SIGMA Photo Proソフトウェア 作例

無題

無題

まず最初に。長文になります。あしからず。 この板は、zzrさんが発掘した板なので、一応のまとめ役はzzr氏でしょうか。 別段、私の居心地がいいという場所という意味ではなく、kusanagiは単なる客分の ようなものです。 それから私は、皆さんと和気あいあいと写真をやって行きたいというこだわりもなく、 ただ、このフォトXP写真投稿掲示板を通して、現在のアマチュア写真人の一人として、 可能な限りの自分なりの思想や技術論を展開していきたいと考えているだけです。 また、それらの一連の行為が、記録として後にまで残れば、のちの人間にとっても 参考になるだろうと。 ですからかなりあやふやな仮説も戸惑うことなく記しています。 また、投稿文は日常の人付き合いの口語体ではなく、書籍に使われているような 文語体で書いています。よって本などを読まない人には違和感があるでしょう。 しかしネットでも長文を書かれるコメンターやブロガーは皆、この文語体を駆使して 書いています。 つまり内容のある事を書こうと思えば、文語体で書かざるをえないということです。 余分な挨拶は省きますし、誤解を避けようてして周りくどい書き方もしません。 読解力がない人には向かない書き方です。 それからこのフォトXP掲示板自体も、さほどよく見ているというわけでもありません。 読むに必要でないと瞬時に判断すれば読みません。だいたい私のような読書人の 文章に対する接し方はそういうものです。 斜め読み、スポット読み、速読で一気に平行して数冊を読むということをします。 しかし、これぞと思えば、じっくりと熟読や反復読みもするわけです。 そういうことでは今流行の情報論のはしりのようなものですね。いかに峻別して 素早く内容を把握し、必要でないものは即座に捨てるということ。そうしないと多す ぎる情報量に時間を無駄にしてしまうからです。 本を読む能力と、文を書く能力とは、よく似ているようでやはり違います。読書家 でも文章を綴るのが苦手な人もいます。また本など読まない人がけっこう文章を 上手く書いたりもします。 こちらもそんなに文章を書く力があるというわけではないのです。 それから最後に、ちょっと。 花鳥風月さんは、ある種の精神障害を抱えてらっしゃる人かも知れないと以前から 感じています。自閉症とかアスペルガー症候群というやつですね。 普通人とは知的能力は変わらないのですが、むしろ優れているところもありますし、 とにかく人とのコミニュケーション能力が著しく劣るという場合があるそうです。 場面緘黙症というのもあります。この症状を持っている人とは実際に仕事をしたこと があります。自宅ではしゃべるそうですが、会社では一切喋らず、ただ頷くだけ。 電話を通してぼそぼそと話せただけです。しかし仕事はできました。頭はかなり よかったです。 そうだとすると、レンズ板に登場するのは、彼は本気で自分は写真を上手くなりたい、 だからいろいろと教えて欲しいと願って投稿し続けているのかもしれません。 しかしそれを伝えるすべが自分にはないというか、コメントとして発する言葉はどうしても 五七五の花鳥風月句でしか言い出せないのかもしれません。 花鳥風月句は彼が外界と接する場合の唯一の通信手段なのかも知れません。 しかしちゃんと、文を読む能力というのは高いようです。私の込み入った文章ですら 読んで理解しているような気配があります。 彼には何らかの精神的障害があるのではないかと考えている人は私だけではないと 踏んでいます。掲示板で彼を擁護していてしている人や黙認している人達の中にです。 でもスバリ書くと失礼にあたるとか差別になるとかで言えないだけでしょう。 このネイチャー板は見る人は少ないですし、それで私は書いているのですが、とにかく あまりつつくと、例えば人権団体などから目をつけられる恐れがあります。 ネット上でも、侮辱・名誉毀損罪が適用されるおそれがありますので、善意で書いていた としてもネットは誤解されやすいので要注意です。 ちなみに、鍾乳洞の写真で、レンズを絞りかつISO感度が高いままで1分の露出撮影を しているのがありましたね。 あれは細かく指摘すれば問題があります。デジタルセンサーは長秒シャッターに弱いところ があって、露出1分は最大露出時間とも言うべきで、ほんとに最後の手段です。 ISO感度は微妙ですが、高絞りはミステイクとなります。そもそも絞りはf4とかf5.6くらいで 最近のレンズは最高の解像力を発揮するようになっています。 APSカメラのレンズだともっと開けてもいいかもしれません。昔のフィルムカメラ、とくに 中判カメラなどとはもう仕組みも技術もぜんぜん違います。 ただ強く絞って、高絞りボケ(回折現象ボケ)が出てもよいから使う、と場合もあるのですが、 最近の高画素デジタルは十分に高解像力ですから、今はプロでも高絞りは多用しないと 思います。 回折ボケはとくにセンサーの小さいカメラで、また広角レンズで顕著にでます。 ミリ数の長い望遠レンズだとf16とか、かなり絞っても大丈夫ですが、広角や標準レンズ ではあまり絞らないのが普通です。 ちなみに最近の超高画素カメラは、回折ボケ修正ツールが入っているはずです。5Dsとか ソニー4000万画素とか。ニコンD810もそうかも。しかしソフトフェア修正なので当然限界が あります。 ということで、前置きはこれくらいにして、本題のキヤノン5DSに関して少しばかり書きたいと 思います。 まず、このカメラ、私は持ってません。それはあしからず。 私が超高画素カメラとして所持しているのはシグマSD1MとDPメリル、dpクワトロ、そして 殆んど使っていないニコンD800だけです。 よく使っているシグマは4600万画素の画質は持っていますが、やはり出力画素数は 1500万画素なので、撮影は気楽に行けます。ただし別の意味でニコン以上の画質的ソフト ウェア上の難しさがあります。 この撮影の難しさと、撮れた画像処理の難しさとは全く別のものなので混同をしてはいけません。 シグマは撮影は容易で画像処理が難しい。他方ニコンは(そしてキヤノンも多分)撮影が難しく、 後の画像処理はやさしいと思います。 ところで、この写真、ブレています。あえてダウンロードして拡大して見なくても、ピクセル 等倍表示でブレていることが分かります。 まず基本として、2000万画素カメラならばともかく、超高画素カメラは基本撮影は三脚での 撮影となります。あまり厳密に考えなければ、手ブレ補正レンズを着ければ手持ち撮影は 可能ですが、画質は妥協しなければなりません。 きちっとそのカメラの最高の画質を出したいと思えば、まず丈夫なな三脚に乗せ、ミラーアップ 撮影でミラー振動を取り去り、電子先幕シャッターを使ってシャッターブレを除くことです。 (電子先幕シャッター<これはキヤノン5Ds、ニコンD810、ソニー裏面照射型4000万画素には 装備されています) できればレンズはマニュアルのコシナツァイスレンズを使うのが良いのでしょうが高いですね。 ツアイス・オーティスというのですか?そこまで行けなくとも最新のマニュアルツァイスとか シグマのアートレンズとか、そこらクラスがあればよいのでしょうか。 手ブレ補正やAF機構がない最新マニュアルレンズは、圧倒的な描写力を持ちます。 しかしニコンやキヤノンとそういうレンズを出せない(ユーザーが許してくれない)ので、 サードパーティ製レンズを使うということになります。 レンズの話はちょっとひとまず置いといて、まず撮影が極めて難しいということ。それから 撮影条件も選ぶということが言えると思います。十分な光が回っていないと、センサーや レンズの性能を活かしきることができません。 超高画素カメラは一応、普通のデジイチの形をしていますが、中身はフィルム大判カメラと 同じで、細心の注意を持って撮影に臨まなければなりません。 まずその意識改革が何よりも必要だと思っています。 先ほど書きました、電子先幕シャッターは革命的技術です。これにより撮影時のシャッター がもたらす振動を取り省くことができるからです。 私が使っているD800にはこれがなかったと思います。それでミラーアップ撮影でミラーの 振動は除けても、フォーカルプレーンシャッターの振動が微妙なブレとなって出て来るの です。普通の撮影ではなかなかわかりませんが、超望遠レンズの撮影では顕著にそれが でました。もう何度撮影しても結果は同じのブレブレ。 結局、それは大型の三脚を調整して、やっと初めてまともに撮れることができました。 電子先幕シャッターがなければ、大型三脚にカメラを取り付けるという、つまり慣性重量の 増大でカバーするしか方法がないのです。 ブレに関しては、とにかく確りした三脚を使い、ミラーアップ撮影、電子先幕シャッターを 使うのは基本であること。 それからピント調製は、やはり光学ファインダーではなくライブビュー撮影しかないですね。 ライブビュー撮影だと自動的にミラーアップ撮影になりますし。 またその為の液晶フードは必要かと思います。曇り日や夕暮れだと無くてもいいですけど。 このライブビュー撮影の為にも、当然に三脚は必須です。 そしてレンズは、そのレンズの最高の描写をする絞り値で撮影するのが順当ですが、 それだと描写は解像力優先の平凡な写真になったりしますね。やはり開放気味で撮ったり とかもしたいわけで。 しかし、超高画素カメラは、以前の2000万画素カメラに比べて画質というか、発色はかなり 落ちています。コントラストもそう。 ニコンでもD800は、D600や700に比べて絵の発色はかなり落ちるので、その分は少しでも 発色の良いレンズを使うということになります。 解像力と発色は二者択一でどちらかを取るしかなくて、ここは解像感のある写真を撮りたい と思えばD800で。それよりも発色やコントラストを得たいと思えばD600にします。 いや、自分は両方とも得たいと思えば、先ほど出したような高級ツァイスレンズとか、 そういう話になってきます。 