どうしたらもっとうまく撮れるの?を目的とした掲示板です。 すばらしい作品はご遠慮下さい。http://www.nature-photo.jp/
1 youzaki @ 倉敷t 2018/6/21 10:15 庭に植えていました。どんな花かと判りませんでしたが、別の場所に満開の花がありました。名前は{リアトリス}で和名が「キリンギク}見て気になる花でした。
庭に植えていました。どんな花かと判りませんでしたが、別の場所に満開の花がありました。名前は{リアトリス}で和名が「キリンギク}見て気になる花でした。
1 kusanagi 2018/6/18 23:34 ..
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1 kusanagi 2018/6/18 23:33 ..
2 youzaki@玉島` 2018/6/21 16:03 今日は水辺の風景も良いですね・・・瀬戸内にはため池が多いです、でも景色として眺める事は稀です。私もため池めぐりは沢山しましたが景色でなく探鳥が目的でした。次からは風景も見てみたいとこの写真をいろいろ拝見して思いました。今年の冬は鳥ばかりでなく風景も鑑賞したいですー
今日は水辺の風景も良いですね・・・瀬戸内にはため池が多いです、でも景色として眺める事は稀です。私もため池めぐりは沢山しましたが景色でなく探鳥が目的でした。次からは風景も見てみたいとこの写真をいろいろ拝見して思いました。今年の冬は鳥ばかりでなく風景も鑑賞したいですー
3 kusanagi 2018/6/22 22:53 瀬戸内は岡山も兵庫も広島も溜池ばかりですよね。しかし地元の人間はそれが当たり前となっていて、写真の被写体として考えないところがあります。私の場合は研究課題が水問題なので(皇太子殿下と同じです)、主に記録として水辺の写真を撮っているんですが、先人の苦労を思えば撮影も蔑ろにはできません。それから、撮影は歩きである、とすれば溜池周遊はなかなかオツなんですね。山の池を除けば高低差はほとんどなく歩きにさほど負担はかかりません。こちらでも野鳥観察で賑わう溜池がいくつかあります。釣り人は池に釣り糸を垂れるでしょうし、愛犬家は文字通りの慣れた散歩道となります。まず地元の郷土を愛したい、となりますと水辺の光景として、溜池の風景撮影はかかせませんよね。溜池写真、youzakiさん、是非にお薦めです。この写真は高松市、神内池の上の神内上池です。少し山の中にあって車でも行けますが、敢えて下の神内池から歩いて行きました。池の真ん中に岩場があり満水からは1メートル下がっています。田植えの為、盛んに排水していました。
瀬戸内は岡山も兵庫も広島も溜池ばかりですよね。しかし地元の人間はそれが当たり前となっていて、写真の被写体として考えないところがあります。私の場合は研究課題が水問題なので(皇太子殿下と同じです)、主に記録として水辺の写真を撮っているんですが、先人の苦労を思えば撮影も蔑ろにはできません。それから、撮影は歩きである、とすれば溜池周遊はなかなかオツなんですね。山の池を除けば高低差はほとんどなく歩きにさほど負担はかかりません。こちらでも野鳥観察で賑わう溜池がいくつかあります。釣り人は池に釣り糸を垂れるでしょうし、愛犬家は文字通りの慣れた散歩道となります。まず地元の郷土を愛したい、となりますと水辺の光景として、溜池の風景撮影はかかせませんよね。溜池写真、youzakiさん、是非にお薦めです。この写真は高松市、神内池の上の神内上池です。少し山の中にあって車でも行けますが、敢えて下の神内池から歩いて行きました。池の真ん中に岩場があり満水からは1メートル下がっています。田植えの為、盛んに排水していました。
1 kusanagi 2018/6/18 23:32 ..
1 kusanagi 2018/6/18 23:31 ..
1 kusanagi 2018/6/18 23:30 ..
1 kusanagi 2018/6/18 23:29 撮影はあくまでも記録写真。1箇所で粘って撮影するということはありません。しかし良い撮影スポットを見つければ、いつか次回には三脚を持って本格的に撮影してもよいかなっていうところはあります。曇りの日がいい、多少小雨でも、とにかく日が照っていないのが良いです。日に焼けないし体力を消耗しないからです。写真としてはマイナスでも、歩きが優先ですからね。晴れていれば、長袖シャツに麦わら帽子。お百姓さんスタイルです。
撮影はあくまでも記録写真。1箇所で粘って撮影するということはありません。しかし良い撮影スポットを見つければ、いつか次回には三脚を持って本格的に撮影してもよいかなっていうところはあります。曇りの日がいい、多少小雨でも、とにかく日が照っていないのが良いです。日に焼けないし体力を消耗しないからです。写真としてはマイナスでも、歩きが優先ですからね。晴れていれば、長袖シャツに麦わら帽子。お百姓さんスタイルです。
1 kusanagi 2018/6/18 23:27 撮影としては、溜池はぐるっと一周して元の出発点に戻れるっていうのは大きな利点です。(^^ゞ大体は堤防に車を止めておいて、そこから出発します。不思議に時計回りに廻るのが多いですね。もちろんそうでない場合もありますが。あくまで運動としての歩きがメインなので機材は最低限の装備。デジイチ1台に交換レンズ+1本くらい。一応、デジイチに拘っています。コンデジだと軽すぎて運動として不足感がありますから。カメラを持つ手の電磁波被爆防止としてスチールプレートをつけていますので数百グラム重くなります。これを撮影中はずっと手に持ったままの撮影です。肩にかけると多分、歩けなくなると思っています。肩にかけて歩くと身体が歪んでしまうからですね。手に持って、右手左手と持ち替えて歩くと楽なんです。
