SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

ノンタイトル

ノンタイトル

風景写真はあまり撮れなくなったので最近は小品でお茶を濁しています。クワトロHは撮影は1/4では なく標準なんですが、現像は1/2ピクセルでやってます。それで画質はかなり落ちてくるのです。 本当はフルピクセルで現像したいのですがデータ量が大きくなりすぎるので。大元のRAWデータをSPP で見るのとは大違いですね。これをTIFFで現像し、他のソフトで圧縮すればまだましなのですが面倒 なのでやりません。 シグマの単焦点レンズはこの50ミリ(アートではなく初期型のやつ)、35ミリアートがあるんてすが、この 50ミリ、AFも割りとスムーズです。50ミリで1.3倍で65ミリ相当となり、日頃広角ばかり使っている私でも なんとか使える範囲内です。 それからzzrさんには感謝しています。私がニコン爺さんを叩いたとき唯一彼に見方をしてくれたのが zzrさんだったからです。以前にGEMさんをバシバシやった時もレンズ板のメンバーは彼の見方をしていて揺るぎなかったですね。人間とはそうであらねばなりません。 もっとも私がニコン爺さんを代表として写真芸術主義派を叩くのはあくまでもこれはプロレスなんです。 写真論議というのはそういうものであって別だん個人攻撃をして面白がっているのではありませんから。 掲示板の多くの方はそういうことが分かっていたわけで、またあの二人はプロレズごっこをしている わい、という程度の覚めため眼で見られていましたね。まあ大人というかなんというか。 あっ、笑休さんが少し、むにゃむにゃと言ってましたね。よくわからんかったですが。 掲示板というのは表面上良いことばかり書いて本当は相手に無関心、というのではいけないのです。 みんなが仲良く、というのは理想的かもしれませんが現実的ではありません。この掲示板がいつまで 続くのかは分かりませんが、この掲示板があるかぎり積極的な態度で向かいたいなあと思ってます。

喜多方市

喜多方市

一応、運転の話題とし言うことで↓からの続編です。 https://photoxp.jp/pictures/202697 AT車で左足ブレーキはどうだろうか?ということでちょっと数日間、試しにやってみました。 慣れればどおってことないなあ、ということなのですが、やはりスピードを出して高速でカーブを曲が ろうとすると、体の軸がどうしても不安定になってしまいます。レース車のように腰から背中全体を サポートするシートならいざしらず、普通の車では、やはり左足は、床なりフットレストに置いて おかないと身体が定まらないなあという感じです。 しかし普通のスピードを出さない街乗りでは、何ら左足ブレーキは問題ありませんでしたね。 ところで上記サイトの、80歳の優良ドライバーが駐車時に事故を起こしたという事例なのですが、 確かに加齢はそうなんですが、本当にそれだけの問題なのかどうか。私としては、どうしても引っ掛 かってしまうところがあったんですね。 それで少し感じたのですが、シートベルト問題です。私の場合はシートベルトの圧迫感が嫌で、 それでベルトに自分でクリップを使ったストッパーを付けているんです。それで長く運転しても疲れは あまりないんですね。 ところが今回の東北行ではそのストッパーを外して運転しておりました。それでなのか、初日の一気 乗りで会津まで行くと、足腰はガタガタになってしまいましたからね。 シートベルトって案外に足腰に来るんですよ。 このシートベルト。装着しないと反則切符を切られてしまうので殆どのドライバーはシートベルトを して運転していると思います。優良ドライバーならばなおさらでしょう。しかしシートベルトというのは 自分でも気がつかないうちに疲労感というものが溜まってくるんですね。特に足腰に来るようです。 それが体力のない高齢者であればどうなるか。いろんなミスをするようなるということです。安全確認 の見落とし、操作の間違い。そういうありとあらゆることがらです。 「シートベルト、確り装備で、ペダルの踏み間違い 挙句は園児の列に突っ込むぞ」 こういう安全標語はないのですが、シートベルトというのは、ドライバーの身を守り、そこは安全かも しれませんが、歩行者にとっては悲惨な結果になるかもしれないのです。 もしすればこのシートベルトの厳密な法令施行こそが、昨今の高齢者の悲惨事故の多発に結び ついている可能性があるかもしれませんね。昔は高齢者ドライバーといえども、ブレーキとアクセルの 踏み間違いなど、聞いたことがなかったですからね。 そうそう、バイクなどは、アクセルとブレーキの操作を間違いましたっていう事故例はないでしょう? バイクはシートベルトをしませんから。(^^ゞ 調べてないので不明ですけど、こんなにシートベルト厳守を取り締まっているのは日本くらいじゃない ですか。それで高齢者の悲惨事故は特に日本で多いように感じるんです。アメリカなどでもネットを みればけっこうコンビニなんかに突っ込んでいる映像があるんですが、まあアメリカもシートベルトに 関しては厳しいのかもしれません。(日本はアメリカを真似ているだけ) でもヨーロッパなどではあまり 聞きませんね。 シートベルトをして上半身を固定化されますと、まず腰のベルトで血流が悪くなって下半身にあまり 血が通わなくなると言いますか、足の感覚が麻痺します。それだけでなく胸のベルトで身体の動きが 拘束され、言わば飛行機のエコノミー症候群と同じであって、それが特にAT車であれば足も動かさ ないので益々状態は悪くなるということです。 それで、いざという時に体を、特に足を動かせなくなってくるんです。 それでシートベルトを装着しないか、もしくはベルトにストッパーを付けて上半身を自由にしておくと この問題はかなり解消されるんではないですかね。 このシートベルト問題。おそらく解っている人はプロのドライバーの間では多いんじゃないでしょうか。 しかし表立っては言えないですね。学者の間でも言っている人はいないです。そんなことを言うと 社会的立場が危うくなりますから。 法令厳守の優良ドライバーですら間違い操作をして事故を起こすんです。このことはよっぽど自分で 考えなくてはならないでしょう。 シートベルトって安全性では万能じゃないんですね。正面衝突しか効果がありません。横とかの 衝突では関係ないですから。私は山道を走りこむ場合(四国の狭い山道ね)、シートベルトは外して 走ります。ハンドル操作は大きくなりますし、カーブの見通しなんかで状態を大きく動かさなければ ならないからです。道路の高低差も大きいです。シートベルトは邪魔の一言ですから。 事故を起こしてからの安全策よりも、まず事故を起こさない運転方法が大切なんです。 まあ、普通はシートベルトにストッパー装備で十分ですね。シートベルトの機能には問題はないですし 身体の疲れはないからです。ストッパーを装備するのが面倒というくらいですか。 こんな感じで、言ってはならないシートベルトと操作ミス事故の関連性を書きましたが、これが事実だ とすれば高齢者の事故はこれからもなくならないというわけです。 世の中にはこういう政策や法令の過ちっていうのは多いんですね。アベノミクスなんてのはその典型 ですから。しかしまあ、上に政策があれば下には対策があるということで、とにかく自分だけは確りと 自らの身の安全を守っていかないといけません。 それから歩行者の方も、車を信用していてはいけません。のほほんと不用意に車の前後を横切った り、横断歩道もぼんやりと渡ってはダメですね。自分の身は自分で守らないと。 法律が守ってくれるというのは事故に会い被害者となってからの話であって、規則を守っていれば 事故に合わないというのとは違いますから。 ハイブリッド車は特に気をつけないといけません。エンジン音がでないのに走りますから。 写真は会津盆地の喜多方市です。道路幅が広くて、香川とはぜんぜん違う街並みに驚きました。 これって、アメリカ映画の西部劇の街並み雰囲気だねって。(^^ゞ 馬車でも走るとサイコーかな。

新潟・柏崎市

新潟・柏崎市

シグマが次のdpカメラというべきか、fpという小型カメラを発表しましたね。 フルサイズ・ベイヤー裏面照射型2400万画素(無論ソニー製)です。( ここでソニーと取引して、ソニー ミラーレスマウントのシグマレンズが出せます) fpの値段は安いそうです。さて、コントラスト検知AFのみなので一眼レフのレンズがまともに動くかは わかりません。しかし遅くても良いから正常動作して欲しいです。(^^ゞ  メカニカルを排して電子シャッターのみ搭載というのは良いですけどね。これでコストダウンできます。 シグマがsd系のフルサイズ・フォビオンをリリースするわけですが、じゃあ、dp系はどうするのか?が 不明だったのです。 dpにフルサイズ・フォビオン搭載では値段が高すぎるし(ユーザーが離れる)、 かと言ってフォビオンのAPSサイズも同時に作るのではコスト高になってしまうしで、それで私も読め なかったわけですが、今回、実に良い回答を出してきたという気がします。 しかしこれが完全に従来のdpに取って代わるのかどうかはまだ分かりません。フォビオンセンサーを 作る新しい米国工場は生産能力が高いからです。 やはり本当のdpカメラはフルサイズ・フォビオンで出るのではないですか。 レンズ交換式のsdフルサイズ・フォビオンだけではセンサーが捌けないでしょうから、どうしてもレンズ シャッターカメラのsdより低価格のdpが必用です。 新dpの大きさは現行のdpクワトロと同サイズに収めるでしょう。やはりフルサイズセンサー搭載なので 値段は上がります。 それで新dpを買えないユーザーには、今回発表した小型のベイヤーカメラを勧めるんでしょう。 これは上手い戦略ですね。初期型のdpと同じく小型サイズにして(デザインもそうです)、スタイルだけ シグマしたい、というユーザーにはこれで十分に受けるんです。 それで本当のシグマファンに対しては、正統派のフォビオンフルサイズの新dpと新sdでいく。 カメラがミラーレス化して各社マウントが新タイプになってますね。本来シグマはレンズメーカーでした が、これからはなかなかそうは出来ないような雰囲気です。特にニコンのマウントが作れないでしょう。 そんな感じで、シグマはカメラの領域に、これからぐっと力を入れてくると思うんです。 フォビオンセンサーはシグマの看板ですから、これは絶対に外せません。しかしそれだけでは戦力と しては不十分。それで今回、廉価機モデルとしてソニー製センサーを導入したんでしょう。 レンズメーカーとカメラメーカーの二足の草鞋はなかなか履けません。カメラメーカーに言わせれば、 コウモリみたいな真似をするな、ということですからね。それでシグマはライカマウントにしたんじゃ ないですか。シグマ独自のマウントでは、まだまだ時期早々。そんな実力はまだないですから。 ライカマウントにすることで、ライカユーザー、パナソニックユーザーを取り込める。さらにソニーと取引 をしてソニーマウントもゲットした。 こういう戦略というのは一歩間違うと会社を潰しますからね。まさに薄氷を踏む思いでやってると思い ます。私は、このベイヤー・シグマはまだまだ次のモデルが出ると思ってます。ここを売れ筋として 稼がなくちゃって感じですかね。それだけでなく、ライカマウントのユーザーをどんどん増やさなければ なりません。 カメラは小型が間違いなく売れます。今回のdpの下位クラスとしてのfpは、その小型化の王道を行って ます。メカニカルシャッターを廃したのは英断です。小型化とコストダウンの両得でいけますから。 シャッターゴミが出るクレームもないですし。(^^ゞ fpはレンズ交換式ですけど、これの固定レンズ式も出せば面白いですね。もちろん電子シャッターで。 シグマはベイヤーも出すということで、今までフォビオンではできなかった高ISO感度撮影、そして動画 撮影ができるようになってきました。発熱対策としてヒートシンクを採用したというのは、シグマの技術 ではないでしょう。しかしアイデアはシグマでしょうか。長年発熱カメラを汚名をもらってましたから。^^ゞ このヒートシンク方式は、私もクワトロsdとdpでやってます。ボディ下部にアルミやステンレス板を着け てますから。(笑) コンデジでありながら大型センサーを搭載した初めてのカメラが初代のdpでした。 そして本格的なカメラでありながら、メカニカルシャッターを排して電子シャッターのみにした初めての カメラがfpですね。 シグマのアイデアは新しい時代を作り出すことに長けています。それからシグマにとっては、初めての フォビオンセンサー以外の搭載カメラなんですね。動画に力が入っているのも見逃せません。 何やかやでいい加減なことを書いてますけど(^^ゞ、これらもジグマには頑張ってもらいたいですね。