もしくは撮影条件をよく吟味するということです。 この寺院の写真は、もともとコントラストが低く、それをさらに曇り日に撮影されたような 感じです。悪条件が重なり、本来の色を出していないように思います。 こういう曇り日であれば、私ならはコントラストのある被写体、例えば花などを入れた撮影に 切り替えますし、天気が良くなってきたなあと思えばこの寺院を撮影します。 しかし超高級レンズを着けて撮れば綺麗に出るのは当たり前。やはり普通のレンズを使って でも綺麗に出せてこそ、それで初めて超高画素カメラを使いこなしたと言うことになります。 そうなると、撮影条件を選んで的確に撮影するしかないということになります。 これは大型カメラの撮影手法と全く同じなんです。 そう、大型の三脚を使うということも。 それからフードも大事ですね。ただ既成のフードを付けるだけじゃなく、専用の自作フード が欲しいですね。蛇腹フードなどが面白そうです。 フードも三脚もアナログですが撮影の基本です。 とにかく持てる全ての知恵と努力を出しきらなければ、超高画素カメラを使うのは難しい ということです。もちろん大体でいいやってなれば、手持ち、AF、手ブレ補正レンズで OKですけどね。 http://blog.zaq.ne.jp/senri/article/1194/ http://ecran.exblog.jp/14721598/ これなんか見ると、動画撮影の方はここまでやっているんですね。 気軽さがスチル写真の醍醐味とはいえ、超高画素カメラの撮影となるともうそんなことは 言っておられなくなります。ここらは動画撮影の方々を努力を見習いたいものです。 「大人のカメラ作法」は笑休さん独特の近接撮影、ボケ部分多量の写真を理論的に 補佐したものです。 これは既にソフトウエア板で展開したので再度書く必要性は感じませんが、もう一度 言うと、写真の画面いっぱいの高精細な画像は、人間の脳内画像処理の負担を増すのだ ということです。 これは心理学を多少知っていないと理解できないのでしょうか。そんなことはなく常識でも 多少は理解できると思います。 まず人間の眼は、この眼前の複雑な世界を眼では入れていますが、それを脳内処理 にはすべて回していないという事実です。自分の見たいというものだけしか実際には 見ていないと言われる所以です。 よく古いマニュアルレンズは暖かく人間的だと言われますが、それは中心部は解像力が あっても周辺部はボケているからです。それは如何にも人間的、かたや最新のレンズは周辺部 も高解像力を求められますね。 人間の眼の網膜は実際には200万画素くらいだと言われていますが、しかしそんな風には 感じられませんね。それは脳内処理でソフトウェア的に多画素化しているからです。 それも部分的に、かつ動画ですから、随時超高速で200万画素のカメラを、ズームアップしたり コンポジット化したりして(これらは例えの話ですよ)、大変に融通の効く優秀なカメラとなって いるのです。 人間の視力、画像処理に関する脳細胞の割合は非常に高く、他の動物たちとは圧倒的に 引き離しています。それは巨大な脳細胞群、小脳や大脳の働きによるものです。 もしかして、眼が見えているこの世界は当たり前のものだと信じてはいませんか。 とんでもなく、それは奇跡とも言えるほどの高等で繊細な仕組みで動いているものなんです。 そういうことを少しでも知識があれば、私の言ったことは理解できるでしょう。 それでも理解できなければ、まず科学書の読書を勧めます。ある程度の基礎知識の共有が なければ私とのコミニケーションは成り立ちません。 とにかく、笑休さんの撮影する写真は、心理的な情報量の制御に上手くて、写真を見る者を して疲れさせないノウハウに富んでいるのです。 笑休さんの写真を見て、何故かホッとしたり癒やされたりするのは、その手法が上手い からです。高解像度のピントが合っている部分は、画面のごく一部とか、空を大きく入れて (そこには精密な情報はない)、心理的にも情報量をものすごく抑えているのです。 この手法は日本画東洋画のノウハウです。西洋の印象画もそうです。 それから心理的な情報量処理は、実はデジタル画像データの圧縮手法にも使われています。 動画、静止画を問わず、スピーディな展開をするために、大変な努力をして新しいアルゴリズム を常に考案しているわですが、そのネタ本は人間の脳内画像処理が大元なのです。 この心理的情報量、もしくは心理的超高画素論は、出力画素数の少ない(だから撮影は樂) シグマのカメラにも覆いかぶさってきます。やはりあのカメラは4600万画素と言われるわけ です。 ですから、撮影は容易でも画像処理は難しく、さらに人間の心理的な要素にも大いに関わって きて、シグマメリルやクワトロを長く使い続けていくことが難しいのです。 その点は3600万画素のニコン、4000万画素のソニー、5000万画素のキヤノンとても同じで あるわけですが、シグマにはここにもう一つの要素が出現してきます。 それはシグマ画像は圧縮に弱いということ。それでピクセル等倍鑑賞が多くなるということです。 これをstone氏は否定しましたが、彼は事実を知りません。 シグマは1500万画素ですが、実際は1500万画素×3のデータ量を内包しています。 それを思えば、キヤノン5000万画素はベイヤー機ですから、RGBのRとBは1/4の画素数しか なく、Gは1/2となります。要するに4600万画素のシグマと変わらないということです。 シグマ的に言えば、キヤノンは1250万+1250万+2500万の合計の平均値は1600万画素です。 どうですか?シグマメリルの1500万画素と同じでしょう。 パソコンが現像に苦労するのは当たり前ということになります。 このパソコンの処理の難しさが、ほぼ人間の脳内でも行われていると見てよいのです。 シグマやキヤノンよりさらに大きな画像処理を見たければステッチ写真を撮ってみることです。 数十枚の元画像をパソコンは延々とレンダリングしてきますから。その負荷を実感すること ができます。 こんな具合で「大人の写真作法」の心理的高画素論の中身は容易に理解できるものでは ありません。写真とコンピューターと心理学の3分野にまたがっていますからそれらの知識を 持っている必要がありますし、また本当に心底理解するためには、何と言っても実際に超高画素 カメラを少なくともそればっかりで1年間はみっちりと使い倒し悪戦苦闘しないと分かりません。 理論化の為の知識がなくとも、実際に使い続けてみれば、直感として超高画素カメラの凄さや 怖さが分かるようになると思います。 たぶんzzrさんはシグマメリルとニコンD800を使い続けてきて、直感性を持ったのではないかと 思ってます。とにかく彼の撮影枚数は極少ないのです。それから今のメインカメラは低画素(比較 すれば)のD4Sです。 笑休さんも何度もシグマを手にしては突き放しています。今は低画素とも言えるフジですね。 このようにシグマはそれだけを長く使い続けていくことが難しいカメラです。 この話は私などが分かっても仕方がなく、本当はメーカーのエンジニアが理解すべきものです。 そしてフォビオン社の技術者はそれを多少は分かったのだろうと思ってます。 何故ならば、普通はあり得ない前モデルより画素数を低下させたモデルをリリースしたからです。 dpクワトロですね。 私がここで展開している高画素論はあくまで、アマチュアレベルでの問題です。 仕事でプロが使う場合、5000万画素の画素数は必要なのです。もっと欲しいとすら思います。 またカメラは、産業用軍事用として各種分野に使われています。ですからメーカーは超高画素 カメラの開発をやめるわけにはいきません。 生身の人間が超高画素の情報量に耐えられなくとも、機械ならば問題ありません。例えば 10億画素のカメラが出来たとして、その鑑賞ではなくサーチや認識処理をするのは機械という ことになるでしょう。AIコンピューターですね。 もちろん、ここで書いたことはあくまで、私の仮説です。これが正しいとか言っているわけでは ありません。 それから幸運にも最新の超高画素カメラを手に入れられるのは嬉しいことです。 zzrさんが発売直後のD800を手に入られ、それを私が中古で手に入れたのは数年後です。 シグマSD1Mでも同様です。私がキヤノン5DSを手に入れることができるのは何年後でしょうか。 たぶんあまり出まわらないカメラだろうと思うので、私が手に入れるのは不可能かもしれません。 そもそも今のニコンD800対応のレンズさえ買えていないのですから。 しかし事実上、人間が生身のままで鑑賞できるカメラとしては最後から2番手になるかも知れない 超高画素カメラを手に入れ、使いこなして行くことは大変、有意味です。 5DSを手にするのは高価ですが、それだけでなくその観賞用画像処理用には24インチフルHD モニターも不足かなって思いますし(4Kモニターの導入)、さらに一本でもよいから最高のレンズを 手にするともなると合計100万円を越えます。 それだけでなく、カメラやパソコンを使いこなすには体力が要ります。だふん5DSの漏洩電磁波 はかなり高いと思われます。(ニコンD800がそうでしたから。特殊なシャッターを使っているような) まあカメラは三脚を使えば電磁波は問題はないのですが、モニターはそうは行きません。 大画面高ピクセルのモニターはとても体力を消耗するのです。 若く体力がなければ超高画素カメラは本当には使いこなせないということです。 老婆心ながら言いますと、1年間みっちり使ってみて、仕事や生活に差し障りがでるようでしたら、 潔く諦めて使わないことです。 それからモニターはフルHDモニター以上のものは使わないこと。むしろ22インチや23インチの モニターで使うことを勧めます。 私がアドバイスできるのは、三脚の使用、そしてモニターの件だけです。 そして手持ちで撮影する場合は、出来る限りショット数を少なくすること。 こんなもんですかね。 なお、書き尽くしたと感じていますので、コメントを頂いても返事は書けません。