撮影としては、溜池はぐるっと一周して元の出発点に戻れるっていうのは大きな利点です。(^^ゞ大体は堤防に車を止めておいて、そこから出発します。不思議に時計回りに廻るのが多いですね。もちろんそうでない場合もありますが。あくまで運動としての歩きがメインなので機材は最低限の装備。デジイチ1台に交換レンズ+1本くらい。一応、デジイチに拘っています。コンデジだと軽すぎて運動として不足感がありますから。カメラを持つ手の電磁波被爆防止としてスチールプレートをつけていますので数百グラム重くなります。これを撮影中はずっと手に持ったままの撮影です。肩にかけると多分、歩けなくなると思っています。肩にかけて歩くと身体が歪んでしまうからですね。手に持って、右手左手と持ち替えて歩くと楽なんです。
2 zzr 2018/6/21 12:47 こちらも大きな溜池。側溝沿いの通路は人がすれ違うのにも気を使いそうな幅ですね。
こちらも大きな溜池。側溝沿いの通路は人がすれ違うのにも気を使いそうな幅ですね。
3 kusanagi 2018/6/22 22:48 高松市、奈良須池で、わりと大きな池です。一周は3~4キロ。周囲は開発が過度に進んでいて、新興団地がありました。子供たちにとっては、危険な池でもありますけど楽しい池でもあるんじゃないですかね。私も子どもの頃は中程度の池の近くで育ちましたので、夏休みは池で泳いだりで遊んでばかりいました。その癖がいまだに抜けずで今もカメラをもって遊びほうけています。(^^ゞ都市部に近い池は残念ながらコンクリートで周囲が固められているところが多いですね。仕方ないところがありますけど、返って子供らには危険という気がします。コンクリート溝におちれば子どもは自力で這い上がれません。側溝沿いの通路は本来、整備用のもので一般には立ち寄ってはいけないのですが、そうもは言ってられませんので皆好き勝手にしているようです。
高松市、奈良須池で、わりと大きな池です。一周は3~4キロ。周囲は開発が過度に進んでいて、新興団地がありました。子供たちにとっては、危険な池でもありますけど楽しい池でもあるんじゃないですかね。私も子どもの頃は中程度の池の近くで育ちましたので、夏休みは池で泳いだりで遊んでばかりいました。その癖がいまだに抜けずで今もカメラをもって遊びほうけています。(^^ゞ都市部に近い池は残念ながらコンクリートで周囲が固められているところが多いですね。仕方ないところがありますけど、返って子供らには危険という気がします。コンクリート溝におちれば子どもは自力で這い上がれません。側溝沿いの通路は本来、整備用のもので一般には立ち寄ってはいけないのですが、そうもは言ってられませんので皆好き勝手にしているようです。
1 kusanagi 2018/6/18 23:26 まあ、写真を撮る人は古くないと値打ちがないって考えるかも知れませんが、古いままでいけるのは完結された建築物くらいのものです。しかしそういう神社仏閣にしても定期的に補修を受けていて、作り変えられているというのが本当です。
まあ、写真を撮る人は古くないと値打ちがないって考えるかも知れませんが、古いままでいけるのは完結された建築物くらいのものです。しかしそういう神社仏閣にしても定期的に補修を受けていて、作り変えられているというのが本当です。
1 kusanagi 2018/6/18 23:24 なんやかやで大変なことをして山林や荒れ地を農地に変えていったわけです。その昔作られたインフラは今も生きていて農業や工業水、上水道などに使われています。なによりも網の目のようにめぐらされた用水路というのは考えてみれば凄いものであるわけです。そしてこの溜池や水路というのは常に整備されていなければなりません。堤防にしても、もう何処の池でも最新のロックフィルに作り変えられています。堤防というのは定期的に作り変えないと持たないんですね。当然用水路も農道もそうですし、圃場整備をした田んぼもみな新しいんです。もう古いままの千枚田っていうのは観光地以外にはありませんから。
なんやかやで大変なことをして山林や荒れ地を農地に変えていったわけです。その昔作られたインフラは今も生きていて農業や工業水、上水道などに使われています。なによりも網の目のようにめぐらされた用水路というのは考えてみれば凄いものであるわけです。そしてこの溜池や水路というのは常に整備されていなければなりません。堤防にしても、もう何処の池でも最新のロックフィルに作り変えられています。堤防というのは定期的に作り変えないと持たないんですね。当然用水路も農道もそうですし、圃場整備をした田んぼもみな新しいんです。もう古いままの千枚田っていうのは観光地以外にはありませんから。
1 kusanagi 2018/6/18 23:23 溜め池というのは巡っていればよく分かるんですが、ひとつで完結という池は少なくて、ちょうど今のダムのように数個の池が組み合わさって貯水するシステムになっています。よく上池・下池というのはその名のとおりです。中には山中に大型のダム池をつくり、一旦は河川にその水を放流してその後、再び川から水を取り入れて上池、中池、下池と水を貯めこんでいくという大掛かりなものもあります。こうなると広域の数村が連携して、藩主の協力の下、巨額の資本を駆使しての大型の貯水体系になります。そういうのは江戸の近世の頃の溜池であるわけですが、土木技術だけでなく、高度な数学や計測器なども必用になってくるんですね。そういう科学精神が求められるんです。それから用地買収といいますか、池で沈む村などの了承保証もしなくてはならずで、政治力も必用になってきます。