新潟、柏崎市

新潟、柏崎市

キヤノン板で、露出制御をマニュアルモードで撮影されているという話題が出できていました。 なるほど、マニュアルで撮影されている方は、今ではごく少ないですね。 歴史を振り返ると・・ちょっとオート撮影について考えてみましょう。 露出機構がマニュアルからオートになった時代の時に、絞り優先主義か、それともシャッタースピード 優先なのかで、色々と論議がありました。 それで、統合として両優先搭載とそまミックスであるプログラムオートが出たんですね。 つまりAVとTVの統合としてのプログラムオートなんです。ですからPモードとはAVとTVの両要素を 含んでいて、プログラムシフト次第でどのようにでも使えるというのがミソなんです。 経緯としては、シャッターオートを採用していたキヤノンが、他社の絞り優先オートに比べて見劣り がするということで、キヤノンがいち早く両優先モードとプログラオートをリリースしたかと記憶してい ます。それから後はもう全社右へ倣えですかね。 おそらく原理的には絞り優先モードの発展版がプログラオートという感じがしますね。一方、ーシャッ タースピードオートはというと、かなりマニュアルモードに感覚が近いですね。 車の変速機の話をしますと、Dレンジでおっとり普通走行モードでしか走らせないというのではなくて、 レンジも多段化していますし、電子モード自体もスポーツモードとかエコモードとか色々とあるでしょう。 そういうAT車の融通無碍の仕組みを積極的に使えば、車の性能としての走行性やタイムとしては MT車よりもAT車が速いんですよね。(特に左足ブレーキを使えば) こういう具合でオートモードのポテンシャルは非常に高いのですが、関心のない多くのドライバーは 多分、ひとつのモードのDレンジでしか運転していないでしょう。 そういうのはカメラの露出機構モードにも言えて、確実な素早い露出を決定するのはオートモードだ と思います。一方、絞り値とシャッタースピードを自分で決定するマニュアルモードは、どうしても遅く なってしまい、且つ正確さにも欠けます。(これはユーザーが面倒がってしまうので) なので現在、マニュアルモードで撮影されている方は、特殊な撮影、長秒撮影とか、特殊レンズを付け ての撮影などや、露出の変動を嫌う場合とか、ごく狭い範囲に限られると思います。 オートモードというのは露出が自動変化します。この長所を欠点として捉える向きもありますし、 実際の撮影でも邪魔になってくる場合もあるんですね。私などはそういう場合、面倒なので多量撮影 でもって、数撃ちゃあ当たるという偶然を拾うというやり方をします。 ちなみにオートの自動露出変動を嫌う、というのはAT車独特のクリープ現象を嫌うっていうのと、 非常によく似ています。このクリープ現象をカットするのは、ニュートラルシフトを積極的に使うやり方 となります。発進などでギクシャクはするんですが、思わぬ暴走を防ぐということではニュートラルモー ドを多用するのは意味があります。 しかしこのニュートラルを使うやり方は、よく分かっていない人がやると、アクセルをベタ踏みしながら NからDレンジに突っ込んだりして車は大暴走、ということになってしまうこともあるので要注意です。 同様に左足ブレーキも慣れていないと、思いっきり両足ペダルを踏み込んでしまうかもしれないので、 若い時からやっていないと難しいかもしれませんね。 カメラの話に戻すと・・ 完全なマニュアルモードというのは、本当の撮影の感覚を取り戻すということでは良いんです。 昔のカメラは露出計すら付いていないカメラが多々有り、撮影者のカンで露出を決めていたのですが、 ああいうのは、(失敗ばかりでしたが)、かえって良かったなあっていう気がします。 そのうちにファインダーに露出の針が付いて、その上下動での感覚で露出を決定するのもオモシロ かったのではないでしょうか。 現在のデジタルカメラは露出計やAF素子がそのまま発達して撮像素子となっていますので、マニュ アルモードと言っても、本当のマニュアルカメラのような撮影はできませんね。実際はマニュアル風の オート撮影しかできないというのが真実です。 厳密に考えれば、本当のマニュアル撮影は、あくまでも古いメカニカルカメラでしか撮影ができません。 それはAT車を、いくらMT車風に走らせてもそれはMT車とは本質的に違う、ということと同じなのかも 知れませんね。 それでは、MT車とAT車の決定的違いって何だと思いますか? 私の考えは、こうです。 それは車では、まずミッションの機械式シフトレバーです。これはマニュアルカメラでは外部ダイヤル (シャッタースピードダイヤル)と、レンズの絞りリングに相当します。 次には、決定的なもの。 車では、クラッチペダルです。ではカメラでは?・・・答えは巻き上げレバー(シャッターチャージレバー) です。 私が昔やっていたマニュアルカメラでは・・ 以前のフィルムマニュアルカメラ(露出計が装備されていようがいないがにかかわらず) での撮影は、 カメラを構える以前にといいますが、撮影時とは関係なく、常に、絞り・スピード・ピントリングの3つに 気を配っていたというです。もちろんフィルム巻き上げもそうです。 とにかく全てはコマメに事前対処をするのが基本でした。常時カメラの現状把握と、次なる被写体へ の先読みです。 考えてみると、これはマニュアルミッション車で運転するのと全く同じなんです。 カーブに差し掛かる直前にヒール&トゥとかでエンジン回転を少し上げておくというわけです。 MT車はとにかく事前に道路情報や交通事情を先読みしていく。これがマニュアル操作の基本という わけですね。 そこのところがAT車とは根本的に違うところなんですね。どうしてもAT車は漫然運転になりやすい。 AT車は機械がやってくれるから、人間はだらけてしまうんです。 MT車は無意識に運転しているようでも、脳はしっかりと働いている。この違いは大きいんですよ。 MT車では常に車のミッションの位置、エンジンの回転数を脳内では把握し続けています。そして 運転時は、いつも両手両足を使います。( この部分は大事です) AT車でも、MT車と同じ感覚で運転できれば事故は起きないはずなのですが、実際には車に対しても、 道路交通事情に関しても、ドライバーはそれらを正確には把握できていず、それで大きな事故を起こし がちになるのではないでしょうか。 現代のデジタルカメラでも往年のスタイルを踏襲したモデル、外部ダイヤル設定があるタイプのニコン Dfや富士ミラーレスなどでは、マニュアル撮影がしやすいのですが、一般的なデジイチでは難しいと いうのが現実ですね。 現在のカメラはあくまでもオートで使う前提で設計されているからです。 被写体をファインダーに捕らえてから、それから絞り・シャッターを設定していては遅すぎます。 カメラを構える以前にそれらの操作は済ませておく。というのが本当のマニュアル撮影であるわけで すが、ここのところは多分、今の若い人は知らないと思います。 マニュアル・カメラの操作は・・ ピントや絞り設定は左手、シャッター設定や巻き上げは右手というのがよくて、とにかく両手を使う。 これもMT車と同じです。しかもそういう設定や動作はいちいちカメラを眼で追わず、自分の手の感触 だけでできるものです。こういう操作はメカニカルカメラでしか出来ません。 かろうじてDfと富士で出来るだけかな。(富士てちょっとやってみましたが、ダイヤルが軽すぎて信頼 性が置けませんでした。多分にファッション的なダイヤルのようです) 初心者はまず最初に、絵柄モードで撮影をしますが、上達するに従って、まず最初にやるべきなのがマニュアルモード、それが理解できれば次に、絞り優先モードやプログラオートモードに発展していく というのが筋です。 これはカメラの発達そのものの歴史を発生学的に踏襲しているわけですね。 しかしここに来て、オート撮影ではアカンのじゃないか?っていう反省が生まれてきている。 かどうかは不明ですが(笑)、少なくとも車ではそうなんです。 高齢者の暴走事故は社会的な大問題となってしまいました。そして時代はさらに自動運転ですからね。 そして車もカメラも要するにコンピューターです。コンピューターの最たる、スマホ依存やオンラインゲ ーム中毒が社会的にも大問題となっています。 そういうものに溺れれば学力は落ちて、場合によっては社会的廃人ともなりかねません。ゲーム依存 という重篤な患者だけでなく、今の時代、ごく普通にスマホやパソコン、SNS等のインターネットを使って いても、やはり学力というか理解力というのは大きく劣化しています。 コンピューターのせいで皆が考えなくなってしまったわけですね。これではこれからのAI化社会では 人間は失職して食べていけなくなります。そういう危機感がマスコミや教育界にはけっこうあるんじゃ ないでしょうか。 話をカメラに戻しましょう。マニュアル撮影の話題でした。 それで一番のおすすめは、露出の失敗を恐れずに、完全に自分の判断だけで、絞りとシャッター値 を決めて撮影することです。そして撮影後のモニターはあまり見ないようにします。 これを続けていくことで本当のマニュアル撮影テクニックを身につけることが出来ると思います。 同時にお勧めなのが、ピントもマニュアルでやってみることです。これは眼が疲れますから眼のよくな い人は無理にやる必用はありません。 しかしある程度のピントで良い、とすれば銅鏡のリングの数字見のみのマニュアル動作のピントで 撮影することは(広角レンズでは)十分可能です。さらにはノーファインダー撮影というのもあります。 とにかく写真を過剰に綺麗に撮ろうとしないことですかね。あえて積極的に失敗をしていき、それから 学ぶという姿勢が大切な気がします。 そうそう、デジタルカメラで決定的にマニュアル風に出来ないものがありますね。 それは巻き上げレバーです。 最近はアクセサリーとして巻き上げレバー風なものが出ておりますね。これを富士のカメラとかライカ に着けるんです。(笑) 今の人は巻き上げレバーの大切さは分かりませんね。物心ついた頃からカメラはモータードライブ だったからです。最初から自動小銃を与えられたようなもので、日本刀を鞘から抜くというような写真 に於ける精神性を知らないわけです。 マニュアル撮影の極点というのは、おそらくはカメラは手の一部と化して、自分の眼は、そして足は、 被写体にのみ絶対的に注力できるということなのだと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=mvMS0GFLT-I 「2018年 全日本ラリー選手権 第8戦 北海道」 こういうドライビングを見ておりますと、写真も被写体に全神経を注力することが大事であるかがよく 分かります。さらにはこれは都市伝説の類ですけど、 「笹子事故NHK記者奇跡の脱出」 https://www.j-cast.com/2012/12/03156539.html?p=all 「インプレッサは蘇った」 https://bfaction.exblog.jp/22100375/ というのもあります。ここで重要なのは、ドライバーが日頃から道路の周囲への認知がよく出来ていた からこそ、いざという時に咄嗟の判断と実行ができたということです。つまりそれが生死を分けたという ことかも知れません。そういうのはAT車ではできにくくMT車では比較的学びやすいということです。 まず認知(先読みを含む)、そして判断(先読み判断も)、そして実行(即時)ですね。 こういうのは、コンピューター時代を勝ち抜く課題として、認知・理解・記憶という3要素と同じなんです。 最近は車の安全な走らせ方を研究しているのですが、結局は自分でスキルを磨いていくしか方法は ないのではないかと思っています。 加齢によりだんだんと眼も脳も身体能力も落ちてくれば、それ相応の走らせ方をするしか方法があり ません。しかし自分に十分知識や技術力の蓄積があればその対応の仕方は多々あるわけですね。 そんな感じで、写真に関してもありとあらゆる手法を身に付けておけば、人生において長く写真を楽し むことができるでしょう。 最終的にはそういう総合力がモノをいいますかね。 それから写真撮影において、よくモノを見る習慣を付けておきますと、それは写真だけの問題でなく、 自分の人生において、ありとあらゆる局面で、正しく認知・判断・実行ができ、また理解においても、 認知・理解・記憶ということへの大きな手助けとなります。 ですから写真を単なる画像(芸能)と見ずに、写真とはつまり被写体であり、もっと正しく言えば 「被写体をよく見るという自分の能力を高める」ということであって、それが翻って自分自身を助けると いうことに繋がるのです。 こういのも総合力のひとつですかね。 ということで、マニュアルモードから、色々と考えさせてくださったS9000さんには感謝です。(^^ゞ 実は車はマニュアルが良いのは分かっているのに、カメラはどういう状態で今はどのようになってる のかが、良くわからなかったんです。 結論としては、今のデジタルカメラではマニュアル撮影はできないなーっていうことですかね。 昔のメカニカルカメラを知っている人間には特にそう思えました。 しかし考えてみれば、Dfとか富士とか、ある程度はマニュアルで撮ろうと思えばそれらしきことができる カメラが登場したのは、少しは時代に反省というものが出ているのかもしれませんね。 カメラのスタイルにしてもミラーレスの多くはメカニカル時代のクラシックスタイルてすから。 ちなみに、こんなに何でもかんでもカメラがオートマチックになってしまったのは、日本がカメラを独占 してしまったからですね。車なんかはヨーロッパ勢が頑張ってくれているので、それでMT車がまだ生き 残っているわけです。(欧州のMT率は40%くらいらしいです) 日本のモノ作りというのは、余計なお節介をしてしまうんです。至れり尽くせりというか、ユーザーを 子供扱い(年寄り扱い、障害者扱い)しますから。それに乗ってしまうユーザーもだらしないんですが。 まあ、そんな感じで、マニュアルカメラ、本当のマニュアル撮影というのは、とっくに死んでしまっていた というわけなんですね。(^^ゞ  フィルムで昔のメカニカルカメラを使うしか方法がありませんが、写真学生でない限りそういう珠晶な ことをする人はいないですね。 それよりもカメラがオートになったのは仕方がない。それはそれで使って、昔は撮影に使っていた撮影 時の思考力というものを、もっと別のものに向けるというのが今では正解なのかもしれません。 現在ではもう写真というのは目的ではなくて道具のひとつですね。その道具を使ってもっと上のものを 目指す。そう言う具合になってると思います。 車で言えば安全に早く目的地に着けばいいんです。その目的地で何をするのか。それが問題だという わけです。 しかしながら車に関しては、(写真は失敗しても大丈夫ですけど)、車の運転で失敗をすると大変なこと になります。その違いが大きいです。 また、写真はむしろ、コンピューターやインターネットの一部として考えるほうが適切という気がします。 私にしても、パソコン趣味が発展してデジカメになりましたから。 こんな感じですかね。写真と車の両輪で考察をしていったわけですが、いろいろと考えると、ますます 今のカメラが詰まらないなーっていう感じになってきました。(^^ゞ 私のカメラ趣味もそろそろ終わりか なっていうところです。