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論

高画素カメラ論そしてシグマカメラ論 先出の「心理的高画素論」を書いた後、だんだんと自分の考えが煮詰まってきたように 思います。 高画素カメラにはいろいろとありますが、極めて特異とでも言えるカメラにシグマのメリル・ クワトロがあります。このカメラの特徴は、特徴と言ってもカメラ本体ではなく、RAWソフト の展開後なのですが、ピクセル等倍で見るのが一番高画質で、縮小すればかなり画質が 落ちるという他にはない特徴があります。 普通のカメラはそういうことはありません。むしろ縮小サイズの方が綺麗にみえたりします。 ということは、必然的にシグマのカメラを使っていると、ピクセル等倍での本当の意味での 高画素画質で見るということが多くなるということです。 いっぽう、ニコン3600万画素、ソニーの3600、キヤノンの5000などは、その画像鑑賞に おいては、さほどの高画素画像の弊害はなかろうかということです。 と言うのも、それらのカメラでは、ピクセル等倍で見るのはほんの一瞬であろうからです。 シグマのカメラの高画素画像は、ユーザーをして真の高画素世界へ誘うということでは、 本当の意味で高画素高画質のカメラの特質をもっているのであろうかと言うことです。 高画素カメラとは高精細であり、その為に情報量が飛躍的に高いということです。 デジタルデータで比較しても、木の葉がいっぱい写っているとか町並みがぎっしりと画面 を占めているとかだと、実データも大きくなります。 それと同じように、われわれ人間が見ても、高画素カメラの画像は脳内処理の処理量が 高くなるのです。大きなデータの画像をパソコンで処理しますとCPUやメモリに負荷が かかります。それと同じで、人間の生身の脳内でも同じような処理をしているわけですから。 以前、パノラマ写真用にと、フルHDのモニターをデュアル接続したことがあります。 今流行の言葉で言えば2Kモニターですか。普通のフルHDは200万画素です。4Kでも800 万画素。16Kでは3200万画素。横並び置き2HD(2K)は400万画素です。 もちろん数千万画素のパノラマ写真は横並びの2Kモニター2HDにしたところで全画面が 見えるわけでもないのですが、それでも1HDよりは飛躍的に想像力を刺激してくれました。 こういう話をするのは、高画素カメラには、それを十分に威力を発揮して使おうとすれば、 大画面モニターは、とにかく必要になるということなのです。 最低限、フルHDの1900×1200ピクセルの200万画素(ピクセル)。これが必要になるという こと。 じゃあ、そういう大きなモニターは自分は嫌いだから、17インチや14インチのモニターで いいやってなると、実は、高画素カメラのもつ、心理的高画素論の弊害は受けなくなるの です。この不思議さが分かってもらえるでしょうか。 私が通常使っているモニターは19インチです。1280×1024ピクセル。130万画素ですね。 それを2連のデュアルモニターにしていますが、いつもどちらかは休んでいますね。 ウィンドウを開くのはどちらかで、もちろんやろうと思うば2560×1024のウィンドウも開ける のですが滅多にそういうことはしません。ディスクトップの背景も濃いグレーで目を刺激 しないようにしています。事実上、19インチシングルモニターと同じです。 実際、文字打ちをしている今は、片方のモニターの電源を消してシングル稼働です。 実は17インチでも画面的にはいいのですが、表示文字が自分には小さすぎて19インチに しているに過ぎません。それより以前は14インチデュアルでした。 このように通常に使うモニターは小さくていいやって考えています。 これって、カメラはAPS1000万画素でよいっていうのと考え方は同じです。 フルサイズ3000万画素や5000万画素は自分には必要ないカメラだというのと同じです。 われわれが趣味で、道楽でやるカメラは小さな画素数のカメラで十分なんだということを、 はからずも再確認しているわけです。 しかし人間は欲深で愚かですから、どうしても最新の超高画質のカメラが欲しいっていうのは 止められません。そしてモニターはフルHD24インチ以上のモニターが欲しくなる。そうしないと 釣り合いがとれませんからね。 しかしその結果はどうなるのか。それは心理的高画素論で述べたことになります。 現在のデジタルカメラは、デジタルセンサー+オートフォーカス+モータードライブの三位一体 で成り立っています。このどれかを止めるとデジカメの持つ多量撮影はできません。 それと同じように、超高画素カメラとは、超高画素カメラ+高性能PC+大画面モニターで 成り立つのです。そのどれかをひどく落とすと、それは超高画素画像を楽しむことには ならないのです。 逆に超高画素カメラのもつ心理的弊害を避けようとすれば、大画面モニターをやめればよい ということになります。 シグマのカメラは、画素数が低かった時は、このフォトXPでも多くの方の投稿がありました。 しかし超高画素カメラとなったメリル以降は、投稿数が限られてきました。それはシグマの ユーザーがあまり写真を撮らなくなったということかもしれません。 シグマカメラのユーザーには、メリル以降のカメラは自分には向かないとか、昔のシグマが 良かったという声もでてきました。 また、そのシグマのソフトは使いにくいとか、機能が不足しているとか、様々なユーザーの 不満がでていました。 それで、思うに、それらはシグマの持つ超高画素、高画質への裏返しの不満ではないかなって いうことです。それらの批判は、シグマだけでなく、超高画素カメラ一般への批判と捉えても 本質的には間違ってはいないだろうということです。 今現在、超高画素カメラと言われる、ニコン、ソニー、キヤノンの超高画素カメラをお使いの ユーザーは24インチ前後のモニターでしか使っていないたろうと思います。 これは本当は超高画素カメラには役不足で、4Kモニターで見るべきなんですね。 4Kモニターは既に発売されていて買おうと思えば誰でも買えます。 シグマカメラの出力画素数は、超高画素カメラとは言いながら1500万画素か2000万画素です。 それで、フルHDのモニターでもいけるところがありますが、3600万画素のニコンではすでに 小さすぎると感じました。5000万画素のキヤノンではなおさらでしょう。 だから、自分はニコンやソニー、キヤノンの超高画素カメラを使っていると自負する方は、 是非に4Kモニターを導入してもらいたいということですね。そうしないと本当の超高画素カメラ の凄さっていうのは味わえませんから。 そういう意味で、私がシグマのカメラを使って、ここ1・2年、メインカメラとして使い続けてきた ことは、私には大いに意味がありました。非常に貴重な経験をしたと思っています。 それは本格的超高画素カメラ+4Kモニターへの先駆けであり、まだ誰もが体験していない 世界をいち早く見ることができたからです。そして自分なりの結論を得ることができたということ。 そしてその結論とは、既出しますが、モニターは小さくて良い。カメラは1千万画素でよい。 たったそれだけです。アマチュア写真家にとってこの結論に間違いはないと確信しています。