溜め池というのは巡っていればよく分かるんですが、ひとつで完結という池は少なくて、ちょうど今のダムのように数個の池が組み合わさって貯水するシステムになっています。よく上池・下池というのはその名のとおりです。中には山中に大型のダム池をつくり、一旦は河川にその水を放流してその後、再び川から水を取り入れて上池、中池、下池と水を貯めこんでいくという大掛かりなものもあります。こうなると広域の数村が連携して、藩主の協力の下、巨額の資本を駆使しての大型の貯水体系になります。そういうのは江戸の近世の頃の溜池であるわけですが、土木技術だけでなく、高度な数学や計測器なども必用になってくるんですね。そういう科学精神が求められるんです。それから用地買収といいますか、池で沈む村などの了承保証もしなくてはならずで、政治力も必用になってきます。
1 kusanagi 2018/6/18 23:21 溜池は当時の最先端の巨大設備・インフラ構築物であるんですね。そういうのは大型古墳とか、近世の藩の居城である平城と同じなわけで、しかも水が蓄えられているということで何か通じるものがあると私は考えています。しかも人々が定期的に集まる場でもあったりするんです。大きな溜池には必ず神社などの祭祀場が設けられています。運営維持管理をするのは村の人々。したがって祭りがあります。市場もあっただろうしでハレの日には人々が集ったわけですし、そもそも大きな溜池は数村の協力と為政者の許可や援助がなければできるものではありません。村人の為だけのものではなくて国(郷)としての大きな事業でもあったわけですしね。
溜池は当時の最先端の巨大設備・インフラ構築物であるんですね。そういうのは大型古墳とか、近世の藩の居城である平城と同じなわけで、しかも水が蓄えられているということで何か通じるものがあると私は考えています。しかも人々が定期的に集まる場でもあったりするんです。大きな溜池には必ず神社などの祭祀場が設けられています。運営維持管理をするのは村の人々。したがって祭りがあります。市場もあっただろうしでハレの日には人々が集ったわけですし、そもそも大きな溜池は数村の協力と為政者の許可や援助がなければできるものではありません。村人の為だけのものではなくて国(郷)としての大きな事業でもあったわけですしね。
1 kusanagi 2018/6/18 23:19 私の子供の頃は、池の堤(つつみ・堤防)は思いの外に広いので祭りがあり出店も出ていました。芝居小屋をやっていたこともあります。祭りの神輿が池の中に突入っていう祭りもまだ残っています。この名残は今でもあって、桜を植えていれば花見となりますし、紫陽花やつつじなどは普通に植わっていて散歩者たちの目を楽しませています。そしてけっこうな数の溜池が現在は市立公園にもなっています。大きな設備も付帯して。そう言えば全国一の溜池である満濃池は付属して国営公園があるんです。規模は大きくてコンサートなども定期的に開かれます。いままで何で池に公園なの?って不思議だったんですけど、溜池にはそういう歴史があるということを知れば大いに納得がいきます。溜池はただ単に農業用水を溜めておく設備だけではないということ。
私の子供の頃は、池の堤(つつみ・堤防)は思いの外に広いので祭りがあり出店も出ていました。芝居小屋をやっていたこともあります。祭りの神輿が池の中に突入っていう祭りもまだ残っています。この名残は今でもあって、桜を植えていれば花見となりますし、紫陽花やつつじなどは普通に植わっていて散歩者たちの目を楽しませています。そしてけっこうな数の溜池が現在は市立公園にもなっています。大きな設備も付帯して。そう言えば全国一の溜池である満濃池は付属して国営公園があるんです。規模は大きくてコンサートなども定期的に開かれます。いままで何で池に公園なの?って不思議だったんですけど、溜池にはそういう歴史があるということを知れば大いに納得がいきます。溜池はただ単に農業用水を溜めておく設備だけではないということ。
2 zzr 2018/6/21 12:40 堤防は少し高くなってるのである程度見晴らしがきいてて散歩のコースには良いですね。あと、いつも風が吹いてる印象。何処もそうだと思いますが桜が植えられている事が多くて花見のポイントになってます。
堤防は少し高くなってるのである程度見晴らしがきいてて散歩のコースには良いですね。あと、いつも風が吹いてる印象。何処もそうだと思いますが桜が植えられている事が多くて花見のポイントになってます。
3 kusanagi 2018/6/22 22:47 溜池の堤防側は、下の農地に比べれば十数メートルは高くなっていますので多少は風があり涼しいです。本来の堤防の部分は人工的に土をつき固めて作っていますので大きな植生はありません。せいぜいツツジとか紫陽花まで。しかしその周囲の自然堤防のところは桜とか大きな木が色々と植えられていて楽しい場になっていますね。池によっては堤防もひとつではなく、幾つも連なっているケースがあります。その連続堤防の中に島のように小山があってそこに緑豊かな神社が。という明媚な池もありますね。
溜池の堤防側は、下の農地に比べれば十数メートルは高くなっていますので多少は風があり涼しいです。本来の堤防の部分は人工的に土をつき固めて作っていますので大きな植生はありません。せいぜいツツジとか紫陽花まで。しかしその周囲の自然堤防のところは桜とか大きな木が色々と植えられていて楽しい場になっていますね。池によっては堤防もひとつではなく、幾つも連なっているケースがあります。その連続堤防の中に島のように小山があってそこに緑豊かな神社が。という明媚な池もありますね。
1 kusanagi 2018/6/18 23:18 ついでながら、近畿地方だと大型古墳(環濠型の巨大な前方後円墳)がありますので、もし私が大阪にでも住んでいれば絶対に古墳周回をするでしょう。最近読んだ本で大型の古墳は、当時の市場であり船着場であり旅館であり歓楽街でもあったという話です。今で言えばビジネスセンターやマーケットタウンであり飲み屋街であり、また城下町でもあったということでしょうか。無論、古代の話ですが。