会津盆地

会津盆地

「日本精神が世界を飲み込む(精日)」 http://torocohp.blog.fc2.com/blog-entry-381.html http://torocohp.blog.fc2.com/blog-entry-488.html 面白そうなのでコピペします。 Newsweek記事、中国の「精神的日本人」は軍事オタクにあらず(李小牧)、が元になっているよう です。 >▲中国の歴史を振り返ってみると、その核心は、歴代王朝が採用していた「中国人愚民化政策」 の繰り返しだということに気がつく。 歴代の為政者が、「国民はアホでいいのだ」とずーと考えて いたということだ。  「民」という漢字が、「針で目を潰した奴隷」を意味する漢字ということを知れば、その核心部分に 納得するであろう。 基礎教育を軽視し、漢字を通常人が読めないほどに難解化し、漢字オンリーの 漢文という文章では、高度な概念を「正確に」他者に伝えることができない。  唐詩選を読んでいて、原文と日本語による読み下し文とを比較すれば、理解できるであろう。  つまり、中国人は他者からの言葉・文章を、「ぼんやり」としか理解していないのだ。<いや中国人 自身は、ぼんやりとは感じていまいが-->  上のような背景から、19世紀においても中国人の識字率は、せいぜい5%の世界だった。  表題の洋務運動とは、日本の明治維新に刺激された中国人なりの「西洋化、富国強兵政策」であっ たが、上でふれたように愚民化され識字率5%の世界では、世間を動かすことができなかった。  21世紀に入り、識字率もようやく30%程度となり、インターネットの普及もあって、ようやく、従前の 体制に疑問を抱く「覚醒した人たち」が出現したようだ。 まぁ、日本の明治維新になぞらえば、「中国 における志士達」という感じなのかもしれないな。 (以下はこのサイトの方の文章) >「漢文という文章では、高度な概念を「正確に」他者に伝えるのが難しい。中国人は他者からの 言葉・文章を、「ぼんやり」としか理解していない」と上記は言っていますが、要は中国語そのものが 現代では欠陥言語なのであり、中国が近代化に失敗した大きな要因であり、そしてこのような言語を 持つ国は世界では多数派である。 高度に発達した文明社会では言語の果たす役割は大きく、その高い表現力、抽象化、等を求められ 現代文明を牽引する言語は極論すると欧米語と日本語のみだ。それをさらに突き詰めると、それは 英語と日本語のみとも言える。 もともと漢文とは特権階級しか扱えない愚民化の道具であり、中国文明衰退の最大要因でしょう。 その漢文と対極にあるが日本語であり、明治維新成功と日本発展の原動力である。日本語は漢字は 用いるが、同時にひらがな、カタカナを併用するので大衆性があり特権階級専用ではない。 もっと言うと、この大衆性こそが現代文明の核心なのだ。中国は勿論、欧米すら立ち遅れた階級社会 なのであり、世界で唯一日本のみが大衆社会に突入しているが、これが漫画やアニメの爆発的普及 の要因であり、世界が日本に憧れる日本成功の秘密なのである。 「精日」-加速度的に日本化する中国人の群像-古畑康雄著/講談社α新書 前回紹介したこの本を今読み進んでいるのですが、この中出てくる中国の識者の文章が素晴らしいん ですね。しかし考えてみれば、これは著者が書いた日本語訳が素晴らしいのであって、本当の中国語 の文章ではそうではないと思うのです。 今日中国大陸最精彩評論:美帝亡我之心千万不要死! これを日本語にすると・・・ 今日、中国で最も素晴らしいコメント:米帝国主義が我々を滅ぼそうとする心は決して無くならないで 欲しい。 これは毛沢東が言った、「米帝国主義が我々を滅ぼそうとする心は決して無くならない」(美帝亡我之心 千万不死!)(The spirit that US imperialism tries to destroy us will never disappear.)をもじって、 と言うか茶化しているわけなんですが、見ていただきのは、中国語だと文字数が極端に少ないんです よね。 ほぼ日本語の半分です。それで日本語で200ページの本があるとすると、それを中国語訳しますと100 ページですむんです。日本語を英訳する場合はそれは日本語とほぼ同じくらいの文字数になります。 美(アメリカ)帝(国)は、亡我之(の)心〈我々を亡ぼすの心は〉、千万(年)不死(である)! 美女が帝王切開をしたので私の心は千万回死ねなくなった!なーんて風にも読めそうじゃないです か。(^^ゞ こんな感じで中国語なんて、立て看板のスローガンみたいなもので、ほぼ思考停止の言語なんですね。 読むのも最初から棒読みです。メイディワンウォヂーシンチィェンワンブースー! 日本の音読みでは、ビーテイボーガシーセンマンフーシー!ですか。 馬鹿みたいな言語でしょう。(笑) こんな言語ではノーベル賞はおろか科学技術も発展できないし文学 も生まれません。中国人でもノーベル賞をとった人はいますけど米国在住の人です。魯迅は文学者で すけど日本に留学しましたからね。それぞれ頭のなかでは英語や日本語で考えているわけでして。 こんな感じでね、本当に精日というのであれば日本語が出来なければ本当じゃないです。英語でも いいんですけど、中国語しか知らないんではお話にならないということなんですね。 中国語は本来表意文字ですが、日本の漢字も表意文字です。欧米語は表音文字ですが日本語の ひらがな・カタカナも表音文字です。日本語というのは表意表音の2つ要素が入ってます。明治以降は ローマ字も導入しましたね。 本来の表音文字は難しくて、その文字の語源とか多数の熟語・事例とかを知っていないと正しく読め ません。ですから古来中国では文人のみが本当の中国語を操れたんです。 その点、表音文字は話し言葉をそのまま書いた言葉ですから割りとわかりやすいのです。しかし方言 が多くなってヨーロッパのように多元化していくのが欠点ですかね。 結論を言うと、中国がこれから本当に発展するとすれば、それは従来の中国語を捨てなければならな いということなんです。英語で行くか日本語でいくか。そう考えると台湾や韓国が発展したのは日本語 の素養があったからですし、香港は英語だったからなんですね。それから現在の中国が曲がりなりに もここまで発展してきたのは米語の力です。 中国のこれまでの発展は、沿岸部の都市ですむ4億人の人々が牽引してきたと言ってもいいでしょう。 しかしそれも内陸部の農村からの農民工を植民地化して出来たことです。14億人の人口のうち、10 億人は未だに貧しいままの無知な人民です。しかしこの人民の海が中国共産党を本当に支えている と言ってもいいかも知れません。無知蒙昧な中国語しかできない素朴粗暴な民が、共産党のみならず 歴代の中華帝国を支えてきたと思うんです。 日本の所謂植民地というのは台湾では日本語教育をしたんですね。朝鮮ではハングル語と日本語の 両方をやったようです。とにかく日本語を教えるということから始まっているのでして、これが案外に 正しかったというのは、それらの戦後の発展を見ていればわかります。 その国の言葉、言語を変えるっていうのは、乱暴な話ですけど20年から100年あれば変えられます。 初等教育をみっちりやれば案外に言語を変えていくのは難しくはないんです。日本でも英語を初等教 育化するようになりましたので少しは変わってくるでしょうね。(良い意味でも悪い意味でも) この悪しき逆例が↓これです。ハングルの漢字廃止。 http://torocohp.blog.fc2.com/blog-entry-484.html 巨大な中国を変えていくというのは大変です。 しかし日本に理解と憧れを持っている若い中国の 人が日本に来て日本人化するというのはそうは難しくありません。そもそも日本の歴史をみてもかなり の数の中国からの渡来人が来ていますから。 これまでの歴史と同じように溶けこんで日本人化するでしょうね。 興味深いのは中国の僧や禅僧が日本によく来ていたということです。招聘するという形になっていた みたいですが、中国で位を極めた僧が日本にやってくる。仏教を広めるという使命感もあったのでしょ うが、本当のところは自分の仏法をより完成させたくて日本に来たんじゃないかなっていう気がしてますね。 山形の羽黒山を訪れて感じたのですが、鬱蒼と茂った山寺の雰囲気というか、本当の仏教という宗教 というか、宗教的な人間の生き様を貫こうと思えば、それは中国ではなくて日本の方が相応しいので はないか。そう考えていた僧侶は多いんじゃないですかね。 中国でいたんじゃどうしようもない。そう考えて共産党の幹部の子息はアメリカ等海外に出国している んですが(笑)、そういう実利の人間じゃなくて精神的にもっと高くに行ってみたい、そういう中国の人が いるのならば日本語を習って日本に来ればいいじゃないかって思います。 日本人になるには、日本に住むこと、日本語ができて日本語で考えるようになること、日本食を食べる こと。この3つだと思うんですね。肌に色が黒かろうが白かろうが、そんなの関係ないです。もともと 日本人というのは雑種です。いろんな所から来て混血しているわけでして、純粋な日本人なんていま せんから。 中国からの観光客はとどまりを知りません。香港や台湾、韓国もそうです。中国の人が国内旅行に行く のならば日本に行く。何度もなんども日本に行きたい、日本に触れたい。 我々日本しか知らない人間には解らないのですけど、よくよく考えて見れば、この私が、日本の中の 日本とも言える東北に足を運ぶのと同じことなのかも知れませんね。 日本は本当に美しいです。こちから東北に行くには舞鶴までいって日本海をひたすら北上するのです がその行程のどこもが美しいのです。そして光景が緻密です。どこまでも無限に緻密さにあふれていて、 これで終わりということがありません。世界が凝縮されていると感じます。それは日本の国土の狭さを 十分にカバーし切れていて、心理的な国土面積は実際の数倍あるのではないかと感じるほどです。 追加︰香港が大変なことになっているようです。若い人のデモが収まりません。インターネットを通じて のデモなので、かつてのチュニジアのジャスミン革命を思い出させます。 日本政府がとうとう韓国に対して経済制裁を発動するようです。日本は半導体産業を米国に奪われて 久しいのですが、何のことはなく、米国の指導のもと、台湾韓国中国で製造する半導体の原材料を握って いるということなのです。上に(米国)政策があれば下には(日本には)対策があるというやつです。 まあ、安倍さんはトランプの対中政策を真似ているだけなのですが(笑)、そもそも東アジアの経済発展 そのものが米国や日本の深謀遠慮の元に行われているということを知らない人民が多いようです。

東北行

東北行

高齢になって車を暴走させる人には、おそらく共通した性質というものがあるだろうと考えます。 それは、アクセルやブレーキを踏む動作が急激で強過ぎるのです。おそらくハンドル操作も そうでしょうね。つまり若い時から車を飛ばしていた人だろうと思いますよ。飛ばすことが格好良い と勘違いしていた人達だろうということです。 もともと安全運転でおっとりとした操作をする人は、たとえペダルを踏み間違ったとしても暴走なんか しませんから。 よく車を飛ばす人や、自分は運転が上手いと思っている人の車の助手席で、その自慢の運転法 を見る時があったりするんですが、殆どの人は車を正しく制御できていません。ただスピードだけが 出ている危険な運転をしているように思いましたね。 とにかくそういう人は運転はしているけれど車に乗せられているような人ばかりです。 そういう自覚がなくて、しかも過剰な自信があり、それでそのまま歳をとって身体能力が落ちると、 大きな事故を起こすのではないですかね。 暴走事故には、オートマチック車とかハイブリット車とか、そういうような要因もあるんですけど、やっ ぱり基本的に日頃から手荒い操作の運転をしている人が、重大事故を起こすっていうことだろうと 思います。 私のことを言えば、車を所有してから3台目で軽自動車(しかも低馬力の)に乗り換えました。 それまでのスポーツタイプの普通車に比べて、なんと走らないことかと唖然としたのですが、(^^ゞ よくよく考えてみれば、これまでは車の力で自分が速いって勘違いしていたことに気がついたのです。 そしてこういう非力な車を適切に走らせることこそが、本当の意味での車の運転ではないかと考える ようになりました。以来ずっと軽自動車のマニュアル車に乗り継いでいます。自分にはこれが分相応と いうか、これで十分に満足できるわけですし。 しかし私のようではなく、ずっと高性能のスピードのでる車に乗っていたならば、人間、勘違いしたまま で終わるんじゃないですかね。若い頃は高出力の車を制御できていても歳を取ればそれができなく なる。 気持ちでは制御できているつもりでも身体能力ばガタ落ちですから。どうも、そういう人達が昨今の 暴走事故を起こしているように思えてきます。 車もカメラも要するに機械やモノです。自分の本当の素のママの力ではないですね。そういう身体の 拡張系であるわけですが、ともすればそれらも自分の力の一部のように錯覚をするのが人間という ものです。 しかし強力な機械やモノを、自分が本当に制御できているのか。使いこなせているのかと問うと、実際 はそうじゃなくて機械に引きずられているのがリアルな現実であったりするんでしょうね。 「私とMT車(マニュアル車) 」 https://mtsya.hatenablog.com/entry/2017/09/01/113747 https://mtsya.hatenablog.com/entry/2017/11/19/012929 他にも色々とあり、なかなかにしみじみとしたブログで興味深く読ませていただきました。 笑休さんが良くおっしゃっていたのですが、自分の写真に行き詰まった時は、コンデジなんかを敢えて 使うって言ってましたね。つまり高級な高性能な機材ばかり使っていては自ずと限界があるということ でしょうか。 これはつまり自動車の例と同じで、高性能の車ばかりに乗っていてはダメだよっていうとことと共通 するものがあるのかもしれませんね。 高性能なカメラ機材の使用で、車ではないので取り返しの付かない事故を起こすことはありませんか、 もしかすれば自分が気がつかないだけで大きな不利益というものを被っている可能性があるかも知れ ませんね。それは自分の能力以上の、過剰な機材性能による不自然さ、ということでは同じだから です。 もしかすると、高級な機材ばかり使うっていうことは、自分のモノの見方というものが歪められるような ことが起こるかも知れず、モノごとの真実を正しく見ることができなくなってしまう、ということが起こりう るかもわかりません。 カメラというものは眼の拡張系です。良いカメラやレンズを使って写真を撮ると、自分の本来の能力以 上の写真を撮ることが可能です。しかしそれが習い性になると、自分の本来の能力の見極めができな くなるような気がします。 実は今回の東北行で、シグマsdクワトロHでは廉価レンズを着けて撮影しました。それで同時に持参し たdpクワトロ0/2と比べれば画質はかなり落ちます。写真はあまり綺麗ではないのですね。 dpクワトロには良いレンズが最初から付いていますね。レンズ固定専用機ですから当然です。一方、 sdクワトロHは、良いレンズも良くないレンズも着けられるのですから、dpクワトロに匹敵させようとすれ ば18-35とか24-105とかのレンズを装着しなければならないのです。 しかし今回の撮影は、敢えてそういう廉価レンズを着けての撮影でよいということでやりました。自分の 撮った写真に満足していてはいけないような撮影行になるだろうという予感があったからです。 つまり良い写真(良い画質の写真)ばかり撮っていてはダメなんじゃないかなっていうことなんです。 もちろん全て低画質のLOW-RAW写真で撮ったというのも同じ理由によるものです。 もしかすれば良い写真とは、人間の想像力を無くしてしまう可能性があるのではないですか。 写真撮影はきっかけに過ぎず、本当はその被写体について自分なりに思いを巡らし考えるということ が大切なのですが、綺麗な写真を撮ってしまうとそれだけで人間は満足してしまい、それ以上の考えを しなくなるように感じられるのです。つまり思考停止です。 ビジュアル情報は人間の思考をスポイルさせる。これは昔から私が感じていたことですが、しかし今の 世の中はほぼそのような事態に陥っていますね。つまり写真を撮ったり見たりすると思考力(認知・理 解・記憶)の減退になるということなのかもしれません。 人間の正常な思考力をスポイルさせるということでは、オンラインゲームなんかも言われていますね。 特に成長期の子どもがゲーム依存症に罹ってしまうと大変なことになります。ゲームも写真も高精彩な ビジュアル画像です。もしすれば現在のカメラというのは、人間の能力の限界に来ているのではない か、という気がしています。