心理的画素数論

心理的画素数論

心理的画素数論 カメラの画素数とは別に、我々か写真を鑑賞する場合の、言わば心理的画素数というものが あるのだと考えています。 デジタルカメラの画素数は増加の一途ですが、新しい高画素のカメラが出るたびに、 既存のカメラユーザーは、もうそんなに画素数はいらないよ、現状の◯◯万画素で十分だと 言います。そういう言葉をもう幾度も耳にしたことか。 しかしユーザーは時代の川に流れるように、またもや新しい高画素カメラを手にしてしまうの です。 写真の緻密さと、撮影感度の高さは、これはカメラ技術発展の本道ですから、メーカーは この技術の発展を疎かにするわけにはまいりません。技術発展を少しでも疎かにするとすぐさま ライバルメーカーに食われてしまいます。 それにしても、ユーザーは超高画素カメラを、なぜ、あえて積極的に求めないようなところが あるのでしょうか。皆さんはその消極的気分の本当の理由を考えたことがあるでしょうか。 例①http://photoxp.jp/pictures/128914 これはステッチング撮影ですね。失敗例ですが、ほぼ5000万画素になっています。 縦3段の横パノラマをパソコンのソフトでつなげたステッチング写真なのですが、普通の低画素 のカメラでもって多数ショット撮影し、特殊な三脚(雲台)で撮影するのですが、この撮影では 専用雲台を使わなかったために失敗し、完全に繋げられなかったというわけです。 例②http://photoxp.jp/pictures/155948 5000万画素カメラのワンショット撮影の写真です。例①と同じような被写体なので比較が容易 だと思います。とにかく例①例②とも緻密な画像であり全画面、細部までびっしりとモノが写り 込んでいます。 こうう場合の心理的な情報量は高い、大きいということになります。もちろんデジタルデータの 情報量も大きいですよ。 それでは次の写真を見てください。 例③http://photoxp.jp/pictures/155960 キヤノン5000万画素カメラの撮影です。 例④http://photoxp.jp/pictures/155767 ニコン3600万画素カメラの撮影です。 例③は緻密に写っているのは画面中央の僅かな部分です。接写なのであとはボカしています。 例④は緻密なのは橋だけ。後は海と空だけですから。 つまり、超高画素カメラを使いながらも、全画面に於いてそれを生かしていない写真であるわけ です。勿論わざとそうしているのでしょう。それで、心理的な情報量はそんなに高くない、という ことになります。 当然、高画素カメラを使っているので、デジタルデータとしての情報量は高いのですよ。 例⑤http://photoxp.jp/pictures/128831 この写真はパノラマ撮影ですが、とにかく人気のない写真です。それはただ膨大にモノが写って いるだけの写真だからです。しかし100年経ってみれば、この写真は貴重な記録写真の価値を 持ちます。(^^; とにかく画素数が多い写真、それもモノが緻密に写り過ぎている写真は、とてつもない情報量を 持つのですが、生身の人間はそれを嫌うという傾向があります。これは心理的な、本能のような ものです。 簡単に言うと、それを見る人間は、情報過多による疲れを起こすのです。 それを私は、仮に心理的情報論として今ここで推敲しているんですね。 それでは、超高画素カメラは必要の無いものかのか。遠ざける対象になるものなのか、というと、 それはまた話が違います。 上の例③と例④の写真がそれを示しています。もし仮に、それらの対象物を1000万画素のカメラ で撮影したとしましょう。 小さな拡大率の写真では相違は出ませんが、拡大してピクセル等倍鑑賞をした時に、あっと驚き、 その違いに気づくはずです。 やっぱり超高画素カメラはスゴイと。低画素カメラでは限界があると。 それでいて、例③例④の写真は、心理的な画素数疲れ、情報量過多の疲労を起こさないように なっています。これは上手いやり方です。 例⑥http://photoxp.jp/pictures/150923 その上手いやり方を、「大人の写真作法」として以前に書きました。高画素のカメラほど、むしろ 全能力を出さないほうがスマートであるということ。そういう写真の仕組を応用するのだと。 例⑦http://photoxp.jp/pictures/152026 これは手前の樹木のみに高画素の力を与え、背後の島や浜辺はぼかして力を抜いています。 ピクセル等倍鑑賞でないと分かりつらいです。 例⑧http://photoxp.jp/pictures/153346 これもピクセル等倍で見ないと分り辛いですが、上の手前の樹木と下の道路は心理的には無い ものとみなして、真ん中の樹木とその向こうの山と平野をの世界を表そうとした写真です。 覗き絵の仕組みとなっています。縦写真なのに本当は横写真。 ⑦⑧とも、高画素カメラの心理的情報論を意識した後での撮影です。 以上は、そんなに難しいことではなく、本当は簡単なことを言っているわけですが、おそらく、 現時点では理解できる方は殆んどいないと思われます。(これは私の文章の表現力の拙さでも あります) しかしやがて、その必要性に誰もが気づくようになります。 しかし多くのカメラユーザーは、その高画素を活かす写真を撮らないと思います。 というか、ピクセル等倍鑑賞をせずに、ただ単にモニターの画面枠での鑑賞にとどまるだろうと 考えています。例外的なのはシグマのカメラで、このカメラは仕組み上、ピクセル等倍以下では 画質が劣化しますから。 むしろ自動的に画素数圧縮した画像で鑑賞するのが正解で、それで何不自由もないわけですから。 メーカーの高画素技術の恩恵は、必要に迫られて拡大した場合に限られるでしょう。一般の ユーザーにはそれでよく、高画素技術は隠れた縁の下の力持ちでよいのだということです。 しかし写真の技術を追求しようと考えるごく一部のユーザーだけが、その高画素カメラの本当の 実力なり、積極的に高画素の意味というものを知ることができますね。 また、高画素カメラの威力というものを、如実に感じる為には大型のモニター、4Kモニターとか、 複数枚モニターの使用が前提となるところがあります。 普通のフルHDモニターは200万画素です。それを2枚のデュアルモニターにしても400万画素で、 4Kモニターだと800万画素。まあその程度でしかありません。 カメラだけが数千万画素と高画素になり、しかしそれをモニターする器具が遅れをとっていると いう感じです。 しかし、高画素モニターというのは、それこそここで言った鑑賞の画素数疲れを起こす元凶であり、 私はシングルフルHDモニターの鑑賞で十分であると思っています。 ここらの見極目も、心理的画素数論を考えておくべき理由のひとつです。 われわれは、膨大過ぎる画素数、情報過多に溺れてはいけないのです。自分の見識を高めて おかなければ、思わぬ落とし穴に入り込むのが日々技術革新の続く現代です。

