね。 当時の発案者は、地域に長くシンボルとして残る校舎にしたいと考えたそうですが、期せずして校舎 は震災の犠牲のシンボルとして今後も長く残されることになったそうです。 ある意味、これはブラックジョークなんですが、なぜか人柱伝説と似て不可解さを感じてしまいます。