胆沢城

胆沢城

古代日本の領土は西暦750年ごろで宮城県北部と秋田県までだった。 という記述が見えますが、面白いことに私の最初の東北行は山形と秋田までであり、2度目の今回は 福島と宮城、そしてほんの少し岩手に垣間見ただけでした。 もし私が朝廷軍だとすれば、西暦750年の時代に合致しているわけですね。それは西日本から見れば 日本海側は比較的近くて、太平洋側は遠いのです。ここらあたりは現代の東京関東を中心にしてみる 見方とは随分と違います。 それにしても岩手県というのはあまりにも此方からは遠くて、ピンとこないのですが、岩手県の面積は 15,278平方キロメートル。そして四国の総面積18,300平方キロメートルなので、若干四国のほうが大き いですがほぼ匹敵すると言えば、やはり驚いてしまいます。 「地図遊び」 http://fanblogs.jp/oortcloud/archive/124/0 もっとも何度も書いたように、東北の道は走りやすくてあまり距離感を感じないところがあります。 実は今回の東北行も、震災跡は止めにして会津から一気に岩手県を北上して十和田湖まで行こうか、 という別プランもあったんです。途中、遠野なんかを見学してですね。 しかし奥磐梯で出会ったご夫婦にお会いして、強く福島の震災跡の見学を勧められて、もう腹は決まっ たというわけだったのです。 震災跡を見るのは苦しいだろう、という予感は当然にあり、できることならば避けてとおりたいというの はごく普通の人情ですね。 もしも今回、福島原発被災地を避けて通っていれば、私はハッピーのままで今も過ごしていただろうと 思いますね。(^^ゞ しかしそうはならなかったというのも何の縁みたいなものです。 福島原発被災地は私の心の中のがん細胞のような位置を占めてしまったという気かしています。これ を取り除くことはできないように感じられます。 そうだ、話は岩手県でした。(^^ゞ 胆沢市まで行ってきました。その途中、平泉も寄りましたがこれは オマケみたいなものです。本命は胆沢城跡です。もっとも城柵跡は田圃の真ん中位で遺構らしきもの は何もないのですが、その周囲の雰囲気を体験したかったのですね。 そんな程度で岩手を知ったことにはならないのですが、とりあえずはタッチをしたよっていうところです かね。(^^ゞ もし3回目の東北行があるとすれば、こんどは胆沢城から北上して青森まで行ってみたい ですね。そして津軽を回って日本海側にそって帰郷するというルートになろうかと思います。 とにかく岩手、陸奥の国は私にとっては未知の国です。

猪苗代湖

猪苗代湖

ウィキペディアによりますと、東北地方は北海道と同じく北アメリカプレートに属しているとあります。 東北や北海道の、あの緩やかで広大な山々の光景写真をみておりますと、他の日本の風景とは 随分と違うと感じるのですが、その主な原因が西日本のユーラシアプレートとは根本的に成り立ち が違うっていうことなのかもしれませんね。 日本列島にはもうひとつ異質な光景があって、中部山岳地帯ですが、これはフォッサマグナ地帯 も含めてこの日本列島の成り立ちと深い関係があります。巨大なプレート運動の褶曲の力でもって、 世界的にも稀な高い峻険な山岳帯が形成されたからです。同様に列島を東西に走る中央構造線の 山脈地帯もそれに次ぐものかもしれません。 とにかく東北地方の自然のスケールは西日本と随分と違うのですが、不思議に香川に住む私には 東北の光景に違和感がないんですね。それは香川平野というものが特殊な地形だからかもしれま せん。香川県はとにかく狭いのですが、山々は低くてなだらかです。実は山の天辺は急傾斜なので すが麓は緩やかです。 この香川独特の自然地形は瀬戸内全般に共通していて、もし瀬戸内海が干上がってしまうと広大な 平原が生まれるのですが、その風景はきっと東北地方に似ていると誰もが感じるでしょうね。 香川平野は特別に、その想像上の瀬戸内平野が陸地化しているだけなのです。 香川や瀬戸内平野が東北に似て緩やかな傾斜をしているのは、これは水の侵食による老齢化した 地形のせいです。かたや東北や北海道は北米プレートという元々のプレートの成り立ちの違いから。 とにかくスケールこそ違え、その山の形から香川に住むものは東北の地形に違和感がないのです。 これは車で走っても直ぐに分かります。香川平野や東北を走ってもエンジンに負荷があまり掛かりま せん。各平野をつなぐ峠なんかもなだらかで低いですしね。 ところが四国の山々を走ると一変します。エンジン全開が続くんですね。 東北の道の走りやすさと言ったら、山はあるけど山はないという感じで、もし車ではなく昔の馬に乗って しても同じように感じるんではないでいかね。考えてみると戦で馬が本当に使えるというのは東北だけ ではないでしょうか。だいたい日本の戦国時代の戦などは歩兵が主で騎馬なんてのはわずかでは なかったですかね。武田軍の騎馬軍団なんて言いますけど、 https://www.lymphocyte-bank.co.jp/blog/etcetera/1966003/ あんなのは局地戦だけの利用でしょう。本当に馬に乗って山野を縦横に駆けめくるっていう本当の馬 の使い方なんて、日本ではもしかしたら東北でしかやれなかったのではないでしょうか。 北海道はもっと広くて、自衛隊の戦車で北海道でしか使えないという大型戦車がありました。(^^ゞ その戦車はもう時代遅れで、今はもう日本全国どこででも走れて空輸もできる小型戦車や双輪の戦車 になってますね。 とにかく地形というのは移動ということに関しては大きな意味を持っていて、歴史や政治経済を考える 上で重要な事柄ですね。 東北は、ミニチュア香川平野の拡大版であるというのをつらつらと書いてきましたが、しかしそれ以外 のことはまるで違います。というか圧倒的に違うんですね。(^^ゞ 気温が違う。空気や空の清さが違う。水が違う。米の美味さも違う。そして植生が全く違います。雑草 から樹木までぜんぜん違うのです。 そういうのは私には現実感が今だに伴わなくて、なんだか天国がどこかに迷い込んだのではないかな という、そういう気分なんです。(^^ゞ 東北から帰ってきてしばらく経つと、あれは夢のなかでの出来事 だったのかな?という、そういう感じです。海外旅行から帰ってくるとそんな気分になるのでしょうが、 まさに私にとって東北とは海外そのものかも知れませんね。 ふと思ったのですが、東北は馬で車で走るのに適しているのですが、それを言えば瀬戸内は船で走る のに向いているということです。南船北馬なのか、と言えなくもないですね。(^^ゞ 潮の流れなんか関係ない高出力のプレジャーボートならば、縦横無尽で瀬戸内を走り回ることができ ます。その爽快感は東北の高速道を思わせます。

猪苗代湖

猪苗代湖

自然の湖を持たない四国の人間からすれば、巨大な水たまりである湖は憧れとなるのです。 猪苗代湖は面積としては103㌔平方㍍で日本で4番めに大きな湖ですが、2と3番が霞ヶ浦と サロマ湖という純粋な湖ではないので、この猪苗代湖は琵琶湖についで2番めの大きな湖と 言ってよいでしょう。 裏磐梯から山越えで猪苗代湖に行ったのですが、最初に遠目に垣間見た猪苗代湖の巨大さ に驚いてしまいました。この湖は磐梯山の山崩れによってせき止められた湖だろうと思います。 堰止湖の分類ですかね。本来は大きな盆地というか平原であるところに水が溜まって湖となった わけですね。これは人工的な溜池と同じ成り立ちなので私としては親近感が出てきます。 (調べると猪苗代湖は、地殻の一部が分断されて上下にずれると高低差が生じて窪地が形成さ れるという断層湖というらしいです。バイカル湖、琵琶湖、諏訪湖などがそうです。これに堰止湖 の要因が加わったのかもしれません。) 猪苗代湖は大きな湖なので、湖沿いの道を走ると、ふと瀬戸内の光景に似ているなっていう シーンが多々ありました。実感としては入江の海という感じてす。しかし湖ですから塩水ではなくて 貴重な真水であるということに意義があります。塩水は農業用水や工業用水や都市の水道には 使えませんから。この猪苗代湖の水が会津盆地の農地を満たしているということで宝の水でも あるんですね。 ついでに言うと奥磐梯の湖沼群の水は磐梯山の麓を周って猪苗代湖に注いでいます。それらの 河川は会津盆地を満たしてから阿賀川となって新潟の日本海に流れ落ちるんですね。 地理的には会津盆地は日本海と太平洋の真ん中に位置するんですけど、地形的には日本海側に 属すると言ってよいでしょう。山形盆地も最上川でもってそういう位置関係にありますからね。 福島と山形は近くて、奥磐梯の山を超えて北上すればそこは山形県の米沢市になります。(桧原湖 で地元の人が教えてくれました)  そして会津若松や喜多方の会津盆地を加賀川に沿って下れば、そこは庄内の酒田市ではなくて、 新潟市になるんですね。そんな感じで、何とも山形の地形と似ていることに驚いています。 ところで地図を見ながらふと感じたことなんですが、自然のダムとも言える猪苗代湖の水を中通りの 福島市や郡山市に持ってこれないかな?ということです。今は地形的に会津盆地に流れ込んでいる のですが、会津は会津で本来は阿賀川の水系の盆地です。別に猪苗代湖の水が無けれれば困る ほどでもないでしょう。他方、中通りには阿武隈川が流れていますが西東北ほど水は豊富ではない かもしれません。 猪苗代湖から中通りまで走りましたがさほどの山脈はないですね。用水路を掘っても難しいことは ないように感じます。そして猪苗代湖の水は磐梯山の火山岩地帯の良質の水ですので、その水で 米を作れば美味しくなるはずです。 ここまで書いていて、もしかすれば既にそういうのは実現されているのではないかと思い、調べて みると、これは既に、安積疏水(あさかそすい)や新安積疏水となって実現されていました。 http://www.maff.go.jp/tohoku/nouson/zigohyouka/zigohyoukatop/pdf/h28sinasakakisokouhyou.pdf そういえばお昔、学校で習ったような記憶が・・(^^ゞ さらに想像を逞しくしてみますと、猪苗代湖の水位を低めればそこには膨大な耕地が自然と生まれ ます。とにかく猪苗代湖の膨大な水と、その広大な面積がもったいないなって思いました。猪苗代湖 を干上がらせれば、ほぼ八郎潟干拓地と同じくらいの新たな農地が生まれるのです。(全部を干拓 することは出来ませんが半分くらいは容易に出来そうです。) 猪苗代湖の湖底はフラットだろうと思いますので大型機械農法が可能ですね。 原発災害で失われた国土を取り戻すっていう意味でもこういうのは考えてもいいんじゃないですかね。 この猪苗代湖干拓構想、誰かが考えていないかなって調べたのですがあまり見当たらないようです。 正直言って、放射線災害で汚染されたところは捨てるしかない、というのが私の感想です。数百年も すれば取り戻せるのですから未来永劫失われるということではありません。 とにかく現時点で除染だ何だと言ったところで今はどうしようもないじゃないですかね。除染事業は 無駄な公共土木事業になっているという見方をする人もいます。 ならば積極的に新たな土地を造ればいいんです。その格好の土地が同じ福島県の中にあるじゃ ないかということです。除染に注ぐ膨大な税金を猪苗代湖干拓に回してくれれば、10年20年で湖を 緑の大地にすることが可能です。勿論都市も工業団地も造れますし。 (もっともこれからの日本人口が激減していく時代になりますから、土地は余ってくるということになり ます。いまさら農地も干拓も必用がなく、新しい土木工事などは出来ないでしょう。) 「帰還困難区域」 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/10/02/1340046_4_2.pdf 帰還困難区域の人口・面積は約2.5万人・約337k㎡となっています。猪苗代湖の約3倍の面積なん ですね。もしくは琵琶湖の面積670.4 km²の半分です。 378,000 km²とは日本の国土面積ですが、その0.1%の面積が失われているのです。住むことも使う ことも出来ません。 参考までに、おさらいとして・・ 原発の放射線被害のことはなかなか分かりにくいのですが、小出裕章氏の話がわかりやすいように 思います。長いので時間のあるときに。 「小出裕章『3.11から7年 放射能のいま…』2018.1.20」 https://www.youtube.com/watch?v=-vM0OXmYiF4&t=6636s