ついでながら、近畿地方だと大型古墳(環濠型の巨大な前方後円墳)がありますので、もし私が大阪にでも住んでいれば絶対に古墳周回をするでしょう。最近読んだ本で大型の古墳は、当時の市場であり船着場であり旅館であり歓楽街でもあったという話です。今で言えばビジネスセンターやマーケットタウンであり飲み屋街であり、また城下町でもあったということでしょうか。無論、古代の話ですが。
2 zzr 2018/6/21 08:54 歓楽街、飲屋街ですか。想像すると楽しいですね。今まで古墳は大きな墓ていどの認識でした。九州に行った時に沢山見た気がします。土盛り位のから形の整った大型のものまで色々なんですね。
歓楽街、飲屋街ですか。想像すると楽しいですね。今まで古墳は大きな墓ていどの認識でした。九州に行った時に沢山見た気がします。土盛り位のから形の整った大型のものまで色々なんですね。
3 kusanagi 2018/6/22 22:46 http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/三内丸山遺跡も、そういう古代のビジネスセンターであり巨大市場のようなものだったと思っています。望楼がありますね。これは海を見て港に入ってくる船を発見する塔です。それで半鐘を鳴らして皆に知らせて、やおら接待の準備をします。お湯を沸かしたり飯を炊いたり女は化粧をしたりとか。(^^当時の交易は物々交換ですからこちらの品物も用意しておきます。大きな長屋の建物は祭祀の場ではなくてあくまでも品物を並べたり、商人や船乗りの接待場や宿泊場だったろうと思います。交易船は小型の半ば手漕ぎのレベルですが群団でくるんですね。何十人、百何十人のレベルでしょう。古墳時代の当時、日本が一番に欲しいものは鉄製品なんですね。古代、日本は鉄鉱石を産しませんでしたから、鍛冶はあっても製鉄をする技術が長らくありませんでした。たしか6~7世紀になってやっと砂鉄から製鉄ができるようになったくらいです。それまでは日本は朝鮮半島から鉄を輸入していたんですね。その交易の場が大型の古墳であっただろうという説が出てきています。もっとも三内丸山遺跡は5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡なので鉄は交易品ではなかったのですけど、鉄以前に代わるものとしては石器の原材料である黒曜石ですね。それから翡翠とかでしょう。黒曜石は産地が限定されていて、それが有力な交易品になるんです。こういう基幹産業としての黒曜石とか鉄とか、もしくは贅沢品としては翡翠とか金銀銅とかは、どうしてもなくてはならないものですから、交易品や輸出入品として大きな価値を持っていたのですね。他にも高価な食材、昆布とかの海産物、椎茸、薬草とか文物とかは交易品としての価値を持っていて半島や大陸とかの交易品に使われていたんです。古代では、人間、つまり兵士も輸出品のひとつでした。半島は戦争ばかりしていましたから兵士として出稼ぎをしていたんです。(現在でも出稼ぎは交易品の重要なひとつですね)とにかく今でも昔でも海外との商売というのは儲かるんです。べらぼうに儲かります。(笑) ですから各地の巨大な遺跡というのは、まずそういう交易の場として栄えた証であるというふうに考えで良いんじゃないかって思います。いまでも東京や大阪は国内だけでなく海外からの価値あるものが集まる場であるから栄えているんでしょう。ちなみに幕末で倒幕の実力を持っていた薩長土肥。これは海外貿易をしていた藩なんですね。薩摩は琉球で大陸と。長州は対馬で半島と。佐賀藩は天領・長崎の実質的な保護者でしたし、土佐は貿易はなかったろうと思いますがジョン万次郎などの人材をだしました。古墳は最初のころはやはり墓地だったんですね。百済系の円墳と高句麗系の四角い古墳。その2つが合わさって日本で前方後円墳となり大型化しました。まあ今で言う高層ビルみたいなもので遠くからも目立ちます。そういう大きな平野にある大型古墳を中心にして必然的に人々が集まるようになり、船を入れる川もできて交易の市場となったようです。古墳そのものというよりも巨体古墳を中心とした街や港ができて、それが交易の場となったのじゃないかなって理解しているんですけどね。東北には古墳は少ないですね。古墳時代がなかったのかもしれません。香川にも前方後円墳はありますが周囲に堀をめぐらせた環濠古墳はありません。せいぜい先進の畿内を真似て作ったというレベルです。古墳が廃れて次に出てきたのが寺社です。仏教が入ってきて畿内には大きな寺院が出来てきます。まあこれも大陸や半島のモノマネでして、とにかく当時の日本列島は田舎でしたから先進地域のモノ真似に終始していてたんです。東北に大々的に巨大建築が入ったのはこの仏教の寺院ですね。特に平泉の奥州藤原です。同時に各地の神道の社もできました。それまでは建物がなかったのです。この頃になると当然日本でも製鉄ができて、それが文明の原動力となります。各地の鉱山も開発されて金銀銅が輸出品目となります。とくに東北はそれが凄かったんです。この金銀がなければ奥州藤原の繁栄はありませんでした。藤原氏は青森から船を出して博多を中継して半島大陸と貿易をしていたようですから。そうそう、日本が「倭」と言われていたころは、大和政権以前ですね。そのころは日本海側が先進地でした。北九州から敦賀までの日本海側に、半島からの鉄が運ばれてきていたようです。そういう倭人のひとつの邪馬台国(卑弥呼の)は、そういうふうに考えれば畿内ではなく、日本海側にあったということになりますね。畿内に大和朝廷として出来上がった政権は、半島からの亡命勢力と日本側とが組んだ比較的新しい政権のように思えますね。当時の朝鮮半島は政変や戦争続きで、半島の任那、百済、新羅、高句麗から数多くの移住者が日本列島にやってきたようですから。