夜景

夜景

写真やカメラに関心の薄い一般の人達は、カメラ機材や撮影に凝り過ぎる ハイアマチュアには違和感を持たれているだろうと思います。 そういうハイアマチュアを取り上げたテレビ番組を一般のおばちゃんが見ていて、 「あんたら、写真好きの人間は、やたら凝るんだねー。テレビでやっていたよ。 あんたのそのカメラ、幾らすんの?」って、度々、言われたことがあります。 そういう風に言われると返す言葉はなくて、「いや、これは中古で安く買ったので、 無駄なお金は使ってませんよ」というのが精一杯。(苦笑) おばちゃん達は にたにたと笑っている。 そりゃそうだわ。自分の旦那や息子が写真に凝ってると、おばちゃん達は被害者 側になるわけですからね。(^^; しかし一般の人達は、プロの写真家はちゃんと評価しています。戦場カメラマン とかになると命をかけて報道してくれるわけですから、仕事で写真をやっている 人間はしっかり尊敬して認めているわけです。写真で金を稼げるし、ちゃんと世間 に役に立ってるわけですからね。 しかし普通の、金を稼がない遊びのハイアマチュアは道楽人間だと分類しています。 中には、「良い趣味をお持ちで」、って持ち上げてくれる人達もいますが、まあ、 お世辞でしょう。ギャンブルをして嫁を泣かせるよりはマシな程度だとね。(笑) とにかく、高価で無駄な機材を買うのがいけない。撮影にしても奇妙に凝っていて、 我々が見ても分からん!もっと素直に撮れって具合に思っているのでしょう。(^^; 一般の人々の、この感覚でやられると、ハイアマチュアはぜんぜん立つ瀬があり ません。ごもっとも、ハイごもっとも、と言うしかありません。 ハイアマチュアにしても、やたら機材に凝って次々と新製品を追い求める人間や コレクターと言われる人間もいる一方で、他方には、一般人の感覚に近い感覚の アマチュアカメラマンがいます。 必要最低限の機材で、とにかく写真は撮影ということで、機材を買う金があれば撮影 の旅費に回せって、忙しいまでに撮影をこなす人間もいるわけです。 さて、一般人の御意見は別にして、このアマチュア人の分類として、機材に関心が 向く人間なのか、それとも機材(過多な)を拒否するのか、そのどちらがマトモな人間 なのか。これをちょっと考えてみたいと思っています。 早々に自分の結論を言うと、機材関心人間のほうがマトモな感覚だと思ってます。 でもやはり馬鹿だとは思ってます。(^^; 写真という行為の、その人間の究極の至りは、森山大道とか藤原新也が語っている とおりです。 ところで、あのユーチューブの番組の中では、機材の話は極力避けていますね。 もちろん一般の人達にはカメラ機材への関心はないからです。そして精神的なこと だけを番組では語り取り上げています。 ただちょっとだけ、映像で彼らが使っているカメラが写っています。 日本人は、精神論が好きです。特に簡潔な言葉で語られる精神論。例えば大和魂 とか。造反有理や革命無罪とか。 それで、出来るだけ物に拘らないことが上質で高等なものだと思っているところが あります。 しかし実際は、どうなのか。 カメラ機材のことをあまり考えずに写真をばんばんとやっていくと、それはとても高等 なことに思えて、しかも倹約家の一般の人達からすればモノをよく使いきっていると いうことで、四方八方から賞賛を受けるのかも知れません。それが正しく王道なだと。 それは本当に正しいのだろうか。 http://photoxp.jp/boards 各掲示板のカウント総数が出ていますが、昔からペンタックスはダントツだったのですが、 最近は投稿数が落ちているように思われます。これは何故なのだろうか。ペンタックス ユーザーが減少したというのもあるだろうけど。

夜景

夜景

機材重視のハイアマチュア人間の、その究極とでも言っていいのがレンズマニアです。 しかも古いのか新しいのか、とにかくマニュアルレンズですかね。(^^; マニュアルレンズを使うと、撮影効率は極端に落ちてきます。 デジタルカメラは、3つの要素で、高速に多量に、撮影できるカメラとなっています。 ひとつは、デジタル方式。フィルムのように撮影枚数の制限を受けない。 二つは、モータードライブ。秒コマ何コマで連写速写できる。(昔は手巻き式でした) 三つは、オートフォーカスです。(マニュアルレンズはこれをやめることです。) この3つのうち、どれかでも欠けると、スムーズな多量撮影ができません。 さらに手持ちを止めて三脚を使うとなると、なおさら撮影量は落ちてきます。 わざわざオートフォーカスレンズが付いているのに、それをやめてマニュアルレンズで、 最新のデジカメを使うのは、一般の人達には理解できません。 まして古い時代のレンズを最新の高級デジカメに着けて使うっていうのは、度を越して いて全くわからないことだろうと思います。 ブルジュア的道楽も度を越している。彼らは反動である。間違った人間達を目覚めさせ、 正しい道に導かなくてはならない。 そう考える人がいたとして、それでは本当にそれは正しいのだろうか。 その間違った考えの道楽人間達には、一分の道理もないのだろうか。