猪苗代湖

猪苗代湖

猪苗代湖の南東部に当たる浜辺です。あいにくの小雨で磐梯山は霧の中。 風があれば湖面は波立ちもしますが、この日は沖には波があっても浜辺は静寂に包まれていて、 なんとも不思議な感覚に戸惑うほどでした。この不思議な静謐感を感じられたことに大いに満足を して未練を断ち切りこの湖を発ちました。 瀬戸内の遠浅の浜辺は、私には当たり前の光景ですが、他県から来た人に聞くと、さすがに海だから 波打はあるのだけど、とにかく穏やかで優しい浜辺に感激をすると言います。 そして夕日が素晴らしいと。(これは湿度が高いことと関係があるかもしれない) 太平洋や日本海を見慣れた人々からすると、内海とは独特なものなんだろうということですかね。 その穏やかな内海を見慣れた私から見ても、猪苗代湖の静寂な優しさは驚きだったのです。 ここはもしかして天国なのか?と錯覚をするほどに。(^^ゞ  不思議に燕が無言でせわしなく飛び交っていました。 東北へ行くと、しばらくは東北病とでもいうものに陥ってしまい、こちらの香川の光景に無感覚になる んですね。一種の鬱ですかね。(^^ゞ それで現実感を取り戻すにはしばらくの時間がかかります。 しばらく遠ざかっていた瀬戸内の遠浅の浜辺に行ってまいりました。1キロほどの自然の砂浜の海岸。 誰もいない私だけの浜辺です。そこをいつもの様に裸足で波打ち際を歩いてみました。 猪苗代湖と比べれば、まず小さいながらも立派に波があり潮騒の音がします。瀬戸は干満の差は 激しいので、総じて水か(潮が)生き生きとしているということ。そして砂浜には貝やカニや様々な虫達。 浜辺を歩く足にボラが驚いてくるくるとご愛嬌。 そして海と空には夕日が。あいにくの曇り空と多量の湿気が幻想的な色模様を出してくれています。 そして潮の匂いがなんともいえません。 燕がピイピイといいながら飛んでいました。 つまり瀬戸内は猪苗代湖に比べれば圧倒的な生命感にあふれているのです。清潔感はないかも しれませんが、浜辺に打ち上げられた生活ゴミも含めてその命の躍動感は全く違うんですね。 瀬戸内は泥臭い現世そのものなんですし、猪苗代湖は、今にして思えば私には天国のようだったかも 知れません。 東北は本当に美しいのです。信じられないほどに透明感があり、広大で遠目が効いて本当にこの世の ものとは(私には)思えないほどなのです

磐梯山

磐梯山

昔読んだ漫画で、髙橋ツトム氏の『SIDOOH/士道』(しどう)のがありました。 その中に猪苗代湖を配下に遠望する磐梯山の光景が印象に残っていたのです。 https://aplac.net/thisweek/essay849/849.html この写真は奥磐梯の桧原湖(ひばらこ)なので猪苗代湖ではないのですが、そもそも奥磐梯の 湖沼群は、明治の中頃の磐梯山の水蒸気爆発でできた新しい湖なので、上の漫画の幕末時代 には存在しませんでした。 会津磐梯山は宝の山よ♪という民謡がありますが、噴火と山崩れを繰り返して湖を造るっていう のは何とも壮大で、火山がない四国では想像の他だったのです。 四国にも過去のカルデラの名残があるようで、石鎚山がそうなんです。しかし日本列島ができる ころの話ですから大昔ですね。それでも独特の風景があって、他とは何か違うって感じます。 この磐梯山や裏磐梯の湖沼群はジオパークの気分として散策しましたが、また今回の原発災害 との比較も私の脳裏に上がりました。 磐梯山の水蒸気爆発による山崩れはスケールが大きいのですが、数百年に渡って人が住めなく なるというのではありませんでした。被害額としては原発の方がはるかに上でしたね。 時間さえあれば山にも登れるのでしょうけど、後に控えている浜通りの震災避難地区の予定があり、 それでも裏磐梯に1日、猪苗代湖に1日と過ごすことができました。なんとも会津はいい。心底そう 感じました。

タイムスリップ

タイムスリップ

天安門事件30周年 当時の写真2000枚を初公開 「大紀元時報※」 https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_42637/ https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_42637/?p=2 https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_42637/?p=3 https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_42637/?p=4 ※https://www.epochtimes.jp/djy/about_djysb.html >当局の情報封鎖で今の中国の若者は事件の存在さえ知らない。事件の様子をカメラに収めた、当時19歳の大学生、劉建(Jian Liu、仮名)さんですら、この30年でフィルムの存在を忘れていた。 >数年前、アメリカに渡った劉建さんは、少しずつ心の奥にしまい込んだ記憶を取り戻した。劉さんは今年の6月4日は事件の30周年記念日だと気づいた。30年前、天安門広場で50日間カメラを構え続け、当時の様子を撮影したのを思い出した。 >「フィルムはどこだ?どこに置いたか?現像できるのか」と心配していた劉さんはこの2カ月後に、分厚いほこりを被った大量のフィルムをやっと見つけた。しかも、フィルムはきれいに現像できた。 >劉建さんは銃声が響くなか、家まで走って逃げた。その後、劉さんは中国当局にフィルムを没収されないように隠した。以後30年間、撮影したこともフィルムのことも、記憶の深い底に封印した。 >劉建さんはこの2000枚以上の写真の公開を大紀元時報に託した。アメリカにいる友人が劉さんに大紀元時報を薦めたという。友人は他のメディアに写真を公開すれば、中国共産党による海外での浸透活動で、劉さんの身の安全が危険にさらされる可能性があると言った。 劉建さんが撮られた写真は1989年ですからね。もう随分と昔のことなんですけど、いまこの時点で 天安門事件の写真が劉さんだけでなく各所から出ているということは、米国が本気になって中国共産 党叩きを始めたことと関係があるのかもしれません。しかしそういう政治的なものとに関係ありなし でも、やはり劉建さんが撮られた写真には迫真の価値がありますし、見事な撮影だなって感じます。 未現像のままで保管されていても、カラー写真は少し退色がみられるものの、殆ど劣化していない ことに驚きますね。フィルム写真というのは侮りがたいという気がしました。 30年経って現像され日の目を見た写真は、つい数カ月前に撮影されたのではないかという錯覚すら 覚えてしまいます。 (未現像フィルムということが返ってよかったのかもしれません。パトローネに収められさらに塩ビの 容器に入れられたフィルムはキズとか光やカビの侵入を防ぎますから) この場合、写真論として肝心なのは、写真を撮ったことすらすっかり忘れていた劉建さんが、現在この 写真を発表する意義を見出したというか、使命感というものに至ったということです。その決意という ものがなければ、この写真は最初から存在していなかったのと同じになったわけですからね。 過去からタイムスリップでやって来たような写真。なんとも不思議を感じますがこういうのがあるから 写真というのは面白いって思います。

牡鹿半島

牡鹿半島

久々ぶりのカメラネタで行こうかと思ってます。(^^ゞ FringerのキヤノンEF→富士フイルムXマウントアダプター https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00000067-impress-ind なお、 Fringer FR-FX10 電子マウントアダプター(キヤノンEFマウントレンズ → フジフイルムXマウント変換) で検索するとアマゾンで購入できます。 ミラーレス電子シャッターカメラこそが私のメインカメラなんですが、それでソニーアルファ、オリンパス OM、そして富士Xマウントのミラーレスを使っているのです。 問題はレンズですね。私には新規にミラーレス用レンズを購入する余裕はありません。それでマウント アダプターでもって(電子接点付きの)、デジイチ用のレンズを使い回すということをしています。 ソニーに関してはデジイチ用レンズが豊富にありますし、ソニー・ミノルタアルファレンズ、キヤノンEF レンズ、シグマSAレンズと、ソニー製、シグマ製の各マウントアダプターで豊富なレンズを使うことが できます。 オリンパスも同様で、オリンパスとパナソニックのフォーサーズ・デジイチ用レンズを使えますね。 ところが富士Xマウントミラーレスカメラに関しては、それができません。富士には純正品としての デジイチカメラとレンズが無かったからです。(富士のデジイチはありましたがニコンのカメラを使って ましたから) 富士Xマウントの純正レンズは高価ですし、また種類が豊富とも言えません。それで富士のカメラに 行き詰まっていたのですが、上記のリンクのように、サードパーティ製の電子接点マウントアダプターが あるのに気がつきました。装着レンズはEFマウント。ソニーやニコン、ペンタックスと違い完全電子 マウント方式ですからできる話ですね。 とりあえずEF(EFS)マウントのレンズはそこそこ持ってますし、面白いのはEFマウントのシグマレンズも 動作するようですから、間接的に富士Xマウントのシグマレンズが出来上がってしまうわけです。 * 富士のセンサーは技術力が高く、その画質は素晴らしいのですが、使えるレンズが限られているの ではあまり面白くないのです。いろいろと各社のレンズを試せるから、レンズ交換式カメラというのは 意味があるわけでして、富士のカメラに富士のレンズだけっていうのではどうしても限界があります。 どんなに最高と言える良いカメラとレンズだけの組み合わせだけでは人間は満足できません。 最高のカメラと最高のレンズ。それだけでは、そもそもそれが最高のもの、ということすら理解できない のがユーザーです。良い悪いは、飽くまでも他者との比較で初めて理解できることなのですから。 真なる、よるべ【寄る辺/寄る方】の意味を知ることは大切なことなんですね。 それから、小型のミラーレスカメラに、大型のデジイチレンズを着けて撮影することには意味がありま す。それはカメラ全体を大きく出来て、撮影時の運動効果を得ることができるからです。 ミラーレスカメラは小型だからよい。というのは既に時代遅れの流行です。そういうのはカメラ女子や ガジェット好き兄ちゃんに任せておけばよいんです。 伝統的なハイアマチュア人間は、カメラを大きくして使う、もとより大きく重いカメラを使う、というのが 正統派のカメラマンたる所以です。 裏街道さんが高速道SAの、歩いての出口云々を書かれていましたが、これはSAに車を止めて、そこ から写真撮影のための歩き運動をされるからなんですね。職業ドライバーにとって歩き運動は死活を 制します。 そもそも写真趣味の効用とは何か。いえ、写真趣味の目的とは何か。それは写真道なるものを極める ことではなく、また芸を磨くことでもありません。そういうのはあくまでも建前なんでして、本当の目的は 健康と体力維持だけです。私はそう言い切ってしまいます。 写真趣味という金の掛かる趣味をして、その投資に見合うものは、この健康と体力維持しかないのが 本当ですよ。 ですからカメラなんてのは何でもいいんですが、ひとつ条件をつけるとすれば、ある程度の重さという のがなければ良い歩き運動にはならないのです。これは当人の体格にもよりますが、最低限1キロ グラムを超えなければカメラではない、ということです。重ければ重いほど良いカメラですが、重すぎる と肝心の歩き距離が稼げませんからね。ほどほどでないと現実的ではありません。それで大型の三脚 を持つのは難しいです。 そしてカメラは持ちやすいのが良いカメラです。それでグリップの追加は良い選択です。グリップは 既成品だけでなく自作も視野に入れたいものです。 こういうカメラ運動の視点からすれば、軽く小さなカメラであるミラーレスを、デジイチ用の大きなレンズ で満たすというのは間違いのないことなのです。それで準理想のカメラとなりますから。 とにかく、写真の本当の意味合いを忘れて、建前だけの思考をしていては人間、進歩ができません。 写真趣味とはまずカメラ運動であるということ。そのためにカメラを選ぶということ。まあ、それだけで、 他のことはさほどに必用がないですかね。 * 最近思ったのは、もうRAW撮影はしなくてもいいんじゃないかっていうことです。JPEG撮影で十分じゃ ないのかっていうこと。写真趣味は撮影こそが大切なのであって、パソコンの前で座るのは最低限で よいのです。ましてや画質なんていうものがナンボのものでしょうか。 画質はそこそこで良い。そう心底思います。 私の今回の撮影は画質をわざと落としての撮影でした。データはLOW-RAWでしか撮ってません。 クワトロHの装着レンズはAPS18-200と10-20というエントリーレンズでした。それで十分と考え、他の レンズは持参しませんでした。 今回の撮影は被災地をメインにしたのですが、強く感じたのは、写真とはきっかけに過ぎずで、本当 に大切なことは、自分がその現場に立つことであるということでした。自分がその場を、自分の足で 歩いて、ついでに記録として写真を撮ったというに過ぎなかったことです。 そこにはイワユル写真ノの為の被写体を目指した写真というものはありませんでした。 ただこの私とカメラがあっただけです。 今回の最大の写真機材はむしろ車でした。後はコンデジで良いと考え、写真の大部分はdpクワトロ ゼロでの撮影でした。LOW-RAWですから画質的には本当のコンデジそのもです。 写真の画質を意識して落とそう。それは2年前の東北行でもそうでした。古い1000万画素クラスの カメラで撮影をしましたから。 それはなぜなのか。今に自問すれば、良い画質をゲットすればそれに反比例して、自分の眼で見た 記憶というものが薄くなるという予感がしていたからです。 その考えは今も変わっていず、それで今回も自信をもってシグマも低画質撮影をしたのです。結果として正解だったと思ってます。 それでは高画質&高画素のカメラで撮影する場合はどうすれば良いのか。答えは簡単です。撮影数 を減らせば結果として同じことになります。つまりは撮影した総データ量で計算すればよいのです。 自分の撮影するデータ量をみずから制限していくというのは強い自制心が求められます。しかしそれを やらなければならない時代に来ていますね。 最近1億画素のカメラがリリースされました。1億画素と言えば1千万画素のカメラの10ショット分です。 ということは総データ量の考えからすれば1/10ショットでやれば良いということになります。 このような超高画素カメラ、またシグマのような高画質カメラを使うのは魅力的ですが、それは同時に 自制心というものも強く求められる時代になっていると思ってます。 JPEG撮影でも良いのではないか。と冒頭に書きましたが総データ量方式から言えばRAW撮影よりは ショット数の点で有利になります。優れたJPEG画質のカメラであればJPEG撮影は視野に入れておき たいものです。

ブレーキとアクセルペタルの踏み間違いとは?

ブレーキとアクセルペタルの踏み間違いとは?