邪馬台国と大和朝廷を同一視する日本書紀は後知恵の捏造史観という気がしています。近世の不甲斐ない李氏朝鮮をみていると信じられないのですが、古代の朝鮮半島は先進地域であったわけで、何よりも豊富に鉄資源を産していて、高句麗の軍事力(騎馬民族です)もすごいものがありました。漢字も仏教もほぼ半島経由で日本に入りました。半島や大陸と日本の力関係が逆転しだしたのは日本に武士政権が出だしたころですね。鎌倉幕府は元と高麗の侵略を跳ね返しましたし、秀吉は半島に侵攻すらしましたし、明治になってからの大攻勢は誰もが知るところです。とは言え、これからもいつまでも日本が強いかというとそうともいえませんね。日本には尚武の精神というものが次第に廃れてきています。サムライも武士もいなくなりつつありますから。まあそう簡単に大陸の属国になるわけではないんですが、大きな時代の流れは大陸に有利に働いているというのは言えます。私はこれからは21世紀からは、新古代の時代が始まる、既に始まっていると思っています。古代というのは基本的に専制政治なんですね。自主独立のサムライの時代でも近代民主主義でもないです。何も考えない民人(ピープル)がワーッと一気に突っ走ってしまうのが古代という時代です。そういうことでは大陸は有利でしょう。まあ、1000年経って30世紀になれば日本は再びサムライが生きる時代、というよりも既にサムライではなくて別のタイプの人達(エンジニーィア)が日本を盛んにするだろうと思うのですが、それは随分と先の話なんですよね。(笑)
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/三内丸山遺跡も、そういう古代のビジネスセンターであり巨大市場のようなものだったと思っています。望楼がありますね。これは海を見て港に入ってくる船を発見する塔です。それで半鐘を鳴らして皆に知らせて、やおら接待の準備をします。お湯を沸かしたり飯を炊いたり女は化粧をしたりとか。(^^当時の交易は物々交換ですからこちらの品物も用意しておきます。大きな長屋の建物は祭祀の場ではなくてあくまでも品物を並べたり、商人や船乗りの接待場や宿泊場だったろうと思います。交易船は小型の半ば手漕ぎのレベルですが群団でくるんですね。何十人、百何十人のレベルでしょう。古墳時代の当時、日本が一番に欲しいものは鉄製品なんですね。古代、日本は鉄鉱石を産しませんでしたから、鍛冶はあっても製鉄をする技術が長らくありませんでした。たしか6~7世紀になってやっと砂鉄から製鉄ができるようになったくらいです。それまでは日本は朝鮮半島から鉄を輸入していたんですね。その交易の場が大型の古墳であっただろうという説が出てきています。もっとも三内丸山遺跡は5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡なので鉄は交易品ではなかったのですけど、鉄以前に代わるものとしては石器の原材料である黒曜石ですね。それから翡翠とかでしょう。黒曜石は産地が限定されていて、それが有力な交易品になるんです。こういう基幹産業としての黒曜石とか鉄とか、もしくは贅沢品としては翡翠とか金銀銅とかは、どうしてもなくてはならないものですから、交易品や輸出入品として大きな価値を持っていたのですね。他にも高価な食材、昆布とかの海産物、椎茸、薬草とか文物とかは交易品としての価値を持っていて半島や大陸とかの交易品に使われていたんです。古代では、人間、つまり兵士も輸出品のひとつでした。半島は戦争ばかりしていましたから兵士として出稼ぎをしていたんです。(現在でも出稼ぎは交易品の重要なひとつですね)とにかく今でも昔でも海外との商売というのは儲かるんです。べらぼうに儲かります。(笑) ですから各地の巨大な遺跡というのは、まずそういう交易の場として栄えた証であるというふうに考えで良いんじゃないかって思います。いまでも東京や大阪は国内だけでなく海外からの価値あるものが集まる場であるから栄えているんでしょう。ちなみに幕末で倒幕の実力を持っていた薩長土肥。これは海外貿易をしていた藩なんですね。薩摩は琉球で大陸と。長州は対馬で半島と。佐賀藩は天領・長崎の実質的な保護者でしたし、土佐は貿易はなかったろうと思いますがジョン万次郎などの人材をだしました。古墳は最初のころはやはり墓地だったんですね。百済系の円墳と高句麗系の四角い古墳。その2つが合わさって日本で前方後円墳となり大型化しました。まあ今で言う高層ビルみたいなもので遠くからも目立ちます。そういう大きな平野にある大型古墳を中心にして必然的に人々が集まるようになり、船を入れる川もできて交易の市場となったようです。古墳そのものというよりも巨体古墳を中心とした街や港ができて、それが交易の場となったのじゃないかなって理解しているんですけどね。東北には古墳は少ないですね。古墳時代がなかったのかもしれません。香川にも前方後円墳はありますが周囲に堀をめぐらせた環濠古墳はありません。せいぜい先進の畿内を真似て作ったというレベルです。古墳が廃れて次に出てきたのが寺社です。仏教が入ってきて畿内には大きな寺院が出来てきます。まあこれも大陸や半島のモノマネでして、とにかく当時の日本列島は田舎でしたから先進地域のモノ真似に終始していてたんです。東北に大々的に巨大建築が入ったのはこの仏教の寺院ですね。特に平泉の奥州藤原です。同時に各地の神道の社もできました。それまでは建物がなかったのです。この頃になると当然日本でも製鉄ができて、それが文明の原動力となります。各地の鉱山も開発されて金銀銅が輸出品目となります。とくに東北はそれが凄かったんです。この金銀がなければ奥州藤原の繁栄はありませんでした。藤原氏は青森から船を出して博多を中継して半島大陸と貿易をしていたようですから。そうそう、日本が「倭」と言われていたころは、大和政権以前ですね。