ネット時代の写真

ネット時代の写真

>ネット社会は、相手が見えない・・まるでラジオのDJが深夜、広大な闇に向かって話す・・ ●これは上手いことを言いますね。(^^; 昔のように写真の展示会を開いて、一般の人に見ていただけると、ちょっと話をしたりとか、 彼らのその仕草や視点で、多くの人はこういうのが好みなんだなって分かりますけど、 ネットではなかなかそういうのが見えません。 私も昔、自分のホームページを持っていたころは、出会う人に、このサイトで写真を見てねって、 言って、次にあった時に手応えを知ることができたんですがね。 とにかく今の写真の掲示板では、常連しかコメントが出てこないので、本当に一般の素人 さんがどんなに写真を見てどのように考えているのかが分かりづらくなっています。 それで、撮影に出かけた時に、普通のおじさんやおばさんと世間話をして、そういう人達が 我々アマチュア写真人をどのように見ているのか、そういうことも参考にしたりしているん ですが、それは具体的に撮った写真の内容ではないので参考にしかなりません。 とにかくネット時代というのは、本当の事態が見えにくくなってきた時代なのかも知れません。 そういうことでは、デジタル時代は写真ではなく、画像であると言われるように、ネット時代 も写真の意味がステルスになって来ているのかも知れません。 私はコンピューターを始めた20数年前、このコンピューターは人と人との間に入り込んで、 コンピューターを使う側の人と、コンピューターに使われる人と、階層的に2分化すると考え ましたが、時代はそのとおりになりました。 今回改めて考えているのは、コンピューターとネットは、人と人とをお互いに見えにくくする ということです。 コンピューターやネット時代に負けないように対処するには、何でもいいからどんどんと キーボードを叩いていくしかないのじゃないかということです。つまりコンピューターを使って 自分を表現していかないと、コンピューターという機械やネットという仕組みに負けてしまう ということです。 ただ見ているだけ、沈黙しているだけでは、それはネット時代では存在しないことと同じ ことにみなされるということ。 ●ところで、私は花鳥風月氏の有り様を面白いことだと注目しているんです。 氏は、ツイッターのように一行しかコメントを書きません。もちろんかなり練られて書いて いるわけですが、とにかく1行だけというが注目に値するんです。なぜならば一般の人々も せいぜい1行分くらいしか発言はできないからですね。 写真やカメラの専門的なことも書かれません。コメントはあくまで一般人の視点からです。 そういう意味では花鳥風月氏は、一般の人々の代表選手みたいなものかもしれません。 もし氏が一般人の代弁だとすると、写真を追い求めるのではなく、単に機材遊びをしている 人間は無駄なことをしているということになり、諫めを受けます。なぜならばそれが一般人 の常識的な感覚だからです。 氏を嫌う人間は一握りですが、一方、氏を評価する人間の投稿写真は、一般の人達も わかり易いような写真を提出しています。 そして氏を評価しない人間の写真は、間違いなく一般人達の眼からはマニアックな意味の 乏しい写真だと映ることでしょう。 たった1行でもいいから発言をする。その意味は大きいんだなあって考えています。 ところで氏の写真というか画像は、以前は全体的に黄色っぽくあまり綺麗ではありません でしたが、最近の絵は綺麗に白く抜けて良い絵になりました。 ●三脚のちょっとした組み換えや改造は出来ても、自作は難しいですね。(^^; でももし、できるのならば鋼鉄製を作りたい。(^^; 写真用三脚はアルミ製やカーボン製 しかないのです。測量用には木製というのもありますが。 鋼鉄製となると、 http://blog.goo.ne.jp/hetarecos/e/a3479db8b49d29554e1ee33713bdbd42 銃座の三脚くらいですかねー。(笑) 写真用の鋼鉄製三脚は、メーカーにかかれば比較的簡単にできるでしょう。現行品の アルミ製三脚と同じ口径肉厚の鋼鉄のパイプを用意すれば、他のパーツは現行品を そのまま利用できるからです。 これ、ホントにメーカーが出せば売れるんじゃないでしょうか。車からそう遠くない範囲 の撮影では重さはさほどの欠点ではないからです。 それよりも重い鋼鉄製という利点が生きてきます。かなりの強風でもびくともしないですし、 重心が下方にあるので重さによる圧倒的な安心感があります。剛性も鋼鉄製ならば 既存品より多少上がるでしょう。 自作でやるとすれば1段三脚ですね。適当な長さの鉄製パイプを3本用意すればよいです。 直径さえ既存の三脚に合わせておいて、後はドリルで留め金部分に穴を開けるだけ。 なんだったら伸縮のない1段なのだから、空洞のない鉄棒でもOKです。まあ、アルミの 丸棒でもいいんですがね。(^^; ただし1段だと伸縮ができないので三脚と雲台との間にレベル調製のパーツを組み込む ことになります。これが剛性を劣化させるのは問題。 それで高さ調節ということでは2段三脚がいいかな。上はパイプで、下は丸棒。止めナット は既成品を利用できるかな。切断やネジきり穴あけは鉄工所にやってもらう。(^^; 鋼鉄製なので、先を尖らしていれば、もし熊が出てきても戦えるかもしれない。 なんか、今直ぐにでも出来そうな雰囲気ですが、こちら瀬戸内は強風が吹いて撮影に 困ることはないので別に重くする必要はないんですね。熊もいないし。(笑) ただこれの応用はできます。やはり既存の三脚は、重心が上方に偏っているのは不安感の もとです。 それで既存アルミ三脚の一番下のパイブの中に、金属チップをぎっしり詰め込むんです。 パチンコの玉でも良いし。砂でもよいです。 これでちょっと重くなるけど重心が下方に下がり安定します。 不用意に蹴飛ばしても大丈夫かな。(^^;