動画 なぜ老人はプリウスで事故るのか、年間500台の車を運転するドライバーが解説 https://www.youtube.com/watch?v=z4o4PT2l70k どうしてこうした?プリウスのシフトレバー https://www.youtube.com/watch?v=uIFdMK8cj4U プリウスのチェンジレバーで悩む https://www.youtube.com/watch?v=zC6p3OkDZis 【トヨタ プリウス】高齢者にお勧めできないトヨタに直して欲しい事 https://www.youtube.com/watch?v=wygFuE4uUVM BMW&プリウスのアクセルとブレーキ踏み違えを語る‼ https://www.youtube.com/watch?v=fHUcs6SpQeg プリウス事故の理由をプリウスユーザー目線で考えてみた https://www.youtube.com/watch?v=Bz2Zm7mYohE 高齢者によるプリウスの事故の原因はここにある? https://www.youtube.com/watch?v=5pCp373hD6Q 新型プリウスでも事故!サポカーは誤作動? https://www.youtube.com/watch?v=xMd1zM7VQIg 意外と知らない!?車のオルガン式ペダルをマツダが採用する理由!そのメリットとデメリットとは? https://www.youtube.com/watch?v=G5tYxAOk20s デミオとセルシオでは同じオルガン式でも構造が違う https://www.youtube.com/watch?v=GfXyrq4A7KE 意外と知らない!AT車のコラムシフトが消えていく理由とは?シフトレバーの特徴やこれからの形状はどうなる?!?【インパネシフトの時代】 https://www.youtube.com/watch?v=tq-OnRg38yc 今日のプリウス 圧倒的加速で5台ぶち抜く!! あおり運転 https://www.youtube.com/watch?v=9MoTjaHip_w プリウス相手にゃ道交法は機能せず。ルール違反しまくりの暴走まとめ【ゆっくり実況】#今日のプリウス https://www.youtube.com/watch?v=XKX5uctZ2zo 【衝撃】 トヨタ プリウスの暴走事故多発の 裏側に 回避マニュアルが あったとか、、、 https://www.youtube.com/watch?v=OV9iHrxvkas 【プリウス試乗!とにかく事故る要素を詰め込んだのかと】 https://www.youtube.com/watch?v=Y2KgB8iI-40 プリウス全車種入庫禁止 https://www.youtube.com/watch?v=-SGtZg3bzOk プリウスミサイル https://www.youtube.com/watch?v=xW8SKu0eEQg GTA5 プリウス乗りの良くある事故映像 Part.6 https://www.youtube.com/watch?v=prRgPlNy5og 市原市の公園にプリウスが飛び込んだ事故 HV・EVなど電動車特有の事故か? モーター駆動の低速トルクの強さ http://news.livedoor.com/article/detail/16485740/ 運転手は踏み間違いを強く否定していたにもかかわらず、早々に“メーカーの担当者“と車の安全性を調べて『異常はなかった』と結論が https://tocana.jp/2019/05/post_95865_entry_2.html 気がつけば高齢者御用達に! トヨタ・プリウスが年配者に人気なワケ http://news.livedoor.com/article/detail/16416791/ 一連のプリウス/アクアによる多数の暴走死亡事故はトヨタ車の欠陥ではないでしょうか。 https://carview.yahoo.co.jp/ncar/catalog/toyota/prius/chiebukuro/detail/?qid=10167621180 なぜ「プリウス」はボコボコに叩かれるのか https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1904/23/news048_2.html 「プリウス暴走事故」トヨタも警察も解明しない深い闇 https://www.sentaku.co.jp/articles/view/17594 プリウス ペダルレイアウト https://isayama.info/archives/8130 セレクターレバーやブレーキペダルに操作感が皆無に等しく・・・ https://togetter.com/li/1355569 左寄りブレーキ https://minkara.carview.co.jp/userid/1511142/blog/39151695/ 高齢者事故を防止する人間工学 https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1704/24/news041.html 再び動画 プリウス操作 https://www.youtube.com/watch?v=MDtuxswqypA ★1 「タクシードライバーが語る、アクセルとブレーキの操作方法。」 https://www.youtube.com/watch?v=nCXCiM_ZFLw ★2 「ペダルを踏み変える場合は足を完全に離してはいけない」 https://www.youtube.com/watch?v=zljDOVi0dcI 色々と貼り付けましたけど、プリウスのことなんてどうでもよくて、最後の★しるしのリンクだけが 有益だと思います。 なぜ人はブレーキとアクセルペダルを踏み間違うのか。その根本には正しいペダルの踏み方を していないからだろうと思うんですね。 ★2の「ペダルを踏み変える場合は足を完全に離してはいけない」というのは運転工学のある教授 も言ってましたが、じゃあ、どうすれば良いのかという具体的な操作感は、★1のリンクで細かく 説明してくれています。 このドライバーは自分はマニュアル車に乗っていると言ってますが、私もそうなのでよくわかるんです。 マニュアル車だと左足でも足を操作しますから、正しい姿勢を保つ必用があるんです。 それはどういうことかと言うと、左右の足はそれぞれペダルに対して斜めにペダルを踏まないって いうことなんです。そして右足のカカトは床から離さないこと。アクセルとブレーキの右足はペダル軸に 平行になるようにカカトごと移動し、正しく足を構えてから踏む、ということです。 マニュアル車に乗っている人は直ぐに分かると思うんですが、両足ともペダルを操作するというのは 考えてみれば姿勢が不安定になるわけで、それで左右の足とも踏ん張れる姿勢でないといけないん です。ということは右足を斜めにしてアクセルやブレーキペダルを操作するなどというのはできない んですよ。 とくに昨今の高性能車や、昔の性能の低かったマニュアル車の場合だと、特にブレーキは正しい位置 から強力に踏まないと車は止まってくれなかったんです。 そういうわけですから、アクセルの位置からブレーキの位置への移動は、足のカカトを床に着けたまま スライド移動をして、それでそれぞれの定位置でペダルを踏むんですね。★1の方が言っているとおり のことを私もやってます。 ★1の方は(ペダルを踏み間違えて)事故を起こす人は、アクセルペダルとブレーキペダルの真ん中に 右足のカカトを置いたままで、足先を斜めにして両ペダルを踏んでそれぞれの操作をしているんでは ないか?と言ってます。(教習所はそれを勧めているようです) たぶんきっとそうでしょう。しかしこの操作法は極めてルーズな操作法で、まるでペタルを何かのフット スイッチを押すような感覚で操作をしているんですね。これではマトモにブレーキもアクセルも踏めて いません。 1トン以上の高速で移動している物体を操作する方法ではないです。極めて無責任な操作法ですよ。 最近はプリウスとかの重大事故が多いですね。高齢者だからと言って、事故原因をそれで済まして しまうのではなくて、何が問題で何がいけないのかっていうことをよく考えないといけないんです。 こういうのは他人事ではなくて、私もやがては高齢者になるわけでそれで事故を起こす可能性だって あるんですね。 それにしてもアクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違うっていうのは、私にはどうしても理解でき なかったんですよ。理解不能なんだけど歳を取ればそうなるのか?という具合ですかね。(^^ゞ  とにかく納得がいかなかったわけです。 しかし★1の説明で、なるほどそうだったのか!という気持ちになってます。 カカトを中心にして左右につま先を振るだけの操作と、カカトからずらせてから操作するというのは 全然違うんですね。これは自分でやってみるとわかります。私は幸いに今までつま先だけでペダルを 操作をしたことがないです。そんなルーズにやり方をしようとも思いません。 話はちょっと変わりますが、左足ブレーキ操作というのがあります。私も少しやる場合があるんですが 本格的にその操作はしません。なぜならば左足ブレーキというのはカカトを床に着けたままのチョコン ブレーキしかできないからです。(実際に左足ブレーキをやっているよっていう人の動画をみると、 チョコンブレーキで始終やってます) これではもしもの場合のフルブレーキはできないんですよ。 強力なフルブレーキはあくまで左足を床に固定し身体を安定してから思いっきり右足でブレーキを踏む しかできないんですね。それで左足ブレーキというのは正しくない操作法だと私は思ってます。 (アクセルの右足を床に据え直して、それから左足ブレーキだと強力に踏めますが、そういうやり方を 習得している人はいるのかな?) もしもの時、事故直前にドライバーがすることは、ハンドル操作で逃げることではなくて、とにかくおも いっきりブレーキを踏んで速度を殺すことです。その結果相手の車にぶつかっても仕方ないです。 ABSが付いている車はブレーキを踏みながらハンドル操作もできます。でも実際にはプロドライバー でもない限りなかなできないんですよ。なのでひとつの操作をすることになると、とにかくブレーキなん です。それも圧倒的なブレーキです。タイヤはロックしますが制動距離は最短でいけます。 「自動車事故多発の原因は、ブレーキを適切に踏めない人が多いせい!?」 https://diamond.jp/articles/-/203103 それからプリウスの重大事故が多いのですが、これは基本的にはモーター駆動プラスで加速するので 加速力が強力なんですね。ハイブリット・スカイラインで乗った時、その加速力に驚かされました。瞬時 にして時速100キロになるんです。こんなの普通の人には制御出来ないレベルだと思いましたから。 それで結論として、『間違ったペタルの操作法+強力モーターのハイブリット車+高齢』という3重苦の 場合に重大事故が起きるっていうことじゃないですかね。 とにかく基本的に正しいペタル操作ができていないということ。これが一番の問題だろうと思います。 昨年起きたレクサスの暴走も加害者は今だに踏み間違っていないと主張しているようですけど、AT車 しか乗ったことのないドライバーですからね。やっぱり正しいドライビングができるのはマニュアル車 でないと難しいと思います。 「アクセルとブレーキの踏み間違えた!ペダルの踏み間違いを防止する方法」 https://www.youtube.com/watch?v=E6KvjPr47XU これが多分、教習場で教えてくれる操作法だと思います。右足のカカトはブレーキ前に据え置く、という わけですね。しかしそうなるとアクセルペダルは斜めにして踏まなければなりません。長く運転すると 疲れますし、それから微妙なアクセル操作が出来ず、発進時に思わぬ急発進、という感じになるの ではありませんか? そして実際のところは、ブレーキとアクセルの真ん中に右足カカトを置くようになると思います。 それで私も自分のマニュアル車で右足定点の方式でやってみました。そうすると、まず発進がマニュア ル車の場合は難しいです。下手をするとエンスト。それからアクセルペダルをずっと踏んでいると右足 が疲れますね。どうしても足を捻った姿勢になるからです。信号待ちでブレーキを踏んだままの時も 足は逆方向に捻れたままです。 結局、アクセルもブレーキも中途半端のままで運転をし続けることになり、こんな奇妙なことを学校で 教えているのかと思うと、日本の教育機関というのは今も昔も不自然なことばかり生徒に教えている んだなあって思いますね。 踏み間違い事故はセダンタイプの車に多いですね。(プリウスはセダン) このセダンタイプは最近の ミニバンと違って着座位置が低く、ドライバーの足は割りとストレートになります。 右足カカト固定の操作法は、このセダンタイプの車でやり易いようです。ミニバンだと着座位置が高く なり上からペダルを押さえるという感じになりますので右足カカト固定はやり難い気がしますね。それで 踏み間違い事故は圧倒的にセダン車に多いんじゃないですか。 もっとも、高齢者はミニバンでなくセダンタイプを好むっていうのもありますがね。 ペダル踏み間違い暴走事故は、AT車が増えだした頃もありました。 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a109032.htm 昭和六十一年八月二日に東京の環状七号線で発生したいわゆるAT車暴走事故で、当事者である ドライバーの主婦は、三人を死亡させ、五人に重軽傷を負わせたとして東京地裁に起訴され、禁固 二年の実刑判決・・・ 1986年の事故ですが主婦は高齢者ではありませんでした。たしか車はセドリックだったかな。 私の場合は、この正しいペタル操作と正しい姿勢だけでなく、停車時には必ずニュートラルにする方法 やってます。これはマニュアル車だけでなくAT車でもです。つまり私の車の操作法は、徹底的に車を 止める、ということを主眼に置いているのです。 かの徳大寺有恒氏はかつて、車は、「走る・曲がる・止まる」っていう名言を残し、日本の自動車業界 を牽引したのですが、今では走る・走る・止まらないよっていう車ばかりになってしまいました。 走らせることばかり考えていて、車を止める、止めておく、ということが御座なりになっているんです。 ユーザーも低燃費のことばかり考えていて、また安易に安全は機械任せっていうこともあります。 もっともっと真剣にユーザー目線で、自動車の安全のことを考えてもよいのではないでしょうかね。