そのころは日本海側が先進地でした。北九州から敦賀までの日本海側に、半島からの鉄が運ばれてきていたようです。そういう倭人のひとつの邪馬台国(卑弥呼の)は、そういうふうに考えれば畿内ではなく、日本海側にあったということになりますね。畿内に大和朝廷として出来上がった政権は、半島からの亡命勢力と日本側とが組んだ比較的新しい政権のように思えますね。当時の朝鮮半島は政変や戦争続きで、半島の任那、百済、新羅、高句麗から数多くの移住者が日本列島にやってきたようですから。邪馬台国と大和朝廷を同一視する日本書紀は後知恵の捏造史観という気がしています。近世の不甲斐ない李氏朝鮮をみていると信じられないのですが、古代の朝鮮半島は先進地域であったわけで、何よりも豊富に鉄資源を産していて、高句麗の軍事力(騎馬民族です)もすごいものがありました。漢字も仏教もほぼ半島経由で日本に入りました。半島や大陸と日本の力関係が逆転しだしたのは日本に武士政権が出だしたころですね。鎌倉幕府は元と高麗の侵略を跳ね返しましたし、秀吉は半島に侵攻すらしましたし、明治になってからの大攻勢は誰もが知るところです。とは言え、これからもいつまでも日本が強いかというとそうともいえませんね。日本には尚武の精神というものが次第に廃れてきています。サムライも武士もいなくなりつつありますから。まあそう簡単に大陸の属国になるわけではないんですが、大きな時代の流れは大陸に有利に働いているというのは言えます。私はこれからは21世紀からは、新古代の時代が始まる、既に始まっていると思っています。古代というのは基本的に専制政治なんですね。自主独立のサムライの時代でも近代民主主義でもないです。何も考えない民人(ピープル)がワーッと一気に突っ走ってしまうのが古代という時代です。そういうことでは大陸は有利でしょう。まあ、1000年経って30世紀になれば日本は再びサムライが生きる時代、というよりも既にサムライではなくて別のタイプの人達(エンジニーィア)が日本を盛んにするだろうと思うのですが、それは随分と先の話なんですよね。(笑)
1 kusanagi 2018/6/18 23:16 溜池散策は、隠れた香川の観光資源とも言ってよろしいかと思いますが、まあ、写真としては大した被写体とはなりません。あくまで歩き、散歩が目的ということですか。大きめの池だと一周は数キロあります。3から5キロ。大きいものだと10キロくらい。だいたい半日で2個から3個の池巡りをやりたいなって考えてますので、合計すればけっこうな道のりを歩くということになります。
溜池散策は、隠れた香川の観光資源とも言ってよろしいかと思いますが、まあ、写真としては大した被写体とはなりません。あくまで歩き、散歩が目的ということですか。大きめの池だと一周は数キロあります。3から5キロ。大きいものだと10キロくらい。だいたい半日で2個から3個の池巡りをやりたいなって考えてますので、合計すればけっこうな道のりを歩くということになります。
1 kusanagi 2018/6/18 23:15 平坦な道の歩きということで、溜池の撮影もしています。こと香川では溜池撮影に困ることはありません。犬も歩けば池に落ちると言われるくらいです。しかも地元の撮影なので車に乗る時間も節約できて、その分、歩きに専念できます。溜池撮影は原則としてぐるっと周回するのを目指しています。もっとも山手の池だと堤防その他くらいしか道がない、というのもありますが、平地にある池は一周できるのが多いです。しかも最近は親水とか水辺といいうことで舗装された散歩道が整備されているのも数多いです。
平坦な道の歩きということで、溜池の撮影もしています。こと香川では溜池撮影に困ることはありません。犬も歩けば池に落ちると言われるくらいです。しかも地元の撮影なので車に乗る時間も節約できて、その分、歩きに専念できます。溜池撮影は原則としてぐるっと周回するのを目指しています。もっとも山手の池だと堤防その他くらいしか道がない、というのもありますが、平地にある池は一周できるのが多いです。しかも最近は親水とか水辺といいうことで舗装された散歩道が整備されているのも数多いです。
2 zzr 2018/6/21 08:38 こちら溜池のイメージじゃないですね。大きすぎ ^_^;溜池の定義ってなんでしょう。。後で調べてみます。
こちら溜池のイメージじゃないですね。大きすぎ ^_^;溜池の定義ってなんでしょう。。後で調べてみます。
3 kusanagi 2018/6/22 22:44 これは高松市の三谷三郎池という、かなり大きな池です。周囲は9キロくらいありました。雨が降ったていたので傘をさしながらの撮影です。カメラはずっと右手に持ったままだったので手はだるくなりましたが、気温が低かったので比較的楽だったかと思います。溜池とダム湖は作られた時代の違いかなって思いますね。
これは高松市の三谷三郎池という、かなり大きな池です。周囲は9キロくらいありました。雨が降ったていたので傘をさしながらの撮影です。カメラはずっと右手に持ったままだったので手はだるくなりましたが、気温が低かったので比較的楽だったかと思います。溜池とダム湖は作られた時代の違いかなって思いますね。
1 kusanagi 2018/6/18 23:13 小さいカニです。
小さいカニです。
1 kusanagi 2018/6/18 23:11 やどかりです。
やどかりです。
2 zzr 2018/6/21 08:28 このヤドカリ、見た事ない巻貝をお家にしてます。こちらで砂地の巻貝といえばツメタガイ位しか思い浮かびませんが形が似てる気もします。
このヤドカリ、見た事ない巻貝をお家にしてます。こちらで砂地の巻貝といえばツメタガイ位しか思い浮かびませんが形が似てる気もします。