オリンパス

オリンパス

そうですか、やっぱり毒キノコは美味しんですか。そうだと思いました。(笑) 毒があるものほど魅力的というか。ひょっとしたらカメラもそうかも知れませんよ。(^^; ●OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II ハイレゾショット http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/minirepo/20150302_690295.html こちら、最新カメラへの知識がまったく不足していて、アドバイズはできかねる のですが、とにかくオリンパスのカメラは、昔から小型ハイテク、革新的高機能を 売りにしていると思いますね。 私も初期の光学式一眼オリンパスは試してみましたし、コンデジタイプのミラーレス も初期のものは使いました。しかし現在の一眼ルックのOM-D E-M5/E-M1は、 もう次元が違うっていうレベルですね。スーパーハイテクカメラになっているようです。 オリンパスはネイチャーフォトを撮る人が多く使うカメラですし、接写近接写真では 威力を発揮しますね。 遠景の風景や視野を広く撮りたいということでは、確かに撮像素子の大きなフルサイズ センサーは有利ですが、被写体のここだけ拡大して撮りたいという用途ではセンサー の大きさはあまり関係がありません。(月の撮影でのニコンp900がそうです) それで接写・近接撮影(昆虫・植物)やスポット望遠撮影(野鳥・航空機)では有利に なります。 オリンパスはフォーサーズを頑なに守り続けてきたのですが、その小さなセンサーを 活かすということでは、他のカメラよりも優位点が2つあります。 ひとつはカメラやレンズを小さくできるということ。(これはミラーレスになって実現しました)  もう一つはシャッターやセンサーが小型なので(APS-Cよりも)、より低出力の電源で 作動できるということです。これはユーザーへの安全配慮に繋がります。 この安全対策ということでは、オリンパスが医療器具メーカーでもあるということも 優位になっています。 カメラにかぎらず工業製品は、「イメージ」というのは大きいですね。 オリンパスはスマート(知性的でカッコイイ)というイメージがありますかね。今で言えば クールですか。(^^; クールジャパンなんていいますから。 スマート、クール、そしてユニークです。米語ではこれらは全て褒め言葉になります。 ●富士フイルムのXシリーズミラーレスの首尾一貫性 http://hinden563.exblog.jp/24788232/ メーカーにはそれぞれの歴史や社風というのがあり、それを変えるというのはなかなか 難しいところがあります。だからこそユーザーはそのメーカーのイメージにしたがって 製品を購入することになるのです。また、これを簡単に裏切ってくれると困ります。 このフジにしても、初期のニコンのカメラを使っていたころと、そのイメージはあまり 変わっていませんね。画質優先であり高画素には及び腰のオーソドックスなイメージを 今も継続しています。 現実的に見ても、オリンパス、いいですね。何がいいかというと、その軽さと小ささ。 これでフットワークが俄然良くなり、いい写真を撮れる確率が高くなるんです。確かに 画質はニコンより劣るでしょうけど、それを補って余りあるシャッターチャンスをものにする ことができる。 小型カメラの本当の良さというのはそのところです。 重い機材を運ぶのが仕事のような写真では、それはカメラマン氏は自己満足できても、 一般の視聴者の眼にはどうしても写真として違和感がつきまとうものです。綺麗に 撮れているんだけど親近感が乏しいんです。 それは何が違うのかというと、重い機材には、偶然に出くわしたという撮影がないからです。 重いカメラと大きな三脚を担いでの撮影では、事前に、どこそこで自分は撮るのだという 予定目的で決めています。でも、それは結果として、ありきたりな写真なのです。 ところが小型の機材だと、いつでもどこでも、ひょいと取り出して撮影ができます。 その偶然性のもたらす撮影が、一般の写真鑑賞者の眼には新鮮に見えるのです。もちろん 撮影者自身にも新鮮なはずです。 この違いはものすごく大きいと思いますよ。 昔から小型カメラというのは、ライカの初期カメラが原型になっているところがあるんですね。 それでフィルムOMもライカと同じサイズにしたんです。現在のOM-Dも同じサイズです。 カメラの進歩の歴史は、常に高感度撮影であり、そして小型化であるのです。 ●ヤモリ。我が家で飼ってます。(^^; というか、かってに居ついているだけだけど。 ピッと掴むと、キイッって可愛く鳴きますよ。でも写真を撮るのは難しい。すぐに隠れるから。 ムカデはファインダー越しでもご勘弁を。(^^;

写真の本当の主人公とは

写真の本当の主人公とは

●掲示板の投稿者には、各人それぞれの相性というものが出てくるようになって、それで 仲間内だけで固まるようになるんですね。これは人間の性(さが)みたいなもので、多少 致し方ないところがあります。 それにしても実際にご本人を目の前にしていなくても、ちゃんと相性というものが出で来る のは、なんとも不思議でしょう?(^^  相性というのは写真一枚かも出てきます。週刊誌のグラビア女性の写真をみても好みの 女性だっていうのがあるでしょう。逆に、美人だけどちょっと敬遠とか。(^^; こういうのは、人と人との相性。つまり各人が持つ星座や星の配置関係によって簡単に 計算できるんです。相性くらい簡単に見れる占星術はありません。; しかし人間は相性だけで物事を決めてはいけませんね。それでは動物やロボットと同じ。 それから、排他精神というのは、精神じゃなくて単なる生物化学反応です。それでは一人前 の人間とは言えません。 それから、掲示板の数が少ないっていうのもあるでしょう。板が100も200もあれば棲み分け られますから。 ●私のコメントは、自分の気の向いたままに自由気侭に書いていますから、気に入った ところだけ読んでくだって大いに結構です。(^^;  私自身、自分の考えやアイデアをまとめる為に、メモとして書いているところがありますから。 ●フランス・ブランドの高級三脚を買って、それで満足かなって思っていたら、やっぱりそう ではなかった。私には日本製三脚が心底、いいなって思う。 正しく言うと、米国製三脚や雲台も気に入ってるから、日米製品に共通する頑丈さ、実直さが 気に入っているのだと思ってます。たとえ無骨でも。 フランスやイタリアの三脚も素晴らしいのだが、私の琴線に触れるのは仏・伊ではなく日・米 だったということだろう。 これは単なる自分の好みの感情なので、正しいことを言っているのではありません。 とにかく、ジッツオ・カーボンの高性能さは、他を抜きん出ていると言えます。 ●掲示板の人達が、何故に仲間内で村的に縮こまるかというと、それには理由があるの だろうと思います。それは、各人に弱みがあるのだということ。 その弱みとは、掲示板を離れては、自分の写真趣味を続行できないかもしれないという、 漠然とした不安感なんです。 なので、波風を立てず、人に嫌われないようにと気を使うのです。 ネット世界というのは、どの評論本を見ても同じことを書いているんですが、ネットで発言権を 得るのは、暇人と単純な人間です。単純な人間は声高にしゃべりますから、ネットでの イニシアチブを得るようになるんです。 しかしネットで発言をリードする人間が、ネットを利用している大部分の人達を代弁している かというと、それは違うのです。ネットの発言者はあくまでも少数派です。むしろ少数派の奇異 な人間と言っていいでしょう。 それで大部分の多くの人達は、ただその成り行きを黙ってみているだけです。 多くの大多数は、暇人でも馬鹿でもありませんから、投稿も書き込みはしなくて、ただ見る読むだけ の人達です。 決して忘れてはならないのは、本当に大切にしなければならないのは、無名のただ読むだけ の大勢の人達です。この人達が本当の、この世の中を引っ張っている主権者です。 それと同じように、我々アマチュア写真家の本当の理解者は、物言わぬ一般の大勢の人達 なのだと思っています。その人達は写真には素人でしょう。 とにかく、けっしてネット掲示板の常連の投稿者やコメンターではありません。 このことを忘れないようにすれば、アマチュア写真家は、たとえネットや掲示板がなくとも写真を 奕奕として続けることができます。 写真の真の主権者、主人公は、物言わぬ大勢の一般の人たちです。本当はそのように人達に、 我々の写真を見ていただきたいと思っています。

生まれ変わろうか。(^^;

生まれ変わろうか。(^^;