東北行

東北行

日本は現実的にアメリカの属国的存在・・・というのはよくある巷の認識かもしれませんが、それは 属国の意味を少し取り違いをされているように思います。例えば歴代の朝鮮半島の諸国は中国 王朝の属国という立場でした。軍事的に守ってくれる代わりに富や物産のみならず奴隷という立場 の貢物も差し出さなければならなかったのです。歴代ずっとそうしていたために半島は貧しいままで 経済も文化も長く停滞しつづけ、やっと半島が発展をしだしたのは日本が併合をして教育をはじめ あらゆる投資をしてからですね。 それでは、こういうのはどうでしょうかね、現在の世界は徳川の江戸時代という風に考えれば分かり よいかと思います。 近世から第2時世界大戦までの世界は、言わば戦国時代でした。それが最終的に徳川による 全国統一といいますか、米国が世界大戦に結果的に勝利をして、やっと世界が統一されたという ことになりませんかね。 徳川氏は中国のように直接的な中央集権体制を敷いたのではありません。諸国の大名による 自治を通して間接的に支配しただけです。大名には普代親藩外様という区分けがありました。 島津や伊達なんかは外様なので、大藩でしたが幕政には参加できずしかも普請や冥加金などで 搾り取られたところがあります。そのかわり幕府は外様の大々名の内政干渉はしませんでした。 出来なかったというのが正しく、改易とか取り潰しとかいうのは外様の大藩ではなかったですね。 こういう歴史のモデルからすると、現在のアメリカ一極の世界というのは、アメリカという徳川幕府が あって、外様の大名としてロシアとか中国というものがあるのだなっていうことが直ぐに思い浮かび ます。 私はこの日本も外様大名のひとつであると考えています。やはり1億の人口がありGDP世界3位 というのは大藩です。場合によっては幕府の仮想敵国になる存在ですね。 英国とかカナダとかメキシコというのは普代親藩とかになるんでしょうね。しかし日本は身内という よりもライバルであり、米国も日本に対して対等な関係を結ばなければ制御出来ない、大国と大国 との関係になりますね。 その太平洋を挟んだ大国どうしが現在は日米軍事同盟という世界最強の同盟関係にあるんです。 戦後、ソ連の圧力があったヨーロッパにおいてはNATOという集団軍事体制を敷かなければなりま せんでしたが、東アジアにおいては米国は日本というたった一国とだけ(実際は韓国やフィリッピン や台湾など個別に同盟を結んでいますが)、強力な軍事同盟を結んだだけで、東アジアの平和は 保たれて、しかもソ連の崩壊にまで大きく寄与したわけです。 まあ現在では日本は米国幕府体制の御三家のひとつとなっているのかもしれません。 こんな強力な国である日本が米国の属国であるというのは、ありえないことですよね。 もし日本が米国を捨てて、中国とかロシアとかと組んだとするでしょう。そうなると世界はどうなるのか。 再び戦乱の世の中になるのは目に見えています。それでは世界は滅びてしまいますが。 日本とアメリカは、対等な国と国との同盟関係でもって世界平和に寄与しているというのが真実の 見方です。これを見誤ってはいけませんね。 属国という言葉は、奴隷というレベルの言葉なんです。中国においては人民は皇帝が生殺与奪を 握っているということで奴隷の立場でしたし、朝鮮もそれによく似たレベルの属国だったのです。 もし中国がアメリカを打ち負かせて世界の覇権を握れば、文字通り日本も世界も中国の属国になりま すね。 こういうことを言うのはいけないのかも知れませんが、世界の国民の民度には資質というものがあり ます。それが高度なのは世界ではほぼ3地域しかなくて、西ヨーロッパと北米と日本だけなです。 これははからずも、飲料できる良質の水と同じ配置になってます。世界で生水がそのまま飲める地域 は少ないんですよ。森林が豊かで砂漠化していない場所です。 かつては中東もすばらしい歴史を持っていたのですが、環境が悪化して現在では歴史のリーダーシッ プを発揮できていません。 これからの2千年の未来の歴史を考えた時も、豊かな自然を保っているところでしか発展しないという のは直ぐにわかります。 米国は少し見誤っていたところがあって、日本と中国の違いというものが理解できなかったところが あるんです。米国が中国に投資をして経済が豊かになれば、日本と同じように民主主義国家になる だろうという甘い見通しがありました。それは戦前からの見通しだったのです。 しかし日本というのは聖徳太子の時代から民意というものを大切にして政をしてきた国です。別段に 西欧や米国の力で民主主義の国になったわけではありません。 それで米国は同盟国である日本をすら犠牲にして、中国に投資をし技術を教えて経済を発展させて きたのですが、結果は無残でしたね。裏切られたという思いなのでしょう。日本は中国の本質という ものを明治以降からよく知っていますから、最初から結果は見えていたわけですが。 しかし日本もそういう過ちを日韓併合でやりましたよね。膨大な投資をして日本の国富を傾けてまで 半島に思い入れたのですが、結果は反日を招いただけでした。つまりは中華圏というのはそういう 地域であるというだけなんですけど、人間というものは失敗をして身に堪えないと分からないものなん ですね。 米国政府はファーウェイを徹底的に潰すっていう感じですけど、これはまあ前哨戦ですね。中国には 世界先端の技術というものを持たせない、軍事に回る金は作らせないという方向でやってます。 今はまだ貿易戦争の段階ですけど、いずれは中国海軍を徹底的に潰すはずです。つまり中国共産党 を消滅させるという覚悟でやるんでしょう。 歴史的にみれば徳川時代に於いて、日本は豊かになったというか、国力を溜め込みました。明治に なって日本が世界に飛躍できたのは、それの資産があったからなんですね。江戸時代といえば鎖国 をして技術も経済も停滞していたという見方をする人が多いのですが、それは左翼の見方に眼を曇らされているだけです。江戸期に日本の社会インフラといものは全て出来上がり、明治になって政府が 投資をしたのは鉱工業や鉄道、軍事や教育くらいのものです。 考えても見ればわかると思うのですが、たった数十年で貧しかった中国が今や数億人の中国人が 日本人よりも豊かな生活をしているんですね。それが出来たのは、現在の時代が米国幕府体制という ものによって平和な時代が続いているからなんです。けっして中国人が頑張って自助努力でやった わけではありません。日本が徳川時代の資産でもって、世界戦国時代のなか、自ら努力をして一流 国家になったのとは根本的に違うのです。 中国共産党を作ったのはソ連や米国であり、中国をGDP世界2位に押し上げたのは米国なんです。 米国と日本のような西側同盟国のおかげで、言わばタダ乗りで大きくなっただけですね。 ちなみに中国国民党を作ったのは日本でしょう。とにかく今の中国の国というのは、中国人自身が造 りあげた国ではないのです。明治政府は日本人が創り上げましたが、中国人は全てにタダ乗りばかり していますね。 これから強硬な対中国戦略というものが米国の主流の政策になるわけですから、米国は日本という ものを見なおして大切にしなければならないわけです。ですから米国が日本に対して無理難題を押し 付けてくることはないでしょう。 さて、問題は中国自身ですね。これまで米国の技術のプレゼントやモノマネや盗みでやってこれた わけですが、これから自前の技術発展ができるのかどうか。じっくりと見ていきたいと思います。もし やれたのならばちょっと中国人を見なおしても良いんですがね。 「始皇帝 中華統一の思想」キングダムで解く中国大陸の謎 集英社新書 という本に何度も問われて いるのですが、あの巨大な人口と巨大国土というものが歴代ずっと統一されていたのは世界史の 不思議であるということなんです。 世界中見渡してみても巨大帝国というのは確かにありましたがそれは一時的なもので、中国のように 何度もなんども巨大帝国が生まれ続けた地域はないんですね。 一般的な見方ではそれは地勢的に見てその要素があるということなんですが、この本の著者はそれを もう一歩踏み込んで人文的にソフトウェア的に解説しているのです。けっこう面白い本でした。 中国というのは地理的に平坦な地域ですから、容易に北方からの侵略を受け続けてきました。北の 遊牧民族ですね。騎馬民族ですので軍事力は強大です。それに対抗するためには中国を統一して 力を着けるしか生き延びる方法がなかったということです。 その為には強い強制力で人民を縛り付けるしか手法がありません。そのような為政は秦の成立以来、 ずっと続いていて現在の共産党体制でも何ら変わりはありません。この2千年間以上、同じような仕組み で国家を運営しているんですね。 我々は日本という、先進的ではありますが国家観としては世界の歴史的にみてごく普通の国に住んで います。大きすぎず小さすぎず、そして歴史の積み重ねがあり、人々の人権は保たれ平和で民主の 国です。 そういう国にいては決して解らないのが中国という国です。 ところでゾンビ映画というものがありますね。ジョージロメロ監督がジャンルとして確立したようですが、 https://screenonline.jp/_ct/17112057 このゾンビ映画の流行と中国の発展とは一致しています。ゾンビ映画がメジャーになったのは2000年 代にいってからでしょう。 ゾンビというものはけっして普通の人間には解らないものなんですね。そういうものとして描かれてい ます。それは普通の庶民の感覚としてはゾンビが理解できないように、中国の人々も我々には解らな いという本質性があるということなんです。中国というまったく理解できないものが興隆してきている。 それで庶民感覚としてはそれはゾンビである、ということなんです。 中国以外のどこの国も人々も中国というものを理解できません。あえて言えばアフリカ大陸の人々が 割りと感覚的に理解できるかもしれませんが。 中国大陸という巨大な大陸。大陸内では移動を妨げる自然障害がありません。海もないし大山脈も ないし気候は温順で人々は容易に移動でき、ついでに盗賊も軍隊も大陸内を走り抜けることができます。 弱き者や少数派の隠れるところがないのが中国大陸なのです。 https://www.youtube.com/watch?v=bJv7tOGkN0k 中国の人々というのは、タガが外れるという気がします。日本にもそういう人達がいるようで、例えば 過労死ですかね。死ぬほど働くっていうのはタガが外れるとしかいえません。会社とは契約で働いて いるに過ぎないわけですが、死ぬほど働かせられるのならば辞めればいいんです。やめて他の仕事を 探せばいいじゃないでいかと。なにも死ぬほどのことはないわけですから。 タガが外れているということでは、それはゾンビなんですね。 中国人は帝国の共産党の圧政に辛抱強く耐えるというか、普通の国では考えられないようなタガの 外れた被虐待耐性、ゾンビ性があるんですね。それは信じられない程の能力です。しかしそうしないと 歴代の国家権力の苛斂誅求の中国では生きられなかったということなんです。 私は中国はタガが外れた幼児性の人々の国だろうと考えています。たしかにモノを学ぶ学習能力は 凄いのですが、それ以上ではなく、真の創造力というものはありません。新しい科学技術でもって歴史 を変えていく能力というのはないようですね。人口と国土は大きいのですけど世界の歴史には、もしか すれば何の貢献もしていないのかもしれません。 米国は日本のような同盟国とでもって、世界の大洋、大西洋、太平洋、インド洋を握っています。これが あるから米国は世界幕府体制を敷くことができるのであって、それはかつてのローマ帝国そのものかも しれません。 しかしローマ帝国も長くは続きませんでした。中国のような2000年にも長きにわたって巨大帝国を維持 し続けたのとは違います。 現在のローマ帝国である米国幕府はその役割が終えるとともに消滅をするでしょう。しかし中国には 絶対の世界の覇権を握らせないという役割があるうちは健在であろうかと思います。 巨大帝国というのは、歴史の発展を阻害するとも言えるんです。ローマがあるうちは西ヨーロッパの 歴史の発展はスタートできなかったんですね。中国は2000年間、何も生み出さなかったわけですし。 人間というのは安全が保たれ生活が豊かでも、自由であり、人権を尊重する世界でなければ創造力を 発揮できません。ですからいくら中国の沿岸の人々が経済的に豊かになろうとも、中国発の科学や技術 というものは今だに出来ないのです。これは中国にとっては致命的です。 中国が巨大帝国で持って強権的に維持され続ける間は、中国人は中国では何も生み出せないだろうと いうことなんです。ましてや中国が世界的に覇権を握り、その走狗たる中国人が世界に散らばるようでは それこそ人類の未来はないに等しいということかもしれません。 中華帝国は人類の負の遺産。とでも言っていいかと思っています。 2千年前、ローマ帝国が栄えた時、中国では独自の漢帝国が栄えました。しかし現在では地球は狭く なりましたから、中国が独自に帝国を築くことはできません。現代のローマである米国幕府とぶつかる のは目に見えていますね。中国がこれから発展し続けていくには、2千年来の中華思想を根本から 解き放たれて生き方を大きく変える必用があります。台湾や香港、モンゴルがその良い見本になるの ではないでしょうか。

東北行

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北上川河口から牡鹿半島に向けて海岸線を走っている時、こんな具合で、よく見れば津波の傷跡は 多々見つかります。これらもやがては嵩上げ工事で見えなくなるんでしょう。 そんな小さな傷跡を探している時、ふと涙がこみ上げてくるんですね。それらの津波の痕跡は同時に ここで多くの人達が波に飲まれてしまったことを意味しているからです。 福島第2から北上して石巻市の北上川近辺にある道の駅で宿泊しようと思ったのですが、駐車場が 一杯で車を留めるスペースすらない有様。どうせならと翌朝予定している北上川河口の大川小学校 までの道のりを、夜間ハイスピードで車を走らせました。北岸を最初に走り、橋をわたって小学校跡地 へ。 真っ暗闇の中、ヘッドライトに校舎らしきものが映しだされました。ああ、ここなんだろうと。 そこら辺りは全てといってよいほど何らかの津波の被害を受けているはずです。 何なら、ここらで宿泊しようか?・・・とは私、ぜんぜん思いませんでした。 再びゆるゆると低速で車を走らせて、今度は川の南岸をとおって元来たところに戻りました。 『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』訳者あとがき https://honz.jp/articles/-/44600 https://honz.jp/articles/-/44650 http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/mobile?date=20180501&section=p1 多くの人々がなくなった場所というものは特別なものです。私はある程度は心霊現象というものを 知っている、つまり科学的に理解しているつもりですが、それだからこそ危うきには近寄りたくない ものです。 翌朝、眩しいまでの朝日のもと、まず最初に見つけた目新しい慰霊碑に手を合わせました。 私をここまで引き寄せたであろう、9歳の女の子の名前をみつけました。 そしてやっと大川小学校の震災遺構を訪れたのです。 同じ震災でも、津波と原発とではまったく違うものなのです。もっともその2つを同時に受けた地区も あるわけでして、もの事は複雑です。 津波は多くの人々を、2万人近い方々の命を一瞬にして奪い取っていったわけですが、原発はそういう ものではありませんでした。人々から土地や財産や仕事や人間関係を奪ってしまったのですね。 そして健康や寿命というものも奪っていきつつあります。原発被害は緩慢なる死とでも言っていいかも しれません。原発被災地とは、人よりもまず大地が癒やされるべきということなんでしょうか。