3 kusanagi 2018/6/22 22:43 この浜でもツメタガイの卵である砂茶碗が浜辺で多数見かけました。http://www.02320.net/bladder_moon_shell/しかしながらツメタガイを家にしているヤドカリは見かけませんでしたね。大体はこの巻き貝と、もうひとつ細長い巻き貝が主でした。https://matome.naver.jp/odai/2141462469880787401この貝に似ていなくもないですね。『ナガラミ』?こちらでは小さな巻き貝では、つぶ貝は食べたりするんですが、この貝は知りません。
この浜でもツメタガイの卵である砂茶碗が浜辺で多数見かけました。http://www.02320.net/bladder_moon_shell/しかしながらツメタガイを家にしているヤドカリは見かけませんでしたね。大体はこの巻き貝と、もうひとつ細長い巻き貝が主でした。https://matome.naver.jp/odai/2141462469880787401この貝に似ていなくもないですね。『ナガラミ』?こちらでは小さな巻き貝では、つぶ貝は食べたりするんですが、この貝は知りません。
1 kusanagi 2018/6/18 23:10 夕日です。
夕日です。
1 kusanagi 2018/6/18 23:08 少し前に浜辺を歩きました。綺麗な砂浜なので素足でオッケーです。昨年12月、今年の1月から4月くらいまで、撮影せずのパソコン三昧でしたから、お陰て足腰が著しく弱ってしまい(オマケに膝も痛くなって)、それを回復するのは大変です。やっぱり定期的に歩いていないと(つまり撮影をしていないと)ダメだなって、痛切に感じている次第です。まだ登山は脛の具合が良くはないだろうということで、今はもっぱら平地の歩きがメインです。
少し前に浜辺を歩きました。綺麗な砂浜なので素足でオッケーです。昨年12月、今年の1月から4月くらいまで、撮影せずのパソコン三昧でしたから、お陰て足腰が著しく弱ってしまい(オマケに膝も痛くなって)、それを回復するのは大変です。やっぱり定期的に歩いていないと(つまり撮影をしていないと)ダメだなって、痛切に感じている次第です。まだ登山は脛の具合が良くはないだろうということで、今はもっぱら平地の歩きがメインです。
2 zzr 2018/6/21 08:19 砂浜を歩くのは適度な負荷がかかるので良い運動になります。膝への負担も少しは軽いんでしょうね。何キロも歩くと辛いですけど。
砂浜を歩くのは適度な負荷がかかるので良い運動になります。膝への負担も少しは軽いんでしょうね。何キロも歩くと辛いですけど。
3 kusanagi 2018/6/22 22:42 この浜は2キロくらいはあるかも知れません。裸足で往復しました。この浜は、もう誰も見向きもしなくなって、昔はマテ貝とかハマグリ、アサリなんかが採れたんですが、いまはもう何時行ってもほぼ無人地帯です。(^^ゞ小さなカニとヤドカリと小エビくらいしか。川縁に大きめのカニが3匹とボラが潮溜まりにいました。その程度でした。他の浜の、アサリの放流しているところの浜は潮干狩り客が大勢なんですけどね。この写真のペットボトルはハングル語でした。関門海峡を伝わって流れて来たのでしょうか?
この浜は2キロくらいはあるかも知れません。裸足で往復しました。この浜は、もう誰も見向きもしなくなって、昔はマテ貝とかハマグリ、アサリなんかが採れたんですが、いまはもう何時行ってもほぼ無人地帯です。(^^ゞ小さなカニとヤドカリと小エビくらいしか。川縁に大きめのカニが3匹とボラが潮溜まりにいました。その程度でした。他の浜の、アサリの放流しているところの浜は潮干狩り客が大勢なんですけどね。この写真のペットボトルはハングル語でした。関門海峡を伝わって流れて来たのでしょうか?
1 kusanagi 2018/6/18 23:07 オリーブの木です。香川ではちょくちょくそこらじゅうで植わっています。花は5月ころ咲き、もちろん秋には実がなります。香川ほど暖かくはない他県ではオリーブは室内観葉植物として知られているのかも。http://shl-olive.co.jp/olivestories/taijyu/小豆島ではこんなのもあります。スペインからやってきた千年オリーブの木。巨大な盆栽というイメージもしなくはないです。香川といえば松盆栽とオリーブ。両方とも降雨が少なくても地味が痩せていても育つ木です。オリーブの盆栽、もちろんあります。(^^ゞhttps://readyfor.jp/projects/shonan-olive-bonsai-museum/announcements/34944
オリーブの木です。香川ではちょくちょくそこらじゅうで植わっています。花は5月ころ咲き、もちろん秋には実がなります。香川ほど暖かくはない他県ではオリーブは室内観葉植物として知られているのかも。http://shl-olive.co.jp/olivestories/taijyu/小豆島ではこんなのもあります。スペインからやってきた千年オリーブの木。巨大な盆栽というイメージもしなくはないです。香川といえば松盆栽とオリーブ。両方とも降雨が少なくても地味が痩せていても育つ木です。オリーブの盆栽、もちろんあります。(^^ゞhttps://readyfor.jp/projects/shonan-olive-bonsai-museum/announcements/34944
2 zzr 2018/6/21 07:49 オリーブの木ですか。初見です。やはり南方の木の感じがしますね。山形の飛島にタブノキの林があって遊歩道が整備されているのですが、歩いてて不思議な感覚になりました。
オリーブの木ですか。初見です。やはり南方の木の感じがしますね。山形の飛島にタブノキの林があって遊歩道が整備されているのですが、歩いてて不思議な感覚になりました。