私の長文に嫌いな人がいるのは、ひとつには、長文が文語体で書いた文だからでしょう。 だから、本を読むのが苦手な人は、まず敬遠します。(^^; これにはちょっと申し訳なく思っていて、しかし限られた文章量では簡潔な文語体になる のは致し方なく、(口語体では冗長になりすぎる)、とにかくそこのところはすまないと 思ってます。 今はしばらく撮影を休もうと考えていて、それでもう2ヶ月は撮影をしていません。 もうあと、1、2ヶ月は休もうと考えています。まあ、充電期間ですかね。(^^; 私の場合はとにかく撮影に行くと、多量のショットを切り過ぎるので、その反省も込めています。 しばらくは身体と脳を休ませようとね。 撮影は同じ場所ではマンネリになるのは仕方がないですね。(^^;  しかし撮影に休止を入れて、時間を挟めば、また新たな新鮮な感覚で望めるかもしれません。 機材を変えて気分転換。いいですねこれ。(^^;  しかし最近は新しいカメラに感激がなくなってきました。既にあまりにも多くのカメラやレンズを 買いすぎたからかも知れません。 その代わりといってはなんですが、三脚や雲台に凝ってます。ちっょと改造までやるくらいに なっていて、これはこれでヤバイですね。(^^; レンズ沼か三脚の森かって具合。 ただ、カメラ・レンズと三脚が違うのは、カメラやレンズはそれぞれに個別の画質がありますが、 三脚は画質とは関係がなく単なる道具だっていうことです。 画質という幻想?がないぶん、つまりコレを買えばもっと良い写真を撮れるだろうという誤魔化し が出来ないのです。その点は割りきってしまえますね。 でも三脚というのは、これはこれで美しいのですよ。 カメラやレンズが美しいというのと同じ。 また、カメラやレンズを使うスタイルというのがありますが、つまりこれを持っていればカッコイイ かも、っていう自己愛というナルシズムですか。三脚にもそういうのがあると思います。 三脚を使っていると何だかダサイってなるとやれませんが、けっこうカッコイイかな?っていう レベルにまで持っていければ積極的に三脚を使えるようになるかも知れませんね。 まだまだ自分の中では、三脚ってうっとおしい、面倒くさいっていう感覚が大きく占めていて、 これを精神的に打破しないと、本当の三脚ダンディニズムとはなりませんよね。 ところで、三脚を使っていてイイナっていう瞬間があるんです。 それは三脚を組み立ててカメラを乗せた後の一時です。バックも肩から下ろし、手には何も 持っていず、その瞬間だけは身体に一切の負荷がなく、とても自由になれる一瞬なんですよ。 そういうのは手持ちで撮影していると味わえなかった感覚です。 両手がまったく自由になる瞬時の感覚ですかね。 そもそも自由気ままに撮影をしたいと長年やってきた人間が、制約の多い三脚撮影をするって いうのは、もう一度生まれ直して来るくらいの大事件なんですね。(^^; 普通は絶対出来ませんから。

二万年前の世界

二万年前の世界

●アサヒカメラ8月号を図書館で見ていて、その中の記事で、小林紀晴の写真があり、 そのタイトルが気がきいている。 「二万年の水流、私は二万年前の石器人」 写真はなんと、シノゴで撮った単なる東京の町並み。(^^; 二万年前の地形図を知れば東京の大部分は海であり波打ち際であって、その視点 から見れば、現代の東京は二万年先の未来の光景を見ているということになる。 写真は過去だけでなく、未来も見ることができるのだというパラドックスというか鋭い 写真家の直感力なのだ。 小林紀晴、なんか聞いたことがあると、ネットで調べると、「アジアンジャパニーズ」の 著作者だったのだ。写真家というよりも作家でジャーナリストで、現在は大学教授なのだ。 http://www.kobayashikisei.com/ ところで、調べついでに行き着いたのが、これ、アサヒカメラ・ネット http://dot.asahi.com/asahicameranet/ http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2015080400108.html けっこう記事は充実していて、これがただで読めるという。(^^; このアサヒカメラネットのタイトルのコピーが、こうだ。 「写真と生きる人の情報コミュニティ」 写真と共に生活する人々の・・・というくらいの意味だろうと思うのだけど、確かにわれわれ アマチュア写真家は、写真やカメラを友として第二のセカンドライフを送っているともいえそうだ。 キヤノン板で写好さんに、このフォトXP掲示板がなくなれば、どうなるの?と聞いたところ、 写好さんはほんとに正直な人で、それは困ったことになると言ってました。(^^; つまりは自分の写真ライフでの、その大切な情報サイトの役割をフォトXP掲示板は果たして いるということになるのです。 ●私も写真を10余年前に始めた当時は、同趣味同士の知り合う場として、カメラ屋さんとか、 写真展とか、もちろん撮影場所で知り合ったカメラ同士諸君との交流があったわけですが、 いまはもう、そういう場が殆んど無くなりました。 カメラ屋にはあまり行かず、撮影対象も人が多いイベントなどには足を運ばなくなり、撮影は 一人っていうシーンが多いですからね。 それとやはり、ネットで写真の情報を仕入れることが多くなったということもあります。 今の若い人が、生の人間と情報を分かち合わずにネットで交流するのは、これは同じこと なのだと言えそうです。(^^; ネットでの情報収集ばかりとなり、それで良かったなあという点は、機材に対する関心が 薄れたという点です。もちろんネットには機材関係のサイトも多々あるのですが、とにかく 現物を目の前にしていないからイメージが湧かず、物欲までにはいきません。 カメラ雑誌も買わなったことも機材に対する関心がなくなった一因でしょうね。 これで無駄な買い物をしなくなったというのは大きな利点です。 たしかに最近は三脚や雲台が物色の対象になっているのですが、カメラやレンズは捨て置き です。 三脚はやはりカメラ・レンズとは違います。なんて言うか、機械感覚が強くてカメラ・レンズの ように期待感や幻想を込めて購入することがない。精密機械ではないので、やっぱりアナログ な道具なんだなあって思います。 ●それで私の写真はあらかた機材から離れて、撮影だけでよいとなったわけですが、この撮影 というのも要は、被写体を求めてのことですから、ほぼ近くの撮影場所は新鮮味を失っています。 かなり遠くまで遠征しないと、撮影対象たる好奇心が湧かなくなっているんですね。 結局、撮影は自分が初めて見るという新規な場所での好奇心に突き動かされているところがあり、 これもいつかは限界に達するということでしょう。(^^; 車を大型のものにして高速を突っ走る時間とお金があれば、もっと遠くまで撮影にいけるの ですが、それだっていつかは限界がきます。 人様の撮影した写真をみて、自分もそこへ行ってみたいなあっていうことですが、最後には 地球の裏側にでも行かなければならなくなる。まあ、人間の欲望には最果てというものがない。 写真趣味には、機材を使う楽しみと、それから良い写真を撮れたという達成感の2つがある ようですが、実はもう一つ見逃せない大きな満足感があって、それは撮影場所で得られる、 もしくはそこに至るまでの過程で得られる充足感です。 特にそれは如何に自分の足で歩いて撮影をしたかという、まさに自分の掻く汗の量に比例する 充足感ですね。これがたぶん最高の満足感だろうと私は考えています。 それは自分の心のなかへの旅と言いますか、どんな高価な機材でも大枚の旅費を使っても 得られないものなのです。 これは私だけの考えではないでしょう。おそらく多くのカメラマンが漠然と感じていることであり、 写真は結局、道具でも被写体でもない。もっと深いものがあるのだということを皆知っている わけですね。ただ知ってはいるのだけどそれを的確に表現することができないでいるだけです。 だから、写真撮影はひとつの脳内トリップ。 ランナーにランニング・ハイという言葉があるように、きっと写真にもそういうものがあるの だろうということです。 そしてその写真は、写真を撮った者だけにしか分からず、撮影者自身の秘めたる満足感で あろうということです。それは写真画像のように共有できることではないのですから。