南相馬市

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原発事故直後、フクイチの1~4号機の占星術をやったことがあるんです。それで最悪だったのが 2号機なんですね。しかし見かけ上は2号機が一番まともで不思議だなって思っていたのですが、 後になってこの2号機こそがベントに失敗をして放射性物質の大部分を撒き散らせたことが分かった のです。この2号機のベントに失敗をしたのが大きな痛手でした。 それからフクイチと並んでフクシマ第2も危機的状況にあったんですが、そこの所長というのが凄い 人でして、フク2を守る為には鬼にもエゴイストにもなるっていう人でした。しかしこの人のおかげで フク2は大事に至らないですんだのです。 https://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/fukushima-nuclear_b_5421167.html https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180112/soc1801120001-n1.html 私はフクイチの吉田所長(故人)はまあり評価していません。菅総理を出迎えたりして無駄に時間を 潰していますね。皆によい顔をするっていうのは本当の仕事人間ではありませんし、それからこういう 危機的状況では時間との勝負が第一なんでして、それは戦争と同じです。やったはいいけど間に 合わなかったというのでは話にならないんです。吉田所長はやや官僚主義的な人だったんじゃない ですかね。管理職には向いた人だったのかも知れませんが、本当に仕事を実行するタイプの人で はなかっのかも知れません。それはかつての連合艦隊の艦長と同じようなところがあるみたいです。 戦争ですから、部下にお前は死んでこいって言えるくらいの人間でないとボスは務まらないんじゃ ないでしょうか。 柏崎原発で宣伝ビデオを見たんですが最後のところで、若いエンジニア(フクシマにも行っていた)が これで対策は絶対安心っていうことはなくて、自分はこれからもどんなことでもするっていう覚悟を 語っている若い現場の人が写ってました。 危機対策に於いてこれで絶対に大丈夫、というのは絶対にないんですね。そう、絶対という言葉は 絶対にないんです。事故はこれからも必ず出てきます。しかし打者に球を打たれても得点に結び つけなければ大丈夫なんですね。車の運転をしていて事故を起こさないことなんて絶対にないでしょ う。しかし大きな決定的な事故には至らせないぞっていう自信が一番に何よりも大事なんです。 しかしフクシマ以前は、原発安全神話とでも言いますか、そういうものに浸っていたからあんな事故が おきたんですね。戦艦ヤマトの不沈神話と同じレベルの話です。もう今では地震や津波対策を万全に やっていない発電所なんてありませんから。それこそ現場の人間の一人々々まで骨身に滲みている ことです。 柏崎で、ゲート入口はたったひとつって説明員の人が自慢気に力説していましたね。しかし本当は 人には知られない秘密の裏口があるんです。(^^ゞ というくらいの深知恵がないとダメなんですよね。 原発でテロ対策とか言ってますけど、本当に可能性があるのはホンマモノの戦争で弾道弾やミサイル が飛んでくることなんです。そういう時のシュミレーションや訓練をやっているのかどうか。沖合に海上 保安庁の船舶が待機してますだなんてのではお話になりませんから。 原発保安特別法を作って、やられたら倍返しで相手国にやり返すっていうくらいの覚悟がいるんです。 またそういうシュミレーションもしていないといけないんですね。 私が一番心配しているのは地震や津波なんかじゃなくて、(優秀な日本人が同じ過ちを2度するわけが ない)、なんと言っても戦時の原発の脆弱性の問題なんですよ。 これを想定外だと言ってはいけません。 東京のど真ん中にミサイルが落ちてきたって、核兵器を搭載していなければ大した被害ではありませ ん。しかし原発だと違ってくるんです。原子炉(燃料プールも)に直撃されたらアウトですけど、設備を 壊されても被害を食い止めるっていう必死の能力が求められるんですから。 もう原発は再稼働しようがしまいが、国防上の問題になってしまっているんですよ。

南相馬市

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令和の時代は戦争の時代となる可能性が高いです。アメリカ人というのは一旦こうと決めたことは 撤回しない国民性を持っています。アメリカを甘く見てこれに気づかなかった戦前の日本は大きく 失敗をしましたから。 それと同じ過ちの路線をひた走っているのが今の中国ですね。 これからの時代は確かに地域的に中国の味方ですが、それは必ずしも中国共産党の味方であること を意味しません。ロシアと同じように一旦共産党を解体してやり直すという方法もあるわけですが、 それには中国の分裂を誘います。 大陸はむしろ分裂国家となるほうが地域的に発展するのではないかと考えますが、帝国を目指して いる中国共産党は大きな抵抗を試みるでしょう。 地政学上、米国は同盟国として英国(豪州)と日本を陣営に入れている限り、中国に勝つことができ ます。それは大西洋と太平洋を手にすることができているからです。この2つの大洋を失えば米国は 孤立して優位を失います。それだけでなく米国内の技術的経済的優位も精彩を失うはずです。 中国は太平洋の半分を米国からもぎ取りたいと念願しているのですが、それは米国の死活領域で ある為に実現はできないでしょう。大洋はそもそも区切りがないので全部取るか全部失うか、その どちらかなのです。 南シナ海は中国の沿岸にしては大きすぎ、太平洋の一部として考えるのが順当です。日本が先の 大戦で数年間も粘れたのは南シナ海や東太平洋を領有していたからなんですね。南シナ海は日清 戦争後に、南太平洋は第一次大戦後にドイツから受けとったということで事実上日本の領土だった のです。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/EmpireOfJapan0.png この戦前の日本の持っていた大洋の存在を知らない人は多いですね。中国は何でも日本を真似て いますから、戦前に日本が持っていた海洋を自分たちのものだと考えるのですね。 中国共産党は日本と戦い(そういう史実はない)勝ったという自負があるので、日本が持っていたもの は全て中国のものだという考え方をしているんです。 日本はアメリカの属国であるという安易な考え方をする人が多いのですが、日本も英国もアメリカの 属国ではありません。英国は7つの海を支配した歴史があり、日本はこのように東アジアに大帝国を 築き、且つ対等に戦ったという歴史があります。 日本が米国の属国であるならば、その領主たる米国を中国に変えて何が悪い?というような安易な 間違った考え方をしてしまうのです。これはあまりにも無知すぎます。 それから西太平洋&インド洋という言い方があるように、すでにインド洋も西太平洋と一体化して考え られています。この領域は米国1国だけでは維持は不可能で、日本の存在が絶対不可欠です。 そしてこの領域は中国の野心ともバッティングするわけです。 野党の方は日本が米国の世界戦略に組み込まれるのを恐れますが、それは狭い1国平和主義の考え 方であり既に現実にはそぐいません。海というもの、海洋というものを知らなさすぎるわけでして、 本当の世界の平和は海の存在無くして語れません。大洋を平和裏に制覇し諸外国との同盟関係の 維持でもって世界平和を実現していくしか日本の立ち位置はないのです。 中国はウィグルやチベットの若い女性を、漢民族の男性と強制結婚させているようです。中国は 1人っ子政策のツケで男性余りの現実があり、それで被抑圧下にある民族の若い女性を事実上拉致 しています。そしてウィグルやチベットの若い男性は強制的に改宗されマインドコントロールを受けて います。従わなければ殺されるだけ。 中国の進出が著しいアフリカでもよく似たことが起こっているようです。

北上川

北上川

韓国問題・・・私は韓国は日本国内問題に等しいって以前から考えてます。北朝鮮は別として、 韓半島の南側は米軍陣地の日本支店なんであって、韓国がダメな時は、同時に本社の日本も同時に ダメになっているというのが真実だろうと思っています。 恥韓論シリーズは私も数冊読みましたが、面白いのは最初の部分だけで、だんだんと瑣末論になって いって最後まで読み通すのは難しいですね。(^^ゞ しかし親日家にとって四面楚歌の韓国内であれだ け書けたというのは凄いと思ってます。 韓国問題も北朝鮮問題も、大元は中国共産党が元凶です。(ソ連・ロシアも多少ありますが) その中国共産党を潰してやろうと180度舵を切ったのが現在の米国政府であり、もう連邦議会もそう なってます。これは21世紀の米中の大戦争の幕開きというわけです。 中国政府と中国公営企業だけが敵的ではなくて、その中国の国体(核心)である共産党体制の打破 こそがアメリカの目指す本意なのですから。 私の今回の東北最後の訪問地は、岩手県の胆沢でした。今の水沢市(奥州市)ですね。かつてこの 地で平安時代の桓武天皇の時代、中央政府である大和朝廷に対して大々的に反乱が起きたんです。 これはNHKテレビドラマの「アテルイ伝」が分かりやすいと思ってます。 東北の中で一番強力な軍事力を持っていたのが陸奥の国の、今の岩手県なんです。馬と鉄と狩猟 採取の民の軍事力というのが背後にあったわけで、多分、今でも岩手県人が一番強烈な県民性を 持っているんじゃないですかね。 最後には坂上田村麻呂に負けちゃったわけですけど、その戦ったという歴史はその後も歴史に大きな 影を投げかけています。(藤原秀衡の平泉など)  それでね、当時の朝廷というのは今の中国の政体をそのまま移行したような専制主義的な独裁政権 であったわけです。当時の東北人は蝦夷(えみし)と蔑まれ、徹底的に収奪の対象になっていました。 この平安時代の中央集権時代が、時代が下り武士台頭の時代となると、今度は地方独立の時代と なっていくんですね。(この地方独立時代を得て、日本は国力を着けて豊かになりました) しかし奈良・平安の時代の、当時の大和朝廷に言わせれば、中央集権でもって強固に日本の国力を 高めておかないと、中国大陸、当時の唐に立ち向かえなかったし今後も日本が独立性を保てないと いうのはやはり正しいんです。当時というか今もそうですが大陸の外圧というのは強力なんですね。 (飛鳥奈良時代というのは日本は中国の日本支店そのもののような時代でした) その大陸の外圧というのは、その後も元寇という形でやってきました。そして現在の国際情勢という のも全く同じでしょうね。日本列島というのは常に、大陸の外圧というものに脅かされ続けているんで すよね。 もし今後、アメリカという同盟国がなければ日本はどうなっていくのか。これは間違いなく中国共産党 の支配下におかれていくと思いますよ。共産党の息のかかった誰かが総理になっているかも知れま せんし。中国語が第二国語になっているんでしょうし、そこらじゅうに中国人がいて日本人を見下して いる有様になるんじゃないですかね。民主主義も自由も人権なんてのは無きに等しくなるでしょう。 もちろん日本人でも中国・朝鮮が大好きという人間がいます。戦うよりかは屈従して生きていくのが よいという人間は必ずいるんです。しかし日本の歴史をみればアテルイのような東北の抵抗があった わけですし、また鎌倉武士は大陸の日本進行を阻止しましたしね。 地政学的な大きな歴史の胎動を見ると、それは時代を2千年で括るのですが、その前半は専制主義 の大陸の勢力が強く出るんです。(後半は日本のような島国や海洋の国家群が強くなる) それで大陸勢力が強くなる時代は20世紀の終わりに既に始まっていて、それで今世界は中国におび やかされつつあるというわけです。地理的に日本は近いですからほんとに大変です。米国だって 国運を掛けて中国と対峙していこうという腹づもりでしょうけど、結果はどうなるかは分かりません。 日和って日本を見捨てるかもしれませんし。 とにかく時代の流れは中国に味方していると言うべきでしょう。今後200年400年は中国の時代といって よいかもしれません。そういう時代のなかで日本は自主独立の路線を歩んでいけるのかどうか。 ご先祖様に誇れるような生き方をできるのかどうか。そういうことが問われていると思っています。

東北行

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今回の旅では、福島第一と第二の原発の遠望が出来ましたし、女川原発も近くまで。また柏崎狩羽 原発は構内見学もできました。それで、なによりも自分の脚で原発被災地区を見て回りました。 そういう原発の旅でもあったのですが、私の考えを少し言わせてもらえれば新規立地は無理としても 現状ある施設については再稼働、再利用をすべきではないのか、という感想を持っています。 それにしても東電は今の大和朝廷であり、福島の蝦夷人たちが一方的に被害を受けているという 事態は、かつての時代を彷彿とさせるわけですが、福島の人達はよく耐えているわけです。それから 正確に言えば被爆したのは福島だけでなく、東北のかなりの部分や関東もそうなんですよね。そういう のも皆さん、もう忘れておりますが。 被爆というのは恐ろしいのです。実は私も被爆していたなって確信しています。一時的に胆機能の 低下が見られましたから。これは初めての経験ですが原因がセシウムの被爆によるものとしか言い ようがないですからね。そしてまる1日24時間寝込みましたし。 もっとも私の場合はほんの一時的であり今は安全な四国で居られるんですからありがたいわけです。 この今も被爆を続けている福島の人達に対しては投げかける言葉がみつかりません。 話戻すと、原子力や核というものを無くしていけば、日本は大陸に対して立ちゆかなくなるというのが 本音のところにあるんですね。経済的にも軍事的にもそうなんですよ。 もしものときには大陸全土を核攻撃、核汚染できるだけの潜在的な力というものを所持していなけれ ば日本は大陸からの独立を保てないと思うからです。大陸をイノシシとニワトリしか住めないように できるという能力を持っているというのは国防上きわめて大事なことなんです。 そして経済的には、原発は稼働しなくても膨大な維持費がかかっているのですし、ならば動かして 電気を稼ぐのが得策だろうというのは誰にでも分かることですから。(歴史的にはそもそもは原発の 材料のプルトニウムを得るために原発を作ったんですね) 帰宅困難地区でイノシシをみかけました。見慣れたヤツですが彼らにとっては自分たちの天下みたい なもんですかね。イノシシにとっても被爆は手痛いのですけど人間がいないというのはもっと素晴ら しいことなんですから。 それにしても、あの膨大な国土の中国大陸がイノシシしか住めなくなるというのは、さすがの毛沢東 も想像ができなかったろうと思います。(笑)  車は入念に洗車し室内も掃除機でホコリを吸い取り雑巾がけもしました。靴も丸洗い。 最初に帰宅困難地区を走った時、なんか空気がチリチリというような感じがしました。喩えて言うと 高ボルトの高圧電線下にいるような空気感とでも言いますかね。営業していたコンビニに入った時、 ちょっと目眩がしました。(ここ何十年も目眩などしたことがないのに) しかし本当に被爆というものを知ったのは、帰宅後数日が経ってからです。まる1日、食いも飲みも せずにこんこんと寝続けました。その後1日は下痢が続きました。 まあ、それだけです。(笑)  写真は車窓からの福島第一。