3 kusanagi 2018/6/22 22:41 タブノキはクスノキ科の樹木ですね。飛島は温かいということですか。そう言えば佐渡ヶ島にみかんがあるんでしたっけ。そうですね。常緑樹の照葉樹林は山形ではなかなか無いだろうと思います。こちらでは海辺では常緑樹一辺倒なので、テカテカ葉っぱを見慣れています。お釈迦様には菩提樹といいますが、この菩提樹も濃い緑の葉です。クスノキやタブノキの下では弘法大師と出会えるというのは知りませんが、でも有り得そうな気分にはなりますよ。(^^ゞ
タブノキはクスノキ科の樹木ですね。飛島は温かいということですか。そう言えば佐渡ヶ島にみかんがあるんでしたっけ。そうですね。常緑樹の照葉樹林は山形ではなかなか無いだろうと思います。こちらでは海辺では常緑樹一辺倒なので、テカテカ葉っぱを見慣れています。お釈迦様には菩提樹といいますが、この菩提樹も濃い緑の葉です。クスノキやタブノキの下では弘法大師と出会えるというのは知りませんが、でも有り得そうな気分にはなりますよ。(^^ゞ
1 kusanagi 2018/6/18 23:05 グミの木ですが、四国では、「しゃしゃぶ」、と言います。調べると香川だけでなく愛媛も高知もそうなので案外に広範囲に使われている名前のようです。今の時期は、ゆすら(梅桃)とかヤマモモ、ヤマグワも。みんな美味しくて子供たちの大好物です。といっても、今の子どもたちは親が教えないのであまり知らないかも。(笑)
グミの木ですが、四国では、「しゃしゃぶ」、と言います。調べると香川だけでなく愛媛も高知もそうなので案外に広範囲に使われている名前のようです。今の時期は、ゆすら(梅桃)とかヤマモモ、ヤマグワも。みんな美味しくて子供たちの大好物です。といっても、今の子どもたちは親が教えないのであまり知らないかも。(笑)
2 zzr 2018/6/21 07:25 おはようございます。そうでした。ヤマモモ。去年こちらの掲示板で初めて見た果物。通販もあるようなので取り寄せて食べてみたいと思います。
おはようございます。そうでした。ヤマモモ。去年こちらの掲示板で初めて見た果物。通販もあるようなので取り寄せて食べてみたいと思います。
3 kusanagi 2018/6/22 22:40 ヤマモモとかグミは小さな野生フルーツなんですが、もう少しすればこちらでは、もっと大きなイチジクとかビワがなって、散歩撮影の折のご馳走となります。(^^ゞ半ば捨てられて野生となったそういう果樹は、世話をされていないので小粒なんですが、店先で並んでいるものよりも甘くて美味しいんです。柿にしてもミカンでもそうです。ええ、自然食ですから。
ヤマモモとかグミは小さな野生フルーツなんですが、もう少しすればこちらでは、もっと大きなイチジクとかビワがなって、散歩撮影の折のご馳走となります。(^^ゞ半ば捨てられて野生となったそういう果樹は、世話をされていないので小粒なんですが、店先で並んでいるものよりも甘くて美味しいんです。柿にしてもミカンでもそうです。ええ、自然食ですから。
1 zzr 2018/6/18 00:08 少し歩いてきました。運動不足を実感しました 。・°°・(>_<)・°°・。
少し歩いてきました。運動不足を実感しました 。・°°・(>_<)・°°・。
2 kusanagi 2018/6/18 23:44 運動不足・・・! 私も痛感していますよ。やっぱり、コンスタントに撮影に出かけるっていうのは必用だなって感じています。撮影はあまりしなくてもいいから、撮影に出かけるっていうのは大事かなって思います。
運動不足・・・! 私も痛感していますよ。やっぱり、コンスタントに撮影に出かけるっていうのは必用だなって感じています。撮影はあまりしなくてもいいから、撮影に出かけるっていうのは大事かなって思います。
3 zzr 2018/6/20 22:58 kusanagiさん、こんばんは。若いうちは、少しくらいの運動不足は気にするまでもありませんでしたが。。最近はすぐ太るので参ってます。あと鈍くなってきてるなーと。。色々面白くないです ^_^;
kusanagiさん、こんばんは。若いうちは、少しくらいの運動不足は気にするまでもありませんでしたが。。最近はすぐ太るので参ってます。あと鈍くなってきてるなーと。。色々面白くないです ^_^;
1 zzr 2018/6/18 00:05 こちらは蝶。春の生き残りだそうです。うまく撮れたらきれいだったかも。
こちらは蝶。春の生き残りだそうです。うまく撮れたらきれいだったかも。
2 m3 2018/6/18 18:47 スミナガシは年2回発生し、次回は暖地ですと8月下旬からです。和名が洒落ていますね、、。そういえば以前、下記に投稿していました。口吻の色が赤く印象深いです。https://photoxp.jp/pictures/29459
スミナガシは年2回発生し、次回は暖地ですと8月下旬からです。和名が洒落ていますね、、。そういえば以前、下記に投稿していました。口吻の色が赤く印象深いです。https://photoxp.jp/pictures/29459
3 m3 2018/6/18 18:59 正:次回は暖地ですと7月下旬からです。
正:次回は暖地ですと7月下旬からです。
4 kusanagi 2018/6/18 23:43 私も最近、久しぶりにマクロレンズを使いましたが、ピント幅の浅さにびっくりでした。(^^ゞ
私も最近、久しぶりにマクロレンズを使いましたが、ピント幅の浅さにびっくりでした。(^^ゞ
5 zzr 2018/6/20 23:14 m3さん、こんばんは。年2回発生ということは今年こちらでももう一度観察できるという事ですね。近づいてもあまり逃げないし仲良くなれそうな蝶さんです。
m3さん、こんばんは。年2回発生ということは今年こちらでももう一度観察できるという事ですね。近づいてもあまり逃げないし仲良くなれそうな蝶さんです。